【登場人物】
《ソウマ》ワカバタウン出身のポケモントレーナー。眼鏡がトレードマークで、情報戦が得意。
《ナナちゃん》わんぱくなベイリーフ。
星の見えない暗闇の夜空を、白銀色の雪が塗り替えていく。乱暴に振り続ける雪は止む気配もなく、山道を歩く二つの足跡を即座に掻き消していった。
「……また酷くなってきたな」
シロガネ山――カントー地方とジョウト地方の境界線に聳え立つ巨大な高山だ。天に手が届きそうな程高い山頂は常に猛吹雪に見舞われており、そこに棲息するポケモンはどれも獰猛な性格ばかり。故にシロガネ山に足を踏み入れるには、厳正なる審査を通った際に発行される入山許可証が必須である。
その入山許可証をリュックに仕舞い、ソウマは山頂を目指して歩いていた。
「ナナちゃんはボールに戻ってな。この先はもっと酷くなるかもしれない」
ソウマはモンスターボ―ルを取り出して、隣を歩くナナちゃんにそう促す。草タイプであるナナちゃんに、この吹雪は耐え難いだろう。実際頭頂部に生えた若葉がプルプルと震えている。
しかしナナちゃんは、そんな若葉に積もった雪を振り落とすように首を横に振った。どんな悪天候でも、ソウマの隣を歩きたいようだ。
「……そっか。無理はしないでよ」
ナナちゃんの想いを受け入れて、ソウマはモンスターボールをポケットに仕舞う。この吹雪では地図も意味を成さず、緩やかに傾いた斜面だけを頼りに、二人は山頂を目指していた。
ソウマがシロガネ山を訪れた理由、それは修行だ。というかそれ以外の理由で、この山を訪れる人は居ないだろう。先日セキエイ高原にて開催されたポケモンリーグで自分の非力を痛感したソウマは、オーキドに勧められるがままにシロガネ山を登っていた。山頂からの景色を見た時、自分の中でなにかが変わっている事を信じて。
「もう少しか……」
進むにつれて視界を塞ぐ障害物が晴れていく。恐らく山頂が近い証だろう。寒さに震える体に鞭を打って、ソウマはその頂へと足を伸ばした。
「……ん?」
その時、ソウマは眼鏡の奥の目を凝らす。到底人が居るとは思えない猛吹雪の中、一つの人影が立っているように見えたのだ。しかもその人影に、ソウマは見覚えがあった。
「よぉ、思ったより遅かったな」
声を聞いて、ソウマの疑惑は確信に変わる。
「コウジ!?」
人影の正体はコウジ。ジョウトの旅を通じて知り合った、腕の立つポケモントレーナーだ。
「どうしてここに!」
「ここには俺もよく修行しに足を運ぶんだ。この劣悪な環境下でこそ鍛えられる力ってものがある。お前もそれを鍛えにここまで来たんだろ?」
「どうしてそれを……」
尋ねかけてソウマは思い出す。そういえばコウジの出身地は、オーキドの研究所があるマサラタウンだった。
――あの爺さんの差し金か。
どこぞで暢気に熱い茶を啜っているだろう老人を思い浮かべて、ソウマは少し苛立った。
「さて、それじゃあ始めるか」
そう口にしたコウジに、ソウマとナナちゃんは首を傾げる。
「折角ここまで来たんだ。今の自分の実力、試しときたいだろ?」
自身のポケットからモンスターボールを取り出したコウジに、ソウマは言葉の真意を理解する。修行の山の頂に、ポケモンリーグ本戦出場のポケモントレーナー。舞台としては整い過ぎているような気もした。
「……よろしく頼む!」
ソウマの口角は、本人も無自覚の間に吊り上がっていた。
◎
ソウマの予想通り、山頂にふぶく霰は収まるどころか余計激しさを増していく。
「ルールはお互い二対二の短期決戦でどうだ?」
「この天候だ。長居も危険だろうし、それで丁度良いだろう」
二人は戦場となる空間を空けて、バトルのルールについて共有する。野生のポケモンとの勝負で傷付いた手持ちのポケモンは、既に傷薬で回復済みだ。バトルに参加しないナナちゃんは、少し離れた場所からソウマの健闘を祈っていた。
「それじゃあ行くぞ」
準備が整い、二人は合わせてモンスターボールを握る。
「アッくん! 分析開始だ!」
「闇夜を照らせ! ルーク!」
ソウマが選出したのは、尻尾の先に赤い球体を光らせるデンリュウのアッくん。対するコウジが選出したのは、夜の暗闇と同化するブラッキーのルークだ。
――ブラッキー……。イーブイの進化系の中でも一際耐久力に優れたポケモン……選出はこちらがやや不利か。
自分のポケモン、相手のポケモン、フィールド、目に映る全てからソウマは情報を得ようとする。情報を駆使した戦闘。それがソウマの戦い方だ。
「来ないならこっちから行くぞ」
情報収集に集中して動こうとしないソウマを見て、コウジが先に動く。
「ルーク! かげぶんしん!」
ルークは幾重もの自分の分身を生み出し、積もった雪を踏ませた。数的優位を得たルークは、アッくんに総攻撃を仕掛ける。
「スピードスター!」
突撃してくるルーク達に、アッくんは尻尾を振って星を流出する。当たっただけで消失する分身達だが、たった一匹だけ星の網を掻い潜る影があった。
「しっぺがえし!」
ルークの右前足が、アッくんの喉元に牙を剥く。
「わたほうし!」
アッくんは手元に綿毛を生み出すと、それを襲い掛かるルークに投げた。ルークの攻撃は、手触りの良い綿毛によって優しく包まれる。
「成程……上手いな」
ソウマとアッくんで編み出した防御戦法だ。
「今だ! アイアンテール!」
綿毛に身動きを封じられている間にと、アッくんは距離を詰めてルークに尻尾を振り落とす。しかし叩こうとした直前、ルークはふと泡の様に姿を消した。
「!」
「まさかこいつも分身!?」
では本体はどこに居るのか。そんなソウマの疑問に答えるように、ルークはアッくんの背後に現れた。
「どくどく!」
ルークは黒い皮膚から猛毒を分泌し、それをアッくんに放出する。完全に隙を晒していたアッくんの肌に、不治の毒が付着した。
「アッくん!」
体内に侵食する猛毒に、アッくんは表情を歪ませる。
「チッ! アイアンテール!」
毒に苦しみながらも、アッくんはルークに尻尾を振るう。鋼鉄の様に固められた尻尾はルークに直撃したが、ルークは平然とした様子で雪上に立っていた。
「やはり効かないか……」
なに食わぬ顔で微笑するルークに、ソウマは思わず舌打ちをする。
「かげぶんしん!」
コウジの指示により、ルークはまたも自分の分身を出現させた。ルークの分身達がアッくんを覆い囲む。
「スピードスター!」
アッくんは尻尾を振り、分身達に星をぶつけていった。星と衝突した分身はその場で忽然と消えていく。しかしどれだけ当てても本体は見つからない。最早ルークに攻撃の意思はなく、さながらいずれ当てられるのを待つ射的屋の景品の様だった。
その間にも毒はアッくんを蝕んでいく。体には激痛が走り、時には眩暈すらも起こっていた。
――猛毒状態は時間が経つにつれダメージが倍増する。このまま時間を使わせて、こっちが倒れるのを待つ作戦か。
フィールドの先のコウジは、狡猾に口元を緩ませている。まるでこの後のソウマの攻略を楽しみにしているようだ。
――考えろ! ここから相手に勝つ方法を……!
「ベイベイ!」
熟考するソウマに、ナナちゃんが声を掛ける。目を向けると、極寒に酷く震えながらも懸命にこちらを応援する、ナナちゃんの健気な姿が見えた。
「ナナちゃん……」
その時、ソウマの脳に電撃が走る。
「!」
ソウマは慌ててフィールドに目を戻す。猛毒に苦しむアッくん。そんなアッくんを囲むルーク達に、ソウマは眼鏡を凝らした。
「アッくん! 二時の方向だ!」
ソウマからの指示に、アッくんは耳を傾ける。
「この吹雪だ! 分身は寒さを感じないだろうが、こおりタイプでもない本体が寒さを感じない筈がない! 二時の方向に居るルークだけが僅かに震えている! そいつが本体だ!」
「ほぉ……!」
優れたソウマの観察眼に、コウジは感嘆の声を上げる。限られた情報の中で、よくぞ正解を導き出したものだ。
アッくんも本体を把握して、毒に耐えながら一気に距離を縮める。そんなアッくんの攻勢を、ルークが指を咥えて待っている筈もない。
「分身で動きを止めろ!」
傍に居た分身達が、一斉にアッくんに襲い掛かる。このままでは本体に辿り着く前に、分身に圧し潰されてしまうだろう。
しかしアッくんは分身が迫る直前で、勢いよく跳び上がった。
「!」
アッくんの体が、丁度ルークの真上に到達する。
「かみなり!」
アッくんは自分の出せる最大の電力を出力し、正にルークに雷を落とす。その衝撃はルークに膝を突かせ、周囲の分身を一匹残らず消し飛ばした。
「どうだ……!」
雪上に着地して、アッくんはルークの様子を窺う。いくら耐久力に自信のあるルークでも、今の一撃は耐え難いだろう。事実ルークの体は未だに電撃の影響で痺れている。
しかしコウジは余裕の表情を浮かべていた。
「つきのひかり」
曇天の隙間から、ルークに月明かりが照らされる。
「なに!?」
優しい月光が、ルークの体を静かに癒していく。数秒と経たない間に、膝を突いていたルークは無問題と起き上がった。
「回復技か……!」
耐久力が高い上に、回復技を使えるとすると突破は困難だ。なにより猛毒に蝕まれるアッくんの体力は、最早限界に近かった。
「アッくん戻れ!」
このまま戦わせ続けるのは愚策だと、ソウマはアッくんをモンスターボールに戻す。否、その判断は既に手遅れだったかもしれない。
「ここで交代か」
「回復技があると分かった以上、このまま戦い続けてもこちらが追い詰められるだけだからな。より強い一撃で、一発で仕留める」
コウジに答えながら、ソウマは次のポケモンをポケットから選出する。
「頼んだぞ! ミッくん!」
ソウマが投げたモンスターボールから飛び出したのはリングマのミッくんだ。ソウマの手持ち随一のパワーを持つミッくんは、冬眠の季節など感じさせない程の野太い雄叫びを上げる。
「リングマか……特性のこんじょうは状態異常の時自身の攻撃力を上昇させる。ルークとは相性が悪いな」
アッくんに仕掛けたように、相手に毒を忍ばせてじっくりと甚振るのがルークの基本戦術だ。しかしミッくんを毒にすれば、攻撃力を上昇させてしまう危険性がある。流石のルークの回復技も、攻撃力の上がったミッくんの攻撃には間に合わないだろう。
「ルーク、戻れ」
そう判断したコウジは、ルークをモンスターボールに戻す。
「なに?」
「こちらも選手交代といこう」
次のモンスターボールを取り出したコウジは、実に勝負を楽しんでいた。
「岩壁を破壊しろ! モンストロ!」
口上と共に繰り出されたのは、正に山の様な迫力を見せつけるバンギラスのモンストロ。登場した途端、吹雪と重なるように砂嵐が吹き荒れた。
――成程……シンプルなパワー勝負か。
リングマとバンギラス、どちらも高い攻撃力が売りのポケモン。つまり、より力の強い者が勝者である。
「面白い……!」
コウジからの宣戦布告に、ソウマは眼鏡を掛け直した。
「ミッくん! きりさく!」
鋭利な爪を尖らせて、ミッくんは雪のフィールドを走り出す。対するモンストロは退く事なく右の拳を握った。
「ほのおのパンチ!」
二体の攻撃が激しく衝突する。その威力は曇天に火花を散らす程だった。
その後も二体の拳は応酬を重ねる。力の限り振るわれた拳が、相手の拳と相殺する。遂に二体は両の拳を掴み合い、互いに手が出せないまま鬼の目付きで睨み合った。
「アイアンテール!」
膠着した戦況を動かそうと、モンストロが体を翻して尻尾を振るう。尻尾を回避するべく、ミッくんは後方へと距離を離した。
「ストーンエッジ!」
その隙を突こうと、モンストロの付近から尖った岩が隆起する。岩の隆起は止まる事を知らず、ミッくんの方角へと襲い掛かった。
「のろい!」
ミッくんはその岩を甘んじて受け入れる。しかし強化されたミッくんの筋肉は、岩の攻撃を無力化していた。
「のろい……スピードを代償に筋力を強化して、攻撃力と防御力を上げてきたか」
のろいは使用するポケモンのタイプによって効果が変わる技だ。ノーマルタイプのミッくんは鈍いによって自分のステータスを強化する。
「岩を斬り裂いて相手に投げろ!」
相手の攻撃を逆に利用しようと、ミッくんは尖った岩に爪を立てた。子供一人分程の大きさに裂いた岩を、モンストロに向かって力いっぱい放り投げる。
「ほのおのパンチ!」
モンストロは怯む事なく、投げられた岩を炎の拳で粉砕した。塵と化した岩が砂嵐に紛れたその景色に、ミッくんの姿は見当たらない。
「!?」
するとモンストロの足元の雪から、ミッくんの鉤爪が伸びた。
ミッくんの握った拳がモンストロの顎を狙う。地中深くからの急襲は、モンストロに手痛い一撃を与えた。
「あなをほるか……」
岩の投擲はこちらの気を逸らす為の布石だったのだろう。おかげで地面に潜ったミッくんに全く気付かなかった。
「もう一度あなをほる!」
先程の攻撃に味を占めて、ミッくんは再度雪景色に身を潜める。地中に隠れたミッくんに、モンストロは手も足も出せないだろう。
しかしそれは大きな間違いだった。
「モンストロ」
コウジの掛け声に合わせて、モンストロは雪の大地に両手を当てる。
「じしん!」
瞬間、世界が悲鳴を上げたかの様な地震がシロガネ山を襲った。
「ミッくん!」
あまりの振動に体勢を崩しながら、ソウマは声を掛ける。ナナちゃんに至っては雪の天然クッションに倒れ込んでいた。地上でこれほど影響が出ているのだから、地中に居るミッくんへの影響は尋常ではない。
「出てこい!」
急いでミッくんは地中から地上へと脱出する。しかし逃げ出そうと動く心理よりも読みやすいものはなく、ミッくんの眼前には炎の拳が待っていた。
すかさずミッくんは両腕でガード。モンストロの拳を、後退しながらも辛うじて受け止める。
「畳み掛けろ!」
ここぞとばかりにモンストロは両の拳に炎を纏わせて、ミッくんに猛攻撃を仕掛けた。
「のろい!」
ミッくんはガードを解かないまま、筋力を強化してモンストロの猛攻に耐える。吹雪や砂嵐といった天候もミッくんの敵となり、その牙城が崩れるのも時間の問題と思われた。
「どうする? どれだけ耐えても、反撃しなければ勝負には勝てないぞ」
防戦一方となったソウマを、コウジが挑発する。戦況としては決して芳しくない筈。それなのにソウマの眼鏡の奥は、確と勝利を捉えていた。
そしてコウジは気付く。炎の猛攻に当てられて、ミッくんの体が熱を帯びている事に。
「モンストロ! 止まれ!」
気付いたところでもう遅い。モンストロの炎で火傷を負ったミッくんの右腕が、力強く拳を握る。
「特性のこんじょうは、状態異常時に攻撃力を上げる」
いざという時に隠しておいたミッくんの奥の手だ。
「ばくれつパンチ!」
ミッくんの渾身の一撃が、モンストロの腹部を襲う。鈍いによる筋力の強化、火傷による根性の発動、更に岩・悪タイプのモンストロに今の格闘技は効果抜群だ。
勝利を確信して、ミッくんは口角を吊り上げる。しかし確信を得るにはまだ少し早かった。
朦朧とした意識の中、モンストロがミッくんの右腕を掴む。
「なっ!?」
「今のは良い一撃だった」
体を掴まれては、ミッくんに逃げ場はない。
「ストーンエッジ!」
雪面から隆起した岩が、ミッくんの腹部を突く。その先端が刺さったのは、間違いなくミッくんの急所だった。
「ミッくん!」
しばらく踏ん張っていたミッくんの足だったが、遂に事切れて雪にその体を埋める。ミッくんの勇姿を隠すように、新たな雪がその背中へと降り積もっていった。
「よくやったモンストロ」
見事勝利したにも関わらず、モンストロは苦悶の表情を浮かべている。モンストロの体力も相当限界だったようだ。
「さぁ、残るは毒状態のアッくんだけだが……どうする?」
ミッくんをモンスターボールに戻したソウマに、コウジが声を掛ける。
モンスターボールを見つめて、ソウマは思考に耽る。考えた末、ソウマがモンスターボールを投げる事はなかった。
「降参だ、降参。これ以上やったって俺に勝ち目がないのは目に見えてる。この子達の傷も、早く治してやりたいしな」
ミッくんの眠るモンスターボールに向けるソウマの瞳は、とても優しかった。
「……強くなったな」
バトルが終わり、コウジもモンストロをモンスターボールに戻す。
「嫌味か?」
「そんな事ない。ルーク相手にはフィールドから打開策を導き出し、モンストロ相手には着実に勝利への手札を揃えていた。以前見た時よりも遥かに強くなってるよ」
情報を駆使したソウマの戦術が、更にアップデートされていた。ナナちゃんもソウマの健闘を讃え、尻尾を振って近寄っている。しかしソウマの横顔は不満気だった。
「……言ってろ。次は絶対勝ってみせる」
眼鏡の奥の瞳は、既に未来を見据えていた。
「それでこそポケモントレーナーだ」
そんなソウマの成長に、コウジは表情を緩める。
「さて、そろそろ下山しよう。山を下りたら温かいシチューでも食べようか」
二人は足の向きを揃えて、登ってきた山道を反対方向に下っていく。シロガネ山の山頂から見た景色はよく分からなかったが、間違いなくソウマの心の中ではなにかが進化を遂げていた。