寇討の天子   作:御代川辰

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皇子と皇女

「《……PRVNOCPSÆ(お初にお目に) ZO BARBEONVM(かかります), OTO NVSZORIO(夷狄の姫君)》」

 熾照(ししょう)(ちまき)を手に、拒むような口調でピニャに話しかける。目線は彼女に向けられてはいないが、目付きが暗い事が直ぐに分かるほど、二人の距離は近い。

 一口齧っただけのパンを一度飲み下し、残りを皿に戻すと、まず「どうも」と一言答えて手元のカップに手を伸ばし、紅茶を一口飲む。そして、緊張を抑え二人で自己紹介をし、彼の返答を待つ。

「《VGA SO LJV HO FO ZI(僕は黎國黝氏), CHEORAV PRVNOCPS ZJIEI CHANG(天嗣熾照です)》」

 同じように噛み砕いた(ちまき)を黄茶で飲み込み、呼吸を落ち着けて答えるが、やはり視線を隣に動かす事はしない。彼の祖父母と思わしき老翁(おきな)老媼(おうな)もまた、怒気を込めて拳を握っているように見え、兄と姉のようにも見える若い男女もまた、複雑な表情を浮かべている。

 やはり仇敵の血縁者が目の前にいると、どれほど経験を積んだ老人と言えど怒りや憎しみを抑えるのは難しいらしく、特に老翁(おきな)の瞳からは殺意もはっきりと見てとれる。

「そんな気遣いはやめてくれ……」

 帝国の侵略を受けた国の皇族という立場にあり、それも自分より年下の少年に流暢(りゅうちょう)な帝国語で話しかけられると、先日のデュラン王にあしらわれた時の事を思い出してしまい、強い自責の念に駆られる。

 父祖が大昔から繰り返して来た野蛮な行いを、誰一人として自制しなかったがために、今目の前にいる兵たちによる逆侵攻を招いた挙げ句、あろう事か彼らに助けられたのだからなおさら。

「よろしいでしょう」

 熾照(ししょう)以外の皇族たちは何も言わないが、これは年齢が最も若い彼への気遣いであると分かる。まだ立太子したばかりなのに一軍の将として前線に立ち、人が死に()く姿を目の当たりにするのみならず、自らの手で殺している。

 薔薇騎士団の騎士たちもまた、爵位を(たまわ)る貴族の若年の子女で構成されているが、直近で経験した戦闘はイタリカでの戦いのみであり、しかも前線で戦った者はピニャを含め数える程度しかいない。

 これに加えて同胞を目の前で殺され、その亡骸(なきがら)を目の前で凌辱される様まで見せつけられては、年若い者たちが精神的にやられるのは当然だろう。

 と、一人納得しつつ自分の手元へと視線を落とす。

「何故、私に声をかけたのだ?」

 幸いにも早い時期に包帯が取れたが、それでも切られた腱が繋がったところで、失った握力が回復する事はない。もう武器を持てる手ではなくなった、未だに鈍い痛みが走る左手を抑え、問い掛けた。

 返される答えは分かりきっているが、これからの未来と向き合うためには、どうしてもこちらから歩み寄る必要がある。自分も、彼も、まだ生まれていなかった時代の事だが、他四人、特に老齢の夫婦の姿を見るに、間違いなく27年前の侵攻での出来事を知っているはずである。

 もしもそうでなければ、あんなにも憎しみを込めた視線を、自分たちに向ける事はしない。もしもこの場に熾照(ししょう)が、皇子がいなければ、ピニャとボーゼスはあの四人に殺されていたかも知れない。

「分かっていながら問うのですか?」

 質問に質問で返すという事は、やはり()()()()()なのであろう。やっとこちらに向けられた少年の顔は、先ほどまでの暗い表情とは裏腹に憤怒と憎悪に染まっており、冷ややかな(さげす)みの感情も目に宿っている。

 何も知らない避難民を相手にしているなら、このような視線を向ける事などないのだろう。だが自分たちは違う。一国の代表という責任重大な役目を背負っていながら、知っている事を知らないとは言えないから。

「……私が皇族であり、帝国の代表として和平交渉に向かう身だから、だな……」

 言い終えて、またパンを口に運ぶ。熾照(ししょう)はその様子を見ながらこくりと(うなず)き、また(ちまき)を一つ頬張る。好物を食べる手が進まないほど苛立っていて、こうして八つ当たりをする程に憎い相手が近くにいる。

 誰であれ、辛抱し(がた)い怨みを知れば、押し止める事はできない。精神的に多感な年頃でしかも自分より若い少年が、今すぐにでも殴りかかりたい相手を目の前にし、ぐっと衝動に耐えているのだ。

 これに敬意を払わずして何とするのか。改めてもう一度理由を問うと、彼も口の中の物を飲み込み、再び口を開いて説明を始める。理由は二つあり、一つは先ほどもピニャの口から答えさせた、使節としての覚悟を推し量る事。

「もう一つは、僕の中にある貴女(あなた)個人への偏見を()()()ためです」

 短いながら問答をする時間を作り、対話を重ねる事で、本物の皇女ピニャ・コ・ラーダの実像と、自分の思う帝国皇族ピニャを比較し、偏見をなくす事が、本当の目的だと彼は言う。

 物事を知らない者が中途半端な知識を得て同じく知らない者に教えれば、中途半端な者から教わった知らない者の心中には偏見が生まれる。そして、偏見を持った者からまた別の知らない者に知識が教えられる時、偏見を持った者は更に自己解釈を加えて教える。

 中途半端な偏見しか持たない者が、何も知らない者に自分の偏見を教える事。これを何世代も繰り返せば、自然と視野の狭い者だけが現れる事になり、結果差別の激化や無理解を生じさせる。

 帝国もまた同じであり“必勝法を用いれば、どのような敵にも必ず勝てる”という盲信、“周囲にある国に住むのは、みな文化文明の劣る蛮族である”という偏見を改める事はなかった。

「……偏見をなくすために、腹を括ったと」

 その偏見と盲信に異議を唱える者を排除する、この上なく歪んだ体制を保ったまま、帝国は見せかけの繁栄の中で存続する事になる。こうして何度も侵略戦争を繰り返し、致命的な失敗を経験しないまま勢力を拡大し続けた結果、悪逆無道の帝国が生まれて今日(こんにち)に至っている。

 日本ではこれを負の成功体験と表現するらしいが、帝国の傍若無人な振る舞いに対する周辺諸国の抵抗や、国内で(しいた)げられている亜人の一揆が(ことごと)く失敗に終わっている。

 その結果帝国からの搾取や圧力、迫害が更に増す悪循環のおぞましさを思えば、まさしくその通りだと実感できる。

「本当は今すぐにでも、貴女(あなた)を殺してしまいたい」

 震える声で、はっきりと言葉が吐き出される。目元は微かに涙の跡があり、拳も強く握っているが動かす様子はなく、衝動を(こら)えている事が良く分かる。

 耐え(がた)いその怒りをぐっと飲み込み、乱れた息を整えてピニャとボーゼスに視線を向け直し、再び問い掛ける。家族、友、仲間、親しい間柄の人々の命が危険に曝された時、見捨てるという選択を取る事ができるのか。

 正直に言えば、判断に迷う。見捨てる事が正しい選択であったとしても、それが自分の親族ともなれば躊躇もするし、助ける方法を考えようとするのが人間。だから「そんな判断はできない」と答えた。

「その結果が儂と妻じゃ」

 だが、自らを熾照(ししょう)の祖父だと言う老爺(ろうや)は言う。何の疑問も持たず「他者を助ける」ために行動し、結果死に至った人がいたとしよう。

 もしもその人物が「他者を助ける事」が絶対に正しいと考えていて、誰の異見にも耳を貸さなかったのであれば、まさしく偏見で我が身を滅ぼした事にはならないか、と。

 自分の身を犠牲にしてでも民を救い、君主を助ければ国と血統は残る。〈壬辰夷寇〉の一週間、その信念に従って若い甥や姪、佳境に差し掛かっていた兄弟姉妹たちは、玉京の民の避難を先導し、あるいは都の消火に向かい、兵たちと共に夷狄の軍勢に挑み、そして死んでいった。

「交渉が失敗しても我が身を捧げれば国が助かる、と考えるのは思い上がりも(はなはだ)しいということじゃよ」

 故郷を焼かれて逃げ惑う最中、目の届かない場所で家族や民が殺されていく様を思えば、自分をいかに甘やかしていたかが痛いほどに分かる。それは今回も同じ。和平交渉が上手く運ぶ保証がない以上、安易な行動や早計な決断は(つつし)むべきであり、判断を間違えれば更なる戦禍が世界を襲うだろう。

 太上能徳(のうとく)の目は、三人の若者に向けられているが、とりわけ熾照(ししょう)を見つめる視線は厳格で、威厳に(あふ)れているように見える。

「(時と場合、そして相手を(わきま)えぬ者は、必ず悪い形で身を滅ぼす……)」

 小さく呟きながら反対側を見れば、まだ席から離れていない青年がそういう事だとばかりに(うなず)き、また「臆病ゆえに安全を求め過ぎる者も同じ」と続けた。

 もう一度熾照(ししょう)へと目をやるが、やはり表情は変わっていない。多くの軍兵(ぐんびょう)に囲まれている中で、はっきりと自分たちを殺したいとまで発言しただけはあり、帝国の政権を担う者の肉親であるピニャへ向ける心象は変わっていない。

 自分が生まれる前に起きた事でここまで感情的になれるのかと思うが、それが原因で自分の家族になる人々が命を落としたとなれば、きっと自分たちでも怒りを抑えきれない。

(まだ成人して間もないのに……私も精進せねば)

 気付けば、三、四人ほどの自衛官や黎國の将兵たちが食器を片付け始めており、携帯する装備の点検をしている者の姿もある。隣席する青年も席を立ち、自分の食器を持って洗い場へ向かう。

 だが先ほどまでに青年がいた席に置かれている懐中時計の時刻は、まだ10時10分を示している。ならば時計の許す限り、自分が抱く(ゆう)熾照(ししょう)への偏見を正すためにも、言葉を交わす他にない。

 こうしている間にも、時間は過ぎていく。日本出発へのタイムリミットが迫っている。彼の唇が動き、また言葉が放たれた。

貴女(あなた)にとって、国とはなんですか?」

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