寇討の天子   作:御代川辰

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未だ動かず

 日黎協同仮設駐屯地、ひいてはアルヌスの丘から東の方角には、帝国の中枢たるウラ・ビアンカほどではないが、帝国領内有数の交易都市として栄えるイタリカ(ITALICA)という街がある。

 普段であれば競りや市などで賑わい、人通りも多く活気ある風景が見られるのだが、今日この日に限っては様相が異なるらしい。

「蛮族襲来の大事にイタリカの鎮護を帝都に移すとは、皇帝陛下は乱心されたか!」

 イタリカに駐屯する帝国軍の後退を告げる元老院議員に吼えるのは、イタリカ領主フォルマル(FORMAL)ミュイ(MJVI)の義兄にして後見人であるリハルド(RIHARD)アウルム(AVRVM)公。

 皇后ルシアンナ(LVCIANNA)ソル(SOL)ミュシア(MJVSIA)を実姉とする帝国貴族であり、そして元帝国軍の将軍として数多くの戦役で実績を立てた傑物である。

 しかしファルマート(FARMART)に覇を唱え世界征服を是とする帝国にとって、自分たちでは理解できない開明的、かつ先進的な倫理を持ち、歯に衣着せぬ物言いをするリハルドは目の上の(こぶ)であり、同時に「獅子身中の虫」も同然の危険人物でもあった。

 それゆえ奇行の例を挙げればきりがなく、捕虜を即時解放し追撃もせず、条約の条文を帝国にとって不利なものに改竄し、蛮族の捕虜に懲罰を施しただけの将兵を容赦なく斬首し、再侵攻時には召集にすら応じず、不敬にも皇帝に条約遵守の徹底を訴える始末。

 皇后の存在と戦功で極刑を(まぬが)れ、軍を解雇されアウルム領主を継承してからも、領内の奴隷商人を一族郎党もろとも極刑に処して奴隷を解放するなど、いずれも国是を否定しているようにしか見えない行動ばかり。

「アウルム公。あなたは既に軍を追放された身ゆえ、軍議の決定に物申す資格はございませんぞ」

 議員はさも済ました顔で答えるが、実のところリハルドの気迫に()されて精神的にまいっているようで、内心では今すぐにでもこの場から逃げ去りたいと考えている。

 もちろんイタリカを失うことは経済的に更なる打撃となり得るが、わざわざ逆侵攻し皇帝の玉体を狙っているであろう蛮族から優先して守るべきは、皇帝のお膝元である帝都。

 総兵力の半分を失い諸方群侯の脅威に曝されている帝国にしてみれば、イタリカに駐留する三千の兵は兵站という意味でも戦略の上でも必要不可欠であり、またリハルドと言う男も何としても殺したい第五列である。

「しかし!諸侯の私兵が如何に烏合の衆とはいえ、蛮族の軍と相討ちになる事は万に一つもありません!」

 この時、議員とリハルドの間には、今後の予測に大きな食い違いがあった。実際に従軍して前線で戦い、敵の猛攻から生き残った兵から情報を得ることができた議員は、「帝国領内の諸侯の兵は、門の蛮族の軍によって壊滅する」とやや悲観的ではあるが、事実を理解している。

 対してリハルドは長く従軍しておらず、自領の管理とフォルマル伯領の領地運営の代行を並行するという多忙で、なかなか帝国軍の様子を知る機会が得られず、現在の戦況も「帝国軍が壊乱し、蛮族有利」程度にしか知らない。

 故に「諸侯連合軍は大軍をもって蛮族を排除せしめ、返す刀で帝都へと侵攻し残る九万の帝国軍を討ち滅ぼす」と予想し、共倒れはあり得ないと語っているのだ。

「確定事項です。皇帝陛下の御手を(わずら)わせられるほど、元老院にも余裕はなかったのですから」

 議員はあくまでも冷静を装い理屈を捏ねて説明するが、もちろん騙されるような相手ではない事は理解している。だがここで彼に押し負け、一兵も奪えないままイタリカを離れるような事になれば、その時こそ帝国は最悪の敵を作る事になる。

 亡命はまずあり得ないが、利害の一致で蛮族側に(くみ)されればもはや勝ち目はない。用兵にかけては当世随一の実力者であるリハルドの戦術、戦略を真似できる将は帝国軍には数えるほどしかおらず、それを完璧に運用するともなれば恐らく本人のみ。

 どうせ味方に着けられないのなら、敵側に寝返る前に殺したいところではある。

(……しかし、私ではとても殺せぬ。イタリカの兵どもがこの孺子(こぞう)を裏切る事も、まずあるまい)

 武の心得がある議員と言えど、軍人であったリハルドとの実力差は歴然。更にイタリカは戦略的に重要な都市である上、その守護のため皇后ルシアンナが自ら選抜した精兵ばかりで士気も高い。

 だからこそ全兵を引き抜いて帝都に置き、蛮族の侵攻に備えようという魂胆だが、兵は皆“皇后の弟”にして“常勝無敗の名将”として知られ、フォルマル家の姻族でもある彼に強く忠誠を誓っている。

 アウルム・フォルマル両家の私兵となりつつあるイタリカの帝国兵三千を奪う事は、始めから不可能に等しい。仕方がないと首を縦に振り、今回はこちらが折れる事にした。

「…………ですが、確かにこのイタリカを失うのは惜しい」

 リハルドは一瞬、微かに唇の端を持ち上げたが、その後すぐに安堵の溜め息を吐き、一安心とばかりに肩の力を抜いて背もたれに体を預ける。

 その様子を見た議員はやはり若いと呆れつつ、「ただし」と付け加えて再度こちらに注目させる。

「ただし、一つ条件がある」

 三千の鎮護は奪われずに済んだが、今後ミュイと町民の安全を保ち続けるためには、三千の兵に匹敵する価値のある身代わりが必要となる。

 では帝国軍、ひいては皇帝が三千の兵の代わりに求めるものとは何か。沈黙する議員の目は真っ直ぐリハルドを見つめている。

「……俺に、また軍を率いよと」

 皇后の目と耳が届く安全圏に蛮族が侵入するのを待つよりも、諸侯を嚮導する残兵を率いさせて蛮族の陣地で戦死させた方が、帝国側にとっては得になると判断したらしい。

 リハルドの統制がなくなれば三千の兵は容易に帝都に呼び戻せる上、イタリカに残るのは幼いミュイと未亡人となったフォルマル家の長女、そして人口五万足らずの町民のみ。

(考えたな……確かに俺という旗頭を失えば、コルト義父(ちち)上の遺言に従う理由もない)

 こうしてイタリカに来訪したのも、所詮はリハルドという脅威を完全に排除するための前段階に過ぎない。しかし、このまま()()()()()()()に復讐を遂げられないままみすみす戦死するようでは、妻にも義妹にも姉にも、何より自分のために死んだ親友にも顔向けができない。

 ならば今は従うふりをして、機を見て帝国を裏切る他はない。親友との約束を果たし、腐敗した帝国を正すためにも。リハルドは椅子から立ち上がると、議員に深々と頭を下げる。

「了承致しました。イタリカの防備と町民に干渉しないと確約してくださるなら、この愚夫リハルドが必ず挽回を果たしてご覧にいれましょう」

 こうして、一人の英傑が再び戦場へと姿を現す事になる。この男の登場が、世界に如何なる変容をもたらすのか。それはまだ、誰も知らない。

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