寇討の天子   作:御代川辰

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開門と邂逅
序幕


[[1986年 八月上旬 10日]]

 

 まだ夜明け前の暗い時間、一帯は不自然に煌々としており、またあらゆるものが混ざって焼け焦げたような、酷い悪臭に満ちていた。この正体を間近で見た者たちであれば、皆異口同音に「悪夢のような光景」とだけ答えるだろう。

 諸侯、臣相、官吏、軍兵、民草たちが織り成すごくごく平和な日常が、当たり前の平穏が奪い去られた地。広大な《大央華》を統べる《黎國》にあって、数ある都の中でも最も栄えていた《玉京》の変わり果てた姿である。

「皆の者……!……誰でもよいっ!」

 うず高く積もった瓦礫と瓦礫に挟まれている、幅百五十歩にもなる広い通りのど真ん中で、立派な髭を蓄えた初老の男が叫んでいる。赤、黒、紫と華美な色合いの衣服を泥だらけにしながら、都の中心から都の外側を目指して疾走しているのだ。

「生きておる者よ!答えよ!」

 喉が張り裂けんばかりに叫びつつ周囲を見渡せば、崩れそうな瓦礫に交じって幾十万もの(しかばね)が折り重なって山となり、(むくろ)から(あふ)れ出た血が地面を流れ、赤黒い河を形作っている。

 血生臭く、焦げ臭い匂いすら無視して、呼び掛けるように喚きながら大通りの端へと突き進む。力の限り走り続け、やがて息を切らし体がふらつく頃、男は都の入り口であった場所へと到り、息を吐く間もなく絶望的な情景を目の当たりにした。

 かつて建てられていた立派な門は、柱も礎も壁さえも無惨に破壊し尽くされ、逃げ遅れたのであろう人々の亡骸は切り刻まれ、それはまさしく阿鼻叫喚の様相。

 これを視界に入れた瞬間、全身を怨念が(おお)っているかのような幻覚さえ感じ取ってしまう。男は脱力して膝を地に着け、焼け落ちた門だったものをただ見上げる。

「おかあちゃん!おとうちゃん!」

 この地獄を辛うじて生き延びた幼子が、父母の亡骸の前にくずおれて泣き叫んでいる様を、涙を呑んで見過ごす事しかできない。それほどまでに、精神を磨耗している。

 自らも目の前で多くの兵が敵に殺される様を目の当たりにながら、死にもの狂いで戦火に焼かれた禁城を離れ、四半月もの間姿を隠し続けてやっと助かった身。

 それ故、同情せずにはいられない。

(すまぬ……)

 屍山血河の殺戮の末、死屍累々の悲惨な光景が広がっているのだから、無心に陥るのは道理である。しかし果たして、ただの人間がこの惨状を、凄惨極まる景色を作り出せるだろうか。然したる理由も目的もなく、ましてや動機すらもなく、このように無辜の民を殺し回るようなことをするだろうか。

 この都を焼き尽くし、幾百万もの人々を殺し回った()()()がどこから現れたのかは別として、最も冷静でいるべき自分自身が無力であった事は確かである。

 だからこそ、どうすることもできない。

「聖上!ここに居られましたか!」

 ふと、放心しているこの男に声をかける者がいた。声の調子からして、聖上と呼ばれた男と同年代であろう低い男の声で、厳かながらも丁寧な口調で語りかけている。

 よろよろと膝立ちの姿勢になり、声のする方へと顔を向け直せば、そこにはぼろぼろの鎧兜を身に纏った老将が立っていた。そして、その姿は痛々しいものであった。

 鎧を貫いて身体中に折れた槍や矢が深々と突き刺さり、槍の旗には敵の返り血と彼の流した血が混ざり、元の絵柄が分からないほどにどす黒い色が染み込んでいる。

「おお……(せい)か……」

 息切れを起こすまで走り回り、大声で叫び続けたことで声は嗄れていた。荒い呼吸のまま立ち上がり、(せい)と改めて向き直るが、顔色は蒼白、目も虚ろで覇気が感じられない。

 ふらついたまま先ほどの子供を見やる。うずくまったまままだ泣いている。ギリッと歯を食い縛り、また顔を正面に立つ男へと向けたかと思えば、地に額が着くほどの勢いで深々と頭を下げた。

「済まぬ……儂が無力なばかりに、このような惨事に……」

 嗄れたままの声で、涙ながらに謝罪する。抗う間もなく都が焼き払われ、結果幾百万もの人々が殺された哀しみ。兵の抵抗虚しく田畑を荒らされ、何もかもを壊し尽くされた悔しさ。そして、この大事の当事者でありながら、民のために何もできない自分自身への(いきどお)り。

 全ては己の不徳故と自覚した以上、懺悔の他にできる事はない。

「聖上、御気を確かに!」

 (せい)は聖上の肩を掴んで力任せに姿勢を起こし、投げ掛けるように怒声を放つ。首振り人形のように頭が揺れるのも構わず、腹の底の煮えたぎる感情をぶつけた。

「今この時にする懺悔など、何一つ意味を成しはしませんぞ!」

 そして隣に立ち、「御覧下さい!」と叫びながら大通りを指差す。靄がかかったように曖昧だった視界が、徐々にはっきりとしてくるのが分かった。

 破壊され尽くした都という景色に変化はない。が、見えているものに変化が生じている。

(────明るい)

 ちょうど、夜明けの時刻であった。日の光が照らす玉京の町並みは敵が放った炎によって残らず均され、もう何一つ残っていないとさえ思い込んでいた。だがよく目を凝らせば、炭と化した木材に紛れて奇跡的に延焼を免れた建物が散見でき、生き残った人々や兵たちの姿も、少ないながら確認できる。

 天はまだ、見捨ててはいなかったのだ。

「天子たる貴方様が負うべき責は、まずこの玉京を復興する事にあります!」

 (せい)は諭すように語ると、更に一歩離れて片膝を地に着き、聖上を見上げながら続けた。

「弱音も言い訳も無用!責めを負うのは終わってからでも遅くはございません!」

 都にはまだ火種が(くすぶ)り、賊の侵入を防ぐための塀も壊されている。これでは守れるものも守れないばかりか、まだ消えていない火が都の外にまで広がってしまう。この大央華とは民を統べる君主の統率力あってこそのもの。

 世界そのものと言っても過言ではないほどに広大で、世界を覆い尽くさんばかりの民を擁する国、その頂点に立つ天子ともあろう者が、嘆く幼子(おさなご)一人を救うことさえ躊躇(ためら)っているようでは、問題はいつま経っても解決しない。

 ここで行動を起こすことを諦めてしまっては、この惨状にどう始末をつけるつもりなのかと、(せい)は問うているのだ。無言のままだった聖上は、涙に濡れた顔を服の袖で吹き取ると再度都へと目を向ける。

「…………そうじゃな」

 未だに火が絶えず、廃墟なった建物の群れを見据え、聖上は決意を新たに振り返る。破壊された門の向こうには無数の蹄と軍靴が往復した跡があり、田畑にも踏み荒らされた形跡がくっきりと残り、抵抗したのであろう者たちの亡骸が積み上げられていた。

 心中を悲しみと怒りが満たしているが、今優先するべき事ではない。もう一度(せい)のいる方へと目線を向け、こくこくと(うなず)く。

「泣いておる場合ではない」

 男、泰皇天帝黝幻(ゆうげん)は将軍(せい)を伴い、都の中心たる帝宮へと歩みを進める。天子として責を果たし、天命を成す決意を胸にして。

 

 

 

[[1999年 五月下旬 28日]]

 

 戦いとさえ呼べない蹂躙によってそれまでの繁栄が一気にぶち壊しにされ、一時は他の都市への遷都さえも計画された玉京。それが現在となっては、当時の地獄を知る者たちが驚くほどに様変わりしている。

「ここも賑わっておるな」

 往来する民衆や牛車でごった返す都の大通りを眺めながら、腰も曲がり毛も白くなり、さながら仙人のような姿になった(げん)が、感慨深いとばかりに頷いている。

 あの忌々しい蛮戎どもの襲撃によって完膚なきまでに破壊され、官民合わせて300万人以上の人命が奪われる惨事を経験したとは思えないほどに回復し、むしろ破壊される以前よりも活気に満ち溢れていた。

 この復興を語るにおいて、特筆すべきは人口である。わずか13年で最盛期の総人口を上回り、実に720万人超の巨大都市として復活を果たしたのは、ひとえに都を再建するために努めた者たちの存在であろう。

 無論、ここで民の営みを眺める(げん)もまた、玉京復興の功労者の一人である。

(……人事、未だ尽くされずか)

 とは言え問題は山積みであり、都の破壊という大事件によって被った損害を補填するには、これまでの13年間ではまだまだ足りない。本当の意味での復興を果たすためには向こう10年、あるいは20年かかるかも知れない以上、これまで以上に気を引き締めなければならないのだ。

 今後同じような事態が起きた時、如何様に対処しあるいは解決するのか、その後はどのように処理するのかという事も含めて、今のうちに未来に備える必要がある。

 “人事を尽くして天命を待つ”という言葉の重みを今一度再確認した(げん)は、自らの家である帝宮を目指して大通りの隅を歩き始めた。

 

 

 

 さて、一方の皇宮は後宮から外廷に至るまで、皇族に官吏、群臣や諸将たちが敷地のあちこちを駆けずり回り、てんやわんやの大騒ぎ。何やら口々に叫び声をあげ、わたわたと慌ただしく行ったり来たりを繰り返し、中には白い前掛けを纏う女性の姿もある。

 これ程までの騒ぎになるとは、一体何が起きたのか。

「聖上!どちらにいらっしゃいますか!」

 皇宮の外でも若い衛兵たちが駆け走って(げん)を探しており、どうやら相当な事態であるようだ。だが肝心の(げん)は今皇宮を離れていて、呑気な事に徒歩で帰宅中であることは知る(よし)もない。

 だが血眼になって(みかど)を探し回る者たちから、その(みかど)の子女たちがいる東宮に視点を当てて見れば、やっと事態の全容が見えてくる。

「殿下、気を保ってください!」

 東宮にある施設の一つである天嗣妃の宮では、白い布を持った女官や湯で満たした(たらい)を持つ老婆たちが集まり、“鳳月太主”黝甘(ゆうかん)の出産に備えている最中だった。

 産気づいてから既に半刻が経過しているにも関わらず、まだ破水が始まらない様子である事からどうやら難産であり、(かん)の苦しそうな呼吸も響いている。

(大丈夫かな……無事に産まれて来てくれるかな……)

 産屋となった天嗣妃の部屋の前で落ち着きなくうろつくのは、(かん)の実兄にして夫である“龍日太王”黝叙(ゆうじょ)だ。13年前に惨禍が玉京を襲った当時、まだ(おさな)かったこの兄妹は勉学のため都を離れていた事が(さいわ)いして死を(まぬが)れていた。

 大央華では古くから男女の双子を“龍鳳太子”、あるいは“日月泰子”と呼んで(とうと)ぶが、この二人は皇族、加えて天子の子であるために民衆からは崇拝にも似た感情を寄せられており、実の兄妹で婚姻するはめになったのも半ば民意の結果である。

(父上……早く戻って来て下さい……(かん)がもう産気付いてるのに……)

 しかしこのように肉親同士で婚姻を成し、更に御子を得るまでに至ったのも、親愛が極まっているが故の事。なにより、都に残っていた皇族の大多数が夷狄に対する迎撃に際して討ち死にを遂げてしまったため、一刻も早く後継者を育てなければならないという急務があるゆえでもあった。

 焦りが募るのも当然だが、少しばかりの猶予にかまけてやや気のゆるんだご老体がいることも、(じょ)が心を落ち着けられない理由の一つである。

 だが今は別に優先するべき事がある自分に言い聞かせつつ、行きどころのない不安に身を駆り立てられながら、妻と産婆たちの迷惑になるまいと自室へと戻った。

 

 

 

 黝幻(ゆうげん)が皇宮に帰って来たのは、(かん)が思いの(ほか)難産となった我が子の出産を終えた直後の事。当人は都の行幸に夢中になるあまり道草食いを繰り返した結果、我が子の出産に立ち合えなかった事を激しく後悔していたが、待ちに待った初孫の誕生を最も喜んでいたのも彼である。

 ともかく自らのお膝元の復興に勤しむ皇族が、未来の天子となる御子を大事なく産み落としたという事実は、すぐさま都の民の噂となり瞬く間に国中に知れ渡った。

 〈壬辰夷寇〉と呼ばれる大事件の発生から13年の節目に生まれた御子は、「今度こそ國を健やかに保つ」という願いを込め、(しゅ)と名付けられた。

 名付け親は他でもない、今上皇帝黝幻(ゆうげん)である。

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