「ふぅ……。」
全征の家から徒歩8分。大通りを挟んだ向こう側、その先にある大きなスーパーのすぐ近くに”彼女”の家がある。
当然道に迷う事無く愛狐の家に辿り着き、玄関の扉の前に立つ。
――が、すぐにドアノブを握ったりはしない。
親しき中の間柄とはいえ礼儀を忘れるべからず。鍵は開いているだろうが、扉を開けて良いのはインターホンを押して家に上がる許可を得てからだ。
ピンポーン。
「――――」
応答も無ければ返事も無い。
もう一度押しても反応が無ければ…いや、女性の家にそんな不躾な上がり方は出来ない。
こんな時でも紳士なスタンスを忘れてはならない。
深呼吸で間を空けてから再度インターホンを押して様子見をしよう。
ピンポーン。
「………。」
――――――。
まだだ。
まだ。
まだ、諦めてたまるか。
諦めるものか。
この指に、今の胸/ここにあるだけの感情全てを乗せる。それを五指の内側に込めて握りしめる。
これが、最後だ。
ピンポーン。
………。
「もういいや。」
さっきまでの紳士的なスタンスとはなんだったのか。そんな物は知らん。
痺れを切らして玄関の扉を開けて、ドカドカと彼女のパーソナルスペースへ侵入する。
――と思った矢先。
「あ?」
ふと全征の手と足が止まる。
――玄関の鍵が閉まっていたからだ。
「朝刊をまだ取ってねえのか。」
この時間には愛狐は起きていて、起床してすぐ朝刊を回収しに玄関の鍵を開けて外に出て来る。今日もそうだと思って鍵が開いているものだと勘違いしていた。
代わりに取っておいてやろうと郵便受けの中を確認する、が……。
「?入って…ねえじゃんか。」
自身の目を疑って中身を二度見したがやはり空だ。
つまり愛狐は既に起きていて、朝刊を回収した後家の中に戻る際…
“もう一度玄関の鍵閉めたのだ。”
悪い予感が脳裏に浮かんだがすぐに杞憂だと切り捨てた。
どうせいつも通りとんでもないドジをやらかして、たまたま鍵を閉めていただけで。
―――深い意味も何も無いはずだ。
いちいち思索しなくともそんな事は家に入れば分かる。
学生カバンの内側にある小ポケットから今朝いじっていた物と同じ”黒い立方体”、不完物質を取り出す。
「ふふふ、これぞ紳士的犯罪。」
今から作ろうとしている物に対して少し大きかったので、指関節一つ分くらいを取り出して形を平らにならす。
ざっくりとしたサイズと型番を思い出し、思念する。
―――。
「よし。」
するとあら不思議、どこぞの誰かさんの家の鍵が出来上がりだ。
――お?そいつぁ立派な犯罪だって?
確かにその通りだが、もし彼女の身に何かあったら、危険が及ぶような事態に発展していたとすれば。
礼儀に気を配るだけの余裕など捨て去って直ちに行動へと移るべきだ。
つまり合鍵を無許可で作製する事もそれ一環で、彼女を想う(笑)が故にこんな大胆なムーヴ/犯行に及んでいると説明がつく。つくんだよ。
嗚呼、なんて紳士的な反抗動機なのだろう。俺が警視総監なら生前葬だと思って拍手喝采の雨の元で表彰パーティーを開いてやるところだ。こんぐらっちゅれいしょん。
今日という日に生きいてる我が運命に感謝。
……と、精一杯の言い訳を自分の中でしておく。
さっさと出来上がった不完物質産の鍵を刺し扉を開ける。
「愛狐/まなこー、入んぞー。」
「きいぃぃやああぁぁぁぁあああ!!!」
「!!!」
目を見開き即座に状況を整理する。
玄関から見た廊下や天井から壁に至るまで、愛狐の生活環境に異常は一切見受けられない。床にも不自然な足跡も見られないから誰かが土足で侵入したという事も無さそうだ。
あるとすれば悲鳴の聞こえた一階のリビングの方だろう。
靴の数は3つ。俺の物と愛狐の革靴と普段靴だけ、これもいつも通りだ。
「……いや、玄関からとも限らない。」
第三者がお邪魔しているとするならば窓ガラスをブチ破って来ただろうか。
――白昼堂々ナメた事をするもんだ……、
「シュウ〜!割れた窓ガラスの片付け手伝ってえぇ〜!!」
「………。」
はーい、お疲れでした。その辺の厨二病者みたく侵入者がやって来たらどうやって倒すのかイマジネーションみたいな事してた俺が馬鹿でしたよーだ。
「ちょーっとシュウ、早く来てよー。」
「………。」
「ちょっとちょっと、シュウでしょ〜?」
「はいはい行くから待ってろ。」
因みにシュウとは俺の
つーか窓ガラスが割れてるという予想だけ合ってるのが謎だな。
「うっっっわ。」
リビングに入るなり、見るに堪えない悲惨な有様が眼前に広がっていた。
「愛狐ん家だけ地震あったのか?」
「ちゃうわ!」
と、否定はされたもののリビングの状況は俺の言ったた通りの有様だった。
窓ガラスは縁に僅かな欠片だけを残して、割れてしまった破片が粉のように床へ撒き散らかさられいる。
元々ツギハギ無く綺麗に繋がっていた原型を全く想起出来ないほどに。
――というか何をガラスにぶつけたらこうもバラバラになるんだ?
そう思ってよく床を見てみたらガラス以外の破片も転がっていた。恐らく窓横に置いてあった観葉植物の植木鉢の物だろう。土と植えられていた植物が一緒になって散乱していた。
更に疑問だったのは床から壁に焦げ痕まである事だ。
そんな真っ只中に、パジャマ姿の愛狐がいる。
――――。
「……これ後片付けすんのごり面倒じゃねえかよ。」
「ほんとだよ、今晩どーしよう……。」
確かにこれではリビングは片付け終わるまで生活環境足りえないだろう。
というかガラスに限らず色々な破片が転がっていて危ない。
「……それはそうだけど、今度はどんなドジしたんだよ。フランベにミスって大爆発でもしたのか?」
「ちゃうわ!」
本日2度目の同じツッコミあざす。
……それは置いといて。
「いや真面目に。こんなん普通に大事故だからな?何があったか言ってみ?」
「……起きたらこうなってた。」
???
「はい?」
「起きたらこうなってたの!寝てる間なーんにも大きな音も無かったし、インターホンの不在にも何も無かったし……。もう2学期開始から早々災難が大爆発だよおぉ。」
「へー。」
両目を”く”の字にしてうわーんと言いながら飴玉のような大粒の涙を流す。
そんな愛狐に呆れと困惑の視線を送るが、彼女の右足の裏に赤い液体が滴り落ちているのが見えた。
それとインターホンをご親切に押してから窓を吹っ飛ばす輩は流石にいないだろう。
ーーさっきの悲鳴は硝子の破片を踏んで怪我した時の声だったのか。
………。
「いま足元の破片退けっから、それまで傷でも押さえてろ。」
「あ、ありがと。」
机の上に目をやると朝の朝刊が置いてあった。それを手に取りちりとりのように広げて破片を掃いて回収する。
かなり小さく細かい破片もあったがそれは後でテープか何かで掃除しよう。
そして愛狐の周りを一通り掃き終えてから硝子の破片共を新聞紙で包んで部屋の隅へと追いやる。
「まだそこから動くなよ。見えにくい破片が残ってるし、絆創膏も足に張ってねえからな。」
「はーい。」
しかしこんなのは応急処置にすらならない。それ程にリビングは酷い有様だった。
愛狐が寝ている間に気付かなかったという発言に疑問を感じてはいたが、近所の人達も騒いでいた様子ではなかった事も踏まえると大きな音が無かったのは間違いない……かもしれない。
リビングの窓ガラスを叩き割って無音というのは些か信じがたいが。
―――いや、これはどちらかと言うと叩き割られたというよりも……。
「………。」
ともあれこの後始末をしていては学校に遅刻してしまうな…、と考えたがサボる口実にもなるか。
まあ出席日数が足りている内は高校に行くのは気が向いたらで構わないだろう。
それよりも愛狐だ。
まだ見えづらい破片が散らばっているであろう場所に余った新聞紙を敷く。
「ほら愛狐、絆創膏貼るから足伸ばせ。」
「あら、やってくれるんだ。えっち。」
上目遣いに顔を向けてニヤニヤしながら言ってきた。
こんな事態だというのに随分と余裕なものだ。
「あ?手指消毒用アルコールぶっ掛けてやろうか?」
ーーと言いつつも手に取っているのは、先程キッチンの流しからコップに汲んできただけの水だが。
「えー、せめて普通の消毒液を使ってよー。」
「使おうと思ったけど、アルコールの入ってるやつだったからやめにした。」
「それじゃだめなの?」
傷口にティッシュを当てて少しずつ水を垂らす。
「こんくらいの切り傷なら水で流すだけで十分だ。家にあるやつはアルコール消毒液なんだ。それだと雑菌と一緒に皮膚の細胞も殺してしまうから、傷の治りが悪くなるんだよ。」
「へ〜〜。」
水気を拭き取って素早く絆創膏を貼る。血はそこまで出ていないようだし、上から靴下を履いておけば剥がれたりしないだろう。
ほつれが無い事を確認してよし、と一息付く。
絆創膏から出たゴミを濡れたティッシュで包みゴミ箱へ放り投げる。―――入れや。
立ち上がって落ちたティッシュを拾いに行く。
「ちょいちょい。」
「?」
「ありがと!」
…………。
――別に改まる事も無いだろうに。
「おう。靴下履く時は気を付けろよ。」
「はいはーい。」
貼った絆創膏に気を遣いながらあるいてリビングのソファに座る。
「ところでさ、手指消毒用のアルコールを傷に付けたらどーなるの?」
「死ぬほど沁みて痛い。」
夏に高校でつるんでいる連中が一度やっていたところを見た事がある。
きょうごが校庭でサッカーをして怪我をした時、応急処置とか即席レスキューとか抜かしながら思いっきり吹きかけては絶叫していた。
目の前に俺もいたから止めれば良かったかなと思ったが面白かったからまあ良いだろう。
「ちょちょ、今シュウめっちゃ邪悪な顔してたけど何考えてたのよ。」
ちっ、バレたか。
「べっつに〜?手指消毒用のアルコール消毒液ぶっ掛けて絶叫してるアホを想像してただけだけど?」
「ちょっと!私の事!?」
「いや、きょうごの事。」
「うっわ止めなかったんだ。慈悲無えー。」
まあ良心らしい感情を一切持っていなかった事は否定しない。
「それよか早く!そろぼちここ出なきゃ学校遅刻しちゃう!こいつらどうしよう……。」
「まあ今日くらいサボれば良いだろ。」
「ええぇ、ダメダメ。私の皆勤賞なのに。」
皆勤賞/それを取ったところで何も無いじゃないか。
……なんて事を真面目に登校している奴に言うのはさすがに無神経だな。
しっかしどうも、今から登校するのに気が乗らない。
――さてどうしたものか……。
「よし、片付けしてから行くか。」
努めて爽やかに言った。
「待てサボる気満々でしょ。」
――バレたか。
「じゃあこれどうするのさ。このままにして学校に行ったら帰って来てから掃除だぜ?そんな体力なんて残ってないっつーの。」
「シュウ部活に入ってないから大丈夫でしょ。」
―――バレたか。
「というか、手伝ってくれる事は確定なんだ。」
……まあ愛狐1人に後片付けなんてさせようものなら余計な手間が増え続けて、最終的に俺の仕事が増えるだけだからな。
「ちょちょちょ!もう8時になってんだけど、早くしなきゃ!!」
「歩いて行っても余裕だろうが……。」
「私、日朝だから教員室に日誌を取りに行かなきゃなの!サボり魔のシュウとは違うんですー。」
「―――。」
それはそうなのだ。
愛狐の言う通り行きたい時に行くちゃらんぽらんな俺とは正反対に、こいつはえらく真面目に高校へ通っている。
体調が悪かったりしない限り、なるべく予鈴のチャイムが鳴る15分前には教室へ入って行く習慣を心掛けているらしい。
……それに愛狐は身体が丈夫だから滅多に風邪を引いたりしないから、欠席するなんて事は殆ど無い。
己の不真面目で彼女の誠実な心掛けを害するのは無粋という物。
ここはあいつの顔を立てると思って、言う通り大人しく登校するとしよう。
――なんだか警告に諦めて投降する囚人の気分だ。
「しゃーねえ。この部屋は業者に頼んでおくから、愛狐はとっとと着替えて俺達はこのまま学校に行こう。」
「おーないすぅ!じゃあお言葉に甘えて着替えて来まーす。」
「おう。」
「―――覗くなよ?」
「お前がドジ踏まないか心配になってうっかり覗いちまうかもな。」
「ふふっ、ちょーありがた迷惑なんだけど。」
なんて冗談混じりの他愛無い会話を交わして愛狐はリビングを出た。
2階の自室で制服に着替えてくるのだろう。
その間に清掃業者に連絡しておいてここ/リビングの後始末を依頼しておこう。
「――あ!シュウ!!」
するとほぼ上裸の愛狐が半開きのリビングの扉から顔を出した。
―――両手を組んで隠してるつもりだろうがブラが丸見えなんだが。しかもスポーツブラ。
「あたし朝ごはんまだ食べてないからなんか作ってえ……。」
「…………。」
また愛狐が涙目で懇願する。
今からすぐに作れる物なんて精々サラダか、パンを焼いてその上に何か乗せるくらいのやつしか…、と思ったが自分の学生鞄に何が入っていたのかを思い出す。
――余ったサンドイッチがあった。
自分の昼飯にするつもりだったがまあいいや。
「――あとで持ってきたサンドイッチをやるから、早く着替えて来いあとブラ見えてんぞ。」
「かーっ、このエロガッパ。レディのどこの見てるのかしら。」
「んな事言うくらいならちゃんと隠せ!!」
にひひ、と言って愛狐はそそくさと扉の向こう側へと姿を消す。
……ったく。
ーーホイップサンドの中にわさび突っ込んどいてやろうか。
「――――はぁ。」
少し重めのため息をついた。
――とはいえまだやらなくてはならない事が残っている。
スマホを取り出し知り合いの清掃業者にこのリビングの清掃を依頼する旨のメッセージを送信する。
備考の箇所に床や壁の焦げ跡についても大雑把に記載しておく。
もしかしたら他にも細かいところで綺麗にしなくてはならない場所があるかもしれない。そう考えると今夜までに清掃が完了するかどうか怪しい。
愛狐が頷けば……いや、今夜はあいつの意思に問わず俺の家に泊めよう。
「―――――。」
改めてリビングを見渡す。
……先程は杞憂だと切り捨てた不安の種。
それはどうやら想像以上に根深いかもしれない。
酷く砕け散った窓ガラスに焼き焦げた跡。それらの異常の痕跡が”家の内側”にのみ見受けられた。
そして目に見える範囲だが、リビング窓の外側にある庭には破片が散らばっていなかった。
―――爆弾でも使われたんじゃないかと想像してしまうのは、
それを強ち大逸れた妄想ではないのではないかと肯定してしまうのは……、
やはり俺の考え過ぎだろうか。
ただそれよりも遥かに不可解、――これらの考察をより謎めかせる点が一つある。
いや、一つというより”二つの痕跡”だ。
………小さな穴が壁に2箇所。
ひび割れを含めて数ミリ程度の小さな穴。
形だった物達が破片と化して転がる惨状の中、こいつらの存在感は皆無だ。
しかしそれでも視界に捉えれば、脳が認識すれば、この”痕跡”がどんな物か嫌でも理解してしまう。
―――見間違える筈も無くあれらは、
………”弾痕”だ。