俺のポケットモンスター   作:越谷さん

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【舞台】ジョウト地方・エンジュシティ
【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
《ピコタロー》がんばりやなピカチュウ。世界中のポケモンと人間が友達になるのが夢。
《カスガ》いじっぱちなブルー。顔は怖いが実は女の子。
《オーム》ゆうかんなヘラクロス。むしタイプをこよなく愛する。
《チビマル》ようきなキマワリ。喋ればタネマシンガントーク。
《エドワード》のうてんきなオクタン。コウジから譲り受けた激強オネェ。


【傑作選044】コモモとマンドラコ

 エンジュシティの朝は早い。

 まだヨルノズクが空を飛んでいる間に、東の山間からゆっくりと太陽が昇る。徐々に空は白み出し、焼けた塔の輪郭を色濃く映し出していた。きっと今日の天気も美しい程晴天だろう。

 そんな早朝から、少女は鏡台の前の座布団に座っていた。複雑に結われた髪に、白に塗りたくられた薄桃色の肌。鏡に映った自分とにらめっこして、下唇に紅を引いたなら支度は完璧だ。

「コモモはーん! そろそろ出ますわよー!」

「はい!」

 襖の奥から名前を呼ばれて、少女は立ち上がった。畳を滑る様に走って、相手の待つ戸口で濃紺の鼻緒の下駄を履く。引き戸を開けると、目を覚ましたばかりの太陽が少女の白い肌を容赦なく照り付けた。

 

 ◎

 

 ミカンとのジム戦に勝利し、スチールバッジを入手したハルカ一行は、アサギシティから蜻蛉返りでエンジュシティに戻ってきていた。

「いやー、やっぱこの街は風情があって良いなー」

 久し振りに眺めるエンジュシティの街並に、ハルカ達は思わず声が漏れる。

「今と昔の同居した様な時間の流れるこの街造りは、エンジュシティが最も大事にしてはる事です。百年以上前から建てられとる木造家屋が碁盤目状に並んどり、それらに合わせるようにポケモンセンターも落ち着いた色合いになっとります。そういった歴史を重んじた街造りが、至るところから感じられるのです。例えば右手に見えますこちらの茶屋」

「なんか見てるだけで心が落ち着くわ」

 後方から聞こえるチビマルのタネマシンガントークは聞き流して、ハルカ達は古き良き街の散策を楽しんでいた。

 ふと前から誰かの談笑が聞こえてくる。ピコタローが目を向けると、ハルカ達と同じ観光客とエンジュシティの名物である舞妓が立ち話をしているようだった。

「あっ、舞妓さんだ!」

 観光客が舞妓に写真の依頼をしているようだ。観光客の構えたカメラに、三人の舞妓が身を寄せ合ってポーズを取っている。

「舞妓良いわよねー。私も一度で良いから舞妓の化粧してみたいわー!」

「えぇ、そうね……」

 舞妓の白塗りに憧れるエドワードに、エドワードが白塗りしたらどちらかと言うとひょっとこになるのではないかと思ったカスガだったが、その言葉は喉の奥で押し戻された。

 観光客からの写真撮影を終えて、舞妓がこちらへ歩いてくる。特に会話する事もなく、通りすがりにぺこりと一瞥するだけ。優しく微笑みかけてくれたその横顔は、正に無垢の美しさだった。

 未だに饒舌に口を回らせるチビマルの横も、舞妓達は擦れ違っていく。その最後尾を歩いていた若い舞妓に、チビマルは目を疑った。

「……コモモ?」

 思わず足を止めて、チビマルが名前を口にする。チビマルの声に気付く筈もなく、舞妓達は角を曲がって視界から消えていった。

「チビマル?」

 日中にチビマルの声が聞こえなくなるという珍しい事態に、一同は振り返る。するとチビマルは慌てて足を走らせ出した。

「おい!」

「チビマル!」

 石畳の道をペタペタと駆けながら、舞妓の消えた角に目を向ける。しかしそこに先程擦れ違った舞妓の影はどこにも見当たらなかった。

「ちょっと待てよ!」

 立ち止まったチビマルに、ハルカ達も息を切らして追いついてくる。それでもチビマルは、舞妓の居なくなった街並から目を離せないでいた。

「どうしたんだよ急に……」

 いつもなら一を訊けば百で返してくるチビマルだが、その問い掛けにチビマルは答えない。サイドに通り過ぎたあの舞妓の姿が、チビマルの薄い瞼に焼き付いて離れなかったのだ。

 

 ◎

 

 大通りで立ち往生していても仕方ないと、ハルカ達は狭い路地裏に場所を移していた。一同輪になって、様子のおかしいチビマルを囲んでいる。

「そういえばアンタって、突然空から降ってきたのよね」

 空からハルカの後頭部に落ちてきた、正に衝撃的な出逢いをカスガは思い出す。

「喋り方もこの辺りに住んでる人と同じみたいだし、私達と出逢う前はこの辺りに住んでたんでしょ」

 チビマルのはんなりとした口調は、俗にエンジュ弁と呼ばれるものだ。その口調からチビマルの出身地については、なんとなく察しがついていた。

「さっきの舞妓さん……知り合いだったの?」

 擦れ違った舞妓を思い出して、ピコタローが尋ねる。まるで夜になったかの様に萎れたチビマルに、一同は気になって視線を注ぐ。そんな一同に応えるように、チビマルはゆっくりと口を開いた。

「……あれは、まだテッカニンも羽化していないような初夏の朝の事」

 

 ◎

 

 爽やかな夏風が、風鈴を涼しげに揺らす。

 空の明るくなった早朝のエンジュシティ。着物を着付けた老婆が打ち水をしているものの、まだどの家屋も目を覚ましていない。簾を開けているのは瓦屋根の豆腐屋だけだった。

 豆腐はエンジュシティの名物料理だ。その飾り気のない味わいは、年寄りから子供は勿論の事、ポケモンにも専ら評判である。

 そんな豆腐の製造は、まず原料の大豆を水に漬けるところから始まる。大豆の風味や栄養素の向上、調理時間の短縮といったのが主な理由だ。

 前日から漬けていた大豆を水から上げ、ペースト状に磨り潰す。それを火にかけ沸騰させ、布を通して絞り出す事で出来上がるのが、大豆の匂いを猛烈に香らせる豆乳だ。豆乳の表面に薄らと皮膜を張っているのは湯葉と呼ばれるものである。

 豆乳に凝固剤となるにがりを混ぜて容器に入れる。そうして凝固して完成した物が、食卓でよく目にする豆腐である。水槽に移された白い立体四角形は、まるで偉大な芸術家が世に残した作品の様に美しかった。

 出来立ての豆腐の味は、それはもう格別である。様々な食べ方があるが、やはり豆腐本来の味を楽しみたい場合はなんと言っても、

「長い!」

 あまりに長過ぎる回想の導入に、カスガは堪らずツッコミを入れた。

「いつになったら始まんのよ! 良いのよ今豆腐の話なんて! 良いからとっとと本題を話しなさい!」

 相当イライラしていたのか、カスガの語調が強くなる。言葉を受けるチビマルはいつも通りの澄まし顔だ。

「悪いチビマル。さっきの舞妓さんに出逢うところから話し始めてもらっていいか?」

「そうです? それなら……」

 ハルカからの注文を受けて、チビマルを気を取り直して追憶に思いを馳せていった。

 

 ◎

 

 少女と出逢ったのはそんな朝の事だった。

 ――あれ?

 路地裏で見つけた影に、少女は草履を止める。宝石の様にキラキラと輝いた円らな瞳が、少女の顔をじっと見つめていた。まだヒマナッツだった頃のチビマルである。

 ――どうしたのこんなところで。ヒマナッツってこの辺りに居たっけ?

 チビマルに目線を合わせようと、少女は足を屈めた。白のTシャツにハーフパンツとラフな装いの少女は、長い黒髪を一つに丸めている。右手に提げているビニール袋を見るに、おつかいからの帰り道のようだ。

 ――……もしかして、お腹空いてるのかな?

 無言で見つめてくるチビマルに、少女は首を傾げる。ハルカ達にとってはお喋り大魔神なチビマルも、他の人にとってはただよく鳴くだけのヒマナッツだ。

 ――そうだ!

 少女はそう声を上げると、ビニール袋の中を徐に漁り出した。

 ――はい!

 ビニール袋から出てきたのは白色の正四面体。

 ――これ豆腐。さっきおつかいに行った時、お嬢さん可愛いねって豆腐屋のおじさんが一つおまけしてくれたの。

 満更でもなさそうな少女は、豆腐を容器から石畳に出す。チビマルは少女の出した豆腐に警戒しながら近付くと、匂いを嗅いでそのまま実食した。

 ――どう? 美味しい?

 チビマルの感想は、食べた瞬間飛び跳ねたその反応で理解できた。

 ――そっか! 良かった。

 美味しそうに豆腐を頬張るチビマルに、少女は表情を綻ばせた。

 ――そろそろ戻らないと。

 手元に付けた腕時計を見て、少女は立ち上がる。

 ――それじゃあね! 明日もこの時間帯にこの道通るから、また会えたらよろしく!

 少女はこちらに手を振りながら、急ぎ足に草履を走らせる。チビマルは豆腐の味に舌鼓を打ちながら、少女の背中を見送っていた。

 その翌日、少女は予告通り同じ時間帯に路地裏に姿を現した。その日少女が石畳に置いたのは、八百屋から買ってきた胡瓜だった。

 その翌日も、そのまた翌日も、少女はチビマルに食べ物を恵んでくれた。次第に顔を合わせる時間は長くなり、気付けばチビマルに世間話をするのが少女の日課になっていった。

 少女の名前はコモモ。この辺りの置屋で舞妓になる為の修行、所謂仕込みをしているという。舞踊の稽古から京言葉の勉強、果ては掃除や買い出しといった雑務に追われ、毎日草臥れては布団の上で眠り落ちる過酷な生活を送っているそうだ。しかしそう語るコモモの表情は、実に楽しそうだった。

 ――そうだ! 君にも名前を付けてあげないとね!

 当時はチビマルという名前を貰っていない、ただのヒマナッツだ。いつも話を聞いてくれるヒマナッツに、コモモは良い名前はないかと頭を捻らせる。

 ――んー……よし!

 閃いたその名前を、コモモはヒマナッツに授けた。

 ――今日から君の名前はマンドラコね!

「ちょっと待って」

 予想外の名前に、回想の途中で思わずカスガが口を挟む。

「えっ、なにマンドラコ? マンドラコってなに?」

「コモモが私に付けてくれた名前です」

「それは分かるんだけど。なんでマンドラコ? アンタこの意味不明な名前、なんの抵抗もなく受け入れられたの?」

 混乱するカスガとは対照的に、チビマルは平静だ。チビマルはコモモから授かったその名前に、一切の疑念を抱いた事がなかったようだ。

「そのコモモって子、大分変わったネーミングセンスしてるなー」

「多分コモモちゃんも貴方には言われたくないって思うと思うわよ」

 コモモのネーミングセンスを不思議がるハルカに、隣でエドワードが優しく指摘した。

「それから一年が経とうとしていた時の事です」

 脱線していた話の軌道修正をしようと、チビマルは回想に戻る。

 ――聞いて!

 コモモの持ってきた豆腐に夢中になっていたマンドラコに、コモモは声を弾ませた。

 ――なんとね! 今日の夜、エンジュ踊り場で舞台に立たせてもらえる事になったの!

 朝からテンションの高いコモモに、マンドラコは体を傾げる。マンドラコは行った事ないが、エンジュ踊り場又の名を歌舞練場の事は分かっていた。

 ――と言ってもほんのちょっとしか出れないんだけどね。舞妓になって、初めて人前で踊りを披露するの! すっごく緊張するけど、それ以上にすっごく楽しみ!

 コモモが舞妓になる為に必死に稽古に励んでいた事をマンドラコは知っている。そんなコモモの努力が実った事が、マンドラコも自分事の様に嬉しかった。

 ――……ねぇ、マンドラコ。

 名前を呼ばれて、マンドラコは顔を上げる。

 ――私の初めての舞台、マンドラコにも観て欲しい。

 そう口にしたコモモの瞳は、真っ直ぐとマンドラコを見つめていた。

 ――苦しい時も、辛い時も、毎朝マンドラコが私の話を聞いてくれたから、私は頑張れた。マンドラコが居てくれたから、私は舞妓になれたの。だから私の舞妓になった姿を、マンドラコに観て欲しい。

 この一年、勿論楽しい事ばかりではなかった。泣いてしまった日もあるし、もう逃げ出してしまいたいと思った日さえある。それでも逃げ出さずに頑張れたのは、マンドラコが居てくれたから。マンドラコと共に過ごした何気ない朝の時間が、いつしかコモモの心の支えになっていたのだ。

 ――どうかな……?

 恐る恐るとコモモがマンドラコにそう尋ねる。コモモにマンドラコの言葉は届かない。代わりにマンドラコは、コモモに満開の笑顔を見せた。

 ――! 観に来てくれるの!?

 当然だとマンドラコは強く頷く。コモモの晴れ舞台だ。観に行かないなんて考えられない。

 ――やったー! 私準備があるから迎えにはいけないけど、受付の人にヒマナッツが一匹で来たら入れてもらうようお願いしとくから!

 マンドラコとの約束に、コモモは立ち上がって喜ぶ。マンドラコに下手な舞は見せられないと、今日の舞台により一層熱が入った。

 ――それじゃあ今日はもう行かないと! また踊り場でねー!

 こちらを見ながら大きく手を振って、コモモは走り去っていく。転びそうな程高揚しているコモモに心配しながらも、マンドラコもその場を跳ねて見送る。高揚しているのはマンドラコも他人事ではなかった。

 そして午後。舞台は夜からだと言っていたが、マンドラコはまだ空の明るい間からエンジュ踊り場に向かっていた。路地裏の隅で待っているだけでは、時間が長く感じて仕方がなかったのだ。

 あと数時間でコモモの夢の姿が見られる。小さな体を弾ませて向かうマンドラコの足取りは、実に軽やかだった。

 そんな時だ。道の真ん中を駆けるマンドラコを、とある瞳が捕らえる。丁度夕食前で腹を空かせていたことりポケモンのオニスズメだ。

 オニスズメは翼を広げると、マンドラコに向かって素早く飛び立つ。浮かれていたマンドラコがオニスズメに気付くのは一足遅く、頭の先から飛び出た若葉はオニスズメの鋭い嘴に摘まれた。そのままマンドラコはオニスズメに捕らえられ、エンジュ踊り場とは反対方向の空へと連れ去られてしまった。

「こうして私はエンジュシティを離れ、オニスズメから逃れた先でハルカ達と出逢ったのです」

「「「「えぇ――――……」」」」

 想像していたものよりもあっけない幕引きとなった回想に、一同は顔を引きつらせる。

 とはいえハルカ達と出逢う前のチビマルに、このような過去があったとは。口の回るチビマルだが一度も聞いた事がなかった。

「て事は、チビマルはコモモさんの舞台を一度も観た事がないって事?」

 チビマルの話を聞いて、ピコタローが気付く。先程の回想がそのままハルカとの出逢いに繋がるのなら、チビマルは一度もエンジュ踊り場に辿り着いていない筈だ。

「……そうなりますね」

 チビマルは俯き気味にそう声を漏らす。

「コモモにはえらい悪い事をしてしまいました。観に行くって約束したのに。もしかしたらあの日、コモモは舞台から私の事を探してはったかもしれへん。その次の日も、いつもの場所で私に会いに来てくれてたかもしれへん。いや、きっとそうでしょう。私はあの日、コモモを裏切ってしもうたんです」

 自分の居なくなった後のコモモを想像すると、今も胸が張り裂けそうになる。コモモの事を忘れた日は、ただの一日もなかった。

「………」

 萎れたチビマルを目に、ハルカは息を吐く。

「……そんじゃ、今晩エンジュ踊り場観に行くか」

「!」

 ハルカの言葉に、チビマルは細い目を見開いた。

「この前はゆっくり観れなかったしな」

「賛成ー!」

「私も久し振りに舞妓の踊り観たいわー」

 一同も賛成して、舞妓の舞に今から心を浮つかせる。浮ついていないのはただ一匹、チビマルだけだった。

「しっ、しかし! 今更行ったってコモモは私に気付きはしない!」

「そりゃそうだろ。お前進化してるし」

 もうヒマナッツだった頃のマンドラコは居ない。キマワリとなったチビマルを見ても、コモモは気付かないだろう。

「なら何故!」

 そう尋ねるチビマルだったが、ハルカにとって答えは明白だった。

「何故って、じゃあお前はその子の踊ってるとこ観たくないのかよ」

「!」

 その言葉がチビマルの心に突き刺さる。

「……それは」

 息が詰まって、チビマルの口が塞がる。口にしなくとも、チビマルの思いは皆分かっていた。

 

 ◎

 

 太陽と月の入れ替わった夜。外は随分暗くなったが、エンジュ踊り場には観光客から地元客まで、数多くの人とポケモンで賑わっていた。

 皆が注目するのは舞台の上の舞妓達。所作の一つ一つから気品の溢れる五人の舞妓の揃った舞に、観客は声も忘れて見惚れていた。その舞妓の中で、勿論コモモも踊っている。

「よっ! 素晴らしいぞ!」

「ちょっとオーム!」

「ここはそんな騒ぐような場所じゃないのよ!」

 あまりの感動に畳で立ち上がったオームを、隣のピコタローとカスガが慌てて座らせる。よく分かっていない様子のオームに、周囲の観客達はクスクスと笑いを溢していた。

 ハルカはオームの奇行から、視線を隣のチビマルに移す。照明が明るいおかげか、普段なら寝落ちしている筈の時間だが、チビマルの糸目は覚醒していた。

「……どうだ。久々に見る彼女は」

 舞台で踊るコモモに、チビマルは先程から口も開かずに釘付け状態だ。いつもの朝に踊りの練習を見せてもらった時もあったが、その時とは全く違う。あの日からずっと、コモモは練習し続けていたのだろう。

「……どうもなにも」

 一年間の思い出が、走馬灯の様に駆け巡る。

「美しくなりはりましたよ」

 縹色の着物を着付けたコモモから目を離さないまま、チビマルはそう簡単と口にした。そんなチビマルの横顔にハルカは微笑して、そっと視線を舞台に戻す。チビマルの言う通り、舞妓の舞は時間を忘れる程に美しかった。

 

 ◎

 

 本日の舞台も大団円。下りた幕の向こうから聞こえる拍手喝采を背に、出番を終えた舞妓達は袖の楽屋へと戻っていく。

「お疲れー」

「お疲れ様どすー」

 全身の筋肉を解すかのように深い息を吐く。額から白い肌を伝うその汗は、舞台上の熱気を表していた。

「しかしコモモはん、今日はえらい気合いが入っとりましたねー」

 ふと名前を呼ばれて、コモモは顔を上げる。この中で一番の若輩者であるコモモは、先輩達の寛ぐ様子を楽屋の隅から眺めていた。

「……そうどすか?」

 そう尋ねるコモモに舞妓達は頷く。今日の舞のキレが良かったのは自分でも分かっていた。

「大事な人が観に来てくれとったからどすかね」

 その言葉の意味が分からず、舞妓達は首を傾げる。コモモの視線は、舞台よりもずっと先を見つめていた。

 もう踊り場を出た頃だろう。出た瞬間に夜の暗さに寝落ちしてしまい、トレーナーの背中に負ぶってもらっている姿はコモモには見えない。それでもコモモの表情は、郷愁に駆られて緩んでいた。

「……ありがとね、マンドラコ」

 コモモの瞳には薄らと涙が滲んでいた。

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