「ウォールオブデスは、今から半年前に起こった大規模な地殻変異というか、天災だ」
キースは先ほどまでの明るい口調一転、一つ一つの言葉をかみ締めるように、ゆっくりと詩織に語り掛ける。
「俺とマリアが住んでいたローレンの村も、突然現れた穴の中に飲み込まれてしまった。そしてウォールオブデスが収まった後も、村が元に戻ることはなかった」
「ねえ、どうしてあなたは助かったの?」
そこまで聞いた時点で、詩織はキースに尋ねる。
彼の妹や村の皆が穴に飲み込まれたというのに、何故彼だけ無事だったのか。それに対し、キースは素直に答えた。
「俺はその日、用事で村から少し離れた街に出ていたんだ。俺がいた街も建物が崩壊したり地面が割れたり、大騒ぎだった。それでもマリアや皆が心配で、何とかローレンの村まで戻った。そしたらそこにはもう……何もなかった」
「そう……」
「俺が住んでいた家も、いつも狩りをしていた森も、仲良くしていた友達も、世話になったおじさんおばさんも……何もかも、無くなっていた。まるでローレンの村なんて無かったとでも言われているみたいに……。俺は、大きな穴の中に向かって皆の名前を叫んだ。そしてその中へ織りようとした時に、また大きな地震が起こってさ、その穴が閉じてしまった……もう、みんなを助けるすべも無くなってしまったんだ」
キースはそう言って少し遠い目をしていた。半年前の記憶が鮮明に蘇ってきたのかもしれない。
――どんな気持ちだったのだろう。ある日突然、生まれ育った村も、家族も、そして友人も何もかもを失ってしまうのは。
その日の朝、村を出るまでは「当り前」のように存在していた幸せな日常。それが、よくわからない現象により一瞬で消え失せてしまう。それも、それまでの存在すら否定するように、あとかたも無くなくなってしまうなんて。この世界にまだ何の思い入れもない詩織でさえも、キースの話を聞くだけで胸が少し締め付けられる思いだった。当人にしてみれば、計り知れない思いだろう。
詩織のいた世界でも、大規模な自然災害などで一瞬で何万人も命を落とすこともある。詩織自身はまだそういう経験はないが、「そこにあって当然のもの」を一瞬で失ってしまうというその気持ちは、きっとそんな詩織には理解しきれない部分もあるはずだ。
「……その、何て言っていいかわからないけれど」
それでも何とか言葉を見つけようとして、詩織はキースに声をかけようとする。でも経験も知識も足りない詩織に、適切な言葉など見つかるはずがなかった。すると、
「ああ、別に同情して欲しいわけじゃないから。だから、無理に何も言わなくていい」
そんな詩織の心中を察したのか、キースがわざと笑顔を見せて詩織を制する。そして、
「……とまあ、そういう出来事があって、さすがの俺もしばらくは落ち込んでいたし、何もする気が起きなかった。ただただ、生きている。そんな感じだったかな」
「そう……」
「でも、それからちょっとして……俺は妙な噂を耳にした」
「噂?」
「ああ」
キースはそう言って、詩織を小さく手招きする。どうやら、耳を貸せ、とでも言いたいようだ。
それまでテーブルを挟んで普通に話していたのに、何故今更? 詩織が不思議に思いながらも、少しテーブル越しにキースへ顔を近づける。すると、
「ウォールオブデスの際に姿を消した者の内、大地の穴に飲み込まれた者に関しては、ある場所で生きているっていうんだ」
「! 本当に!? それって、ローレンの村の人たちの事!? それじゃ、もしかしてローレンの人たちは……」
「……あくまで噂だけどな。俺もその時は偶然、しかも街ですれ違いざまに聞いただけだったから良くわからないけれど、でもそれ以降も何回も、その噂は聞いたんだ。だから……根拠もなかったけど、俺はそのある場所とやらに行ってみようと思って、ローレンから旅立ったんだ」
「根拠もないのに?」
「ああ。それに、他にすることもなかったし……最後の希望に縋ってみようと思ったのさ」
キースは、迷う様子もなくさらりとそう答えた。
ウォールオブデスとやらのせいで世界自体が混乱していたのもあるとは思うけれど、やっぱりこちらの世界は、事情自体が、元の世界とだいぶ違うみたいだ。裁判所やレストラン、教会のようなものはあるものの、子供たちは学校へ通わなければならない、という文化は存在しないのかもしれないし、街から離れた村なんて特に、狩りや田畑を耕して生活するのが主流。それで全てが事足りるのであれば、その環境が無くなったら、確かに何もすることがない、というのは頷ける。
だからこそ、根拠も何もない噂に賭けてみようというのも、何となくわかる気がする。詩織がそんなことを考えていると、キースが再び語りだした。
「……とまあ、そういうわけでローレンを出発した俺は、何とかその場所にたどりついた」
「展開、早! で、会えたの!?」
「それが……」
キースはそこまで言うと、何故か大きなため息をついた。そして、
「そこの場所には扉があって、それを開ければ皆に会えるはずだったんだ。で、扉を開けようとしたんだけど、開け方にその、失敗しちまって……」
「開け方? 失敗って何? え、ちょっと待って。扉を開けるのに失敗するなんてあるの?」
――詩織の認識だと、だいたいの扉は押すか引くか。それだけだ。それを失敗って。一体どんな開け方をしようとしたんだろう。田舎の村には扉もないの? ――詩織が若干失礼なことを考えていると、
「扉にはキーパネルが設定されていたんだ。そこに何かのキーワードを入力しないといけないらしいんだけど、それが分からなくて。何回か失敗したら急に身体が光に包まれて、俺は……『転送』されちまった」
「転、送……?」
「そう、転送だ。それで俺は……なんと旅立った日、つまり俺がローレンから旅立った日に『転送』されちまったんだよ」
キースはそう言って、再びため息をつく。
「それって! それって、転送っていうか、もしかして時間を戻されたってこと!?」
なんと! 魔法の次はタイムリープ!?
しかも、マシンを使わずに生身の人間が時間を戻されるなんて、不謹慎だけどすごい! 火の魔法を使うより全然実用的じゃない! ――キースの言葉に、詩織は思わず声のボリュームを上げてしまう。そして慌てて口を押さえるも、
「時間を逆行するなんて、どういうことなの!? あ、もしかしてキースがさっき『二度目の旅』っていったのは……」
「ああ。だから今の俺は、『転送』された後、もう一度旅に出た俺なんだ。二度目の俺――言葉の響きはいいけど、二度目の旅をする羽目になった俺にしてみれば散々だぜ。なんせ、転送されても記憶は残ってたからな。一度目の旅の」
「そうだったの……何か、ややこしいわね」
転送やらタイムリープやらって、なんだか元いた世界の子供用アニメみたい。あれは未来の話だったけれど、異世界の村人Aにも起こり得ることなのねえ。詩織はそんなことを思いながら、キースの顔を見つめる。当のキースは、意外に平然とその話をしているように見えるので、もう色々と悟りを開いているのか、ただ単に深いことを考えないタイプなのか。恐らく後者だろうと詩織は勝手に思い込む。するとそんなキースは、再び詩織に話し始めた。
「……それでな? 転送されて元の場所に戻された俺だったけど、わけわかんないし、それくらいじゃ諦めきれないから、もう一回旅立つことにしたんだ。それで、一回目とは別の道を行けば『セブンスコード』とやらの何か手掛かりがつかめると思って歩いていたら……俺、足を滑らせて道沿いにあった湖に落ちちまって。それが、その湖が意外に深くてな……危うく死にそうになったんだ」
「うわあ……」
「しかも俺、泳げなくて」
「うわあ……」
「狩人に水泳は必要ないだろ」
「そりゃそうだけど……でも、よく助かったわね」
詩織がそう声をかけると、そこで何故かキースが少し興奮したような口調になった。
「そう、それなんだよ!」
「え、どれよ」
「だから、その泳げない俺がどうして助かったのか、ということに、あんたがさっき口にした『赤の魔法使い』が関係して来るんだ」
「え?」
「ただ、あの時の俺に関係してきたのは、赤じゃなくて青。『青の魔法使い』の話になるんだけどさ」
「赤じゃなくて、青?」
あれ、何か魔法使いの種類が増えているんですが。しかも色も違う。
詩織が首をかしげると、キースはそこでふっと身体を元の場所に戻し詩織から離れた。
そして……何故か急に、自分の左腕をまくって詩織に見せる。
キースの腕は、狩人をしていたというだけあって、筋肉が良く引き締まった腕だった。ただ、だからといってどうという事でもない。この状況で筋肉自慢をされても、と詩織が思っていると、
「腕がどうしたのよ。えーと、そういう趣向?」
「んなわけねえだろ」
キースは間髪入れずに否定しつつ、先ほど詩織の腕にも充てた例の「読み取り機」とやらを取り出し、自分の腕に充てた。そして本体のスイッチを押すと――
「え!?」
詩織は思わず声を上げた。その声に周りの客が反応するが、慌てて取り繕って再び機械へと目を落とす。そこには、
AQUASTM
詩織とは違う内容であったが、あの時同様、パネルに文字が表示されていた。そして程なくするとその文字は、十四桁の数字へと姿を変えたのである。