【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
《エレナ》ハルカの幼馴染。オダマキ博士の一人娘で、預けられたハルカのポケモンの世話をしている。
《ユウリ》トウカシティ出身のポケモントレーナー。美しい女性とポケモンをこよなく愛する。
《コウジ》マサラタウン出身のポケモントレーナー。最強を追い求めるハルカ達の先輩トレーナー。
《ソウマ》ワカバタウン出身のポケモントレーナー。眼鏡がトレードマークで、情報戦が得意。
高く澄んだセキエイ高原の空気が震撼する。
ポケモントレーナーの夢舞台であるポケモンリーグ。その試合の開幕を、会場を埋め尽くす観客だけでなく、世界中の誰もがまだかまだかと熱望していた。
『それではこれより、選手の入場です!』
会場に響いた実況の第一声が、心臓の音を逸らせる。
『齢なんと十六歳! 出身地であるホウエン地方のサイユウリーグでは、初挑戦にして見事本戦出場を果たしました! このセキエイリーグでも、持ち前の発想力で番狂わせを起こす事が出来るのか!?』
手足が震える。息が乱れる。油断をすれば意識が飛んでしまいそうだ。しかしこれは決して武者震いではない。これから始まる勝負への、異常なまでの興奮状態だ。
両の掌で頬を強く叩いて、夢舞台へと歩き出す。陽の光に照らされたそこは、実際よりも輝いて見えた。
『アイデアの宝石箱! ハルカ!』
大きく手を振って入場ゲートを出たハルカに、会場は高く歓声を上げた。
「おー! 頑張れハルカー!」
観客席にはユウリ、そしてコウジとソウマも並んで座っている。また実況席の隣に座るチャンピオンのワタルも、共にロケット団と戦った事のあるハルカの活躍を見届ける姿勢だ。
「わー! 見て! ハルカ出てきたよ!」
ポケモンリーグの試合は全世界へと生中継される。ホウエン地方はミシロタウンにあるオダマキ研究所の休憩スペースでは、エレナとハルカのポケモン達がテレビ画面に釘付けになっていた。
「凄い……本当にハルカがテレビに映ってる!」
「てゆーか、なんかあいつカッコつけてない?」
「確かに、調子乗ってるわね」
「なんでこんな時まで悪口言ってるの!?」
通常営業の悪口は止まらないが、応援する気持ちは変わらない。遠く離れた場所から、エレナ達は懸命にエールを送っていた。
すると反対の入場ゲートから、ハイヒールの音がこだまする。
『その戦法は獰悪にして鮮麗! 扱いが難しいとされるあくタイプのポケモンを従え、多くのトレーナーを翻弄し、今や次期四天王候補筆頭に! 今回も美しい勝利を魅せてくれるのか!?』
黄色のキャミソールを上から隠した淡青色の長髪が嫋やかに靡く。長い睫毛で映えた瞳は、まるで猛獣の如く猟奇的だった。
『悪の猛獣使い! カリン!』
姿を現したカリンに、会場は高揚する。その上がりようは、ハルカが入場した時のそれとは比にならない程だった。
「なんだ!? ハルカの時と全然反応違くないか!?」
「そりゃあ知名度が違うからな」
周囲の高揚に動揺するユウリに、ソウマはジュースを啜りながら回答する。
「カリンさんは前回大会でも好成績を収めて、次期四天王なんて噂される程の実力者だ。この試合だって、ここに居るほとんどが彼女の活躍を期待してんだろうよ」
「なんだそれ!?」
「だが」
気が荒れて立ち上がろうとしたユウリを、コウジの一声が制止する。
「俺達は知ってるだろ。あいつがそう簡単にやられる奴じゃないって事」
フィールドでカリンと対峙するハルカ。その瞳は下馬評など一切興味ないというように燃え滾っていた。
「初めまして、私はカリン」
「ハルカです! よろしくお願いします!」
フィールドを間に挟んで、ハルカとカリンは言葉を交わした。
「ふふっ、若いわね。まさか貴方みたいなトレーナーがこのセキエイリーグの本戦にまで勝ち上がってくるなんて……」
どこか引っ掛かる言い回しに、ハルカの眉間に皺が寄る。
「あっ、誤解させてしまったのなら謝るわ。ごめんなさい。例えどんな豪運でも、運だけで勝ち上がれる程この世界は甘くない。貴方の実力は認めているわ」
次期四天王と噂される実力者からの賞賛に、ハルカは「それ程でも」と満更でもなく口元をだらけさせた。
「でも……大丈夫かしら」
そう言うとカリンは厭らしく微笑む。
「私が愛してるのはあくタイプのポケモン。形振り構わぬ戦いを得意とするの。どう? 素敵でしょ? まだ若い貴方に、私の愛するポケモンの相手が務まるかしら」
片手で髪を靡かせながら、カリンは魅惑的に挑発する。手持ちのポケモンに対する絶対的信頼が、言動から強く伝わってきた。
しかしそれはハルカも同じだった。
「どんな戦法でも関係ないですよ」
ハルカはポケットからモンスターボールを取り出し、ぐっと強く握り締める。
「ただ目の前の相手に全力でぶつかるだけ! それが俺達の戦法です!」
太陽の様に熱い意気込みを叫ぶハルカ。あまりにも眩しい対戦相手に、カリンは少し眩暈がした。
「……なかなか面白そうね」
そう微笑むと、カリンも同じくモンスターボールを握る。
『一回戦の使用ポケモンは三体、試合中のポケモンの交代は自由となっております』
フィールドに立つハルカとカリン、実況席の実況とワタルに観客席の観客達、そして世界中のポケモンバトルファンが試合開始の合図を待ち望む中、遂に鬨の声が会場に響き渡った。
『それではセキエイリーグ一回戦、第一試合! バトルスタートです!』
「オーム! お前が決めろ!」
「始めましょ! ブラッキー!」
カリンが先発に繰り出したのはブラッキー。対するハルカの先発はヘラクロスのオームだ。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
オームは自分を鼓舞する様に、雄叫びを上げながら自慢の角を反らせている。ポケモンリーグへの意気込みがひしひしと伝わってきた。
「オームよ!」
テレビに映ったオームの姿に、オダマキ研究所の応援にも熱が入る。
「ヘラクロスであるオームはむし・かくとうタイプ。カリンの得意とするあくタイプとは、どちらもえらい相性の良いタイプです。オームの鉄拳は悪しき肉体を内側から破壊し、旋脚はさながら変身ベルトを巻いた仮面ライ」
「気張んなさいオーム!」
「負けたら承知しないわよ!」
チビマルの長い解説を無視して、カスガとバービーは檄を飛ばす。応援が手厳しいのは。期待故の反動だった。
「カリンさんの先発はブラッキーか」
「数あるイーブイの進化の中でも、最も耐久力の高いポケモンだ。一体どう戦ってくるのか……」
コウジ達はブラッキーに焦点を合わせて試合に注目する。ブラッキーは月の輪の模様を薄く光らせながら、オームとの戦闘に備えていた。
「最初から全力で行くぞ! オーム! メガホーン!」
「よし来たぁ!」
ハルカの指示通り、オームは最初からアクセル全開で一本角をブラッキーに向けて走り出す。標的であるブラッキーは余裕の姿勢だ。
「躱しなさい!」
直撃の寸前、ブラッキーは前方へと跳び上がって身軽に回避する。
「あくのはどう!」
そのままがら空きとなったオームの背後に、口から黒色の波動を吐き出した。
「ミサイルばり!」
オームは羽を広げて急旋回し、無数の針で波動を迎え撃つ。衝突した二体の攻撃は砂煙と爆風を巻き起こした。
「まだまだ! いわくだきだ!」
砂煙の中、オームは右腕を構えてブラッキーに距離を詰める。ブラッキーの瞳はオームの拳を見切り、またしても紙一重で躱した。
「もう一発!」
オームは諦めない。即座に左腕の拳を握ったオームは、ブラッキーの腹部に拳をめり込ませた。この感触は間違いなく良い打撃が決まった筈だ。
すると攻撃を受けた筈のブラッキーの口角が不気味に吊り上がる。
「しっぺがえし」
カリンの声をトリガーに、ブラッキーはオームの頭部に右前脚を叩きつける。その一撃は強烈で、脳が揺れたオームは思わずその場から一歩後ずさった。
『開始からいきなり激しい殴り合い! 両者互いに一歩も譲りません!』
オームとブラッキーの白熱の攻防戦に、会場は大盛況。ただバトルに精通する者は冷静に状況を判断していた。
「今の技は?」
「しっぺがえし。相手の攻撃の後に攻撃すれば威力が跳ね上がる技だ」
「って事は今の一撃は相当決まったな……」
「それに見てみろ」
ソウマに促され、ユウリはブラッキーに目を向ける。
「オームのかくとう技を受けたにも関わらず、なんて事ない顔で平然と立ってやがる。やっぱ耐久力はかなりのものだと思った方が良さそうだな」
確かにブラッキーはオームの攻撃など屁でもないといった様子で飄々と立っている。その姿にユウリは悍ましさすら覚えていた。
「あいつやべぇじゃん……」
焦燥は当然ハルカも感じていて、額から一筋の汗を垂らす。一方のカリンは不敵に笑みを浮かべるだけだった。
「さて、勝負はここからよ」
本領発揮だと、カリンはブラッキーと心をシンクロさせる。
「ブラッキー! あやしいひかり!」
ブラッキーは体に纏わせた月の輪を不気味に光らせ、人魂の様な光を生み出した。光はオームの側まで接近すると、徐にのんびりと漂う。
「なっ、なんだぁ!?」
どんな攻撃かと警戒するオームだが、光から攻撃が来る事はない。ただずっと目で追っていたオームは、気付けば視界をぐるぐると渦巻かせていた。
「あぁぁぁ!?」
「オーム!?」
『おっとここでヘラクロス! ブラッキーのあやしいひかりで混乱状態となってしまった!』
混乱状態となったオームの頭には、ピヨピヨとアチャモが周回している。突如訪れた窮地に、ハルカは表情を歪めた。
「混乱なんて関係ねぇ! オーム! メガホーンだ!」
「おぉ!」
ハルカの指示に、オームは一本角を尖らせて走り出す。しかしその先にブラッキーは待っていなかった。
「オーム!」
『ヘラクロス! 混乱状態により標的を見失ってしまいます!』
的外れに走るオームの隙を、カリンが見逃す筈はない。
「あくのはどう!」
ブラッキーの悪の波動がオームを襲う。攻撃に反応する余裕もなく、オームは背中に波導を浴びた。
「うわっ!」
全身を痺れるような痛みが走る。倒れる事はなかったが、その目が醒める事も依然なかった。
このまま勝負を続けても、きっと同じ展開が続くだけだ。ここは一度モンスターボールに戻してオームの頭を冷やすべきだと、ハルカはモンスターボールを握った。
「くっ! オーム、戻」
「くろいまなざし」
しかしブラッキーの瞳がそれを許してくれなかった。
「!?」
オームを戻そうとモンスターボールを翳しても、何故か一向に戻る気配はない。ただフィールドに呆然と立ち尽くすだけだった。
「しっぺがえし!」
ブラッキーがオームに手痛い一撃を与える。衝撃を脆に受けたオームは、思わずフィールドに膝を突いた。
「なんで今モンスターボールに戻せなかったんだ!?」
「ブラッキーの技、くろいまなざしの効果だ。その眼差しを向けられた対象は、一定時間モンスターボールに戻れなくなる」
「なんだよその技!」
初めて目にする奇天烈な技に、ユウリは仰天する。
「あやしいひかりで相手を混乱させ、くろいまなざしで交代を防ぐ……。成程、確かに狡猾な戦術だ」
勝利の為に手段を選ばないカリンに、ソウマは背筋を凍らせた。
「ミサイルばり!」
近距離が駄目なら遠距離からだと、オームは射撃に移行する。しかし今のオームに照準が上手く定められる筈もなかった。
「しっぺがえし!」
針を華麗に躱したブラッキーは、オームの懐に潜り込んで一撃を入れる。効果は今ひとつだが、度重なる攻撃が確かにオームにダメージを蓄積させていた。
『カリンの真骨頂である戦法に、ヘラクロス為す術もありません!』
形勢はカリンが優勢。望んでいたカリンの圧倒的な蹂躙に、会場は熱狂する。
「ちょっと! これマズいんじゃない!?」
「オーム! 頑張ってー!」
オームのピンチが中継される中、エレナ達はセキエイ高原に届くよう声を上げた。
――畜生! どうにかしてオームの頭を正常に戻さねぇと!
なにか現状を打ち砕く術はないかと、ハルカは険しい形相で頭を捻る。
――頭を……。
その時、とある策がハルカの頭上に舞い降りた。
「オーム! その場で地面にメガホーンだ!」
「!?」
あまりに突飛な指示に、カリンは驚愕する。
「おぉぉぉ!」
混乱状態のオームは特に違和感を抱く事なく、指示通りに地面に角を叩きつけた。勢いよく振り下ろされた角が、フィールドに亀裂を入れる。
『おっと!? これは一体!? まさかハルカ選手も一緒に混乱してしまったのでしょうか!?』
『いやこれは……』
理解し難い謎の行動に会場はどよめく。ただ実力者は気付いていた。この謎の行動の最中、オームの目の色が確かに変わった事を。
「わざと頭に強い衝撃を与える事で混乱を解除したのか」
「やっぱあいつの考える事は無茶苦茶だな」
奇想天外なハルカの発想に、コウジ達はこれこそが彼の勝負の醍醐味だと笑みを溢した。
「目ぇ醒めたか!?」
「おぉ! バッチリだ!」
両腕を掲げて、オームは理性の復活を宣言する。その復活劇に黙って拍手を送る程、カリンは優しくなかった。
「混乱が解けても同じ事! ブラッキー! あやしいひかりよ!」
「させるか!」
ブラッキーが再び月の輪を光らせようとした瞬間、オームが羽を広げて瞬く間に急接近する。
「いわくだき!」
オームの拳がブラッキーの額を叩く。気合いの入った重たい一撃に、思わずブラッキーは体勢を崩した。その一瞬の隙を、オームの一本角は見逃さない。
「メガホーン!」
鋭く尖った自慢の角が、ブラッキーの心臓に突き刺さる。容赦なく急所に抉り込まれた角は、ブラッキーに致命傷を負わせた。
それでもブラッキーの目は死んでいなかった。息を荒げて、血走った瞳でオームを睨みつける。ただ自慢の耐久力にも限界は付き物で、体の自由を失ったブラッキーはフィールドに草臥れた。
『ブラッキー、戦闘不能! 混乱状態の解けたヘラクロスのメガホーンが、ブラッキーを突き破ったー!』
動き出した試合展開に、会場のボルテージは急上昇。まるで一つの生物になった様に、会場は怒号を上げていた。
「凄い! オーム勝ったよ!」
「当然でしょ!? あいつあー見えて強いんだから!」
「このまま全部勝ち進みなさい!」
テレビに映されたオームの勝利に、エレナ達も拍手を送った。
「良いぞオーム! この調子で行くぞ!」
「おぉ!」
白星を上げて調子の上がったオームは、意気揚々と雄叫びを上げる。まだ戦える気力は残しているようだ。
一方、カリンはフィールドに倒れたブラッキーをモンスターボールに戻した。
「お疲れ様。あとは私達に任せなさい」
労いの言葉を掛けると、視線を対峙するハルカに移す。
「面白い戦い方をするのね。見事だったわ」
賛辞と共に、カリンは次なるモンスターボールを握る。その瞳には「もう次はない」と、覚悟の火を燃やしていた。
「さて、それじゃあこの子はどうやって攻略するのかしら!」
そう言ってカリンがフィールドに繰り出したのは、三角帽と翼を漆黒に纏わせたヤミカラスだ。
「ヤミカラス……これはまたトリッキーなポケモンを出してきたな」
「えっ、それってもしかして鳥だけにぐへぇ!」
「ひこうタイプを有するヤミカラスに、オームは相性不利だが……」
ソウマに鳩尾を殴られるユウリを横目に、コウジがハルカに目を向ける。不利な対面を前にしても、ハルカは動じないとコウジは理解していた。
「オーム! メガホーン!」
「おぉぉぉ!」
一本角に磨きを掛けて、オームは突進する。目標は空を舞うヤミカラス。その筈だったが、オームの足は何故か逆方向の壁に向かっていた。
「お前まだ混乱してたのかよ!」
どうやらブラッキーに拳が届いたのは、単なる偶然だったようだ。ブラッキーを落とした今、黒い眼差しの効果は切れている。ハルカはオームの目を今度こそ醒ます為、仕方なくオームにモンスターボールを翳した。
「オーム、戻れ!」
しかしそれはカリンの思う壺だった。
「おいうち」
モンスターボールに戻る直前、オームの眼前にヤミカラスが飛び寄る。ヤミカラスの綺麗に研磨された足の爪が、オームの顔面を引っ掻いた。
「!」
交代際に傷を負いながら、オームはモンスターボールに戻る。オームの背中に、ヤミカラスは不気味に嘲笑していた。
「今の技は?」
「おいうち。交代の間際に攻撃すると威力が上がる技だ」
「交代を阻止したり、攻撃したり、相手を撹乱させる技の使い方が上手いな」
やはりカリンの実力は本物だと、コウジ達は次期四天王候補と噂される事実に納得する。
『ハルカ選手、ここで一度ヘラクロスを戻します! カリン選手のヤミカラスに、どう対抗するのか!?』
ハルカはモンスターボールで休むオームに視線を落とす。ここまでの活躍を鑑みて、疲労は相当溜まっている筈だ。
「悪ぃな、ちょっと休んどいてくれ」
言葉を掛けてモンスターボールを戻すと、ハルカはポケットから別のモンスターボールを取り出す。
「さぁ、次はお前が決めろ! ピコタロー!」
ハルカの投げたモンスターボールから出てきたピコタローは、気合十分に電気袋を痺れさせていた。
「ピコタロー! 頑張れー!」
「ピコタローならやってくれるよ!」
テレビに映ったピコタローにスネオは骨をぎゅっと握り、トランプは嘴を大きく開ける。
「ピコタロー! でんこうせっか!」
「うん!」
ハルカの指示に、ピコタローは電光石火にフィールドを駆けた。どれだけ速くとも所詮地を這うばかりだと、ヤミカラスは空から悠々と見下ろす。しかしピコタローが跳び上がると、ヤミカラスとの距離は一気に縮まった。
「アイアンテール!」
鋼鉄の如きピコタローの尻尾が、ヤミカラスの三角帽に落とされる。フィールドに叩き落とされたヤミカラスは、翼に付いた土汚れを振り払った。その間もピコタローは空からヤミカラスに突進を仕掛ける。
「躱しなさい!」
ヤミカラスは翼を羽ばたかせ、突進するピコタローを華麗に躱す。またしても距離を離されたピコタローだったが、その瞳は決して見逃していなかった。
「10まんボルト!」
それならば遠距離攻撃だと、ピコタローは頬袋に溜めた電撃を放出する。ヤミカラスに当たれば効果は抜群だ。
しかしカリンの唇が不敵に緩む。
「オウムがえし!」
するとヤミカラスもどこからともなく電撃を放出し、ピコタローの電撃を相殺した。
「!?」
『なんと! ピカチュウの10まんボルトをヤミカラスの10まんボルトが打ち消しました!』
予想外の反撃に、ハルカとピコタローは困惑する。対して会場の反応は大いに盛り上がった。
「なんだ!? あのポケモンも電気技使えんのか!?」
「いや、今のは……」
「オウムがえし。相手が直前に使用した技をコピーする技だ」
「そんな事も出来んのかよ……!」
芸達者な技を魅せるヤミカラスに、ユウリは強く感心する。
「そろそろ始めましょうか」
カリンはそう前置くと、指を鳴らしてヤミカラスに指示を送った。
「くろいきり」
途端にヤミカラスは翼を羽ばたかせ、周囲に黒い霧を出現させる。霧は即座に蔓延し、一瞬にしてフィールド全域を覆い隠した。
『こっ、これは! ヤミカラスのくろいきりが会場を包み込みました! こちらからフィールドの様子は一切確認できません!』
観客席は勿論、実況席にまで霧は立ち込め、試合の様子は文字通り闇の中となってしまう。
「なによこれ!」
「これじゃあ今どうなってるか見えないじゃん!」
それは全国中継のカメラも同様で、真っ暗な映像を流すテレビにオジョー達はブーイングの嵐を起こした。
「大丈夫かピコタロー!」
一寸先の様子すら見えないハルカは、ピコタローに確認を取る。ひんやりとした濃霧の中に残されたピコタローは、一歩も動けずに立ち止まっていた。
「大丈夫! でも霧が深くて全然見えな」
その時、ピコタローの背後に影が忍び寄る。
「だましうち」
闇に紛れたヤミカラスの翼が、ピコタローの体を斬り裂いた。
「うわっ!」
「ピコタロー!?」
霧の中からピコタローの悲鳴が聞こえる。しかしどれだけ目を凝らしても、その惨劇が視界に届く事はなかった。
「霧の中はどうなってんだ!?」
「分からない……ただカリンさんがさっき指示していただましうちは、どんな状況でも必ず命中する必中技だ。そう考えると、ヤミカラスの一方的な攻撃が続いてるかもな」
「マジかよ……!」
ソウマの予想は的中で、黒い霧の中でピコタローは黒い翼に闇討ちされる。不意に漏れる呻き声だけが、ハルカの苦戦の状況を訴えた。
「ピコタロー! アイアンテールで霧を払え!」
戦況を打破しようと、ハルカが指示を飛ばす。ピコタローは指示通りに尻尾を振り回し、風を起こして霧払いをしようとした。
「無駄よ」
しかしカリンの言う通り、一向にピコタローの視界が晴れる事はなかった。
「なに!?」
「単純よ。霧を払おうとするのなら、こちらも霧を出し続ければ良い。そうすればこの霧が晴れる事はないわ」
翼を羽ばたかせるヤミカラスは、延々と黒い霧を出し続ける。ヤミカラスが翼を休めない限り、この霧が消える事はないようだ。
「だましうち!」
その間にもヤミカラスはピコタローに傷を与える。ピコタローの体力が尽きるのも時間の問題だ。
「ちょっと! こんなの卑怯よ!」
「勝負に卑怯はありません。これがあくタイプ使いである彼女の戦法なんですよ」
「ピコタロー! 頑張れー!」
カメラが機能しない今、エレナ達は闇雲に応援する事しか出来なかった。
――考えろ! ようは相手の位置が分かれば良いんだ! 霧の中でも位置が分かるような目印さえあれば……!
まるでフィールドと同じ状態の戦況で、ハルカは勝機を探る。隈なく探ってみるものの、光はどこにも見えなかった。
「ピコタロー! 自分に10まんボルトだ!」
「!」
霧の奥から聞こえてきた指示にピコタローは耳を疑うも、言われた通りに10万ボルトを自分自身に浴びせる。電撃の鎧を纏ったピコタローに、ヤミカラスの猛攻はピタリと止まった。
「どういう事だ!?」
「ヤミカラスの攻撃技は主においうちとだましうち。どれも近接攻撃の物理技だ」
「成程。10まんボルトを自分に浴びせる事で、その攻撃技を牽制したのか」
確かにピコタローが電撃を纏っている今、ヤミカラスは翼も足も出せなかった。ただこの程度で狼狽えるカリンではない。
「それなら! ヤミカラス、10まんボルトをオウムがえしよ!」
遠隔攻撃の手段なら持ち合わせていると、ヤミカラスはピコタローを真似て電撃を用意する。
その時、黒い霧の中に一縷の光が輝いた。
「見つけた!」
ピコタローの声に、ハルカの口角が吊り上がる。そう、これこそがハルカの真の目的だった。光が無いのなら、こちらから生み出せば良いだけであると。
「ピコタロー! 光に向かってそのままでんこうせっか!」
電撃の鎧を纏ったまま、ピコタローは光を目指して電光石火に跳び上がる。それはまるで黒雲の中を走る稲妻の様で、ヤミカラスに逃げる暇など渡さなかった。
「うらぁぁぁぁぁぁぁ!」
稲妻と化したピコタローがヤミカラスに直撃。体に電撃の迸ったヤミカラスの翼は痺れ、フィールドに落ちる。合わせて黒い霧は徐々に晴れていき、遂にフィールドを白日の下に晒した。
「へへっ……やった……、倒し……た」
着地したピコタローだったが、体をよろめかせると共に倒れる。霧の中の奇襲が蓄積していた上、先程自分に浴びせていた電撃によって体力をかなり消耗したようだ。
『ヤミカラス! ピカチュウ! 互いに戦闘不能! 霧の中の決闘は、激戦の末引き分けに終わったようです!』
ようやく明らかとなった戦況に、実況の声に熱が籠る。同じように会場も茹る様な熱気に包まれた。
「スゲェ! 最後どうなったんだ!?」
霧に隠された決定的瞬間に、ユウリは興奮して前傾になる。
「ボルテッカー」
「へ?」
「電撃を自身に纏わせながら特攻する、ピカチュウ系統の奥義だ。体に掛ける負荷も大きいが、その分威力は絶大。もっとも、あいつらはそんな事知らずに使ったんだと思うけどな」
恐らく奥義を繰り出せたのは偶然の産物だろう。未だ潜在能力の底が知れないハルカに、コウジは笑みを浮かべた。
「相打ちかー!」
「でもよく頑張ったよ。試合の様子が全然見えなかったのが残念だけど」
「流石ピコタローね」
テレビも無事に試合中継が復活し、エレナ達はピコタローの健闘を強く讃える。
「ありがと。よく頑張ったな」
ピコタローをモンスターボールに戻して、ハルカはそう言葉を掛ける。カリンも同じように、ヤミカラスをモンスターボールに戻していた。
『さて! これで残りポケモンは二体一! なんとハルカ選手がカリン選手を追い詰める展開となりました!』
実況の通り、カリンのポケモンは残り一体。状況だけ見れば、試合はハルカが優勢の状態で進んでいる。
「追い詰める……ねぇ」
しかしハルカはそんな余裕など一切感じていなかった。何故ならカリンの猟奇的な瞳は、依然自分の勝利を信じて疑っていなかったからだ。
「私にとってこれぐらい、追い詰められたうちに入らないわ!」
そう声を張り上げて、カリンは最後のモンスターボールを天高く上げる。モンスターボールから繰り出されたのはヘルガー。純黒の体に備わる銀色の爪が、太陽光を反射した。
フィールドに解き放たれたヘルガーは、たちまち喉を鳴らして会場に遠吠えを轟かせる。地獄から死神が呼ぶ声とも比喩されるその遠吠えは、劣勢だった空気感を一瞬にして塗り替えてしまった。
思わず体の震えたハルカは、今一度覚悟を決める。ここは夢の大舞台。相手は格上の四天王候補。勝負の結果はまだ誰にも分からなかった。