寇討の天子   作:御代川辰

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威風堂々

 演壇に立つべく席から離れたトレアスだが、リハルドも同時に自席を離れて演壇へと向かう。その様子を見た議長は直ぐ様制止を呼び掛け、自席に戻るよう(うなが)すが、リハルドは顔を横に振り、怒気を孕んだ口調で答える。

「彼は日本語を理解できないのに、そちらは通訳を用意していないのか?」

 この場にいる議員たちが帝国語を理解できないように、帝国側の捕虜の殆んどは日本語を全く理解しておらず、また完璧な通訳ができる者は黎國側にしかいない。

 よって、トレアスから公平な証言を得るには日本語を話せる現地人の通訳が必要になり、その通訳ができる人間も現在ほぼ全てが特地にいる。野党にとって有利になり得る証言をさせるのは、かなり難易度が高いと言える。

 さらに通訳する事には何の問題がないため、なおさら不可能に近いだろう。この際二人いっぺんに質疑に答えさせた方が、余り負担にはならないと思われるという事もあるが。

「……よろしい、認めましょう」

 議長の承認に「ありがとう」と一言だけ返し、トレアスの立つ演壇の隣に立つと、咳払いをして正面を見据える。400人超の議員らの視線が向けられ、黎國の将兵が撮影機械と呼び、先程まで糸崎(いとさき)を中心に映し出していた大きな機械も動く。

 かつて元老院で600人もの議員を前に演説をした経験はあるが、その時は緊張の欠片もなく、ただ雄弁に語る事が出来たのだが、今はその時とはまるで違う。

 あの訳の分からない機械を通じ、帝国の総人口を上回る数、それこそ何千万人、何億人とも知れない人々が自分たちの姿を見、そして声を聞いている。数年ぶりに緊張している事を自覚し、思考と注意がやや散漫になっており、今になって先の発言を撤回するべきかと迷いが生じる程だ。

「では、参考人トレアス・アグアン氏、と参考人トレアス・アウルム氏への質疑を始めます」

 早速野党席から手が挙がり、一人の議員が立ち上がって席から離れ、質問者席に立つ。その男は灰色の髪を短く切り揃え、威厳がある、というよりは恐怖を抱かせる印象を持つ強面の老人であり、彼がかける眼鏡を通して見える目も、鵜の目鷹の目の如く隙がなく、底知れない力を放っている。

 現職最高齢、無所属の中道派議員五十嵐(いがらし)佐太郎(さたろう)。雄弁を嫌う寡黙な男であり、しかしその風貌に(たが)わぬ発言の説得力から根強い支持を受けるベテラン。

 その口から吐き出される問いは、至極単純なもの。

「捕虜収容所では、自衛隊及び黎國軍からの虐待、暴行等の不当な扱いを受けてはいないか」

 低く野太い声が議場に響くと、ざわざわと聞こえていた音や声がぴたりと止まり、しんと静まり返る。リハルドとトレアスの耳には、自身の心臓の脈拍だけが聞こえている。

 そのように錯覚する程に静かで、それだけの緊張感を持たせる覇気を、あの老人は持っている。五十嵐(いがらし)の声を耳にした時、最高齢の三人とて少しばかり動揺した。

 年の瀬は余り変わらないように見えるが、自分たちの持つものにも劣らない覇気や威厳を持つ者は、黎國内でもなかなかいるような人物ではない。

 まさに驚天動地の事態である。

(皇帝を前にして尚動じない自信のあった俺が、たかが元老院の一議員を相手に足を(すく)ませるだと……)

 一言が発せられてから十秒足らずで、全てが凍りついたかの如き変化が生じたのだから、皆一様に冷や汗を垂らして見守っている。

 実に30秒、トレアスは呼吸すらも止まったような感覚の中で、何とか意識を取り戻して呼吸を再開し、頭痛と過呼吸で倒れそうになるのを(こら)え、返答する。

「《NONA JAIQVIE…… GATZO ISTA……》」

 これにはっとしたリハルドはようやく足に力が入り、聞こえた声をたよりに一歩後ろへ下がると、演壇にいくつか置かれているマイクの一つに恐る恐る口を近づけ、「不当な扱いは受けていない」と伝えた。

 生きた心地がしないとはまさにこの事で、爆発しそうな程に心音が大きくなっていき、精神を圧迫されている感覚が全身を駆け巡っている。なぜ今まであの男の存在に気付かなかったのか、誰も気に留める事すらしていなかったのか、理解できない。

 可能な限り事実を答え、真実を述べ続けていると、また5分程度が経過する。今質問者席にいる男一人が放つ氣の力で、たった数分という短い時間が軽く五倍、あるいは十倍も長く感じられ、言い終わる頃には頭が真っ白になっていた。

「……質問の……返答は以上だ…………」

 糸崎(いとさき)のものと合わせて四つの質問にしか答えていないのに、議員も来賓も、カメラマンたちさえも、床に分かりやすい染みを作るほど汗だくになり、涼しい顔をしているのは五十嵐(いがらし)ただ一人。

 一通り通訳越しに答えを聞き入れると、「こちらからも質問は以上」と、何事もなかったかのように自席へと下がって行く。同時に場にいる全員の緊張の糸も切れ、一気に脱力したような感覚に(おちい)り、特に熾照(ししょう)、レレイ、テュカは(おおやけ)の場ということも忘れてどっかりと背もたれに身を任せている。

(……どんな人生を歩んだら…………)

 こちらに背を向け、議席へと戻って行く老人の背中を見詰め、なんとか姿勢を正しながら思う。まるで戦わずして戦に負けたかのような、決定的な敗北感が少年の心中を満たしている。

 純粋な戦闘能力では、自分は愚か素手のレレイにすら劣るやも知れぬ老体が、姿を現しただけであるこちらの戦意を根こそぎかっさらっていき、そして自分の席へ戻るだけで覇気をきれいに引っ込めた。

 気配の有無だけで勝敗を決め、言葉一つで勝負すらも決める。70年以上大きな戦争を経験せず、あったとしても国境上での小競り合いで時折死人を出す程度の日本で、場にいる全員を怖じ気づかせるほどの気風を持つこの男の、内に潜めている力は計り知れない。

 本当に、一体どのような人生を歩み、全体どのような経験を積めば、あの恐ろしい威圧感をいとも簡単に見せつけ、隠す事ができるのだろうか。だがトレアスの返答も、リハルドの通訳も、内容は何一つ頭に入って来ず、ただ圧倒されていただけで数分が経過しているのは事実。

(……彼女に劣っていない……)

 ふとロゥリィの方を見れば、他の者が脂汗を喉や額から(あふ)れさせているのに対し、微かな汗すら(にじ)ませる事もなく、まるで感心しているかのように五十嵐(いがらし)の姿を目で追っている。

 日本の参議は残らず腐敗しているものという先入観が否定されたばかりか、とんでもない風格を持つ男を知ったものだと、能徳(のうとく)は少しにやけ顔を浮かべる。

 斯くして、正気を取り戻した議長は一度詫びの言葉を入れ、再び質問者を募り、今度は与党席の議員が手を挙げて問う。この質問に答え、二人が席に戻った後は、いよいよ伊丹(いたみ)たちの順番。

 だが自衛官らは五十嵐(いがらし)の覇気にあてられ、放心状態から回復するのにまだ時間がかかりそうだ。

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