【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
ホウエン地方から飛行機で数時間。そこからバスに乗り換え、ゆらり揺られて更に数時間。約半日の時間を費やして、ハルカは初めて自分の足で慣れ親しんだホウエンを旅立った。
バスの運転手が次の停車駅を報せる。その停車駅の名前に、ハルカは寝惚けていた目を覚まして荷物をまとめ出した。
ゆっくりとバスはタイヤを止め、扉を開ける。足を地面に下ろして息を吸うと、新鮮な空の味が肺いっぱいに膨らんだ。ここが新たな冒険の舞台――カントー地方だ。
「ここがマサラタウン……」
辿り着いた最初の町に、ハルカは目を向ける。
「……なんもねぇ!」
そこは空と大地が広がるだけで、町と呼んでも良いものか怪しい程の田舎だった。
「なんだよここ! 人どころか家も全然ありゃしねぇじゃねぇか! いやミシロもあんま人の事言えねぇけどよ!」
故郷のミシロタウンも大概の田舎町だが、それでもこのマサラタウンよりは栄えていると強く思えた。ただ田舎町の争いなど所詮タネボーの背比べだと自覚し、ハルカは目的地の探索を始める。
「えーっと、確かオーキド研究所に行けば良いんだったな。つっても目印もねぇのにどうやって探せばいいんだよ……」
カントーに旅立つ事を決めた際、オダマキに最初はそこを目指すよう進言された。ハルカでも名前は聞いた事がある程のポケモン研究者の第一人者であるオーキドの研究所らしいが、家も遠くにしか見当たらないこの町でそれを探すのはなかなか骨の折れる作業だった。
幸先の不安な旅路に溜息を吐くと、遠くから年季の入ったエンジン音が聞こえてくる。
「ん?」
目を向けてみると、乗ってきたバスとは違うオンボロの軽トラックが走ってきていた。マサラタウンで出逢った第一町人だ。
「人だ!」
この機会を逃すまいと、ハルカは両腕を大きく振ってトラックに声を上げた。
「おーい! すみませーん!」
車線を遮る少年に運転手も気付いて、トラックはハルカの側で停車する。運転席の窓から顔を覗かせた男は、額に赤色のバンダナを巻いていた。
「どうしたんだい? 見ない顔だね」
男はハルカの顔を見て、優しく尋ねる。
「あの俺、オーキド研究所ってとこを探してるんですけど!」
ハルカのその言葉に、男はとある予感を働かせた。
「……もしかして、ハルカ君?」
「えっ?」
見ず知らずの男に名前を言い当てられたハルカは、驚きのあまりそう声を漏らした。
◎
マサラタウンの畦道を、軽トラックが慌ただしく揺れながら進む。ハルカはトラックの荷台から、どこまでも高い青空を見つめていた。
「そうか、君がハルカ君だったんだね。コウジから聞いてたんだよ。ホウエンのポケモンリーグで面白いトレーナーを見つけたって」
運転席でハンドルを握る男は、荷台に座るハルカにそう語り掛ける。助手席には紫色の体毛で覆われた真ん丸フォルムのポケモンが、シートベルトを締めて座っていた。
「そしたらオダマキ博士から連絡があってさ。コウジから聞いてたトレーナーがカントーに来るって言うもんだから、もうほんとびっくりしたよ」
話の内容的に、どうやら男はオーキド研究所の関係者のようだ。
「……あのぉ」
「あぁごめん、僕はケンジ。オーキド博士のもとで助手をさせてもらってるんだ。隣のこいつは相棒のコンパン」
名前を言ってなかった事に気付いて、ケンジはそう謝罪する。紹介されたコンパンは、後ろの窓から複眼を覗かせた。
「……ケンジさんはコウジとも知り合いなんですか?」
ポケモンリーグで出逢ったポケモントレーナーのコウジ。そのあまりの力の差に完敗し、更なる高みを目指すべく、コウジの助言に導かれてカントーの地に旅立ったのだ。
「あぁ、なんたって彼はこの町の出身だからね」
「そうなんですか!?」
驚いて立ち上がりそうになるハルカを落ち着かせようと、トラックが激しく揺れる。
「こんな小さい町だから、昔から顔馴染みでさ。彼がこの町から旅立った日の事も鮮明に覚えているよ。今じゃあんなに逞しくなっちゃったけど」
当然だが、コウジも最初はハルカと同じ新米トレーナーだった筈だ。今の彼の強さの秘密も、このカントーの旅でなにか紐解けるかもしれない。
「ほら、見えてきたよ」
ケンジの声に、ハルカは目をトラックの進行先に向ける。なだらかな丘には階段が掛かっており、丘の上には風車の回る建造物が見えた。あれが目的地のオーキド研究所で間違いないだろう。
停車したトラックの荷台からハルカは下車し、ケンジとコンパンと共に階段を上る。長く緩やかな階段を、マサラタウンの景色を楽しみながら上り終え、ケンジは研究所のドアノブに手を掛けた。
「博士ー、ただいま戻りましたー」
「おー! コラッタの前歯はこのような事になっておったのかー!」
研究所の中では白衣を着た老人がねずみポケモンのコラッタの口に親指を入れて、舐める様にコラッタの前歯を凝視していた。
「ふむふむ、口の中は一体どうなっておるんじゃ!? って痛っ! あ痛たたっ! ちょっ、助けてくれぇ!」
勿論口の中を無理矢理覗かれて逆鱗に触れない筈もなく、コラッタの怒りの前歯が老人を襲う。捕食寸前で救いを乞う老人にケンジは呆れ顔を見せており、ハルカはただただ絶句していた。
◎
「ここで一句。『コラッタに 頭噛まれて 痛かった』」
傷の残る後頭部を擦りながら、老人は笑顔でポケモン川柳を認めた。
「おや、君は……?」
今までコラッタの口内に夢中だった老人は、ようやくハルカの存在に気付く。
「ハルカ君ですよ。ほら、オダマキ博士が言ってたコウジの友達の」
「おー! 君がハルカ君か!」
ケンジの紹介で、老人は思い出したようにポンッと手を鳴らした。老人の奇行は今に始まった事じゃないのか、ケンジは慣れた様子で溜息を吐いている。
「初めまして! オーキド研究所へようこそ! ワシの名前はオーキド、皆からはポケモン博士と慕われておるよ」
まさかとは思っていたが、やはりこの老人が世にも有名なオーキド博士のようだ。ポケモン研究の第一人者として名を馳せるオーキドの意外な一面に、ハルカは苦笑を隠せないでいた。
「……ハルカです」
「うむ!」
差し出されたオーキドの手をハルカは握る。幾重に皺を刻んだ掌は、人柄が滲み出ているかの様に暖かかった。
「コウジから話は聞いておる。ホウエンで若く優秀な期待のトレーナーに出逢ったとな」
「えっ、そんな事言ってたんですか? まぁ確かにそんな事あるかもなー」
人伝で聞いた賞賛の言葉に、ハルカは満更でもない様子だ。ダーテングの様に鼻を高くするハルカに、ケンジは額に汗を垂らした。
「それで、良ければ君のポケモンを見せてくれんか?」
「あっ、俺ポケモン連れてきてないですよ」
「へ?」
ハルカのポケモンを見たいと頼んだオーキドだが、まさかの返答に間抜けな声を漏らす。
「いやー折角新しい場所で冒険するから、気持ちも手持ちも一新しようかなーと思いまして!」
晴れやかに語るハルカに、オーキドとケンジは目をぱちくりとさせていた。
「しっ、しかしそれじゃあどうやって草むらを抜けるつもりなんじゃ?」
「ポケモンゲットするまでは気合いで走り抜けようかと」
「トレーナーなら草むらをポケモン無しで抜ける事の恐ろしさを知っておるじゃろ!」
平和ボケした回答をするハルカに、オーキドはそう叱責する。厄介な少年を紹介されたと、オーキドは頭を抱えて深い息を吐いた。
「全く、どうしたものか……。生憎今うちの研究所には、どの初心者用ポケモンも残っておらんからな……」
ポケモン博士から新人トレーナーに渡される初心者用ポケモン。カントー地方ではフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメが主に渡されるのだが、他のトレーナーに渡されたのか、今この研究所にはどのポケモンも居ないようだ。
しばらく頭を悩ませるオーキドだが、ふと閃いて電球を光らせた。
「そうじゃ! ケンジ、あの子を連れてきてあげなさい。ほら、この前旅に出たそうにしていた」
「あーあの子ですね。分かりました」
オーキドの言葉を受けて、ケンジは研究所の奥へと歩いていく。
戻ってきたケンジは箱型の台車を両手で引いていた。台車の上にはモンスターボールが一つ。目の前で止まった台車にオーキドはモンスターボールを手に取ると、握ったままで封を開く。中から出てきたのは、尻尾をジグザグに走らせた、コラッタとはまた違う黄色いねずみポケモンだった。
「こいつは……」
「ピカチュウじゃ。でんきタイプのポケモンで、両の頬袋に電気を蓄えておる」
ピカチュウは台車の上に立って、ハルカの事を見つめている。黒く円らな瞳は、まるでブラックホールの様にハルカを吸い込んでいた。
「このポケモンを君に託そう」
「えっ!? 良いんですか!?」
オーキドの言葉に、ハルカは高揚する。
「元々この子は人間に興味があるようでな。この前旅に出て行ったトレーナーを羨ましそうに見ていたんじゃよ。君となら、この子も楽しい旅が出来るじゃろう」
そっとハルカがピカチュウに視線を戻す。穢れを知らないような愛くるしい見た目に、ハルカは早くも魅力に取り憑かれていた。
「……俺と一緒に来てくれるか?」
ハルカはピカチュウにそう尋ねる。するとピカチュウはすっと息を吸って口を開いた。
「……僕は、世界中のポケモンと、人間と、友達になりたい」
それは確かなピカチュウの言葉だった。
「だから、君が僕の最初の友達になって!」
その無邪気な笑顔に、ハルカは居ても立ってもいられず両手でピカチュウを抱き上げた。
「オーキド博士! 俺こいつと一緒に旅に出ます!」
「うむ!」
共に旅立つ事を決めてくれたハルカに、オーキドも御満悦の様子である。
「ピカチュウも了承してくれたかね?」
「!」
オーキドの言い回しにハルカは驚く。まるでその言い方は、ハルカがゲットしたポケモンの言葉が分かる事を知っているかのような言い方だ。
「俺がポケモンの言葉分かるの知ってるんですか?」
「前にオダマキ博士に相談されての。ポケモン研究者でも、私とケンジしか知らないから安心してくれ」
ポケモン研究者として、オダマキが尊敬するオーキドに相談したのだろう。この人達であれば、ハルカの秘密が他に漏れる心配もなさそうである。そんな事よりも今は、ピカチュウと始まる冒険の事で頭がいっぱいだった。
「俺の名前はハルカ! そうだ! お前にも名前付けてやんないとな!」
仲間になったポケモンに名前を授けるのは、一定のポケモントレーナーにとって神聖なる儀式だ。どんな名前を与えようかと、ハルカは頭を捻る。
「……よし、今日からお前の名前はピコタローだ!」
「ピコタロー?」
予測不能な命名に、ケンジが思わず声を溢した。
「昔読んでた漫画に、こんな名前のキャラが居たんです!」
「そっ、そうなんだ……」
明るく解説するハルカだったが、ケンジは愛想笑いを作るのに精一杯だった。しかし名付けられた当人は、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「これからよろしくな! ピコタロー!」
「うん! よろしく! ハルカ!」
抱え上げたピコタローの赤い頬袋が、ビリッと稲妻を走らせる。瞬間、ピコタローの体内から溢れた電撃がハルカを襲った。
「アガガガガガッ!」
突然の電気ショックに、丸焦げになったハルカはピコタローを抱えたまま硬直する。
「アハハッ、ごめん」
ピコタローは申し訳なさそうに後頭部を擦る。後から教えてもらった情報によると、ピカチュウは感情が昂ると、頬袋に溜めている電気を放出してしまう事があるらしい。
◎
研究所を出ると、マサラタウンの青く澄んだ空がハルカ達の門出を祝福する。
「おっと、忘れるところじゃった」
肩にピコタローを乗せて歩くハルカを見て思い出し、オーキドは慌てて白衣のポケットを漁り出した。中から出したのは、赤い手帳型の機械だ。
「カントー地方に生息するポケモンのデータの入ったポケモン図鑑じゃ。図鑑を埋めるのも、ポケモントレーナーの嗜みじゃからな」
ホウエンとはまた違った形のポケモン図鑑をハルカは受け取る。オダマキから初めてポケモン図鑑を受け取った時の事を、ハルカは徐に思い出していた。
「まずはここから北にあるトキワシティに行くといい。ここよりも栄えてるから色々物資が揃う筈だし、ポケモントレーナーなら避けては通れないポケモンジムもあるしね」
宛てのないハルカに、ケンジが次なる目的地を指し示す。なにからなにまで至れり尽くせりだ。
「ありがとうございます!」
ハルカとピコタローは手を振って、研究所の階段を下りていく。オーキドとケンジ、コンパンはハルカ達の影が見えなくなるまで、彼らを見送ってくれた。
「……ハルカ」
「ん?」
ピコタローが耳元でハルカの名前を呼ぶ。するとピコタローはハルカの肩から跳び下りて、ハルカの目の前に立った。
「僕、こうやって冒険するの憧れてたんだ! だからすっごく楽しみ!」
ピコタローは燦々と輝く笑顔をハルカに見せる。鏡を見たらきっと自分もこんな顔をしているのだろうと、ハルカは直感的に感じていた。
「あぁ、俺もだ!」
ハルカはピコタローと並んで歩く。目線は違ったが、見ている景色は間違いなく一緒だった。
「楽しい旅にしようぜ!」
「うん!」
ハルカ達は高鳴る衝動のままにマサラタウンを駆け出す。それはカントー地方を舞台とした、新たな旅立ちの瞬間だった。