とりあえず落ち着いて話をするために、二人は先程逃げてきた街――ではなく、少し足を延ばしてその隣街まで移動した。おかげで先ほどまでは暮れかけていた空は、今は完全に藍色にその姿を染めている。藍色の上質なビロードのような空の合間には、白く瞬いた星たちが、自らの存在を主張するかのように、鮮やかに浮かんで見えた。
街灯やネオンがない世界は、空も、星も一際それらが持つ元々の色合いを際立たせている。
元の世界では比較的都会で生活していた詩織には、空も星も初めて見るものではないが、とりわけ新鮮に見えるのは仕方がないことだった。
キースとやってきた新たな街は、最初の街に比べ、広い道や大きな建物も少ない。規模的には半分くらいの、こじんまりとした印象だ。ただ特徴的なのは、恐らくこの街のメインストリートであると思われる区域の建物の壁全てに、星印と円を組み合わせたような、不思議なエンブレムが刻まれていること。暗闇の中ボウ、と遠方に浮かび上がる教会らしき建物の十字架の先にも、同じようなエンブレムが付いている。その上、街中を進んでいく詩織達と、たまにこの街の住人がすれ違うことがあるのだが、住人たちは何故か皆、例のエンブレムがあしらわれたロザリオを首から下げていた。
「星に、円……」
それらを見た時に、ふと、詩織は思うことがあった。
そう、それはこの世界で最初にたどり着いた場所でのこと。
確かあの裁判所の法廷も、星型の形をした部屋ではなかったか。それに被告人が立つスペースは、確か円形スペースだったはず。ついでに、詩織を裁こうとした五人の人間も、それらの両サイドにいた白と青のローブを着た人々も、確かそんなバッチを付けていたような気がする。
あの時は混乱していて気が付かなかったけれど、もしかして聴衆達もこの街の住人と同じように、エンブレムの付いたロザリオを身に着けていたのだろうか。となると、
「……」
この形、この世界のトレンドなのだろうか。でも、ダサ。詩織は小さく吐き捨てる。
ただキースに至っては、そんなものは身に着けていなかった。まあ見たところ、キースはおしゃれに気を遣うタイプでもなさそうだし、そもそもこの世界の流行さえ疎い可能性もあるのであまり比較対象にはならない。
それとも、この星と円はこの街特有のシンボル? ああ、でもそれだと別の街の建物にもそれらがあしらわれていることの説明がつかない。じゃあ、何?
詩織がそんなことを思っていると、前を歩いていたキースが一度だけ詩織を振り返った後、どこかの建物に入った。
入った瞬間に匂ってくる、胃袋を挑発するような食べ物の匂い。どうやらレストランらしい。
話をするにも、まずは腹ごしらえ。きっとそういう事なのだろう。
こちらの世界に来たばかりの詩織は、いくら例の女性が「この世界で生活する能力」を与えてくれているとはいえ、実感もないし、それにこちらの風習や食文化に触れたことがないので分からない。なので、注文はキースに任せることにして、席に着く。そして注文後にテーブルに置かれたコップの中の水を一気に飲み干していたところ、キースが話かけてきたのだった。
「じゃあ改めて自己紹介な。俺は、キース=ブレイン。山間にある、ローレン村出身の十八歳だ」
それに対し詩織が「私は……」と口を開いたところ、先程注文した料理がもう出てきた。
「はや!」
「そうか? こんなの普通だけど」
「……」
注文してから、ものの一、二分の料理提供に、詩織は思わずぎょっとする。
キースが言うには、注文から料理提供が早いのはこの世界では当たり前とのこと。
早いのはいい。うん、空腹だから早いのは嬉しいよ。でも、一体どういう調理方法で料理しているのだろう。まさか、厨房で何か訳の分からない生き物が口から火を吐いて「加熱!」とか、妙な魔女が得体の知れない液体を鍋でかき混ぜて「煮込み!」とか。あまつさえ、「スパイス!」とか言って奇妙な粉でも入れて完成、とかマジ勘弁なんだけど――。
「……」
たくさん走ったからお腹空いた。でも、これは口に入れていいものなのか。
そこが非常に気になる詩織だったが、悲しいかな、空腹には勝てなかった。結局「せっかくだから食べようぜ」というキースに素直に従い、詩織は料理を口にすることにする。
ちなみにキースが頼んだのは、元の世界でいう所の「ハンバーグセット」らしきもの。肉の塊が俵型に成形され、鉄板の上でこんがりと焼けていた。匂いも、ハンバーグのそれとほぼ同じ。ただ、何の肉かが分からない所が難点。付け合せはパンらしきものと、ミルクベースのように思われる白いスープだった。
一方でキースが詩織の為に注文してくれたのは、「グラタン風の食べ物」。ミルクベースの白いたねに「チーズらしきもの」がふんだんに乗せられて、こんがりと焼き色を付けていた。所々に赤や、緑の何かが見えるが、きっとこちらの世界でいう所の野菜、なのだろう。
「……へえ、私に対しては、ちゃんと女性が好きそうなメニューを頼んでくれるのね」
元の素材はともかくとして、悪気もないし失礼だとは思ったけれど、見た目「村人A」、そして地方の村出身の青年にしては気が利くと感心した詩織は、こんがり焼けている料理の表面をフォークでぷすぷすと刺しながら、詩織はキースに語り掛ける。すると、
「そういうのは、マリアに口酸っぱく言われていたからな。女性にはもっと気を遣えって。女性は肉よりチーズが好きなのよってさ」
「ああ、この表面に乗っていたのって、やっぱりチーズなんだ」
「お、お前……チーズも知らない場所で育つって、いったいどれだけの山奥、いや哀れな生活を……」
「失礼ね! ねえ、それよりマリアさんて人は、キースの恋人?」
「まさか。俺の歳の離れた妹だよ。両親が早くに死んだのもあって、今年で十三歳だけれど、すげえしっかりした子だったんだ。俺が狩りで捕ってきた獲物も見事にさばいて料理してくれたし、身の回りの世話も焼いてくれていたし。俺なんてマリアより五歳も年上なのに、いつも怒られていたよ」
キースは自分がオーダーした食べ物をもくもくと口に運びながら、詩織に答える。
「ふーん……」
この、地方の村出身の村A改め職業・狩人のキースは、両親を早く亡くして、年の離れた妹と二人暮らしをしているとのこと。
十三歳――元いた世界で言うと、中学一年生。詩織のイメージだと、去年までランドセルを背負っていた少女に毛が生えたくらいにしか思わないけれど、キースに対して女性に対するマナーを説教するくらいだから、きっと大人びた子に違いないのだろう。十八歳で狩人をしているというキースの状況も考えると、この世界には「子供は学校に通う」とか「義務教育」とかそういう概念はないのかもしれない。そう考えると、この世界の十三歳の少女というのは、実情十八歳でこの世界へやってきた詩織よりも、はるかに大人びているのかもしれない。まあ実際、詩織は料理も家庭科の授業の調理実習かバレンタインのチョコづくりくらいしか経験がないしね、と自嘲する。
ただ――この世界の年齢事情はともかくとして、今のキースの話には気になる部分があった。それは、
「ねえ、キースの妹のマリアちゃんは、十三歳なんでしょ? いくらしっかりしている子だからって、ご両親も亡くなっているということは、お家で一人なわけでしょう? キースと一緒に旅していないのは何故? それに……」
しっかりした子だった、ってどういうこと。どうして過去形なの? 詩織は率直にその部分を尋ねる。
そう、詩織とあの裁判所の厨房で出会ったときも、ここまでくる間も。彼は間違いなく一人で行動していた。ということは、彼の妹はローレンの村に今、一人でいるということになる。
ローレン村がどこにあるかはわからないけれど、この近くならまだしも、ここからだいぶ離れたところにあるというのなら、それはそれで大丈夫なのだろうか。他に家族もいないのに、妹を一人村に残して旅をしなければいけない事情がある? それとも、「だった」という過去形表現から考えると、もしかしてその妹は、もう――
「……」
詩織がそんなことを思っていると、キースはとりあえず自分の料理を平らげた。そしてその後、詩織が食べ終わるのを待ち、改めて話し出す。
「あんた、どこまで知っている?」
「どこまでって?」
「……ウォールオブデスのことは?」
「ウォール……? なにそれ」
「……この世界の者であれを知らないなんて有り得ないし、今更だけどあんた、本当に別の世界から来たんだな。あの『声』が言っていたとおりだ」
キースはそう言うと、一度大きく深呼吸をした。そしてゆっくりと、詩織に語り始めた。