世界とISと名もなき者へ Re:   作:葵 束

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028 27,Dec,2010/Self

 原子力空母“Principality(プリンシパリティ)”の格納庫(ハンガー)でF-15C“Eagle(イーグル)”の主脚が整備されている横――リリィはCFA-41“Mave(メイヴ)”の座席に座り数時間前に起きた異常事態の原因究明を行うためモニターと格闘していた。 Conformal fuel tanks(コンフォーマル・フューエル・タンク)を取り外し機首が持ち上げられたF-15C“Eagle(イーグル)”からは割りと大きな音を出しつつも着艦時に異常を起こした部分を修理及び最終確認しているのだが、格納庫(ハンガー)という閉鎖空間のため修理時に起こる騒音が反響しリリィの耳に届く――それでもコクピット内に繋いだインカムのおかげで幾分か抑えられてはいる。

 音声認識は“白騎士”にも使用されたコアがあって初めて処理できたため、今もなお改修は続けられている。 今回、戦時下においての問題の一つとして、付近で行われている機体修理時における騒音も出来る限り外せるようにしなくてはならないと思いつつも、その高性能な処理性能で雪風はリリィの言葉を正しく読み取っていく。 ただし音声だけではなくメインディスプレイの奥く――群青色の液晶の向こうで座席に座る搭乗者を見ているカメラがリリィの唇を読み取り音声と合わせる事によって、高い精度での意思疎通が可能であるだけだ。 所謂(いわゆる)雪風の目というところだろう。 同時に認識する二重の声が合わさり初めて一つの言葉として雪風は認識しているに過ぎない。

 

「全システムの確認を終了――こちら“Scarlet Eye(スカーレット・アイ)”。 プログラムの改変を見受けられず全システムの正常可動を確認。 報告に上がっていた時間帯のError(エラー)ログを表示」

 

 束の意識が無いと呼び出された時に表示されたError(エラー)は、おそらく雪風の手によってシステムが正常であった頃の状態に自己判断で修正したのだろうと推測を立て、問題になったError(エラー)を確認するために検知された時間周辺のログを呼び出す。 虱潰しにシステムへ目を通すのは流石のリリィでも時間がかかる作業なので、単純に書き換えられError(エラー)になった部分だけをモニターに表示させる。 もう少し早くに修正されていることに気がつけばよかったと、時間と労力が無駄になった事に溜息が漏れそうになった。 骨折り損の草臥れ儲けとはこの事だ。 雪風に聞かなかった自分が悪いのだと頭では理解しているのだが、この六ヶ月で性能が倍以上に上がっているのだからこそリリィが何を(おこな)っているか理解し知らせてくれてもいいのではないだろうか――やはり機械にとって柔軟な判断等は難しいのだろうかと考えてしまう。

 少しばかり前のめりになっていた姿勢を伸ばしたことで背骨辺りから鈍い音が景気よく鳴る。 それ程まで集中していたのだろうかと思いつつ座席に座り直し、その小さな背を全て預けリラックスした状態でモニターを眺めた。 目が乾燥してきたのか少しばかり瞼の裏側に痛みを感じ、何度か目頭を揉み解すことで状況を改善しようとするも雪風は指定されたError(エラー)ログを表示しリリィに休む暇を与えない。 その量は本当に短時間で発生したモノなのだろうかと疑わしくなるほど膨大な文字列――当然だが、ごく限られた時間内で目の前の量を発生させるのは難しいとリリィはインカムのマイク部分を摘み雪風に問いかけた。

 《There is no false in the log performed within the specified time……》

 ――指定時間内に行われたログに偽りはない。

 表示された膨大なError(エラー)ログは紛れもなく実在した物だと雪風に告げられリリィは顔を顰める。 もしやと思い音声認識が正しく無いのかとインカムの接続部分に目を向けるも、差し込み口に確りと差し込まれており雪風との会話は成立している事を確認すると、目の前に映るError(エラー)を現実の下であると認め諦めた。 機体が格納庫(ハンガー)内から動くことなく電子戦闘モードに移り、束の意識が失われてからリリィがError(エラー)表示の確認を行うまで雪風が何者かと戦闘行動を行っていたログは存在していたが、そんな雪風がError(エラー)を発生させるとはとても考えられない。 そうなるとError(エラー)の原因は雪風が戦闘行動として相手にした存在が発生させたと考えるのが妥当だろう。

 ――外部からの干渉は、このログから鑑みて間違いなくあったんだと思う……それに複数のError(エラー)を強制削除した後の妙な時間は偶然の一致か?

 左右の空間投影モニターに表示したログを照らし合わせるように確認し、リリィは偶然にも妙な内容をError(エラー)ログに見つけてしまい、その発生時間が束をCFA-41“Mave(メイヴ)”から運び出した時間とほぼ一致している事に気が付く。 これを偶然と言えるほど今のリリィは安易な決めつけで状況を判断することはない。  左の空間に投影したモニターのError(エラー)ログを動かす手を止め、その時間まで雪風は何を行っていたか右に表示したモニターで調べていき――時間が近づくにつれログの量が多くなる。 まるで電子戦闘モードと並行して戦闘行動に参加しているような内容が書き残されていた。 電子戦闘モードは格納庫(ハンガー)にいても行うことはできる――モードを切り替えるだけなのだから当然ではあるが、雪風にとっての戦闘行動とはリリィの目となり作戦区域内の友軍を管制し戦場でのあらゆる情報を分析する事である。 つまるところ戦闘区域を飛行しているときのログと非常に似た内容が書き記されているということだ。

 どういうことだろうか。 繰り返すようだが雪風が表示させたError(エラー)ログの時間、間違いなくCFA-41“Mave(メイヴ)”は格納庫(ハンガー)に存在していた。 束が意識を失って発見されたのだから誰に聞くまでもなく、その事実が間違えようのない現実なのだ。 だがログには電子戦闘モードで戦闘区域に存在していると記されている――それも極僅かな時間。 軍用機が五分足らずの僅かな間で戦闘区域に出て戻ってくるというのは些か疑問を覚える。 飛行していないはずなのに飛行してると記された情報。

 ――電子戦闘モードを使用したのは外部からの介入に対抗するためと考えれば一応の辻褄は合うが、戦闘区域を飛行したというのはどういうことだ……仕掛けてきた適性存在を無力化してきた、にしてはログの時間が短いうえに、出撃したというのなら私の耳に入らないハズが無いのだが。

 記された意味は理解できるのだが、それらが矛盾しており理解することができず情報を整理しようと頭を捻るが何も思いつかない。 そもそも戦闘区域とは何処の事を言っているのかさえ書かれていないのだからリリィでなくとも理解するのは不可能だろう。 そこまで気がつき新たに生まれた疑問を雪風に問いかけた――ログに書き出された戦闘区域とは何処だ、と。

 《Reconstructed virtual space……》

 ――再構成された仮想空間。

 一瞬だけ雪風が何を返答したか理解できず呆然とモニターに表示された文字を何度も読み返し、戦闘区域という言葉を先入観で捉え勘違いしていたことにリリィは気が付く。 別に戦闘区域は銃弾が飛び交う戦場である必要はないのだ――電子戦闘を行うという事も歴とした戦闘行動であり、それは雪風が何処にいたとしても戦闘区域に存在している事となる。 つまりログは――電子戦闘モードを起動し待ち構え極僅かな電子戦闘を行ったという事を示しているのだ。 それならば機体が動いている必要もなく、また束の意識が無くてもおかしくはない。 この理解できないログは仮想空間内を雪風は飛行していた、ということ指し示しているのだろう。

 ふと、仮想空間のシステムは雪風には搭載していない事に気がつき再び思考を止めた。 雪風の言う仮想空間とは一体何だ――束が空中戦闘機動を練習するため睡眠時に使用していたアレの事だろうか。 だとしたら知る由もないシステムの存在を何故雪風は知っているのだ。 何故そのような場所で戦闘行為が行われていたのだろう。 このError(エラー)ログは――と浮かび上がった瞬間、一つの仮説がリリィの頭に過る。

 束が外部からの電子攻撃により仮想空間内に囚われたという可能性だ。 リリィが知る仮想空間は“白騎士”にも使用された(コア)へ身体を巡る電気信号の一部を通し変換(コンバート)、それをプログラム内に作られた身体へ巡らせ脳と仮想空間内を繋ぐモノ。 擬似的な身体を使う事によって脳へと仮想空間の視覚情報を送る睡眠学習機のようなシステム。 その間、束の身体は本来巡るはずの電気信号が必要最低限なものとなるため重病患者と似たような状況に陥る。 この状態と今回の意識を失っていたという状態は非常に酷似しているだろう――そして雪風の行っていた電子戦闘モードと、この束が機内から運び出された時間の直前に行われたシステムの削除。 これから導き出されるのは外部から改竄により仮想空間が作り出され何者かによって起動、束を強制的に引きずりこんだというものだ。 些か話が飛躍しすぎな気もするが全くありえない事ではない。

 このログに記された削除は雪風が仮想空間の情報(データ)を不正なものとして削除したというもので、それまで外部から束に向けられた電子攻撃に対抗していた――そう考えるのがログから考えられる事実だった。 なるほど、確かに仮想空間を一から作るとしたら膨大なログが生まれるのは当然といえよう、そうリリィは行き着いた可能性に納得する。 そして同時に自分達以外に雪風を上回るクラッカーが存在しているということに恐怖を感じてしまう。

 

「“Scarlet Eye(スカーレット・アイ)”から雪風へ。 この指定したログでは一体何が行われていたのか状況説明できるか? 私の推測の裏付けが取りたい。 できる限り事細かに報告を求む」

 

 現状、雪風に致命的な欠陥らしきモノは発見されていない――故に表示される情報は雪風が知る正確な情報なのだ。 人間では摩耗する記憶という名の情報を機械だからこそ鮮明に引き出し提示することができる。 それが証明された今現在の雪風へ行う質疑応答は無駄ではない。 心の片隅では何を馬鹿なことを行っているのだろうと思いつつもリリィは失笑しそうになるのを堪え、ぼんやりとモニターを眺めていた。

 《An electronic attack by "Ghost" took place and one of the officials was attacked……》

 ――“Ghost”による電子攻撃が行われ機上の一人が攻撃を受けた。

 モニターに書き出される文章はリリィを驚かせるには十分な威力を持って映し出されたが、それでもリリィの予想を超えるような摩訶不思議な現象というわけでもないため、意識が僅かに覚醒する程度の衝撃しか受けない。

 “Ghost(ゴースト)”という名称がリリィの先入観を強く刺激し架空の――それこそ御伽噺に出てくるような実体のない妖精や霊魂をイメージしてしまうが、その痕跡は電子の海に残る存在。 証明することが出来ない不可解な存在、解明することのできない物理法則を上回る魑魅魍魎の類だからこそ人は恐怖として認識するのだが、“Ghost(ゴースト)”はソレではない。 紛れもなく実在するプログラム群なのだ。 だからこそ同格のプログラム群であろう雪風という存在と衝突するのは目に見えていた。

 しかしながら雪風はどのようにして対象を“Ghost(ゴースト)”と認識したのだろうか。 そもそも“Ghost(ゴースト)”という情報は数時間前に百合奈から聞かされただけで雪風に入力(インプット)をしている暇がリリィにはなかった。 もしかしたら束が行ったのかもしれないが、正体不明の存在をどのようにして“Ghost(ゴースト)”であると雪風に認識させるというのだ――証拠も情報も無い、故に“Ghost(ゴースト)”を見分ける術がないというのに。

 

「どのようにして敵対象を“Ghost(ゴースト)”であると判断した」

 

 隠された事実を紐解いていくのは探偵の役目である、そして自身はソレでは無いとリリィは率直に雪風へ問いかける。

 特殊な枠組み――人間的に言うのであれば価値観や思考ロジックは人であるから癖があり特徴があるのだが、雪風は人ではなく人工知能。 リリィを基礎(ベース)に型作られたとはいえ、その枠組みは人よりも多く限界が無い。 情報が増えるごとに雪風の枠組みは広がっていくのだ――人の思考ではソレを理解するには時間が足りない。 いや、人が1を理解した頃には雪風は10を超える枠組みを広げているために追いつくことが無い――考えるだけ時間の無駄というやつだ。

 だからこそ人間に雪風の判断を理解することはできない。 そして同時に雪風という人工頭脳が致命的なError(エラー)を起こしているか、それとも正常であるか等という状態異常も判別することができなくなっている。 複雑化したプログラムは自動的に増え続ける枠組みのせいで常に広がりつつも再構築され最適化さてれている――ということは、それを繰り返す毎にError(エラー)という致命的な欠陥が生まれる可能性があるのだ。 自身が作りあげたモノだからこそ生まれる不安を加速させているのは、プログラムという限界を超え続ける雪風の成長速度。 何事にも限界が訪れれば、それに伴い変化は訪れる。 雪風もまた人工頭脳という限界(カセ)から解き放たれ人間に近いナニかになっているのだろう。

 そうなってしまえばリリィが雪風を理解できなくなる日は、そう遠くない。 その枠組みはリリィが把握できないほどの広がりを見せ、それを高速で処理する雪風は一種のスーパーコンピュータなのだ。 そのことについては間違いではない。 元々、そのような性能を付与させて製造したのは間違いなくリリィ自身なのだから。 だがプログラムであるからこそ理解のできる規則性は雪風という存在には無く、日々成長し続け人間の――開発者であるリリィの予想を遥かに超えた自己成長を繰り返し、ただのプログラムではなく想定外の柔軟性を身に付け機械というよりも人間に近い存在になっている。 だが(カラダ)は人間ではなく機械であるからこそ、その成長は正しいものかError(エラー)なのか判断がつきにくい。 もはや新手の機械生命体とでも言うのが正しいのだろうか。 その判断ができないためにリリィは己が作り上げたはずの人工頭脳を、雪風を無条件に信じることができない。

 《Because it is impossible for humans to make intrusions from many different from viruses due to advanced deception work, we will declare the enemy object as a "Ghost" comprehensively……》

 ――高度な欺瞞工作によりウイルスとも違う多数からの侵入は人間では行えない事から、総合的に敵対象を“Ghost”と断言する。

 簡潔に言ってしまえば先ほど想像したとおり、雪風は対象との電子戦闘中に判断し消去法で自身と同格の相手を“Ghost(ゴースト)”であると判断したようだ。 ログとは別に表示される証明過程は紛れもなく一人の人間が行うには膨大な電子攻撃。 それを最低限の被害で抑えつつ最終的には弾いてみせた雪風はError(エラー)の無い完全な状態であるのだろう。 そんな雪風に小さくも被害を与えたという“Ghost(ゴースト)”は、一体どれほど頭の良い人間が作り出したのだろうかと危機感に駆られそうになる。

 百合奈の話では、その存在を確認したのはMillennium Bug(ミレニアム・バグ)と同時期――つまるところ古くて1990年には確認されていたということだ。 コンピュータープログラムの致命的な欠陥を隠れ蓑に“CCCNO(シースリーエヌオー)”社へと電子攻撃を仕掛けた存在。 当時普及していたコンピュータープログラムを“CCCNO(シースリーエヌオー)”社基準の物に変えるには、“Ghost(ゴースト)”による電子攻撃が行われたという事実を“CCCNO(シースリーエヌオー)”社は隠蔽しなくてはならない。 事実を公表してしまえば同様の被害によって顧客情報や機密文章の漏洩という危険性からコンピュータープログラムの採用は見送られ修正は間に合わず、世界経済に深刻な打撃を与えていたのかもしれない。 この時点で既に雪風と同等の高い知性を持ち合わせ、ある種の高度な駆け引きができたと見て間違いはないのだろう。

 ――予想以上に厄介なプログラムなのは予想していたが、まさか雪風に匹敵するとは。

 もしかしたら“Ghost(ゴースト)”というプログラムも機械ではなく人間に近い、成長を繰り返している生命体なのだろうか。 もしそうだと言うのならば製造過程で入力(インプット)された目的へと“Ghost(ゴースト)”は向かい続けているということになる。 だとすれば“CCCNO(シースリーエヌオー)”社に対して強い憎悪を向ける、それこそ篠ノ之束のような天才が十年も昔から、この世のどこかに潜んでいるという事となるのではないか。 憎悪という感情は争いの引き金へ躊躇いなく指を掛け――そこへ都合よく現れる“白騎士”という存在。 そして束を仮想空間へ引きずり込んだということは、“Ghost(ゴースト)”は偶然ではなく計画的に電子攻撃を仕掛け束を襲ったという事なのだろう。 そもそも偶然で電子攻撃を仕掛けることは有り得ないのだが、紛れもなく“Ghost(ゴースト)”という存在は束に目をつけたという事は間違いない。 

 ここで考えられるのは未確認人型兵器を生み出した存在が対抗手段を生み出されないために電子攻撃を仕掛けたという事と、篠ノ之束という人間の電気信号を読み取ることで“白騎士”に関わる情報(データ)を抜き出すという事だろう。 無力化か思考盗撮か――前者は、これ以上の防衛手段が生み出されないようにする為の行為で、後者は己の利益や欲求のために行われた行為だ。 このうち前者はリリィが束を餌として網をかけていた対象である可能性が非常に大きく、後者は優先度は低いものの警戒が必要な危険性を持っている。 なにはともあれ、ようやく“ジン”等の未確認人型兵器に関わる手がかりが舞い込んできたのかも知れないのだ。

 

「今回の電子攻撃を行った敵対象を、ここにある情報で潜伏地点を割り出すことは可能か?」

 

 《It is possible but the possibility of a trap is very high……》

 ――可能であるが罠の可能性が非常に高い。

 そうだろうな――と思いつつもリリィはそれを良しとせず考え続ける。 しかしながら、それが出来るのであれば百合奈が既に行っているだろうと、即座に結論を出すと小さな溜息が自然と漏れてしまう。 被害者である束や雪風よりも“CCCNO(シースリーエヌオー)”社は十年以上も“Ghost(ゴースト)”に電子攻撃を仕掛けられ、それを退けているのだ――対策は勿論のこと、逆探知等は既に行われただろう。 だからこそ百合奈は『唐突に何もない電子の海に現れる』存在として“Ghost(ゴースト)”という仮称で呼んでいるのだ。

 実際に“Ghost(ゴースト)”というプログラムを削除しようとするならば全てのネットワークを停止させ、プログラムが動くことの出来ない状態を作り上げてから世界中に存在しているコンピュータープログラムを全て確認するか、初期化するしかない。 しかしそんなことをしてしまえば“Ghost(ゴースト)”というプログラムが存在していることを世に知らしめる事となる――それは“CCCNO(シースリーエヌオー)”社の信用問題に関わる事から、まず間違いなく行われない。

 もしも“Ghost(ゴースト)”を消すことができたとしても、作り上げた人物は不明のまま。 既に亡くなっているというのならば“Ghost(ゴースト)”というプログラムが再び現れることはないだろう――だが今もなお同様のプログラムを生み出しているというのなら、再び“Ghost(ゴースト)”というプログラムは現れる事になる。 生きている限り同じことが繰り返されるのならば泳がせ続け大元を叩く――百合奈の考えを合理的に考えるのであれば、こうなるだろう。 そして今もなお“Ghost(ゴースト)”は存在しているということは、ただ一つ――“Ghost(ゴースト)”を作り上げた存在は“CCCNO(シースリーエヌオー)”社を上回る存在ということだ。

 それが出来る可能性がある組織といえば、色々と黒い噂が囁かれている“Phantom Aufgabe(ファントムタスク)”社ぐらいだろう。 ADFX-01“Morgan(モルガン)”を設計し“Radio Active Detonator(レディオアクティブ・デトネイター)”という小型戦術核を理論上組み立てたローズ・サミナード――その機体を製造した“Phantom Aufgabe(ファントムタスク)”社は少なからず繋がっている可能性は非常に高い。 失踪後に国際手配された彼女すら匿っている可能性が少なからずあるのだ――疑わしきは罰せよと言うつもりはないが、ここまで危険極まりない黒い噂ばかりが集まる時点で“Ghost(ゴースト)”が“Phantom Aufgabe(ファントムタスク)”社の開発したプログラムと言われても納得してしまうだろう。 一体、どのようにして存続し続けているのか不明な得体の知れない組織だ。

 《Catch unknown encrypted communication……》

 ――不明な暗号通信をキャッチ。

 またも不明な暗号通信を送られてきたのか雪風は受け付けた情報(データ)の処遇をリリィに問いかける。 現状、送信者不明の安全性が確立されていないファイルを開かないようシステムに組み込まれたプロテクトで押さえ込んではいるが、一体何者が送りつけてきたのだろうか。 そもそも雪風に対して暗号通信を送ることが出来る存在というのは限られている。 ドイツ連邦国防省連邦防衛軍では軍事通信により作戦時において更新される情報を、そして戦術情報データリンクシステムによって作戦行動中の機体にも情報(データ)を送受信を行うことを可能とし、“CCCNO(シースリーエヌオー)”社では百合奈が雪風に対して行った独自の衛生システムを使用する直接送信を可能としている。 では今目の前で雪風が送られてきたと報告するファイルもまた、衛星通信によるCFA-41“Mave(メイヴ)”への直接通信なのだろう。

 しかしながらCFA-41“Mave(メイヴ)”のシステムは雪風という人工頭脳によって管理されている――それは通信手段すらも雪風によって管理されており秘匿状態。 ドイツ連邦国防省連邦防衛軍に在籍する一部将校を除き誰も知る由もないのだ。 それなのに“CCCNO(シースリーエヌオー)”社や今回のように送られてくるという事は、“Ghost(ゴースト)”の件も含め自身が構築したシステムの虚弱性を見せられている気がして不安になってしまう。 作戦を終えたら早急にプログラムの組み直しを検討しようと思い、リリィは雪風に送られてきた情報(データ)の危険性を調べさせる。

 昨夜同様にチェックした部分ごと別フォルダーに移していく――しかし昨夜とは違い重くなるような原因の情報(データ)が組み込まれていることがない、ただの添付ファイル付きのメッセージであったため作業は数秒で終わりを見せた。 ウイルス等の危険性は見つからず下手をすればテキストメモ程度の容量しか無い。 一体何のイタズラだと思いつつもリリィは恐る恐るファイルを開く。

 ――なんだ……これは?

 中身を確認するも表示された文章は文字化けしており正確に読むことができない。 いや、もしかしたら新手の暗号通信なのではないかと頭の中で様々な文字コードに置き換えてみるも一切読み解くことができなかった。 モールス符号のように規則性があるというのなら、まだ分かりやすかっただろう――しかし目の前に表示される文字列は紛れもなく規則性の無い正しく変換されなかったError(エラー)表記だ。

 文字化けというのはコンピュータに表示する際、正しく表示されず全く別の文字が表示される一種の変換ミス。 同一のシステムで作成したファイルには起きにくいが別のシステムで作成されたファイルを読み取る際に、作成側のシステムが存在しないことで強引に表示した結果、存在しているシステムで補おうとファイル内容が変換され読み取れない状態となるのだが、まさしくモニターに映る文字列がソレだろう。 文字コードの違いやエンコードの不一致であるならば雪風が表示できないはずがない。 逆に考えてしまえば雪風が表示することの出来ないファイル――現在の社会に普及している“CCCNO(シースリーエヌオー)”社のシステムでは作成されていないファイルということとなる。 

 

「――“Scarlet Eye(スカーレット・アイ)”から雪風へ。 ファイル展開時からシステムの改竄(かいざん)、異常は見受けられないか?」

 

 もしやと思い問いかけるも送られてきたファイル容量からシステムを改竄(かいざん)する程のプログラムは存在しないことは明白で、当然のように雪風はリリィの問いに対し――正常に稼働中と返してきた。 本当にただのイタズラなのだろうかと、まだ確認のとっていない添付ファイルに目を向ける。 雪風は受信した全てのファイルにウイルス的なプログラムは存在しないとして断言しており、そこには未だ展開していない添付ファイルも含まれていた。 リリィは(いぶか)しみながらソレを展開していく。

 情報(データ)に対応する表示を行うため雪風はメインモニターに映る表示を一時収納し添付ファイルを映し出す。 恐らく添付ファイルの中身は数字のみで構成されており、雪風はソレを緯度と経度であると判断したのだろう――徐々に地図は拡大され現在位置とは別の場所に赤い点が生まれた。

 《23.671938,148.211426……》

 原子力空母“Principality(プリンシパリティ)”が警戒待機している地点より南東に約700kmの地点を示しており、マリアナ海溝に近い太平洋プレート上を点は指している。 特に何も存在しない海――精々(せいぜい)、日本海溝で北アメリカプレートの下に潜り込み、その先にも存在していたフィリピン海プレートの下に潜ってしまったため、それなりに海の深い場所といえよう。 何故、添付ファイルはこの位置を指し示しているのだろうか。 “シンファクシ”級潜水空母が潜水している位置だとしても、態々(わざわざ)このような送信者不明となるように暗号通信を送ってきた時点で、この情報に確証や信頼性は一切存在しない。

 ――確か提示された強化兵装案の中に対潜哨戒用装備があったな……。

 イタズラみたいな暗号通信ではあるが全てを否定するほどリリィの思考は固くはなく、“CCCNO(シースリーエヌオー)”社側から提案された対潜兵装の存在を思い出しながら哨戒任務として確認するべきだろうと考え始める。 CFA-41“Mave(メイヴ)”のハードポイントにも搭載することが可能であるソレは専用兵装ということではなく、既存の軍用機を対潜哨戒機として運用するために開発された装備――つまるところ早期警戒機のように既存の機体を改造することで専用の機能を持たせるのと同じく、ハードポイントに搭載することで対潜哨戒機と同様の機能を持たせるために開発されたものだ。 使用できる機能は限定されるが、それでも航空母艦の艦載機搭載能力に限度があることから一機に対し多様性を求める事は何もおかしなことではない。 ポッド式の照準装置や偵察用装備等のハードポイント搭載型支援装備は既に存在しているのだ。

 問題となるのは対潜哨戒を行うための装備が多くシステムの複雑化から、搭載可能な機体が限られていることだろう。 対潜水艦用音響捜索機器――所謂(いわゆる)ソノブイを搭載する箇所に加え、赤外線暗視装置、電波逆探知装置等を多く積載するため必然的に豊富なハードポイントを要求される。 またそれら全てを処理するための高性能なハードウェアが必要となるのだが、そのような高性能機は少なく、まして対潜哨戒機となると使用されるのは空軍機ではなく海軍機――つまり艦載機が主となるわけだ。 整備性や機体の重量制限を大きく超えるであろう装備を使用するぐらいなら、最初から専用に作られた対潜哨戒機を採用したほうが無駄がない。

 だがCFA-41“Mave(メイヴ)”に限り別の話だ。 元々、空中管制指揮を行うために改修された結果、既に赤外線カメラや電波出力によっては対人殺傷能力があるほどのレーダーが備わっており、同時に現存する制空戦闘機を超えるであろう機動性すら持つ。 そこへ雪風という名の人工頭脳によって、それらのシステムが円滑に機能し高性能な機体として仕上がっているのだ。 対潜哨戒用装備の幾つかはCFA-41“Mave(メイヴ)”の方で代用できるため必要最低限の装備のみを積載する事で十分に対潜哨戒機としての役割を持つことがでる。 当然、ハードウェアに関しては問題になる事はない。 長距離を飛行することから対潜ヘリコプターの採用は好ましくないため、CFA-41“Mave(メイヴ)”による対潜哨戒任務が最善であろう。

 雪風でなくとも理解できるお粗末極まりない(トラップ)態々(わざわざ)引っ掛かりに行く意味はないが、このような緊急時に哨戒任務に出なくて良いというわけではない。 何もないとしても、そこに“シンファクシ”級潜水空母は潜んでいないということさえ判明すれば、その海域を警戒する必要は当分の間は無くなる。 現在“シンファクシ”級潜水空母による弾道ミサイル発射の阻止と束を狙う存在、双方がリリィ達に牙を向け襲いかかろうとしているのだ――雪風の点検は終わったのだからこそ、ここで手を打たなければ後手に回り最悪の事態へと発展する可能性があった。

 

「――艦橋(ブリッジ)、こちら“Scarlet Eye(スカーレット・アイ)”。 篠ノ之百合奈に話があるため繋いでもらいたい」

『現在、篠ノ之百合奈は休息を取っております。 御用があるようでしたら(ワタクシ)の方から伝えておきますが』

「火急の要件だ。 直ぐに繋いでくれ――今作戦に関わる内容である」

『了解しました。 ただいま回線を回しま……』

 

 格納庫(ハンガー)の壁に備え付けられている艦内電話を使用し艦橋(ブリッジ)に繋げ、リリィは百合奈を呼び出そうとするも、それを遮るように艦内に定期的な電子音が鳴り響く。 その音に誰もが反応し顔を上げ状況を知ろうとリリィの方に顔を向ける。

 

艦橋(ブリッジ)、何があった?」

『“Tellus(テルス) System”が艦影を補足。 ここより南東へ361海里の地点にて潜水艦らしき浮上物を確認したもよう――艦種特定中ですが“シンファクシ”級潜水空母の可能性アリ。 “ Schwarzer(シュヴァルツェア)”隊には発艦指示が出されています』

「了解――各機スクランブル! 対象は潜水艦クラスとの報告アリ。 整備が完了してる機から順次発艦し方位1-2-0(ワン、ツー、ゼロ)に進路を向け飛行。 目標が“シンファクシ”級潜水空母であった場合、その場での撃沈も許可する! 確認地点は戦術情報データリンクから指示するため搭乗後速やかにパターンBにて確認!」

 

 かけられている高さからか受話器を投げ載せるかのように置き、リリィはアラートによって待機場から走る“ Schwarzer(シュヴァルツェア)”隊へ理解しやすいようドイツ語で指示を出す。 その様子からか薄々気が付いてたのか判断はできないが、今現在艦内に鳴り響いているアラートが緊急時のものであると判断した整備員は各々発艦作業へ移っていく。 牽引車(トラクター)を使いクラウスが乗り込んだF-15C“Eagle(イーグル)”を後部エレベーターから飛行甲板へ移動させる。 また別のエレベータではロイの機体を運び上げ、作業が終了したのか吊り下げられていた機首を下ろしたケイの機体に空対艦ミサイル等の装備が手早く装備され、その邪魔にならないようケイは自身の機体を点検していく。

 リリィも同様に急ぎCFA-41“Mave(メイヴ)”のコクピットまで駆け上がるが、肝心のパイロットである束がいないことに表情を(しか)めた。 別にパイロットを必ずしも必要としている機体ではない。 専用のシステムを立ち上げれば雪風による完全自律制御や、管制指揮官であるリリィのみでの飛行も可能としてはいるのだが、原子力空母“Principality(プリンシパリティ)”に束を一人残すという状況は誰が敵なのか判断つかない場所へ置いていく事と同義だ。 “CCCNO(シースリーエヌオー)”社の目的が判明しない現状、肉親であっても味方という訳ではない。

 ――困ったな……暗号通信の添付ファイルと不明艦の浮上位置が合致してるせいでパイロットがいないと緊急時に対処しきれない。

 こうなるとCFA-41“Mave(メイヴ)”を発艦させる事は難しく、それに釣られるよう“ Schwarzer(シュヴァルツェア)”隊の動きも制限される。 今の“ Schwarzer(シュヴァルツェア)”隊は空中管制指揮機が存在しないと他国の海上を目隠ししながら飛行している状態に等しく、帰艦しようにも手間取り原子力空母“Principality(プリンシパリティ)”にたどり着けず海上を迷い、全ての燃料を使いきり墜落する可能性もあるのだ。 空中管制指揮官というガイドが彼らには必要となるのだが、それが出せない。 本来このような役割を持つのは日本の航空自衛隊なのだろうが、残念なことに“ Schwarzer(シュヴァルツェア)”隊はCFA-41“Mave(メイヴ)”と“CCCNO(シースリーエヌオー)”社の存在によって航空自衛隊との協力関係が薄く、今現在“AWACS(エーワックス)”が、どの地点を飛行しているのかさえ不明なのだ。 状況に応じて必要な情報を送る頭がいない事には他国の空を飛ぶことは難しい。

 仕方ないと“ Schwarzer(シュヴァルツェア)”隊機に必要な情報だけは送りつけ、未だ試験段階の完全自律制御状態による飛行及び、戦術情報データリンクによる各機体のモニターへ指揮情報を送る情報伝達システムを起動させる。 計算上完璧とまでは言わないが、それでも十分に機能はする――そう不安になりながらコクピット内に置いたままのインカムを拾い上げ、機内の設定を切り替えていく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「“Scarlet Eye(スカーレット・アイ)”から雪風へ。 これより全コントロールシステムの権限を一時的に“Scarlet(スカーレット) 1”及び“Scarlet Eye(スカーレット・アイ)”から雪風に移譲する。 隊機との戦術情報データリンクをパターンBから緊急用プログラムEに変更し管理――情報を記録し必要に応じて各機の指揮を行え」

 

 《I have control……》

 最低限ではあるがリリィが出れない以上“ Schwarzer(シュヴァルツェア)”隊を指揮する方法はこれしかない。 緊急時に投入する事はないだろうが先を見据えた場合、束を失うことは得策ではなく、むしろリリィの管理外へ置かれた時に発生するであろう情報の流出は阻止せねば核戦争に匹敵するであろう危険性を世界中に蒔いてしまう可能性すら秘めていた。 “CCCNO(シースリーエヌオー)”社という存在は巨大複合企業であるが為に一度回ってしまった情報は揉み消すことは難しく瞬く間に広がってしまう――それは産業スパイとして潜り込んでいる存在にも広がるということだ。 悪用される恐れがゼロではない以上、束の傍から離れるのは得策ではない。 首輪を繋いでいたとしても動かぬ身体では管理しているのではなく、ただの(おも)りでしかないのだ。

 

「各機へ次ぐ――本作戦においてパイロットの欠員が出た。 そのため初となる人工頭脳のみの“Mave(メイヴ)”単独出撃並びに戦闘指揮を実施する。 これは演習では無い、繰り返す、これは演習では無い。 各員、気を引き締め作戦を遂行せよ」

『大尉は出られない――了解。 四番機、戦術データリンクをリンク16から緊急用リンクに変更完了。 先行し任務を開始する。 二番機、早く上がって後ろに付いてこい』

『こちら二番機、戦術データリンクをリンク16から緊急用リンクに変更完了。 カタパルトに前脚を結合しているため、遅くても発艦まで一分かかる』

『こちらも変更完了』

 

 復唱を省略したことに忠告を出そうとするもスクランブル発進であるため仕方がないと流す――だが今のは間違いなくカーニアの声である。 毎度の事となるが忠告はデブリーフィングの時に行うとしようと思い、コクピット内に差し込まれていたインカムのジャックをケーブルを引っ張ることで強引に外し機体から飛び降りるかのようにタラップを飛ばし飛ばしで駆け下りる。 出撃しないのかという顔で見ていた整備兵にタラップを機体から離すようにと指示を出し、CFA-41“Mave(メイヴ)”は誰も乗せることなくキャノピーを閉じコクピットブロックを機首へと移動させ牽引車(トラクター)無しに艦首に近いエレベータを使い甲板に上がっていく。

 それを見届けたリリィは最悪の事態に不安を感じながら束が寝ている医務室に足を向けた。 数名の整備員が自走するCFA-41“Mave(メイヴ)”を呆然と眺め、その姿が消えたエレベーターを今も見続けている、そんな横を通り抜け艦内通路を早足で移動する。 恐らく甲板上では自走し、尚且つ無人の機体を打ち出しても良いのか騒がれていることだろう――パイロット無しに自走している時点で問題が無い事は証明してはいるのだが、先入観から戸惑うものは必ずいるはずだ。 艦内にカタパルトが高速で移動する音と共にジェット戦闘機特有のエンジン音が響き渡る。 航空母艦への乗艦経験が無いに等しいリリィにとって、これがF-15C“Eagle(イーグル)”のモノなのか、それともCFA-41“Mave(メイヴ)”のモノなのか判断はつかないが射出に手間取る事はなかったのだろうと音で判断し、この場にいる“CCCNO(シースリーエヌオー)”社の人間は何処かしらで軍属経験をしているのだろう予測を立てた。

 

「――束、入るよ」

 

 アラートは既に鳴り止んでおり乗員の全てが持ち場についたのか、医務室へ近づくにつれ人影を見る回数が減っていく。 原子力空母自体に攻撃能力が無いわけではないが今回に限っては空母打撃群による艦隊戦闘でもなければ、原子力空母“Principality(プリンシパリティ)”に対しての対艦攻撃が行われているということでもないため、スクランブルが発令された後は変わらず警戒待機が続けられている。 ただし状況が判明していないため、各員どのような状況でも対処できるよう交代制での警戒待機では無いのが唯一の違いだろう。 だからだろうか――医務室に近づくにつれて重要な区画が少なくなったため乗員の姿を見なくなったのは。

 騒がしくはないのだが、このアラート音は艦内にいる全ての乗員に聞こえるように大音量で流されているため、いくら寝ていたとしても艦の状況を把握するために医務室にも最低限流れているはずだ。 つまるところ先程まで艦内に響き渡っていたアラート音で束は起きていても不思議ではない状態にある――それなのにリリィの声に反応の一つもない現状に不安を覚え、扉を開ける前に右手でH&K MARK 23を握り僅かに押し開いた隙間へと捻り込むように銃口を室内へ入れる。

 もしや既に“CCCNO(シースリーエヌオー)”社によって場所を移し替えられた後なのだろうか、そう考えながら室内を覗き込むと妙な人影が見え他に何も無いと確認すると、その人物に視線を合わせ――そして銃口を下ろし入室。 ベッドの上にかけられているシーツは妙にグシャグシャではあるが腰をかけ俯き座っていたのは紛れもなくリリィの知る束だ。 起きているのならば連絡を、とも思ったがアラート音で目が覚めた可能性もあるため仕方がない。 なんにせよ無事であることに安堵の息が漏れる。 だが当の束はリリィが入室したことにすら気が付いていないのか、足元に落ちている紙へ視線を向けたまま何やら小さく呟いていた。

 

「束――束? おーい、束!?」

「――っ!? リリィ、ちゃん……?」

 

 ようやく気がついたのかリリィの顔を見上げる何とも言えないような酷い表情に、一体何があったのか等と聞く事が出来ない。 束が意識を失ってから今まで何を目にし感じ、そして何を思ったかは本人ではないためリリィには理解できないが、その表情からは焦りと不安が強く見られた。 そのどちらも恐怖という感情を生み出す原材料であるため束が何かを恐れているのではないかと感覚的に理解する。 真冬の艦内をシャツ一枚で過ごしているからか――それとも己を脅かす何かに怯えているのか判断はつかないが、その肩はわずかに震えており、リリィは周囲を見渡し何か束の身体を温めることができるものはないかと探す。

 

「体調はどう? どこか痛かったり気持ち悪かったりはしない?」

「……うん、大丈夫。 大丈夫だけど、なんだろ……頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのか、わかんない……」

 

 束は何を知ったのだろうかと着ていた上着を束にかけ何と声をかければいいのか迷う。 その不安を消すことが出来るというのならリリィは束に問いかけることもできただろう――だが、それが理解できないからこそ不用意に声をかけることができなかった。 精々(せいぜい)できることは束の体調を案じることだけだ。

 ――“Project Lily”……?

 ふと足元に落ちていた紙が気になり眼を向けると、そこに書かれていた文字が目に入り首を捻る。 一体、なんの事を指しているのだろうか。 “Projekt(プロジェクト)”と言うからには計画なのだろうがリリィは耳にしたこともない名称だ。 知らぬ間に束が進めていた極秘計画なのだろうかと考えるも、束ならば足元に落としたまま第三者に見せるようなマヌケな事はしないだろう――と即座に自身の思考を否定し別の可能性を考えはじめた。 恐らくだが束が書いたものではないとすると“CCCNO(シースリーエヌオー)”社――それも束へ近づく事を躊躇わないような人物が書いたモノだとするのが正しい。 考えるまでもなく百合奈が連れてきた束だろうと結論付け静かに紙を拾い上げる。

 

「――もし、もしもだよ……もしも自分が見てきたモノ全てが偽物だって言われたら、リリィちゃんは……どう、する?」

 

 その要領の得ない質問に困惑するも、手に持った紙とその質問が自然と結びつきリリィの中で一つの答えを弾き出す。 確かに自分が本物ではなく複製個体(クローン)のような偽物だと聞かされればアイデンティティークライシス――所謂(いわゆる)、自己喪失になってもおかしくはない。 自己の喪失、崩壊は、その人の培われた考えを初め、連鎖していくように生きてきた時間を否定するのだ。 一般的には人生において自身の思考や価値観が通用しなくなる時に起こる現象ではあるが、今の束に起きている現象は紛れもなく自身の価値観が崩壊している現象である。

 ようやく束の思考を覆っている原因に気が付くと、リリィは空いていた隣に腰を下ろす。

 

「別に何もされないのであれば、どうも思わないさ」

「……どういうこと?」

「そうだね――私が偽物だとしても、今を生きているスカーレット・リリィという名を持つ篠ノ之百合という人間は私だけで、私は私以外の何者にも成れやしないから本物であっても、偽物であっても生きていくには別に問題はないかなっていうことだよ。 それこそ自分を脅かす外敵が存在しなければ生きていく上で不都合はないんだから、そのifは私にとって興味のない事かな」

「でもそれって……」

「そう、他人が与える全てを疑い信じるのは自分だけという、私みたいな肉親を家族とも思ってないような人間が出来る行為。 もう失うものが何もないからこそ自分だけの世界が全てという、ある意味で自己中心的な人間だからこそ出来ることだよ」

 

 だからこそリリィは誰かを信頼することが出来ず利害関係による状況を第一に考えるのだ。 人間という存在は不確定な感情の上に成り立っているのであり、その感情の上に信頼を含めた他人との関係が積み上がっている。 しかし積み上がっていく関係は一番最初に接する肉親という存在を皮切りに広がっていき徐々にバランスが取りにくい程に増えていく。 逆ピラミットのように不安定な関係が増え、そして終わることのない広がりを見せ――やがて裏切りという名の風で崩壊する。 そして崩れた逆ピラミットで残されたのは、不確定な感情の上に安定して乗っていた家族という頂点だけだ。

 しかしリリィにはソレが無い。 確かに肉親という存在はリリィという不確定な感情の上に接しているのだが、それと同じようにイージスやクラウス、束といった肉親以外の存在も不確定な感情の上に接しているのだ。 逆ピラミットのように形を作ることなく自身の利害が一致する者との関係を平面に作り続けている――それは完成予想図が存在せず際限なく横に広がり続けるピラミット。 裏切られたとしても足場から崩壊することのない感情ではなく理屈で構成された人間関係である。

 

「でも結局は人間という生き物って自分以外の他人を認識し合っているから自己を確立できてるだけで、そこに本物も偽物も無いんだよね。 だから自分以外の誰かが本物だ偽物だとか言ったところで、私からしてみればどうでも良いこと――記号(ナマエ)が個人の全てじゃない」

Cogito ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム)……てやつ?」

「明確には違うけど、そういうことにしておこうか――我思う故に我在り、ってね。 さて自分の存在理由に悩んでる束に聞くけど、千冬や箒を失いたくないって抗ってる束は偽物なのか?」

「……私が箒ちゃんを守りたいという気持ちが誰かに刷り込まれたモノだったとしても、やっぱり箒ちゃんやちーちゃんは私の宝物だよ」

「――なら、それが答えなんじゃないかな。 迷ったときは自分の思ったことを素直に実行すればいい。 きっとそれが後悔のない自分の中にある真実なんだからさ」

「リリィちゃんも?」

 

 “フリーダム”を手に入れてからは自分が人間なのか、それとも未確認人型兵器と同じ存在なのかと不安に拍車がかかったが、それ以前から束の考えている自分が何者かの偽物ではないかというのは頭の中にあった。 父親である百合奈のせいだ。 あの視線、思考、そして似すぎた容姿はリリィに自分が普通に生まれた人間ではないのだという思考へと追い詰めるには十分な材料であったが、結局のところ自分が偽物でなにが困るのだという結論に至り考えるのを放棄。 元となった存在が人間なのだから自分が複製個体(クローン)だとしても人間以外には成りはしない。 複製個体(クローン)であっても逸脱した、生物兵器という存在でもないのなら普通に生きていくには何ら問題はないだろう。

 問題という問題を挙げるのだとすれば生物の寿命を決定すると言われている染色体の一部、Telomere(テロメア)が普通とは違うということだろう。 身体を構成する細胞の中に細胞核と呼ばれる細胞小器官を有する生物を真核生物と呼ぶが、その生物の染色体、その末端部に存在している構造のことをTelomere(テロメア)と言う。 染色体は末端を失うと隣あった末端同士の融合等が行われ、それを保護するための要素となるのがTelomere(テロメア)という構造だとハマーン・J・マラーらによって報告され定義付けられた。 現段階では解明はされていないものの身体の構造が成長や修復される際に細胞分裂が行われTelomere(テロメア)は短くなり、一定の長さまで短くなると増殖を止め細胞老化を起こし始める。 つまり複製個体(クローン)として生み出された場合、元となる人間のゲノム――全ての遺伝子情報が複製された形となる訳だが、当然ながら細胞分裂し短くなったTelomere(テロメア)も同じ長さのまま複製されるわけだ。 その結果で起きるのは人より早い細胞老化。 詳しいことに議論は続いているが簡潔に言えば人より早く老いがくるということである。

 長くない人生だ――リリィにとって未来を夢見ることは難しいからこそ今目に映る現実しか見ていない。 だからこそ死に急ぐような人生の線路を歩んでいるのだろう。 自身の優先度が低いのもTelomere(テロメア)による寿命の短さという可能性が原因かもしれなかった。

 

「そうだね――私も自分がしたいと思ったことをしてるだけに過ぎないよ。 スカーレット・リリィという偽りの仮面を被ったのだって、その時の私がしたかったこと。 そのことに私は後悔をしたことはないし、こんな私を必要としてくれる場所があるんだから、むしろ良かったと思ってるさ」

 

 自分自身の前に道が幾つあるとしても誰かが道を決めたとしても、ソレを選ぶのは自分しかいない。 複製個体(クローン)であっても差し出された選択を選んだというのなら、その者は操り人形ではなく、また確立的に選ぶのが予想されていたとしても、それは予想であり他の誰かに押し付けられたモノでは無い――それは紛れもなく歴とした人間が選んだ人生だ。 そこには当然だが複製個体(クローン)だけではなく“遺伝子強化試験体(アドヴァンスド)”計画により生み出されたラウラにも言えることである。

 束の不安は誰にも理解されないモノではない――最低でも目の前にいる自分は、その痛みを既に経験している。 だが今の束には、この現実は重すぎたのだろう。 いくら大人びているとは言え束は十三歳という子供で、そんな少女が自分の全てを否定されるという経験は相当に辛いものであるはずだ。 先に経験した者としてできることは、ただ泣き止むまで支えてあげることしかない――それしかできない。

 

「もしも偽物だとしても私が見てきた六ヶ月間は偽りなんかじゃない。 紛れもなく私が知覚し記憶している現実だ――何もかもが偽りなんかじゃない」

「……リリィちゃん」

「――もしも束の全てが否定されたとしても私は(ココ)にいるさ。 私だけは見ててあげるから、今だけは立ち止まって休もう。 今まで誰かの為にって走り続けたことが異常だったんだから……」

 

 誰に聞かれても別にかまわなかった――リリィが口にした言葉は嘘偽りのない本心なのだから。




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※特に無し



補足解説
(※追加予定)


《キャロライン・ベーネット》

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