【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
《ピコタロー》がんばりやなピカチュウ。世界中のポケモンと人間と友達になるのが夢。
静寂のポケモンタワー。墓石から漂う霊気がひんやりと冷える片隅で、そのポケモンはじっと蹲っていた。
先日ロケット団により、母親であるガラガラを亡き者になれたカラカラ。瞳から溢れ出た涙はとうに枯れ切っていたが、その悲しみが枯れる事は依然ない。ただ衰弱した様子で、母親の形見である太い骨を抱いて離さなかった。
カラカラの様子を、陰から静かに少女が見守る。掛ける言葉は見つからずとも、悲壮に暮れるカラカラを置いて帰る事は出来なかった。
そんな少女の隣を、ハルカは通り過ぎていった。
「あっ」
ハルカはそのままカラカラの側まで歩いていくと、目線を合わせようと足を屈める。ハルカの肩に乗るピコタローも、心配そうにカラカラを見つめていた。二人の影に気付いて、カラカラの頭蓋がピクリと反応する。
「……ごめんな。お前の母さん探したんだけど、見つけられなかった」
カラカラに話しかけるハルカは、優しくも心が張り裂けそうな表情をしていた。
遠くから聞いていた少女は不思議に思う。カラカラの母親がロケット団の手によって密猟された事は、彼も知っている筈だ。その上で母親を探したとはどういう事だろうか。彼の体に残る傷が全てを物語っている事に、少女は気付けないままでいた。
「代わりと言っちゃあなんだけど、別の物を見つけてきたから」
カラカラは亡骸の様に動かない。ハルカの言葉も、鼓膜に届いているかどうか疑ってしまう程だ。
それでもハルカは言葉を掛け続けた。
「……ちょっと歩けるか?」
どう見ても今のカラカラに動く意思があるとは思えない。しかしカラカラは骨を杖代わりに使うと、ゆっくり重たい腰を持ち上げた。ちゃんと自分の声がカラカラに届いていた事を実感して、ハルカの口元が緩む。
ピコタローがハルカの肩から降りて、カラカラを先導する。カラカラの足取りは遅かったが、着実に一歩を踏み締めていた。ハルカはカラカラを後ろから見守りながら目的地へと歩いていき、少女もまたハルカの後ろをこっそりとついていった。
◎
辿り着いたのはポケモンタワーの最上階へ続く階段。ロケット団が来襲して以来、恐ろしい悪霊が現れると噂のホラースポットだ。
この場所に立ち、暗かったカラカラの表情に更に影が差す。ここは最愛の母親との思い出の場所であり、目の前で母親を殺されたトラウマの場所なのだ。今も瞼を閉じればあの日の惨劇が浮かび、怖くて夜も眠れなかった。
「これ」
呆然と立ち尽くすカラカラに、ハルカがリュックから差し出す。それはポッポウォッチングなどに使われるような、なんの変哲もない双眼鏡の様に見えた。
「よかったら覗いてみてくれないか?」
意図の読めないハルカの依頼。しかしカラカラは考えるのも放棄して、徐に双眼鏡を受け取った。
瞬間、一同の前に不気味な空気が漂う。肌を舐める様な気色の悪い空気は濃度を増していき、巨大な幽霊として姿を現した。
「タチサレ……、ココカラタチサレ……!」
「ひっ……!」
ただのゴーストポケモンとは訳が違う。異質な霊気を放つ幽霊に、少女の顔色は真っ青になった。
ただ臆する気力も残っていないのか、カラカラが足を退かせる事はなかった。ハルカに言われた通り、双眼鏡で目の前を覗いてみる。
その時、今まで微塵も変わらなかったカラカラの目の色が確かに変わった。
双眼鏡に映る幽霊が、夢にまで見た母親の姿に変貌していたのだ。
「……カラァ」
幽霊の正体は、カラカラの母親の迷える魂だった。
この双眼鏡はロケット団アジトのサカキの部屋で拾った、シルフカンパニーが開発したシルフスコープという代物だ。説明文によると、これを覗けば通常では目に見えないものも見えるようになるらしい。シルフスコープの効果なのか、ハルカ達の目にもガラガラの霊体が確認できるようになっていた。
「カラァ!」
――お母さん!
母親の体温に触れたいと、転びそうになりながら必死で駆け寄る。しかしガラガラの体は幽霊らしく宙に浮いており、どれだけ手を伸ばしても届く事はなかった。
――ごめんね。貴方だけを残して居なくなってしまって。
幻聴かもしれないが、心の安らぐガラガラの声がカラカラの鼓膜に届く。ガラガラの微笑は、幽霊とは思えない程に優しく温かかった。
――貴方の成長を側で見届けられない事だけが心残りだわ。でも安心して。私はずっと、貴方を見守っているから。
その言葉にカラカラは悟る。これが正真正銘、母親と対話する最後のチャンスなのだと。
――待って! 嫌だ! お願い行かないで!
カラカラの枯れ果てた筈の瞳から、涙が溢れ出す。まだ一緒にやりたい事が、話したい事が、叶えたい事が数え切れない程あった。
ガラガラは咽び泣く息子から目を離し、後ろに立つハルカへと目を向ける。不意に目の合ったハルカは少し驚いたが、メッセージ性の強く込められたその視線に、ハルカも無言で熱い視線を送り返した。
その瞳にガラガラは安堵した表情を浮かべると、またカラカラに目を戻す。そこに映るのは、未だ幼く寂しがりな息子。
しかしガラガラは知っていた。我が息子は本当は強い心を持っている事を。そして信じていた。我が息子がいずれ立派な大人になるという事を。そんな未来を空想すると、自然と笑みが溢れて仕方なかった。
――……じゃあね、愛してるわ。
最後にそう言い残して、ガラガラの体を光の粒子が包み込む。半透明だった体が、徐々に世界と同化していった。
――お母さん!
ガラガラはカラカラに優しい笑顔を送ると、光と共に天に昇り、安らかに消えてしまった。
堪える事が出来なかった大粒の涙が、カラカラの頭蓋骨を濡らしていく。こんな泣き顔を最期に母親に見せたかった訳ではない。それでも涙が溢れて止まらなかった。
泣き崩れるカラカラに、ピコタローが寄り添う。今のカラカラに掛ける言葉を、ピコタローは持ち合わせていない。ただ優しく、背中を擦ってあげる事しかできなかった。
影から見守っていた少女の頬にも、一縷の涙が伝っている。
ハルカはカラカラから目を離して顔を上げた。目の前に映ったのは、今まで幽霊が道を塞いでいた最上階への階段だった。
◎
階段を上って着いた最上階は、まるで幻想的な天国の様な場所だった。辺り一面に紫色の花が飾られ、正面には巨大な墓石と妖艶なキュウコンの石像が二匹並んでいる。花の香に気を取られながら、ハルカ達は墓石へと歩いていった。
墓石の前には先客が立っていた。皺の多い掌を合わせる、スキンヘッドの老人だ。
「……貴方も祈りに来たのですか?」
振り向かずに話しかけてきた老人に、ハルカは少し驚く。老人は瞼を閉じて、ひたすらに祈りを捧げていた。
「ここは数多のポケモンの魂が眠る場所。貴方の逢いたいポケモンも、きっとここに眠っている事でしょう」
カラカラはじっと墓石を見つめている。飾り気のない平坦なその石に、カラカラはどこか母親の面影を重ねていた。
「……線香、頂いてもいいですか?」
蝋燭に灯る炎から線香を焚いて、灰色の煙を上らせる。ハルカ、ピコタロー、カラカラは両手を合わせると、墓石に祈りを捧げた。
カラカラは先程伝えそびれた事を語り尽くした。話したい事はまだまだある。しかし一方的に話していても相手がつまらないだろうと、カラカラは「またね」と最後に告げて目を開いた。
墓石には母親の形見である太い骨が供えられていた。
◎
墓石から踵を返した帰り道。狭い歩幅で先を進むカラカラに、ハルカとピコタローは後ろをついて歩く。
「……あのさ」
自分に掛けられた声に、カラカラが振り返る。ハルカの表情は、どこか神妙になっていた。
「良かったら、俺達と一緒に来ないか?」
ハルカの勧誘に、カラカラは沈黙を貫く。
「俺はお前の母さんにはなれないけど、新しいお前の居場所にはなってやれるから」
別にガラガラにアイコンタクトで頼まれたからではない。ハルカ自身カラカラを放っておけなかったし、カラカラと一緒に旅をしたいと思ったからだ。
カラカラからの返答はない。ただ黙ってハルカのもとまで歩き、徐に頭蓋を上げた。視線を合わせたカラカラの瞳は、先程よりも成長したように見えた。
ハルカはポケットから空のモンスターボールを取り出して足を屈める。差し出されたモンスターボールをカラカラが骨で小突くと、封を開いたモンスターボールに吸い込まれていった。
中で心地良さそうに眠る新たな仲間に、ハルカの表情は緩む。これが親心というものなのかと、ハルカは人知れず感じていた。
「……母さん、か」
「?」
モンスターボールをポケットに仕舞いながら、ハルカはそう呟く。肩に乗ったピコタローの疑問もそのままに、ハルカはポケモンタワーの階段を下っていった。
◎
ホウエン地方はミシロタウン。
「まさかハルカから通話してくるなんてね。珍しい事もあったもんだ」
パソコンの画面に映る息子の表情は、照れ臭さからか少し赤らんでいる。そんな仕草も愛しくて、ハルカの母親であるヒロコは笑みを浮かべていた。
「ご飯ちゃんと食べてる? ちょっと背伸びた? ていうかなんか怪我してない? あんま危険な事しないでよ?」
『あーもううるさいな! そんな一気に訊いてくるな!』
怒涛の質問ラッシュに、ハルカはポケモンセンターの人目も気にせず声を荒げた。
『おぉぉぉ! テメェ! 俺と勝負しやがれ!』
『ポルコ落ち着いて! 公共の場で暴れるな!』
『ハルカ! ちょっとこっち来てー!』
『なにやってんだあいつら……』
画面の外から聞こえる騒がしいポケモンの声に、ハルカは呆れ顔を見せる。ヒロコにはただの鳴き声に聞こえたが、ハルカには全て意味が通じたようだ。
『悪ぃ! じゃあまた!』
「あっちょっと!」
こちらの意見も聞こうとせず、通信が途絶えて画面が真っ黒に染まる。相変わらず話を最後まで聞けない早とちりな息子に、ヒロコは溜息を吐いた。
「……まっ、元気そうな顔が見れただけ良かったけどね」
画面越しに見えた久々の息子の顔は、前となにも変わっていないようでどこか大人びて見えた。夕暮れに泥だらけになって帰ってきたあの毎日が懐かしい。些細な子供の成長を嬉しく思って、ヒロコは口元を緩ませる。
「……頑張ってね、ハルカ」
愛する息子とポケモンの旅路に、ヒロコはただ無事を祈るばかりだった。