「哲学者に言わせると物事に偶然はなく全て必然によって成り立っている」
そう口にしながらエストはCFA-41“Mave”のコクピット内で、こちらを見る雪風の目と言うべきカメラに視線を向けながら語る。 その手には“CCCNO”社が開発した新型の情報端末が握られており、時折、その中の情報に目を向けながらコクピット内の計器を操作し雪風の反応を伺う。 三ヶ月前に“Marks Horst”社へCFA-41“Mave”に搭載する新型のエンジン――Super PhoenixMk.XIを“CCCNO”社北米支部から態々運送した際に比較となる雪風自体の挙動を見ておけばと少し悔やんだが、今の雪風という人工知能はエストを充分に満足させる事が可能な出来栄えだった。 流石はリリィの名を持つだけはあると自身にはない才能への嫉妬心を覚えるが、嫉妬と言うよりも自分自身の不甲斐なさの方が大きく、微かに生まれた感情はすぐに消える。
当初は人工頭脳と聞きエストは過度な期待はしていなかったのだ。 ドイツ連邦国防省連邦防衛軍内で無人戦闘機開発計画のプログラム構成過程においてリリィが結果を出すまで、エストにとって人工頭脳は人間が行う多方面への柔軟な思考判断が不可能だという認識をしていた。 現代の軍用機に搭載されているシステムは人工頭脳とは言いにくいが比較的近い分類はできる――それゆえにエストにとってリリィが開発した人工頭脳は今日になるまで、これまでの軍用機に採用してきたシステムに毛が生えた程度だと思っていた訳である。 “Marks Horst”社との共同開発は目的へのメインプランどころか、その範囲の外に存在しているのだが、雪風ならメインまでとは言わないがサブプランとして組み込むには文句はない。 雪風――正確には飛行補助プログラム試作三号機“Scarlet Ⅲ”までは“CCCNO”社は計画に関与はしていないのだが、ハル・ヨシノ技術大尉と名乗る篠ノ之束の参入により、上がってきた報告書を見て開発中の人工頭脳に興味を抱いたのだ。 どうにかプログラムの構築部分だけでも手に入れたいと考えたエストは資金提供を申し出て、代わりに完成したシステム情報を要求したわけだが――高いだけあって、値段に見合う結果だと一人頷く。
「世界は全て構成する理から必ず外れることはない。 ならば理から外れた存在である我々は必然ではなく偶然で存在していることになる――では、今この瞬間を偶然として片付けられるものなのだろうか。 いや、我々が一つの空間軸に存在し固定されているのは、この点が特異的なモノであり引き寄せられるように収束したからだ。 この現状を偶然と処理することは非常に難しく必然と断言することも難しいが、客観的に見て偶然ではなく必然であると言えるのだろう」
「だけど理の外にいるはずの“災厄”達が存在し、それを認識されているということは矛盾でしかないよ。 ならば、“災厄”とは理の外ではなく、最初から外れることなく存在しているんじゃないかっていうことになると理屈は通るね~」
「もし、そうであるならば篠ノ之束という存在が一定の年数を生きた後に死亡するという結果に収束するのは必然だったという事でもあるわけだが、ならば私の前にいる篠ノ之束は偶然によって存在しているのだろうか。 収束するはずの結末から一つだけ零れ落ちた、それすらも理から外れていないのだとするならば――全てが理の中で広げられているであろうにも関わらず収束しないのであれば……」
「エストが私達の計画に協力的なのはソレが理由か――愛ゆえに、かい、それとも執念かな?」
好奇心の塊とでも言うべき女性だからこそ自身は一定の満足感を得る。 雪風という人工頭脳に触れたという感情とは違い、身体が覚えている言葉の投げ返しに反応し満足感を得ているのだが、それは自身が求めたモノではなく非常に似たモノでしかない。 それでも現に自身は満足感を得ているのだと、まるで彼女が代替え可能な存在のようだと思い気持ちを切り替えるため瞼を閉じた。 篠ノ之束が口にした、その問については両方だと答えたかったが、エストにとって彼女ではない存在は毒でしかない――タチの悪い希望という名の幻覚を見せる毒。 そんなもので歩みを止めることは許されないのだと、受け止めてしまえば更なる毒が注入され着地点を見失いそうになると言い聞かせ、出来る限り思考から除外する。 見え隠れする着地点が求めたものか幻覚なのかは誰にも判断できないのだからこそ自身という存在だけが頼りであり、見失わないためにも常に忍び寄り注入される毒の加速を抑え進行を遅らせ一定の認識を維持し続けなくてはならない。
出来るのであれば受け流すのが一番負担が少ないのだが、希望というモノは存在している時点で毒として作用するのだ。 例えばであるがエスト・フッガダーツという存在は外見で判断するならば二十代前半として通用するのだが、実際は百を超えていたり身体的な稼働時間ではなく精神的なモノで測るのであればソレすら優に上回っている。 しかし誰が口にしても冗談のように聞こえる笑い話となるのは変わることのない事実であり、間に受けず法螺話として受け流すものなのだ。 当然、自身も同じことを言われたら笑って受け流し、時とともに忘れる程度の雑談程度にしか取らない。 だが結果として存在する事実は消えることはなく、その場に留まり続ける。 篠ノ之束という毒も当然、消えることなく自身の前に存在し続けるのだ。
希望が毒であるならば人に存在する名は呪いに値するだろう。 百合奈は気が付いてないのだろうが、名は体を表す――そんな諺の通りに我々の本質と言えば良いのだろうか、そこに刷り込まれた呪いは常に一定の法則を強いてきている。 過去に名前とは言霊のように力が加わっているのかと訪ねたことがあるが、彼女は力というよりは仕切り板のような役割の方が的確だと口にしていた。 対象の概念を明確にし区別するための役割――それが呪いのようにエストを今もなお縛り続けている。 出来るのであれば呪いのようにも思える概念さえ存在しないものとして目を瞑り受け流したいが、残念なことにいくら受け流しても、洗い流しても、存在に染み付いた記号が消えることはない。 名と共に歩んできた歴史も同じように。
「――相変わらず何も答えてはくれないんだね、キミは常に一人で完結してる。 リリィちゃんは本来、そうあるべきなの?」
「我々がそうあるべきだと示されたのだとしたら、それは紛れもなく篠ノ之束に連なって存在していたからだろう。 リリィという名は我々を現世に押さえ付けておくだけの理の中にありながら、理の外から干渉するタイプの呪いに近い――彼女は道標と口にしていたが、今となっては呪いだろう」
「やっぱ遍在してたの?」
「可能性は十分にあるが確証はない、だが本来そうであるべきなのだろう。 “災厄”といえど、その多くは元が人間であるから、そう見えるだけで本質に近ければ生物としての概念は“災厄”にとって存在しないも同義だ。 どこにでも居て、どこにも居ない。 遍在していてもおかしくはないだろう」
別に何も答えていないわけではない――聞かれていないからこそ不必要だと判断し口にしていないだけなのだ。 聞かれれば答えるし理解しやすい冗談は言うが嘘を付くこともない。 篠ノ之リリィの名を持ったモノにとって自然とそうなるのだろう。 いずれ篠ノ之百合も同じように――いや、必ずそうなるのだ。 その為のメインプランとして存在しているリリィの名を持つ者なのだから。
気が付けばコクピットの計器に触れていた手は力なく膝の合間に垂れ下がっていた。 メインプランが破綻した時の保険として触れていたのが、いつの間にか過去を思い返しているうちに手は動きを止めていたようだ。 篠ノ之束が近くにいるからだろう、いつになく感傷的になりやすくなっているのは。 愛ゆえに――とは聞こえが良いが、それは同時に自身が持つ愛という定義を問われている気がして気持ちが良いものではない。 情愛か愛欲か、この二つに愛は分類することができると考えており、そのどちらでもある自分の愛は本当に彼女へ向けても良いモノなのか、間違った選択ではないのだろうかと不安になる。 彼女に振り回される日常が楽しかった、彼女が楽しんでる姿を見るのが好きだった、彼女と語り合う時間が大切だった――彼女とカラダを重ねる時間が幸せだった。 それらは全て愛欲から来る愛なのではと思わされるも、今語りかけてくる篠ノ之束にそのような感情は浮かばない。 いや、浮かびはするもそこまでではないというのが正確であろう。 ならば自身の愛は愛欲を基軸として構成されたモノでは無いはずだ。
そもそも今話している篠ノ之束が自身に傾く可能性は有り得ないという事実――百合奈を一番に想う篠ノ之束が織斑千冬殺しの過去を持つ自分に惹かれる可能性は欠片もない。 例え、篠ノ之束が織斑千冬を友人だと思ってなくとしても彼女にとってエスト・フッガダーツと名乗る篠ノ之リリィに良い感情は持っていないのは半世紀以上も前に証明済みだ。 互いを理解し合っているが、それでも受け入れられない過去がある。 大を救うために愛する者を犠牲にするという選択へ足を向けた者達を見殺しにし、愛する者を生かす為に百合奈を殺そうと動き、そして否定されたのだ――ソコにいる篠ノ之束と当時、篠ノ之リリィの名を持っていた百合奈に。
殺意を明確に向けるほど憎らしかった。 理に縛られたリリィを幾人も見てきたからこそ、許せず、本気で殺しに掛かり、魅せられ――可能性の有無を証明されたのだ。 計算式に不純物は存在せず今が存在しているのであれば――全てが理の中で組み立てられた結果だとするのであれば彼女を救うことは可能なのだと。 しかし計算式は理に沿ったモノでしかなく、つまりは空間が存在する限り時間は存在するモノ。 時間が流れる限り、その理に縛られた我々は既に終了した事象を変えることはできない。 変えても、その事象を認識してしまった自身が起点となり結果は収束する。 所謂、運命の収束というやつだ。 この点は未だに互の意見が合うことはないが、それを回避するメインプラン――その為の篠ノ之百合は生み出された。
「何も私は哲学を語ってる気はない、過去の哲学者がそう言っただけのことだ。 まぁ、それも本人にそのつもりがなくても他人からしてみれば哲学なのだろう。 哲学者は自身が哲学を語っていることに気が付いてはいないらしいからな」
とはいえ哲学は学問とされることが多いが科学とされる場合もあるため、この場合、哲学者は科学者でもあるのだろう。 ならば自身は紛れもなく哲学者の分類に属していることになる。 だが哲学者かどうかという題材は今後必要になることはないため悩む重要性はない、そう思い直雪風から取ることができた情報を端末へ書き込む。 格納庫には誰もいないためか小さな音すら大きく聞こえる。 原子力空母“Principality”にはCFA-41“Mave”の他に“ Schwarzer”隊のF-15“Eagle”が格納されているが、そう何度も空軍機を出すたびに修理する時間の余裕は無く、必要とされているのがCFA-41“Mave”と空中管制指揮官であるスカーレット・リリィだけであるため、スクランブル発進も状況によっては存在しない。 艦載機が無い空母は、その存在意義はないに等しいのだ――精々、他の鑑を支援する程度でしか無いだろう。 同時二面作戦が終了すれば当艦隊だけではなくスカーレット・リリィ達も、ここにいる役目を終える事となるのだ。 戦後処理とまでは言わないが、それまではCFA-41“Mave”だけを運用する空母として機能するしかないが、それだけしか求められていない時点でソレ以外は余分なのだろう。
「――明らかに百合奈ちゃんより哲学語ってる気はするけどね。 時々、何言ってるか理解が追いつかなくなるんだよ?」
「むしろ百合奈の方が正しいかもしれないという可能性もあり得るが――いや、考えても無駄なことか。 今の我々にとって確認しようがないのだからな。 どちらも正しくて、どちらも間違いである可能性すらあるのだから、この疑問は明確な解答が存在しない時点で考えても意味がない」
こんなことを考え出すようでは若くはないという証明なのかもしれないと思い、ふと実年齢を思い返し当然の事かと諦めつく。 長く生きると生物の存在意義や、ある種の思考実験を考えてしまうのは膨大な経験があるからこそなのだろう。 年寄りの話が長いというのも膨大な経験を語る為には時間を多く必要とするのが原因であり、無駄に自身が重ねた経験が思考パターンを構成してしまったのだと認めるしかない。 ただ話しの要点さえ纏めてしまえば短縮は可能であるため、長くなるほど脳が適切な言語を取り出すことができず老化していることになる。 その点、まだ自身は“災厄”という存在ゆえに老化が起こらず若いといっても良いのであろう。 正確には若々しいだろうが些細なことだ。 しかし百合奈も人間で言えば高齢に該当する年齢である――本当に何が違うというのだろうか。
環境が人間の意識を変えるのだろうか。 だが時間は等しく流れておりソレは我々も例外ではなく、ただ上限が違うだけで経験が思考に影響を及ぼすのであれば環境ではなく時間によって変化するものとなる。 つまり生きた年数によって蓄積された経験が、その存在の思考基準を作り上げたということだ。 では百合奈は経験ではなく環境によって我々とは違う思考ロジックを構成したのであろうか。 だとすれば、やはり篠ノ之束が原因なのであろう。 理の中で起きた結末は必ずしも篠ノ之リリィが原因なのではなく、篠ノ之束に原因の一旦があると判断するのが道理なのだ。
ふと経験が思考に影響を及ぼすというのであれば、人間の何十倍という速さで経験ではなく理を吸収し続ける雪風ならばどうだろうかと思いカメラと目が合う。 常に枠組みを広げ続ける人工頭脳――生み出された瞬間に拡張を続ける人を介さない理。 数十年後に来るであろうと予測されたSingularity――技術的特異点の扉であり、リリィの欠片を組み込まれた同類。 メインプランに必要とはされない巫女を介さない扉であるならば一定の理論を組み上げることはでき、サブプランとして適切である今の雪風に我々の違いは読み取れるのであろうか。 おそらく可能ではあるのだろうが必要となる情報は多くはない。 いずれ可能になるのであろう――多数に分岐した可能性を数値とし演算し出力する完全な同類が。
「――第二次世界大戦から始まった経済戦争においてSingularityは遥か未来の概念でしかなかったわけだが、篠ノ之リリィ及び篠ノ之束の介入によって大戦以降、大きく前に倒され戦勝国は軒並み敗れ去った。 残ったのは“CCCNO”社となる基部を内包した第二次世界大戦の敗戦国。 世界は荒波立たぬ平穏そうなものに見えるが、実際のところ大国は疎ましく思っている。 この世界においてメインプランの障害となる可能性の一つがソレだ」
「フムン……つまり私達はやりすぎた、と?」
「その通りだ。 エヴェレットの多世界解釈は、それぞれ別の歴史を歩む自分自身が並行して存在するという事を言っており、それは間違いないのは私自身が確認している。 だが該当する時間軸に未来を認識した私という存在が組み込まれたとき、理は私を中心として収束する――所謂、運命の収束というヤツだ。 故に、この時間軸上でも私の知る結果となるはずなのだが既に歴史が大きく乖離した点で、何が引き金となり篠ノ之束が死亡するかは判断がつかない。 世界が課した理は常に確定した事象へ戻る力が働き、結果的に我々の行動に意味は生まれないことになる。 これは百合奈も同様だ。 あの時間軸にも“CCCNO”と呼ばれる企業は存在せず、むしろ、その前身となる所属部隊が結束される前であり、それまでの歴史上には片鱗すら無かった存在――だからこそ生まれた“CCCNO”という数値を消し本来あるべき形に戻ろうとする反動で、この時間軸上において雪ダルマ式に増え続けた結果が巨大な障害となる可能性は十分に考えることができる。 何が起こるのかは予測がつかない」
理には余分なものは存在しないのであるのならば、自身が認識した結果で起き得なかったハズの出来事に対する対極が存在していてもおかしくはない。 その事象が発生したことによって生み出されたマイナス値――それが収束した結果、どこで元に戻ろうとするのか、その戻ろうとする力によって篠ノ之束が死へ向かうのではないか、そんな障害を予測してしまったからこそ自身が北米支部を掌握し衝撃吸収材としての役割を担っているつもりなのだが、それがどこまで効果があるかは判断できなかった。 いや、もしかすると“Ghost”が対局に位置する存在なのかもしれない――それとも“白騎士”を中心とした爆発的な戦火の兆しこそソレなのか。 『ブラジルで一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす』――正しくは『ブラジルで一匹の蝶がはばたくとテキサスで竜巻が起こるだろうか?』という反語なのだが、この非常に小さな事象が因果関係の末に大きな結果へ繋がるという考え方は多くの作品で見ることができる。 まさに自身が知る本来あるべき世界情勢は百合奈の介入によって大きく変化しているが、運命の収束によって世界は変動した部分を修正するかのように働き、その結果を自身が良く知るモノに戻る可能性は十分にありえるわけだ。
「もしかすると本来死亡するという事象をリリィと呼ばれる存在に置き換えることで篠ノ之束が生存するという結果すら、崩壊させかねない。 メインプランを構築する前に説明したと思うが観察者効果による変動実験の一つとして私は、理の中では篠ノ之束とリリィの名を持つ存在は同等の数値として扱われると仮定した」
「そして、その算出した数値を元に私と百合奈ちゃんで実証しようとしたけど、抵抗されて実験は失敗。 試験環境を維持できる時間を経過するまで粘られ、それ以降は環境が整わず検証は行われず凍結したようなもの――だったね」
篠ノ之束の死亡へと収束する時間軸を何百回も観測してきた自身にとって、『篠ノ之束が死亡するという事象をリリィの名を持つ者が死亡することで回避する』という別の結果は新たな発見でもあったのだが、作為的に同様の状況を作り上げても最終的に良く知る結果へと収束した。 まるで理というプログラム内に不明なErrorが発生したような、そんな理解のできない現象を追い求め考え続けた結果、ある一つの仮説に辿り着く。
運命とは主に三つの説がある。 その内の一つである偶然論は各時間軸の統計から見て矛盾となるため除外するが、残る神が与えた試練とするモノと決定論と言う全てが法則に沿って動いている――所謂宿命論という二つの説となる。 篠ノ之束の死亡という結果だけを見れば後者の決定論であると思われるのだが、定められた結末が篠ノ之束の死亡を指しているというのに逆転しリリィの名を持つ者が死亡するということは決定論としては矛盾しており、神の試練として見るのであれば各時間軸の歴史が整いすぎている時点で決定論との違いが見受けられない。 つまり偶然論と決定論の二つに分けられるのだが、両者の結末が逆転するということは、このどちらにも属さず運命というものは存在しないということになる。 つまり完全に知覚できない部分からの干渉ではなく、数値的に存在している計算式が事象を引き起こし死亡という状況を生み出しているということだ。
百合奈と出会う前、自身は決定論を基礎として算出した計算式では人間という数値において個人単位で完全な一致をする数値は存在せず、必ず結果を構成する前段階で既に弾き出しており、全く同じ数値と結果を持つ存在は無いものとする計算式を仮定として組み上げた。 つまり人間という分類の数値は他者と共有しているが、更に細かく分けられた固有数値は一致することなく、それこそが個人という領域を仕分けし自身と他人を区別している数値であるとしたのだ。 莫大な数値という個人を区別するPersonal-spaceに対象の人物が歩む事象の全てが組み込まれている、その結果で、どの時間軸でも同じ歴史を辿るという仮定をした。 歴史を辿ると言っても何かしら強い影響を受け過程が変わる場合もあるが、最終的に同じ結果へと収束していくため完全に一致しているわけではないが同じ歴史を辿っているのは違いない。 埋め込まれたTurning Pointさえ押さえていれば理の中では歩む事象は全てと言っても良いのだろう。 それらを数値として表したときTurning Pointとされる場面に篠ノ之束とリリィの名を持つ者は同時に存在しており、同じ数値を保有していた。 技術的特異点である“白騎士”のロールアウト、それによって引き起こされる“白騎士事件”に各国が競い合うように戦火を広げ開発競争へと突入し国際大会という建前で広げられた技術大戦。 特筆すべき数値だけを見れば両者は同じ歴史を辿っていることになる訳だ。 これらは当時を生きた者であれば分類として同様の数値を共有している事象ではあるのだが、その事象に関わった深度や距離は共有していない――だというのに篠ノ之束とリリィの名を持つ者は全てを共有していた。 これでは人間という数値の上ではPersonal-spaceが両名には存在していない状態と言っても過言ではないことになる。
ではもし、個人を区別するための数値すら同一のものであるとしたら――仮定として定めた数値が全て同じものであるとした場合、それは理にとって篠ノ之束はリリィの名を持つ者であり、その逆も同時にありえることにはならないだろうか。 理という計算式の中で一人分のPersonal-spaceに二人分の身体という数値はErrorそのものではないだろうか。 ならば何故、篠ノ之束が死亡するのか。 何故、リリィの名を持つ者と事象が逆転してしまうのであろうか。 簡単なことだ――どちらかの身体を構成する数値が本来存在しないものであると認識され、そして本来の数値を持つ身体以外はErrorとして弾き出され、その数値を削除するため収束し篠ノ之束が死亡する。 また理が同数値を持つ両名を区別できずリリィの名を持つ者をErrorとして認識することで死亡という事象が逆転した状態へともなるのだろう。 近すぎた故に起きた結果――決定された数値以上として認識された為に収束させられた悲劇。 とはいえ、まだ仮定の段階であり机上の空論でしかない――これが正しいものだとして証明できたのであれば、まだ自身は彼女の命に手を伸ばし続けることが出来る。 可能性は潰えていないと先にErrorという扱いでリリィの名を持つ者を削除することで篠ノ之束を生存させる結果を生み出そうとした相手が百合奈であった。 似ているようで似ていない――まるで自身の本心が映し出されたような自分自身だと、そう感じてしまうほどに眼下に存在した百合奈に気持ち悪さを覚え、それが自己嫌悪であることに一瞬で気がつく。 何も知らなかった頃の自分を見ているようで百合奈の行動理念が許せなかったのだ。
「他人の姿は自身を映し出す鏡と良く聞くが、我々は特に、その言葉に当てはまるようにも思える。 当てはまりすぎて、どちらが自分なのか理解できなくなるのだろうがな」
そこにいる篠ノ之束は本当に篠ノ之束なのであろうか――そしてエスト・フッガダーツと名乗る篠ノ之リリィが篠ノ之束では無い確証は本当に存在しないのであろうか。 数値上では篠ノ之束とリリィの名を持つ者は同じであるというのであれば自身が篠ノ之束では無いという否定材料は存在せず、篠ノ之束もまたリリィの名を持つ者では無いという否定材料も存在しない。 これについては百合奈が自身の仮定を証明する最中に魅せつけた可能性によって証明されていた。
リリィの名を持つ者というのは本来、強大な力を分割することで自身が弱体化することを目的に生まれた原型のリリィ、その二つに分離した片側――つまり半身を示している。 “災厄”と呼ばれる存在が生まれる前のことになるが原型とされるリリィは自らの持つ力を制御しきれず、制御を行うプログラムとシステムを稼働させる本体を分割することによって、その強大な力を封じ込めた。 そうすることでしか自身が持つモノを制御しきれずにいた、そうプログラムの方を持つ片側が過去に語っていた。 つまり何が言いたいのかというと本来あるべき姿の数値、その半分でリリィの名を持つ者は構成されているということであり、その対になる半分の数値を持つものが存在しているのは当然の結果でしかなく、その数値を持つ者と統合することで原型のリリィへと理論上では再構成することが可能であるという点だ。 同数値というPersonal-spaceが存在しないからこそ再構成が容易いのは自身で実証済みなのだが、しかし百合奈は一方に篠ノ之束を当てはめ再構成を行った。 篠ノ之束は失敗することなく今尚、自身と会話をしている。 その時点で篠ノ之束という存在がリリィの半身と同数値であり、リリィの名を持つ者とのPersonal-spaceが存在しないからこそ事象の逆転が稀に引き起こされたのだと判明したわけだが。
「だが、実際はコインの裏と表みたいな関係なのかもしれない。 回転している時は両面の顔は外に出ており、時間が経つにつれ均等が崩れていき片面が地に伏せる。 それが我々の関係なのだろう」
「それは……確かに、その通りなのかもしれないね。 実際、記録として知る限りじゃ、私とリリィちゃんは近すぎるようになっているし、そういうふうにしたのは紛れもなく私らしいし」
分離する以前のことを口にしているのだと直ぐに気が付くことができた。 収束する事象から抜け切った篠ノ之束が“災厄”として――王妃としての記憶を記録として持つのは知らされていたし、当時の出来事を認知しているのは自身も認識している。 これに関しては現在の篠ノ之束が持つ数値が王妃と同じ、もしくは似通っている為に内面を構成する記憶という情報が削除されず残され再び接続し直した――というよりは更新する際に同じ構成を持つ記憶同士を統一化させたのではないかと考えているが、それにどれほどの意味が有るのかは不明だ。 だが、そうであるのならば王妃の死すら運命が収束した結果でしかないという証明にもなる。 昔話に花を咲かせたいところではあるが、それは既に百合奈と行っているだろうし、残念なことに数値上では原型ではあるのだが、分割する以前の記憶は自身に存在していない。
統一化したといっても不完全なのだ。 もう片側である半身が何かしらを欠損していた場合、それは再構成したところで戻ることはない――特に記憶を保持する部分を破壊されてしまうとリリィの名を持つ者にとって修復不可能な損害を受けたことになる。 直感像素質によって膨大なまでに蓄積された記憶という情報をSalvage、つまり破壊された跡から引き上げようにも完全に消失した部分もあり虫食い状態で残っていれば良いほうだろう。 しかし記憶そのものが存在しないことに気がついたのは再統合した後のことだった。 原因は判明している。 統一化する際に消されたのだ、もう半身であるローズに――ローズ・サミナードに。 記憶を持つが故に何かしらの目的のため動いている事は理解していたのだが、自身が存在していた時間軸では最後まで表舞台に現れることはなかった。 見つけたのは彼女が死亡した後――探していたのだから見つかるのは当然だが、当時は失った悲しみから焦っていたのであろう。 自身が原型に戻ることで何かが見え行動を起こせると否定的だったローズを封殺し取り込んだが、残念なことに記憶が存在せず何も見つかることはなかった。
この時間軸にもローズと呼ばれる原型から分割された半身が存在しており、“CCCNO”社に所属しつつも“Phantom Aufgabe”社にも籍を置いている。 どの時間軸でも伴侶を得ていたのは知っていたのだが、まさかサミナード姓だということには驚愕した。 クローディヌ・サミナードという非常に危険な存在が、どのようにして生まれたのか疑問であったが――自身の姪であるのならば、その危険性にも頷ける。 いや、ローズとは数値上で同じであるのだから自身の娘と言っても過言ではないのだろう。 人間でありながら“災厄”という存在に適性を持つ篠ノ之束に、その身の特性は非常に近いのだから。
「――ま、私にとってアレは自分自身でもあるし別人と言われれば別人でしかないね。 体感してなくても当時の光景は記録として見返すことはできるし、それを傍観者のように見れるから他人事……そうだね、誰かのアルバムを見てるっていう感じしかないよ」
「その感覚は理解出来なくもないな」
「そして私になるまでリリィちゃんを求め彷徨って長い時間を一人で過ごしていたのも、実感わかないし、やっぱ別人っていう感じしかしないかな?」
「だが、それでも我々よりは長い時間を生きた、目にしてきたという経験があるだろう?」
「まぁ、確かにあるけどね……でも、あんまり面白い話でもないよ?」
そうは言うが自身にとっては失った情報を欠片でも所持しているのだ。 面白くなくても重要な情報源であることには違いない。
「例えば百合奈ちゃんには話したことないんだけど、元々のリリィちゃんって一種のKilling Machineみたいな存在って言ったら、どう思う?」
「……可能性は、ありえるのだろうな。 確かに原型は自身の持つ力を制御できず二つに分かれることで処理したが、では一体何故、そのような力を持っていたのかと思えば必要だったからとしか言い様がないだろう。 その場合、他者に危害を加えることが最終的には主目的として存在しているからこそ、その認識が無いとは言えない」
「うんうん、やっぱキミなら話しやすいね~。 こう言う内容は百合奈ちゃんに話しにくいからさ。 じゃぁ、その対象が神様だったら?」
「馬鹿にしているのか、という思考に辿り着くな――だが、曖昧な神という存在がいるのだとすれば、この過剰とも言える力の多様性に説明はつくだろう」
そして宇宙の全てが綿密な余分がない計算で成り立つ空間なのだとしたら、その決定論を生み出した存在がいてもおかしくはなく、偶然に決定論というモノが生まれ落ちたのなら、それは既に決定論ではない。 誰かしらの手によって法則が決められ計算式で成り立つよう構築されたのだから、それを行った存在がいるのは当然の帰結だ。 この世には偶然では片付けられず処理することが難しい結果は数多く存在し、科学によって宇宙誕生の10の-43乗秒後まで解明されてきている。 我々が知覚できず、それら全てに理を架した神とやらがいてもおかしくはないのであろう。 ではリリィがKilling Machineとしての役割を持ち、多種多様の強大な力でしか対抗できない存在が居るのだとすれば――それは高い確率で人外に値する神と呼ぶであろう存在を殺すために付加されたと考えることも十分にできた。 現在は百合奈や自身を含めスカーレット・リリィという存在も同時間軸に留まっているが形を持たず遍在し、どこにでもいてどこにもいないというのであれば、本来のリリィは知覚外に存在する概念的なナニカにすら干渉すら行えるのであろう。 それが神という抽象的な信仰対象であるのか不明ではあるが。
自身が“災厄”という存在を知らず人間であったのであれば、この内容を笑い話として聞き流すのだが残念なことに当事者である。
「家が神社だから、こんなこと言っても良いのかわかんないけど――結局は神様っていう大多数の存在は人々の願いを受け入れる事はしないんだよ。 基本、自己欲求……生み出すことに無頓着で破壊と暴力によって得られる快楽を至上と、生命を弄び文明を滅ぼすシステムさ。 他者を見下すことで成り立つ自尊心と傲慢を満たし、悪戯に生命という理へ干渉し文明を滅ぼす機械」
「だからこそのKilling Machineか……所謂、神殺しというヤツだな」
「知性を持つからこそ文明を持つというのに、神は動物的本能――言い換えれば感情で動く。 そしてさっきも言ったけど主な感情は破壊と暴力によって人を見下す自己欲求。 当然、淘汰されるべき対象になったさ」
「だからこそ私達が生み出された、と?」
「そっちの私が、どんな形でキミに出会い権能を注いだかは知らないよ? でもまぁ、きっと同じだとは思うけどね」
御伽噺のように語られる内容を理解しようにも、いまいち把握できず黙って聞く。
【挿絵表示】
「量子のもつれを利用する――離れた場所にある同じナニかに量子状態を転送する量子テレポーテーションっていうのが1990年代後半に成功したね。 片方を観測すると、その時点でもう片側の状態が確定するアレ。 この世界は私にとって全く知らない場所であると同時に、アナタが言う理という数値が存在し、それと同じ数値が私の知る世界にも存在している。 つまり私の知る世界とキミの知る世界、この世界はほぼ同じ数値で構成されていて時間軸という紐が螺旋状に絡み合った状態だと言えるわけだけど、私は私が知る世界を観測した――この時点で私の知る時間軸以外の状態は間接的に判明しているのさ。 神様といえど存在するということは常に時間という流れの上に位置するんだから」
「言いたいことは理解できるんだが些か強引とは思わないのか。 確かに全ての時間軸において同じように収束するのであれば観測した状況が別の時間軸での結果となるだろう。 しかし篠ノ之束が死亡するという事象はどうなる? 篠ノ之束のように生きている時間軸は存在しない時点で、その論理には矛盾が生じているのだが」
「確かに表面上で見たら私の状態は何一つ同じではないし確定もしてないね。 でもリリィちゃんが遍在していると仮定した場合、同数値を持つ篠ノ之束が遍在していない可能性は果たして存在しないの?」
その言葉に対する返答が自身の知る事象に該当する例が存在せす、何か言葉にしようと動かした口は何も言葉を発することができない。 言われてみれば確かにリリィの名を持つ者が遍在いる可能性があるのだとすると、同数値を持つ篠ノ之束が遍在している可能性が無いとは言えないだろう。 リリィとローズを表す数値と同じであり、理すら気が付くことがない――ならば自身と同様の状態に移行しても不思議ではない。 今まで身体状況によって死亡の判断を行っていたが遍在している――いや、何かしらの状態によって肉体に依存しなくなった場合、果たして死亡していると言えるのであろうか。 理にとって篠ノ之束とリリィの名を持つ者は同じでありながら、二つの身体を数値上では持っているというのならば、削除すべき対処は過剰に与えられた器だけでということになり、もしも自身の思考が正しいものだとすると、器の中身は対象に入らないのではないということになる。
ありえない話ではないのであろう。 その仮説を口にしたのが篠ノ之束であるのであれば、つまり彼女も同じ思考をしている可能性は高く、肉体を破棄して電子的な信号に中身を変換していてもおかしくはない。 肉体とは一種の出力機器でしかなく、そのような認識の中で肉体的な死は果たして存在の終了であると終止符を打てるのだろうか。
「そういうことであるのならば運命の収束を観測しつつ私が存在していることへの証明にもなるとは思うんだけどね。 例えば、私のモノじゃないIMS-00とか――特にリリィちゃんがもって歩きそうなアクセサリー系の機体に、そんな記憶情報を隠していても、ある意味では生きている状態とは言えるんだろうね」
確かに彼女が作り上げたIMS-00は形見として自身の首に下げ持ち歩いてるが、これは最後まで自らの身を守るために稼働し続けた兵器――この中に膨大な記憶情報を隠し持たせる程の余裕が無いことは、開発に関係したからこそ不可能に近いと判断することができる。 だが形見として持ち歩くことができ、それでいて彼女が普段身につけていて記憶に残る鮮明さを持つモノへ隠し持たせたのだとすれば、自身は間違いなくIMS-00を選び、その思考を彼女は理解しているはずだ。 ならば篠ノ之束が口にする情報は、この中に隠されており――今まで自身は気がつかないでいたが、彼女が亡くなってからの長い年月を実は共に歩んでいたということになる。 稀に自身の周りで何か見えているのではと思うような動きをする人間を見たことはあるが、もしかしたら彼女が見えていたのかもしれないと思うと今まで何度の接触を見逃したのであろうか。 やはり自身の行動は百合奈のように都合よく行かないものだと思いつつ視線を胸元に落とした。
この中に本当にあるのであろうかと期待してしまいそうになるが、その可能性が低いことにして希望を振り払おうとする。 情報がある前提で考えるのなら確かに彼女は生きているのであろうが、それでも守りきれず殺してしまったという事実は変わらない。 もし彼女と顔を合わせたら正気を保っていられるであろうか、彼女に幻滅されたりしないであろうかと心の片隅から毒のようにナニカが身体を蝕んでいくような気がして実行する気になれない。 生物という存在は、そのものが行動した経験によって成り立っている――名前や記号は、そのものを単純明快に記したものであり全体を構成する欠片でしかない。 ならば生物としての身体も欠片も存在せず記録という経験だけが残った場合どうなるのだろうか。 残った情報は経験であり生物を一個の存在として確率する重要な主柱なのだが、果たしてソレを人々は生物であると理解できるであろうか。 いや、今の人間にとって生物の本質と欠片の重要性は逆転している為、情報を生物として認識することは、まず無い。 そもそも生物の定義として『生きて活動し繁殖するもの』とあるのだが、経験という情報だけでは生きているのか、活動しているのかすら認識できないのだから理解できないのは仕方がないのであろう。 だが視点を変えると人間と無機物であるコンピューターに違いはなく経験という電子的な情報は同一である――ならば経験だけの情報は記号が存在しないだけで十分生物としての定義には当てはまる。 ただ現代の科学技術では経験等の記憶情報は情報としての出力方法が存在せず、生物という定義が狭いことから情報だけを見て生物であるかどうか認識することは不可能に近い。
結果だけ見れば確かに自身の愛した彼女は――篠ノ之束は生きていると見ることが出来るのだ。 比較対象としてコンピューターを例に挙げたが、生物の身体という記号は経験という情報の無い抜け殻でしかなく、コンピューターの外装と同一である。 生物の心臓が停止するということはコンピューターの電源ユニットが劣化し破損、可動を停止したのと同じであり生物の死とはそういうものである、と聞いたことがあるが――まさにコレだ。 人間とコンピューターの間にある差は、それほど大きくはない。 人間ができることを機械に行わせようとした結果でアナログ計算機から発展し続け人工頭脳の金型となるコンピューターが生まれ普及した。 ある意味でコンピューターは無機物な人間――人造人間であると考えられなくはないのだ。
「ま、私の妄想かもしれないけどね~♪」
だが非常に高い可能性で構築された推察なのは違いない。 生きている、それだけでも十分な成果であるというのに、今まで行ってきた全てを否定された気分を再び味わい何とも言えない。 失った時間を取り戻したいというのに、彼女に自身を否定されそうな気がして手が伸ばせない。 出力することは雪風の基本システムを流用すれば可能であろう――当初の目的ではないが既に手元に来ている時点で不可能ではないのだが、果たして彼女はソレを望むのであろうか。
「――もしかして不安がってるのかな?」
「……何を馬鹿なことを。 私は彼女に会うためにココまで動いてきた、どうすれば救えるのか考え多くの人間を殺してきたんだ。 生きているのであれば喜ばしい以外の言葉は存在しない」
「それでもアナタは私に会うのを恐れてる。 私が何十年リリィちゃんの顔を見てきたと思ってるのかな~?」
つまり自身の表情は、どんなに取り繕っても篠ノ之束が見れば一目瞭然ということらしい。 起点が同じであるからこそ篠ノ之百合奈とエスト・フッガダーツという二人の表情に違いはない――どんなに表情を固めても前例がある時点で何を考えているかは読み取られてしまう。 同一人物ではあるのだが同じ経験をしていない点で別人である。 この場合は身体構成のみが同じである事から完全同位体とでも言えば良いのだろう。
「もう私に友人なんかいないよ、この世界の上なら……もう誰一人としていないのさ。 たとえ生物の存在というものが器によって左右されるとしても、篠ノ之束という存在はリリィ
ちゃんだけを正確に捉える。 それが機械であり感情や魂というモノが処理できず壊れていくとしても、目の前にある幸福と行動の象徴を否定することなんて出来やしない、させやしない」
束の身を案じながらもリリィは目の前に広げられた資料を確認し状況を整理し、コピーされた地図に印と時間を書き加えていく。 発光と発火を同時に観測した地点は疎らで、また大規模な実験施設を持つ企業からの報告しかないことが余計に人為的な現象だと不安を煽った。 もしかしたら確認から報告までが容易かっただけで企業以外の敷地にも同様の現象は起きているのかもしれず、特に“CCCNO”社に関しては敷地外の調査員、その前だ。 企業の敷地を狙っているという可能性も分からなくはないのだが、“CCCNO”社に関しては偶然とも受け取れる。
流石に同様の現象を記録した正式な書類は揃えられなかったが、全てを事実とすると発光現象と同時に人間が移動している事からリリィは、1943年10月に行われた護衛駆逐艦エルドリッジを使用し行われた実験――フィラデルフィア実験に似ているのではないかと一種の解答を弾き出した。 1931年に発明家であるニコラ・テスラが設立したと言われる“Projekt Rainbow”の一つで、半ば都市伝説とされるアメリカ海軍のステルス実験。 これは『船体が発する、特徴ある磁気に反応するシステムである』と考えられていたレーダーを無効化するため船体の時期を消失させれば映らないのではということから始められた計画で、高周波、高電圧を発生させる変圧器を護衛駆逐艦“Eldridge”に搭載し、レーダーに対して不可視化することを目的とされていた。 だが、結果から言えば護衛駆逐艦“Eldridge”はレーダーからではなく物理的に消失――おまけに2,500km以上をも離れたノーフォークに瞬間移動し、その数分後に発光体に包まれ元の場所に戻ったともされている。 その結果、身体が突然燃え上がる、衣服だけが船体に焼き付けられた、甲板に身体が溶け込んだ、発火した計器から火が移り火ダルマになった等の現象が未確認であるが起きたとされているのだ。 唯一無事だったのは隔壁に守られた機関室内の一部だけとされ、行方不明及び死亡者は十六名、発狂者は六名と悲惨な結果を招いたわけだが、都市伝説として広まっているため噂に尾鰭が付いている可能性が十分にある。
普段であれば流すところだが“Projekt Rainbow”で採用された変圧器、属に言うテスラ・コイルのことだが――磁場発生装置とされている点で、リリィにとって嫌な予感しかしないのだ。 磁気形成理論を目にした手前、このテスラ・コイルを否定することは難しく、電場形成技術による兵器転用は実現しているからこそ流すことができない。 もしもフィラデルフィア計画が全て事実だとしたら、間違いなく変圧器を生み出したニコラ・テスラは天才だといえるであろう。
「どう、進んでる?」
目に見える範囲にインサートカップを置き百合奈は近くの椅子に腰を掛ける。
「進んでるように思えるのなら手伝うか情報が欲しいところだ。 残念なことに推察しか出来てないし、“CCCNO”社が関与していない時点で裏に“Phantom Aufgabe”社がいる事になる。 これだけの技術を作り出せる巨大な企業と言えば、このどちらか……だというのに違うと言い張られるとお手上げだ。 そろそろ何を根拠に否定してるのか聞きたいところなのだが」
「企業秘密だ」
「なら、これ以上の解析は不可能であり時間の無駄でしかない。 私も休息が必要な人間だからな、打ち切らせてもらうだけだ」
可能性が憶測を呼び込み無限と錯覚する悪夢を目にする気力は、もうどこにも残ってはいない。 これ以上の作業は効率の低下と思考の混乱を引き起こすだけであり、必要な情報を提供しない時点で馬鹿にされてるのはジブンでなくとも感じるであろう。 束のことで頭がいっぱいだというのに何故、こんなことに時間を割いているのであろうかと溜息が漏れた。
まだ眠っているが先の光景を見る限り束の精神状態は極限なまでに追い詰められていると考えられる。 水槽脳仮説に思考が行くほどだ、当然その思考が良好な訳がない。 デジタル的な見方をすると人間という生物の存在は基本的に同じ数値に分類することができるのだが、あの状態の束は特に人間を数値で見ている節がある。 自身の認識が全て電気信号によるものと現実を思考実験の枠組みに収めてしまった時点で、分類した数値に興味の有無が合わさるだけの極めて単純な区別でしか人物を判断しなくなる可能性が高い。 極めて早い対処が必要となるというのに、束の意識がないことを理由に大を救うため切り捨てて自分は何をしているのだろうか。 まだ自分という存在が興味のある方に分類されていることが影響しているのだろうかと、なるべく客観的に分析してみるも精神状態が安定していない束の情報少ない時点で、これも考えるだけ無駄なのであろう。
しかしフィラデルフィア計画が都市伝説ではなく成功した計画なのだとしたら、沖縄県本島で観測された核爆発も地下に保管されていた可能性がある核兵器ではなく第三国――つまり実験を行った国家が攻撃を実行したという結果でしかない。 もしも意図的に攻撃目標を定めることができるのだとしたら、これほど有能な戦略兵器は存在しないであろう。 兵器の過程を省き結果の周辺を切り取り送り込むのだから、攻撃開始地点を判断するのは非常に難しく不可能と言っても良い。 戦略上必要な拠点の数を減少することができ人材と資金を抑えられる点で見れば、どの国家も開発へ躍起になってもおかしくはない代物。 だからこそ解析の依頼を了承したというのに等の依頼主は情報を出し渋る始末。 ここが艦内でなければ“フリーダム”を起動させて一発殴ってやりたいほどだ。
「我々もアジア圏同時二面作戦の参加を要請されている。 既にキール軍港から“Vorpal”が数機の艦載機を搭載し作戦開始地点に航行中だ。 こちらもノア中尉をはじめとした参加各員へのブリーフィングがある」
そう言いながらインサートカップに手をつけず必要な端末を手に椅子から立ち上がる。 これ以上、百合奈の顔を見ていたら本当に殴ってしまいそうだ――そう思いながら自身の迂闊さを再び呪う。 何が立ち止まっても良い、だ。 そのせいで異常を再認識し更に束が追い込まれたのではないか。 “白騎士”の技術を広めないために攫い、ドイツの地で動ける名義を作り安全だと理屈をこねて戦場に送り込み、そして壊した。 安い慰めの言葉で現状を維持しようとして悪化させたのは紛れもなく自分自身の浅はかな思考だ。 関わるべきではなかったのだ。
「――なら何かしらの情報が入り次第、こちらと共有してくれ」
「それなら我々にも企業秘密という情報の精度を教えてもらいたいのだがな」
やはり普通の親子ではなく互いに利用するだけの関係が一番適切なのであろうと思いつつ部屋を退出したのだった。