『当電車をご利用のお客様にお知らせします』
と、電車内のスピーカーからの案内音声が始まり、続いて『神谷町駅で五人が巻き込まれる人身事故発生』という、誰が聞いても耳を疑う内容が電車内に垂れ流される。
特地の人物らは案内音声の内容よりもどこからともなく声が聞こえた事に驚き、黎國の将兵は一斉に潘廻を睨み付け、彼女はさも何も知らないとばかりの態度を見せると、電車の中であるにも関わらず堂々と洋酒を開けようとし、宋娟と領武は後頭部目掛けて拳骨をぶちかました。
「《此爾汝人某事暴職止自制情為》!」
普段の勤務態度も然る事ながら、脅威を排除するという名目のもと陰湿極まる手段を用い、結果人死にを出すに至れば本来なら斬首案件である。
だが実際にあらゆる形で害を被り、工作員の存在が明るみになったところで、向こうが工作止めるはずなどないため、またも不問とするのは仕方がない。
その後も『被災者の救助と運転見合せのため、最寄りの虎ノ門駅で一時停車する』と放送が入り、能徳らは頭を抱えて後始末を思案するしかなかった。
一割程度は妨害工作をしようとした諸外国の工作員の責任だが、潘廻の独断による過激な報復のせいで予定が大幅に狂い、最寄り駅の虎ノ門駅で一度降車し、本当に徒歩で東京郊外を目指す事になってしまった一行。
大使館にせよ特使団にせよ、基本的に迷惑しかかけられていないとはいえ、いくらなんでも日本国内での人殺しは容認できない。国会参考人質問で熾照が放った、「死んでしまえ」発言の直後ともなればなおさら、混乱は避けられないだろう。
戦時中であろうと許されない事だが、もう何度特例が出されたのか見当もつかないのも事実。
「よう、また会ったな!」
そして、降りた駅にはひどく苛立った様子の均那、そしてまたしても駒門が待っており、車輌から降りる自分たちに手を振っている。
情報漏洩防止のため、自衛官らは携帯電話を持たされていないはずだが、一体どうやって探し当てたのだろうかと、神出鬼没のあの男への疑問は尽きない。
特にトレアスはある種帝国より優秀な隠密行動に度肝を抜かれ、リハルドは驚く事にさえ疲れたらしく興味も示さず、伊丹は呆れにも似た態度で応対し、その他の面々もそれぞれ反応は異なる。
自衛官らと駒門が何かを話し合うのを他所に、機嫌最悪の均那は真っ直ぐ潘廻のもとへ向かい、無茶苦茶な指示への文句を喚き始め、そこから口論が始まっている。
他の利用客らはその様子を見ないようにしながら続々と駅から離れて行くが、人目も憚らず言い争いをする二人の恵まれた容姿、特に軍人らしからぬ艶を持つ髪に目を奪われる者も少なからずいるようで、その周囲に立つ美男美女、貫禄ある老人たちをちらちらと振り返る客もいる。
「お前ら、もう喧嘩はやめろ。時間圧してんだよ」
しかし今は悠長に時間を浪費していられる状態ではなく、理丸が二人を抑えて仲裁している間に、宋娟はいつの間に駒門、伊丹らの輪に入り、今後の予定を話し合っている声が聞こえる。
他方では黎國の将らも集まり、警護担当の組分けと配置を相談しているのだが、よく見れば彼らの手には広良が大使館から無断で持ち出し、今さっき渡されたと思われる中央区とその周辺地区の地図、そして駅で無料配布されている小冊子があり、目的を視察ではなく観光に変えようとしている事が分かり、理丸は盛大に溜め息を吐いて膝を着く。
だが誰一人として彼の疲労感満載の姿には目もくれず、今この時まで溜め込んだストレスを吐き出すかの如く、各々自由に、というか現実逃避気味に色々と話し合っており、もうしばらくここで足を止める羽目になった。
ここで、イタリカの領主邸に設えられた庭園にいる人影へと視点を変えると、そこには自己申告によって療養休暇を返上し、早くもイタリカ駐留特使として職務に復帰した鵬陽と、彼女の護衛のため半ば強引に連れて来られた寸星五、そしてイタリカに残留している薔薇騎士団の騎士グレイ・コ・アルド、ミュイ・フォルマルなど、実に十人近い人の姿がある。
そして鵬陽がここで何をしているのかというと、恥ずかしがるミュイと女中のアウレアを膝に座らせ、まるで我が子のように愛でているのである。
その目の周りの黒い隈はまだ残っているものの、顔色は明るく朗らかに見え、健康状態はだいぶ回復しているようであり、痩せこけて見えていた頬も肉付きが良くなっている。
ノイローゼもすっかり治ったようであり、見るからに全く気分がよろしいようで、むしろ元気があり余っているようだ。
「あっ、あのっ、バーユオさん!こっ、これは本当にダメですっ!」
ミュイは火が着いたように顔を真っ赤にし、自分たちを膝から下ろすように促すが、これは恥ずかしさ八割、外交問題への配慮二割と大幅に私情が絡んだものであり、アウレアもいい歳をして他人の膝に座らされ、しかも同性から良からぬ事をされている恥辱で失神しかけている。
そして、外交官の護衛という名目で慰安旅行のお供同然の出張となった星五は、自分が何を見せられているのか全く理解していない様子で、和やかな雰囲気を微笑ましく眺めており、全く止める様子がない。
これにはグレイも頭を抱え、一度アルヌスへ使節を送って特使の職務放棄甚だしい行為を報告し、交代の特使を送り直してもらうべきかと考え込む始末であり、ちらりと庭園の方へと視線を向ければ、他の女中たちも頬を真っ赤に染め、鵬陽の助平ぶりを凝視しているのみ。
「《佳嬢極悦!》」
感極まって叫ぶと同時に周囲の人々は耳をふさぐが、抱き抱える二人が急におとなしくなったのを不思議に思い、視線を下へと落として確かめると、未だに頬を朱色にしたまま耳を手で覆うミュイとアウレアがおり、やっと現実に引き戻される。
自身も顔を赤くしつつ二人から手を放して膝から下ろすと、顔を両手で覆い隠しながら一言謝罪し、ミュイは「いえ」と苦笑いを浮かべて改めて向かいの席へと座り、今度こそ対談が始まろうとしていた。
ミュイと鵬陽による二者対談が始まった頃、ようやく目的地を定めた30名超の国賓と自衛官10名らは、すっかり人が少なくなった地下鉄駅を抜け、階段を上がって再度地上へと顔を出す。
ロゥリィは地下から地上へと脱出した事で、また活き活きとした余裕のある表情を取り戻し、レレイはやや不満そうに糸崎を睨み、名残惜しげに地下鉄駅に通じる階段を振り返る。
リハルドは今頃酔いが回ったのか頭を抑え気分が悪そうなトレアスを支え、桑原は呆れる。時計を見れば時刻は午後一時半で、時間的には余裕があるのだが念のため、解散後は午後五時までに再度帝国ホテルに集合する旨で打ち合わせている。
(俺たち、何しに来たんだっけ……)
政府関係者の案内のもと、政府の関係使節を視察するだけのつもりが、案内兼護衛の自衛官が引率するただの観光旅行になってしまったのには、戦時中とは思えない東京の景色と相まって悲哀のような感情が湧く。
だが年齢不相応な容姿と精神性のテュカ、千年近く生きているにも関わらず俗世を棄てきれないロゥリィ、大人びているが年齢相応の感性を持つ遊びたい盛りの熾照、何よりもともと好奇心が強いピニャ、ボーゼス、レレイの存在を考慮すれば、視察だけで終わらない事はまあまあ理解できる。
小邦は溜め息を吐きつつ、自身が護衛を務める能徳と宋娟を引率する黒川の隣に立ち、しっかりと帯を整えて得物の太刀を確かめると、目の前に広良が近付いて来る。
彼女から「支払いにはこれを使え」と渡された財布には、いつ手に入れたのか現金十万円がぎっしりと詰まっていた。周りを見れば賓客35人の手に財布が握られており、同じ額ずつ渡されたとするなら計350万円の大金が今自分たちの手元にある事になる。
顔面蒼白の大鯉が慌てて問い質すと、彼女は済ました態度でこう答える。
「お客様一人の食事代にさえケチをつける連中がいるのよ。償うならこのぐらいは出して貰わないと」
恐らく一度は首相官邸に入った、ということだろう。