031 4,Jan,2011/Collapse
2011年1月4日――日本人の生活は基本的に何も変化を見せることはないが、戦争と隣り合わせという平和に浸かりきった現代の日本人において、この現状は遠くの異国で起きた出来事程度にしか感じられず僅かながら戸惑いと不安を日々募らせ、そんな現実に慣れつつあった。 日本に住む国民に対し何が起きたのかという情報は確かにマスメディアを通して伝えられてはいるのだが、それでも状況を正確に把握している国民は多くはないであろう。 日本海から離れた陸地へ向かう事に自国が戦火に巻き込まれているという感覚どころか戦争をしているという認識が生じず、普段と変わらない日常が続いているからこそ危機感の無い人々により偽りの平和が維持されていく。 ある意味で海という何者にも平等かつ
国内で観測された核爆発という事実すら虚構であると言わんばかりに時計の針は動きを止めることなく次の
睨み合いといえば聞こえは良いのだが実際は敵性国家を敗戦寸前にまで追い込んではいるのだ。 敵性機等が朝鮮民主主義人民共和国から出ているため対象国家を判別するのは難しいことでは無く、対象が配備している兵器がどれだけの数を残しているかすら見当がつく。 現在も稼動し一定の驚異があると認識することができる機体が対象国家には残り僅かで、日本側にある優位性が覆ることは無い。 まるで飛車や角等の主要な駒が存在せず歩兵の合間を抜け王手を決めることが可能な状態とでも言えば良いのか――だが、その合間に大韓民国という見えない壁が存在しており攻め
朝鮮半島には軍事境界線という大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との実効支配地域分割する地帯が存在しており、これは国境線ではないが1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定により発効され非武装中立地帯として両国の主張する領土の関係上で存在している。 この軍事境界線を境に両国は分割されているのだが、そこを通り朝鮮民主主義人民共和国は日本への進行ルートとして大韓民国を通過――つまりは大韓民国に対する侵略行為とも見て取れる行動を選択したのだ。 これは当然、朝鮮戦争休戦協定を反故にする行動でしかなく、ただ黙って状況を見ているという状態でも無い。 対立しているからこそ国同士が啀み合い朝鮮戦争というページを歴史に残したというのに、防衛も迎撃も行わず自国を蹂躙させる危機的状況へ陥らせる政府がどこに居よう――だが行われなかった。 もしかすれば行われたのだが長くは続かなかったのかもしれない。 そこが問題なのだ。 本来であれば他国の侵攻に対し防衛や反撃行動に出るのが普通の軍隊であるのだが、今回に限り抵抗らしい抵抗が確認されなかった。 自国の空や大地に許可なく侵入しているというのにだ。
では許可があるのであれば――その行為が大韓民国が認めているのであれば、それは侵略になり得るのだろうか。 いや、それはもはや侵略行動ではない。 もしかしたら今回に限り両国は敵対関係ではなく同盟関係として成り立っているのではないか、そのような推測が情報の少ない中で生まれてしまうのも仕方がなく大韓民国が合衆国軍にとって軍事同盟国であるのか敵性国家であるのか明確ではない現状が生まれてしまい、あの空が
「敵機撃墜、残機3――“
空間受動レーダーの存在で第五世代ジェット戦闘機を配備していない両国の空戦機は眼前にいるものと変わらなく、いくら大韓民国から機体を徴収したところで優勢なのは変わることはなかった。 本来であれば数の差は驚異的に映るのだろうが、ここまで技術的な格差があると裏をかかれていないかという別の心配が出てくるほどにリリィから見た敵機は驚異的には見えないのだ。
朝鮮民主主義人民共和国では朝鮮人民軍という軍隊が存在しており他国同様、陸海空に加え戦略軍が存在し、190万人と世界有数の総人員数を有しているのだが、そのどれもが旧式の装備しか配備されておらず量は多くても質は無いと言っても良い。 数字の上では800機以上配備している戦闘機も旧式に加え老朽化や整備不良等の問題で投入できる機数は100機前後と言われている。 また陸軍に至っては半世紀以上も昔の装備が主流――なかには第二次世界大戦で運用された
この中でも唯一特徴的なのは戦略軍と命名されている弾道ミサイルの運用を目的とした兵科であろう。 基本的に旧式の装備ばかりを配備している朝鮮人民軍ではあるが核実験と共に大陸間弾道ミサイルの性能は日々向上しているのは周知の事実であり、近年では2009年4月5日に行われたテポドン二号の改良型と思われる人工衛星打ち上げ用ロケットで衛生を周回軌道上に乗せる発射実験が行われた。 しかしながら周回軌道上に該当する衛生は存在しないと各国が対象の衛星を確認することができず、この実験は衛星軌道到達速度には達せず失敗に終わったのではないかとされている。 また朝鮮民主主義人民共和国は国家予算の約15%が国防費として計上されているらしく、一説によると500億円を超えないであろうとの見方がされており兵器的なレベルとして認識できる戦闘機を配備しようにも、この推測が正しいものであるとすると最新鋭機でなくとも三機程度の購入が限度であろう。 現在配備されている機体の大多数が1950年代に旧ソビエト連邦で開発されたMiG-19“
結論として述べると現在の朝鮮民主主義人民共和国の戦力は戦略軍を除き総じて現代の戦争に投入できる
――Confirm shooting down of enemy aircraft, all aircraft……
《敵性航空機、全機の撃墜を確認》
CFA-41“
International Security Assistance Force――国際治安支援部隊という組織がある。 主にアフガニスタンの治安維持活動を行い当政府を支援する目的で設立された有志国の集まりからなる多国籍軍なのだが、任期が二ヶ月前の2010年10月13日で終わり、“白騎士”を引き金として発生するであろう多国間とのトラブルに備え日本に招集され“シンファクシ”級潜水空母破壊任務についていたのだが、開戦によって現在の防衛任務についていた。 中でも“
「――これより高高度からの偵察任務を開始する。 現空域を後方の隊に任せ“
『Roger. Mission complete. RTB.』
垂直尾翼に部隊のパーソナルマークであるメビウスの輪を描いたF-22“
「通信システムをシャットダウンする。 本作戦のフライトプランに変更はない――最優先目標は主要在韓米軍基地となる五ヶ所に駐留していた合衆国軍兵士の安否だ。 状況が状況なだけに我々のミスで誰かの命が失われる可能性があり、また発見され次第、防空ミサイルが放たれると予測される。 その点に留意し飛行せよ」
「――
リリィの中で一番恐れる状況としては万全なレーダー網を用いた防空システムによる敵性国家の迎撃行動だ。 いくらCFA-41“
本作戦行動については“
全ての発端は“白騎士”という存在なのは誰の目から見ても間違いはないだろうと原子力空母“
あいにく簡易的な点検をしたところ接続に問題はなく試験動作も全項目を確認し基準値を上回っているため、雪風が偵察装備に接続できていないということは無い。 雪風は正しい情報を常に提示し続けている。 しかし、そうなると今回の偵察任務で在韓米軍基地に生物の反応が感知できなかったという結論は正しいものとなるわけだが、ならば
怪現象ではないとするならば考えられる理屈は二つだ。
一つ目に捕虜として合衆国軍兵士を押さえアメリカ合衆国という大国が動けない状態を作り上げる事だろう。 軍人とは言え紛れもない人間という存在だからこそ弱点になり得るのは1968年に起きたプエブロ号事件で証明されている。 簡単に言ってしまえば朝鮮人民軍の奇襲による合衆国海軍艦の拿捕といえば良いだろう。 私見とはなるが朝鮮民主主義人民共和国という国家は自らの領土や領海内で起きた事件であると公言しているも、実際は二つの戦争を行うだけの余力がない合衆国軍の状況を理解した上でソ朝友好協力相互援助条約に基づくソビエト連邦軍の参戦を匂わせ、領海外にいた情報収集艦プエブロを強襲し合衆国軍の弱みを握ったとリリィは思っている。 この結果、スパイ活動を認める謝罪文書に調印することになったのだが、これと同じことが今回も考えられた。 しかし今回は数が数だ。 万を超える合衆国軍兵士の収監施設や食料は朝鮮民主主義人民共和国に存在しないといっても良い。 そんな余裕があるのならば国民が貧しい生活を送ることは無いであろう。
二つ目は在韓米軍基地に配備してある兵器を封じることで救出や反攻を目的とした作戦行動を取らせないようにするという事だ。 朝鮮人民軍にとって見れば合衆国軍の兵器は、どれも配備されている兵器の何世代先に位置し――それこそ空を飛ぶという行為が夢物語で片付けられていた時代の人間が初めて気球を目にした時と同じような
しかし報告書に事実以外を書き込むというのは受け手に大きな印象を与えることへ繋がる。 この二点の推察は別紙にして報告を出すのが一番望ましい。 そう頭では考えているのだが何か不可解なモノを感じ、当分だが文字に書き起こすことができそうにもなかった。 何よりも自身の後ろで相変わらず暗い雰囲気を纏った束が顔もみせずベッドに倒れ込んでいて、そちらの方に意識が持って行かれてしまうのだ。
「――しっかり寝ないと後が持たないよ、束。 そう長くはないだろうけど何時までこの戦争が続くかわからないんだし、休める時には休んでおかないと」
壁に顔を向けたまま一向に動きを見せ無い束だが寝ていないということだけは理解できる。 時折感じるのだ――微かな感情の揺れを。 この体格によってドイツ連邦国防省連邦防衛軍内部では注視される存在であったからこそ感じ取れていた他者の視線が、“フリーダム”を手にした影響なのか鋭く増してしまい、閉鎖空間であれば今のように感情の揺れを理解できるようになってしまった。 何かが迫り来る時に身体を貫く奇妙な感覚とは違い、身体の中――本能というべきだろうか、それらがリリィに他人の感情を告げているのだ。 漫画のように他人から出る
現代の人間に同じことができるはずもなく、まるで化物のようだと自嘲気味に肩を下ろした。 人間である――これだけはリリィにとって自身を確固たる存在として認識できる譲ることのできない唯一のラインなのだが、それが日を経つにつれ超えそうになる。 だが人間とは不思議なもので自分以外の誰かが似たような状況に陥っていると、自身を客観的に捉えることができるようになり平常心を保つことが出来るようだ。 今の束を目に見ているからこそ自分が人間からかけ離れてきているという疑問から逃れられてる――当の本人には悪いのだが、そう感じた。
「身体が万全な状態でも精神は非常に脆く影響を表に出しやすいんだから、“
それでも束からの反応は無く本当は寝ているのではないかと自身の感覚に疑いを抱き、仕方なしにCFA-41“
その原因が“Project Lily”という謎の計画なのは間違いなく、それを書いた人物が“
「――ねぇ、リリィちゃん。 戦争が起きたのって現実なのかな?」
一体何を言い出したのだろうかと眉を顰めリリィは後ろで横になる束に顔を向けた。 その雰囲気は相変わらず暗いままで、今にも投身自殺をしそうな人間に見られるであろう全てに疲れ切り何もかも捨て去りたいという淀みというのだろうか、そのような空気がソコにはある。 まるで目の前にいる束が篠ノ之束では無いような別人を見ている気がしてリリィは自分の目を信じられず束の肩へ手を伸ばし――直前で止めた。 目の前にいるのは半年という短い間だが、その姿を見続けてきた篠ノ之束だ――紛れもない“白騎士”を開発し自ら攫った篠ノ之束なのだ。 触る必要もないくらい彼女の声、身体、匂い、行動原理を目に焼き付けてきたというのに自分は目の前にいる人物を篠ノ之束として認識できずにいる。 そんなことはありえない。 今まで目に焼き付いてきた光景は直感像素質者として脳に一切のズレも無く記録されているのだ。 彼女が自身の知る篠ノ之束以外であるはずがない。
「発言の意図が掴めないんだけど……束は現状を夢だとでも言いたいの?」
「だって核兵器が使われ戦争が始まるだなんて、ホント出来の悪いフィクション作品でしか見たことがないよ……。 それに私が、もう一人いるだけでも十分に非現実だと捉えてもおかしくはないじゃん」
何が言いたいのか理解はできなかったが束が現実を直視できず、それを理解してもらいたいがために口にしているのだということには気づくできることができる。 だがリリィは束が望む言葉を投げることができない。 出来の悪い夢といえば確かに今現在、日本を中心として起こっている出来事は本来であれば数十年も先に起こりうるであろう可能性ばかり――だというのに、それら全てが一斉に花開いているのだ。 束でなくても同じ事を思う者は間違いなく居る。 現にリリィとて話だけであれば荒唐無稽だと笑っていただろうが現実なのだ。 現実だからこそ束の言葉が否定できない。 現実逃避するのは人間であるのだからこそ仕方がない行為と思えなくもないが、残念なことにソレは力がなく現実に抗えないからこそ取る行為で我々には力がある。 抗い覆すことができる力が他の誰よりもあるのだ。 そう、誰よりも抗うことができる力がある。 CFA-41“
束は戦争ではなく自身を取り巻く現実を否定して欲しいのだ。 自分が生まれてから今まで存在しているという現実を誰かに肯定して欲しいために口にしている、そうでなくては“
その答えをリリィは知らない。 その難問を解いていくうちに自分は自分以外にはなれないと目の前に出されたモノだけを処理していく歯車として、その謎を意識の外へ投げ捨てたのだから。
「夢なら私としても頭を悩ますことがない点で救われるね、至って平和な世界に近いだけでも。 でも私は戦場で目にしたものを解析する役割にいる。 夢だとしても目で見たものを事実として認識しなくちゃいけない立場にいる。 だから束の言葉を肯定することはできない」
「……現実なら、こんな現実は見たくなかったよ」
同感だ、と口に出かけた言葉を飲み込みベッドの空いた隙間にリリィは腰を下ろす。 やや軋む音が室内に響くが束は動きを一切見せないまま、その背を此方へ向け続けた。
その言葉を肯定するということは原因となった“白騎士”を否定するということに繋がりかねず、それは篠ノ之束が作り上げたモノを否定することにも繋がってしまう。 存在理由を失いかけている束に起きてしまった惨状の責任を押し付け、個人の思考すら否定するという行為は更に精神を追い詰める結果にしかならない。 してはならないのだ。 束が悪いわけではない――ただ欲望を抑えきれず目的を履き違えた者達が引き金を引いてしまい、それに巻き込まれただけの被害者なのだから。 “白騎士”さえ作らなければと言われるのだろうが、それこそ今まで束に目を向けず排他してきた者達が言っていい言葉ではない。 他人の自由を尊重せずに教育という名で統一してきた者達が言える権利は存在しないはずなのだ。
同じ感覚を持ち義務教育すら放棄したリリィだからこそ教育現場を客観的に解析できるのだが、束はソコに属し数年もの間を耐えてきた。 統一化されていく周囲を眺めながら自分は何者であるべきなのかと、その頭で追い求めてきたわけである。 自身を取り巻く環境が歪であれ最低限の認識を保ち他人と関わろうとしてきた――だが自身が
「どうすれば一番良かったのかな……。 どうしてたら、こんなに悩まなくて済んだのかな……」
リリィも自身が持つ強大な力に悩んでるからこそ、それが思っても口に出さず存在を秘匿し、その欠片すら外に漏らさない――他者を刺激しないという、いたって
「実は私達が体感していることは全て仮想現実で、水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなんじゃないかって少し期待してるんだよね」
「水槽脳仮説ね……また返答の難しい事を考えて」
1982年に哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された仮説だ。 人の脳が死なないような特殊な成分の培養液の中で、脳波を操作することの出来る非常に高性能なコンピューターと脳を電極でつないだとき、意識は脳の活動により生じるものであることから脳だけの存在であっても通常の人間と同じ意識が生じるのではないかと考えられたものである。 公園を散歩したり愛しい人と過ごしたりという光景を網膜を通さず脳が単体で認識する
体勢を変え束がリリィの顔を覗き込むように見つめる。 この光景をリリィは現実の物だと思っているが、束にとっては脳が外部から与えられた
「私という存在が0と1で構成された上で、誰かの思考実験に利用されてるんだって考えるだけで吐き気がする。 リリィちゃんが目の前にいてくれる、そんな幸せすら誰かの都合によって与えられた虚構だとしたら……」
「考えすぎだよ。 私達は確かに存在してるし話し合っている。 第一、そこまで考え出したら私という存在すら束にとっては情報でしかなく、始めから存在していないことにもなるから」
これ以上、束を考え込ませてはいけないとは思うものの解決策は何一つ存在しない。 今の束にとって目に映る光景は全て外部から与えられた偽りの情報であるという先入観がある。 これを解決し束自身に納得させない限り、いつまでも水槽脳仮説に縛られたままだ。
ふと先ほど伸ばし触れることを止めた手を再び束の頬に向け、その柔らかな肌に小さく触れた。 この感覚も水槽脳仮説の前では虚構にしかならないが、それでも全く別の外部情報として捉えることも出来るであろう――存在するかも怪しい外部情報ではなく明確な外部情報として。 人間は確実性のある方に思考や視線が動きやすい。 ならば誰かが与えた感覚を伴う外部情報は束の思考を和らげるには十分効果があるのではないのだろうか。 心理学的にも人肌の温もりや接触を伴うスキンシップはストレスを軽減する効果があると証明されている。 一時的とは言え、この程度で解決するのならばと悲観しつつも今の束を見ていられず触れた。
「――人が認識する全ては電気信号によって脳へ送られるのは知ってるでしょ。 この景色も電磁場の波によって発生した振動現象を色として捉えてるに過ぎないし、このリリィちゃんの暖かさも信号として脳に伝達してるだけ」
「でも人の感情が電気的な信号で構築されているかどうかは完全に解明されたわけじゃないし、水槽脳仮説を実証できない時点で結論が出ない無駄な行為だよ。 そもそも水槽脳仮説で頭を悩ます人間なんて世界中探してもいるかどうか……。 もう少し本能を義務や理性で抑える事をやめたらどう?」
刹那的生き方をリリィが肯定する事はないが生涯を見越した思考を常に行なえとも言う気も無い。 人間、どのような状態であれ死ぬ時は死ぬのだ。 いくら思考を未来へ向けても自身の歩む全てを予測することも理解することも人間はできず、一瞬の思い出を大事にしたり刹那的な生き方をするのだろう――でなければ三大欲求と呼ばれるものは存在しなくても支障は無い事になる。 好きなように生きて好きなように死ぬ。 周りとしては迷惑でしかないが人間の行動原理を突き詰めていけば最終的にそこへ辿り着く。 人間は機械では無いのだからこそ非合理的な判断を行い不条理に身を落としてでも好きなことをする――であるならば人の意識は機械的なものではないという事にはならないだろうか。 それすらもプログラムに組み込まれている等と言い出したらキリがないが。
ふと離した手を束が確かめるように触れ、そして掴む。 一体何なのだろうかと不思議そうにリリィはその指を見つめ、やがて強い力によって束へ引き寄せられベッドに――正しくは束の上に倒れ込んだ。 一瞬だけリリィは頭の中が真っ白になり、そして自身が置かれた状況を理解すると急いで離れようとするが、それよりも早く束はリリィを空いていたもう片方の手で抱きしめた。 腕を掴んでいた手も後頭部に回され顔を上げ束の表情を確認しようにも動くことすらできない。 一体何故束はこのような行動を起こしたのかリリィには理解できなかったが、先程までの束では抱きしめるという行為すら何者かによって外部から与えられた情報でしかないと否定的な思考をしていたハズだ。 だがこの行為はそれらを一時的とはいえ水槽脳仮説を否定するものと考えられ、つまり何かしらの結論を束は得たと受け取れなくもない。
「――最初からこうしてれば良かった。 そうだよ、最初からこうしてればよかったんだ……」
しかしそれにしては様子がおかしいようにも思えた。 その表情を見ることはかなわないが声には納得した、結論が出たというような透明性――言語の明確性が感じ取れない。 まるで明確な答えには至ってはいないものの自己完結で一定の満足を得てしまった者のような、本来外界へと向けられている視線や思考が全て内側という一点に集約されているようにも思えてしまいリリィは拘束から抜けようと力を込める。 その度に艶かしい
「た、束……? 大丈夫、頭とか打ったりしてない?」
「ふふふ、大丈夫だよ♥ それよりも、リリィちゃんの方が頭とか打ってるんじゃないかな~? ほらさっき束さんが引張ちゃったからね――ほら確かめてあげるから、こっち来て♥ 大丈夫だよ何にも怖いことはないから、ね?」
「い、いや、私よりも束の方が頭打ったんじゃないの……? 何かおかしいよ」
自身に伸びる手がなにか恐ろしく感じ、迫られる事に一歩ずつ足を後ろへと動かし束との距離を測り理解しようとするが、やはりというか理解ができない。 束の視線が自身を見ていないということは理解できる、その結果として精神的余裕が生まれたのだろうという予測もつく――だが一体どのような理由で束が自身を正しく捉えなくなったのかという理由だけは理解できないでいた。 一体どのような思考を経て、このような行動に出ているのか。 人が変わったかのような――まるで洗脳でも受けたかのような性格の急変にリリィは対応できず必死に状況の打開策を探す。
洗脳といえば戦時下の捕虜に教育という名の脅迫を精神的に植えつけ
では今の束が置かれた状況はどうだ。 戦時下かつ前線の原子力空母“
「そうだよ……私だけのリリィちゃんなんだから
まさかと思い、だが否定し続けた結論がさらけ出されてしまった事にリリィはようやく気づく。 束は踏みとどまっていたのではなく、既に壊れていたということに。 既に口にしていることが支離滅裂で理解ができなくなってきた事に、もっと早く気が付くことができたのならば回避できたのかもしれない――もっと注意深く束の状態に目をやり、意地でも悩みを聞き出し休ませてやれば良かったのだろう。 何故あのとき束が自身の悪感情から生まれた思考から逃れたいがために“シンファクシ”級潜水空母の警戒飛行を行う事を認めてしまったのだろうか。
認めたくはなかった――あの“白騎士事件”以前の束を警戒すべき存在と理解しつつ惹かれていたがために、その全てを篠ノ之束という人間の個性であると許容してしまった。 それが、それまでの束を壊し今の束を作り上げてしまったという現実を――他人という汚してはならない部分を摩耗させキズモノにしたのは自分自身だとリリィは認めたくなかった。 篠ノ之束を壊したのは
「私だけがリリィちゃんを理解してあげられる、私だけがリリィちゃんを抱きしめてあげられる、私だけがリリィちゃんを癒してあげられる、私だけがリリィちゃんをの特別になれる――ふふ、暴れるリリィちゃんも可愛い……♥」
狂っているというのに吐き出される言葉をリリィは否定する事ができない。 同じ目線で物事を見ることができるからこそ束はリリィの心境を理解することができ、本心から触れ合うことが唯一できる。 だからこそ否定はできない――むしろ間違っていないのだ。 リリィも束も互いを他とは違い特別な存在であると認識しているのだから。
自分の声は届かないのかと怪しい声を漏らしながら抱きしめ続ける束を強引に引き剥がすため、多少手荒くなってしまうが“フリーダム”を起動させようと脳から発せられる微弱な電気信号を伝いシステムを立ち上げようとした矢先、部屋の扉が開く音が耳に届いた。 誰かが室内を覗いている――そんな状況すら気にしていないのか自身を拘束する力は変わらず、束は一人何かを呟き続けている。
「あー、これはお邪魔しちゃった感じだったね」
今の声が百合奈なのは間違いないのだが、もう一人の声が非常に似ている為かソコにいるのが何人なのか判別できない。 少しして束の動きが止まり身体から力が抜けたのかリリィにもたれかかるかのように倒れ、その身を百合奈に似た――“
「悪いが此方も後回しにできるほど余裕が有る話ではないからな、多少強引だが寝てもらったが、問題はないな?」
「――あ、ああ。 むしろ助かったから感謝する……。 だが、このような場所に“
「いや、それとは別件だ。 この数日の内に奇怪な現象が世界中で確認されており、解析部門で入手することの出来たサンプルを調べたところ、また奇妙な結果が出たので情報解析を我々以外の第三者に行わせるため来たということだが、理解できたな」
「一体何があったのか説明はしてもらえるんだろう。 こちらにも状況を報告してもらわないことには手の付けようがないぞ」
恐らくエストが懐から取り出した、その見たこともない情報端末に詳しい資料が入れられているのだろう。 しかし“
エストが百合奈を一度確認し再び口を開く。
「我々も直に確認したわけではないため断言することはできないのだが、目撃者の証言とサンプルから得られた情報を元に可能性として弾き出した結果だけ先に言わせてもらうと――人間が約7,000kmも離れた場所へ瞬間的に移動させられ燃え上がった」
一体何を言っているのか理解できず思わず聞き返してしまうが、エストは表情を変えることなく同じ言葉をリリィへ告げる。 幻聴を聞いた訳ではなく、まして冗談を口にしているわけでもないのだろう。
まず最初に思ったことは人間が瞬間的に移動したという点だ。 瞬間移動とでも言えばよいのだろうか現実に起こりえない怪現象の一つである。 今現在の技術力を持ってしても流石に空間を歪める装置を作ることは不可能で、作れないということは情報すら存在しないといっても良い。 事例がないのだから情報を得ようにも解析する対象がないというのは当然の結論なのだが、人が一瞬で長距離を移動するという事はありえないのだ。 気になる点といえば燃え上がったというところだろうか。 もし人が瞬間移動したという現象を事実だとした場合、憶測ではあるが移動時に生じるエネルギーが解放されたことによる発火現象なのではないかと考えられなくもない――だが移動したことによってエネルギーが解放されるとなると対象を移動させるために使用されたエネルギーが別にあるということになり、この解放されたエネルギーは対象を移動させる際に身を守るために存在するものと考えられ、人体に影響を及ぼすという可能性は低い。 だがそうなるとエネルギーを解放した際に発火するという結果は人体を害するため目的の矛盾が起きる。 逆に解放されたエネルギーが移動時に使用されたエネルギーとするのならば発火性のあるエネルギー内に人間を押し込めた――わかりやすく言えば人間を超高分圧の酸素内に閉じ込め、その酸素を移動する際の動力源として利用したというものであり、失敗するという結論が大方決まっているわけだ。
脳裏に人体実験という単語が浮かび上がり急ぎ頭の中から振り払い、ふと現代の技術力で実現できそうな人物が近くにいることに気がつくが、思考の空白部分に考える必要がない
「ことを細かく説明すると我社……ああ、正確には担当は向こうのキャンベラにある支部の方になるんだが、ジーランディアの調査を行っていた人員の近くで妙な音と共に発光現象が起こり知らない男性が現れたという事だ。 その男性も驚愕しつつコチラと接触しようと動いた矢先、燃え上がったと報告を受けている。 その時に回されていた録画映像は端末の中にあるため後で確認してくれ」
「――それと私達も映像を確認したんだけど、そこに映っている男性が
期待に答えられそうにもない――と普段であれば口にしていたのだろうが、残念なことに話しを聞く限りリリィには少しばかり心当たりがあった。 今回の偵察任務における報告書へ書くべきか悩んでいた対象区画に生物の反応が見受けられないという点が、話しに聞く限りその現象と繋がっていないわけでもない。 だが目の前の二人は在韓米軍基地に所属している人間が7,000kmも離れた場所へ瞬間的に移動したのだと考えているのだろうが、普通に考えて有り得ない現象だ。 むしろ雪風のログを勝手にこじ開け
「それと似たような事例で問い合わせが何件か来ている。 現場には行っていないが同様に発光現象と共に発火という結果を確認したのは以下の実験施設を持つ企業だ。
「――いや、まて。
「まだ持っていないが正確だね。
確かに余裕が有る話ではないようだとリリィは最善の選択を選ぶ以外道は無いと口を開く事にする。
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正式名はISAF空軍第118戦術航空隊“
十三名もの精鋭から構成される部隊で第五世代ジェット戦闘機であるF-22を部隊員数分揃えられるほどの練度を各員が持ち、様々な任務をこなしてきた経歴を持つ。
元はエースコンバット04
✔International Security Assistance Force 【組織】
国際平和活動を行う国際治安支援部隊で略称は
当初は有志国の集まりからなる多国籍軍であったが、国際連合及びアフガニスタン政府の要請を受け2003年8月11日で指揮権が連合軍から北大西洋条約機構に移されている。 組織構成は陸軍と空軍の二つのみとされている。
《クリアウィッチ・ダズフィート》
【挿絵表示】