【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
《ブンタ》れいせいなゲコガシラ。命の恩人であるハルカに忠誠を誓った仁義の忍。
《スコップ》せっかちなホルビー。何故かコガネ弁の守銭奴。
《ヤンヤン》がんばりやなヤンチャム。自分流の強さを求めて日々精進中。
本日の天気は快晴。雲一つない青空を、一羽のヤヤコマが気持ち良さそうに滑空する。
そんなピクニック日和の空模様の下を、慌ただしい足音が駆け巡った。
「待てぇー!」
生垣で整備された庭園の迷路を、ヤンヤンが腕を大きく振って駆ける。ヤンヤンの瞳の先には美しく整えられた純白の毛並み。プードルポケモンのトリミアンだ。
懸命に追い掛けるヤンヤンだが、トリミアンの四足走行にその差は縮まらない。ただヤンヤンは無闇に追い掛けているだけではなかった。
「兄貴!」
トリミアンも気付く。自身の進行方向に一人の人間が立ち塞がっている事を。
「ばっちこい!」
ハルカは口角を吊り上げると、両腕を広げて足を前に出す。ヤンヤンと前後で挟んで、挟み撃ちの陣形だ。これでトリミアンはハルカの腕の中に。
そう思われたが、トリミアンはハルカの眼前で急カーブをした。目標を逃したハルカは、空を抱きながら地面に倒れ込む。
「うわっ!」
その間にもトリミアンは走り続けて、背中は段々と小さくなっていく。ヤンヤンはトリミアンの追跡を中断し、倒れたハルカの側に寄り添った。
「兄貴! 大丈夫ッスか!?」
ハルカは自力で体勢を直して、地面に腰を着く。擦りむいた膝小僧に表情を歪めるも、その瞳は依然トリミアンを追っていた。
「畜生……!」
何故ハルカ達はこの晴天の下トリミアンと追いかけっこをしているのか、その理由は一時間前に遡る。
◎
パルファム宮殿。三百年前の戦争が終結した際、当時の王が建てさせたとされる建築物だ。王の所有物ともあって、その外装は実に豪華絢爛である。
「トリミアンを捕まえて欲しい?」
その宮殿の現在の主人から、ハルカは直々にそう懇願されていた。
「トリミアンじゃない! トリミアンちゃんだ!」
主人にとっては重要な部分なのか、大層な剣幕で訂正を入れる。
「私の愛しのトリミアンちゃんが、この宮殿の庭園に逃げ出してしまったのだ! あートリミアンちゃん! もし転んで怪我でもしたらと考えたら、私は一睡も出来やしない!」
余程トリミアンの事が心配なのか、主人は宮殿の絨毯に大粒の涙を溢していた。大の大人の惨めな姿に、ハルカは直視できずに視線を逸らす。
「兄貴! 僕達でトリミアンちゃんを捕まえましょう!」
「そうだな」
困っている人が居るのなら、放っておく訳にはいかない。ヤンヤンもトリミアンの捕獲に向けて拳を握った。
「アホ、なんでワイらがそんな事せなあかんねん」
そう一同に冷や水を浴びせたのはノーマルタイプのスコップだ。
「見ず知らずの赤の他人にそんな事する義理ないやろ。用件済ませたらこんなとことっとと退散するで」
人情の欠片もない言葉を口にするスコップに、ヤンヤンは眉を顰める。
「なんでそんな酷い事言うんスか! 世の中助け合いが大事なんスよ!」
「そんなんばっかしとったらいつまで経っても目的地に辿り着けへんぞ。世の中時には見捨てる事も大事やねん」
スコップの言っている事は正論なのかもしれない。それでもヤンヤンは納得できなかった。
「ほら、分かったらはよ用件済ませるで」
スコップはくるりと踵を返すと、宮殿の中に足を伸ばす。かなり頑固なスコップの意見を覆すのは、そう簡単ではなさそうだ。
その時、スコップの巨大な耳に主人の小さな声が届く。
「勿論トリミアンちゃんを無事捕まえてくれたのなら、その時は私から最高級の褒美を渡そう」
「アンタらぁ! なにがなんでもトリミアンちゃん捕まえるでぇ!」
「えぇ……」
いとも簡単に掌を返したスコップに、ハルカとヤンヤンは軽蔑の視線を送っていた。
◎
という経緯を経て、ハルカ達のトリミアンとの激しい鬼ごっこは開始した訳である。
「おらぁー!」
「待てこの野郎ぉ!」
宮殿の庭園にはゴルーグやガマガルといったポケモンの像が各所に装飾されており、その隙間を埋める生垣の迷路からハルカとヤンヤンの怒鳴り声が聞こえてきた。トリミアンは二人の呼び掛けに応える事なく、その距離を引き離すばかりである。
ただトリミアンを追い掛けるのは、なにも二人だけではない。トリミアンの進行方向には、真打とも言えるブンタが待ち構えていた。
「ブンタ!」
ブンタは視線を鋭く尖らせ、両手に水で作成した縄を握る。行く手を阻むブンタが只者でない事は、トリミアンも勘付いていた。
意を決して、ブンタはトリミアンへと足を走らせる。正面からブンタ、背後からハルカとヤンヤン。一本道となった生垣の通路に、最早トリミアンの退路はどこにもなかった。どこにもない筈だった。
神妙に御縄についたと誰しもが予想したその時、トリミアンの前足が軽やかに跳び上がる。トリミアンはそのまま生垣の壁を蹴り、青空に雲の様な毛並みを浮かべた。
「「「!」」」
宙を舞ったトリミアンを生垣の壁を跳び越えて、姿を晦ませる。あまりにも鮮やかな逃避行に、ハルカ達は目を奪われてしまった。
「マジかよ……」
しばらく開いた口が塞がらないでいると、側に佇んでいたブンタの膝が途端に崩れる。
「大変申し訳ございません……拙者が居ながらこのような事に……!」
「いやいや大丈夫だって!」
「ブンタのせいじゃないッスよ!」
このままでは切腹すらしかねないブンタを、ハルカとヤンヤンは優しく宥めた。
「全く、情けない奴らやのぉ」
不意にこちらを嘲る声が聞こえて、ハルカは振り返る。生垣の上には、いつの間にかこちらを見下ろすスコップの姿があった。見下ろすというよりは、見下すと表現した方が正しいかもしれない。
「なんスかろくに手伝いもしないで! そんな事言うなら僕達と一緒にトリミアンちゃん捕まえて欲しいッス!」
「アホ、なんでワイがこんな迷路の中走り回らなあかんねん」
頭に血を上らせるヤンヤンの申し出を、スコップは軽く一蹴する。
「ええか? こんなんずっと続けとったらあっちゅー間に日ぃ暮れるで」
鼻につく話し方だが、スコップの言っている事は正しかった。なにか対策を練らなければ、トリミアンとのオタチごっこが続くだけである。
「……じゃあどうしろって言うんだよ」
そこまで言うからにはなにか策があるのだろうと、ハルカがスコップに尋ねる。
「使うんは足やない、
スコップはトントンと自分の頭を小突くと、口角を高く吊り上げた。
「ワイに任せとけ」
その表情はまるで凶悪犯が計画を企てた時の様に実に厭らしかった。
◎
晴れ渡る宮殿の庭園をトリミアンは一匹優雅に歩く。自宅である庭園を散策するのは、当然初めてではない。しかし首輪から解放された今見るこの景色は、初めて目にするかの様に真新しかった。
この時間を手放すのは、もうしばらく惜しい。そんなトリミアンの希望を邪魔するように、視界の隅に刺客の影が映った。
刺客であるブンタはトリミアンと対峙すると、両の掌で印を結ぶ。するとブンタの影は分かれ、三体に分身した。
背中を向けたトリミアンは、四本の足を駆けて逃走を図る。ブンタも分身と共に走り出し、またしても生垣の迷宮を舞台とした逃走劇が幕を上げた。
文字通り自分の庭であるトリミアンは、迷いのない足取りで逃げ回る。対するブンタも分身と協力し、時には水鉄砲で牽制しながらトリミアンを追い詰めていた。
分身に針路を妨害されながらも、トリミアンは逃走する。しかし針路を曲がった時、トリミアンの視界に映ったのは生垣の壁に阻まれた行き止まりだった。
「!」
今更引き返そうにも、ブンタは背後に迫っている。後戻りなどする余裕はなく、トリミアンは足を走らせ続けた。
トリミアンは分かっていた。この道は自分にとって行き止まりではない事を。
ブンタの水鉄砲を軽く躱しながら、トリミアンは立ち塞がる壁の前に到達する。しかしトリミアンの足は止まる事なく、そのまま生垣の壁を駆け上がった。跳び上がったトリミアンはまるで鳥の様に空を舞い、行き止まりの先である壁の向こう側へと着地する。
「チェックメイトや」
その時、トリミアンの着地した地面が忽然と消え去った。
「!?」
足場を失ったトリミアンは、そのまま重力に呑まれる。気付けばトリミアンは、知らない間に掘られていた穴の中に引き摺り込まれていた。
「今だー!」
この好機を逃すまいと、姿を隠していたハルカとヤンヤンが一斉に走り出し、トリミアンの倒れる穴の中に跳び込む。逃げ場のないトリミアンを捕まえるのは容易で、遂にトリミアンをその手で捕まえる事に成功した。
「やったー!」
「捕まえたぞー!」
土埃を体に纏いながら、ハルカとヤンヤンは上機嫌に喜ぶ。腕の中のトリミアンは、観念したのかその場でじっと佇むだけだった。
「こういうすばしっこいのには罠を仕掛けるんが一番や」
生垣の上から顛末を見届けていたスコップが、ふと口を溢す。
「ブンタの影分身と水鉄砲で上手く誘導して、ワイの仕掛けた落とし穴に誘い込む。相手の足さえ奪ってまえばもうこっちのもんや。まんまと引っ掛かってくれて助かったわい」
スコップの分類はあなほりポケモン。穴を掘るのは得意分野だ。
「この勝負、ワイの完全勝利やな」
頭脳戦で活躍したその頭は、今や褒美の内容でいっぱいになっていた。
◎
「トリミアンちゃぁぁぁん!」
土埃塗れで帰ってきた愛しのトリミアンに、主人の喉からは阿鼻叫喚が響き渡った。
「大丈夫かいトリミアンちゃん! こんなみすぼらしい姿に変わり果てて! 早く綺麗にしてあげるからね! ほら! 早くトリミアンちゃんを大浴場へ!」
ハルカ達に感謝を告げる事なく、主人はトリミアンを抱き締めながら大浴場へと走ってしまった。取り残されたハルカ達に声を掛けたのは側近の執事である。
「トリミアンちゃんを捕まえてくださりありがとうございます。褒美はこちらで御用意しますので、しばらくお待ちください」
「はぁ……」
そう言われて食卓に案内されてから、しばらく時間が経った。バルコニーに繋がる開いた扉から見える空も、すっかり夜色に染まっている。ハルカ達は待たされる時間を、用意された豪華な食事を口にして潰していた。
「美味っ! 兄貴これめちゃくちゃ美味いッスよ!」
「おっ! どれだ!? うわなんだこれ! あのおっさん、毎日こんなの食ってんのかよ!」
普段口に出来ない御馳走を前に、ハルカとヤンヤンは大興奮。その様子をブンタは静かに見守っていた。
「ケッ、いつまで待たせんねん。これが褒美なんて言われたらちゃぶ台ひっくり返すで」
スコップはどれだけ待っても来る気配のない褒美に苛立ちながら、葡萄ジュースの入ったワイングラスを回す。
その時、宮殿の外からなにかが弾けた音がした。
「ん?」
ハルカは視線を食事からバルコニーに移す。するとハルカの瞳に、夜空に鮮やかに光る極彩の花が映った。
「うわぁっ!」
思わずハルカ達は席を立って、バルコニーへと飛び出す。間近に寄るとその景色は鮮烈で、バルコニーの手摺りに寄り掛かって目に焼き付けようとした。
「綺麗だなー!」
「花火だー!」
「こら絶景やなぁ」
ブンタはハルカの半歩後ろに、ヤンヤンとスコップは手摺りに乗って花火を見上げる。一同はこの景色に、同じように心を奪われていた。
夜のパルファム宮殿に花火は咲き続ける。ハルカ達はこの思い出を決して忘れないようにと、心のアルバムにそっと綴じ込めた。