戦争とはボードゲームによく似ている。 先行と後攻を決め初手を打つボードゲーム、それに対し戦場によって仕掛けるための初撃を放つ事が出来る戦争――細かいルールは全く違うものの一番早く手を打てるものが相手へ攻撃を仕掛けることができるプレイヤーとなるのは変わらない。 盤上で所持している駒を争わせて王を仕留めるか、もしくは相手に抵抗するだけの気力を奪い屈服させるかまで続くWarGamesは、一般市民を巻き込み世界という盤上で今も際限なく続いている。
一体、この戦争という名のゲームは何が楽しいのか未だに束は理解できないでいた。 少し前のことになるが、このことをリリィへ問いかけたところ同意されてしまったため未だにプレイヤーが何を思って駒を動かしているか不明のままだ。 戦争の果てに何が残るのだろうか――戦火によって荒廃した大地だろうか、それとも力を持たぬ者を支配できるという意味のない満足感だろうか。 実際には今現在起きている戦争の多くは宗教観によるもので、その果てには何も無いはずだろう。 だからこそ篠ノ之束は戦争という名のゲームを理解できない。
前方に浮かぶ相手が掌握している駒の一つであるはずの“シンファクシ”級潜水空母をCFA-41“Mave”の中から見続ける。 何かしらの嫌な予感に胸が押しつぶされそうになるも必死に耐えながら操縦桿を握り、ちらりと後ろに意識を向けようとし――今は誰も座っていないことを思い出すと視線を“シンファクシ”級潜水空母の手前に向ける。
本来であればCFA-41“Mave”とは空中管制指揮官であるリリィこと“Scarlet Eye”のために有人機へと改修した破棄されたはずの無人戦闘機開発計画の一機で、その重要な空中管制指揮官が座っていない機体を飛ばす必要は無い。 束が一人で戦場に出たところで本来の目的である管制指揮を行うことはできず、出来る事といえば“Flabellum”隊によって叩き上げられた操縦技術を扱うことで戦闘に参加することぐらいだ。 だがそれもリリィという指揮官がいてこそ効率よく、そして迅速に行動へ移せるのであって束だけで戦闘に参加するぐらいならば全てを雪風という人工頭脳に任せてしまったほうが効率も生存率も良い――有人機にした意味は無くなるが戦場を鋭い爪を持ち駆け回るだけならばCFA-41“Mave”には人という存在はいらないだろう。
「こちら“ Schwarzer”隊、特務機“Mave”。 対象に異変見受けられず――任務、継続」
しかしながら戦火の兆しが見受けられないこのような任務であれば束も理解できないことはないため、必要とあれば雪風と共に空を飛ぶのは歓迎だった。 欲を言えばリリィを含め三人で飛びたかったのだが今回ばかりは仕方がない。 一人で飛ぶことは初めてではないが、あまり慣れたくはない感覚だと思いつつ発した声が硬いことに気がつき自身の不安と緊張を、ここには自分以外にも雪風がいると心の中で何度も言い聞かせるように呟き自身を落ち着かせようとする。 それでも別方向から押し寄せる不安が、振り払おうとしている不安を倍増させているせいで中々に頭から離れない。
“シンファクシ”級潜水空母――それは数時間前に突如浮上を始め何も行動をすることなく今も海上を漂い続けていた。 当初、何かしらの行動を起こすのではないかとブリーフィングルームで待機していた“ Schwarzer”隊は既に点検を済ませていた機体に乗り込み原子力空母“Principality”から発艦、迎撃態勢を取っていたのだが制空権を確保したにも関わらず対象は何も行動を起こさなかったのである。 一瞬でも瞬きした瞬間に特殊炸裂弾頭ミサイルを放つのではないかと爆発しそうな爆弾を高高度から見ていたのだが、情報を収集した後、リリィは現空域を数名の“ Schwarzer”隊に確保させたまま一時帰艦命令を出し原子力空母“Principality”に着艦――後のことを束に任せ艦橋に走っていく。 おそらくは原子力空母“Principality”の機器を使用しドイツ連邦国防省連邦防衛軍に連絡を入れるため向かったのだろうと束はCFA-41“Mave”の補給が終えるのを待ちながら機体の点検を行った。
緊急に行われた作戦会議で一体何を話されたのか束は理解できなかったが戻ってきたリリィの口から出てきたのは、“シンファクシ”級潜水空母の奪還作戦という予測は出来ていても実行するとは思えなかった言葉。 それを耳にしたとき束は自身の聴力が弱くなったのかと本気で心配したが、周りから聴こえてくる音は確りと聞こえているため、これを否定――まさかと思いつつ復唱し問いかけるとリリィは奪還作戦を肯定したのだ。 正直に言えば奪取された全長300mを超える巨大な戦略級ミサイル潜水空母を奪還するには、適切な人員を投入すべきである。 だが何があったのか現ドイツ連邦国防省連邦防衛軍――日本へと飛んできた“ Schwarzer”隊の七名と第三勢力であるはずの“CCCNO”社で“シンファクシ”級潜水空母の奪還作戦を行うと決まったらしい。
全くもって馬鹿らしいと思う。 我々は確かにドイツ連邦国防省連邦防衛軍の一部隊ではあるが空軍に属しており、誰一人として“シンファクシ”級潜水空母の建造に関わることも、まして潜水艦の操舵をしたことのある者はいない。 そんな七名に世界初ともなる巨大潜水艦を奪還して来いとは頭がおかしくなったとしか思えなかった。 リリィは呆れてはいるが、どこか納得しているようで奪還作戦を否定してはおらず束も手間と効率を考えつつも不可能ではないということから仕方なく作戦概要を耳にする。
作戦内容に複雑なことはなかった――“ Schwarzer”隊に制空権をさせたままリリィが“CCCNO”社の鎮圧部隊と共に“シンファクシ”級潜水空母を制圧。 その後、リリィがシステムを立ち上げ自動航行機能を使用することで一時的に“CCCNO”社が管理している港へ移送、ドイツ連邦国防省連邦防衛軍から乗艦予定であった正規乗員によりエッカーンフェルンデの第七格納庫に戻すというものだ。
別に束が“シンファクシ”級潜水空母に潜り込んでも構わないのだが、束にはCFA-41“Mave”で敵性航空機の警戒を行わなくてはならないため突入部隊に参加することはできない。 元々、その巨大さから一部航行に関しては半自動化が取り入れられているらしく、潜水航行時は行えないものの浮上時においては基本的に人が触ることなく指定された目的地まで航行できるよう設計されているらしい。 常にアクティブ・ソナーを起動し続けるものの操縦する必要がないことから、艦内に突入するのは必要最低限の人数のみとなっている。 また有事の際は空中管制指揮官であるリリィが突入していることから束に“ Schwarzer”隊への指揮権が一時的に移譲されていおり動くことはできない。
だが予定通りに進めば今日中に“ Schwarzer”隊が日本に来た理由は無くなるわけだ。 早急に全てを終わらせイージスから貰った宿泊券を利用し、ラウラと三人で温泉に浸かりたいものだと束は思いつつ操縦桿を握り――ドイツから日本まで飛行するときに手配した“CCCNO”社の空中給油機で既に書類の山がリリィの机の上に出来ている事を思い出し直ぐには無理そうだと溜息をつき諦める。 ここで“シンファクシ”級潜水空母を破壊処理したら更に始末書が増えるであろう。
《浮かない声だな“Scarlet 1”――そのような状態で作戦行動に支障は出ないか?》
「……いや、問題なく全ての任務が終わったとしても思ったように過ごせないだろうなぁ、って思ってね」
《何だ、そんな事を考えていたのか……。 この作戦が終了しドイツに戻り報告書を提出し終えたら休みは出すといっただろう。 好きに休めば良い》
好きに休みたいのは山々だがリリィがいなくては三人で出かけられないではないかと言おうとし、言っても無駄だろうと諦める。 そもそも宿泊券はドイツを飛び立つ数日前に貰っており早々に行きたかったがリリィが忙しそうなのと、何故かラウラに対し辛くあたっていたこともあり未だ机の中だ。 それに篠ノ之束という人物の顔は全世界に知れ渡っているため思ったように過ごすことは非常に難しく、常に人々の視線に晒され続けなくてはならない事から休もうとしたら間違いなく家の中で一日を過ごすことになるであろう。
現空域に不審なものが無いか再び空間受動レーダーで調べつつも私はエンドレスエイトを行い続けていた“ Schwarzer”隊の二機に補給をさせるため帰投命令を出す。 代わりの二機はCFA-41“Mave”の発艦から遅れること十分後に原子力空母“Principality”から発艦し、今しがた現空域に到着したことを伝えると二機は一旦高度を落としながら編隊を組み直し現空域から離れていく。
「それにしても本当に無人なの?」
《そこについては間違いはないハズだ……。 あまり口に出して言いたくはないはないが、私とクソ親父の出した結論が一致した時点で、ほぼ確実といっても良い……認めたくないけど、そういうことにも優秀だからな。 しかし、まさかCFA-41の設計資料と許可証じゃ飽き足らず雪風のシステムデータまで提供しろというのは私達にとって大きな痛手だ……。 確かに登録はしているが、まだ完全に軍の所有機というわけではないのだがな》
「……え、どういうこと?」
《――今回の作戦において“CCCNO”社が動いた理由は……雪風を手に入れるためだと私は思ってる》
再び一から“シンファクシ”級潜水空母を作るという莫大な資金と人材をかけるというのであれば、奪取され放棄されたであろう“シンファクシ”級潜水空母を回収したほうが良いという判断を幕僚監部はしたのだろう。 その際かかる“CCCNO”への人件費等、再建造に比べれば安いのは間違いない――だが、その代償が雪風とはどういうことだ。
《“CCCNO”社がドイツ連邦国防省連邦防衛軍のしでかした“シンファクシ”級潜水空母を強奪されるという失態についての尻拭いに態々手を貸す必要は無い。 相手は企業であり慈善事業を行ってるわけではないんだ……当然、今回の奪還作戦を提案された際に拒否をすることだって出来た――なのに拒否することなく作戦への参加を承諾し、対価に求めたのが……》
雪風の全てということらしい。
直ぐに動く事のできないドイツ連邦国防省連邦防衛軍は即座に動ける都合の良い存在を求め、“CCCNO”社という“ Schwarzer”隊が作戦行動のため待機している企業に目をつけたのだろう。 だが巨大複合企業として各国に傘下企業を持つとは言え、その実態は日本から生まれた一企業であるためドイツ連邦国防省連邦防衛軍に命令権などは存在しないし、そもそも軍需産業部門を抱えていても軍隊ではない。 それ以外となると第七艦隊となるが所属はアメリカ合衆国軍――軍事機密の塊を他国の軍隊に任せたら音紋は勿論のことシステムから潜行可能な深度まで短期間のうちに解析されてしまう。 それは敵性国家になるかもしれない存在に、おいそれと教えるわけにも行かない情報である。 それを避けるには他国の軍隊に任せるより企業に任せてしまったほうが危険性との間に、ある種のクッションを置くことになるためドイツ連邦国防省連邦防衛軍は“CCCNO”社に“シンファクシ”級潜水空母の奪還作戦を持ちかけたのだ。
真っ当な判断ができる人間であれば、この提案を受けることはない――しかし現実は指定した対価を払えば作戦に参加するという好意的な返答が帰ってきたのだ。 成立するはずのない取引。 そもそも現存するモノで“CCCNO”社が欲するものは無い時点で、この取引が成立することはない。 現在世界中に溢れかえっているモノの大半は“CCCNO”社の傘下企業が開発したものであり、その企画や設計の大半は自社から発案されたものであるため欲しいものといえば精々多くの情報ぐらいであろう。 それすらも各国に支社や参加企業を持つため解決しているし、資金も世界最大規模の複合企業体ということもあり底に付くことはないのだ。 全てを手に入れた存在と言っても過言ではない企業が指定した対価――それが雪風という存在の全てなのだ。
この取引が行われた場合、“CCCNO”社はCFA-41“Mave”という器を持つ雪風の姉妹機を開発することができる。 それを他国に売りつけることは出来ないが、それを発展させることで新たな兵器を作ることは可能だ――それこそ雪風と名付ける前に行われていた無人戦闘機開発計画の過程で発生する資金不足から破棄されたUAV/PNX-041を完全な形で製造することだってできてしまう。 人間を必要とせず柔軟な判断で行動を行う完全な無人戦闘機。 それは戦火を加速させ拡大させるには十分な兵器である。
巫山戯るなとしか言いようがなかった。 CFA-41“Mave”はリリィが対未確認人型兵器用に改修した特別機であり、それは束という個人を守るために作られたという面が大きいモノ――つまり自分のために作られた宝物を誰とも知らなない第三者の手によって取引材料にされたのだ。 それも再設計から改修までの全てを行った束になんの相談もなく自国の物だとして。
確かに開発費等の資金は国防費から引かれてはいたが既に無人戦闘機開発計画においてUAV/PNX-041――現CFA-41“Mave”は既に捨てられた存在であり、それをリリィが“Marks Horst”社でCFA-44と共に並行して開発していた機体である。 UAV/PNX-041はドイツ連邦国防省連邦防衛軍に関わってはいたが既に全く別物に仕上がっており、その所有権を今更宣言されても素直に頷くことはできない。 第五空軍師団特殊戦術飛行隊に組み込まれた時点でドイツ連邦国防省連邦防衛軍はCFA-41“Mave”を手に入れたつもりなのだろうか。 人工頭脳の方は元からドイツ連邦国防省連邦防衛軍と“Marks Horst”社の共同開発という点で仕方がないとは思う――“白騎士”にも採用した核を組み込んだのは自分で、それが軍の開発計画で改修されているモノだと知ってもいた。 だからこそ人工頭脳の方は仕方がないと思えるが機体の所有権は流石に意地汚いだろう。
――わかってるよ、これが独占欲だなんてことには……。
リリィが設計し共に作り上げた機体を自分は手放したくないだけなのだ。 キャノピーを閉じコクピットブロックを機首に移動させた時、まるでリリィに包まれているような幸福感を味わうことができ、それを他の誰かと共有したいとは思いたくない。 リリィは私だけの場所だからこそ、私は見知らずの誰かに嫉妬し腹を立てている――ただ、それだけだった。
「リリィちゃんはそれを……」
《もちろん断ったさ。 空間受動レーダーに関しては元々“CCCNO”社が開発していた新型レーダーシステムの一部を譲り受けた形だが、それ以外は完全に無人戦闘機開発計画の外で継ぎ足したものだ。 いずれ同じ結果を生み出すだろうが、それを早めるようなことはしたくない。 それに性能が飛び抜けてよくても量産できないよう金に糸目をつけないで開発した専用機を“CCCNO”社が作れるとなったら、戦争の根底が覆される。 ただでさえ無人偵察機を基礎に改修した空中管制指揮機という名目で作ってはいても、渡してしまった資料から“Mave”が超高性能な制空戦闘機だということが伝わってしまう。 そうなれば第五世代――ステルスの時代が終わり熾烈な高性能電子機器を用いた電子戦と無人機を交えた超高速な化かし合いの始まりだろう。 そうなったら誰かを守る以前に自分すら守れるか怪しいだろうな》
ドイツ連邦国防省連邦防衛軍の幕僚監部のうちダニエル・ダッシブ空軍中将を除く他の人間はCFA-41“Mave”という機体も人工頭脳である雪風の詳細な資料すらも所持していない。 持っているのは機体が持つ役割と結果を示す数値だけだ。 だからこそ CFA-41“Mave”と雪風を賭け金にしてドイツ連邦国防省連邦防衛軍は“シンファクシ”級潜水空母の奪還を選び、奇しくも賭けに勝利した。
比較してしまえば“シンファクシ”級潜水空母の方が圧倒的な人件費も加え多くの金銭が動いており、対するCFA-41“Mave”や雪風は小規模ながら開発計画として生み出されてはいるが“シンファクシ”級潜水空母程ではない。 軍上層部は機体が持つ本来の性能ではなく開発費と、これまでの数値で性能を比較し“シンファクシ”級潜水空母を選んだのだ。 これだけの金銭を注ぎ込み完成した兵器が、それ以下の金銭で完成した兵器より劣るはずはないと、紙の上に書かれた数値だけで判断したのだ。
確かに“シンファクシ”級潜水空母は巨体ゆえに航行能力は低いも、その船体には戦略級といっても良い火器や艦載能力を持つ巨大潜水艦――特殊炸裂弾頭ミサイルを含め、潜行状態で制空権を確保することや味方地上軍の援護を行う制圧戦もできる。 また格納スペースが従来の潜水艦以上に存在しているというのも魅力的な部分であろう。
どちらも適した戦場を持つがゆえに優劣をつけることはできない――だが、束は自身が開発に参加した雪風と、その器であるCFA-41“Mave”が“シンファクシ”級潜水空母より劣るとは思えなかった。 無論、戦略的な意味で“シンファクシ”級潜水空母を選んだのかもしれないが、束からしてみればドイツ連邦国防省連邦防衛軍は本物の篠ノ之束を“Scarlet Eye”ごと売り飛ばしたようにしか見えない行為を行ったわけだ。 冷静に操縦し雪風に指示を出すも心中穏やかではない。
こんなことならば“シンファクシ”級潜水空母が浮上せず敵対行動をとり続けてくれる方が良かった。 なんなら今直ぐにでも全てのハードポイントに装備されている火器を“シンファクシ”級潜水空母に向け放ち、この苛立ちを八つ当たりのように叩きつけてもいいと思えてしまう。
《私達の敵はヒトではないはずなのだが……。 こういう軍隊という枠組みの中にいると、嫌でも対人戦闘を想定しないといけないのが嫌なところだ――個人的には厄介事へ首をつっこたくはない》
「あんまりこう言う言葉は使いたくはないけど――これが運命だったんだろうね、私達と雪風ちゃんの。 世界から孤立してでも戦い続けること、そして……」
《私は嫌いだ、運命という言葉は。 まるで自分の意志が自分以外の何者かによって定められていた確定事項のようで好きになれない――誰かに操られ、突き動かされ、戦火に身を投じさせられているようで。 私はそう思いたくはない。 だから足掻いてみてはいるんだ……命を軽視する争いを起こさないためにも》
「――それでも他者を傷つけることでしか人は生きてはいけないよ。 確かに争わないで済むのなら、それが一番いい。 でも今の世界は人間同士が争うことで成り立ってる競争社会なんだから私達は戦っている……違う?」
《違いない。 私達は自分が帰る場所を守るためだけに同じ人間を敵にしたり、人災や……“災厄”とも戦っているんだからな》
“災厄”という言葉が未確認人型兵器であることに束はすぐに気がつくことができた。 人が起こした人災とは違い災い自体が生き物のように動いているのだ――“災厄”という言葉以外に適切なモノはない。 口には出さないが“災厄”という名称は非常に合っていると束は感じていた。
《それでも人を殺すのは今日が初めてになるだろうな……この手で、この指が引いた引き金で》
管制指揮官が対人戦闘を行うため前線に赴くという事がないのだから仕方がない。 おそらくであるが、管制指揮官が銃を持ち潜入作戦に参加するという事例は世界中探しても無いはずだ。 状況が状況だからこそリリィが行くことに納得はしたが、それが正しいとも思えない。 まだ十にも満たない子供を一番危険な敵の中へ放り込む行為だ――本人の完成しきった思考が、それを忘れさせているのだろうが事実は変わらない、変わるはずがないのだ。
――だからって、その決定が仕方がないって実行するのは違うよ……。
軍隊としても実行可能な作戦と不可能な作戦があるのは作戦を立案する立場ではない束でも理解している。 作戦に必要な人員や資材がない現状、この“シンファクシ”級潜水空母の奪還作戦は成立しない。 どう考えてもドイツから増援が到着してから初めて実行に移せる作戦である――にも関わらず決行したのは敵性勢力が存在しないと結論づけたからだ。 それでも着艦したCFA-41“Mave”のハードポイントには複数の空対空ミサイルに空対艦ミサイルを積載し、敵がいないと予測された空域を今現在飛行中である。 完全に安全だとは言い切れない、最悪の事態を想定しての装備をしている時点で敵は目の前にいるのだから。
《――時間だ。 これより作戦を開始する》
その言葉に対し私は何も言えなかった。 気をつけてね、とも――帰ってきてね、とも口にすることが出来ず、ただ空の上から見守り、リリィを信じて待つしか出来ないでいる。
とりあえず状況が動くまでは雪風のサポートを受けながら代理で管制指揮官のような任に就いているしかない――とは言っても操縦しながら全体を見渡すことは、まだ難しいため高高度で操縦権を雪風に移譲しモニターに映し出される情報に目を向けているだけだが。 下ではリリィを乗せた輸送ヘリが後部VTOL機発着用甲板に足を付け、そこから数人が“シンファクシ”級潜水空母に降り立つ。 甲板上に異常がないのは既に空間受動レーダーで確認し報告していたためリリィ達は警戒しつつも素早く輸送ヘリから降り、固く閉ざされていた入口をこじ開け――更に設置されていた扉を外部から操作することで解錠し突入した。 ここからは束が内部を把握することはできない。
何も起きないはずなのに妙な胸騒ぎが束を焦らせ何度も周囲を警戒する――だが何も脅威となるものは何もなかった。 ならば、この感覚は“シンファクシ”級潜水空母の中からなのかと思い当たり、それはリリィ達が突入してから僅か七分後に肯定されることとなる。
――Bestätigen Sie die Bewegung des Objekts.
空間受動レーダーが突入のために開けられていた扉が閉じられたことを束に告げた。 高高度から確認することはできない、この小さな異変――高度差によるシステムの誤認でも十分に可能性があったが即座に機体下部に搭載されている赤外線カメラを通し後部VTOL機発着用甲板を確認する。
「輸送ヘリ、輸送ヘリ――応答せよ。 突入部隊が使用した扉が閉じられた。 一体何が起きたか報告せよ」
しかし帰ってくるのは雑音だけで返答は何も聞こえない。 突入部隊と完全に分断された――先程から感じていた妙な感覚はこれが原因だったのかと束は急ぎ雪風に原因を探るよう指示を出し、そして見落としていたで点に気がついた。 もっと早いうちに気が付けばよかったのだ。
誰もいないのなら“シンファクシ”級潜水空母は何故浮上することができたのだ。 リリィが口にしたシステムの存在が正しいものであるのなら、自動化で航行するにはアクティブ・ソナーを使用し船体を傷つけ無いよう浮上し続けなくてはならない。 なら“シンファクシ”級潜水空母は何処から現れたか――むろん海底からである。 つまり潜行するにしても必ずシステムを操作する何者かが内部に必要となるわけだ。
内部に敵性勢力がいる。 それをリリィが気がつかないわけがない――ならば何故、作戦開始前に無人であると口にした。 私がその行動の障害になるからか、それとも内部に存在する何かを知られたくないからか。 わからない。 理解ができない。
――Bestätigen Sie die Entladung der Luft aus dem Ballasttank des Objekts.
バラストタンクから空気が排出されていると雪風が告げる。 このままでは海の中に潜られてしまう、止めなくては――だがどうやって止めるというのだ。 あの中には、まだリリィがいるというのに。 電子妨害されているため通信も繋がらず外部からの衝撃を瞬時に攻撃だと判断してくれるかも分からないため、“フリーダム”を展開してくれるという期待はしない方が良い。 ならば潜行する“シンファクシ”級潜水空母の一部に穴を開け浮上せざるおえない状況を作り出すべきなのだろう。 しかし一体どこを攻撃すれば行動を止める事ができ安全にリリィを救出できるのだ。 下手をすれば装甲の向こう側にリリィがいるのではないかという不安が私の判断を鈍らせる。
雪風が“シンファクシ”級潜水空母から電波妨害が行われていると告げるが、それしか敵対する存在が無いのだから当たり前だろと即座に表示を消す。 その巨体が海面に出ているためか範囲はCFA-41“Mave”を覆うか覆わないかという範囲で展開されており、“ Schwarzer”隊に指示を出せない。 当の“ Schwarzer”隊も電波妨害により命令系統が正常に動かず、攻撃許可もないのだから動けもしない。 “シンファクシ”級潜水空母が敵というのならば攻撃命令を出すことは間違いではない――だが突入部隊という人質を取られ、それを見殺しにするかどうかの判断は束にはできなかった。 リリィならば他国の領海内での状況を鑑み高度な政治的判断で作戦指示を下せるのだろうが、臨時とはいえ経験のない束には出せるはずもない指示だ。
私は指をくわえ海の中に沈んでいく“シンファクシ”級潜水空母を見送るしかなかった。 後部VTOL機発着用甲板に足をつけていた輸送用ヘリは“シンファクシ”級潜水空母の異変に気がつき間一髪で共に沈むことから避けられたが、その中に肝心の者はいない。
《こちら“ Schwarzer 7”。 応答を求む、こちら――》
《“Scarlet Eye”は……まだ、“シンファクシ”級潜水空母の中だよな?》
無線から動揺した声が聞こえ電波妨害が無くなったことに束は気が付く。 “シンファクシ”級潜水空母から行われていた電波妨害装置は潜水と共に海に沈んだのだ――当然、海の中から空に向けて妨害するほどの力はない。
――Evasionsverhalten, da wir den Schaum unter Wasser bestätigt haben.
完全に見えなくなった“シンファクシ”級潜水空母が攻撃状態に移ったことを束はリリィに変わり“ Schwarzer”隊に告げ回避行動を指示する。 特殊炸裂弾頭ミサイルの効果範囲にCFA-41“Mave”は存在していないため、雪風と共に状況を観察するしかない。 潜行した地点から泡沫が発生したため、雪風は“シンファクシ”級潜水空母がミサイルハッチを開いたのだと算出したのだろう――事実、潜水行動に移ったのは数分前であり、まだそれほど深くは潜っていないためミサイルハッチを展開しても水圧で圧壊する深度では無い。 雪風が示すとおり“シンファクシ”級潜水空母は今まさにミサイルを放とうとしているのだ。
輸送用ヘリは残念だが特殊炸裂弾頭ミサイルであった場合、内包されていた子爆弾によって間違いなく落とされる。 もう間に合わないと思いつつも束は先程と同じように忠告を促す。 今度はノイズが混じる中で微かに返答が聞こえた――だが、その声は海中から打ち上げられたミサイルによってかき消されてしまう。
――Bestätigte den Start von Burst Missile vom erwarteten Kurs.
やはり特殊炸裂弾頭ミサイルが放たれたのかと思う暇もなく、それは作戦空域で爆発し広範囲に渡って鉄の雨を降らしていく。 “ Schwarzer”隊は無事とも言い切れない状態だが一機たりとも減ってはいない。 そのことに安堵するも決断を迫られ、私は――重い口を開いた。
「……作戦行動中の全機へ告げる。 臨時指揮官として作戦の継続が困難であると判断し……現空域から一時撤退する」
《なんだと!?》
《“Scarlet Eye”はどうするつもりだ!?》
「海に潜られた時点で私達には“シンファクシ”級潜水空母を攻撃する手段が無い……リリィちゃんごと撃ちたいの!?」
作戦を続行するにしても肝心の指揮官が囚われたのだから、束にはどうすることもできない。 忌々しそうに“シンファクシ”級潜水空母を見下ろし再び放たれた特殊炸裂弾頭ミサイルではない通常弾頭を避け、その視界を暗転させた。
嫌な夢を見て急に意識が覚醒することがあるが、今まさに私は胸を締め付けられる感覚で目を覚ます。 リリィが遠くに離れ二度と会えないのではないかという不安と光景が未だ脳裏にこびりつき、現実と夢の境界に判別ができない。 あれは夢なのだろうか、それとも実際に起こった出来事なのかという疑問に自然と周囲を見渡し確認しようとするが狭い個室――それも医務室の中では夢と現実を別ける決定的な証拠が存在しない。 雪風は、“ Schwarzer”隊はどうなったのだ、リリィは無事なのだろうかと未だ夢の中にいるような曖昧な感覚が束を焦らせる。
そんな姿を扉付近で見ている何者かに気がつき思わず動きを止めてしまう。 なぜ自分が目の前にいるのだろうかと起き抜けの脳が状況を整理しきれずに全ての動きを止めたわけだが、長々と見つめ合い目に映る篠ノ之束が篠ノ之束ではない全く別の存在であると思い出し、ようやく動くことができた。
【挿絵表示】
「気分はどうだい? まさか用事があって覗き込んだらグッタリと倒れてるだなんて思ってもみなかったよ~」
「――最悪な気分……何もかも、全部。 “シンファクシ”の動きは?」
「ぜーんぜん――何も変わってないよ~」
何も変わっていないということは一切浮上していないということなのだろう。 つまるところ、アレは紛れもなく夢でありリリィがまだ原子力空母“Principality”内にいるということで間違いはないはずだ。 そのことを理解すると一気に安堵の息が漏れる。 やはりアレは夢だったのだと思う一方、まだ妙な胸騒ぎが続いている気がして落ち着かない。
「リリィちゃんはどこ?」
「ん~、少し前まで医務室にいたのは知ってるけど今はさぁ~ね?」
大丈夫だ、リリィが近くにいるのは間違い無い。 目頭を何度か揉みほぐし起き上がるとベッドの縁に座り、自身の服装が下着の上にシャツを一枚羽織っている状態だということに気がつき、気絶する前まで着ていた耐Gスーツを探す――しかし室内には服がかけられていることもなければ医療用器具以外の雑貨が見当たらず、まだ真新しさを感じる光景に自身の服が隠れているとは思えず仕方がなしに問いかける。 これに対しての返答は『分からない』の一言。 目の前にいる篠ノ之束も医療班の指示に従い着用していた衣類を脱がせ、汚れたとしても問題のない大量生産されたシャツに着替えさせはしたが、脱がせた衣類がどうなったかまでは知らないようだ。 いずれ着替えを誰かが持ってくるだろうが今は“シンファクシ”級潜水空母によって緊迫した状態を強いられており、束もまたCFA-41“Mave”を飛ばすという重要な仕事がある。 いつまでもベッドに倒れ込んでるわけには行かなかった。
「――で~、なんでああなっちゃったのか原因分かるかな~?」
忘れかけていた仮想空間内の出来事を自分自身に咎められているかのように指摘され、束は経験した情報を整理し始める。 夢の中ではあったが“シンファクシ”級潜水空母に囚われたリリィのことも気になる、だがそれよりも先にCore-02の内部に何故仮想空間のデータが残っているかという問題を解決する方が先決だ。 今まで完全に消去しきれていなかった仮想空間のデータが飛行中、今回のように搭乗者の意識を取り込むという命を脅かしかねない事故にならなかったことが奇跡――ここで対策を講じなくては次いつ自分の意識が仮想空間に囚われるかわかったものじゃない。
核の初期化は“Scarlet Ⅲ”という人工頭脳にCore-02を搭載することを決定した際、リリィに任せることなく自分自身で徹底的に行ったはずだ――というよりも篠ノ之束しかできないのだから他人に任せることが出来ないため仕方がない。 それまで使用していた仮想空間のシステムや確定していた情報は元々ウサミミに搭載している大容量記録媒体の中にあるため、起動時に処理のためCoreー02に通した仮想空間の情報、その残滓等を消して初期化は全て完了したはずなのだ。
だが現にCore-02を大容量記録媒体が収められているウサミミから切り離しても起動したということは原因となり得るものは一つだけ――それは未だ解明することが出来ていない未知の鉱石だけ。 そのせいで原因という原因を完全に判明することは非常に難しい。 当然だが目の前にいる篠ノ之束に聞いたところで、この原因不明な現象を理解することは――出来るかもしれないが解決することはできないだろう。 そもそも目の前にいる篠ノ之束が事の原因かも知れないのだ。 リリィからしてみたら第一発見者である篠ノ之束は、今回の事件に関して有力な被疑者なのである。 その知力や技術は“CCCNO”社の援助があったとしても、篠ノ之束に迫るものがあるのだ――可能性が無いという方がおかしい。
そもそも仮想空間内に現れたリリィを雪風は別人だと断言している。 自分が生み出した幻でもない歴とした意識を持つ存在――そんなリリィに似た別の存在など“CCCNO”社にいる二人だけという時点で、目の前にいる篠ノ之束という存在は非常に怪しいわけだ。
「極秘事項に抵触する情報だよ、答えるわけには……」
「ほうほう、つまり雪風ちゃんが何かしたというわけだね~」
回答を避けたつもりだったのだが、よくよく考えればCFA-41“Mave”という従来機とは違う未知の機体――それもリリィと束が完成させた機体という時点で、誰の目から見ても原因らしい原因は一つしかないだろう。 “CCCNO”社ですら夢の中ではあったが資料を欲しがる存在。 全くの未知だからこそ雪風の名を篠ノ之束は口にしたのだろう――本当に未知なのは雪風ではなく人工頭脳のユニットに搭載されたCore-02なのだが。
しかし一体どこで雪風の名を知ったのだろうか。 今まで私は当然だがリリィも人工頭脳の名が雪風であると口にした覚えがない。 “Marks Horst”社伝いで機体名である“Mave”の名を知っているのは予想できるが、しかし雪風の名は“シンファクシ”級潜水空母が奪取された時に付けられたもの――数日前に決め一部の者達しか知らない訳だが、どのようにして篠ノ之束は雪風の名を知ったのだ。 やはり先日の暗号通信以外にも何回か雪風に接触を行っているErrorの原因なのだろう。 ならば雪風に外部から介入し消去していたはずの仮想空間のシステムを再構築させ、篠ノ之束を昏睡状態に陥らせた原因の可能性が非常に高いのではないだろうかと、より強い警戒心を抱く。
「――覗きとは褒められた行為じゃないね」
「えー、でも別に覗いたってわけじゃないし、興味があるだけだしー」
「ソレを覗きだって言うんだよ! 私達はまだ人工頭脳の愛称を公にしてもいなければ書類にすら書いてもいない――誰も知るはずがない我々“ Schwarzer”隊のみでしか使われることがない名称だ。 なのに何故、貴方は雪風を口にした。 “CCCNO”社は一体何を狙っているの……何を考えて篠ノ之束を監視し無償の善意を振り撒く!?」
どのような手段で雪風の名を知ったのかは理解できないが、名目上軍事計画で開発された人工頭脳を勝手に覗き見たわけだ。 そうでなくても篠ノ之束にとって雪風という存在は、ある種特別な存在でもある。 沸々と怒りが湧き上がるも、それを抑え今まで聞こうとし止めてきた言葉を篠ノ之束にぶつけた。
今のところ“CCCNO”社からの接触で我々は実害を被ったということはない――だが、その差し出されている手に対し、何の見返りすら求めない人間は気味が悪い。 善意に対しての見返りとは互いの存在を均等に保たせるための調整方法だ。 無償の善意ほど時として悪意以上の何かを内包しており、それに触れないよう善意に対して相応の見返りを差し出している訳なのだが、それが無いということは内包している悪意を気がつかない内に触れてしまう可能性が非常に高い。 見返りとは、すなわち此方に害悪を向けないでくださいという対価なのだ。
相手の機嫌を損ねないようにしたいのに、それが出来ないというのは賭け事でしかない。 施す方がカジノディーラーで施される側がゲストである。 そんな人生を時の運に任せてしまうような生き方を篠ノ之束はしたくは無かった。 だかゲストが保有する賭け金を使い情報という名の配当を得なくては、今後も進む道は賭け事でしか成り立たないモノとなってしまう。 人生初の大博打であろう。 相手の機嫌を損ねるという溝に玉を落ちないよう願いつつも、その行方を見定め賭け金を指定するが強く回しすぎだ――球の行方どころか溝に振られた番号すらわからない。 それに対し怒りと困惑で口調が荒くなって行くのを感じた。 賭け金は篠ノ之束の今後であるというのに。
「ん~、別に教えてあげてもいいんだけど計画上、キミ達が自力で気がつかないといけないんだよねぇ~。 だから何を聞かれても私は答えてあげられないのさー、残念✩」
「……篠ノ之束とリリィちゃんが気がつかないといけない? つまり目的は私達二人を何かに昇華させる……?」
「どうしてそう思ったのかな」
「――今の言葉……ある種の条件なのだとも受け取れるけど、その条件をクリアするために態々プロジェクトに関係のない私達が気が付かなくてはいけないって言う過程は非効率的すぎる。 効率よく進めるのなら私達を協力者として取り込むか強制させたほうが早いし確実――なのに篠ノ之束は篠ノ之束達に自力で気が付くことを過程として口にした。 この時点で私達が何も知らないで目的のために動かされているという条件に矛盾が生まれる。 誘導され利用されているなら気が付く必要はないからね――なのに気がつかなくてはいけないということは、その目的に篠ノ之束と篠ノ之百合が何かしらに必要とされている……頭数に含まれている可能性が非常に高い。 簡潔に言ってしまえば“CCCNO”社が行っている計画の中心にいるのは、私達二人だということになる」
「――なるほどね~。 束さんの失言から矛盾点を洗い出し逆算することで前提と大まかな結果を捉えるっと」
「その過程として私達を監視するかのように“CCCNO”社の目が置かれている。 私は最初、本物である篠ノ之束が何処で何をしているのか、また篠ノ之束の都合が悪くならないかと監視しているものだと思っていた。 けど今の発言でソレらがプロジェクトの経過観察だということが理解したよ。 それなら私達が“CCCNO”社の目的に辿り着く欠片じゃなく中心なのは少し考えれば容易に理解できる」
とは言うものの実を言えば半分ほど自信がない予想のようなものだ。 この結果は先程口にしたとおり目の前にいる篠ノ之束が妙な言い回しをしたからこそ引っかかり、推測というこじ付けで筋を通したせいで作られた本当か嘘かも分からないような結論である。 それゆえに合っていても間違っていても問題がないはったりのようなもの――結果を推察し答え合わせをするわけじゃなく、この篠ノ之束は理解したという偽りを前面に押し出し、目の前にいる篠ノ之束から目的について聞き出そうとした。
それを聞いた篠ノ之束は少し驚いた表情を見せるも、直ぐに不敵な笑みを浮かべ、篠ノ之束と同じように表情から悟らせないように考え込み始める。 なるほど、傍から見たら篠ノ之束という人間は、このような顔をしているのか。 この顔で焦らされたり隠し事をされたりしたら多少は腹立つだろう――そんなことを頭の片隅で考えてしまう。
「うん、まぁいっかな。 これはこれで後が楽しそうな篠ノ之束だ――うん、いいねいいね♪ 私と違って動く前に考えるだなんて、ああ興味深い♪ ……それでも、その答え合わせに付き合ってあげることはできないんだ」
回答を避けられる――いや、逃げられたのだろうか。 “CCCNO”社が一体何を考えているか理解できないままだが、情報が増えたことによる可能性の増加は単純に手札が少ない二人には嬉しいモノだった。 それにしても動く前に考えることが出来るとは、どういうことだろうか。 篠ノ之束という存在の行動原理は愉快犯的な思考が微かにある。 他人の様子を観察するために行動するのなら、まず最初に目的を決めて計画を練り行動に移す――それが自分以外の誰かを対象に行う行動なら当然で、そうでなくては無差別で行われる行為となってしまう。 だが目の前に立っている篠ノ之束は何かが違うらしい。 本当に目の前にいる篠ノ之束は篠ノ之束の複製個体なのだろうか。
――ん、『これはこれで』?
まるで目の前にいる篠ノ之束以外にも篠ノ之束がいるようではないか――と、また新たに引っかかった言葉の違和感に気がついてはいけないナニカに気がついてしまう。 もしも今まで当然だと思っていた前提が逆だとしたら、“CCCNO”社の目的において私達が中心になるという仮説へと吸い込まれるように合致するのではないだろうか。 頭のどこからか、これ以上は考えるな、詮索するなと頭に直接、何かを叩きつけられているかのように脳が警鐘を鳴らす。 それでも、このことに気がついてしまった時点で、篠ノ之束は知らなくても良いはずの扉の前に立ってしまったのだ。
自分とは違う自分、容姿が良く似た存在、本物の篠ノ之束と偽物の篠ノ之束、“CCCNO”社の計画。 繋がらなかった欠片同士が一つの前提を逆にすることで繋がりを見せ始めていく――今まで必死に悩みながら完成させようとしていたパズルにハマる欠片が、実は裏表反対だと言われているようなものだ。 そしてその完成図も表裏反対に作っていて、今まで篠ノ之束がもっている表の欠片が裏にならなくては完成しない絵だとは思いたくなかった。
篠ノ之束の世界が実はパズルの裏面でしかない偽物だと言われ、知らず知らずのうちに震える肩を抑えようとし、連鎖的にリリィという可能性にも気がついてしまう。 ありえない空想だと笑い飛ばそうにも“CCCNO”社が“遺伝子強化試験体”実験に関与しラウラを生み出した人工子宮を作り上げた企業であると思い出し、脳裏に浮かび上がったラウラとリリィを意図せず比較してしまった。 だが、そんなことが事実であってたまるものかと振り払おうとするも、強烈なソレは呪詛のように篠ノ之束の思考に住み着き、侵食し、身体の自由すら奪っていく。
「あ、そうだそうだ。 そっちに色々と回しちゃってもいいよね~? 調子乗って作ってばっかりだったんだけど、百合奈ちゃんがウチでやるなって言うからさ――どうせならキミ達にあげちゃえーって……どしたの?」
どうして目の前にいる篠ノ之束の思考ロジックが読み取ることができないという疑念に対しリリィは他人なのだから仕方がないと諦めを口にしていた。 確かに、その通りだと今まで思っていた――だが最初から読み取れるわけがなかったのだ。 他人であるからこそ相手が何を考えているか理解できないのは道理であるのだが、その相手が篠ノ之束であるからこそ理解できるはずの思考ロジックが理解できなくて恐怖を覚える。
今まで周囲が篠ノ之束を異常者だと持て囃し囁いていたのが可愛く思えてしまう。 目の前にいるのは化物なのではないかとさえ思えてしまうほど、目の前にいる篠ノ之束は篠ノ之束と根本的に違うのだ。 思考よりも先に身体が動き結果が付いてくる、それに対し頭で考え組み立てた順序通りに結果を出す――野性的といえば聞こえが悪いが、それが当たり前のように通用することが篠ノ之束の本来あるはずの常識なのだろう。
ならば、やはり篠ノ之束という存在は偽物だったのだろうか。 この思いも記憶も願いも、全てが自分以外の第三者が手を加え作り上げた虚像だと。 あってはならないのだ――私達二人は“CCCNO”社によって生み出された実験動物だなんて、そんなおぞましい真実は存在してはならないのだ。
「篠ノ之束は……本物?」
「……はっはーん。 私は本物さ――誰がなんと言おうとも篠ノ之束だよ~。 なら篠ノ之束は本物なのかな?」
その問いに対しての正答が見つからない。 数時間前であるならば自分が本物であると自信を持って口にしただろう――だが、今やその自信は完全に消失していた。 素通りすればよかった真実の扉に触れた時点で、その扉の中にあったソレが篠ノ之束の自信を根元から壊して行ったのだから。
「そもそも何に対しての本物なんだい――誰にとっての本物で、本物じゃないといけないことなの? 篠ノ之束の癖に、ずいぶんとツマラナイ事を聞くんだねぇ~。 篠ノ之束が自分じゃないのなら、それ以外に一体何があるっていうのかな?」
目の前で呆れたような口ぶりで篠ノ之束は篠ノ之束を冷め切った目で見ていた。 まるで今まであったはずの興味が途端に失せたような視線――まるで自分が何処にでもいる普通の人間であると認めて欲しかった人達が見せた、あの視線に、よく似ている。 やめて、そんな目で私を見ないで――その願いが通じたのか次の瞬間、目の前にいる篠ノ之束は先程までと同じように人を食ったような笑みを浮かべて篠ノ之束を見ていた。
確かに自分が複製個体だとしても目の前にいる篠ノ之束とは別人であろう――だが、それでも今まで信じていたものが崩れ去るという恐怖は何一つ変わらない。 人はそこまで強くなれないのだ。 だがソレを目の前にいる篠ノ之束は当たり前のように断言した。 これが周りの人達から見た篠ノ之束なのか――と思う余裕もなく。
「――机の上に篠ノ之束の知りたい事へのヒントを置いとくよ。 ソレを見るのも良いし、見ないのもいい。 それを希望とするのか、絶望とするのかも篠ノ之束次第さ。 じゃーねー、グッドラック♪」
机の上で何かを書いたあとソレを裏返しにし、篠ノ之束は医務室から出て行いく。 扉が元に戻ろうとする力が室内に風を呼び込み、その風が、まるでそうなる事が運命であると言わんばかりに、篠ノ之束が書いた紙を飛ばし篠ノ之束の元に運んで――書かれた方を上にして床に落ちる。 そこに書かれていた文字に吸い寄せられるかのように目を這わせ、篠ノ之束はソレを読んでしまった。
「“Project Lily”……」