【登場人物】
《ハルカ》ミシロタウン出身のポケモントレーナー。愉快なポケモン達と談笑しながら、行き当たりばったりな冒険を続ける。
《エレナ》ハルカの幼馴染。オダマキ博士の一人娘で、預けられたハルカのポケモンの世話をしている。
《ユウリ》トウカシティ出身のポケモントレーナー。美しい女性とポケモンをこよなく愛する。
《コウジ》マサラタウン出身のポケモントレーナー。最強を追い求めるハルカ達の先輩トレーナー。
《ソウマ》ワカバタウン出身のポケモントレーナー。眼鏡がトレードマークで、情報戦が得意。
視界に映るのは鉄の格子。薄暗い部屋の景色の前に、冷たい鉄格子が立ち塞がる。その鉄格子が覆っているのは景色の方ではなく、自分自身の方である事を彼女は理解していた。
遠くで人間達が話し合っている声が聞こえる。彼女にその言葉の意味は分からない。それでも自分自身にとって不都合な事が話し合われている事を、彼女は察していた。
一体なにを間違えたのだろうか。人間達に捕まってしまった事だろうか。それともそもそも生まれてきてしまった事だろうか。全てを諦めてしまった彼女は抵抗する事もなく、ただひっそりと檻の中で蹲っていた。
そんな時だ。彼女が少女と出逢ったのは。
「大丈夫?」
不意に声が聞こえて、彼女は顔を上げる。鉄格子の先に見えたのは、水色の髪を靡かせた人間の少女。
「私が貴女を助けてあげる」
少女は微笑んで、鉄格子の隙間から彼女へと手を伸ばす。それは薄暗い部屋の中に現れた、一筋の光の様に見えた。
これが彼女と少女の初めての出逢いだった。
◎
興奮で湧き続けるセキエイ高原のポケモンリーグ。その中央に君臨した黒い影に、会場のボルテージは本日の最高潮を更新した。
『カリン選手が最後の一体に選んだのはヘルガー! これまで幾度の試練を乗り越えてきた二人ですが、今回の逆境も乗り越える事が出来るのか!?』
マイクで拡散された実況の声にも、思わず熱が籠る。その温度感が画面越しにも伝わってきて、オダマキ研究所から応援するエレナ達は少し困惑していた。
「今勝ってるのってハルカよね?」
「うん、その筈」
「じゃあなんであんなに盛り上がってるの?」
「さぁ……」
「頑張れハルカー! 私達はアンタを応援してるわよー!」
勝負は現在二対一でハルカが優勢。それなのにも関わらず、まるでカリンが優勢なのでは錯覚してしまう程にカリンは観客を味方につけている。実況すらもどこかカリンを応援しているようだった。
「あのポケモンは?」
「ヘルガーだよ。今までの試合でも必ず登場した、カリンさんの相棒ポケモンだ」
観客席のユウリの質問に、ソウマが答える。顔を寄せて耳を傾けないと聞こえない程、周囲の歓声は凄まじかった。
当然会場を覆うような歓声は、フィールドに立つハルカにも届いている。油断すればカリンの圧に呑み込まれてしまいそうだ。しかしここで呑まれる訳にはいかない。気を引き締めて、ハルカも次のモンスターボールを放り投げた。
「頼んだぞ! オーム!」
ハルカが選んだのは、一度フィールドから戻されたオームだった。
「混乱はもう治ったか!?」
「おぉ! バッチリだ!」
前の戦闘にて乱れた思考も元に戻ったと、オームは自慢の角を立てる。しかし混乱が治ったとしても、体に受けた傷までは完全に治っていない。オームがフィールドに立てる時間も、あまり長くないだろう。
それでもハルカはオームを信じて、戦場に立たせた。
「オーム! いわくだき!」
ヘルガーへと駆け出しながら、オームは拳を握り締める。
「ふいうち」
しかしオームの拳が辿り着く前に、素早く距離を詰めたヘルガーの鉤爪がオームの腕を斬り裂いた。
「ぐわっ!」
「オーム!」
腕の負傷により、オームの握った拳が解かれる。カリンの指示により、ヘルガーの不意打ちが見事決まったようだ。
「今の技は!?」
「ふいうち。相手よりも必ず先に攻撃する先制技だ」
「くーっ! 相変わらず卑怯な技ばっか使いやがる!」
カリンの戦術に、ユウリは悔しそうに歯を食い縛る。口ではそう言いつつも、ユウリも分かっていた。これは真剣勝負、カリンの戦法は決して卑怯などではないという事に。
「大丈夫か!?」
「これぐらいなんでもねぇよ!」
オームは腕を上げて強気にアピールするが、体力はかなり厳しそうだ。それでもオームは再度拳を握ってヘルガーに走り出した。
当然黙ってオームの反撃を待つ筈がないと、カリンの唇が緩む。
「ヘルガー! かえんほうしゃ!」
カリンの指示に、ヘルガーは口から灼熱の炎を噴射した。炎はオームの体に襲い掛かり、鮮やかなカーテンの様にヘルガーの視界を靡いている。
『ヘルガーの吹いた業火が、ヘラクロスを包み込むー!』
「オーム!」
むしタイプを含むオームにとって炎は天敵だ。正に地獄の炎に身を焼かれる様な思いをしている事だろう。これでオームの拳が届く事はないと、ヘルガーは不敵に口から残り火を漏らす。
そんなヘルガーへと、突然オームが炎のカーテンから跳び出した。
「!?」
全身に火傷を負いながらも、オームの目は確とヘルガーを見つめている。右の拳は握られたまま。オームは今残っている全身全霊を振り絞って、ヘルガーの頭にその拳を叩きつけた。
「どらぁ!」
脳天が割れる様な衝撃が、ヘルガーを襲う。四本足をふらつかせるヘルガーだったが、その足が地面に倒れる事はなかった。寧ろ危険なのはオームだった。炎の消えたフィールドで立ち尽くすオームだったが、その息遣いは酷く荒い。遂には力尽きて、オームは自慢の角を前に倒れさせた。
『ヘラクロス、戦闘不能! 業火の中から起死回生の一撃を食らわせたヘラクロスでしたが、一歩及ばずに倒れてしまいました!』
オームの執念の一撃に、カリンの歓声に包まれていた会場も一瞬静まり返る。それだけ観客の心を動かすなにかが、オームの一撃には確かにあった。
「すっ、凄ぇなあいつ……」
「最後の技……きしかいせいか。自分の残り体力が少ない程に威力の上がる技だが、あの極限状態の中でそれを繰り出すとは」
「間違いなくヘルガーには大きいダメージを与えられただろうな」
ユウリ達もオームの最後の勇姿に呆気に取られている。それは画面越しのエレナ達も同様だった。
「オーム、負けちゃった」
「でも最後の最後まで頑張ったわよ」
「お疲れ様、オーム」
フィールドに倒れたオームを、ハルカはモンスターボールに戻す。カリンの出した全てのポケモンと対峙し、この勝負に大きく貢献してくれた。
「ありがと。あとはゆっくりしてくれ」
試合が終わったら、大量のあまいミツで労ってやらなければならない。
『さぁ! ハルカ選手も残るポケモンは一体! 白熱のバトルも、遂にクライマックスが見えてきました!』
オームのモンスターボールをポケットに片付けて、ハルカは最後のモンスターボールに目を落とす。泣いても笑っても、この勝負で全てが決する。
「あとはお前だけになっちまったな」
それでもハルカの表情は希望で満ちていた。彼ならやってくれると、無条件な信頼がハルカと彼の間にはあったからだ。
ハルカは彼の名前を高らかに叫んで、モンスターボールを放り投げる。
「ナゴヤ! お前が決めろ!」
赤い両脚を地面につけると、ナゴヤは会場の空気を塗り替えるように雄叫びを上げた。両手首から噴き出る炎の火力も、興奮のせいかいつにも増して上がっている。
『ハルカ選手が最後に繰り出したのはバシャーモです!』
ナゴヤの登場に、会場の観客も全員注目していた。
「来たー!」
「あれがハルカの相棒……」
「真打の登場だな」
初めて目にするハルカの相棒に、ソウマは眼鏡の奥の目を凝らす。対して何度か相対しているユウリとコウジは、ナゴヤに期待の眼差しを向けていた。
「出てきたよ!」
『ナゴヤノ生体反応検知』
「相手は強敵……あいつでも敵うかどうか分からんぞ」
「なに言ってんのよ! あいつが負ける訳ないでしょ!」
テレビに映ったナゴヤの姿に、エノンとヘイジの応援に熱が入る。苦戦を予想するクインに、ナゴヤを信じろとオジョーが牙を立てた。
「頼んだぞ相棒!」
フィールドに立つナゴヤに、ハルカが声を掛ける。ナゴヤはチラリとハルカの方に目を向けたが、特に返事をする事もなくすぐに顔を正面に戻した。
「おい! なんか言えよ!」
ハルカが文句を飛ばしても、ナゴヤは嘴を開く素振りを見せない。
「おい、本当にあれが相棒なのか?」
「まぁあいつらはあれが平常運転だから」
相棒らしからぬ反応を見せるナゴヤにソウマは疑惑の目を向けるが、ナゴヤがアチャモの頃から知っているユウリはただ愛想笑いを浮かべていた。
「まぁいい! 行くぞ!」
雑念を振り払って、ハルカは気を取り直す。ナゴヤも目の前のヘルガーに、早くも闘争心を滾らせていた。
「ナゴヤ! ブレイズキック!」
ハルカの指示を合図に、ナゴヤが右脚で地面を蹴る。闘争心よりも熱い炎をその右脚に着火させて、ヘルガーとの距離を詰めていった。
「ふいうち!」
そんなナゴヤに、ヘルガーは高速で鉤爪を突き立てる。先程オームを襲った不意打ちだ。ヘルガーの鉤爪は避ける事を許さず、ナゴヤは右肩に甘んじて鉤爪を受ける。しかしその程度で臆するナゴヤではなかった。ナゴヤの燃える右脚は、そのままヘルガーの腹部を蹴り上げる。
「!」
腹部を襲う強烈な一撃に、ヘルガーは息を吐き出す。
「決まった!」
「馬鹿! なにやってんだ!」
有効打が入ったと喜ぶユウリの横で、ソウマは何故か顔を歪めさせていた。
「そのまま蹴り続けろ!」
ナゴヤは炎の燃える両脚を、ヘルガーに蹴り続ける。ヘルガーはナゴヤの猛攻に避ける事なく、全ての攻撃を生身で受け止めていた。体勢を立て直して、ヘルガーは喉の奥に高温を宿す。
「かえんほうしゃ!」
「オーバーヒート!」
口から炎を噴き出したヘルガーに対抗して、ナゴヤも嘴から炎を放出した。互いの炎が中央で激突し、会場の気温を一気に向上させる。観客達もあまりの気温の上昇に、上着を脱いだり汗を拭ったりしていた。
『正に白熱の勝負! 互いに一歩も譲らない、熱い炎のぶつかり合いです!』
実況も掌に溢れた汗を握り締めながら、マイクに声を乗せる。実況席にもその熱は届いている筈だったが、隣に座るワタルは涼しい顔をしていた。
「あいつ、戦う相手の相棒ポケモンくらいちゃんと調べとけよ!」
多くの観客が熱気に中てられる一方で、ソウマは苦虫を噛み潰した表情をする。
「どうしたんだよ。どっちかっていうとハルカの方が押してるように見えたけど」
「よく見てみろ」
頭上に疑問符を浮かべるユウリは、コウジに言われた通りフィールドに目を凝らす。フィールドに四本足で立つヘルガー。先程あれだけナゴヤの猛攻を生身で受けていたにも関わらず、その足はピンピンとしていた。
「なんで!? あんなに食らってたのに!」
「ヘルガーの特性はもらいび。ほのおタイプの技を受けても、そのダメージは無効化される。つまりさっきまでのナゴヤのブレイズキックは、ヘルガーになんのダメージも与えられてないんだよ」
「なんだって!?」
衝撃の事実にユウリは驚愕する。確かにナゴヤの猛攻を前にしても、ヘルガーからは避けようとする気配をなにも感じなかった。理由は明白。受けたところでダメージなどは入らなかったからだ。
「でっ、でも! それだったらナゴヤだってほのおタイプの技はいまひとつじゃ」
「だからよく見ろって」
同じ炎タイプを含むナゴヤも、ヘルガーの放った火炎放射はあまり効かない筈。そう思ったユウリに、今度はソウマが視線を誘導した。
次に視線を向けたのはナゴヤ。オーバーヒートによってヘルガーの炎を相殺した筈のナゴヤだが、どういう訳かそう表情は苦しそうだった。
「なんで!?」
「ヘルガーの吐く炎には強い毒素が混じっていると言う。例え同じほのおタイプでも、吐き出す炎の種類が違うんだよ」
「それにもらいびには受けた炎を自分の炎に還元する能力もある。炎の威力は圧倒的にヘルガーの方が上だ」
「そんな……」
ハルカもフィールドの戦況を目の当たりにして、炎では太刀打ちできない事を悟っていた。だからと言って諦める理由にはならなかったが。
「それなら!」
炎がダメなら別の攻撃手段で攻めるのみだと、ハルカは次の指示をナゴヤに下す。
「ナゴヤ! とびひざげり!」
助走をつけて、ナゴヤは天高くに跳び上がった。落下地点をヘルガーに合わせ、左脚の膝を尖らせる。当然真っ直ぐ向かってくるナゴヤを前に、ヘルガーが指を咥えて待機してくれる筈もない。
「かえんほうしゃよ!」
ナゴヤの視界を遮るように、ヘルガーは再び炎のカーテンを吐き出した。視界を炎で埋め尽くされるナゴヤだったが、空中のナゴヤにブレーキはない。そのまま炎に直撃したナゴヤだったが、炎を抜けた先にヘルガーの姿はなかった。
「!?」
膝蹴りは誰も居ない地面へと不時着するも、受け身を取ってダメージを最小限に抑える。それよりも今警戒するべきはヘルガーだ。炎の包囲網に囲まれた周囲を見回すと、背後からヘルガーの鉤爪がそっと忍び寄る。
「きりさく!」
ヘルガーの急襲に為す術もなく、ナゴヤは背中に傷を負った。
「ぐっ!」
「ナゴヤ!」
負傷により、ナゴヤは脚をよろめかせる。ヘルガーの鉤爪は、確かにナゴヤの体力を消耗させているようだ。
『バシャーモ、カリン選手の戦略に翻弄されています!』
「なにしてんのよナゴヤ!」
「あの相手、ナゴヤとはあんまり相性がよくないみたいだね……」
画面に映る窮地のナゴヤを、エレナ達も心配そうな瞳で見守る。
――くそっ! ほのお技で攻める訳にもいかねぇし、どうやったらあいつにダメージを与えられる!
劣勢な戦況に、ハルカは必死に頭を働かせた。
――……でも、なんか引っ掛かるんだよな。
ハルカの脳裏に浮かぶのは、ナゴヤがヘルガーに初めて蹴りを入れた瞬間。炎を纏った右脚は確かに特性によって無効化されたが、その時のヘルガーの様子にハルカはどうにも違和感を覚えていた。
――もしかして……。
思考の末、ハルカはとある結論に辿り着く。
「ナゴヤ!」
名前を呼ぶ声にナゴヤが振り返る。瞳に映ったのは自信に満ち溢れたハルカの表情。その表情を見るだけで、次に言い渡されるだろうハルカの指示に、絶対的な信頼を持つ事が出来た。
「反撃するぞ! ブレイズキック!」
「はぁ!?」
ハルカの指示に、観客席のソウマが顔を顰める。しかしナゴヤは反抗する事なく、右脚に炎を燃やして再びヘルガーへと走り出した。
「なに考えてんだ! あいつにほのお技は効かないってもう分かっただろ!」
どれだけ強く荒げても、ハルカの耳にソウマの声は聞こえない。その自信に満ちたハルカの表情に、コウジは静かに戦況を眺めていた。
「ふいうち!」
カリンも同じ事を繰り返したハルカに少し動揺していたが、何度繰り返しても同じ事だと対抗する。ヘルガーの鉤爪は、またしてもナゴヤの体を斬り裂いた。
「ぐっ!」
激痛にナゴヤは嘴を歪めながら、ヘルガーの腹部を右脚で蹴る。
「まだまだぁ!」
ナゴヤは宙に浮いたヘルガーの体に、更に右脚を追加で入れる。更に二撃、三撃と、ヘルガーの体が地面に浮いた状態で何撃も右脚で蹴り続けた。
「なんだ? 一体なにが目的なんだ?」
ハルカの意図が読めず、ソウマは首を傾げる。最初に異変に気付いたのはユウリだった。
「なぁ……なんか相手、ちょっと苦しそうじゃねぇか?」
無効化される筈のブレイズキックを受け続けるヘルガーの表情は、確かに苦悶を浮かべていた。
「こっちの炎は完全に無効化される。でも蹴りのダメージまでは無効化できないんだろ。だったら炎の無効化なんて関係ないくらい、ひたすら蹴り続ければいいだけ!」
作戦とも言えない完全なる脳筋。それでもハルカの推理は的を射ていた。
ヘルガーに逃げる隙すら与えない程、ナゴヤは今も右脚で蹴り続ける。これぞ正に超至近距離戦法だった。
「凄いナゴヤ!」
「このままぶっ倒せ!」
ナゴヤの怒涛の攻撃に、オダマキ研究所の応援も火力が上がる。
『蹴る! 蹴る! 蹴りまくる! 特性もらいびのヘルガー相手に、バシャーモのブレイズキックが止まりません!』
長い実況人生の中でもこんな戦法は初めてだと、どこか実況も興奮気味だった。
「名付けて、ブレイズキック・百裂脚!」
百を超える脚技が、ヘルガーに襲い掛かる。例え炎を無効化できる特性を持っていたとしても、このダメージには耐えられないだろう。会場の観客達も、予想外のナゴヤの猛攻に番狂わせを予感していた。
「行っけぇ!」
しかしただ一人、彼女だけは耽々と勝機を狙っていた。
「かみくだく」
ヘルガーの猟奇的な瞳が、ナゴヤの心の臓を覗く。
「!?」
その瞳に一瞬怯んだナゴヤの右脚へと、ヘルガーの鋭利な牙が食らいつく。牙は炎ごと右脚に深く呑み込み、骨さえも粉々に噛み砕いた。
「ぐはっ!」
堪らず声を漏らしたナゴヤは、脚を食らうヘルガーを振り払って距離を離す。
「ナゴヤ!」
負傷した右脚は今も尚激痛を伴っており、ろくに地面に着ける事さえ出来ない。右脚を庇って左脚だけで立つしかなかった。
『怒涛の勢いで攻撃を仕掛けるバシャーモでしたが、その右脚をヘルガーが噛み砕きました!』
「大丈夫かな……」
「今のはかなり痛そうだな」
画面越しでも分かる傷の具合に、エレナ達の表情も曇る。
「でっ、でも! まだ左脚があるし大丈夫だよな!」
絶望的な戦況と分かりながらも、ユウリはなんとか顔を明るくしてソウマに尋ねる。しかしソウマは目を伏せて首を横に振った。
「キックってのは片足だけで出来るものじゃないんだよ。キックする足とは別に、体を支える軸足で必要になる。寧ろこっちの軸足が重要だったりするんだよ。今のナゴヤの右脚の状態じゃあ、キックは勿論軸足にするのも難しいだろうな」
「それじゃあ……」
答えを悟ったユウリに、ソウマが残酷に告げる。
「……残念だが、もう勝負にはならないだろうな」
今のナゴヤは立っているのもやっとな状態。蹴り技を主体とするナゴヤがここから戦って勝利するなど、かなりの確率で不可能に等しかった。
「随分と楽しませてもらったわ」
眩暈すら覚えるハルカに、フィールド奥からカリンが声を掛ける。
「流石ここまで勝ち上がってきたトレーナーね。きっと貴方は将来優秀なトレーナーになるわ。私が保証してあげる」
それは言葉だけ見れば賛辞。しかしハルカにはそうは聞こえなかった。
「でもね。貴方と私とでは覚悟が違うの」
そう言って、カリンは言葉を続けた。
「この子とは私が生まれ育った街で、人間に捕らえられていたところで出逢ったの。当時あくタイプは、まだ分類されて間もないタイプ。自分達の理解の及ばない、得体の知れないものに対して、人間は『悪』と名付けた。本当はただなにも知ろうとしてないだけなのにね」
十年以上前、カリンがまだ子供だった頃に、彼女はヘルガーの進化前であるデルビルに初めて出逢った。
――大丈夫?
小さな正方形の檻に閉じ込められたデルビルに、カリンがそっと声を掛ける。カリンを見上げる獰猛な瞳からは、こちらを警戒しているのが痛い程に伝わる。それと同じくらい、瞳からは恐怖の感情も感じ取れた。
――私が貴女を助けてあげる。
膝を屈めて、カリンは檻の隙間からデルビルに手を伸ばす。触れたら壊れてしまいそうな、小さくか細い手。
そんな掌に、デルビルは勢いよく噛みついた。
――!
右手に走った激痛に、カリンは顔を歪める。噛まれた部分からは赤い血が滴り落ちていた。
デルビルは今もカリンに噛みついたまま、息を荒げて睨んでいる。デルビルからすれば、カリンも捕らえた人物も同じ人間。またなにか自分に危害を加えようとしていると考えて、反旗を翻したのだろう。掌を噛む口元は、少し震えていた。
――……大丈夫。
痛みを堪えながら、カリンは口を開く。
――大丈夫だからね。
差し出した右手とは逆の左手で、そっとデルビルの頭を撫でる。掌を噛まれて尚、カリンはひたすらにデルビルの事を想っていた。
デルビルも気付く。この少女は今までの人間とは異なるという事に。
「強いポケモン、弱いポケモン、善いポケモン、悪いポケモン、そんなの人の勝手」
心なしかカリンの語る言葉に力が乗る。
「本当に強いトレーナーなら、好きなポケモンで勝てるように頑張るべき。私はこの子達の強さをより多くの人に見せつけて、あくタイプは本当は悪なんかじゃないって証明しなくちゃいけない。だからこんなところで負ける訳にはいかないの」
立ち尽くすナゴヤを更に追い詰めるように、ヘルガーの鉤爪が襲い掛かる。ナゴヤの脚の状態で満足に逃げられる筈もなく、鉤爪は容赦なく体を斬り裂いた。
『大きなダメージを受け、もう後のないバシャーモ! カリン選手を相手にここまで善戦したハルカ選手ですが、自慢のアイディアもここまでかー!?』
正真正銘の窮地に、ハルカの視界は真っ暗に染まる。
――ここまで……か。
相手は次期四天王候補と噂される格上。そんな相手を前に、あと一歩といったところまで善戦したのだ。きっと皆も「よくやった」と労ってくれる。それならば、ここで負けても悔いはない。
――全力で闘ったんだ。もう思い残す事なんて、
「ハルカ!」
その時名前を呼んだその声が、ハルカの思考を吹き飛ばした。
声の聞こえた方へと、ハルカは顔を上げる。そこには今にも倒れそうな脚で立ち尽くすナゴヤ。しかしハルカを見つめるナゴヤの瞳は、まだ死んではいなかった。
「……そうだよな」
フィールドに立ってから、初めてナゴヤの嘴から発せられた言葉。それは単なる名前でしかなかったが、それ以上のメッセージをハルカは確かに受け取っていた。
「倒れていない限り、勝負は終わっちゃいねぇよな……!」
深い傷を負いながらも、ナゴヤはまだ勝負を諦めていない。ポケモンが諦めていないのに、トレーナーが匙を投げる訳にはいかない。トレーナーがポケモンを信じていれば、勝利の可能性を万に一つでも掴める筈。
「行くぞナゴヤ!」
「おぉ!」
熱を取り戻したハルカの掛け声を合図に、ナゴヤは左脚で勢いよく地面を蹴った。
「動いた!」
「一体なにするつもりだ!?」
会場の全員がナゴヤの動向に注目する中、ナゴヤはヘルガーに急接近する。突然の接近に驚くヘルガーの前足を、ナゴヤは両腕で捕らえた。
「地面に向かってオーバーヒート!」
ナゴヤは顔を地面に向けて、口から高火力の猛火を噴き出した。するとどうだろうか。燃える炎を燃料として、ナゴヤとヘルガーの体はまるでロケットの如く天高くへと打ち上げられた。
「!?」
予想を遥かに超える展開に、流石のカリンも目を見開く。
『とっ、飛んだぁー! 絶体絶命のバシャーモ、最後の力を振り絞ってヘルガーと共に空へと飛び上がりました!』
吹き抜けの会場すら超えてしまいそうな程上昇するナゴヤとヘルガーに、観客達の視線も上を向いた。
「そうか! 空中なら軸足も必要ない! 思う存分まだ戦える!」
口をあんぐりと開けたままのユウリの隣で、ソウマはハルカの作戦に気付く。
「しかしナゴヤは既にこの試合で一度オーバーヒートを使っている。特性のもうかが発動しているとはいえ、威力の下がったオーバーヒートまであそこまで飛べるのか……?」
疑問を抱いたのはコウジだ。オーバーヒートは使用すればする程、威力が下がっていく技。ナゴヤの特性は体力が低い程炎の威力が上がるもうかだが、それを差し置いても太陽にまで届きそうな高度にまで達している事実に、コウジは理解が出来なかった。
『上昇気流』
そんなコウジの疑問を解決したのは、解説席に座るワタルの言葉だった。
『温かい空気は軽く上に昇り、冷たい空気は重たく下に沈む。先程までこの会場は、ヤミカラスのくろいきりによって冷たい空気に包まれていた。しかしその後のバシャーモとヘルガーの戦闘により空気は熱せられ、上へと向かう上昇気流が発生していたんだ』
ヤミカラスが生み出した黒い霧は氷タイプの技。そこからナゴヤとヘルガーの炎により上昇気流が生み出され、今のナゴヤの大跳躍に繋がったという。
『なんという事でしょう! まさかハルカ選手、ここまで作戦の内だったのでしょうか!?』
「いやそれはない」
「断じてない」
「あいつがそこまで考えてる筈がない」
フィールドの空気さえも味方につけたハルカに興奮する実況だったが、そんな実況をコウジ達は冷静に指摘する。画面越しで応援するエレナ達でさえも、満場一致で「ないない」と右手を横に振っていた。
思い掛けない衝撃に目を奪われていたカリンだったが、我に返って指示を叫ぶ。
「ヘルガー! かみくだく!」
遥か上空にて、ヘルガーの牙がナゴヤの肩に噛みつく。骨が砕ける音が体の内側から聞こえてきて、ナゴヤの嘴は歪んだ。
「つばめがえし!」
ナゴヤは左脚でヘルガーの腹部に蹴りを入れ、ヘルガーの牙を肩から外す。
「そのまま地面にぶん投げろ!」
上昇が終わり、下降に差し掛かったタイミングで、ナゴヤはヘルガーを地面に向かって放り投げる。重力に従って地面に落ちていくヘルガー。空中に逃げ場などどこにもなかった。
ナゴヤは手首から噴き出す炎の火力を上げて、落下のスピードを加速させる。ナゴヤは左脚の膝を、槍の様に尖らせる。ヘルガーとの距離は、みるみるうちに縮まった。
「行っけぇぇぇぇぇぇぇ!」
画面に映るナゴヤの勇姿に、エレナ達は食い入る様な瞳で応援に声を枯らす。会場の観客達も、上空のナゴヤから目を離せないでいた。
「かえんほうしゃ!」
カリンもまだ勝負を捨てていない。迫り来るナゴヤに、ヘルガーは大量の毒素を含んだ炎を吐き出した。ナゴヤの体が炎に包まれる。しかしナゴヤが止まる事はなかった。炎から抜け出したナゴヤは、もう目と鼻の先だった。
「とびひざげり!」
ナゴヤの左膝が、ヘルガーの腹部にクリーンヒットする。更に加速するナゴヤはそのまま地面に墜落。砂煙と共に上がった衝撃波に、観客達は思わず目を塞いだ。
砂煙が落ち着き、次第に視界が明るくなっていく。フィールドに見えたのは蜘蛛の巣状にひび割れた地面の中心に倒れるヘルガー。そして拳を握り締めながら右腕を上げる、ナゴヤの背中だった。
『ヘルガー、戦闘不能! 互いに譲らない一進一退の勝負を制したのは! なんと! アイディアの宝石箱、ハルカ選手だー!』
勝者を報せた実況の声に、会場には喝采が鳴り響いた。
「よっしゃぁー!」
ハルカは両拳を握り、力強くガッツポーズをする。ポケモンリーグの本戦で、初めて勝利したのだ。心の奥から歓喜が湧き出て、心臓の鼓動を加速させた。
「やった! ハルカ勝ったよ!」
「良かった……本当に良かった!」
「ナゴヤもカッコ良過ぎだろ!」
嬉しそうな表情を見せるハルカに、オダマキ研究所のエレナとオジョーは抱き合って喜びを分かち合った。トランプは踊りを踊ったり、エノンは紙吹雪を吹かせたりと、皆一様にハルカの勝利を祝福していた。
「凄ぇ……あいつ凄ぇよ」
会場のユウリもハルカの健闘を讃えながらも、先を進んでしまったライバルに焦りを感じていた。
「おい、もう行くのか」
先に席を立ったコウジに気付いて、ソウマが声を掛ける。階段を進んで出口を向かおうとしていたコウジは、立ち止まってソウマに振り返った。
「あぁ……俺も負けていられないからな」
それだけ言い残して、コウジは次の試合に向けて再び歩き出した。
「ナゴヤー!」
フィールドに立ち尽くすナゴヤに、ハルカが駆け寄る。ハルカはそのまま傷だらけのナゴヤに、勢いよく抱き着いた。
「痛っ!」
激痛が体を駆け巡ったが、なんとか左脚で耐えて倒れるのを防ぐ。
「お前大丈夫かよ?」
「大丈夫な訳あるか。体中死ぬ程痛ぇよ」
間近で見れば見る程、ナゴヤの傷の深さが伝わる。先程の戦闘がどれだけ過酷なものだったのかを、分かりやすく物語っていた。
「でも勝った」
そんな傷だらけのナゴヤに、ハルカは右手でピースサインを見せる。満面の笑顔のハルカに、ナゴヤも思わず嘴から笑みを漏らした。
「馬鹿言うな。お前一回諦めてただろうが」
「はぁ!? んな事ねぇよ! 俺はずっとお前が勝つって信じてたよ!」
「いや絶対一回諦めてた」
「諦めてねぇって! なんでお前にそんな事分かんだよ!」
「お前の考えてる事なんざなんでも分かんだよ」
気付けば互いの口はヒートアップし、些細な口喧嘩が始まる。他愛もない言い合いでさえ、今はなによりも愛おしかった。
「お疲れ様」
ひび割れたフィールドにヒールを鳴らしながら、カリンもヘルガーの側に歩み寄る。力を使い果たして倒れるヘルガーの顔に、そっと掌を伸ばした。
「彼の予想を超えた攻撃に、私は動揺してすぐに指示を出せなかった。完全に私のミスよ。ごめんなさい」
ヘルガーをはじめ、ブラッキーもヤミカラスも全力を尽くしてくれた。足りなかったのは自分の力量だけだと、カリンは負けた責任を全て自分で背負っていた。
「また一から努力するわ。こんな私だけど、貴女もついてきてくれるかしら?」
倒れるヘルガーに、カリンは問い掛ける。吠える事さえ出来なかったヘルガーだったが、代わりに添えられたカリンの右手をペロリと優しく舐めた。言葉なくして届けられたヘルガーの思いに、カリンはヘルガーの頭を優しく撫でた。
「ありがとう。私達の目標の為、これからも共に戦いましょう」
悪タイプの本当の素晴らしさを世界に知らしめるべく、カリン達の戦いはこれからも続いていく。互いの思いを確かめ合って、カリンはヘルガーをモンスターボールに戻した。
「さっきの発言、訂正させてもらうわ。貴方はもう十分優秀なトレーナーよ」
カリンの声がこちらに向けられている事に気付いて、ハルカとナゴヤは目を向ける。カリンはヒールを鳴らしながら、ハルカ達の側まで歩み寄った。
「でも用心するのね。これから先に貴方が戦うのは、私よりも遥かに強いトレーナーばかりよ」
健闘の証に、カリンは右手を差し出す。カリンの言う通り、この勝負はまだ第一回戦。第二回戦へと駒を進めたハルカには、更なる強敵が待ち構えている。
忠告するカリンの右手を、ハルカの右手が握り締めた。
「望むところです!」
どんな相手だろうと、ただ目の前の相手に全力でぶつかるだけ。ハルカの戦法は変わらなかった。真っ直ぐだけを見つめるハルカに、カリンも敵わないと表情を崩した。
激戦を繰り広げた二人に、会場からの拍手は鳴りやまない。しかし当試合は第一回戦。世界最高峰のポケモンリーグは、まだ始まったばかりだった。