浦和ハナコが催眠アプリを拾うお話   作:融合好き

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露出プレイをする話ではありません。


和泉元エイミと石ころぼうし

 

 

 

 

 

 

──私は多分、新陳代謝が他人よりも過剰なんだろうと思う。

 

「暑い……」

 

雲ひとつない快晴。じりじりと肌を差す陽光が恨めしい。まるで現実逃避のように携帯端末を確認すれば本日のD・Uでの気温は最高29度。真夏日とまでは行かないが、それでもこの気温になると流石に私以外でも同じ感想を抱く人はいるだろう。

 

思えば、ここ数日はこうしてまともに日光を浴びた記憶がない。いつもの部長の気紛れ(むちゃぶり)も、例の“アトラ・ハシース”を始めとした様々な災厄にキヴォトスが見舞われてからは、得られたデータの解析等のインドアな作業ばかりが増えている。

 

フィールドワークでしか得られないものも当然あるが、得られる情報の差からそれでもデータ量に比例して室内作業の割合は高くなるのは道理。加えて、最新鋭が故に良くも悪くも学舎内で生活が完結するミレニアムにおいては、その気になれば、大自然の恵みさえも不要のものと割り切れてしまうのも問題で、中には年がら年中引きこもり生活を送る生徒も珍しくないのだとか。

 

『それも“合理的”と、どこぞの下水女であれば臆面も無く言い放ちそうですが──そういった“侘び寂び”を大切にしないと、思考が凝り固まって精神が徐々に濁っていくんですよ?』

 

とは部長の談。技術の進歩──そう言えば聞こえは良いが、実際は単純に視野が狭いだけ。

 

人類は電気を操り、夜を実質的に克服した。しかし、あらゆる機械の作成には熱量が必要不可欠で、地表の熱は陽光から生じている。食事に関しては言わずもがな。いくらハイテクを謳ったところで、有機生命である人間は鉄を齧って生きてはいられない。

 

「──ま、そんな風に気取ったところで、だから何だって話だけど……」

 

ならば今は、無理にでも“良い機会だった”とでも表現するべきだろう。

 

暑いのは嫌だが、侘び寂び……要するに、人間性を失うのはもっと嫌だ。日光によるセロトニンの供給は、単なる補給以上に人として大切な何かを思い出させてくれる気がする。ただ、それさえも“気の所為”だと割り切れる人物がいるなら──そうした“何か”が欠落した人間は、それはそれで、きっとその人は優秀な人間(かいぶつ)なのだろうな、と思う。

 

──私と、同じで。

 

「え? ちょ、何あの格好」

「なんか凄い服装の子がいるんだけど……」

「痴女? でもスタイル良い……羨ましい」

「ヴァルキューレに連絡した方が……? いや、でも一応服は着てるし……」

 

(………)

 

キヴォトス有数の大都市であるD・Uは、大都市であるが故に当然、人口密度も相応に高い。特に本日はいつになく快晴というのもあり、広い広い大通りを埋め尽くす勢いで人が往来している。そうなると必然、私の近くにも見知らぬ人が行き来することになる。そして、その度に二度見される。

 

「………」

 

別に誰かの視線が気になるわけじゃない。ただ、客観的な情報から、私のこの格好が奇異なものであるとも理解している。世間に迷惑をかけたいわけでもない。しかし、暑がりの私にとって、露出の多い格好はギブスや病衣のようなものであり、見て見ぬ振りして流して欲しいのが本音だ。

 

身勝手なことを言ってる自覚はある。以前、“先生”にも遠回しに注意された。いや、こうして思考を回している時点で自分でも思うところはあるんだろう。直そうとは……思わないこともないが、やはり体質はどうしようもないし、色々と放っておいて欲しい。

 

「……ふぅ」

 

ため息を一つ。視線を避けるように、陽光から逃れるように。人混みから外れた路地裏に身を隠す。幸い、目的地であるシャーレはサンクトゥムタワーのお膝元。多少道を逸れたところであの馬鹿でかい建物を見失うなんてあり得ないし、スケジュールにも十分余裕はある。ただ億劫であるというだけだ。

 

路地裏から天を仰ぐ。申し訳程度に引っ掛けているジャケットからペットボトルの水をぶっかけたかの如き量の汗が滴り落ちる。水分補給をしないと、そう考えるのと同時、毎度とは言え、これだけの水分が自分の身体から失われた事実にはそれなりに不安を覚える。人が一時間でかく汗の量は最大で3リットル。限界は1日12リットル前後。特に代謝の良い私は熱中症には人一倍注意しないと、気づいた時には手遅れなんて事態になりかねない。

 

「ペットボトルは……っと」

 

ごくごくごくごくごく。まるまる一本のスポーツドリンクを飲み干して、嚥下される冷気の心地よさに身を任せる。前髪から滴り落ちる汗が、胸当てのファスナーに当たって飛沫が胸にかかる。

 

大したことじゃないと分かっていても、一瞬その部分だけ急激に冷え込んだ気がして思わず胸元に視線を向けてしまう。同年代どころか、ミレニアム全体で見てもトップクラスに大きな乳房。私の薄着が他者より優先して咎められるのは、この無駄に女性的に育った肢体の影響もあるのだろう。

 

『へっへーん、私の勝ちー!』

『ちょ、ずるい! 今はほら、ヒマリ先輩たちが来たから……!』

『アリス、これ知ってます。モモイお得意の”チート行為”ですね!』

『チート、では、ないんじゃないかな……番外戦術というか、卑怯ではあるけど……』

 

いつかの光景。ヒマリ部長に付き添って、ゲーム開発部を訪ねた時の記憶が蘇る。

 

ただでさえ広いとは言えない部室に、足の踏み場もないほどにゲーム端末を敷き詰めて、あちこちに張り巡らされている配線を踏むのも気にせずわちゃわちゃと騒いでる姿。

 

特異現象捜査部(ウチ)の部室では、そんなことは出来ない。無論、仮に部室走り回って筐体を蹴飛ばしたりコードを引っこ抜いたとしても、それが精密機器であればあるほどバックアップや付属バッテリー等の不測の事態に備えての保険はしっかりしているもので、雷が直撃するレベルの災難が無ければ問題はないと理解はしている。

 

でも、やはり怖いものは怖い。無駄に賢しい私は、故障・復旧の手間やコストといった()()()を連想せずにはいられない。

 

『ふふっ。ここは相変わらず賑やかでいいですね』

 

部長はそんな彼女たちに語りかけるでもなく、しばらく笑顔で眺めていた。親が子どもを見守るように、祖母が孫を慈しむように。

 

視線を胸に落とす。あまりに成熟した身体。彼女たちと比較すると、個人差というのは何と残酷なものかを教えられる。別に私があんな目で見られたいわけでも、羨ましいわけでもない。ただ、私があの光景に混ざっていたとして、部長は私に同じ目を向けるだろうか。何より、私にそんなことができるだろうか。

 

『あの格好……』

『凄い服装……』

『痴女……』

『ヴァルキューレに……』

 

うるさい。五月蝿い。煩い──煩わしい。いいだろう別に。そんなに不快か? そんなに私は見苦しいのか? どうせ誰も私の顔なんか見てない。服装だけを見て、その一瞬だけ二度見して、10秒もすれば忘れるくせに。

 

こうして人目を避けるため暗がりにいる度、何をやってるんだろうと疑問に思う。暑い。暑い。暑い。苦しい──助けて欲しい。

 

手に力が入っていたのか、ふと気付くと握っていたペットボトルの蓋が粉々になっていた。高過ぎる体温に、異様とも取れるフィジカル。昔からそうだった。特に何かしたわけでもなく何でも出来て、頭の回転もきっと悪くない。筋肉、頭脳、ホルモンバランス──全てに恵まれ、同年代の羨望を糧に、結果得られたのがこの体質。要らなかった、そうは言わない。欲しくはなかったと、嘆くつもりもない。

 

ただ──いや、違う。そんなのはどうでもいい。自分がどう見られてるかなんて。単に煩わしいだけだ。どうしろと言うのだ。どうしたら良いのだ。最適解は理解できる。しかし、今回のケースでは、互いに譲れないもの……合理的な判断を阻害するノイズ(こだわり)が、その選択を許さない。

 

そもそも私にとっては、暑くてそれどころの話じゃない。濡れた携帯端末から天気のアプリを開けば、いつの間にか最高気温は31度へと変更されていた。

 

失笑する。情報化により、気軽にデータを更新できるというのも考えものだ。遠隔で容易く、宝箱の中身を確認した一秒後にはごっそりと財宝を入れ替えられる。桁を一つ間違えるだけで、中の財産が10分の1になる。それは、なんと恐ろしいことか。

 

(そういえば、以前──)

 

以前、“先生”が言っていた。当日の深夜に試験会場を変更されて、あわや遅刻の危機に陥ったと。先生は与太話だと言っていたがとんでもない。少なくとも、相手方は確実に意図してやっている。あからさまに悪意のある行為──人格を疑われる所業だ。

 

今の時代、誰もが通信端末を有する。僅かな操作で、誰にも知られず悪を弾劾できる。相手の事情は考えず、ただ自らの正義感に従い、善人ぶって他人を陥れる。

 

それが悪いとは言わない。特にキヴォトスでは、それ以上に悪人が蔓延り過ぎている。指名手配犯の目撃情報一つで多くの人が救われ、被害も格段に抑えられるだろう。

 

全て分かってる。全て理解はしている。でも、だけど。──嗚呼、鬱陶しい。いや、そうだ。もういっそのこと、私が()()()()()()()()()()──

 

「……ん?」

 

いつしか俯いていた私の視界に、ふと不思議なものが置いてあることに気づく。灰色の、石のような質感の、けれど石にはあり得ないぺらぺらの物体。思わず手に取ると、それは石を模した帽子であることがわかる。

 

(どうしてこんなものが……)

 

当然、疑問に思う。こうして私がいるので説得力はないかもしれないが、こんな路地裏をわざわざ通るような人がいるのだろうか。そして、こんな特徴的な帽子(?)、被っていたら私以上に目立つのではないか。

 

「…………」

 

疑念は尽きない。何故、どうして。考えているうちに、色々とどうでもよくなった。私はこんな微妙な帽子に何故思考を巡らせているのか。もういい。ポイ捨ては咎められるかもしれないが、今は誰も見ていない。そのまま放って先に行こうと考えた。

 

「……でも」

 

どうしてそう思ったのかは分からない。でも不思議と、投げ捨てる直前に躊躇った。その帽子が、地べたに落ちていたとは思えないくらい綺麗だったからかもしれない。こんなものでも、大切に扱っていた誰かがいる。一度そう考えてしまうと、どうしても乱雑に扱うことに抵抗を覚えた。

 

(……………そんなに被り心地が良いのかな)

 

魔が差した。それ以外に理由はない。じっと帽子を眺めているうちに、ふとそんな思考が芽生えた。出来心だった。動機なんてなかった。犯罪者は、きっと同様の思考で過ちを犯してしまう。

 

「!?!?──え、ちょ、外れ……!?」

 

ある意味では必然に、悪者には罰が下る。抵抗なくスッポリと頭に嵌ったその帽子は、しかしそれ以降いくら頑張っても外せなくなってしまった。正確には、外れそうではあるのだが、私の力では頭皮まで丸ごと持って行かれそうで怖くなった。

 

どうしよう。どうしよう。どうしよう。かつて無い焦り。かのアトラ・ハシースや、初めて単身ビナーと相対した時の絶望感も、ある意味ではこれに及ばない。

 

なんて、なんて──なんて間抜けなのだ、私は。誰かが大切にしているものだと分かっただろう。気軽に扱って良いものじゃないと知ってたろう。いや、仮に全てが妄想で、これが捨てられたものであったとしても、先程まで地べたに落ちてたものを被るなんて一体何を考えていたのか。

 

馬鹿だ。馬鹿だ。馬鹿だ馬鹿だバカバカ阿呆あほ愚か者──散々に自罰し、いよいよどうしようもなくなって切羽詰まる。“暑い”という生理現象すら消え失せるほどの衝撃。気持ち一つでどうにかなるのなら、最初から厚着でもしていればよかったのに。

 

「……………仕方、ない」

 

死ぬほど悩んで。どうしようもなくて。意を決して路地裏から出ることにする。幸い──と言って良いのか分からないが、目的地であるシャーレまではここから5分掛からない。先程とは違う意味で恥ずかしいが、路地裏を経由し脇目も振らず全力疾走すれば、人目に触れる時間は1分にも満たないだろう。

 

(行ける──というか、それしかない……!)

 

地図アプリを起動し、周辺の地図を確認して最短経路を探る。先生であれば、どうにかしてくれる。確かなその信頼を胸に、私は路地裏から飛び出した。

 

──瞬間。

 

「うわ──ッ!?」

「!!?!」

 

悪いことは重なる。泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目──焦れば焦るほど、人というのは視野が狭くなるもの。出口の確認、その一瞬を怠ってしまったせいで、路地裏を出た直後に私は誰かにぶつかってしまう。

 

拙い。加速する焦り。いやまずは謝らないと。混乱する思考。結構な勢い衝突し、相手と共に仰向けに倒れた私は、即座に謝罪のため起きあがろうとして──信じられない言葉を聞くことになる。

 

「痛っ──もう、何なの今の! ()()()()()()()()!!」

 

「え……?」

 

()()()()()()()()、倒れた彼女は絶叫する。やり場のない怒りをぶつけるように、私に向けて然るべき憎しみを、虚空に吐き捨てるように。

 

「痛ったたた……何だったのかしら──」

「え? あの、ごめんなさ──うぐっ」

 

そのまま起き上がった彼女は、目の前で謝罪をしようとする私に目を向けることさえせず、まるで私が見えていないかのように、一切の遠慮も容赦もなく私を()()()()()歩いて行く。

 

「………」

 

一瞬、そういった意図の意趣返しなのかとも思ったが、流石におかしいと思って彼女の目の前まで駆け出して話しかける。ごめんなさい。許してください。私が悪かったんです。そういった旨の謝意を、在らん限りに語る。

 

しかし、

 

「なに、これ……?」

 

繰り返すようだが、キヴォトスの首都であるD・Uでは人通りが多い。特に本日はこれ以上ないくらいの快晴で、今も周辺にはたくさんの人が往来している。そんな状態で怪しい格好の私が誰かとこんなやり取りをしていたら目立つことこの上ないだろう。でも。

 

「何なに? ()()()()?」

「それにしてはなんか変じゃなかった?」

「そう? ま、別にいっか」

 

不自然なやり取りが耳に入る。状況は一目瞭然のはずなのに、まるで彼女が悪いかのように、そう──()()()()()()()()()()()()()話す通行人の言葉。いくら語りかけても、肩を揺らしても、目の前で猫騙しをしても、まるで一切の反応を示さない──人としての反射行動さえも全くしない被害者の彼女。

 

(これは一体、どういうこと──?)

 

何か、おかしなことが私に起きている。そう確信するのに、時間は掛からなかった。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

他者から認識されなくなっている。どうやら、私に起きている異常はこれらしい。

 

存在しなくなる──というわけではなく、物理干渉は出来るし、機械にも反応する。ただ、それが私の行いであると、()()()()()()()()()()()()()()()()()というのが、今の私に起きている現象の全容だ。

 

(しかし、これは──)

 

理解はした。でも、改めてその現象について考えると、その不可解さ以上に恐怖が先立つ。だってそうだろう。仮に私が誰かを殺しても、その誰かは、周りの人は、それが私の行いであることさえ気付かない──気付けないのだ。カメラがあれば、とは言うが、人がプライバシーに配慮する限りそう言った装置が存在しない場所なんて腐るほどある。トイレか何かに連れ立って、そこで干渉すれば証拠も残らない。恐ろしい──なんて次元の話じゃない。これは人間のような悪意を持つ生物が得て良い能力ではない。

 

軽く概要を把握してから、監視カメラに咎められ無い程度に、しかし大通りをなるべく目立つように歩いて──まるで一切、誰からも全く向けられない視線に私は寒気がした。そこからは最短距離でシャーレまで駆け抜けて、入り口にある自動ドアが()()()()()()()、そんな当たり前のことにこの上なく安心する。

 

何がなんだかわからないが、原因だけははっきりしている。今もまだ私の頭にすっぽりと嵌るこの帽子だ。というか、そうじゃなかったらいよいよ持ってどうしようもなくなる。

 

幸い、機械が反応するということは、携帯端末越しに会話は出来そうなので、いざとなったら部長を頼ればいい。そう思い、しかしまずは一番手近にある頼れる先──シャーレの事務所の近くまで来て、どうやって事情を話したものかとやや悩む。

 

「シャーレの扉がカード読み込み式で助かった……」

 

それで気づいてくれたら御の字と、堂々と独り言を話しながらオフィスに通じる通路への扉を開ける。幸か不幸か、誰ともすれ違うこともなく、誰にも気付かれることもなく、私は先生を尋ねようとオフィスの扉に手を掛けて──誰かの話し声が聞こえた気がして、私は思わず、反射的に腕を押し留めた。

 

『──さん、今日の予定は如何ですか?』

『ああ、うん。今日は確かヒマリからの依頼で、午後からちょっとエイミが来て──』

 

エイミ、という名前が聞こえて来て飛び上がりそうになる。聞こえてきた文脈からして、それが呼びかけの類ではないと理解していても、それでもこの道程を思うと涙が溢れる。

 

(誰だろう──女の人? いや……この声、どこかで……)

 

『なるほど。じゃあ、あまり時間はないんですね……』

『私としては、今すぐ隠れて欲しいくらいなんだけどね』

『むっ。先──じゃなくて、もう! 久しぶりなんですから、意地悪はやめてください!』

 

(先……先生? 本当に誰かな)

 

彼を先生と呼ぶ──否、そう呼ぼうとしない誰か。久しぶり、隠れて欲しい……どうにも訳ありのようだが、まるで心当たりがない。

 

どうやらオフィスにはその二人しかいないようで、それからしばらく取り止めのない話が続く。シャーレではどうだとかキヴォトスは慣れたのかとか、それは主に先生に対する質問ばかりで、彼女がそれだけ先生を気にかけていることが分かる。

 

(やっぱり、“先生”とは呼ばないようにしてる……?)

 

会話を軽く聞いた感じ、多分、彼女は先生の生徒の一人なんだと思う。常に先生に敬語で、D・Uでのオススメの軽食屋を知るくらいには地理に厚く、何より彼への呼称に幾度と“先生”と言いそうになる。

 

その度に訂正していて、ますます彼女が誰なのか分からなくなる。彼が“先生”と呼ばれているのは周知の事実だ。誰に対しても、誰にとっても、その呼称で咎められるはずはないというのに。

 

(いや、待って。──いや、まさか。まさかまさかまさかこの声。もしかして、ひょっとして……!)

 

誰だろう──再度そう思うよりも先に、咄嗟に身体が反応して扉を勢いよく開け放つ。オフィスの机で座っている先生の肩に手を回し、首に凭れかかっている少女──それは、まさしく私の想像通りの人物で……!

 

「連邦生徒会長……!?」

 

突如として開け放たれた扉に反応してか、()()()()はビクンと震えて咄嗟に身を隠そうとする。まるでやましいことがあると、大分、いやかなり挙動不審な行動だがそれも当然だろう。何せ彼女は、今このシャーレに、いやキヴォトスに居てはおかしい最重要人物なのだから。

 

「だ、誰もいない……?」

「そうみたいだね。……いや何で開いたんだろう? ラップ現象?」

「ラップ現象は流石に違うんじゃ……」

 

透き通るような長髪を靡かせ、眼をぱちぱちして私を(正確には扉を)見つめる女性。間違いない。見間違いじゃない。彼女こそ、既に行方不明になってしばらく経つ、例の連邦生徒会長に相違ない。

 

どうしてここに。“先生”との関係は──必死になって訴えるも、私の言葉は届かない。かつてこのキヴォトスを治めていた彼女ならば──そんな根拠のない期待も、私の異常を貫通するほどではなかったらしい。

 

驚愕で固まる私に向かって、先生が歩を進めていく。それは本当にのしのしと遠慮なく──彼にとっては誰もいないのだから当然なのだが──扉の前にまで立った彼は、そのまま通路を覗き込み、その先に人影がないことに安堵をする。

 

それは後ろ暗いものがあるかのように。それは隠したいものがあるかのように。すぐ側に、匿いたい誰かが居るかのように──私はそれを、呆然と眺めていた。

 

(……まさか、先生が連邦生徒会長を匿って──? それは一体、どうして……)

 

ぐるぐると思考が巡る。それまで考えいたはずの全てが、私の現状さえも思考から消し飛び、今の状況のことだけで一杯になる。

 

何故、あの連邦生徒会長がここにいるのか。どうして先生と一緒にいるのか。そもそも二人の関係はどういうことなのか。当然の疑問が、無数に湧き上がる疑念が、津波のように私の頭を占めていく。

 

それから時間にして一分も無いだろうか。やがて“先生”はオフィスの扉をゆっくり閉めると、

 

「誰もいないね。けど、何か嫌な予感がする。だから、名残惜しいけど……」

「……ですね、分かりました。──あ。でも、最後に──」

 

不服そうに、僅かに潤んだ瞳で、彼女は先生を見つめている。他に誰もいないからだろう。隠すつもりもない情欲が入り混じった瞳。有り体に言えば、()としての視線が先生を射抜く。

 

そして、

 

(………──!!?!??!)

 

チュッ、と。あまりに自然に、流れるように“先生”と唇を重ねた彼女に、限界まで眼を見開いて驚愕する。僅かに見えて来た関係性が、濁流の如き衝撃によって塗り潰されていく。

 

ペタンとオフィスの床に座り込んで、どこかへ去って行く彼女をぼんやりと見つめる。私は何をやってるんだろう。どうして自分がこんなにも惨めに感じるんだろう。あらゆる感情が、全て彼女への疑惑に塗り替えられる錯覚がした。

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

それから、どうやってミレニアムまで戻ったのかは覚えていない。どれだけ時間をかけたのかも、どんな経路を経たのかも。どうしてあの場から逃げ出したのかも。

 

ただ、気づいた時には例の帽子は消えていた。当然だ。あんなものを被っていては、公共の交通機関は利用できない。どうやって、はこの際どうでも良くて、その事実だけは安堵した。

 

しかし、それでも道中に誰かと会話した記憶は無い。空が暗くなって来たからか、服装で見咎められることはなかった。けれど原因の一端はそれ以上に、私があまりに陰鬱な空気を出していたからだろう。

 

(先生、どうして……?)

 

自分でも、何に対してショックを受けているのかは分からない。理不尽な衝動に足元がふらつく。先程の光景だけが脳内で過剰にリフレインする。

 

どうしてか訪れていた部室の扉に手を掛けた時、色々と限界な自分を自覚した。もはや午前中に、暑さ云々で悩んでいたのが遠い昔のようだった。

 

何も聞けなかった。何も言えなかった。認識されないから何だ。何のために機械の知識を学んだんだ。何とでもなったはずだ。通話は弾かれる可能性があったにせよ、物理的な干渉ができるのなら、少なくともメールやモモトークは有効だったはずだ。

 

何故聞かなかった。何故問い詰めようとさえ思わなかったのだ。なぜ、何故、何故。どうして私は──

 

「──エイミ?」

 

ドアを開けた瞬間に、どこからかそんな声が聞こえる。聞き慣れた呼び声。綺麗な発声なれど、それ故に微妙に聞き取りづらい高めの音声──部室の長である、明星ヒマリのもの。

 

「ただ、いま──」

 

気付けば、そんな言葉が漏れていた。どうしてそんな言葉が出たのか分からない。だってここは自宅でも何でもない。何なら頼まれた目的すら達成出来てない。ただ彷徨って馬鹿やって、無様に這いずっていただけなのに。

 

でも。

 

「──はい。おかえりなさい」

 

疑問は当然あるのだろう。先生からの連絡だってあったはずだ。なのに、何故ここにいるのか、とか、その様子はどうしたのか、とか、そういうのを全て後回しにして、彼女は私に、私が一番欲しかった言葉を告げる。

 

たったそれだけのやり取り。誰かの独善じゃない、まして不躾な視線でもない。ちゃんと私を見てくれる、その心が嬉しくて。

 

「──………あ」

「ちょ、エイミ!? どうしたんです!?」

 

安堵からか、その瞬間ぷっつりと全身の力が抜ける。熱中症によるものか、はたまた単純な疲労か。自分でも驚くほど、当然に視界が暗くなっていく。大丈夫と、その一言を告げることさえままならない。何もかもが裏目に出る。嗚呼──なんて間の悪い。今日という日は間違いなく、人生でもトップクラスの厄日だ。

 

「えっと……どうすれば──誰かを呼んで、いえ、近くの保健室を頼り──いえ、事は一刻を争う事態。多少乱雑にはなりますが、搬送用のアームでどうにか──」

 

あたふたと戸惑う声。ガチャガチャと鳴り響く機械音。やがてUFOキャッチャーの景品のように、腰の辺りをがっしりと掴まれ浮遊感を得る。

 

当然のこと、私を掴むアームは熱を発していない。駆動系ならいざ知らず、機材搬送用──つまりは基本的に精密機器を運ぶ用途で設計しているため、その先端は熱伝導率が低い素材で作られているからだ。

 

実際に、私を掴むアームは冷たく、冷房で乾いていく汗も相待って寒気すら覚える。けれどどうしてだろう。私はその機械の腕に、不思議と確かな()()()()を感じてしまう。

 

(全ては気の持ちよう──か……)

 

散々過ぎる一日だった。猛省すべき一日だった。ただ、確かな知見は得られた。色々と疑問は溢れているが、それも後から考えればいい。

 

部長に倣い、そう言い訳して、私は微睡みの中に意識を委ねる。そして早速学んだことを活かし、今日はきっと良く眠れるのだと自らに言い聞かせて──けれど不思議と、それが真実になることを確信している自分がいた。

 





内容の重さとタイトルの軽さで作品全体のバランスを取っていくスタイル。

エッチな道具は、必ずしもエッチに使う必要はない。そんな作品です。
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