グレディア暦二千十五年二月十日、午前十一時二十五分。世界中の大地や海が、突然大規模かつ不規則な隆起活動を起こし、巨大な穴や壁を作り出した。
『ウォールオブデス』
それが後に名づけられたこの現象の名前である。
ある場所に突如地面に現れた穴は、それまでそこで生活していた人々をいとも簡単にその穴へと飲み込んだ。五穀豊穣の大地は破壊され、火山帯ではマグマが吹き溢れ、近隣一体を溶岩で包みこむ。海は荒れ、巨大な波が大陸や島々を一瞬で飲み込んだ。空は暗く淀み、冷たい雨を凶器に変えて大量に大地へと降り注ぐ――ウォールオブデスは実に七日間も続き、ヒトを含めた世界の三分の一の生物は命を落としたとも言われている。
その怪現象により人々の生活はその日を境に一変した。そしてそれと同時に、この現象を唯一事前に予言していた宗教集団「ミリア会」なるものが、世界に台頭するようになる。「プロメテウス信仰」という独自の信仰を推す彼らは、世界情勢が不安定な最中の人々の心をものの見事に掌握、あっという間に勢力を広げ各国々の王族までもをその傘下に置いてしまった。いわば世界は、今や謎の新興宗教団体により支配されようとしていた。
――そんな中。とある噂が世界中のあちこちで囁かれ始めた。
『ウォールオブデス』で命を失った人々は多かったが、「大地に現れた巨大な穴に飲み込まれた者」に関しては、実は生きているというのだ。それも、「この世の果てにある扉」とやらの向こう側で。
一体誰が最初にそれを広めたのか。誰かがその「扉」を見たのか。それとも、「生きていて欲しい」という願望が、そのような幻想を生み出したのか。
しかし所詮、噂は噂。誰もがそう考えていた。しかし一人の青年だけは――根拠もないその噂を信じ、「この世の果てにある扉」というものへ向かう事を決めたのである。
たった一人の妹を、あの「大地に現れた巨大な穴」に飲み込まれた、青年。絶望に暮れていた日々を打ち破るその噂は、青年のたった一つの生きる希望となった。
そして――それから数か月後。青年は、本当に「この世の果てにある扉」へと辿り着く。
「この世の果ての地」と言われる場所に建てられた、大聖堂。巨大な円形の土地に、独特な星型の建屋を携えるその大聖堂は、聖堂=聖なるイメージというものを根底から覆す、闇よりも深い黒色で明らかな異彩を放っている。その中では、ミリア会の信者たちによるプロメテウス教独特の讃美歌が響き渡っていた。低く、うねるような低音で奏でられるその独特のメロディと詩は、讃美歌だというのに耳にする者の精気を奪うかのような妙な力さえ感じる。そう、讃美歌と言えば聞こえは良いが、実際のところそれはもはや「呪歌」である。
青年は満を持してその大聖堂の最奥部にある扉の前に立った。そして胸を躍らせながらその扉を開けようとするも――
『キーコード、エラー』
無情にも、扉は青年を受け入れてはくれない。それもそのはず、扉には白いキーパネルが設置されており、どうやら正しいキーコードを入力しないと扉が開かないようになっていたのである。
青年は焦った。キーコードなんて心当たりがないし、それに早くしないと邪魔が入ってしまうかもしれない。焦る青年は何度か適当なコードを入れてみるも、それらはことごとく弾かれる。そんなことを続けている内に、急にキーパネルの色が白から赤へと変化した。
お、まさか開いたとか! 俺って実はこういうコード解読の才能があるかも!
――青年は一瞬表情を明るくするも、次にキーパネルから聞こえてきた音声に今度は表情を強張らせた。
『セブンスコード、入力エラー確定です。転送開始します』
音声は抑揚のない調子でそう青年に告げると、急激に光を発し青年の身体を包み込む。
「ちょっ……え? 転送!? 何だよそれ!」
少なくとも青年が知っている「転送」という言葉は、「この場からどこか別の場所へと移動する、強制的に送られる」という意味だったはず。ということはつまり――!?
今起こっていることが理解できない青年は慌てて光から逃れようとするが、光はまるで蔦のように青年の身体を捕らえている。そしてそのまま――光の消滅と共に、青年の身体もその場から消し去ってしまった。
『――転送完了。キーパネル、リセットします』
誰も居なくなった扉の前で、抑揚のない音声が静かに流れる。そして扉はまたそこでひっそりと、それを開けようとする者が訪れるのを待つのであった。
それを挑もうとする者は覚悟せよ。永遠なる時の流れを覚悟せよ。すべては七つの御心のみぞ知る
――青年が居なくなった大聖堂内に、そのような歌詞を伴った歌が流れ始めた。
あと少し早くこれを聞いていたら青年の運命は変わっていたのかもしれない。しかし時すでに、遅し。青年は光と共に「とある場所」へと飛ばされた後。そしてそこからまた、青年の運命は大きく変わっていくのである――