紅焔のスカーレット   作:一ノ瀬水織

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『どうですか? 新しい道は』

 

 女性の声は、あの火災のビルで聞こえてきたのと同様、清らかで透き通った声をしていた。

 しかしこんな状況に陥っている詩織にしてみれば、そんな声、癪に障る以外何ものでもない。

 だいたい今だって、変態青年に追いかけられて、それから逃げるためにこうして隠れている。

 最終的には詩織自身であの扉を開けて、「新しい道」を選ぶ選択をしたとは言え、こちらに来てから今までの事を考えると、女性に対し怒るな、という方が無理な話だ。

 

「ちょっと、一体どういうつもりなのよ! 何で私がこんな目に……ていうか、何でいきなり犯罪者なのよ! これじゃあんまりじゃない!」

 

 詩織はあたりを見回しながら叫んだ。不思議なことに、あの時と同様、女性の姿は見えない。でも、声が聞こえる以上は、見えなくても傍にはいるはずだ。もうそうなると、見えようが見えまいが関係ない。とりあえず叫んだ詩織だったが、そんな詩織に対し、声はあくまで冷静に答える。

 

『それでも命は助かり、貴女はここにいる』

「それはそうだけれど……!」

『あなたの【生きたい】という気持ちを強く感じた私は、貴女を試してみようと思ったのです』

「試す?」

『そうです。だから私は、本来ならあの場所にいたはずの罪人を消滅させ……人々の記憶を摩り替えたのです。罪人イコール貴女だと。そうすることで貴女はこの世界に自然に溶け込み、一瞬でこの世界の者となった』

 

 は?

 本来いた人を、消滅? 人々の記憶をすり替える?

 一体この女性、何を言っているの?

 ――いやそもそも、どうしてそんなことが出来るの?

 女性が冷静な声で語る内容は、その冷静さとは相反した、かなり物騒なものだった。

 

 そりゃあ、別の世界に続く扉を詩織に与えるくらいだから、この声の主が普通の人間じゃないことぐらいはわかる。けれど、誰かの「存在」自体を簡単に消してしまえるような能力を持つ存在って、一体何!?

 

「ねえ、ちょっと待って。それ、どういうことなの? 私にも分かるように説明して!」

 詩織は、姿の見えぬ女性に必死で語り掛ける。けれど、

 

『……生きたいと思うものには力を。逆に生きることを完全に諦めたものは消滅を。それが私の役目の一つ……』

「役目?」

『そう、役目です』

 

 声はそう言って一旦途切れた。しかしすぐに、

 

『本来あの場にいたはずの罪人の女は、自らが何故それを行おうとしたのかを説明し、彼らと戦うことを諦めてしまった。つまり生きることを放棄したのです。私はその【気】を感じ取り、願いを叶えることにした。それだけです』

「叶えるって……そんな、誰かの命を、そんな簡単に……!」

『その代わりに、【生きることを望んだ】貴女に、死を望んだ彼女の空いた場所を与えた。今のあなたは、その場所にいるのです。何の問題もありません』

「も、問題大ありじゃない! そんな風に手に入れた居場所なんて、私……!」

『……では、元の持ち主に返しますか? その場所を。そうなれば、貴女は強制的に元の世界の、あの炎の中に戻ります。ええ、ものの数秒で貴女の希望は叶う』

「そ、それは……うーん、最初は願ってたけど、今となってはねえ。それにものの数秒って、そんな死ぬことを簡単にまとめられても」

『……ならば、問題はありません』

 

 声は穏やかに詩織に語り掛けるが、その内容はどう考えても穏やかではないものだった。

 

 生きることを放棄した人間は消滅させて、逆に望んだ人間に、その「空いた場所」を与える。

 ――よく考えるとそれって「あるもの」に似ている気がする。不気味に思った詩織は、思わず感じていたことを口にしてしまう。

 

「……あなた、もしかして死神?」

 ただ口にした瞬間、すぐに思い直して手で口を押えた。

 ついつい思ったことを口に出してしまったけれど、この声の主が本当に死神だったとしたら、自分は死神にたてついていることになる。

 生と死を司る神。そんな相手に、なんて自分は大それた発言を――! 急激に恐怖が沸き上がり、詩織の胸も早鐘のように鳴りだした。しかしそんな詩織の内面を察知したのか、女性が再び詩織に語り掛けてきた。

 

『いいえ、確かに死神は生と死、再生を司る神ですが、私とは別です。まあ私も似たようなものかもしれませんが』

 

 声の主は、はっきりとした声で詩織にそう告げる。

 

 人を消滅することが出来るのに、死神ではない――なんとも不思議な存在だ。詩織は少し安堵するも、再び考える。

 では一体、この声の主は何なのだろう。死神ではないけれど、死神と「似たようなもの」――更に深まる謎に詩織が再度質問しようとするも、先に声の主が、詩織に尋ねてきた。

 

『ところで……もう一度聞きますが、もう貴女が死を選ぶことはありませんか?』

「そ、そりゃあ……! ここまできたら、何としてでも生き延びたいって思うわよ! 斬首刑になったり、それに変態青年に捕まって酷い目に合わされるのもごめんだわ!」

『変態……? 変態とはどういう意味ですか?』

「そ、それは……」

 

 死神だの、それに似たようなものだと言っているこの美しい声を持つ女性に、「変態」という言葉の意味を説明するのが何となく気が引けた詩織は、思わず黙り込む。

 

『それでは、このままこちらの世界で新しい道を歩む、ということですね』

「……ええ、まあそういう事ね」

『わかりました。では、改めて貴女がこちらの世界で生きていくために、私から貴女に贈り物をしましょう』

「贈り物……?」

『ええ。貴女が今後、この世界で生活するのに困らないような能力を。それから、罪人の女がしてきた数々の悪事を、人々の記憶から消すお手伝いを』

「ほんとに!? じゃあ私、もう逃げなくていいのね!?」

 

 放火犯に脱走囚、そして指名手配犯になると怯えなくてもいいのね!? ――詩織が女性に尋ねると、女性は『はい、そうです』と答えた。

 

『あとは、あなたが身を守るための武器も与えましょう。ただし武器については、貴女が心からそれを必要とした時に、貴女の手に現れるようにしましょう。私は武器については詳しくありませんので、それについては、あなたの想像やイメージで思い描いたものを具現化するよう設定しておきます』

「な、何だかよくわからないけれど分かったわ」

『その代り……』

 

 ところが、女性は最後に何故か、不穏な接続詞をそのまま口にする。

 

「その代り?」

 

 だいたい、「その代り」とか「ただし」とか会話の最後にくっつく場合は、大抵ろくなことがない。これまでは喜んだ詩織であったけれど、その言葉を聞いたとたんに、急激な不安にさいなまれた。そんな詩織に対し、女性はもう一度「その代り」と言った後、一息置いて再び語りだす。

 

『それらの能力や条件、武器などを貴女に与えると同時に、貴女にはある能力も一緒に引き受けて戴きます』

「なっ……何よそれ! それじゃあ、あれと一緒じゃないの! 悪魔の契約って奴!」

 そうまで言って、詩織はハッと息を飲んだ。

「あなた、もしかして死神じゃなくて悪魔なの!? 私、悪魔と契約なんて……!」

 不安が急激に増幅し耐えられなくなった詩織が女性に思わずそう叫ぶと、

 

『いいえ。私は悪魔でもありませんので、悪戯に対価を要求したり誰かと契約したりしません。貴女には、【赤の魔法使い】となって頂きたいだけです』

 女性は穏やかな口調で、詩織にそう語った。

 

「赤の……魔法使い?」

 ただの「魔法使い」じゃなくて、「赤の魔法使い」とは、何だろう。

 そもそも、私がこれから、魔法使いになるの?

 魔法を使うなんて、おとぎ話やアニメや漫画の世界だけのことだと思っていたし、その上色を指定されてもねえ――詩織は女性にそう返そうとするも、そこでハッと口を噤む。

 

 赤、という色で連想できるものの一つとして、「火」や「炎」があげられる。

 もしかして、裁判所の中で起こった、あの火や炎に纏わる出来事に、この女性が言う「赤の魔法使い」が何か関係があるんじゃ。詩織はそう思ったのだ。案の定、

 

『ここにたどり着くまでの貴女の行動、ずっと見守っていました。火に纏わる出来事があったでしょう?』

「あれは、もしかしてあなたが? あなたが私に、あんな能力を授けたの?」

『……人には適正というものがあります。それに、縁や運命も。事情がどうであれ私がこうやってこちらの世界に誰かを連れてきて、魔法のTIPを少し授けたとしても、全ての人間に魔法使いの要素があるわけでも、縁があるわけでもないのです。ですから貴女の適性を見る為に、一時的に貴女に魔法のTIPを与えたのです。その結果、貴女は方法はどうであれ、あの場から火を使いこなし逃げ出せました。そして『彼』とも出会いました。自覚はないかもしれませんが、貴女には、潜在的に火を使う能力も、そして縁がある。私はそう判断しました』

 

「彼……?」

 彼、というのはまさか。詩織が今逃れようとしている、あの変態青年の事? 詩織がいつの間にか窓の外から中を伺っていた青年の姿を見つけ見つめていると、

 

『そう、彼です。変態の彼』

「いや、ここで変態という表現を使うのはちょっと……」

『そうなのですか? ……まあそれは良いのですが、その彼です。彼と話をなさい。そうすれば、魔法使いのことも、赤の魔法ことも、彼が説明してくれるでしょう。彼にとって貴女は重要な存在。彼の二度目の旅を『正常に』終わらせるためには、居なくてはならない存在なのです』

「あの人、何か知っているのね!? それに、二度目って……。ねえ、あの人も言っていたけど、二度目って何なの?」

 

 テンションが高い上に、会って間もない女性に仲間だの、助けてくれだの迫るのでただの変態青年かと思っていたけれど、あながちそうではなさそうだ。詩織はこれまでの彼への偏見を反省する。

 それに「二度目の旅」という言葉がこの女性からも出てきたとなると、何だか彼にはそれなりの事情がありそうな気がする。そんな詩織に、女性は再び言う。

 

『……そういうわけで、貴女に与えた仮の魔法TIPも、本格的なものに変えておきましょう。それをどう使いこなすかは、貴女次第です』

「ちょ、ちょっと待ってよ! 彼と話すのはいいけれど、それだけじゃまだ納得できないわ! だいたい、あなたは誰なのよ! あなたは何なの!?」

『……貴女が彼から話を聞いて、もう少しこの世界の事を知った時、もう一度話をしましょう。その時には、私の事もお話します』

「そんなっ……」

『……それよりも。貴女はもう、この世界に生きる者になりました。あちらでの【存在】も消え、以前の世界で名乗っていた名前も捨て、この世界で新しい名前を名乗り生きていくことが出来ます。ただし、赤の魔法使いとしての使命を果たしながらですが』

「赤の、魔法使い……」

『さあ、その扉を開きなさい。そうすれば、今度こそ向こう側に新しい道がある。これからは、強い願いや希望を抱くことで、どんどん新しい道が広がるはずです。【希望】が、貴女を救うのです』

 

 女性の声は、そこで止まった。それ以降は、詩織が何度呼びかけても応答がない。

 

「……」

 急に静まり返った小屋の中で、詩織は小さなため息をつく。

 

 ――詩織をここに導いた声の主と、あの青年はどうやら知り合いの様だ。まあどっちも得体が知れない相手だということは分かったけれど、聞いた話を信じるならば、このまま青年から逃げていても仕方がないということか。それに――

 

「……」

 

 この女性が言う、赤の魔法使いとはそもそも何だろう。

 火や炎を扱う魔法使い? いや、あの女性の勿体付けた言い方を鑑みると、それだけではないような気もする。詩織が知らないことをもしもあの青年が知っているならば、とりあえずはそれを知らなければ何も始まらないということか。

 

「……よし」

 詩織は、心を決めた。そして――

 

「おい、ここを開けろ!……って、お……?」

「……話」

「え?」

「あなたの話、聞いてあげる。だから、私の質問にも答えて」

「質問?」

「赤の魔法使いって何?」

「!」

 

 ようやく扉を開けた詩織に、青年は一瞬驚いた表情をしていた。でも、「赤の魔法使い」という言葉を耳にした途端、明らかに表情が強張っている。やっぱりこの人は、何かを知っている。詩織は確信する。

 

「……あんたも、あの『声』聴いたんだな」

 青年は、不意に詩織にそう言った。詩織はゆっくりと頷く。すると、

「……話長くなるから、とりあえず一旦街に戻って飯でも食いながら話そうぜ。あ、戻ったらまずいか」

「……それは大丈夫みたい。さっき、『声』の人が言っていたから」

「そうか。ならもう逃げなくても大丈夫だな」

 詩織の質問で、何かを悟ったのだろうか。青年は詩織を早速促すと、逃げ出してきた元の街までの道を歩き出した。詩織も覚悟を決めて、青年の後についていく。

 

 ――辺りはいつの間にかオレンジブルーに空を染めて、これから長い夜を迎えようとしていた。

 元の世界と同じように、きっとこちらの世界でも「夜」というのは大地に恵みの光を与える太陽が沈み、これから新たに柔らかな月の光が大地を包む時間を迎えることなのだろう。

 

 赤月詩織も、大地が昼から夜へとその姿を変えていくのと同じよう、新たなる世界へとその行動範囲を変えて、今度こそようやく、新たな道を一歩を踏み出すことになったのである。

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