“白騎士事件”の表立った報道がないまま数日経過したドイツ――ハルフォーフ家の一室で束は朝日を感じながらベッドで眠っていた。
日本政府が“白騎士”の詳細情報を束が説明した以上の事を知るはずがなく、また余計な誤解や混乱を生み出さないために確実性を持った情報以外を表出すことはなく――そこには一人で“白騎士”を製造した束の事も含まれており、未だ世界は篠ノ之束という存在を把握してはいない。
当然といえば当然の配慮だ。 未だ開発者の行方不明という現状は各国を刺激する行為であり日本政府にとって不都合でしかない問題だろう。
“白騎士事件”という恐怖に“白騎士”という可能性の結果が存在し、それを抑えるという建前で束を探し始め戦争が起きかねない。
日本政府が情報という武器を小出しにしているのではなく、あえて出さないことで世界情勢に急激な変化を起こさないよう調整しているというだけのことだ。
「……ハル様、朝食が用意出来ておりますが、本日も現状把握のために説明を求められますか?」
「さ、流石に四回目のボケはしないってば……」
そんな会話を繰り広げながら目を覚まし、今まで寝ていたベッドの淵に腰を掛ける。 一瞬誰の声だと思いながら声のする方向を見るが即座に思い出せず、少ししてからメイド服と会話内容で昨日も束を起こしに来たハルフォーフ家に住み込みで働いているメイドの一人だということを思い出す。
これほどまで見知らぬ他人の家で寝ていられるほどの神経があったかと不思議でしょうがなかったが、人間慣れてしまえば見知らぬ場所でも生きることはできるようだと再認識しておく事にした。
――慣れたものだねぇ、私も……。
リリィを助けた恩人として、また周囲に誤解されながらもリリィの口添えで篠ノ之束としてではなくハルという名を使う事によってドイツで過ごせるようにはなっているものの、未だ日本での生活リズムが抜けたわけではない。 朝食を作ろうと早起きすれば、そこには既に誰かが作った料理があり――“白騎士”等の改修や研究をしようと思うも自分が自由にできるスペースがなく暇である。
何かを手伝おうにも代々続く軍人家計であるためか裕福な生活をしており、メイドを最低限雇っているため束が手を出す場所はなく――唯一、手続きが長くなり復隊が遅れるリリィがドイツで過ごすためにと行う勉強会だけが数少ない予定として存在していた。
それ以外は外に出ることすらもリリィが慣れていない土地であろうということからハルフォーフ家から多くは出られない。 同行者がいれば外出も許可されているのだが数日前まで赤の他人である人に頼むのも申し訳なく――また束は知らないだろうがドイツは多少ではあるものの反日傾向な国で、“白騎士事件”により多少変わったかもしれないが、そんな時に外出させるのは危険だとリリィは判断し束は軽い軟禁状態を続けている。
「朝食まで時間はありますので先にシャワーを浴びて汗を流すことを進言させていただきます」
「ん、もしかして臭う?」
「いえ、そのようなことはございません……むしろ微かに良い香りがしますね。 ……ではなく、寝汗で張り付いておりますので」
言われて見れば確かに腋や関節部等が湿っている。
「今なら間に合いますので早々にシャワーを浴びるとよろしいかと」
言葉に何やら別の意味があるような気がするが、そんな束をメイドは気にした様子もなく一例して部屋から出ていった。
大分なれ始めたドイツ語だが、それでもメイドの言うとおりにシャワーを浴びに行けばいいのかと迷ってしまうも自身の口から漏れ出た欠伸によって思考を止め、軽く背伸びをしてから考え直す。
――確か……間に合うって言ったんだよね?
メイドが纏めていったカーテンが朝日を部屋に招き入れ、それほど広くない室内を照らす。
「眠気覚ましにシャワーを浴びてきても食事には間に合うっていうことなのかな? うーん、まだ少しだけ苦手かなぁ~」
とりあえず勝手に解釈するも束の記憶が正しければハルフォーフ家に纏まって食事を取る時間が存在し、その時刻は今より少し先で――それより早く食事を取るのは軍人として航空基地に向かうイージスだけだ。 そんなイージスすらも今日はリリィの用事に付き合わされるため敷地内にはいるだろう。
未だ慣れていないドイツ語に考えれば考えるほど混乱してゆく。
「ま、やることないし有り難くシャワーでも浴びるんだけど……。 それにしても静か~♪ 本当に日本とは違う夏なんだね」
日本だったら朝から蝉がうるさく鳴いていただろう。
用意された着替えは何故かYシャツとスカートスーツだったが、これは最初に束が着ていた服装がスーツだったせいなのだろうか、気にはしないのだが数日ぶりに自分で作った童話のような服が着たかった。
少しだけ残念と思いながらも束は慣れ始めた廊下を歩き脱衣所の扉を開け、持っていた着替えを棚に置くと寝巻きを脱ぎ――寝汗で肌に張り付いていた物が剥がれて大して涼しくもない空気が束の肌を撫でていく。
――ん、誰かいる?
いざシャワーを浴びようと近づけば誰かがシャワーを使っているのか独特な音が聞こえ、近くにあったタオルを手に胸元を隠すと束は静かにシャワールームの扉を開け覗く。
「……ん?」
「あ……」
脱衣所には女性用の衣類があったため中にいるのは同性だろうと覗いたのだが、よくよく考えると同じ屋根の下に女性用の衣類を着用する男性が一人だけ存在しており――目の前でシャワーを浴びていたリリィと目が合い思い出す。
最初は呆然と横目で束を見ていたリリィだが、次第に状況を理解し始めたのか顔を赤く染めて何かを言おうと何度も口を動かすも混乱しているのか言葉にならず金魚のように口を動かし続けている。 対する束は思いもよらぬ光景に思考が停止し、ただ呆然とリリィの裸体を眺め続けた。
「い、い……いやぁぁぁっ!?」
そして羞恥心が限界に達したのか建物全体に響き渡るほどの叫び声を上げながらリリィは自身の身体を隠す。 まるで同性の様な行動に自分が見ている相手が異性であることを忘れ、リリィに睨まれ我に返ると開けていたドアを急いで閉める。
――え……えっ、今のリリィちゃん!?
驚く程に今の姿がリリィであるとは理解できず思わず今閉めた扉を開き、そこにいるのがリリィであるのかと再確認してしまいそうになった。
「どうした!? スカーレッ、ト……」
背けていた顔を声のした方に向けると、どうやらリリィの叫び声を聞きつけたイージスが脱衣所の扉を勢いよく開け、タオルで隠しているとは言え束の裸体を目にする。
悲鳴を上げそうになったが堪え引きつらせた表情でイージスを見つめた。
この場合はなんと言えばいいのか悩むも、とりあえず何か言わなくてはいけないだろう。
だが、そんな束の思考とは裏腹にイージスは静かに扉を閉め謝罪すると離れていく。 その際、事情を説明し人払いをしていることから脱衣所に人が入ってくることはもうないだろう。
――それにしても、間に合うって……。
リリィがシャワールームを使用している時間に間に合う――ということなのかもしれないと思うと束を動かしたメイドに乾いた笑みしか出てこない。
「そ、そこに束……いるんだよね?」
「う、うん……」
リリィがいるとは考えもしなかったせいか未だに冷静になれず、ただ頷くだけ。 何を口にしたらいいのだろう――それよりも先に服を着て脱衣所から出たほうがいいのだろうかと束は考え視線を先ほど置いた衣服に向ける。
「……そういえばさ、束って戦闘機とかに興味ある? “白騎士”作るときに参考にしてたっぽいし」
唐突な質問に意図が読み取れず頷く。
「あ、邪魔だよね? 着替えて先に行ってるから、リリィちゃんはゆっくり……」
「今日は少し遠出するから束も準備しておいて。 あと、ココに来たってことは汗を流しに来たんでしょ。 私が出るから……」
「……ったく、朝から何をしてたんだ」
「私に聞かないでよ」
「なんか、ごめんなさい……」
あれから束がシャワーを終え朝食を取ると、一時間も経たないうちに用事のため二人はイージスが運転する車の後部座席に座り目的地へ向け移動していた。
相変わらず何か考えているかのような硬い表情で窓の外を見続けているリリィは問いかけには答えるものの、その返答は簡単でイージスは少しばかり嫌な気配を感じ――束は数日ぶりに見る大真面目なリリィの表情に、どう声をかけたらいいのか悩み続けている。
「何か喋ってよ……」
そう口にしたのは今まで問答以外で喋る気配がなかったリリィだった。
流石に車内の空気が重くなっていることに気がついたのか――かと言って何を口にしたらいいのか分からない二人は余計に悩む。
「あ、そういえば目的地は~?」
「おい、スカーレット……。 お前、ちゃんと聞いたんだよな?」
車は郊外へ出ると何もない道路を走り続ける。
「……はぁ、ちゃんと聞いたよ。 でも、どうせ連れて行くことにはなったんだから、別に言わなくても……」
「スカーレット……」
「はいはい……。 今向かってるのはMarks Horstという航空機器開発製造会社で、そこに少し用事があってね。 たば……ハルも興味があるって今朝言ってたし丁度良いから連れてきただけ」
そこ言葉で束はようやくリリィが口にした『戦闘機とかに興味ある?』という問いかけの意図を理解した。
しかし不思議と思ったのか片手を上げ問いかける。
「ねぇ、そういうのって私みたいな部外者が入ってもいいものなの?」
一般人の見学を許可しても構わないのか、ということだ。
軍事機密とも呼べる戦闘機の見学は出来ないわけでもないが、そこには一定の立ち入り禁止区域が存在し基地祭等の祭典にて退役済み、もしくは開発を中止した試験機を見ることができる。 だがリリィは航空機器開発製造会社と口にしており、話の流れからして社内に入ることは確実。
確かに束と共にいる二人は軍人で階級も上から数えたほうが早く、また空中管制指揮官と隊を率いる隊長という稀有な存在だ――疑われることもなく簡単な手続きで社内に入れてしまえてしまいそうな雰囲気はあった。
「ハルが気にすることはないよ。 もう許可もとってるし……」
「……リリィちゃん?」
相変わらずリリィは何かを考えているのか先程から浮かべている硬い表情のままで、それが不安の表れだということに束は少しずつ気がつき始めている。
――この流れも束と私が一緒に顔写真付きの指名手配……。
先程から何度もシミュレートでリリィは今後起こるだろう状況を比べ安全な選択肢を探すが、ほとんど行き着く先は“白騎士”の開発者である束に引きずられるかのようにリリィという存在の関与が浮上し、“フリーダム”という未確認機との関係性、篠ノ之家の価値が戻るという結末を生んだ。
現状、一番安全であるだろうハルフォーフ家に転がり込んでいるが“白騎士”に関与した人間と気がつかれるのも時間の問題だろう。 それに束に関わっていたということで迷惑をかけてしまうかもしれないということが一番許せない問題でもある。
「時間があるのなら俺達との関係でも話しとくのはどうだ? ハルは知識がないんだろ」
「……言っておきますが、彼女は現在私が保護している民間人であるということをお忘れないように。 大佐の発言は機密情報漏洩にあたる発言と捉えかねますが」
また会話が止まった車内にイージスは話題を撒くが、人が変わったかのような鋭い口調でリリィはそれを批判する。 名前でなく階級で呼ぶということはリリィにとって、その話はプライベートで口にするような話題ではないということだろう。
「スカーレットのコレな雰囲気がビンビンにしてるから大佐命令だ。 ゲロって軍規で縛って縛って雁字搦めの逃げられないようにしときな」
「……一体何を言ってるんですか。 どこをどのように見たら、そのような関係に見えるとでも……あと、セクハラです」
「というか規律による束縛とか黒いし思いっきり口に出すし」
溜息をつきながら弄られる対象にされた束を見ると、微かに頬を赤らめており満更でもなさそうな表情をしていた。
その向けられる好意は知ってはいるものの、本気なのか狙っているのかの境界線が曖昧でリリィは未だ理解できないでいる。
「とりあえず、そうだな……“
「あ、それは割と気になるかも」
情報漏洩ではないのだろうかと気になるところだが、話を切り出したのはリリィより上の階級であるイージスだ。 話を止めさせようにも世間話のように流れているせいか止めさせるべきか判断がつかない。
――これから先の事を考えると、ここで話題を止めるという選択は幅を潰す、ね……。
いずれ軍機を破ることが目に見えていたため、機密情報漏洩は軽いほうだと思い問題を放置することを決意――そもそも束はアメリカの企業に対しハッキングを行っている。 機密情報漏洩と言っても調べようとすれば入り込めるならイージスを止めても防止の意味はないはずだ。
仕方なしにと小さなホワイトボードを手に取り文字を書き込んでいく。
「まずは私達が所属しているのがドイツ連邦国防省連邦防衛軍における軍事機構分野……まぁ、バッサリ言えばドイツ空軍ってやつだね。 簡単な図にするとこんな感じ」
束に見せながら一番上に書かれた空軍指揮幕僚監部を指さしてから円を描くようにホワイトボードをなぞった。
「へぇ~。 あ、この矢印は? なんか書いてるあるけど……えあぼぉん?」
「……“
「……同じ部隊じゃないの?」
赤と青の矢印が別々の空軍師団にあることが不思議だったのか、首をかしげながら束はリリィに問いかける。
確かにリリィと“Flabellum”隊の人達――束が知っているのはイージスとクラウスだけだが、その仲が良いことは知っており理由として上げられるものは同じ部隊に所属しているということが真っ先に思いつく。 現に先ほどリリィは『隊に指示を出していた』と口にしており、その関係が密接なものであると窺わせていた。
しかしながらホワイトボードに書かれた“Flabellum”隊の文字は第五空軍師団にあり、リリィが乗っていた“Airborne Warning And Control System”の文字は第一空軍師団に書かれている。
「そうだねぇ……。 まずハルには“AWACS”の必要性から教えるべきかな」
「必要性?」
「そう、必要性。 ハルは何で“AWACS”なんていう軍用機があるか理解できる?」
そう言われても知識がない束には理解ができないだろう。 まして軍用機を参考に“白騎士”を作ったとは言え、その参考箇所は機体機動の制御だけで航空戦闘における命題を完全に把握しているとは思えなかった。
「航空戦において勝つために必要なのは?」
「……圧倒的な、性能?」
「ま、確かにソレも勝つために必要なことだね」
相手を上回るモノを持てば良い――それは子供でもわかる力比べの一つだろう。
全てが同じ土俵に立った状態で敵と競い合うと決着がつくことはなく運により勝敗が決まる。 それを回避するためには相手よりも良い状態で挑むが、全てが同じ場合は競い合わせるモノを優れさせることによって上回ることが可能だ。
しかし軍用機は“白騎士”のように全てが高水準であるわけではなく、また航空戦において機体性能で全てが決まるわけでもない。
「半世紀以上昔なら性能だけで勝敗は決まる事があったんだろうけど、流石に今の空は優しくないさ。 例えば出口が見えている迷路と見えていない迷路があるとして、早く抜けられる迷路のはどっち?」
「……それは出口が見えてる方でしょ」
「そう、出口が見えているという情報が存在している迷路の方が早く抜けることができる。 当然この情報という部分は現代の航空戦においても共通する部分で、敵航空機の存在を相手より先に知ることで準備を整え先手を取っとたり、その戦闘を有利に進める事だって出来るんだ」
敵性航空機という
「なら、どうすれば敵より先に情報を得ることができるかな?」
「あ……そうか、レーダーで調べればいいんだ」
「うん、でも戦闘機に搭載されてるレーダーは相手にもあるよね」
「……ねぇ、それっていたちごっこにならない?」
敵は優れたレーダーを装備しており先手が打てない――ならば敵より優れたレーダーを装備すればよい。 これまた子供でも思いつくような対策だ。
しかし戦闘機に搭載しては実機の数だけ必要となってしまう上に、搭乗者への負担も大きくかけてしまう。 また機体重量の増加という問題も発生し全ての戦闘機に大規模なレーダーを装備することは好ましくない。
また軍事行動をするのにレーダーから得た情報を逐一指揮所に送り命令を受けるのも余計な時間がかかってしまう。
「だから“AWACS”なんていうそういうことに特化した軍用機があるのさ」
防御対象や重要地域より如何に遠距離で敵性航空機を探知する――それが束の把握していなかった航空戦闘における命題だ。
「でも、だったら何で同じ場所じゃないの? リリィちゃんの話を聞く限りじゃ、部隊ごとにあったほうがいいんじゃない?」
「そうなんだけどね……実は“AWACS”って有り得ないほどに高いんだよ……。 航空自衛隊に配備されてるE-767なんか一機あたり540億円から570億円するし……」
「高っ!?」
「それに一機だけあっても数時間程度しか任務空域に留まれないから最低でも二機纏めて導入しなくちゃいけないし、かなり予算を圧迫する機体なんだよ。 日本は平成五年と六年に二機ずつの計四機を導入して配備してるんだけど……」
「……持ってない国が多いんじゃないの、それって」
軍事予算に余裕がある国は少ないため束の言うとおり“AWACS”を配備している国は多くない。 ただし補うために類似の軍用機は存在しているのだが“AWACS”程の管制機能は無いものや廉価であるが故の機能性減少という問題点もある。
「言っとくけどドイツも“AWACS”持ってないよ……」
「ちょっとまって。 じゃぁ、一体リリィちゃんは何に乗ってたのさ……」
「“AWACS”」
「……リリィちゃん、矛盾って言葉知ってる? なんでドイツが持ってないのに乗ってるの?」
自分で言っていて気がつきそうなものだと思いながらリリィは一息入れ口を開いた。
「別にドイツ国内にドイツ軍しかいないというわけでもないよ。 ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州ガイレンキルヒェン。 そこにあるのはNATO……北大西洋条約機構が正式運用してるNATOガイレンキルヒェン航空基地って言ってね、ドイツ国内で唯一“AWACS”を配備してる場所なの」
NATOガイレンキルヒェン航空基地――1982年に北大西洋条約機構に運用権を移しているものの、その指揮系統はドイツ連邦国防省連邦防衛軍に組み込まれており、17機の“AWACS”が配備されている。 現在の北大西洋条約機構が保有しているE-3A“Sentry”全てがルクセンブルク籍として登録されており、その“AWACS”を第一空軍師団が使用しているのだ。
当然、リリィも第一空軍師団に所属する空中管制指揮官の一人であるため、NATOガイレンキルヒェン航空基地で寝泊まりした記憶がある。
多国籍軍と言っても疑われない程に人員は様々で――それは加盟16箇国から集められたためなのだが、それでもドイツ国内に存在しているためか構成部隊指揮官にはアメリカ合衆国空軍かドイツ連邦空軍の准将が着任していた。
「い、一気に話が広がったね……」
「いずれ詳しく話すさ」
ドイツから北大西洋条約機構にまで話が広がったのだ、束にとって何を言っているのか理解ができないのは仕方がないのだろう。
――ん、そんなに長話したつもりはないんだけど……。
気が付けば長々と話していたのか目的地付近までたどり着いていたらしく、車の速度が徐々に落ちていき門の前で止まる。
「身分証の提示をお願いします」
「ドイツ連邦国防省連邦防衛軍、第五空軍師団所属イージス・ハルフォーフ、並びに第一空軍師団所属スカーレット・リリィ。 開発計画のため出向いたしました」
「はい、確認しました。 少佐もおかわりないようで」
「それよりもな、そろそろ顔パスにしてくれないか? この間なんか忘れ物で半分以上運転したのに家に戻ったんだぞ」
「ご愁傷様です。 ですが規則ですので特例を認めてしまうと……」
許可が下りたことによりMarks Horst社の敷地内にはいるが、さりげなく束の身分証を確認しなかったことにリリィは不安を覚えた。
おそらく軍服ではなくスーツで一定の信頼を置かれているイージスとリリィと共にいたせいでもあるのだろう。 これこそ特例に当たるのではないのかと思うも、束に提示できる身分証はない。
「うわぁ~、おっき~!」
航空機器開発製造会社とはいえ施設は大きくないと思っていたのだろうか、子供のように窓から見える光景に目を輝かせている。
元々は小さな会社であったのだが株式を買収された後に利益を伸ばし始め、今では敷地内に滑走路を持つほどまでになっており、試験飛行を他の飛行場ではなく会社で行うことができる世界で珍しい会社がMarks Horstなのだ。
「スカーレット……。 めんどくさいのが
イージスが少し嫌そうな声を出しながら車を止め、なんだと思いながら格納庫へ目を向けリリィは小さく舌打ちをすると車を降りる。
――今日に限ってこなくても……!
遠くからでは何を言っているか聞き取ることは出来ないが、どうやら用事のある格納庫に保管されている試作機について口論しているようだ。
あまり関わりたくはないと思いながら近づく。
「何をしておられるのでしょうか、テルラハ中佐」
その声に対応していたMarks Horst社に勤める技術員は安堵の息を漏らしながらリリィを見た。
軍内で航空偵察部隊の一端を担っている極度の人種主義者、それがリリィの前に立っているアルベード・テルラハという人間だ。 国内の任務には人一倍神経質なのであるが自国が関与しても国外には興味を示さない、そんな問題しかないような人物こそ現状の偵察限界を熟知しているとは思いたくもない。
「ご要件は機体についてでしょうか、それとも開発計画自体の方でしょうか。 なんにせよ本計画は幕僚監部からの承認を得ているもので変更はありえませんし、試験機の実戦配備は未だ到達段階ではありませんので御引取り願います」
「む、スカーレット少佐か……。 丁度良い、何故人工知能などという無駄に開発を費やす必要があるのか聞かせてもらおう」
「……無駄、とは?」
「兵器に言葉や自我は必要ないということだ……。 今日は別の用事で近くを寄っただけなのでな、
面と向かって侮蔑呼称をアルベードは口に出す――実を言えばリリィが日本人であることを正確に認識している人物であるのだが、その性格からリリィにとって最も苦手な相手であった。
去って行く後ろ姿を見ながら顔には出さず不満を漏らし、その姿が見えなくなった瞬間、盛大に息をつき気がつかれてないことを確認する。
アルベードの言いたいことは理解できたが、それに共感している暇は存在しない。
――中佐に目をつけられたら大問題だった……。
同国人ならいざ知らず見慣れない顔――特に東洋系の顔立ちはわかりやすく、国内で中佐が目撃したら忘れるはずがないのだ。 “白騎士”を開発した束の顔写真は近い将来公開されるなら、同一人物だと知られてしまえば何をしでかすか想像に難くない。
「……この目で見るまでは信じられなかったが、本当に無事だったんだな、スカーレット」
「ご覧のとおり、どこにも怪我はしてないよ」
伸ばされた手を避けながらリリィは格納庫に近づき思い出したかのように周囲を見渡す。
人目は多くなく気がつかれることはないだろうと思ったのか、イージスと束は車を降りて歩いて近づいてきていた。
「や、主任」
「これはこれは、ようこそおいでくださいました」
片腕を上げながら軽い挨拶でリリィの横に付くとともに格納庫に入り、そのまま勝手に照明の電源を入れる。
「……リリィちゃん、これは……!」
束の驚愕した声が格納庫内に響く。
そこにあったのは元々リリィが極秘裡に考案しMarks Horst社へ流され――そしてドイツ連邦国防省連邦防衛軍が、その存在に気がついた試作兵器搭載型戦闘機だった。
用語設定
Sort:本文登場順
✔メイ・アゾシエラ 【人名】
ハルフォーフ家に住み込みで働いてるメイドの一人で28歳。
やりたいことも見つからず求人誌を眺めていたところ、見たこともないメイド募集という文字を見つけ履歴書を送り面接。 その性格が気にられ以来七年間、ハルフォーフ家でメイドとして働いている。
それなりに資格を持っており、その大半はイージス・ハルフォーフに冗談で勧められた日常生活で使用することはないであろう物ばかり。
✔空軍指揮幕僚監部 【組織】
ドイツ連邦国防省の下で構成される五大指揮幕僚監部の一つで空軍における最高機関。
空軍指揮幕僚監部は空軍中将が空軍総監として最高幹部を努め、連邦国防大臣を補佐し空軍の各種活動を統制する目的がある。 また作戦相応性を確保するため直下組織を二つに分け機能している。
所在地はノルトライン=ヴェストファーレン州ボン。
✔NATOガイレンキルヒェン航空基地 【地名】
北大西洋条約機構の下で運用されるE-3Aの主要作戦基地に指定されている航空基地。
元々は第二次世界大戦後イギリス空軍によって飛行場は作られ1968年にドイツ連邦空軍に移管、1980年からE-3A部隊を配備させるため大規模な改修工事が行われ1982年にNATOへ運用権を移管。
十七機(※当作では一機撃墜されている)のE-3Aと三機の教育用E-3Aが配備されており、ドイツ連邦国防省の指揮系統にも数えられている。
✔北大西洋条約機構 【組織】
アメリカ合衆国を中心とした国及びヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟。
「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを押さえ込む」、つまり反戦主義と封じ込めという初代事務総長がヨーロッパ諸国を長年悩ませていたドイツ問題に対する回答でもある。
第二次世界大戦集結後、疲弊した欧州の国々によって設立し加盟国同士の軍部隊をアメリカ軍指揮の元、一つに纏め運営する同盟軍に似た組織体系で、加盟国のいずれかが攻撃された場合、共同で応参戦する集団的自衛権を保持している。
✔アルベード・テルラハ 【人名】
ドイツ連邦国防省連邦防衛軍に所属する航空偵察隊の空軍中佐。
極度な人種主義者であるが自身が行う仕事に対しては真面目で、裏を返せば愛国心の塊と言っても良い。 そのため国内に見慣れぬ観光客を確認すると目で追う癖がある。
他人の仕草で大まかな思考を読み取ることができ、その特技を活用し過去数度の犯罪行為を防いだ経歴を持つ。
《ケイア・ラズフィート》
【挿絵表示】