手のひらサイズの真黒い立方体。控えめの艶に鋼鉄の様な重厚感のある見た目だが、重みは無く寧ろ軽い。
彼曰く、其れは完全なる不完全な物質の完成形である。
その名はーーー。
略称は不完物質と言う。
物に何故”機構”と名付けられているかはこれから分かる事だ。
…さて、何から始めようか。
ひとまずは先の反復からやってみよう。
「ほっ。」
もう一度右手に持ったルービックキューブを高く放り投げる。
しっかりと真上へ飛んでいくよう真っ直ぐにスナップを掛けて軌道がブレないように。
――パシッ。
当然そのまま落下して右手に返ってくる。
では無回転で投げるとどうなるだろう。
――聞くまでもなく投げた軌道が同じなら結果は言わずもがなハッキリしている。
また投げた手元へ真っ直ぐ落ちてくるだけだ。
しかし問題にしたいのはそこではない。
もう一度同じように回転を掛けて同じ軌道で投げたらどうなるか?
これこそが本題である。
…即ち”全く同じ過程から別の結果が生じるかどうか”を検証するのだ。
窓を閉め切った自室で行う以上、風で軌道が変わる事は無い。他の何かが飛んできて妨害される事も無い。
よって結果に干渉する対外的な要素がほぼ無い。
投げたルービックキューブの軌道が急に変わる事は、真っ直ぐに放りさえすればまず起きないだろう。
「……さーて、どうなる?」
同じように手元へ戻って来るだろうか?
――さて、
「ほいっと。」
ちょうど中指と人差し指の先に遠心力が乗るようスナップを掛け、肘を軸に前腕を旋回する。
手付きはさながらステフィン・カリーの如き滑らかさで、ルービックキューブもその通りの美しい回転と軌道を描いた……が、
ここで異変―、
とは言わないが予想外―、
でもないけどちょっとしたアクシデントが起こる。
“浮いた”のだ。
ぷかぷかと水に浮かぶように、空を優雅に漂うように。
あろう事か黒い立方体は天井スレスレで浮かんでいるのだ。
――先程の現象が一瞬だけにに留まらず、このように秒単位で実現した。
…錯覚ではない。
しかしこれは重力を無視して浮遊している訳ではない。
その身から重力に逆らうだけの浮遊力を発しているだけだ。
ではその力はどこから生じているのかー?
――”我が家は鉄骨製だ”
それに反応する磁力を、この黒い立方体が持っているから浮いているに過ぎない。
つまりはそういう事だ。
――と、空中浮遊という舌を巻くような大道芸も、タネが明らかになると途端に陳腐に見えてしまう。
こうシラけてしまってはルービックキューブも浮かばれないと言うものだ。
「浮いているだけに。」
―――――――。
これにて検証は終了、磁力をオフにして手元へと落下させる。
さてここで結論、同じ過程を持ってしても異なる結果が生じ得るという事が分かった。
では何が結果を分岐させる要素になっているのか、ここで一考してみよう。
……答えは単純明快だ。
この手元にあるルービックキューブ基い不完物質の性質が一定ではないからと結論付けられる。
物の性質が可変性なら同じ事象から生まれる結果にもそれぞれ差が生まれる。
当然の帰結だ。
今回に限って言えば磁力の有無が結果を分けたという事になる。
少しの変化から生まれた差が未来への√を分岐させたのだ。
人間だってそう。
同じ人間が同じ行動をとっても、全く同じ結果になるとは断言出来ない。
寧ろ尚更だ。
凪とは無縁の揺れ動く水面のように、感情は常に変化する。
…このは不完物質は、そんな人間の可変性を模した開発品だ。
次はそれを目に見える形で証明しよう。
全征は捻り潰すように不完物質を強く握った。
やはり見た目通り軽くも硬い感触である事を再確認する。
だがコイツは普通のルービックキューブとは違い、指圧力程度で壊れるほどやわではない。
本当に壊したいのなら、”こう”やってーー、
「えいっ。」
大きく振りかぶってthrowing and breaking.
――積み木が崩れるような音が響く。
あまりにも
あろう事か右手のそれを思いっきり握り締め、親の仇の首を肥溜めに叩き付けるように壁へと全力で投擲したのだ。
――何故こんな事をしたのか。
当然ながらこのルービックキューブは親の仇でも何でもない。
それはおろか動機など皆無で八つ当たりですらない蛮行だ。
……だがしかし悲しいかな。
身を蓋も無い理不尽が哀れな立方体を襲うとも、
ならば勢いのまま硬い壁に直撃し、木っ端微塵に砕け散る定めには抗えない。
そんな危機に直面したそれは哀れと言う他ない、物理的にもね。
――そこで今度は”面白い”事を起こす。
残った残骸が高く積み上げた積み木が崩れるかのような音を立てて、本当に”文字通り木っ端微塵”になってしまったのだ。
立体としての原型はおろか、パーツという形の残滓すら消し飛んでしまっている。
目線の先にはルービックキューブだった物が塵となり、積もった山が墓標ように残った。
砂となったこいつは、気紛れに降って掛かった
――まあそんな事は置いておいて。
部屋の隅に積もったルービックキューブだった砂の山を見下ろす。
今度は塵と貸した
ルービックキューブの破片もこれだけ小さければ、最早”砂”と称して差し支えない。
ならば最早これに元の役割を果たすだけの機能は残っていない。
――だがここで一考。
これがただの破片なら、目の前に積もった砂山はゴミと断定出来る。
しかしこいつにはこの状態でもまだ機能を残している。
端から見ればゴミにも等しい砂の山も、俺には組み立てれば形をなすプラモデルのパーツにすら見える。
「ふふっ。」
さぁて、なーにを作ろうかなっ。
童心に返って砂のお城でも作ってみようか。
まず脳裏に浮かんだ城はサクラダ・ファミリアだった。
それが思い付くなりルービックキューブの破片が一人でに動き始める。
遠目で見れば蟻の大群が身を寄せ合うように、黒い粒子は活き活きと集合し始める。
微粒子達が集まり下から上へと形成を開始する。
――するとあっという間に思い描いた通りのサクラダ・ファミリアが完成した。
サクラダ・ファミリアは厳密に言うと城ではなくバシリカなのだが、あれだけ壮大なビジュアルをしていては城だと錯覚するのも致し方ない。
分かっていてそれを連想させたのは、この不完物質と同じく”未完成”という共通点ざあったからだ。
唯一違うのはサクラダ・ファミリアは未だ未完成というだけで完成を目指していて、
この不完物質は未完成である状態こそ完成されているという点だ。
一度完成された物は肉付けや補修でよって手を加える事は出来るが、形を大きく崩して大きな変化をするには限度がある。
この不完物質にはその限界がほぼ存在しない。
未完成、不完全で在り続けるが故に、決して一定の形を持たない。
凡ゆる変化を許容し適応する。
いわゆるナノボットに近いのだが、こいつはそれに留まらない。
形だけ組み上げるなら粘土にだって出来る。
重要なのは本質的に何を秘めているか、そこからどんな何を生み出すのか。
そこからどのような機能が誕生するか。
物同士の優劣を分けるのはそう言った単純な性能差である。
その点に於いても不完物質が優れているという証左、その一端を少しだけ披露しよう。
まず出来上がった城を一旦崩して、手のひらサイズの薄い四角の板を形成する。
角は丸みを帯びさせて怪我の原因にならないよう配慮する。
ーーあら不思議、今度は皆様ご存知”スマホ”の出来上がりだ。
無論見せ掛けだけでは無い。
床で出来上がったそれを拾い上げ、親指ホームボタンにかざして起動させる。
タッチID式なのでホーム画面まですぐだ。
まさに文明の利器と言え……
いえーー、
―――――おい。
オイオイオイオイオイオイオイオイィィ………。
………まだ7:13、だとォ!!??
「かすがあぁ。」
ホーム画面を見て彼は震えた。
横に縦に身体を揺らし、マグニチュード6の怒りを露わにした。
あまりの時間のすっトロさにブチギれて、今度はスマホをベッド目掛けて
――とはいえ思い返せばただルービックキューブと戯れていただけで、数十分も時間が経つ訳が無い。
ここで全征の手際と要領の良さが良さが仇になってしまった。
…だからこそとも言える。
彼は余計にイラついてしまっていたのだ。
故にこの虫の居所の悪さを発散させねば気が済まなかった。
「ナメやがって……。」
人間なんだから、理由の大同小異はともかくその場のノリに任せて荒ぶりたくなる時もある。
――あるんだよ知らんけど。
スマホを投げつけたベッドに空中前転して飛び移り、そのままスマホを掴み取る。
ちょっとした腹いせに高校の親しい友達へ、片っ端からモーニングコールを掛けまくるためだ。もちろん掛けるだけで応答はしない。
念の為、着信に気付いて貰いやすいようにスタンプを大量に送信、所謂スタ爆をしておく。
この際良い機会だと思って、以前ポイントで交換した画面を埋め尽くして音が出るハゲた芸人のスタンプを選ぶ。
ちょうど変顔している物があったので、それを目掛けて右腕を震わせながら指先で連打する。
「―ふう。」
取り敢えず一通りの連中にLIMEのスタ爆大空襲は完了した。
――ポロン。
と、一息置いた矢先にスマホから着信音が鳴る。
「さあてどんなレスポンスが返ってきたかなー。」
ロック画面だけ開いて、内容だけ確認してやろう……。
“ふぁっく”
“ヒマなん?”
“シバくぞ”
“大丈夫?なんかあったー?”
「………。」
まぁ、――まあ妥当な反応だ。
しかし最後のメッセージに込められた良心が身に染み渡った。
――俺が間違っていたと言うのだな。
そうだろう?
暴言を吐き散らかした
――耕すってなんやねん。
ヒマなん?とかありきたりでしょーもない返事をして来やがった
ーーピロンッ。
「ん?」
するとまた着信音が鳴った。
画面の上から通知が表示される。
“たす”
“けて”
「―――。」
身に覚えしかない幼馴染から救援要請の連絡が届いた。
「今度はなんだってんだよ…。」
まあこんな朝っぱらに”こいつ”から連絡が入る事はそう珍しい事ではない。
問題は今朝はどんな珍事を巻き起こしてしまったのかという事だ。
テスト勉強や家事といった些細な案件なら良い、いつもの事だ。
適当なスタンプを送りつけてスルーしてしまう。
だが今回に限ってこのメッセージは全征にとって好都合と言えた。
――今まさに暇を潰す用事が欲しかったからだ。
「ふう……。」
時刻は7:20ジャスト。
今からあいつの家に寄って高校に行き始めても余裕を持て余すくらいだ。
ただ高校とは反対方向にあるため、その分余計に高校へ向かうのに時間がかかってしまうがまあ遅刻をしてしまうほどでもないだろう。
「しゃーねえ、行ってやっか。」
スマホを元の四角の形に戻しショーケースにしまう。
そのままクローゼットの奥へ押し込んで、さっさと自室から出て行った。
玄関まで少し早足に向かって行く。
その足取りはまるで目先の楽しみに胸を躍らせる子供のように。
少し大人気ないくらいだった。
まあ自分自身まだ
学生カバンを左肩に掛け、小ポケットから家の鍵を取り出す。
「行って来ます。」
誰も”行ってらっしゃい”と返事してくれると分かっていながらも、景気良く一日は始めるには挨拶が欠かせない。
ドアノブを回し外の世界へ繰り出す。
扉を閉めたら鍵を掛け、もう一度ドアノブを回して開かない事を確認する。
やはり外は暑い。
陽射しに数秒照らされただけで汗が滴り落ちるほどだ。
ずっと日陰に篭っていたくなるほど嫌になる暑さだが、これから始まる一日の前では苦にならない。
俺は目的地へと歩を進める。
行く先は俺の幼馴染……、
百谷愛狐/ももたにまなこの家だ。
――――何故、俺は
こんなに楽しそうにしているんだ?
また日常という退屈の代名詞が始まると言うのに、
……限りある一日分の時間を無為に食い潰してしまうと言うのに。
ふと彼は、そんな心の矛盾を抱えた。
楽しいと思えたはずのこれからが、ほんの些細な気の迷いで窮屈に成り下がっていったのだ。
――いや違うか。
“悟った”んだ。
今日も過去に類似した……、
瞬刻みの既視地獄だと言う事に。
●
●
●
●
全征だけがグループの中で独り身なのである。