「行ってきまーす。」
「おー行ってらっしゃい愛狐〜。」
「いやシュウも行くの!」
愛狐が着替え終わって結局俺は高校へ向かう事にした。
リビングの一件に関しては清掃業者に依頼を済ませ、愛狐は今夜だけ俺の家に泊めるという事で互いに了承した。
これで良い。
万が一あいつが危険な目に遭うと両親が悲しむ。それは気分が悪い。
――両親といっても義理の、だが。
すると突然、尻が何者かの蹴りによる衝撃で少し浮いた。
「ほらほら、早く行くよシュウ。時間は有限だからね。」
「いってえ!言われなくても行くっての。」
だが時間が有限であるという点には同意だ。
今日も明日もいつまで続けられるか分からない。
どこかで途絶えて終わってしまう。
いつか訪れるか分からない”それ”に備える事なんて到底出来やしない。
終わりが見えない世界でやるべき事、それは生が有限の消耗品だと自覚して足掻くに尽きる。
あいつも足掻いている。
終わりを自覚している訳ではなさそうだが、今が限りある物だとはっきり認識して学校へと歩を進めている。無意に時間を浪費する事を避けるためというのもあるだろう。
………俺は?
「ねえシュウなに俯いてんの?」
「――っ。」
愛狐が中腰になって俺の顔を覗いて聞いてきた。
「………なんでもねえよ、前髪が邪魔んなっただけだ。」
「――また頭が痛むの?」
…………。
「――あぁ、この前愛狐に焼かれたからな。」
「あっ、あれはヘアアイロンしてる時にシュウが動くから手元が狂ったんじゃん!」
「そりゃヘアアイロンでこんがり額を焼かれりゃ痛くて動いちまうだろうか!それでも大人しくしてろとか言うんかこの人でなし!!」
ついこの間に愛狐が寝坊した時、朝ご飯を食べさせながら俺が愛狐の髪をヘアアイロンと櫛で梳かした事があった。
それを見て俺にも同じ事をしてみたいとヘアアイロンを手に取ったのが、全ての元凶であり過ちの始まりだった。
結果はお察し、額に火傷を負う始末だ。
1週間は経った今でもそこそこ痛む。
「はあ……。シュウの方が女子力高そうなのムカつく〜。」
「流石にそれはねえよ。俺のは生活力とかそっち系だろ。」
「それに負けてるのもなんか腹立つ〜!」
「知らんがな。」
しかし袋に入ったピザをそのままオーブンで焼いたり、コーヒーを挽くのにわざわざ電動のフードプロセッサーを使いだす愛狐に生活力で負けるような事は無い。
寧ろあったらあったで死活問題だろう。
特に1番ひどかったのは洗濯機に洗剤をまるまる一箱分ぶち込んで、周りをスーパー銭湯の泡風呂みたくした時だと思う。
後始末にはかなり骨が折れた。
そんなようでは父さんを安心させて仕事に向かわせる事さえ出来ない。
よくそれで愛狐の一人暮らしが成り立っているなあと勝手に感心した。
「ねえ今めーちゃくちゃ失礼な事考えてたでしょ?」
「おう。愛狐に生活力で負けたら家がいくらあっても足りねえだろうなあって。」
「私の
「もし愛狐のドジで家が倒壊するようなときが来れば、そういう事だったって訳だ。」
……そうならない事を切に願ってはいるが。
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時刻は8:35。
校門に着いてからは愛狐と別れた。
朝から男女一緒に登校しているところを見られたら変な噂が流れかねない。それは嫌だしあいつもとんだ迷惑だろう。
愛狐は別れてすぐそそくさと教員室へ向かっていった。
今朝言っていた通り、日朝の仕事をこなすためにまずは学級日誌を取りに行ったのだろう。
すれ違った知り合いらしき人達に挨拶を交わしながら校舎へと向かっていく背中を見送った。
「ハァ、真面目だこと真面目だこと。」
そういえば愛狐は学級委員長もやっていたな。
毎回ドジかましまくるあいつがその役割を務めていると言うのは些か不安だが、何かと気が回るし誰にでも人当たりの良い奴だ。それ故の周りの奴や担任の推薦もあったのだろう。
更にその人徳が幸いしてか、愛狐のクラスは行事の決め事が恐ろしく早い。
5月の体育祭の出場生徒や種目の決定も愛狐がいるニ年二組が一番早かった。
「人徳ってすげーなあ。」
「お前もそこそこあるだろ。」
後ろから肩を叩かれては急に人様をディスって来やがった。
――その間抜けた声色で誰だかすぐに分かる。
「おうきょうご、おは〜。」
「うい〜っす。」
身の丈が俺と同じくらいの飄々とした雰囲気に大きい声。こいつの存在感は目が付いていなくても感じ取れる。
「あれ、いつも一緒してる彼女さんはどした?」
いつもは校門まで一緒なのだが、後ろを振り返ってもその姿が見られなかった。
「今バイクで送ってきた。こっから遠くないところで助かったわ。」
「確かこっから歩きで30分…バイクだったら六分くらいのとこだっけか?」
「おん。因みにバイクをその辺に置いてきたのは内緒な。」
京悟は高一の頃よく寝坊しては遅刻するを繰り返していたので、俺がモーニングコールをかけるなりして対策をしていた。
しかしそれを良くないと思ったのか、京悟はバイクの免許を取ってそれで登下校するようになったのだ。
それも高校には内緒で。
より良くない方法をとっている事に目を瞑れば…まあ俺に気を遣ってくれたのだろう。
「分かってるよ。俺はチクられないかよりそのバイクが回収されちまわないかが心配なんだけど。」
「もうそれはいいって。そのせいでこちとらインシデントシートとか訳分からん紙書かされてんだぞ。」
「それ反省文だろ。ホントあのババア元看護職自慢ばっかしてる上に拗らせも全開だよな。」
因みにそのババアとは生活指導室の先公の事である。
素行があまりよろしくない京悟はよくお世話になっていて、顔も覚えられている事だろう。
こんな感じで京悟は校則に拘束されないアナーキーな男としてよく先公達を困らせている。
見ている分には面白いしつるんでいる側としても退屈しない。気紛れにサボってフラつく時に一緒する事もしばしばだ。
そんな愚痴じみたしょうもない話を二人してケラケラと話しながら靴箱に向かって行く。
「お、キチ
「将吉先生はよざいまーす。」
横切った担任へ適当に挨拶をしておく。
今日もそいつのつるつるのおでこに滴る汗が、日光に当てられて光り輝いているのがなんとも神々しい。
「藤谷、キチ
「はいはーい。」
愛狐と同じく、京悟も
――しかし愛狐とは違ってこいつ自身が決してしっかりしていて、先公から信頼されて任されているという訳ではない。
……寧ろかなり適当な部類に入るのではなかろうか。
さっき話題に出てきた反省文を始め、授業を気紛れに飛んだり休日にハメを外しまくる姿もよく見ている。
ただノリの良さは芸人さながらでクラスではかなり好かれている存在ではある。
彼女がいる事から分かる通り、やんちゃしてる割には女子受けの良い立ち振る舞いも出来ているのが無性にムカつく。
………まあそれは置いておこうかやっぱ腹立つ。
そんなちゃらんぽらんの権化とも言える京悟だが、テスト点はそこそこ優秀なため担任や他の先公からそこまで目鯨を立てられる事は無い。
委員長の仕事も俺が見ている限りでは最低限以上はこなしている…ようには見えているし。
またクラスのノリと勢いで進めいていく京悟の指針が幸いしてか災いしてか、雰囲気作りが上手い印象が強いのもある。
それに皆が楽しそうならそれに越した事は無い。
――さすがに体育祭の障害物競走で、買い物カゴを乗り回してトラックを走る案が可決しかけたのはどうかと思うけれど。
……個人的には見てみたかった。
そんなどうでもいい過去の話を懐古していると、京悟が唐突に肩をトントンと叩いてきた。
「と言う訳で、配布物を取ってきて下さいな秀之亮副委員長。」
「頼まれたきょうごが取りに行って来いよ面倒くさいな。」
「面倒くさいのは俺も一緒。ヨシ、二人で取りに行こかー。」
「どこがヨシやねん。……行くけどさ。」
そう言って靴箱で履き替えてから、俺達も教員室へ向かった。
「――ところでさ、始業式の話聞くのだるいから飛ばね?」
「アリ!
そんな訳で、今日の学校生活は終わりを告げる準備が始まった。
……てか結局サボるのかよ俺。
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学校から歩いて五分もしない距離にある喫茶店、
授業等を抜け出して足を運ぶにはもってこいの場所にそれはある。
中学の頃から何かと入り浸っていたところだが、高校に入ってからは京悟も来るようになり俺達は常連として覚えられている。
京悟は店の横にある小さな駐車場にバイクを停める。
大通りからは離れた場所にあるため割と通勤中の先公達に気付かれづらいのも良いポイントだ。
早速ドアを回して中へと入っていく。
「ちい〜っすマスター。」
「おじゃましまーす。」
中は昭和ながらのレトロな雰囲気で、店内で流れているジャズがそれを助長している。
「まーた来たわね悪ガキ共。」
そしてこの白髪で頭に花柄の鉢巻を巻いているのがこの店のマスターだ。
「ったく今時の
棘のある口調でカウンターでコーヒーを淹れる準備をしながら独りごちる。
「現代っ子だからこそのストレスもあるんですよ。そこから抜け出したくなる日もあったり。……まあ今日はただ面倒くさかっただけですけど。」
「そーそー、先生達の相手したり手伝いしたりすんのも大変で。マスターくらいの距離感で接する事が出来れば苦労はしないっすわ。」
京悟はドカドカとテーブル席のソファ側に座り、俺は向かいの椅子席に腰を掛ける。
「うっさいわねナメてんじゃないわよ。それと全征君はともかく京悟君はそんなに苦労が無さそうな感じがするけれど?」
「ええぇちょっと失礼すぎません!?」
カウンターからいい匂いがする。あれこれ言いながらもコーヒーを淹れてくれているのだ。
この店はサイフォン式、フラスコで水を沸かせる淹れ方をしている。
少しずつ沸々と煮立った音が聞こえつつ、豆の香りも楽しめるのは実に心地良い。
そこから立つ湯気を眺めているとどことなく心が落ち着く。
手間は掛かるが淹れる雰囲気まで楽しむのが、コーヒーという嗜好品を堪能するのに重要な要素だ。
しかもここの店は味も格別だ。非の打ち所がない。
―――マスターの口が悪い事を除けばだが、常連にもなれば気にもならない。安心感すら感じられる。
毒舌のマスターが淹れるコーヒーで、客の舌を唸らせる。
……ここはそんな喫茶店だ。
「失礼だって?なんにも考えてなさそうなガキンチョには言われたくないわ。」
「おっしゃる通り、きょうごは考え事とかしてない分、苦労も悩みも無さそうな感じしますよね。」
「あぁ?委員長の重労働を甘く見んなよ!?」
「その委員長様が副委員長に重労働をまんま押し付けまくるせいで、期日ギリギリの案件が急に回ってきたりしてるんだけど?たまには俺の苦労を思い知れ。」
「へへへ。」
にへらへらと笑い誤魔化す京悟を他所に、カウンターではコーヒーが出来上がったようでマスターがカップにちょうど出来立てのそれを注いでいた。
フラスコからカップの底へとくとくと。
滴り落ちるように静かだが、そこから上がる香りの芳醇さは慎ましさ知らずと言わんとばかりに広がる。
実に優しく鼻腔を刺激してくれる。
まだ目の前に出されてすらないというのに味以外の全てを堪能している気分だ。
「ほら。」
そう期待を膨らませているところにコーヒーが運ばれてきた。
「ありがとうございます。」
「あざーっすマスター。」
さて。このコーヒーを飲み切るまでの束の間、本来なら退屈な先公共の話を聞く時間を細やかな休息に変えるとしようか。
―――――。
……愛狐にはなんて言い訳しよ。
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「………ふぅ。」
淹れられていたのはグァテマラの少しだけローストされた物だったらしい。
果実の仄かな酸味が特徴的な品種で、喉越しの良さと相まって至高の一品になっている。
基本バカ舌な京悟だが、そんな奴でもこの味が格別である事がはっきり分かる程だ。
飲みながら味も褒めて美味しそうにマスターへ礼を言うものだから、あの毒舌なマスターも満更ではないように見られた。
その証拠に一切れずつフレンチトーストまで出してくれた。
「なんでパンなのにプリンの味がするんだろ?」
――この漢字ドリルを始めて1週間レベルの食レポで台無しだったが。
こんなにも口下手な奴でも彼女が出来るというのに、俺ときたら……。
「――きょうごってすげえよな。すごくないのに。」
「あーん悪口かあ?」
「違うよめっちゃ褒め言葉。人の魅力ってただの優劣で決まるもんじゃないなって。」
「はー?急に意味不なんだけど。」
そう言って最後の一口を口に運んでコーヒーは完飲した。
時刻は10:15。
もうそろそろ始業式も終わりかけているところだろうか。
そう思ってスマホを開いて通知を確認する。
(二人共どこにいんの?)
瑞木からだ。
クラスは違うがどうやら俺達が抜けていた事に気付いてたようだ。
「そろぼち終わりかな、始業式。」
「ゆーてる間に終わるだろ。あいつら呼んだら?」
「そーするか。LIME送っとくわ。」
と言いつつ、既にここにいる事を送ってあるのだが。
ブーッ。
バイブ音が聞こえる。俺のスマホからだ。
……もう一度スマホを立ち上げ直して画面を再確認する。
「―――やっっべ。」
「どしたん?」
フレンチトーストの最後の一口を頬張りながら呑気そうに京悟が言う。
――残念だがそんな場合ではなくなったぞ。
「……先公が一人こっちに向かってるくさいって。」
「は、まじ!?」
「ヤバさマシマシの大マジよ。」
濃厚な危険の臭いがする。
高校からここまで歩いてそう時間は掛からない。早歩きで来ればすぐだ。
「やばやばやば、しかも停めてるバイク見られたら余罪発覚でロクな目に合わなさそうなんだけど!?」
それは知らん。
――いや2ケツさせて貰ってる事もある俺もまずいか。
あはははは………。
あは…。
――。
「言われんでも分かるやばいやつやん。」
「つーか早く俺のバイクに乗って逃げれば良くねえk……。」
ガチャッ。
「「!!!!!」」
ドアの開く音がしたー、瞬間にテーブルの下へ身を隠した。
先の一報から危険信号を発していた事が幸いして、店に入って来た奴に俺達の姿を見られる直前にフェードアウト出来た。
カバンはバイクに置いて来ていた為、机と椅子を見ただけでは俺達がいるかどうかは判別出来ないのが不幸中の幸いだった。
しかしそれでも安心は出来ない。
というかそもそも入店してきた本人が先生である事すら確認していない。
まだ希望も猶予も残されている可能性がーー、
「突然入って来て大変申し訳ございません。うちの生徒…濱野高校の学生服を着た二人組がここに来てはいないでしょうか?」
――無えじゃん。
噂をすれば影が差す。フラグを建てれば厄来たる。
よりにもよって今朝の話題に上がった生活指導の先生がおいでなすったようだ。
「うぅっわ、あのババアかよ。」
「きょうご喋んな。」
コソコソを吐息のような声量で会話をする。
さながら追い詰められて助けも請えず虫の息になっているようだ。
……さてここで問題。
俺達、全征秀之亮と藤谷京悟はこれからどうなるでしょう。
① :マスターが嘘をついて俺達がいない事にしてくれて万事解決。
「そこの机の下に隠れているよ。」
おいこら空気読んでよマスター、こうなると②:捕まるの一択じゃねえか。
――ーと言いたいところだがナイス
マスターの指差した机は俺達が隠れている机とは反対に位置する場所で、仕切りでこちら側が見えないところにある。
「「ヨシ!」」
二人して顔を打ち合わせて相槌を打つ。
お代は机の上に置いてある。後は先生の視界に外れつつ音を立てずに立ち去れば
……先生の足音が聞こえる。
―ー今だ。
「「お邪魔しました〜。」」
そして先公もさようなら。説教と
先生が死角にいる事を確認して瞬歩の如く前屈みで走り抜く。
最後に扉の開け閉めを瞬時に済ませてその間に退店すれば後は……、
「「うおおおおぉぉぉおおお!!!!」」
安らかな休息と逃亡の手引きをしてくれたマスターに心から感謝しつつ、京悟のバイクが停めてある場所へ走って行く。
――にしても誰が俺達の居場所を知っていたんだ…?
…そんな事は逃げ切れた今となってはどうでもいいと切り捨て、慌てつつも手際良くバイクへと乗り込むのであった。