【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
開放的な駅のホームに、列車が音も無く到着する。TMV。カロス地方を股に掛ける、最新鋭の高速鉄道だ。従来の鉄道と比較してそのスピードは規格外に速くなっており、なんと言っても車内がさざ波の様に静寂。カロスの文明の開化を体感できる乗り物だ。
そんなTMVを降りて、彼はカロス地方の大地を踏み締めた。
「やって来たぞ! カロス地方ー!」
この少年、ハルカ。ホウエン地方の出身で、今まで数々の地方を旅し、その地方のポケモンリーグに挑戦してきた生粋のポケモントレーナーだ。
「うっほぉー! なんだここ! すっげぇ大都会じゃん!」
ハルカの辿り着いた街はミアレシティ。カロス地方の中心に位置する、文字通り中心街だ。その更に中心には巨大な塔、プリズムタワーが聳え立っており、それを囲むように様々なカフェやブティックが店を構えている。
ハルカがこのミアレシティを訪れたのには、とある理由があった。
「君がハルカ君だね」
不意に未踏の地で名前を呼ばれ、ハルカは振り向く。
そこに立っていたのは金髪の青年。純白のスーツでその身を包み、ターコイズブルーの瞳が色白の肌のアクセントとして輝いている。
「僕はデクシオ。プラターヌ博士の下で手伝いをしている、言うなれば君の先輩トレーナーさ」
デクシオと名乗った青年は、そのまま流れる様に語り出す。
「今回は博士の招待に、わざわざカロスまで来てくれてありがとう。君のような若き有望トレーナーに、博士からどうしても渡したい物があるらしくてさ。博士の恩師であるナナカマド博士の伝手を頼って、こうして来てもらったんだ。他のトレーナー達も明日には全員集まると思うから、今日はカロス地方で最高級のグランドホテル、シュールリッシュでぐっすり休むと」
「うぉー! なんかこっちから美味そうな匂いがするー!」
「ちょっとハルカ君!?」
デクシオの話も聞かぬまま、ハルカは匂いに誘われて走り出してしまった。
辿り着いたのはこぢんまりとしたお洒落な出店。その店頭に並ぶ焼き菓子は芳醇なアーモンドの香りを漂わせ、日光に反射したその見た目はまるで宝石の様だった。
「美味そー!」
「おっ、兄ちゃん! カロス名物、ミアレガレット! おひとついかが?」
「ください!」
ハルカは即座にニャースのがま口財布を取り出して、銀貨とミアレガレットを一つ交換する。焼き立てのガレットからは湯気が湧き立っており、紙越しに触れた手から熱が伝わってくる。我慢できず、ハルカは涎も拭かずにガレットを一口。瞬間、口の中に御伽噺の様な幸せが舞い降りた。
「美味ぇー!」
あまりの美味しさに、ハルカはすぐさま二口目に入る。このままではおかわりを注文するのも時間の問題だ。
「全く……、君は聞いてた通りの聞かん坊だね……」
ハルカの背後に、ようやくデクシオが到着する。随分と息が上がっている事から、年齢はハルカよりも幾つか上なのだろう。
「渡しそびれる前に、これを君に渡しておこう」
「ん?」
ハルカの視界の横から、ひょっこりとデクシオの手が伸びる。握られていたのは見慣れないハンドサイズの精密機械。ハルカは右手にガレットを握ったまま、空いた左手でその機械を受け取った。
「なにこれ?」
「あぁ、それはね」
「ふざけんな!」
「「!」」
デクシオの説明を遮るようにして、突如大声が二人の耳に飛び込んできた。
何事かと目を向けてみると、声の主であろう褐色の少年が、アスファルトに転がるポケモンに額の血管を浮かせていた。そこに転ぶポケモンは、ハルカが見た事のないポケモン。水色の肌に覆われ、首元に泡の様なマフラーを巻いた蛙のポケモンだった。
「なんで言う事聞かねぇんだよ! お前なんかもういらねぇ! こんなポケモン捨ててやる!」
少年はそう言い捨てて、ポケモンをアスファルトに置いたまま去ってしまった。
ハルカはその一部始終を、ガレットの片手間に見つめる。隣のデクシオは、事情を知っているかのように深い息を吐いた。
「はぁ、またあいつか」
「なんか知ってんの?」
興味本位でハルカは尋ねる。
「あいつはケロマツ。プラターヌ博士の研究所で飼育してる初心者用ポケモンで、博士のもとに訪れる新人ポケモントレーナー達に何度も渡してきたんだけど、どうにも自尊心が高くって、自分に見合ったトレーナーでないと判断すると言う事を聞かないみたいなんだ。だからああやってトレーナーに捨てられては、研究所に戻ってくるのを繰り返してるんだよ」
「ふーん」
ハルカはそう声を溢してケロマツに目を落とす。ケロマツは体勢を直して、汚れた泡のマフラーを手で叩いていた。そんなケロマツにハルカは歩み寄る。
「ほい」
ハルカがしゃがんで差し出したのは、追加で買った焼き立てのミアレガレット。アーモンドの仄かな香りが、ケロマツの腹の音を刺激した。
ケロマツはしばらくそれを見つめて、ハルカを見上げる。視線が交わったハルカは、天真爛漫な笑顔を向けた。しかしケロマツには効果はいまひとつだったようで、くるりと踵を返し、ハルカの側を離れてしまった。
「あっ」
小さくなっていくケロマツの背中を、ハルカは切なげに見守る。その背後にはデクシオも忍び寄っていた。
「放っておけばいいよ。そのうちまた研究所に戻ってくるだろう」
デクシオの言葉がハルカの耳を通り過ぎる。視界の街角に、もうケロマツの姿は無い。それでもハルカの頭の中からは、あのぶっきらぼうな蛙の姿が離れなかった。
「さぁ、それじゃあシュールリッシュに案内す」
ハルカはそっと立ち上がり、ガレットをポケットに突っ込んでケロマツの姿を探しに歩き出す。
「ハルカ君!」
名前を呼んでも、ハルカは立ち止まろうとしない。全く困った後輩だとデクシオは頭を抱えながら、仕方なくハルカの後についていく事にした。
◎
姿を消したケロマツを探して、気付けばミアレシティの郊外にまで足を伸ばしていた。上流からは豊かな川がせせらいでおり、朱色の羽毛をしたコマドリポケモンのヤヤコマが美声を披露する。しかしどこを探しても、ケロマツの姿は見当たらなかった。
「どこ行ったんだ?」
このままではポケットに入れたガレットが冷めてしまいそうだ。
「どこまで行くんだい……。いいからもう戻ろう……」
数歩後ろを歩くデクシオは、もう体力が尽きたのか足取りが重そうだった。それでもハルカの足が元の道を辿る事は無かった。
その時、ドカァンッ!と衝撃音が二人の耳に届く。
「「!」」
二人は音のした方向へ足を急がせる。そこは川辺で、少年が二人と先程のケロマツが一触即発に対峙していた。
「居た!」
「ちょっと待って! まずは様子を窺おう」
今にも飛び出していきそうなハルカを、デクシオは大人らしく制止する。
「よくも俺の弟を馬鹿にしてくれたな!」
よく見れば、少年のうちの一人は先程ケロマツを手放した褐色の少年だった。もう一人の少年は少し背が高く、白色のスカーフを巻いており、褐色の少年の実兄である事は間違いないだろう。
兄の前には黄色いトカゲの様なポケモンが立ち構えていた。そのポケモンにやられたのか、ケロマツの体には幾つかの傷が負われていた。
「俺の弟を馬鹿にした罪、今ここで償わせてやる! エリキテル、でんきショック!」
兄の指示に従って、エリキテルは頭から垂れ下がる襞に蓄積した電気を、ケロマツに向かって解き放つ。ケロマツはなんとか回避しようとするが、間に合わず痛烈な電撃がケロマツを襲った。
「ケロマツ!」
既に致命傷なのか、ケロマツは立ち上がるのも儘ならなかった。そんなケロマツに、兄は見下すように歩み寄る。
「ったく、トレーナーの言う事を聞けねぇポケモンなんて要らねぇんだよ!」
そう言って、兄は小石でも蹴る様にケロマツの腹部を一蹴する。蹴り飛ばされたケロマツはそのまま宙に飛び、川の中へと不時着する。
「あいつ!」
「落ち着け!」
兄に殴り掛かりそうになるハルカを、デクシオは決死で宥めかかる。
弟も兄の度の過ぎた行動に肝を冷やしているようだ。
「お兄ちゃん、流石にやり過ぎなんじゃ……」
「大丈夫だ! あいつはみずタイプ! この程度の川くらいじゃ例え瀕死でも流されやしねぇよ!」
そう、ケロマツはみずタイプ。流れる川の中など、リビングに等しいも同然だった。
しかし、ハルカが異変に気付く。
「……いや、おかしい」
みずタイプの筈のケロマツが、水流に流されるがままに流れている。よく見ると、ケロマツの身体を電気が迸っているのが見えた。
「あいつ、さっきの電撃で麻痺してんだ!」
「なに!?」
「このままじゃあいつ、川に流されちまう!」
全身が痺れた状態では、流石のみずタイプも水の流れに逆らえないようだ。予測外の緊急事態に、デクシオも汗を垂らす。
「一体どうすれば……」
その隙に、ハルカはデクシオの制止を振り払った。
「あっ、おい!」
そのままハルカはケロマツの溺れる川岸まで駆けていき、一切の躊躇いもなくその川へと飛び込んだ。
「!」
デクシオと褐色兄弟は、突然のハルカの突飛な行動に驚きに囚われる。その間、ハルカはケロマツを捕え、両手で力強く抱き締めていた。
「もう大丈夫だからな……!」
激流の中、ケロマツはハルカの顔を覗く。その表情は、今まで出逢ってきたポケモントレーナーのどれとも違う、逞しい表情だった。
ハルカは体を返して、川岸に戻ろうとする。しかし、麻痺状態とはいえ、みずタイプの太刀打ちできない流れというのは、そう柔なものではなかった。
――くそっ、思ったより流れが強いな……!
なんとか陸に上がろうと、ハルカは手を伸ばす。しかし伸ばした手は空しくも届かず、その距離は広がるばかり。ケロマツを抱えたままの水泳はあまりにも難しく、遂にハルカは力尽きて、水中で息の泡を吐いた。そのままハルカとケロマツは、目にも止まらぬスピードで下流へと流されてしまった。
「………」
突然現れたハルカに、褐色兄弟はなにから驚けば良いのか分からないといった様子だ。
それに比べてデクシオは、事態を把握した上で途方に暮れる。呆れて空っぽになってしまったデクシオの心を、腹の底からグツグツと湧いてくる憤怒が埋めていく。そしてバクーダの噴火の如く、デクシオはその怒りを爆発させた。
「なにやってんだあいつはぁぁぁ!」
その激昂も、残念ながら川に流されるハルカのもとに届く事はなかった。
◎
川面に寄り添う小さな町。その川辺に、ハルカは打ち上げられていた。流れに揉まれ、ハルカの意識は無い。その意識を取り戻させるように、ハルカの頬をペチペチとか弱い打撃が襲った。
「……んっ」
頬を叩かれ、ハルカは気を取り戻す。
朧な視界で周囲を見回すと、そこは見覚えのない景色だった。ただ一匹、見覚えのあるポケモンがこちらの顔を覗いてくる。
「ケロマツ……」
意識を戻したハルカに安心してか、ケロマツはぴょこっと後ろに飛び跳ねた。
「……お前がここまで運んでくれたのか?」
状況から察するに、そう推理するしかない。しかしハルカには、一つ解読できない矛盾があった。
「でもお前、麻痺してたんじゃ……」
するとケロマツは、ハルカの前にぽとりとある物を落とす。食べかけのミアレガレット。川の水を吸ってふやけてしまい、とてもじゃないが美味しそうとは言えない。
ハルカは新品のガレットを食べていないので、このガレットはケロマツの食べかけだろう。ガレットには状態回復の効果でもあるのだろうか。
「……こんなずぶ濡れのガレット、美味くなかっただろ」
申し訳なさそうに、ハルカは苦笑いを浮かべる。
「……今度は焼き立てで熱々のガレット、腹いっぱい食わせてやるからな」
濡れた髪から水滴を落とすハルカの笑顔は、苦笑いから満面の笑みへと形を変えていた。
「なぁ、ケロマツ。俺と一緒に行こうよ。言う事なんて聞かなくていいからさ。俺とお前で、カロスを大冒険しようぜ」
ハルカの勧誘に、ケロマツは細い目で口元を緩ませる。ハルカにはそれが了承の合図である事が伝わっていた。
「えーっと、どこやったかなぁ……」
ハルカは這い蹲っていた体を直して、ありとあらゆるポケットを弄る。
「おっ、あったあった」
そう言ってハルカが取り出したのは、赤と白のモンスターボール。
ハルカはそのモンスターボールをケロマツの前に差し出した。ケロマツはモンスターボールの中心をこつんと掌で小突く。するとモンスターボールは封を開き、ケロマツをボールの中へと吸い込んだ。僅かな振動の後、ゲットを確定させるアナウンスがピコンッと鳴り渡る。
ハルカは口角を吊り上げると、早速ケロマツを外に放った。
「よろしくなケロマツ! ……っと、もうゲットしたんだから名前付けてやんなきゃな」
恒例の命名の儀に、ハルカは頭を捻る。
「よし! 今日からお前の名前はブンタだ!」
本来なら名前の由来を事細かに訊きたくなるようなネーミングセンス。しかしブンタはそれどころかハルカに膝を突き、殿を敬う様に傅いてみせた。
「先程は命の危機を救って下さり、誠に感謝申し上げる。この御恩忘れるべからず、本日よりブンタ、我が主人に全てを捧げる所存でござる」
「ござる!?」
聞き慣れないブンタの古風な語尾に、ハルカは思わず復唱する。ハルカに傅くブンタの姿は、さながら忍者の様だ。これがブンタのキャラクターなのだろう。
「……まぁ良っか」
ハルカはそんなブンタに、堪らず笑みを溢す。
川の波に流され、文字通り波乱の幕開けとなったカロスの冒険だが、ハルカはこのブンタとの冒険が楽しみで仕方がなかった。