【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
《カクニ》やんちゃなグルトン。漢に生きる熱い大食漢。
《パワー》おっとりしたナカヌチャン。戦闘が苦手な平和主義。
《ユウリ》トウカシティ出身のポケモントレーナー。美しい女性とポケモンをこよなく愛する。
仄暗い洞窟から、場違いなダイニングの音が聞こえる。新鮮な野菜をカットする音、皿と皿の擦れる音、秘伝のスパイスを振り掛ける音。聴覚を研ぎ澄ませているだけで、自然と食欲が唆られる。
「ひでん:しおスパイスはかなり塩味が強そうだからな。素材の味ちゃんが活きやすいように生ハムやレタスをふんだんに使って……」
スパイスの研究をしながら、ペパーは調理を進める。その手際は正にプロの料理人で、あっという間に目当ての料理は完成した。
「お待ちどうさん! 俺特製気まぐれスパイスたっぷりサンドだ!」
「「待ってましたー!」」
ペパーが差し出したサンドウィッチを前に、ハルカとユウリは両手を上げて跳びつく。サンドウィッチを手にすると、問答無用に一口。瞬間、口の中に壮大な大自然が広がった。
「美味ぇぇぇ!」
「やっぱペパーのサンドウィッチは格別だな!」
規格外の美食に、ハルカとユウリは絶賛する。そんな二人に、ペパーは嬉しそうに白い歯を見せていた。
「おぉ! そうだろそうだろ!」
サンドウィッチはポケモン達にも大好評だ。
「おぉぉぉ! 美味い美味い美味い美味い!」
「スパイスの塩味が丁度良いね!」
「アギャアス!」
「わっ! おい! そのサンドウィッチは僕のだぞ!」
匂いを嗅ぎつけたミライドンとユウリが、サンドウィッチを奪い合う。勝負はミライドンに軍配が上がり、機械の体にサンドウィッチが流し込まれる隣で、ユウリは屈辱の涙を流していた。
「畜生……僕のサンドウィッチ……」
争奪戦を眺めていたペパーは、サンドウィッチを片手に溜息を吐く。
「全く……余分に作っといて正解だったぜ」
そう差し出されたサンドウィッチに、ユウリの涙が嬉し涙に変わった。
「ありがとうペパーママ!」
「誰がママだ!」
「アギャアス!」
「もうお前に渡すサンドウィッチは無ぇよ!」
まだ腹は満たされていないと、ミライドンがユウリのサンドウィッチに襲い掛かる。そんな光景がおかしくて、パワーは笑みを浮かべた。
「ぐっ……俺もまだ全然足りやしねぇ……!」
カクニもサンドウィッチ一つでは満足できずに、腹から猛獣の唸り声の様な音を響かせる。するとテーブルの上に、まだ誰も口にしていないサンドウィッチを見つけた。
「おっ! まだあんじゃねぇかよ!」
サンドウィッチを目指して、カクニは猪突猛進に走り出す。
「いっただっきまー」
「触るな!」
「!」
涎を垂らして走っていたカクニを、ペパーが怒声で制止する。その面相はいつになく険しかった。
「それはお前のじゃない」
「わっ、悪かった……」
ペパーの剣幕に、カクニは頭を下げる。洞窟から溌剌とした会話はなくなり、しんとした静寂が漂った。
「……すまん、大声出して」
静寂の中、ペパーが呟く。その表情には後悔が見えた。
「……気になってたんだ。バトルは苦手だっていうペパーが、どうして秘伝スパイスについて調べたがってんのか。単なる好奇心って訳じゃねぇんだろ」
ずっと引っ掛かっていた謎を、ハルカが口にする。
「なんか理由があるんじゃねぇか?」
ハルカの問い掛けに、ペパーは俯いた。後ろめたい理由がある訳ではない事は分かっている。それでも手を貸すと決めた以上、その理由は共有しておきたいと思ったのだ。
「えっ、なに? そうなのかペパー」
ユウリは一切その事に気付いていなかったようだが。
「……ハルカ達にはちゃんと話しておくべきかもな」
観念したように、ペパーはポケットからモンスターボールを投げる。中から出てきたのは、灰色の体毛に貫禄ある黒髭を生やした巨大な番犬だった。
「このポケモンは……」
「マフィティフ、俺の相棒さ」
マフィティフは体を冷ややかな地面にべったりと倒している。瞼は重く閉じて、髭も項垂れ、その様子は御世辞にも元気そうとは言えなかった。
「さぁ、元気になるサンドウィッチだぞ」
ペパーは残していたサンドウィッチを綺麗に引き千切ると、マフィティフの口元に差し出す。匂いを感じ取ったマフィティフは、辛うじて口を開けてサンドウィッチを咀嚼した。
「ほら、ゆっくり食べろよ。少しずつで良い。ゆっくり、ゆっくり噛むんだぞ」
マフィティフを見守るペパーは介護そのものだ。一体いつから、彼はマフィティフの面倒を見ているのだろうか。
「……病気、なの?」
様子を眺めていたパワーが声を漏らす。ペパーにパワーの言葉は分からないが、空気を感じ取って答えてくれた。
「……こいつ、しばらく前にちょっと……大怪我しちまってさ。それ以来ずっと具合悪くって……」
そう答えたペパーの横顔は物憂げだ。
「ポケモンセンターは?」
「それに傷薬とか」
「普通の怪我や病気じゃないんだと」
二人の言葉に、ペパーが首を振る。どんな大怪我でも一瞬で治療してくれるポケモンセンターが手を上げる症状とは、一体どれ程の重症なのだろうか。
「俺にとって大事なのはこいつ、マフィティフだけなんだ。どんな事してでも絶対治してやるって」
ペパーにとって、マフィティフはなににも代え難い大切な存在のようだ。
「ネットや本で治療法を沢山調べてあらかた試してきた。どれもあんま効果なくて諦めかけてたそんな時、秘伝スパイスの存在に辿り着いたって訳だ!」
そう言ってペパーはリュックから一冊の本を取り出した。深い菫色のカバーで丁重に綴じられた分厚い一冊だ。
「その本は……」
「父ちゃんと母ちゃんの研究室で見つけたんだ」
開かれたページを読むと、確かにエリアゼロで発見された秘伝スパイスの詳細が記載されていた。万能薬とされる秘伝スパイスをエリアゼロから持ち出した事、秘伝スパイスを食べて巨大化したポケモンをヌシポケモンと呼称する事などが明記されている。
「嘘みたいな話ばっか書いてある、誰も信じないオカルト本さ」
これを読んだほとんどの読者が、本の内容を作者の妄想とまとめるだろう。
「けど俺は本当だって思ってる! この本によれば、秘伝スパイスを五つ全部食うとどんな怪我も病気も治るらしい! 実際前のスパイス食べたら、冷え切ったマフィティフの手足がちょっと温かくなったんだぜ!」
そう語るペパーの声色は、先程とは段違いに明るい。太眉の下に付いた瞳は、夢見た希望を確と見つめていた。
丁度その頃合いに、マフィティフが秘伝スパイス入りのサンドウィッチを飲み込む。
「あっ、食べ終わったか?」
食事を終えたマフィティフの顔を、ペパーは覗き込んだ。
その時、ペパーの目は止まる。目が合ったのだ。確かに今、マフィティフと目が合ったのだ。
「わわわっ! マフィティフ! お前、これって……! 目ぇ見えてんのか!?」
長らく見ていなかったマフィティフの円らな瞳に、ペパーは両手を上げて喜ぶ。かと思えば、次は溢れ出した涙を制服で拭った。
「ずっと……ずっとさ! 目も開けられなくって! 俺、スゲェ心配で……!」
どこかでペパーは、現実を淡々と受け入れる冷酷な少年だと思っていた。しかし今ここに居るのは、相棒の為に涙を流す心優しい少年だった。
「うぅ……良かった! 本当に良かった!」
涙を拭って、ペパーはマフィティフと目を合わせる。目と目が合う事がここまで幸せだとは、今まで考えた事もなかった。
「うっ……へっ、ぐへへ……! 目が円ら過ぎて開いてるのか分かんねー!」
些細な事でさえ、今は愛おしい。
「スパイスの力ってスゲェ! やっぱ本物だよ!」
マフィティフの回復で確信した。両親の研究室で見つけた本は眉唾物などではない。正真正銘ノンフィクションであると。
「俺、絶対にマフィティフを昔みたいに元気な姿にしてやるんだ」
ペパーは決意を新たにする。しかしそれは決して一人では達成できない。誰かの手助けが不可欠だ。
「……ん?」
そこでようやくペパーは気付く。自分以外の人間が異様に静かだった事に。
ふと目を向けると、そこには涙で目を腫らしたハルカ達が無様な顔で整列していた。
「どわぁっ! なんでお前らが泣いてんだ!?」
「畜生ぉ! なんて良い話なんだよぉ!」
「マフィティフ、元気になると良いなぁ!」
「お前らぁ! カクニ漢の百ヶ条その十九! 『漢たるもの、人前で泣くな』だぞぉ!」
「カクニだって泣いてるじゃーん!」
「アギャアス!」
状況を把握していないミライドンも、ハルカ達と共に鳴いている。号泣する一同に、蚊帳の外のペパーは若干引いていた。
「良いかお前ら! なにがなんでも残りの秘伝スパイス見つけて、マフィティフ元気にさせるぞ!」
「「「おー!」」」
ハルカの掛け声に合わせて、一同は当の本人であるはずのペパーを除いて一致団結する。呆気に取られるペパーだったが、遂に耐え切れずに笑みを溢した。
彼らに頼んで正解だったと、ペパーは心の底からそう思っていた。