寇討の天子   作:御代川辰

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憂鬱

 東京が正午を一時間過ぎた頃、日付が変わる数時間前のワシントンD.C.。この日も勤務時間が真夜中まで超過し、頭痛と倦怠感、猛烈な眠気で苛立っていたディレルは、ホワイトハウスの執務室に腰掛け、CIA長官を介する事なく工作員から直接連絡を受けていた。

 報告の内容はもちろん任務失敗を伝えるもので、ただでさえ頭に血が上っている彼の火に油を注ぐのは目に見えており、実際に彼は怒りの余り卒倒しかけている。

「《I told you not to make(穏便にと指示したのに) the situation worse(何を考えている)!?》」

 ディレルが激昂している理由はただひとつ、“明確な命令違反により、味方が致命的な損害を(こうむ)った”、という余りにも情けない報告内容によるものである。

 数が減ったとはいえ未だに他国の工作員が生き残っている中で、こちらも工作活動を続けるのは厳しい程に人員が不足している。そのため予算節約と戦力の温存を兼ねて、あまり大きな行動を起こさないように厳命していたのだが、この判断に至ったのには数日前に中国国家主席(とう)徳愁(とくしゅう)から、ディレルに直接かかってきた国際電話が関係している。

 特使団帰国日での一件により、国家保安部が日本に潜伏させていた工作員部隊が壊滅し、今後の工作活動に支障(きた)す状況となったために、情報収集と状況分析に注力させていたのだが、黎國側の代表者は今回の参考人招致に際し、最高戦力とも呼べる化け物ばかりを護衛として引き連れている。

 ビル街を漫画の忍者のように飛び回る彼らとは違い、どこまで行っても普通の人間であり、どれだけ鍛えても常人に毛が生えた程度の地球人の工作員では、黎國の将軍らにはまず歯が立たない。

 このため帝国の人間はともかく、黎國人の拉致や殺害は困難であると忠告を受けていたのだが、他国の工作員が尚も行動を起こしている事に焦った現場の独断により、上に判断を仰がないまま妨害作戦を行ったのだという。

「《All agents in Tokyo(東京の人員は) should be sent home(総入れ替えだ)!!》」

 怒気を込めた力強い言葉遣いで、電話口に向かって叫ぶ。一度目こそ自分自身の判断ミスが原因であったために、現場の人間に責任を問えるような立場ではなかったが、二度も死傷者を出す失態を犯したばかりか、それが命令違反の結果であればもう黙ってはいられない。

 日本政府の関係者ならまだしも、他国の工作員や黎國の将兵に、工作員の顔、または声を知られている可能性がある以上、同じ人員を使い続ける事は致命傷にしかなり得ず、こうなっては打つ手が限られてくる。

「《Replacement agents will,(代替は最寄りの埼玉と) be assembled from(神奈川の両県の) Saitama and Kanagawa(人員で再編成させる)!!》」

 もちろん諜報員、工作員が一斉に動きを見せなどすれば、「まだ敵が潜んでいる」と教えているような物で、その上で東京都の人員の大部分を撤退させるのは手痛いが、まだ野党とメディアの目が光る日本としては、派手な動きを見せる事は難しいだろう。

 何よりこちらもロシア、中国などが付け入る隙を見せる訳にはいかず、時間稼ぎの意味もあるために迅速にならざるを得ない。また特地の土地開発、資源の取り扱いに関わる利権の取得を確実なものとするためにも、日本の発言力を低下させる事は必須である。

 しかしもちろん懸念材料と障壁も多く、現状最大の難点は黎國への対処であり、駐日大使館を通じて何度も国交開設交渉を繰り返したのだが、度重なる妨害と迷惑行為、そして先日の大使帰国に(ともな)い、露骨に辟易とした態度で幾度となく追い返されている。

 このような状態であっても当初は問題視されず、国内の大企業にとっては一時は第二のフロンティアとも目され、諜報などせずとも日本政府公報を通じ、情報が開示されるのを気長に待っていた頃はよかった。

 ここまではよかったのだが、詳細が明らかになるにつれて不安要素が垣間見えてゆき、地球人口を大幅に上回る総人口もさることながら、それらを統制する徳治仁政と表される圧倒的な政治的安定性は最大の脅威と言え、これらの要因からかつての黄禍論の如く、黎國脅威論を掲げて排除を求める動きが現れ始めるほどに世論は荒れている。

 一通り指示を終えたディレルが電話を切り、また一人で頭を悩ませるが、(ゲート)ひとつと特地の利権を手に入れるために、ここまで苦労する事になるとはと恨みを募らせる。

(何とかこちらが有利に立つようにしなければ……)

 現状最も幸運なのは、日本が黎國に武器供与と軍事教練を(ほどこ)していない事であり、人口資源のみならず天然資源も豊富であると予想でき、また内燃機関の存在を認知しているところから、大央華全体の技術水準は地球で言う近代程度と思われる。

 後は適切な指導を受けて必要な技術と設備さえ揃えば、すぐにでも近現代兵器の生産が可能な状態で、そうでなくとも身体能力が異常に高い、言わば人間離れした人間が大量に集まっている。

 加えて地形を作り替え、天候を(あやつ)る力を有する怪物まで棲み着く地域があり、それらを軍隊が飼い慣らし、生体兵器として運用しているのだ。

 特地で自衛隊と黎國軍が協力して駆除した炎龍(フレイムドラゴン)は、皮膜すら小銃弾を通さない強靭さを持ち鱗も戦車に耐える強度であるが、それでも飛行能力を持つ戦車と表現できる程度の危険度でしかなく、誘導弾を何発か撃ち込めば確実に撃破できると思えばまだ(やさ)しいと言える。

 だが黎國のドラゴンは東洋龍(アジアンドラゴン)、つまり天候の支配を得意とする種族である。悪天候を永続的に維持できないにしても航空戦力の完封は脅威であり、地上戦でも突然塹壕や堀が現れたり、海戦であれば津波などで容易に戦況を(くつがえ)す事ができ、その気になれば多少の巻き添えはありつつも、敵地への直接攻撃もできる。

 しかも万一敵対する事になっても、今回の敵は異世界におり、ほぼノーリスクで大損害を与える事が可能なため、こちらが気付かぬうちにたった一頭でも連れ込まれれば、それこそ危機的状況というものである。

「《Are you O.K.(分かったな)!? Be sure to comply is command(命令は絶対だぞ)!!》」

 歪むほどの力で握り締める受話器を乱暴に本体に叩きつけ、不機嫌な表情のままどっかりと椅子にもたれると、ポケットから頭痛薬を取り出して口に含み、机のペットボトルを掴んだ。

 全く苛立たしいとばかりに、改めて先ほどのやり取りを思い出す。指示の内容はまず神奈川県、埼玉県に展開している工作員部隊のうち、40人の人員を東京に集めて現地の残存部隊を撤退、帰国させた後、こちらが直接指示を出すまで監視と情報収集、定時連絡のみに専念する事。

 次に今後直接命令を下した際、こちらからの別命がなくとも命令内容の遂行が困難、または不可能と判断できる状況に(おちい)った場合、必ず撤退して被害を最小限に止める事。

 応対した責任者の疲れきった口調からも、ディレルはこの屈辱的状況に嫌気がさしており、本来ならCIAの業務であるはずの工作員らのための逃げ道を、わざわざ自分が作らなければならない事にも頭を痛めている。

徳愁(デーチョウ)……お前を認める他にないようだ)

 だが、未だに収まらない頭痛の中で、あの男の震え声ははっきりと思い出せる。はじめは自国に有利な状況を作るための出任せだと一蹴したが、後から深く考えればただ事ではないと気付く。

 一度失敗があった以上、二の舞になる可能性は充分にある。失敗を繰り返さないために何があっても工作に動かさず、諜報のみに集中する用心深さは、自分と同じ野心家の徳愁(とくしゅう)であるとは思えなかったが、現状を見れば確かに理に叶った選択と言えよう。

(決して切れ者ではないが、少なくともお前の判断は正しい。断言しよう)

 ディレルは汗を一筋だけ(たら)し、奥歯を噛んだ。

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