咲-Saki- もし咲が家族麻雀で覚醒してたら   作:サイレン

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咲にゃあ

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9-9

 

 

 ──準決勝第一試合終了。

 対局終了のブザーが鳴り響き、四人は立ち上がって礼をする。

 

「ありがとうございました! あぁー楽しかった!」

 

 元気溌剌と感想まで述べた淡は満足そうに笑顔を浮かべた。

 そんな淡につられたか、竜華もややぎこちないながらも微笑み礼を述べる。

 

「ありがとうございました。……ふぅ、濃い対局やった」

「それねー。対局もだけど、変な会見まであったから一日が濃密だったよー。リュウカもお疲れー」

 

 小声で漏らした竜華の呟きに淡は気軽な言葉を交わす。

 まるで何年もの付き合いがあるもの同士の気安さがあったが、二人は今日が初対面の関係である。しかも同級生ですらない。

 相変わらずの態度に竜華は苦笑し、淡の額を軽く小突いた。

 

「いてっ」

「こら。フランクなのはええけど、先輩に対する最低限の態度がなってへん。それでよく弘世菫に怒られへんなー」

「……? スミレにはいつも怒られてるよ?」

「怒られてるんかい! だったらさっさと直しぃ!」

「いいじゃんいいじゃん、固いこと言わずに〜」

「……はぁ、もうええわ」

 

 強豪校で多大な部員を抱える部の部長として、竜華は同じ立場の菫に同情する。こんな問題児中々いないだろうに、淡はあらゆる意味で極まっているのだ。短時間の付き合いだけで苦労の程が伺えた。

 それと同時に、問題児である淡をよくもまぁここまでコントロールが握れたと感嘆する。

 

「さてと、ほなな。大星、決勝では千里山が勝つで」

「残念だけどそれは無理。最後に勝つのも白糸台だから。……まぁ、それはそれで大変なんだけど」

 

 壇上から降りるつもりだった竜華だが、淡のその自信の伺えない言動に思わず止まって首をひねる。正直、淡にそんな態度は似合わないから違和感しか感じなかった。

 この対局ですら最後の一局まで手加減し通す実力者で、《牌に愛された子》である淡。彼女ですら勝ちを確信させない存在。

 心当たりは一人しかいなかった。

 

「……そうか、咲ちゃんか」

「その通り。まぁ、まだ決勝に上がるかどうかも決まってないけどねー」

 

 ひらひらと手を振る淡だが、その実、咲の勝利を砂一粒ほども疑っていないのが分かる。

 

(この娘がこうまで……。それほどなんか、咲ちゃんは)

 

 今日接した咲は、竜華からするとあの不可思議な現象を除けば普通の女の子であった。無邪気に笑い、姉を慕い、友達(あわい)とは親しげに、困っている者には手を差し伸べる。そんな良い子な女の子。

 咲からは淡や照のように、隠していても強者の貫禄が漏れ出るような実力者とは感じなかったのだ。

 

 竜華にはその事実が信じられなかった。

 

 この無鉄砲で言っては悪いが無礼千万な淡が心から認め、あの宮永照の実の妹であり、この日までに打ち立てた数々の偉業を目にして、竜華も咲の怪物性は理解できている。

 だからこそ信じられない。

 何かを一心に打ち込んだ者は、自然と経験値特有の雰囲気が醸し出されるものなのだ。スポーツであろうと、盤上遊戯(ボードゲーム)であろうと、それこそ麻雀であろうともだ。

 だというのに、実際に接した咲からはとんと何も感じない。恐怖すら覚えなかった。

 

(隠すのが尋常でなく上手なのか、感じ取れない程にうちとの差がかけ離れとるのか。対局すれば分かるんやろうけど……想像するだけで末恐ろしい)

 

 力不足だ。竜華は此処に来てそれを痛感した。

 今回の対局だって、怜の謎パワーがなければ手の打ちようがなかっただろう。早々に二位争いからも離脱し、客観的に見れば決勝進出は阿知賀の手にあった可能性の方が高かった。

 決勝の舞台はこれより更に一段と厳しい筈だ。白糸台の淡、清澄の咲、もう一つは順当にいけば臨海が上がるだろう。大将のネリー・ヴィルサラーゼも竜華には理解の及ばない相手だ。それに、もしかしたら臨海や清澄を凌ぐダークホースがいるかもしれない。

 全国二位とは謳っているが、千里山で彼女ら怪物に太刀打ちできるのは怜くらい。能力といった面で注目すれば遥かに阿知賀の方が厄介だ。

 

(……まさか)

 

 そこでふと、竜華は気になったことを淡に聞いてみた。

 

「そうや、大星。一つええか?」

「ん? なに?」

千里山(うちら)の決勝進出は故意に調整したんか?」

「…………えっ?」

 

 この一言に大きな反応を示したのは穏乃であった。姫子も気力というものが失われていたが、興味をそそられたのか顔をそっと上げている。

 虚言は見逃さないという射抜くような竜華の視線に、意図を察した淡は素直に首を振った。

 

「私にはそんな器用なことはできないよ。サキじゃあるまいし。……まぁ、()()()()()()()()()()()っていうのは本音だけどね」

「…………どうしてそう思ったんですか?」

 

 思わず呟いたしまった淡の言葉に、穏乃が一呼吸分空白を挟んで問いを投げかけた。

 穏乃からすれば当然の疑問であろう。千里山でも新道寺でもなく、何故自分たちなのかと。

 口を滑らした淡は自身に舌打ちしたい思いであった。どう考えても迂闊過ぎる。高揚した気持ちを持て余している証拠だ。

 

「……あまり気持ちのいいものじゃないから聞かない方がいいよ?」

「……いえ、お願いします。教えてください」

「……はぁー、わかった」

 

 この様子じゃあ引かないなと穏乃の態度を見て淡は溜め息を吐いた。

 それでも開き直った淡は自分で蒔いた種だと、嫌だなーという雰囲気を隠して穏乃に告げる。

 

「阿知賀、というよりシズノ一人の話だけどね。シズノは私にとっては邪魔にしかならないのに、()()()()()()()()()()()。そう思ったから阿知賀を落としたかったんだよ」

「……それは、どういう……」

「……あぁー、まぁ、うん、はっきり言っちゃうとね」

 

 ──シズノじゃサキには勝てっこないんだよ。

 

 結局、遠慮の一欠片もない一言で淡は断言してしまった。

 それに対し穏乃は当然憤った。

 

「ど、どうしてですか⁉︎ 確かに宮永さんは凄く強いです! でも、まだ対局もしてないのに!」

「……対局しなくても分かるんだよ。私やサキには」

「だからどうしてですか⁉︎」

 

 詰め寄るように迫る穏乃に「こうなると思ったから嫌だったのにー!」と、淡は内心で泣き言を漏らす。咲以上にオブラートに包むのが苦手で、気を遣うという言葉とは縁のない淡に、相手を諭すような真似は不可能なのだと実感した。

 つい「どーどーどー」と、両手を差し出してみようかと淡は思うが、これは火に油を注ぐ行為だと判断してやめる。

 しかし、ここまできたら何をしても穏乃は止まらないだろう。

 再度吐きそうになる溜め息を何とか我慢して、淡は静謐な眼差しで穏乃を見据えた。

 

「高鴨穏乃。ここで引かないのならば、私はあなたに、敗者に鞭を打つような真似をすることになります。それでも聞く覚悟があなたにあるのならば、隠さずに話します」

 

 気安い態度を鎮め極めて丁寧に、それでいて他を拒絶するような口調で淡は穏乃に覚悟を問く。

 淡の急激な変化に各々は目を見開き動きを一瞬だけ止めたが、それでも穏乃だけは怯まなかった。

 

「……お願いします!」

「……いいよ、じゃあ話すね。あ、あと敬語はいいよ、同学年じゃん」

「はい、じゃなくて、うん、分かった」

 

 穏乃の覚悟を見て取った淡は、話す覚悟を決める。

 双眸を緩めた淡は指を二本上げ、重くなった口を開いた。

 

「シズノがサキに勝てないと私が判断した理由は二つ。まずは単純に相性が悪い」

「相性?」

「そう。シズノはさ、自分の能力をちゃんと把握してる?」

「……感覚的にだけど一応は。牌と対局相手を山と認識して深く入って同化〜みたいな感じ、かな?」

「あっ、うん。大体想像通りだね」

 

 こいつ対局相手まで山と見なしてたのか……と、淡はちゃっかり情報収集したが、安易に口にした穏乃が悪いと嗜めることはしなかった。

 それに、どちらにせよ咲に通用しないだろうという結論に変わりはない。

 

「穏乃のそれを『山の支配』って私は呼称してるけど、その支配はサキに対してたぶん意味ないんだよ」

「……力不足ということじゃないの?」

「う〜ん、それもあるかもしれないけどそうじゃないんだよね〜。何ていうのかな……サキの代名詞──嶺上開花(リンシャンカイホー)は、山を支配したところで関係ないんだよ。森林限界を超えた遥か頂きであろうと咲き誇る、それがサキの嶺上(リンシャン)。だから穏乃がいくら山を支配しても、今程度の支配じゃきっとサキは平然と和了り続けるよ」

 

 嶺上(リンシャン)(くだり)に関してはテルの受け売りだけどね〜、と淡はおちゃらけて口にしたが、瞳は一切笑っていなかった。

 淡の言葉を聞き、穏乃は苦虫を噛み潰したように顔を顰める。特に無力感を感じているわけでもないのに、ただ戦う前から勝ち目などないと言われたのだ。穏乃の心境は複雑に歪んでしまう。

 だが、ここで淡に当たっても仕方がない。むしろ淡は親切で穏乃の問いに答えてくれているのだ。それじゃあどうしようもないじゃないか! という気持ちをぐっと堪えて、穏乃は淡に続きを促す。

 

「……じゃあ、もう一つは?」

「……こっちはな〜……。本当に酷いこと言うけど、いいの?」

「……はい、お願いします」

 

 再度問うた内容に穏乃は力強く答え、淡は色々と諦めた。

 

「じゃあもう言うけど、相性とかそういうの以前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。サキにも、私にも」

「……っ⁉︎」

 

 心の芯を撃ち抜く言葉の弾丸。

 自分の個性の根本を揺すられる感覚に、穏乃は目の前の光景が霞んでいく気がした。

 先程の威勢は疾うに消え、それでも弱々しく反論を紡ぐ。

 

「……制御は、できてると、思ってるん、だけど……」

「それはない、絶対にない。発動まで時間が掛かるのは仕方ないとして、相手の能力を無力化する際の強弱は? 相手の取捨選択は? 範囲が及ぶ領域(テリトリー)は? 対局しただけの私でもこれくらいは思い付く」

 

 一度話すと決断した淡に甘さはない。

 これ全部できてないでしょ? と淡はあくまで客観的に述べ、

 

「だって、できてたら勝ってたのは阿知賀じゃん」

 

 決定的な事実を告げた。

 

「……えっ?」

 

 呆然と、抜けたような驚愕を漏らす穏乃を見て、会話を最初から聞いていた竜華は淡の真意に気付く。

 そして、次に淡が言うであろう真実を察し、慌てて制止を掛けた。

 

「大星! それ以上はあかん!」

「……清水谷先輩、ここで止めても穏乃のためにはならないですよ?」

「それでもや!」

「ダメです、黙っててください。私は穏乃に聞きました、覚悟はあるのかと。敗者に鞭を打つとも。これで壊れるのなら所詮その程度だったってことです。……それに、」

 

 優しさに憤怒、思慮に憎悪、様々な感情を煮詰めた表情をして、淡はこの場にいる全員を意識して言う。

 

「一度決定的な敗北を身を以て味わって、それでもそこから立ち上がれれば、人間変わりますから」

「──ッ!」

 

 この台詞に姫子がバッと顔を上げる。

 淡のこれは穏乃への叱咤と、姫子への激励。姫子は言葉の奥底に淡が秘めた想いを確かに感じた。

 ちらりと姫子を一瞥した淡は瞳を少しだけ緩め、これで最後だという冷徹さを全身に乗せて穏乃を見詰める。

 

「シズノ、さっきの阿知賀が勝ってたっていうの、意味分かる?」

「………………」

「……だんまりか。でも、言うよ」

 

 憐憫は込めず、ただただ真実を述べる。

 

「南二局の一本場、千里山が親だったとき、シズノが能力を使ってなければ私は跳ねてた。これで700点差は消えてシズノの逆転勝利だったんだよ」

「…………………………………あっ、」

 

 ゆっくりと、染み渡るように真実を知った穏乃は、終には全身の力が抜けて膝から崩れ落ちた。

 竜華は瞳を伏せ、姫子は涙を溜め、淡は残酷だと思いながらも一度だけ穏乃を見遣った後、一人壇下へと歩む。

 

「じゃあね、三人とも。最後に付け足すけど、この対局は本当に楽しかったよ。私の今迄の人生で、一番ってくらいに」

 

 扉まで歩を進めた淡は振り向き、柔らかな笑顔を浮かべた。

 

「また、麻雀しようね」

 

 

****

 

 

「しずっ!」

「…………………憧」

 

 対局室。

 茫洋とした眼で座り込んでいた穏乃に一目散に駆け寄った憧は、穏乃を力一杯抱き締めた。

 続くチームメイトも走り寄り二人の元へと急いだ。

 

「……憧、憧っ! 私の、私のせいで!」

「しずのせいじゃない! しずの、せいじゃ、ないよぉっ……!」

「……うああぁぁあああっっ!!」

 

 堰き止めていた悲しみが一気に溢れ出し、穏乃は憧と一緒に涙を流す。玄も、宥も、灼も、悔し涙を隠せずに雫が瞳から零れ落ちた。

 慟哭が響き渡る対局室。

 選手が泣き崩れている光景を少し遅れて目にした監督の晴絵は、かつて体験した悲嘆と、何も成し遂げてあげられなかった教え子たちへの無念に、現役の頃を凌駕する張り裂けそうな痛みを覚える。

 

 またここで終わってしまった。

 自分では駄目なんだ。

 乗り越えられない運命だったんだ。

 

 断ち切れなかった負の連鎖に晴絵の顔が歪み、幽鬼のような足取りで教え子たちの側へと歩み寄る。だが、涙だけは流さなかった。

 ここで監督である自分が泣けば、彼女たちは更に悲しみに暮れてしまう。挫けそうな心でなお、彼女たちが自分と同じ道を進むことがないようにする使命が晴絵にはあるのだ。

 

「……みんな、良い対局だったよ。だから、だから……」

 

 ──何を喋ればいいのか分からない。

 慰めればいいのか、叱咤すればいいのか、どうすればいいのか、何もかもが分からない。

 これじゃあ指導者失格だ、晴絵が無力感に苛まれる中。

 

「……次は、次は絶対に、勝ちます! 勝って、あの決勝(ぶたい)へ行きます!」

 

 滂沱の涙を流しながら、鼻水を啜りながら、それでも穏乃は弱気を吹き飛ばして声高々に吼えた。

 

「うん! うんっ!! みんなで頑張ろう、しずっ! 次は、次こそは!」

「……このままじゃ、終われない!」

「私もっ、今度はもっと、もっともっと頑張るから! お姉ちゃんの、分も、頑張るからっ!」

「……ぅん、お願いね、玄ちゃん、みんなっ」

 

 教え子たちは、穏乃は、憧は、灼は、玄は、宥は、みんな強かった。一度折られた程度じゃへこたれない、確固たる芯を手に入れていた。

 

(…………凄いな、みんなは……)

 

 自分には無理だった。

 立ち上がれなかった。

 そんな自分が情けなくて仕方がない。

 

 ──もう、自分には彼女たちを導く資格などな

 

「だから赤土さんっ! また、また私たちを一から鍛え直して下さいっ!! お願いします!」

『お願いしますっ!!』

 

「…………えっ?」

 

 今諦めようと、身を引こうと思ったのに、立ち上がり頭を下げる穏乃たちを見て、晴絵は呆然とする。

 そんな晴絵に対し、彼女たちはある意味で辛辣で、

 

「えっ、じゃありません! 今度こそ、今度こそ赤土さんを決勝まで連れて行きます!」

「そうよ、ハルエ! まだ約束を果たせてないじゃない!」

「絶対、絶対ハルちゃんを決勝に! みんなで、絶対に!」

「だから、だからっ」

 

『私たちの監督を、辞めないで下さいっ!』

 

 そして、とても暖かった。

 胸を打つ言葉に、晴絵は込み上げてくる涙が堪えられない。

 

「…………いいの? こんな私で? こんな情けない監督で?」

「そんなこと言わないで下さい! 赤土さんは最高の先生です! 最高の監督ですっ!」

「そうよ、ハルエ! それに、私たちを指導できるのなんて、ハルエしかいないじゃない」

「ハルちゃんじゃなきゃダメだよ!」

「赤土先生がいいんです!」

「私も、赤土先生じゃないとダメだと思いますっ」

 

 一直線な信頼は痛くて苦しくて、でもそれ以上に嬉しくて。

 晴絵は、一筋の涙を零した。

 

「……分かった、私も一緒に頑張るからっ! みんなの決勝進出を、優勝を見届けたいから! だから、これからもよろしくねっ」

『はい、よろしくお願いします!』

 

 阿知賀女子は奮起し、未来に向かって歩き出す。

 長く、険しい、勝利の果てを目指して。

 

 

****

 

 

「姫子っ!」

「部長っ……部長!」

 

 控え室の扉が開くと同時に哩は立ち上がり、ぐしゃぐしゃに顔を歪めた姫子へと駆け寄り抱き締める。

 

「……す、すみませんっ、部長っ……ぐすっ、みんな……力、及ばなかったです」

「いい、謝らなくていいっ。姫子のせいやない」

「そうですよ、背負いこまないで下さい」

 

 紅く腫らした姫子の目元を、煌はハンカチでそっと拭う。自身も瞳に涙を溜めていても、第一に相手を慮る煌の優しさに姫子は心打たれる。

 

「あいがと、花田……」

 

 ぐすっと鼻をすすりハンカチを受け取った姫子は、涙を誤魔化すように少し強く目元をこする。

 いつまでも泣いてはいられないのだ。

 敬愛する部長を心配させたくないから。

 他校なのに、激励を掛けてくれた相手がいるから。

 涙を拭き取った姫子は、双眸に力を込めて哩を見つめた。

 

「部長、来年ば絶対勝ちます! だから、心配なかとよっ!」

「姫子……」

 

 姫子の決意に哩は驚愕と安堵を覚える。

 今回の対局で一度も破られたことのない二人の絆の象徴(リザベーション)が崩されたのだ。哩はこれが切っ掛けで姫子が壊れてしまわないか気が気でなかった。だから、一人で立ち直ってくれたことに驚き、安心したのだ。

 その心配が杞憂に終わり、後輩の成長を嬉しく思うのと同時に、一抹の寂寥感を感じた。

 

 ──あぁ、自分たちの役目はこれで終わったんだな。

 

「……その意気ばい、姫子! 花田も頑張りんしゃい!」

『はいっ!』

 

 北部九州最強の名を再び全国に轟かせよう。

 次の世代を担う二人は静かな誓いを胸に今日の敗北を受け止め、未来へと歩み出すことを決めたのだった。

 

 

****

 

 

「ただい」

「竜ぅぅ華あああああっっ!!!」

「ぐふっ⁉︎」

 

 控え室の扉をゆっくりと開けた竜華の胸に、風を切る勢いの怜が全速力で飛び込んで来た。

 ギリギリで反応し、受け止める使命感に駆られた竜華は息を漏らしながらも、怜を両手に収めることに成功した。

 

「ど、どないした」

「やったやったやったやったっ!! 決勝やっ! 決勝進出やよ竜華あっ!」

「怜……」

 

 逸る気持ちを抑えきれないのか、怜は興奮をそのままに喜びを全身で表している。

 怜から溢れ出る歓喜は混じり気のない程に純粋で、真っ直ぐで、光り輝いていて、沈んでいた竜華には眩し過ぎた。

 

「……そうやな、怜。うちらはちゃんと駒を進められたんや」

「…………? 竜華、なんでそんな元気ないんや? 嬉しくないんか?」

 

 親友の態度に違和感を覚えた怜は小首を傾げて竜華に尋ねる。喜びも一気に萎んでしまう位に、今の怜は目が不安そうであった。

 怜にそんな顔をさせたことを即座に悔いた竜華は、焦り気味に慌てて言葉を紡ぐ。

 

「そんなことあらへん! 当然嬉しい、嬉しいに決まっとる。……だけど」

「だけどなんや?」

「……うちは決勝でまともに戦えるんか不安に思ってたんや」

 

 胸の内を明かす竜華に怜は心配そうにする……わけなどなく、眉を盛大に歪め、冷たい微笑を浮かべて竜華の頭を掴み。

 

「──せいっ!」

 

 ──ガツンッ!

 

 鉄槌(ずつき)を下した。

 

「いっったぁあああああいッッッ⁉︎」

 

 突然の制裁に疑問よりも先に途轍もない痛みが襲いかかってきて、竜華は頭を押さえてしゃがみこむ。

 頭突きした方の怜も「……ヤバイ、頭割れる……」とフラフラしたが、泣き言を溢したのはそれだけで、直後には竜華を睨み付けるように見詰めていた。

 

「……い、いきなり何するんや、怜っ!」

「何するんや、やないっ! 寝惚けたこと()っとんのは竜華やろ!」

 

 怜は怒っていた。喜びより悲しみより、この瞬間だけは怒りが優っていた。

 

「何が不安やっ! そんなんウチは最初からやっ! でも、口に出したことは最近じゃもうあらへん! それをなんや、部長である竜華が決勝直前に口にするなんて、それは不安やなくてただの弱気やっ!!」

 

 突き刺さる叱咤に、つい反射的に竜華は言い返していた。

 

「し、仕方ないやろっ! あんなん見せられた後なんや! 少しくらい溢したってっ!」

「いい訳ないやろボケッ! 竜華のアホ! オタンコナスっ!」

「な、なんやとーっ!!」

 

 柳眉を逆立てて竜華は怜に詰め寄ろうとするが、その前に怜は想いを重ねた。

 

「確かにっ! 千里山(ウチら)の勝利は棚ぼたやったかもせえへん。大星淡の強大さも克明やった。しかも決勝では清澄、あの照の妹である咲ちゃんも来るかもせえへん。不安なんは分かるつもりや。でもっ! 勝った竜華が凹んでたら、負けた人らが浮かばれへんやろっ!」

 

 怜の叫びに、竜華の脚は止まってしまった。

 瞠目する竜華を見て、なお怜は口早に話し続ける。

 

「ウチはな、千里山が二位だと分かった瞬間ホンマに嬉しかったんやっ! ウチにとってこれはみんなと頑張る最初で最後の全国大会。竜華やセーラとは違って全国すら未体験で、決勝なんていう大舞台も人生初や。嬉しく嬉しくてつい飛び上がってしまうほどなのに、どうして竜華はもっと喜ばへんのやっ!」

 

 想いの丈を露わにした怜は、ついでとばかりに後ろを振り返ってキッと睨み付ける。

 

「てかっ、それを言うなら此処にいる全員やっ! 全国出場決まった時も、今決勝進出決まった時も、どこか当たり前みたいに流しとるのが気に入らへん! 感覚麻痺しとるんやないかっ!」

 

 怜の愚痴のような指摘。

 最も動揺したのは監督の雅枝であった。

 

「……怜、それは私の所為や。部としてそういう空気を創り出してしもうた。責任は全部私にある」

「そうか、それは反省やな監督」

 

 吹っ切れた怜に遠慮など無かった。例え監督だろうと正直にぶっちゃけていた。

 

 そんな光景を見て、

 

「……くっ、くくく、あはははははは!!」

 

 竜華は大笑いしてしまった。

 

「あーあ、なんかもう色々アホらしくなってもうたわ。そやな、うちが間違っとった」

 

 そうだ、自分たちは勝ったんだ。

 最後の舞台に上がる資格を掴みとったんだ。

 これで不安や迷いより、喜びで満たされなくてどうするというのか。

 

 竜華は稀に見る爽快な笑顔で怜をがっつりと抱き込んだ。

 

「やったぁあああっ! 怜うちら決勝進出やで! よぉっしゃああああ!!」

「そうやそうや! やったで竜華!」

『いっいぇーいっ!』

 

 軽やかに身を離し、パァンっ! と高らかにハイタッチを交わす。

 

「セーラぁあああっ!!」

「怜ぃいいいいいっ!!」

「泉も一緒にはしゃくで! これ部長命令やから」

「えっ⁉︎ うちもやるんですか⁉︎」

「当たり前や、張っ倒すで?」

 

 賑やかを超えて最早喧しいレベルで嬉しさを爆発させる面々。

 これの収集を付けるのは大変だなと雅枝は苦笑するが、とりあえず放っておこうと決めていた。

 

「……でも、まだ優勝したわけではないんですけどね」

「浩子、それを言うたらおしまいや」

「そんなこと言うのはこの口かぁああっ!!」

「ちょっ、ちょっ待ってくだ──」

 

 一人馬鹿騒ぎから逃げたはずの教え子の冷静な発言ですら、場を賑わす一助にしかならなかった。

 

 

****

 

 

「……ただいま〜」

『おかえりー』

「……あれ?」

 

 静々と控え室に戻った淡は、てっきり菫のお怒りの声が上がるだろうと身構えていたのに、返ってきた無難な反応にキョトンとする。

 

「スミレ、怒ってないの?」

「怒る理由がないだろ。お前はちゃんと一位で抜けてきたんだから」

「でも、本気出しちゃったし……」

「いや、あれはむしろファインプレーだ。それにその件では私の方に非がある。変に力を隠せなんて言って悪かった」

「……まぁ怒られないならいいや。イェイっ! ちゃんと勝ってきたよ! 褒めて褒めてー」

「あぁ、良くやった。ほら、お前の分のお菓子だ」

「ありがとースミレ!」

 

 目を輝かせてお菓子を二つ受け取る淡に、菫は母の様な笑みを浮かべる。子どもの淡は気付かなかったが。

 

「テルー!」

「お疲れ、淡。楽しそうだったね」

「うん! すごく楽しかったよ! まさかこんなに強いだなんて予想外だったし。でも奥の手使っちゃったのはなー。サキと当たるまで秘密にするつもりだったのに」

「あれは仕方ない。それ程の相手だった」

 

 決断に後悔はないが、やはりこの局面でのお披露目には手痛いものがある。

 だが、どちらせよバレるのだ。初手必勝の機会は失われたかもしれないが、淡のこの力は咲にだって十分以上に通用する。淡はそれを確信していた。

 

「はい、テル。こっちはあげる」

「んっ、ありがとう。それじゃあこれ、まだ開けてないから」

「……テルがお菓子をくれるなんて驚きっ!」

「……頑張った淡への御褒美?」

 

 淡は一瞬で切り替えた。

 照と楽しげに会話を続けながらも、淡の意識は既に決勝戦を見据えていた。

 

白糸台(わたしたち)は来たよ、決勝に)

 

「タカミとセイコもお疲れー。私頑張ったでしょ!」

「あぁ、お疲れ。お前はホント、良く成長したよ」

「お疲れ、淡ちゃん。あっ、間違えた。お疲れ、マイナス15900点の淡ちゃん」

「そこ言い直す必要なくないッ⁉︎」

「淡ちゃんビリ2ー」

「うっさい! ダントツはセイコじゃん!」

「……お前ら、泣くぞ私……」

 

 一通りチームメイトと笑い合った淡はバリバリと袋を開け、ソファに腰掛て手にしたお菓子を口に運ぶ。広がる甘味は疲れた頭と身体を癒し、対局の熱をゆっくりと冷ましてくれる。

 

(……早く来い、サキ)

 

 咲が負けることは思考にない。

 淡の中では咲の決勝進出は決定事項で、そこでの決着しか考えていない。

 

 淡は咲に四回負けた。

 最初の一回は勝ってはいたが完璧に点数を調整され、二回目は完膚なきまでに一蹴され、三回目はまたもや点数を支配され、四回目は劣化版連続和了などとふざけた手加減をされて完敗。

 淡はまだ、咲に本気すら出してもらっていないのだ。

 

(今度こそ、今度こそ……)

 

 あれから変わった。

 強くなった。

 勝利に貪欲になった。

 

 淡はもう、咲を退屈させない。

 

 雌雄を決するのは全国大会の決勝戦。

 これ以上の舞台は存在しない。

 

「……ふふっ」

 

 ──楽しみだよ。

 

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 準決勝第一試合はこうして幕を下ろした。














↓if:決勝で穏乃と対局する展開

咲「ツモ、嶺上開花」
穏乃「そ、そんな……王牌(そこ)はもう、私のテリトリーのはずなのに……」
咲「……ふふっ、本当にそんなこと思ってたなんてね。衣ちゃん風に言うと、片腹大激痛だよ」
穏乃「ど、どうして……?」
咲「どうして? 私からしたら、その質問自体が傲慢だけどね。まぁ、慈悲として教えてあげる。残念だけど、王牌(そこ)は最初から最後まで、(わたし)の支配下にあるんだよ、山猿(ざっしゅ)

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…………うん、違和感ないですね(笑)
咲にゃあ、とのギャップ差がぱないけど。

白糸台編はこれで終わりです。
次回は咲さんサイドに戻る予定ですが……気長にお待ちください。



では最後に。
HappyBirthday淡ちゃん!

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