咲-Saki- もし咲が家族麻雀で覚醒してたら   作:サイレン

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10-2

「いやー、なんとか間に合ったね!」

「全くしずはっ! なんでこんな日に寝坊するかな⁉︎」

「まぁまぁ憧ちゃん落ち着いて。席は取れたんだから」

 

 全国高校生麻雀大会の会場の廊下にて、少女が三人横並びに歩いていた。

 彼女達は今大会の出場校である阿知賀女子学院の選手だ。先鋒の松実玄、中堅の新子憧、大将の高鴨穏乃の三名。

 彼女たちは本日行われる準決勝第二試合を、大きなモニターのある中継ルームで観戦しに来ていたのだ。

 

「ねぇねぇ見て見て」

「どうしたの、憧?」

「今朝の宮永咲、もうニュースになってるよ」

 

 憧が手に持つスマホを覗き込む穏乃と玄。

 画面には麻雀業界の雑多なニュースをまとめているアプリが開かれており、そのトップニュースにデカデカと宮永咲の文字が踊っている。

 つい先日までは咲の名前すら殆ど見ることの無かった事実を踏まえると、大躍進などという言葉では片付けられない注目度だろう。

 

「今までは清澄と言ったら和のことだったのに」

「でもしょうがないよ。あの照さんの妹さんだし、昨日の会見の後だもんね」

「まぁ前からその異常性は噂になってたけどね。今回も、ほら」

 

 ページを進ませ記事の内容を読む。

 そこには穏乃たちが席取りでてんやわんやしていた最中に起きた出来事が記述されており、要約するとこうだ。

 

 宮永咲が王威で群衆を断ち割った。

 

『………………』

 

 ──流石宮永咲、私たちに出来ないことを平然とやってのける。

 

 ひたすらにノーコメントを貫く三名は他の記事も漁ってみる。

 魔王とか覇王とか女帝とか悪魔とか色々な表現があったが、女子高生扱いは一つもない。

 既に某掲示板では先取り魔王をしていた咲だが、遂に表世界にもそう認知されるようになったのだ。

 一日でこうも変わるかと、三人はマスコミの恐ろしさを思い知った。

 

「……まっ、これはもう置いといて、何買えばいいんだっけ?」

 

 憧はスマホをしまい、無理やりに思える話題転換で本題に戻る。

 中継会場を出て彼女たちが廊下を歩いていたのはそもそも、朝に時間が取れなかった為に買い出しの役目を負っていたからだ。

 

「えーと、みんなの分のお昼でしょ。小腹がすいた時の為のお菓子でしょ。あとは飲み物と、お姉ちゃん用のカイロかな」

「宥姉……」

 

 夏真っ盛りのこの時期にカイロを購入するなど意味不明であるが、慣れた様子の玄の姿に憧は何も突っ込めない。

 

「…………」

「なに、どうしたのしず?」

「いや、さっき見た記事がどうしても頭に残っちゃってて。宮永さんはやっぱり凄いんだなって」

「まぁそりゃあね」

 

 しみじみと呟く穏乃に憧は苦笑いしか浮かばない。

 団体戦予選から始まり個人戦、そして全国の舞台で残した戦績を見れば、咲が如何に人外染みてるかは一目瞭然だ。

 これまで和の陰に隠れられていたのは奇跡みたいなもの。あとは三人は知らないが、咲がのらりくらりとマスコミから逃げてきた結果である。

 今更論ずる必要すらない事実に思考を割いている穏乃を横目に、憧は戯けるように肩をすくめた。

 

「でもぶっちゃけ、凄いっていうより私は怖いけどね。宮永照もそうだけど、あんなのホント化け物じゃん!」

 

 

 

 

 

「──へぇ、誰があんなので化け物なんですか?」

 

 

 

 

 

『──ッ‼︎⁉︎』

 

 怖気に三人の身が竦む。

 突如背後から掛けられた、ただただ冷えた声。

 勢い良く振り返ったその先で、昏く薄い笑みを浮かべる少女──宮永咲が立っていた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 自分と姉の陰口が聴こえた。

 機嫌の悪かった咲は、それだけの理由で見ず知らずの背中に声を掛けた。

 

「……み、宮永、咲……」

「わざわざフルネームで呼んで頂いてありがとうございます」

 

 呆然と咲の名を零した少女に淡々と礼を述べ、咲は首を傾げる。

 

「んー、どこかで見た記憶はある気がするけど、あなたのことは知らないなー。他の二人は知ってるのに」

 

 ポロリと漏れたただの事実。

 咲のその発言は少女──新子憧に容赦無く突き刺さった。

 例え全国に来ようと、お前なんて眼中にないと面と向かって言われたに等しい。それも、圧倒的強者である咲に言われたのだ。

 たった一言でプライドがズタズタにされた憧は、悔しさと惨めさを隠すように奥歯をぐっと噛み締める。

 

 そんな憧のことを全く気に留めず、咲は残りの二人に視線を向けた。

 

「準決勝で敗退した阿知賀の先鋒──松実玄に、大将──高鴨穏乃だね。酷いなぁー、三人で私とお姉ちゃんの悪口言ってたんだぁー」

 

 くすくす、クスクス。何を考えているか判らない咲の不気味な微笑みに、思わず三人は気圧され自然と脚を引く。

 このような場面なら普通罪悪感とかが心で湧き上がるのだろうが、阿知賀の面々が感じているのは得も言えぬ恐怖だけだ。

 紅玉の瞳の奥に沈む虚のような黒には感情の一切が無く、地底の奥底から這い上がるように身を侵食する威圧は歪過ぎた。

 話したことはないが唯一三人の中で面識のある玄は、以前とはまるで別人の咲に震えを隠せない。

 

 そして同時に思う。

 え、やだこの人すごくこわい。

 

「……み、宮永さん!」

「ん? 何かな高鴨穏乃?」

「その、出来ればフルネームはやめて下さい……」

 

 勇気を振り絞って声を上げた穏乃は即座に縮こまる。宮永さんからのフルネーム呼び超怖いんだけどと内心怯えていた。

 

「あら、あなたのお仲間さんが私のことをフルネームで呼ぶので、ついそれが礼儀なのかと思ってしまいましたよ」

 

 やだ何この人ホントに怖い。

 

「それは憧の中だけの話で、私と玄さんは違います! あと私と玄さんは陰口を言ってません!」

「ちょっ、しずっ⁉︎」

 

 サッと視線を逸らす穏乃と玄。ここは無難に魔王への生贄を差し出すのが吉だと本能で理解してしまったのだ。二人に罪はない。

 状況の悪さに憧が冷や汗をかきはじめ、ぐるぐると頭の中がかき混ざりすっかり混乱した頃。

 不意に咲からの圧力がなくなった。

 

『…………?』

 

 訪れた静寂が逆に不気味で三人はまたしても黙る。

 不用意に言葉も発せない沈黙が続くこと数秒、咲は先程までとはまるでからっとした笑みを浮かべた。

 

「あはは、皆さん面白いですね」

 

(((こっちは全然面白くないんですけどっ⁉︎)))

 

 全力ツッコミはしかし声にならなかった。

 

「初めまして、清澄の宮永咲です。先程は失礼いたしました。少し、気が立っていたもので」

 

 ぺっこりんっと頭を下げる咲。

 その姿を見てやっと平静を取り戻す阿知賀の面々は、それでもやっぱりこの人頭おかしいなと思い直すも深くは気にしない方向で進めることにした。

 

「いえ、その……阿知賀女子の高鴨穏乃です」

「同じく松実玄です」

「……新子憧です」

「高鴨さんに松実さんに新子さんですね、よろしくお願いいたします」

「はい、よろしくお願いします」

 

 拗ねている憧を軽くスルー──そもそもなんで拗ねているのか咲は分かっていない──して、今更過ぎる自己紹介を終えた両者。

 この展開にどう対処すれば判断の付かない穏乃たちは瞬きを繰り返す中。

 

「……ふーん」

 

 咲は二歩ほど距離を詰め、じーっと興味深げに穏乃を観察していた。

 

「あ、あの……」

「準決勝は観戦してましたが……うん、やっぱり衣ちゃんの言う通りだね」

「衣ちゃん? もしかして龍門渕の天江さんのことですか?」

「はい、結構親しい間柄なんですよ」

 

 頭の天辺からつま先まで、満足した咲は距離を戻す。

 そして、穏乃に感謝を述べた。

 

「ありがとうございます、高鴨さん。あなたのお陰で淡ちゃんの奥の手が見れました」

「ッ⁉︎」

 

 穏乃は心の傷を問答無用で抉られた。

 大星淡に敗北したのはつい先日のことなのだ。忘れろという方が難しい。

 前に進む決意は強く胸に刻み込んだが、だからといって敗北の傷がすぐに癒される訳ではなく、穏乃は自然と熱くなる目頭を軽く俯いて隠す。

 ……ちなみに、この発言は咲の天然である。意図してそういう発言をすることはなくはないが、この場では何も考えていなかった。

 

「『山の支配』と勝手に呼んでいますが、それは磨けばもっと光ります。いつか対局したいですね」

「……そうですね。私も、宮永さんと対局してみたいです」

「それは光栄です」

 

 にこりと表情を和らげる咲。

 そのあまりの邪気の無さに穏乃は何も言えなかったが、憧は咲の無神経さに苛立ちを隠せず、

 

「でも、清澄が準決勝で負ければ私たちと対局ですね! 私はそれが楽しみだなー!」

 

 つい皮肉を口に出してしまった。

 

「ちょ、憧っ!」

「憧ちゃん、失礼だよ!」

「失礼なのはあっちじゃん! さっきから偉そうにさ!」

 

 慌てた二人が憧を窘めるが、逆効果に働き憧は更に憤る。

 元はといえば自分たちが咲に咎められて当然の発言をしたのが原因なのだ。初対面にも関わらず失礼を失礼で返す咲も大概だが、人を化け物呼ばわりするのもよくない。

 どうやって憧を抑えようかと思い悩む穏乃と玄は、恐る恐る咲を盗み見る。

 

「…………」

 

 咲は無言で俯いていた。

 今の棘に満ちた言葉には流石の魔王様もショックを受けたのだろうか。自分だったら反射的に言い返す場面なのだがと、穏乃は場違いな思いを巡らせつつ状況打開の一手を黙考する。

 そして自分がなんて見当違いな分析をしていたかと即座に悟った。

 

「……ふっ、ふふ、あはははは!」

 

 哄笑が静けさを突き破る。

 咲は実に愉しそうに笑っていた。

 その様子に恐怖した三人は脚を二歩も引く。

 

「いやー、そんな明け透けに嫌味を言われたのは初めてです。……うん、あなたとは友達になれそうになくて残念だな〜」

 

 ひとしきり笑って満足したのだろう。

 咲は再び頭を下げて、別れの挨拶を告げる。

 

「お話に付き合っていただいてありがとうございます。私はこれで。阿知賀の皆さん、いつかまた会えたら会いましょう」

 

 颯爽と身を翻し、咲は来た方向へと歩を進める。

 それを唖然と見送る三人。まるで天災みたいな人だったなと感慨を覚える。

 さてこれで平穏が訪れたのだなと穏乃が一息漏らし、憧が苛立ちを吐き出すように溜め息を吐いて、玄は慌て気味に口を開いた。

 

「み、宮永さん! ちょっと待って下さいっ!」

「ん?」

 

 まさかの咲を呼び止める玄の発言に驚いたのは穏乃と憧だ。せっかくいなくなった魔王を呼び止めるなんて何してくれてんのと言いたげな表情を玄は必死に見ない振りをして、曲がり角に消える直前の遠く振り向いた咲と視線を合わせる。

 

「どうかしましたか、松実さん?」

「はい、その、ここで会った時から気になっていたことがあったので、ちょっといいですか?」

「はい、大丈夫ですよ」

「えーと、それでは……」

 

 もし機嫌を損ねたらどうしようと一学年下の他校の生徒に思うにはおかしい心配を胸に、玄は意を決して聞いてみた。

 

「あのー、どうしてこんな()()()()()()()にいるんですか? もう先鋒戦始まってるのに……」

 

 サッと咲は思いっきり視線を逸らした。

 

『…………』

 

 じーーーっ。という三人の熱視線をひたすらに無視する咲。

 その様子に何を思ったか、憧はあらん限りの驚愕で真相を口にする。

 

 

 

「まさかこいつ、仲間の応援すらしないクズなんじゃ……⁉︎」

 

 

 

「ちょっと待って、それはいくらなんでも偏見に満ちてるからね!」

 

 風評被害だよ! と咲は熱弁をふるうが、三人の訝しげな眼差しは終わらない。

 相手を甚振る趣味はあるが人間としてクズ認定を受けるのは咲的に許容不可である。

 とはいえ弁解も難しかった。事実を述べるのは簡単なのだが、咲のことを知っていない人へ話しても理解が得られにくい。

 さてどうしよう。……こんな時に和ちゃんがいれば!

 

「──やっと見つけましたよ咲さん!」

「グッドタイミングだよ和ちゃんっ‼︎」

『…………えっ?』

 

 穏乃、憧、玄の時が止まる。

 

 ──今、咲は何と言った?

 ──今、聞こえた声は?

 

 丁度十字路の交差点にいる咲は、穏乃たちからは見えない右側へと顔を向けていた。

 

「また迷子ですか、全く咲さんは……でも少し安心しました。咲さんのことですから、てっきりまた通り魔してるのかと思ってましたから」

「和ちゃん、通り魔してるっていう日本語はどうかと思うんだけど」

「咲さんには前科がありますから。それで、こんなところで何してるんですか?」

「初対面の人に八つ当たりしてた」

「やっぱりしてるじゃないですか⁉︎」

「ちなみにそこにいる」

「最悪じゃないですか⁉︎」

 

 和の安心は一分も続かなかった。

 怒りと焦りに身を任せ、大きな足音を立てて咲に迫る。

 

「全く、本当に咲さんはっ⁉︎

 今朝観衆をモーゼしたのを「やっぱりアレはないわ」と私含めみんなからグチグチ言われ、不機嫌になって控え室を飛び出たらいつも通り方向音痴属性発揮して迷子になり鬱憤が溜まったからって、他人に当たるのはいけないことなんですよっ‼︎」

「説明ありがとう和ちゃん! これで私の無実が証明できたよ!」

 

 つまりそういうことである。

 

 反省の色がアルコール中毒者並みにこれっぽっちもない咲に怒鳴るのは無意味。

 即座にそう悟った和はせめて被害者への謝罪をと奥の通路に顔を向け、

 

「えっ? ……穏乃、憧、玄さん」

 

 まさかの顔見知りに固まった。

 

「ん? 和ちゃん知り合いなの?」

「はい、奈良にいた頃の友達です」

「おや……私は結構まずいことをしたのかな? ……いや、逆に考えれば再会へのファインプレーだよね。うん、良かったね和ちゃん! ……それじゃ」

 

 と言って何処かへ行こうとする咲の首根っこを和は刹那で掴み取る。

 

「皆さん、三年振りですね。本当にお久しぶりです!」

 

 そして咲の後頭部を鷲掴みにし、

 

「あと、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした!」

 

 首が折れるのではないかという強さで咲を叩き付けた。

 

「和……」

「和……」

「和ちゃん……」

 

 ──なんか私たちが思ってた再会と違う……

 

 色々と散々だった。

 

 

 

 再会の挨拶を終え、和のみが阿知賀の三人と対面する。咲は少し離れたところで待機していた。

 

「皆さん今日はどうされたのですか? 試合はなかったと思いますが」

「いやー、試合……っていうより宮永さんの対局が観たくて。せっかくだから大きなモニターで観戦しようって来たんだ」

「和こそ、もう先鋒戦始まってるのにこんなところにいていいの?」

「ええ、部長から咲さんを連れ戻すように命を受けてましたので」

「あはは、和ちゃんも大変そうだね」

「本当にですね……、すみません、咲さんも見つけましたのでもう戻らないといけないんです」

 

 せっかく会えたのだが、ゆっくりと雑談する時間はなかった。

 

「皆さん、またお会いしましょう」

「……の、和っ!」

 

 控え室に戻ろうとする和を反射的に呼び止める穏乃。

 その大声に少し驚いた様子の和だったが、すぐに表情を和らげ穏乃へと向き直る。

 

「はい、なんでしょうか穏乃」

「その、……私たち準決勝で負けちゃったけど、和たちは頑張ってね! 応援してるから」

「……ありがとうございます、穏乃。私自身、出来る限り頑張るつもりです」

 

 純粋な激励に花のような笑顔がほころぶ。

 別れの挨拶は済ませた。穏乃たちも微笑み和を見送ろうとする中、和は最後に一言付け加えた。

 

「咲さんのことですが、一昨日までとはきっと異なりますよ。やっと本気を出してくれるそうなので、観戦するのなら楽しみにしていて下さい。それでは」

『……えっ?』

 

 衝撃の言葉を残して、和はあっさりとその場を後にする。

 曲がり角に消える直前に咲は三人へと手を振るが、穏乃たちはまともに反応を返せずに見送った。

 

 静寂が場を包む。

 和の言葉の意味を正しく理解し、その発言の裏まで読み取った穏乃はただただ呆然と呟く。

 

「……宮永さんは、今まで本気すら出してなかったの?」

 

 波乱はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 ──そして、咲は対局室の扉を開けた。

 

 既にいたのはつい一昨日対局した姉帯豊音と、なぜか副将の臼沢塞だった。

 

「あっ、豊音。宮永さん来たよ。早くお願いしてみたら?」

「え〜、いきなりそんな。……失礼じゃないかな、大丈夫かな?」

「普通に失礼だと思うし大丈夫かは分かんないけど、お願いしないなら私帰るよ?」

「待ってよー! ……うん、よしっ!」

 

 何かの覚悟を決めた豊音が真っ直ぐに咲へと近付く。

 きょとんとした眼差しで、相変わらずこの人大きいなーっと思いながら咲は豊音を見上げてみる。

 

「み、宮永さんっ!」

「はい、なんでしょうか姉帯さん」

「……さ、さ……」

「さ?」

「……サイン下さいっ‼︎」

 

 差し出されたのは一枚の色紙だった。

 顔を真っ赤にして、ふるふると震えながら頭を下げる豊音は何故か癒し系の小動物のよう。

 なんでこんなに大きいのに愛嬌があって可愛いのだろうか。

 思わぬお願いに面食らっていた咲はそんな場違いな思考に逸れるも、頰を指でかいて豊音の頭頂部を見詰めた。

 

「えーと、……サインですか? 私書いたことないのですが」

「お願いしますっ!」

 

 聞いちゃいねぇ。

 

「名前を書くだけになりますけど、いいですか?」

「はいっ! お願いしますっ!」

 

 渡された色紙とサインペンを苦笑いで受け取り、咲はさらさらと名前と日付、隅に姉帯豊音さんへと書いてみる。

 飾り気も何もない出来前に咲は微妙な顔をするが、現状ではどうにもならない。

 

「こんなので申し訳ありません。姉帯さん、どうぞ」

「あわわわわー、ありがとうございます、宮永さん! わー、ちょー嬉しいよー! 塞ー、見て見て見てー、宮永さんのサインだよーっ!」

「はいはいはいはい分かった分かった。さっさとそれ寄越しなさい」

 

 全身で喜び勇む豊音から塞は無情にサインを奪い取る。「あっ⁉︎」と嘆く豊音を無視して、そのまま対局室を出て行ってしまった。

 入れ替わるように入室してきたのは、快活そうな赤毛の少女──獅子原爽だ。

 

「おーおー、なんか賑やかだねー。私もまーぜてー」

「あなたは有珠山高校の獅子原爽さんですね。初めまして、清澄高校の宮永咲と申します」

「宮守女子の姉帯豊音だよー、獅子原さん、よろしくねー」

「これはこれはご丁寧に。獅子原爽です」

 

 お互いに名乗り合い友誼を結んだ三人は、しばらくの間雑談に身を興じる。

 穏やかな会話をする中で、この場で初めて宮永咲という存在に触れ合った爽は心中驚いていた。

 

(なんか思ってたのと違う。もっとこう凄い子だと思ってたんだけど)

 

 群衆を視線だけで断ち割ったとニュースになったのはつい今朝方なのだ。てっきり見られただけで竦み上がってしまうような理不尽な雰囲気を醸し出しているのかと想像していた爽は、争いとは無縁そうな咲の和やかさに拍子抜けしていた。

 覚悟を決めてここまで来たのが馬鹿らしくなってきたなと、爽が油断したまさにその時。

 

「……っ⁉︎」

 

 突如生じた荒々しい圧を察知して思わずその発生元へと顔を向ける。

 

「……お前が宮永か。はっ、やっぱり大したことなさそうだね」

 

 全身から迸る暴虐的な覇気。

 強い眼光を宿した瞳は紺碧の空の如き青。

 特徴的な衣装に身を包み、不遜という態度を具現化したかのような少女──ネリー・ヴィルサラーゼは開口一番に咲へと嘲りを向けた。

 

「全く、みんな大袈裟だよ。こんな奴に心底ビビってね」

「……あなたは臨海のネリー・ヴィルサラーゼでしたっけ? そこまで敵意を向けられる筋合いはないのですが?」

 

 瞬間、咲の雰囲気が一変する。

 相手を射殺すような冷め果てた眼差しと、その身から渦巻く極黒の圧には殺意すらあるのではないかと錯覚する程で、つい数秒前の穏やかさなど欠片もない。

 場の空気が刹那で死に、打つかり合う視線で空間が軋む。

 あまりにも突発的に発生した死地の如き雰囲気に豊音と爽が震え始めた。

 

「少しちやほやされていい気になってね。お前は私の踏み台にしてやる」

「何を言ってるのかさっぱり分かりませんが、外国人のあなたにとても為になる日本語を教えてあげましょう──弱い犬ほどよく吠えるってね」

 

((やだやだこの二人ちょーこわいんだけどー!))

 

 傲慢を振りかざすネリー。

 挑発に嘲笑で返す咲。

 手を合わせ震える豊音と爽。

 

 全国決勝へと駒を進める為の最終戦は、一触即発の最悪な空気で始まりを迎えた。

 

 全国高校生麻雀大会──準決勝第二試合。

 

 対局──

 

 

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 ──開始

 

 

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