必死の詩織に、突如異変が起こった。
扉を開けようとしてドアノブに触れていた詩織の手が、急に熱を発し始めたのだ。
煙こそ出さないが、明らかに熱を放つ掌。その手は、頑なに閉じているその扉の鍵、いやドアノブ自体を――そう、まるで熔かして破壊するかのような。そんな感覚さえも覚える。
「な、何……?」
詩織は、驚いてドアノブから離す。
やだ、あまりにも必死過ぎて手が熱くなっちゃった? でも、そういうレベルじゃないような。
そんなことを思いながら詩織は自分が触れていた部分へと目を落とすと、なんとそれまで触れていたその部分が黒く変色していた。
詩織は、不思議に思いながらも黒く変色したドアノブを指で突っつく。するとあれだけガチャガチャと回しても変化がなかったドアノブが、ボロッと床にもげ落ちた。そのおかげで、部屋の鍵が外れて扉が開く。どうやら黒かったのは汚れではなく焦げ。先ほど手から発せられた熱で、ドアノブが焼け落ちた様である。
手から発せられた熱で、ドアノブが焼ける? そんなことある?
そうよそうよ。本で読んだことがあるアレじゃあるまいし。
――アレ、というのはいわゆる「人体発火現象」のこと。いささか信じられない詩織だけれど、実際に床に熔け落ちたドアノブを目にすると、何とも言えない。
妙な声に導かれてこちらの世界に来たことで、何か特殊なことが詩織の身体に起こっているのだろうか? それとも、別世界にやってきたついでに、魔法でも使えるようになった?
いや、でも元々魔法使いならともかく、詩織はごく普通の高校生。だいたい、魔法って。そんなことってある? それだったら、魔法使いより何より、贅沢は言わないからせめて普通の場所に降り立ちたかった!
「ああ、もう何なのよ!」
一体自分に何が起きているのか。詩織の頭の中はいよいよ混乱を極めていた。でも、今はそれをゆっくり考えている暇はない。
――迫る追っ手。捕まれば斬首。そして目の前には鍵の開いた部屋。
この選択肢だったら、とりあえず部屋の中に飛び込むのが正解だろう。詩織は熔け落ちたドアノブを部屋の入口横に隠すと、まず部屋の中に飛び込んだ。
部屋の中には、シルバーの磨かれたシンクと調理台が置かれていた。それ以外は、大型の食材保冷庫に調理器具が置かれた棚と、食器棚、そして滑車の要領で作られたらしき、作った料理を下の階に届ける為の大型リフトのようなものだけだった。部屋に窓は二つ。この部屋の奥には、どこかに続く扉などはない。どうやら、この裁判所の食堂用厨房らしい。
詩織は迷わず、窓辺へと駆け寄った。しかしこの部屋、地上三階に位置しているようで、当然ながらそこから飛び降りられるわけではなかった。
そうだ! 何か魔法っぽいものも使えそうだし、もしかしたら空ぐらい飛べるかも! 一瞬詩織はそんなことを思って窓から片足を出してみるも、どう考えても自分の身体が浮いているという感覚がない。ということは、ここから飛び出してもただ怪我をして捕まるだけ。はい、選択肢から消えた。
ではどこか身を隠せる場所――そう考えて設置されている大型の食材保冷庫を開けるも、中には食材と、大きいブロック状の氷が所狭しと入っていた。電気がない文化なら、食材を冷やすのには大量の氷が必要になる。そのせいもあり中に隠れられる場所もなさそうだ。
つまりは袋の鼠――詩織がいよいよ焦っていると、部屋の外には、詩織を追ってきた警官たちの足音がバタバタと聞こえ始めていた。本当に捕まるのは時間の問題かもしれない。
ああ、万事休すか! 逃げることも隠れることも、もう出来なさそうだ。詩織はその場にへたり込んだ。そして、涙ぐみながら何気なく――すぐ傍にあった「何か」に手を触れた。
一体何に触ったのだろう。詩織はそれに何気なく目をやる。
「……これ……」
しかし、その何気なく目をやった「何か」は、詩織の運命を再び切り開く「幸せの小道具」だったのである。