浦和ハナコが催眠アプリを拾うお話   作:融合好き

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連邦生徒会長と時間停止

 

 

 

“彼”については、人畜無害な人だなぁと素直に思う。

 

まず第一に人が良い。善人であるとか悪人であるとか関係無く、いや間違いなく善人の部類ではあるのだが、仮に悪事を犯しても『何か事情があるのかな』であっさり許してしまえそうな独特な雰囲気を持つ。包容力、そう言えばいいのか。兎にも角にも人当たりが良く、ただの八方美人では済まされないレベルの際立った人徳の持ち主である。

 

同時に彼は、その人徳こそが最大の問題である人物だった。如何なる立場の人間であっても、彼と多少触れ合うだけで好印象を抱く。“先生”という立場も戴けない。住民の大半が“生徒”であるこのキヴォトスにおいて、その役職は会話の取っ掛かりとしては十分であり、一度気を許せばあら不思議、まるで感染症か何かのように、周囲を巻き込んで彼のシンパと化す。そんな光景を、私は幾度か目撃していた。

 

別に彼が何かのスペシャリストというわけではない。“先生”というだけあって博識ではあるようだが、それはあくまで常識的な範疇でだけ。運動も割と出来る方だがそれも優秀と呼べるほどじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼はそんな、何処にいてもおかしくない、或いは何処にでもいるはずの、ごく普通の好青年だった。

 

 

──君のような()()()が苦しんでいるのに、それを見過ごすなんて出来ないよ。

 

 

(……………)

 

ありふれた言葉だった。当たり前の言葉だった。特別でも何でもない、そんな、ごく普通の気遣いだった。

 

それを思い起こすだけで、頬が緩んでしまうのは如何してか。弱った心に強く響いた。言ってしまえばそれだけだ。これでは彼が軟派な男のようだ。でも実態は違いない。少なくともあの時点では、あの主張は義憤や同情心に拠るものでしかなかった。綺麗なだけの言葉、何も伴わない力無い言葉。ただ彼は、そんな薄っぺらいはずの信念を、これ以上無いくらい真剣に、大真面目に、真正面から貫き通すような大馬鹿者でもあった。

 

そして、そんな彼にすっかり気押されて、根拠のない理想を鵜呑みにさせられて、いざそれが実現してしまったら、あっさり意見を翻してコロッと彼に惹かれた私は、きっとそれ以上の大うつけだ。

 

(──ちょろいなぁ、私って)

 

改めてそう思う。曰くヒトは、自分と正反対な人物に惹かれるという──根拠も何もない戯言だと思っていたけど、こうして実際に沼に嵌った私には笑えない。無意識にでも、『普通』に憧れていたのだろうか──あるいは、肩書以外を見てくれるというもっと単純な理由なのか。自分でも分からないくらい、私は彼に夢中になっている。

 

あれだけ大切に思っていたはずのキヴォトスが、既に足枷のようにしか感じられない。キヴォトスを大切に思う気持ちは残っている。現在進行形で多大な迷惑を掛け続けているリンちゃん達に謝りたい気持ちはある。でも、それ以上にいつまでもこの心地良さに溺れていたい自分がいる。

 

男女の友情は成立せず、女の友情は男によって引き裂かれる──なるほど至言だ。昔の人は良い忠告を遺す。何せ言葉の節々に深淵の如き実感が宿っている。幾人の女傑が、そうして愛に溺れ身を窶し呑まれていったのか。私もその一人だと思うと情けなくもあるが、それでもこの燃え上がる衝動に逆らうことが出来ない。

 

笑える。散々持て囃されて、『超人』だのなんだの謳われて、結局は私も人の子でしかなかった事実に。連邦生徒会の特に忙しい部署に所属している、私をどこか神聖視していた人達は、今の私を見てどう思うだろうか。幻滅──で済むのなら御の字で、リンちゃんやカヤちゃん辺りには怒りを通り越して呆れられるかもしれない。

 

あれは普遍的な出会いだった。けれど劇的な出会いでもあった。運命の出会い──そんな大層なものでもない。あえて雑に表現するならば、偶然その場に居合わせただけ。それ以上でもそれ以下でもなく、裏がないことは既に確認も取れている。故に、それを特別に想いたいのは、単に私の我儘以外の何物でもないだろう。

 

兎にも角にも、私は、私は。

 

()()──」

 

私はきっと、あの瞬間から、ずっと彼に夢中だったのだ。

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

改めて()()認識してからというものの、すぐさまその道にはあまりに敵が多過ぎることに気付いた。

 

まず第一に彼の故郷の友人。ただ、これは大した問題ではない。完全に偶然の賜物であるが、成り行きで彼を事実上キヴォトスという閉鎖社会に閉じ込めてしまったのが功を奏したのか、彼自身の鈍感さも相俟って関係を疎遠にすることに成功した。

 

次に同年代の女性。やはり歳の差というのは強敵で、実際彼の性癖も当然のように同世代の肉感的な女性に偏っていたのだが、しかし、これも正直それ以前の問題というか、そもそもキヴォトス自体が学生を主体とした特殊な街であるために、彼の目に叶うような妙齢の女性は驚くほど少ない。

 

それでも探せば獣人・ロボット以外の女性も居るには居るのだが──それも彼の職場、学園都市の中枢であるサンクトゥムタワー近辺では特に可能性も低く、その周辺を徘徊するうちはそうそう出会いの機会もないだろう。そもそもそれ以上に彼がワーカーホリック気味であり、また彼自身がまだ新任で年若いのもあってか、現時点では積極的に出会いをさえ求めてはいないようだった。

 

そして最後──ある意味これが最大の問題点である、彼の教え子である“生徒”たちのこと。

 

これが非常に悩みゴトであった。職業柄関わる機会も多く、また彼自身が積極的に難題に首を突っ込んでいく性分であるためだ。学園というコミュニティは、学生にとって世界に匹敵するほど重く、いじめ問題を一つ解消すれば、その被害者が彼を慕うのは想像に難くない。

 

私が失踪した云々の関係を抜きにしても、未だキヴォトスには厄介で根深い因習が多く、中には私が立場や労力と天秤にかけて不干渉を貫いたモノも存在する。エデン条約関係の問題は特に顕著で、アレを連邦生徒会に絡めず解決した手腕には素直に感動を覚えたものである。

 

アビドス高等学校から始まり、ミレニアム・トリニティ・ゲヘナの3大校、レッドウィンターや山海経等の各地に自治区を有する有力校との繋がり──極め付けに、例の“アトラ・ハシース”の騒動を経て、所詮人の世、結局はコネに勝る力など無いのだと、マジマジと私は見せ付けられた。

 

『アレはほら、みんなの頑張りがあってこそだよ』

『………』

 

少しは自慢してもいいだろうに、あくまで生徒のおかげというスタンスを崩さない彼に、私は何も言えなかった。

 

多分、事態を解決するだけなら私にも出来ただろう。これは決して自惚れではなく、これに関しては彼にも埒外のことであろうが、この学園の底は彼の思うより相当に闇が深い。私の有する秘蔵のオーパーツ並びに連邦生徒会の特権をフルに活用し、各学校に適当な利潤をぶら下げて実質的な駒として都合良く操れば、確かに戦力的にはあの程度の事態どうにでもなる範疇にある。

 

しかし、それでは確実に禍根が遺る結果になっていた。連邦生徒会の権威も失墜し、各学校間の関係も悪化。被害状況によっては閉鎖せざるを得ない学院もいくつか発生するだろうし、何より私のやり方ではおそらく結構な割合で死人が出る。

 

それを看過できるか否か。或いはそこが私と彼との最大の違いなのだろう。妥協点を見つけるのは得意だ。何かと折り合いを付けるのが上手かった。貧乏籤は全員に分け隔てなく、功績は過剰に飾り付けて所在を曖昧に。

 

困ったことに、私にはその手の才能があった。人を使う才能、あるいは人を操る才能と呼べばいいのか、とにかくそういった類の才能を有していた。要らなかったとは言わない。キヴォトスにはそれ以上に、厄介で面倒な問題が多かったから。

 

ただおそらくは、自分でもどこか気づいていない部分で、私はその力に罪悪感を覚えていた。後ろ暗い行為だと認識していた。だからこその秘密主義。私が──たかだか人間一人が消えた程度のことで、連邦生徒会という巨大な組織が停滞しまった理由の一部は、きっとそこにあるのだろう。

 

(でも)

 

でも。だけど、それでも。

 

このままでは良くない。でも、抗うことが出来なかった。

今からでも戻るべきだ。だけど、逆らうことが叶わなかった。

リンちゃん達が心配だ。それでも、戻る気力さえ湧かなかった。

 

何もかも失って、これは無理だと諦めて。痛みや流血で気が遠くなって、意識さえも朦朧とする最中で──最後の最後に、彼の優しさに触れて、私は初めての恋に堕ちた。

 

キヴォトスに身を捧げる覚悟でいた。伊達や酔狂で連邦生徒会長などという貧乏籤を引き受けたわけじゃない。あの街の歯車として徹し、最終的には磨耗してボロ雑巾の如く打ち捨てられる。そんな未来さえ予感していた。

 

そして事実、その通りとなった──胸元を銃弾で撃ち抜かれ、止め処なく溢れる血液に寒気がして、誰にも何も言えぬまま、朽ち果てるはずだった自分。

 

本来なら、それで良かった。それは無念ではあったけど、自分が犠牲になることなんて、そんなのとっくに織り込み済みだった。

 

私は知っている。キヴォトスという街の闇を知っている。このロクでもない世界で、生き足掻くことの無意味さを知っている。『vanitas vanitatum』──かつて私が見過ごした一つの自治区のように、私もいずれ、その礎となって消えていく。それが結末、それこそが予定調和だと、覚悟して私も生きていたつもりだった。

 

『先生、貴方になら──』

 

でも。

 

『私が()()()()()大人である貴方になら──』

 

それで良かったはずだった。それを良しとしたはずだった。そのために頑張った。必死だった。報われるつもりなどなかった。それで納得していたはずだった、のに。

 

「先生──」

 

浅ましくも、最後の最後で、このまま死ぬことが怖くなった。もう全てが間に合わないことを知って、必死に目を逸らしていた恐怖(テラー)が、今更のように鎌首を擡げた。

 

(──このまま、私は……)

 

死ぬ。亡くなる。消える。いや遺体は遺るか。でも同じことだ。たとえ物体として私が遺されても、そこに“私”が居なければ意味がない。

 

(──嫌だ)

 

それは本能的な恐怖。肉体が瀕したことで理性が薄れ、押さえ付けていた感情が溢れ出していく。

 

駄目、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない。死にたくない。死にたくない──だって、せっかく、やっと。ようやく出逢えたのに。

 

「………っ」

 

あまりにも自分が情けなくて。見苦しくて。みっともなくて。悔しくて歯噛みする。

 

窮地にこそヒトの本性は暴かれる。無論、その思考には多少の誘導が、具体的には“私をこんな目に遭わせたあの都市をどうして庇う必要がある”という、ある種の怨讐めいた感情が混ざっていたことは否定しない。

 

けれどそれ故に抗えなかった。そして愚かにもこう願った。今更に。意味も無く。都合良く。誰に対してさえも分からない、身勝手なその想いを。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──

 

 

 

 

………………………

 

 

 

………………

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

久方ぶりに訪れたキヴォトスは、自分でもびっくりするくらい荒れ果てていた。いやほんとに見るからに治安が悪化していてびっくりした。まさか仮にも都市中枢たるDU、それもあくせくして拵えたシャーレが初日から襲撃を受けるだなんて、流石の私も素直に驚いた。

 

どうやら私は、自分が思っていた以上にこのキヴォトスの治安維持に一役買っていたらしい。あくまで一時的なものだと信じたいが、それも果たしてどうなのか。離れていたからこそ気付けたことだ。やはり何事も広い視野を持つことは大事だと、改めて私はそう思った。

 

主犯はよりにもよってあの災厄の狐。それ自体も中々に衝撃だったし、そもそもあれらの問題児が全員脱走して七囚人なんて小洒落た呼び方をされているのにも驚いた。あれだけ苦労して捕まえたのに、キヴォトスの管理体制はどうなっているのかと。……まあ、正直ヴァルキューレが頼りないのは今更のような気はするし、だからこそSRTなんてものを用意したわけで。それ以前に今の私が言える立場でも無いのだけれど。

 

タイミングよくキヴォトスの現状を懸念して抗議に来ていた三大校の人達──トリニティのハスミさんにスズミさん、ミレニアムのユウカさん、ゲヘナのチナツさん、だったか。今回は彼女らのおかげで事なきを得たが、下手すると初日から私が出張る羽目になって全てがおじゃんになっていた可能性すらあった。……よもやシャーレまで侵入されて、ギリギリまで干渉するかどうかを悩んだのはご愛嬌。

 

そこからは怒涛の展開が続いた。まずはシャーレの襲撃を辛くも退け、シャーレ本社の説明、シッテムの箱やクラフトチェンバー等のオーパーツの引き継ぎ、滞っていただろう業務の整理……流石にそれまで部外者だった先生に行政関係の書類は渡されなかったが、それでも結構な量だった……を粛々と熟し、それだけでも彼には手一杯だろうに、寝る間も惜しんで問題を解決する。

 

最初が肝心、というのはよく言ったもので、気付けばヴァルキューレの亜種のような立場だったはずの捜査機関は、彼の手によりいつの間にか雑務を処理する何でも屋みたいな扱いになっていた。

 

『……ええ。シャーレには、いつも感謝しています』

 

これは事実上私の後任を務めているリンちゃんこと七神リンの台詞。だいぶ皮肉が込もっているのは、彼女もまた私と同様に、シャーレのことを治安維持組織の一種だと認識していたからだろう。

 

けれどその実態は何でも屋で、加えて彼自身の気質から部員は“表”に拠った生徒が大半を占めている。ただ厄介なことに頼りになるのは間違いなく、しかし保有する権力から普段使いもし難い。

私と替わったことで裏の……いわゆるキヴォトスの闇に現在進行形で触れているリンちゃんには悪いとは思っているが、上手いこといいポジションで潜り込んだなぁ、というのが総評である。

 

でも、まあ。それも時間の問題ではあった。ゲマトリア──かつてキヴォトスに存在したという、『神を再現する』ための研究機関、それを支援していた組織の残骸。キヴォトス最大の禁忌たる“神秘”を暴こうとする探究者でもあり、この都市に巣食う腫瘍でもある。

 

私は彼らを知っていた。故にこそ、最初は“先生”を名乗る大人に警戒していた。彼ら然りカイザー然り、私にとっての『大人』とは、どこまでも狡猾に老獪に利潤を貪る獣でしかなく、そんな彼らが“先生”に接触しないというのは単に希望的観測だった。とはいえ接触というよりかは触発とか遭遇、あるいは対立に近い状態ではあったのだが、何にせよこの街で暮らすとなると、それら組織との接触は避けては通れないものだったのだろう。

 

 

「や、また会ったね」

「……おや。クク、いえ、そちらもお元気そうで何よりです」

 

(ええ……?)

 

 

──だからこそ、“先生”の態度には驚いた。アビドスの問題は半ば解決したとはいえ、間違いなく一触即発の雰囲気を醸し出していた彼らが、こうして気安く語り合う現状に。

 

大人は必要とあらば嫌いな相手とも笑顔で握手できる──どこかで聞いた言葉。でも、こと“先生”に限ってはおそらく困ったことに素でやっている。以前、本人に聞いた時は「それはそれ、これはこれ」と言っていた。どう考えてもそんな言葉で流していい状況ではなかったと思うのだけど。

 

「久しぶりだな、シャーレの先生」

「お、先生じゃーん! どう、これからアタシらと遊ばない?」

「先生、少々お時間宜しいですか?」

「ん、先生。私ともあっち向いてホイをやるべき」

 

それ以外にも、老若男女、素行の善し悪しを問わず、とにかく一歩外に出ると誰か彼かから話しかけられる。立場や功績、そういった要素だけでは説明ができない、理屈ではない独特の空気。まさに人徳としか表現できない何かが彼にはあるのだろう。

 

あるいは、これが本来の意味での“大人”というものなのだろうか。そう考えれば、確かに利害関係さえ一致すればカイザー辺りは特に手を組むのも難しくないように思う。それでも利害関係抜きに彼ら彼女らと交友を深められるのは、超能力か何かの存在を疑ってしまう。

 

そういえば最近、そういったマジモノの超能力者がキヴォトスに訪れた話を彼から聞いた。それ自体も驚きだが、本当ならば惜しいことをした。なんでもその来訪者の話だと、その超能力とやらは人工的に生み出されたモノであるらしい。もしも私にもその力があれば、あの時殺されずに済んだのだろうか? 

 

──いや、それを言い出したら。今の私の現状がまさに、その超能力に勝るとも劣らない不可思議に依るモノなのだけれど。

 

 

「………」

 

 

そっと、()()()()()()()()()()()()

 

ちょうど中指がすっぽり納まるくらいの深い穴。隠すまでもない、あの時に穿たれた傷跡。綺麗に心臓を貫いたはずの銃創は、しかし既に痛みはおろか、出血すらどういうわけか存在しない。

 

多分、傷自体は一般的なライフル銃によるものだろう。勿論、それだけで曲がりなりにもキヴォトスの住民である私の身体を貫通なんて出来ないと思うので、以前彼から聞いた『ヘイローを破壊する爆弾』のように、弾の方に何かしらの仕掛けがあったと見るべきだろうか。とはいえ、銃弾を回収できる状況でもなかったし、それは最早私には知り得ないことだ。

 

傷は深刻だった。何せ銃弾が心臓を貫いて背中まで貫通したのだ。如何に我々の身体が頑丈とはいえ、羽や尻尾、角などの付属品を除けば、身体の構造は人間とそう変わらない。腹も空けば眠くもなる。当然、血液や体温の喪失は生命の維持にも関わってくる。

 

意識が朦朧とし始めた段階で相当にヤバい状態だったと後で聞いた。そのまま眠ってしまえば二度と戻って来れなかっただろうことも。私の認識ではそれほどではなかった気もするのだが、曰く彼の視点では、制服はおろか電車の対面の椅子近くまで床が赤く染まっていて、会話が成立するのが不思議な状態だったらしい。

 

美しい思い出は相応に補正されると聞く。ならば私にも、随分と血腥いいじらしさもあったものだ。ロマンスとは無縁の生活を送ってきたのに、今更思い出したかのように乙女を気取るとは何とも馬鹿馬鹿しい。

 

それでも、最初はやはり会話も支離滅裂だったそうだ。先にも述べた通り、我々の肉体はそこらの銃火器程度では打撲すらしないレベルで頑丈だ。それは即ち、『死』の概念から遠いという意味でもある。また、学園都市という特異性からこの街は年配層が極端に少ない。故に、たまに不良が囀る『殺すぞ』といった脅し(ハッタリ)でも無く──本当の意味での『死』に触れる機会は、()()()()()がない限りは皆無と言っていいだろう。

 

それは、例えば。そう──()()()()()()()()、だったり。

 

「先生……」

 

吊り橋効果の一種なのか、失われていく体温に反比例するように、私の心は深く重く鼓動を刻んでいた。会話を──否、愚痴を聞いてくれた人、ただそれだけなのに、それだけのはずだったのに、()()()()()()()()()()と思うと、ひたすらにどうしようもなくて。

 

心臓から、心から熱い何かが零れ落ちていく。床を伝ってそれが彼の足先まで届く。けれどそれでは意味はない。その液体に意思を伝える力は無い。

 

それで私は満足なのか。そんなはずなどあるものか。誰だって、好き好んで破滅の道など選ぶはずもない。そうなる可能性は憂慮していた。けれどなりたいと願うはずもなかった。どうしてどうしてどうして。悔やむ度に余分に溢れ出る液体。足掻く度に余計に痛む傷痕。

 

vanitas vanitatum ──いつか誰かが告げた言葉。つい最近聞いた気もするし、遠い昔のような気もする。どうでも良かった。ただ、その言葉通りに、そのまま無意味に消えることだけは嫌だった。

 

どろどろと、身体から大切な何かがこぼれ落ちていく。私が削れていく。想いが削れていく。私には既に、それを止める術はない。

 

そんな私に、もしも出来る事があるとするなら、それはきっと願うことだけ。見苦しく、みっともなく。今更に。意味も無く。都合良く。身勝手に。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

どうにもならない世界を誰よりも知っていて、それでも私は『私だけは』と厚顔にも祈る。何という最低な人間だ。皆のために、誰かのためにと格好付けて、結局最後には自分のことばかり。

 

“彼”は不幸な人間だ。意気揚々と新天地に来て早々に、こんな最低な女に関わってしまったのだから。けれど残念なことに、彼にとっての不幸はそれだけでなく──

 

 

「──………あ、あれ? 生きてる……死んでる?」

 

 

キヴォトスという街は、私如きが想像にも及ばないほど、理解不能な現象に溢れている。それはおそらく、彼にとっての不幸なのだろう。

 

 

 

 

☆☆☆

 

 

 

 

「──そろそろ、シャーレも一周年ですね」

「そうだね。最初こそ大変だったけど、今となっては全部良い思い出だよ」

 

広々とブルーシートが敷かれた屋上で、夜空を背景にシッテムの箱に収められた写真を見返しながら彼は告げる。とあるイベント好きな生徒から善意で提案されたシャーレ一周年記念パーティ。私は例の如くシッテムの箱越しにしか参加出来ないけれど、こうして写真を見返しているだけで、彼の“先生”としての軌跡が知れて誇らしくなる。

 

しかし改めて、本当に──本当に色々なことがあった一年だった。私が連邦生徒会長になってから起きた一年のイベントを5倍にして圧縮したような、めんつゆもびっくりの濃すぎる一年間だった。

 

「こうして見ると、最初から皆にはお世話になりっぱなしだね。問題を抱え込む割に書類仕事は相変わらずだし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………そうですね」

 

彼は気付けない。その発言の可笑しさに。誰も気付かない。この状況の異常性に。

 

初めてコレに違和感を覚えたのは、彼がキヴォトスに赴任しておよそ半年が過ぎた年の瀬。その日は今年一番の冷え込みだということで、中でも特別に冷え込むレッドウィンターにある227号特別クラスの様子を見にいくことになった時のことである。

 

『ううう……あれもこれも全部チェリノ会長のせいです! 来年こそは学園に返り咲いて……いえ! あのがきんちょを会長の座から引き摺り下ろして、アイツのプリンを目の前で貪り食ってやります!』

 

例の如く、たまたまそこにあったジュースが発酵でもしていたのか、随分と出来上がった様子の天見ノドカさんはそう宣言した。別にこの発言自体はおかしくも何ともない。言葉の綾……とも違う、単純に一瞬訝しんだこちらの解釈が変なだけで、来年……つまりは1月乃至は2月3月中にはどうにかする、という意味での発言であって、まさか()()()()()という意味では当然無いだろうと。

 

他にもユウカさんが来年こそリオ会長に戻ってきてほしい旨の発言をしたり、ナギサさんが次の晄輪大祭では意地でも自分が選手宣誓をすると憤っていたり、後輩を育成する云々と愚痴りながらしれっと来年度にもヒナさんが委員長として君臨していたり──状況が状況故に、断片的な情報しか手に入れられない私であるが、流石に時が経てば否応無しに現状の違和感に気付く。というか、分からないはずがない。

 

隣に寝転んで、なるべく多人数が写っている写真を吟味する“彼”の姿をじっと見つめる。きっかけこそ吊り橋効果のようなものだったとしても、キヴォトスにおける彼の活躍は手放しに喜べる素晴らしいもので、あの日こぼれ落ちたはずの熱は未だ冷めることはない。

 

手を繋ぐのに一ヶ月。

キスに至るまで二ヶ月。

恋人へ漕ぎ着けるまで半年。

肉体関係は──今の私の身体では少し怖いけれど、いずれはそうなりたいと願っている。

 

彼を見る。私なんかに見初められた、私の業に巻き込んでしまったこの世で一番不幸な男性の誇らしい姿を見て私は微笑う。

 

「来年もよろしくお願いしますね、先生」

 

どこまでも身勝手なその願いは、しかし彼に届くことはなく、この街を象徴するような暗い昏い夜の帷へと溶けて消えていった。






副題「連邦生徒会長とサザエさん時空」

これにてこの作品は完結です。

実は最終回の構想だけ最初から出来ていて、他にもチェリノで認識改変ネタとかミユでマジカルオナホネタとかを中途半端に書いていたのですが、リアルがちょっと立て込んでるためとりあえず完結させることにしました。

次回はこんなオリキャラではない本物の連邦生徒会長が実装されたら番外編という形で出したいと思います。それではお目汚し失礼しました。
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