※導入が某薄い本の丸パクりです。
そのきっかけは、別件でトリニティを訪れ、偶然出会った“先生”に付き添う形で連れ立って歩いていると、ふと見た木陰に目を疑う物体が転がっていたことからだった。
「先生! 催眠アプリ! 捨て催眠アプリですよ! こないだ読んだエッチな本に出てきたやつです!」
「えぇ……? 誰なのこんなアホな冗談」
底の部分だけ残された段ボールの中に、まるで捨て猫か何かのように『ひろってください』と書かれ鎮座する携帯端末。その画面にはピンクと紫が入り混じったような背景にデカデカと『催眠アプリ』という馬鹿げた文字が表示されている。突然の非常識に興奮気味な私とは対照的に、もはやあからさまに冗談以外の何者でもない光景に先生は呆れ果てていて、しかし私も正直なところ、内心では先生と似たような感想を抱いていた。
「うふふ。その人とは気が合いそうです! ほーら先生、今から貴方は私のど・れ・い♡ですよー?」
誰がどんな目的でこんなくだらない悪戯を仕掛けたのかは私も知らない。いわゆるお嬢様学園であるトリニティでは基本的にセンシティブな話題はNGとされているからだ。だがしかし、それは即ち少なくとも仕掛人は『そういったネタ』を知っているということなので、半ば本気でそう呟いて端末を手に取る。
頭の中にある「この木に監視カメラでも設置されているのかな」という興醒めな思考を敢えて放棄し、務めて無防備に画面をタップする。すると端末はぐるぐるした背景の中央に「『催眠すたぁと』※ボタンを押したら命令と一緒にこの画面を見せてね♡」とこれまた分かりやすい……言ってしまえば幼稚とも取れる如何にもな画面に遷移し、今すぐにでも使わせたい意思だけはやたらと主張してくる。
(何、この……なに? 本当に誰がこんなことを……?)
しかしどうしても疑問は残る。何というか……作った人間の知能が伺えるというか。こんなもので人を洗脳しようなどと正気だろうか。この程度のジョークアプリであっても用意する手間は結構なものだろうに、ご苦労なことだ、と。如何に戯けて見せようと、根本のところで空気の読めない、雰囲気をぶち壊しにする思考が平然とよぎる自分に苛々する。
先生はこの状況をどう思って見ているのだろう。順当にこの私が仕掛け人で、『また下品な悪戯を仕込んでいるな』とでも思っているのだろうか。あまりにも状況が滑稽過ぎていっそそちらの方が幸せかもしれないと呆れつつも、そこはおくびにも出さず、私は精一杯の笑顔と共に“先生”へそれを提示した。
直後、
「はい……ハナコ様、ご命令を……」
「ふふ、ふふふ。相変わらず先生ったら、冗談が上手いんですから」
ぐわん、と頭を過剰なくらい大きく振り回して、それから棒立ちとなり先生は言う。先程までシュール過ぎる現状に引き気味だったのに乗ってくれるあたり優しいなぁと思いつつも、せっかくなのでとりあえず軽い疑問を投げかけてみる。
「では、そうですねぇ……では、今日はどうしてトリニティに来たのですか?」
「自警団のミチコから相談を受けて……エデン以降、ティーパーティーの警護に正実の生徒が余分に取られるようになって、ただでさえ3年には時間がないのに、その分任務が逼迫して大変だとか、そういう話を……」
「なるほど……?」
誰…? というのが、まず第一の感想。自警団、ミチコ、3年と、個人を特定できそうな情報が3つも提示されているのに、なお誰のことを言ってるのかさっぱり分からない。
以前に見た記憶がある生徒名簿から名前だけで割り出そうにも、そういえばミチコと読めなくもない『典子』という漢字の生徒がどこかに居たような気もする、とかそんなレベルでしかなく。あるいは学年は違えど『美智子』さんなら確かシスターフッドにも……いや、この際そのミチコさんがどこの誰なのかはどうでもいい。
ここで何よりも重要なのは、先生がその何処の誰なのかも分からないミチコさんに対し、ティーパーティー・シスターフッド・救護騎士団といった錚々たる面々、あるいは逆に問題児集団たる
(いえ、それ自体は“良い事”なのですが……)
又聞きではあるが、そういえば先生は、路地裏で屯っているような如何にもガラの悪い不良生徒相手に対してさえ、気安く話しかけられたり肩を組まれたり、何なら連れ添って歩いてることも平気で有ると聞いたことがある。
無論、そこが彼の“良いところ”であるのは重々承知の上だが、改めて“自分もそのうちのひとりでしかない”のだと認識してしまうと、やはり思うところが出てしまう。
(………)
単なる嫉妬だ。分かってる。私のような面倒臭い女、先生だって“生徒として”以上は踏み込みたくないだろう。それは彼の理念や心情的にも明らかで、そしてそれはおそらく彼が“先生”である限りミチコさんやその他全ての“生徒”対してもまるで同じで。だからきっと私の嫉妬は、的外れ、お門違いのものでしかない。
それでも。
(………………)
「先生は………キヴォトスで、一番大切な女性はどなたですか?」
つい、そのようなことを言ってしまう。解答を期待しない、答えを出してはいけない質問。彼が先生である以上、生徒に優劣を付けられるはずはない。だから彼は絶対にこの質問には何も言わないだろう。あるいは解答自体をはぐらかすかそれこそ目の前にいる私に気を使って「浦和ハナコ」とでも答えるのか。いずれにせよ、まともな答えは確実に期待できない。
そう思っていた。そのはずだった。それこそが絶対の理だった。なのに──
「──“⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎”」
「え──?」
“先生”である彼は告げる。一人の名を。彼が先生であるためには、絶対に言ってはならないその誰かの名前を。“先生”という外面に覆い隠された、彼自身が持つその答えを告げる。
しかし、それ以上に驚いたのは──
「その、名前は──」
その名前を知っている。私ではない。私の友人のうちの誰かでも、シャーレ所属の生徒のうち、比較的彼が懇意としていた生徒達の誰かでもない。
その名前を知っている。私だけじゃない、きっとキヴォトスの誰もがその名を知っている。
その名前を知っている。何故ならば、その名前は──
(──連邦、生徒会長……?)
その名前を知っている。きっと今、キヴォトスの誰もがその名前の人物を求めている。けれど私は、ここでその名前を挙げる先生の事情を。その理由を、思えば何一つとして知らないのだ。
☆☆☆
「──由々しき事態です」
いつになく真剣にハナコは告げる。その鋭利とも呼べる眼差しは、常日頃から穏やかな微笑みを浮かべている彼女の印象とはかけ離れていて、それは彼女がこの話題に対し、それだけ力を入れていることへの証左でもある。
尤も、私も彼女とはまだ付き合いもそう長いとは言えない。それこそハナコにとっての“先生”のように、もしかしたらこの眼差しこそが彼女の本質を指し示している可能性は否定できないが、何にせよそれを露わにした時点で、普段の様子とは異なるのは疑いようもないだろう。
しかし、最初こそそんな常にない様子の彼女に呑まれて生唾を飲み込んでいた我々補習授業部であるが、内容が『催眠アプリ』だのと理解できない機構の話になってからというものの、段々と表情が怪訝なものになり、一通り語り終えた後にはすっかり呆れ顔になってしまう。
ただ、突飛なアイテムの存在を除くと内容自体は非常に興味深くはあり、私同様にいくつか気になる点もあったのだろう。まずは代表して部長であるヒフミが、苦笑いしながら疑問を呈する。
「あはは……いえ、まあ先生がわざわざ“外”から来たという話は結構有名ですし、タイミング的に連邦生徒会長が関わっているというのはまあ納得できる話ですが……というか、それこそ例の『催眠アプリ』を使ってその辺を聞き出せば良かったのでは……?」
「それは……」
至極真っ当な意見。人を容易く催眠、すなわち洗脳できる端末なんて悪夢でしかないが、まさしくそんな冗談みたいな装置が現存するのなら、それで先生の本心なりを聞いたらいいじゃないかという話。まあそこを言い出すと身も蓋も無い気はするが、こうして先生とは無関係なところで話し合いをするよりよほど建設的であるし、道具としてもむしろそちらが本来の用途に近いだろう。
「……?」
真っ当な意見。ということは当然、ハナコにもその質問は予想が付いているはず。なのに解答を躊躇ったハナコに疑問符を抱いていると、いわゆる
「バっ、バッカじゃないの!? そんな破廉恥な道具、よりにもよってハナコが持っていていいわけないでしょ!?! 没収よ没収、今すぐ粉々にしてやるんだから!!」
やや過激ではあるが、これもまた正しい意見ではある。破廉恥かどうかはさておいて、そんな容易く人格を捻じ曲げるようなオーパーツ、即座に砕いてしまった方が世の為人の為。ただ“気になるから”というだけで──否、どのような理由があろうとも手前勝手に他者の意思を踏み躙ってはならない。まさしく道理だ。きつい物言いも、無自覚とはいえ先の話でハナコが既にその『催眠アプリ』を使ってしまったが故だろう。
しかし、それでも私なんかは「そこまでの性能なら色々悪用できそうだ」などと、僅かにでも使い道を考えてしまったのに、ほとんど脊髄反射に近い速度で破却宣言とは。コハルの正義感の強さは相変わらずだと素直に感心する。それを受けてなのかどうか、ハナコは何故か一瞬だけ窓の外の方に視線を向けると、再び視線をこちらにわざわざ改まって、
「アレは、その……先生に没収されてしまいまして」
「はぁ!? 何でよ!?……いや当然よねモノがモノだしハナコだし。アンタが触ったらそれだけで逮捕案件よ」
「流石の私もそれは傷つきますよ……?」
まあ使ってしまったのは事実ですが……とハナコは続ける。拾い物?とはいえ生徒の所持品を没収とはあの“先生”にしてはかなり過剰気味だが、無理もないだろうと心から思う。なにせ先生の立場からしたら不憫以外の何者でもない。やってしまったこと自体はその場で絶縁されても文句は言えない所業だからだ。
ただ、どういう経緯でそうなったのかは気になる。故にその旨について聞いてみると、
「……“その名前”が出た時点ではまだ、
「ふむ。……具体的にはどのような?」
「大っぴらに答え辛い質問を2つ。『先生がプライベートで優先して購入している物』と『生徒との間で一番踏み込んでしまったと認識した
「行動……?」
「『私の頬を軽く叩いて欲しい』……普段の“先生”なら絶対に拒否する、実害こそ無くとも相当に抵抗が強いだろう命令を出しました。もしもそれまでの回答が先生の悪ノリであったとしても、先生はこの命令には従うことはない、と」
それは……そうだろう。生徒に手を出す、という以前に、『女性の顔に攻撃する』行為は、男性でしかも先生の立場からすれば凄まじい忌避感を示すはずだ。それがいくら傷跡が残らない行為であると理解していても、下手をしたら催眠状態であっても本能的に拒否しかねないレベルである。
「軽く、でも遠慮なんてまるでなく。ほぼノータイムで頬を叩かれた私は、暫くの間呆然としてしまい──自分でも驚くほど、頭の中が、本当に真っ白になってしまって──気付いた時には、私は先生と二人きりで、Basis schola内部にある、使われてない部屋の一つに居ました」
「え……」
ヒフミが思わずといった形で声を漏らす。声こそ出していないものの、私もかなり驚いている。というのも、想像以上にハナコがやらかしていたと言うか、ほんの少しの秘密を暴いただけだと思っていたのに、なんか思っていたより結構ガッツリ悪用していたからだ。むしろ没収だけで済んだのが謎である。いや、そこらの経緯はこれから話すのか。
ちなみに、コハルはと言えば話の雰囲気を察したのか、真っ赤な顔をして興味津々に生唾を飲み込んでいる。おそらく、難しそうな話だからと黙ってやり過ごそうとしたら中断するタイミングを逸し、加えて単純に興味がある話題だから止められなくなったのだろう。難儀なことだ。
ハナコは語る。まるでこの場が大聖堂の懺悔室であるかのように。神妙な表情で、ポツポツと己が罪を告白していく。
「何故、どうして。頭の中に揺蕩う疑問。頬に確かに残る感触。いつもの先生の笑顔──いろいろなものが頭でぐるぐると、ふらふらと彷徨い、私の理性を奪っていく。
やがて混乱した私に残されたのは、今先生と二人きりでこの部屋にいるという単純な事実。そして、どこからか湧いてきた『負けたくない』という言葉。
無意識に、惑うように、誘うように。私は胸元のリボンを解き、襟元に指を入れると、中にある純白の布を見せつけるようにして、言ったんです」
──『お願いします。どうか、私を好きなようにしてください』
「──!」
「!?!!」
「……!?」
ぴくん、と。その言葉に、三者三様の驚きを示す。それも当然だ。それは如何なる覚悟によって放たれた言葉なのか。催眠の支配下とはいえ、生徒の頬を躊躇いもなく叩くほどの、本当に最低限の理性さえ見失った異性を相手にその挑発は、あまりに度が過ぎている。
自暴自棄とはまた違う。本人は隠してるつもりかどうかは知らないが、ハナコが“先生”に特別な感情を抱いているのは傍目にも疑いようも無い。しかし、それはきっとこの場にいる全員が“そう”であり、また、それはおそらくは先のミチコ氏のように、トリニティ──否、このキヴォトスの至る所で同じ感情を抱える人物は多数存在する。
既成事実。そんな単語が脳裏に過ぎる。この際、他者のことはともかく、当事者である先生の意志すら踏み躙る、卑劣極まりない行為である。
「──言っちゃった。言ってしまった。背中に感じる冷たい汗。溢れんばかりの後悔と、それに勝るとも劣らない昏い喜び。これで先生と、でも──けれど先生は、そんな私の葛藤にまるで無関心で、おそらくはきっと私の命令通りに、近くにあった椅子を5つ横に並べてカーテンを引きちぎり被せ、即席のベンチを用意しました」
先程から妙に写実的なハナコの説明に、否応無しに当時の情景が浮かんでしまう。ハナコの恵体。情欲を掻き立てる仕草。『好きにして欲しい』という命令。用意された即席のベンチ──コハルでなくても、“そういう行為”を学術的なソレしか知らない私であってもなお、その先を容易に想像できてしまう。
気付いたら、いつの間にか生唾を飲み込んでいる自分がいた。これではコハルを笑えない。コハル並に顔を赤くしているヒフミなんて初めて見た。きっと私も、似たり寄ったりの顔をしていることだろう。
「力強く“先生”に肩を掴まれて、私はベンチに押し倒された。そこで期待が罪悪感を凌駕して、今後未来で待ち構える如何なる中傷をも耐える覚悟でいて──問題はここからです」
「え?」
空気が変わる。積み上げた砂の城にシロップをぶちまけるように、その言葉で空気が一気に
「彼は私を押し倒すと、そのまま掌を私の後頭部に差し入れ掴みました。格好から“口付け”を連想し、羞恥から目を閉じた私は、そのまま掌と入れ替わる形で感じた後頭部の感触──いえ、頭部が包まれてるかのような不思議な感覚に再び目を開きます。
ひっくり返った視界。ネクタイピンを反射する陽の光、その先にある先生の笑顔──“膝枕をされている”ということに、気づいたのは直ぐのことです。
──それから先生は、私の頭をぽんぽんしたりなでなでしたり、そのまま延々と褒め称えたり、『頑張ったね』『優しいね』『ありがとう』などと思う様労ってくれたり、どこからか取り出した耳かきで、ふーふーしながら丁寧に丁寧に私の(耳の)穴をほじほじして──たっぷり堪能した数時間後、どうにか正気に戻った私は、この上なく穏やかな気分で、もはやあらゆる抵抗を諦め、無言のまま土下座をし、それが当然であるかのように、先生に端末を差し出していました……」
「………」
スン、とコハルの目の光が消えていく。私には分かる。あれはコハルが爆発する寸前である合図だ。内に怒りを蓄えた今の彼女は、まさに飛び火する火薬庫も同然。今はまだ呆れの感情が勝っているようだが、僅かにでも均衡が傾けばすぐに爆発することだろう。
そのことを察してか知らずか、代表して部長たるヒフミが声を上げる。
「えー……と。その、それで、結局、問題とは一体……?」
流石のスルースキルと呼ぶべきだろう。突っ込み辛い部分には意図して踏み込まず、確信部分にだけ着目して会話を発展させる。この話題が長引けば、双方共に地獄が待ち受けているのを理解しているからだ。
そんなヒフミの疑問を待っていたのか、ハナコはやや食い気味に、
「そうです! 先生ってば、まさしく据え膳なあの状況、しかも明らかに理性が失われた催眠状態で、更には控えめにも同世代女子平均よりも育ったこの女体を前にしてやる事が膝枕耳かきプレイですよ!? 正直それはそれで非常に興奮しましたが、普通は獣のように制服を引き裂いて⬛︎⬛︎⬛︎したり、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎を⬛︎⬛︎⬛︎そうとしたり、或いはちょっと⬛︎⬛︎⬛︎に⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ ──」
「プレイって何!? 先生がケダモノに……!? え、エッチなのは禁止!駄目!死刑!収監!投獄ぅ!」
案の定破裂したコハルを見て、これ以上は不毛だろうとヒフミの手を引いて一歩下がる。互いに喚き散らして口論する二人は友人としての贔屓目で見ても相当に五月蝿く、ヒフミも苦笑いしてその様子を眺めている。
教室の窓から空を仰ぐ。窓の外の大空は青く透き通っていて、平和であると心から思う。『催眠アプリ』なる洗脳装置で超法規的な実権を握る人物が操られたというのにこの結果に至るのは、ひとえに先生の生徒に対する目線が、本当に“生徒”に対して向けるものであったからであろう。
そして、だからこそハナコはその事実に対し、身勝手にも不服を抱いているというわけだ。まあ尤も自覚はしているのだろう。こんなところで愚痴として吐き出して、直接本人に言わないだけマシかもしれないが。
(“生徒”では先生の一番にはなれない……)
喧騒を背景に、ハナコが主張していたその事を考える。
結局のところ、大人である先生にとって、生徒はどこまでも“子ども”でしかない。それは身体や知能、精神性とは無関係に、おそらくは彼自身が抱くルールとして、催眠によっても剥がせないほど根底に根付いている。
そうなると、一つの仮説が生まれる。
──『キヴォトスで、一番大切な女性はどなたですか?』
ハナコが先生に問うた質問。先生はそれに、一人の名前を上げた。私でも知っている、少し前までこのキヴォトスを完璧と言っていいレベルで治めていた、かの有名な連邦生徒会長。どこで知り合ったのかは知らないが、確かに彼女であればあの先生の心を掴むくらい出来てもおかしくはない。
(しかし──)
しかし、本当にそうだろうか。完全に理性を剥奪された状態で、ただでさえキヴォトスでは性欲を処理する手段も限られるだろうに、それでもハナコに手を出すことをしない高潔な彼が、あくまで“生徒”である連邦生徒会長に懸想するなどとあるのだろうか?
「………」
ハナコの質問には穴がある。キヴォトスで一番大切な女性──言葉通りに受け取るのならば、その人物はキヴォトスに在住するか、あるいはキヴォトスと関わりが深ければそれで良く、即ちそれは“生徒である必要はない”。
だから、こうは考えられないだろうか。だから、
(……………)
勝手な妄想だ。名誉毀損も甚だしい。そもそもそうであるのなら、想い人たる先生が尻拭いのようにキヴォトスを訪れた理由がまるで不明で、一切の辻褄が合わない。
ただ──
『アズサ。私たちは結局、幸せになどなれない』
『でも、ここまで来て「おとなしく降参します」なんてわけにはいかないでしょ?』
『……そう、ですね。ヒフミさんには……ですが、後悔はしていません』
(………)
ヒトの情念とは恐ろしい。私はそれを知っている。そのことを事実として思い知っている。
特に女のそれは殊更に酷く、ヒト一人を凶行に走らせるには十分すぎるほど、強力無比で理不尽な力であるのだと。
恋愛とは戦争である──よく聞く言葉。しかし戦争とは本来、始まる前の準備段階で勝敗が半ば決してしまうようなもの。ならば、こうしてワイワイと騒いでる時点で、我々はもう負けてるのかもしれない。
「今のままでは駄目なんです! だから……!」
「アンタは元々ダメダメでしょ、この変態!スケベ!色情魔!」
未だ続く喧騒を一瞥して再び天を仰ぎ、遠い空の色と同じ、朧げに浮かぶ連邦生徒会長の姿を思い浮かべながら、私はそう思うのだった。
ちなみに、作中で登場する催眠アプリはその気になればベアトリーチェさえ良妻に出来るマジモンのオーパーツだったりします。