「イレブン、ちょっといいかしら?」
初秋のありふれた日曜日、ソファで本を読みながらコーヒーを飲んでいた僕に、母エレノアがキッチンから出てきて言った。母が家にいるのは久しぶりだった。
「なあに?母さん。」
「来週から家庭教師を頼もうと思うのだけど…」
「家庭教師?僕、別に成績悪くないよ?」
「わかってるわ。ちょうどママの友達の息子さんが家庭教師の仕事を探しているのよ。あなたも今は高校生。段々勉強も難しくなるし、早いうちに手を打っておくに越したことはないでしょ?」
「うん、それはまあ…、そうだけど。」
「決まりね!ペルラさんにも伝えておくわ。」
ペルラさんは週に5日ほど家に来てくれる家政婦さんだ。仕事柄ほとんど家にいない母と帰りの遅い父の代わりに、幼い頃から僕を実の息子のように世話してくれた。
「何でペルラさん?僕が学校から帰る前に帰ってしまうのに。」
「レッスンの日はペルラさんに彼の分の夕食も用意してもらおうと思うの。あなたも彼と一緒に食べるといいわ。彼女が住み込みで働いてくれていた頃はよかったけれど、あなたが毎日のように一人で夕食を食べていると思うと胸が痛むのよ。」
「もう慣れたよ?」
済まなそうな顔をする母に僕は何でもないことのように笑って見せる。今は家庭を持っているペルラさんは、僕が中学に上がる頃には通いで昼間だけ働くようになった。
「孤独に慣れてはダメ。誰かと一緒に摂る食事は楽しいものよ?」
エレノアが『ね?』と同意を求めるように首を傾げてみせる。僕はいつものように物分かりのよい息子の返事をする。
「そうだね。ありがとう母さん。」
「それでその……明日からまた暫くツアーで留守にするけれど……」
エレノアが躊躇いがちに告げる。歌手である彼女は年に何度もライブツアーをしていた。
「大丈夫だよ。お仕事頑張って。」
僕が微笑むと母もほっとした様子で微笑んだ。
*
「あなたの仕事、見つけてあげたわよ。」
帰宅するなり、養母のリーズレットが上機嫌で告げた。ローテーブルにパソコンを置いてソファでレポートを打っていた俺はタイプする手を止めて彼女を見た。
「仕事?」
「そうよ。バイトしたい、って言ってたじゃない?家庭教師よ。相手は高校生の男の子。」
そう言うとリーズレットは腕を組んで痛ましいものでも見るような目で俺を見た。
「マヤがいなくなってからあなた、寂しそうだから。弟みたいな存在ができれば少しはいいかな、って。」
マヤは俺の妹で、少し前に全寮制の女子高に進学し、今は家にいなかった。
「俺は別に寂しくなんてないぜ?」
「強がらなくていいわ。私もシャールもあなたたちとあまり一緒にいてあげられなくて悪かったと思っているの。」
二人は女性同士の同性婚で、リーズレットは女優、シャールは市長で仕事は多忙を極めた。「別に…育ててくれただけで…」
俺が4歳、妹のマヤが1歳のときに養子になってから、経済的には何不自由なく育ててもらったのだが、リーズレットの言う通り、マヤが進学して寂しく感じていた。結局、寂しさを紛らわすためにバイトでもしようと思い立ったのだ。
「そんなこと言わないの。」
リーズレットは俺の隣りに座って顔を覗き込み、額をつん、と指で押した。
「とにかく、来週からだから、頼んだわよ?」
そして華やかな笑顔で微笑み、片目を瞑ってみせた。
*
前庭に車のアイドリング音がして、イレブンは腰を浮かせた。時間通り。今日は初めて家庭教師が来る日だった。車のドアが開いて閉まる音がした後、程なくしてチャイムがなった。イレブンがインターホンに出る。
「はい?」
「あー、家庭教師に来たカミュ、です。」
「今開けます。」
イレブンが鍵を外しドアを開けると、夕暮れ時のオレンジ色の空を背景に、自身より幾らか小柄な、撥ねた青髪の青年が立っていた。ごくシンプルな草色のトレーナーとジーンズにキャンパスバッグ。
「初めまして…?」
カミュが右手を差し出したが、イレブンが動かないので不思議そうに見返した。イレブンははっとして右手を差し出し彼に握手を返す。
「僕はイレブン。よろしく。入って?」
――今、僕、見惚れてた?
内心狼狽えつつイレブンが身体を避けると、カミュがドアを通って家の中へと入る。
「こちらへ。」
イレブンがドアを閉め、リビングへと案内する。そしてダイニングテーブルに片手を載せ、青年を振り向いた。
「ここでレッスンをお願いします。」
「ああ。…と、その前に、これを。」
カミュが鞄から一枚の紙を取り出し、イレブンに手渡す。そこには学生証のコピーと連絡先が書かれていた。
「レッスンを休む場合は3時間前までに連絡してくれ。まあ、早い方がありがたいが。3時間を切ると料金はもらうことになる。覚えておいてくれよな?」
「わかった。」
カミュの連絡先から目を上げてイレブンが答える。
「じゃあ、早速レッスンを…」
「あ、そうだ、飲み物を用意するよ。コーヒーでいい?」
カミュが教材を用意する傍ら、イレブンがソワソワと尋ねた。
「何でも。」
カミュはふ、と微笑った。
今日のレッスンは数学だった。隣に座り、穏やかな声で勉強を進めるカミュをちらちらと盗み見る。空色の瞳、通った鼻筋、艶やかな唇。
――綺麗な人…
夢見心地で、一時間のレッスンはあっという間に終わってしまった。
「……よし。今日はここまで。それにしてもお前、俺が教えなくても全然大丈夫に思えるがな?」
「あ、えーと、これからますます勉強が難しくなるし、早めに対策を、って母さんが…」
カミュが首を傾げたのでイレブンは急いで言った。
「へぇー、しっかりもののお袋さんだな?特に重点的にやってほしいところがあれば遠慮なく言ってくれよ?それじゃ、俺はこれで。」
「あ…待って!」
ドアに向かおうとするカミュにイレブンが慌てて声を掛ける。
「うん?」
「か…家政婦さんがね、君の分の夕食も用意してくれたんだけど、よかったら、食べていかない?」
「そいつはありがてえ。どのみち夕飯は帰りに買おうと思ってたんだ。」
カミュはにっこりと笑った。
ペルラが用意してくれた夕食を食べながら、二人は学校のことや家族のことなど色んな話をした。
「え?じゃあお前の母親はあのゴシックメタル歌手のエレノアなのか?」
「君の養母は女優のリーズレットなの?二人が友達だなんて知らなかった。」
「俺も。…ああ、そういやリーズレット主演の『氷の魔女』って映画のテーマソング、エレノアが歌ってたよな?」
「ああ、そうだ!思い出したよ。映画も観たけど、リーズレットの邪悪な感じがすごく…リアルだった。」
「ふはっ、スクリーンの中では恐ろしい魔女でも家では優しいんだぜ?」
「へぇー、そうなの?」
夕食を食べ終えた後もすっかり話し込んでしまった二人だったが、カミュがふと時計を見た。
「あー…、すっかり長居しちまった。済まなかったな。そろそろお暇するぜ。」
「ううん、とても楽しかったよ。」
立ち上がり、二人でドアへと向かう。
「それにしてもお前んとこの家政婦さん、料理上手だな!」
「うん、ペルラさん、って言うんだけど、中でもシチューが絶品なんだ。今度君が来るとき作ってもらうよ。」
「楽しみだな。」
「次は木曜日だ。宿題しておけよ?」
玄関先で振り返ったカミュがイレブンの胸元に拳を軽く当てた。
「うん!」
刹那、衝動的に彼を抱き締めたいと思ったが、イレブンはただぎこちなく微笑んだだけだった。
「じゃーな、おやすみ。」
カミュは前庭に止めた車へと乗り込み、帰って行った。イレブンは溜息を吐いて彼の車が走り去った門を暫く見つめていた。
*
木曜日の夕方、時間通りにカミュはやってきた。
その日のレッスンは地学・化学をやったのだが、イレブンは応用問題まで楽々と完璧に解いてみせた。
「……驚いたな。お前の頭なら間違いなく学校でもトップクラス…いや、トップ、だろ?」
「ううん、僕より成績いい人もいるし…」
――ベロニカとかセーニャとか。
「すげえな。…まあ、苦手なとことかあれば、訊いてくれ。今日はここまで。」
カミュが教材を片付ける。
「じゃあ、夕食の準備するね!今日はペルラさんのシチューもあるんだ!」
イレブンが元気よく立ち上がった。
「おおー。……あ、そうだ、イレブン。」
「何?」
「今日はあまり長居できないんだ。この後もう一人生徒を持つことになってよ。」
「え…じゃあ夕食は…」
「いや、まあ、飯食う時間くらいあるけどな?」
「よかった。すぐ用意するから!」
イレブンはホッとして明るい笑顔を返した。
――誰かと一緒に摂る食事がこんなに美味しいなんて。
夕食をともにしながら、身の回りで起こった出来事や気になっていること、好きな本や音楽のことなど、色んなことを話した。
――カミュの目、すごく綺麗。
自身に向けられる彼の笑顔を見ながら、イレブンは思った。そしていつの間にか、快活な調子で話すカミュのよく動く唇を見つめていた。
――あの唇に、いつか触れることができたら。
「イレブン?」
名を呼ばれてイレブンははっと我に返った。カミュが怪訝な顔でこちらを見ている。
――僕は今、何を考えていた?
「あ、ごめん、ちょっとぼーっとしちゃったみたい。」
「疲れが溜まっているんじゃないのか?今日は早く休めよ?……俺もそろそろ行くよ。」
カミュが席を立つ。イレブンはカミュをポーチまで見送り、走り去っていく彼の車に手を振った。
「……」
車が行ってしまうと、イレブンは心にぽっかりと穴が開いたような気持になった。一人の時間が、ひどく寂しく感じる。
「今まで寂しいと思ったことなんてなかったのに…」
呟いて、夜空に細やかに瞬く星を見上げた。
*
『もう一人の生徒はお前と違って教え甲斐のある生徒でよ。』
笑いながら言っていたカミュの言葉を思い出す。イレブンは月木、もう一人の生徒は木曜日のイレブンの後の時間と、火曜日にレッスンを受けているということだった。
――もう一人の生徒にもあの笑顔を向けているんだろうか。もしかしたら、その子も僕みたいにカミュのことを好きになるかも……?
カミュが来るようになって数週間。イレブンはもう完全に彼に惹かれていることを自覚していた。
――彼に毎日でも会いたい。レッスンじゃなくてデートしたい。あの蒼い瞳が僕だけを映して微笑んでくれたなら。
スマホに登録した彼の連絡先を見てはタップする勇気が出ずに何度溜息を吐いたかしれない。今も、弄っていたスマホを持った手を膝の上に落とし、イレブンは溜息を吐いた。
「やあイレブン!こんな処でどうしたんだい?」
肩をポン、と叩かれてイレブンは顔を上げた。クラスメートのファーリスが覗き込んでいた。今は昼休みで、ほとんどの生徒は外のベンチや日当たりのよい芝生の上でおしゃべりしたり散歩したりしていて、今イレブンがいるような日当たりの悪い校舎脇の片隅には誰もいなかった。
「いつものように美少女軍団といないのかい?」
ファーリスが言っているのはベロニカ・セーニャ・エマのことだ。彼女たちは仲のいい友達だが、一緒にいると男子は近寄りがたいらく、イレブンにとって友達と呼べる男子はファーリスだけだった。
「ああ…、何か色々探られそうで…逃げてきたんだ。」
昼休みは彼女たちと話しながら外でのんびりと過ごすことが多かったが、数日前に聡いベロニカが『あんた最近変よ?』と言い出してから他の二人もすっかり詮索モードになったため、イレブンはここ数日、人気のない学内の片隅で一人で過ごしていた。
「女子が詮索するって、恋愛絡みのことかな?」
ファーリスが顎に指の甲を当てて考え込む。
「彼女たちはそう思ってるっぽい…」
実際恋煩いなのだが、ファーリスに話せば彼女たちにも伝わることは確実なのでイレブンは適当に濁した。
「うーん…確かに君、最近何か悩んでるように見えるよね?」
――僕ってそんなにわかりやすいのかな?
「同級生とかには言いづらい悩みなら、年上の人に相談してみるのはどうかな?僕は火曜日と木曜日に大学生の家庭教師に来てもらっているのだけど、彼を紹介しようか?」
――火曜日と木曜日?大学生?
「ファーリス……もしかして、僕んとこの家庭教師と同じ人かも。」
「え…?」
「「カミュ?」」
声が重なり、二人は一瞬顔を見合わせてから噴き出した。
「…はは、ホント、世間は狭いね。」
「ふふ、そうだね。…ファーリス、助言ありがとう。」
二人は顔を見合わせてまた微笑った。
「ファーリスだったのか…」
ファーリスが行ってしまってイレブンが再び一人になると、小さく呟いた。
――ファーリスがカミュを好きになることはたぶん、ない。
彼はエマに夢中だった。だが安心したのも束の間、イレブンはふいに虚しくなった。
――大学にも、大学以外にもカミュには僕よりも親しい人がいるに違いないのに。僕よりも長い時間をともに過ごし、笑い合う、いや、触れ合う?誰かが――?
ぼんやりとポケットからスマホを取り出し、無意識に操作して画面の中の彼の連絡先を見る。
――いきなりデートに誘ったりしたら引かれるよね……。避けられて、最悪家庭教師を辞めてしまう可能性も…
イレブンは画面を暫く見つめた後、溜息を吐いて膝の上に伏せた。
◇
「うーん…」
いつものように僕はカミュの隣りでレッスンを受けていた。少し考え込んで、ペンをノートに走らせる。大丈夫、この答えで正しいはず…と思うが念のためもう一度見直す。ふいに、ノートの脇に置いていた左手に何かが触れた気がして目を遣った。――僕は息を呑んだ。カミュの右手が僕の左手にそっと重ねられていたから。カミュの方を見ると、前を向いたまま俯いている。顔が赤い。
――え?え?これって…
僕は唾を飲み込み、ペンを放して右手でそっとカミュの顎に触れた。カミュがぴく、と身動き、ぎこちなく僕の方を向く。彼の乞うような蒼瞳が僕を見、艶やかな唇が僅かに開いて喘かな息を吐いた。僕は顔をゆっくりと近づけ――自身の唇を彼のものに重ね合わせた。
――柔らかい。もっと、欲しい。
僕は更に深く口づけようと身を乗り出した――
ジリリリリリリ……
「……」
見慣れた自室の白い天井。イレブンは手を伸ばしてベッドサイドテーブルの目覚ましを止めた。
「夢……。僕は何て夢を…」
イレブンはカーッと頬を染め、片手で口を覆った。
*
カミュが家庭教師に来るようになって、ふた月になろうとしていた。
――見ているだけなのは、辛い。……限界だ。いっそのこと告白しようか?
だがそれは無謀な賭けだった。今までカミュと色恋沙汰の話をしたことはなく、彼の好みのタイプも、恋人がいるかどうかさえ知らなかった。今日は月曜日。カミュが来る日だった。
レッスンの時間が近づいたとき、前庭に車が停まる音がした。
――カミュだ。
とイレブンは思ったが、続けてガレージのシャッターが開く音がしたので不思議に思った。シャッターはリモコンがないと開けられない。リモコンは家族しか持っていない。
――え?まさか…
イレブンが慌てて外に出ると父親のアーウィンが車のウィンドウを下げて息子を見、にっこりと笑った。
「やあ、イレブン、ただいま。」
「と…父さん?出張、明後日までじゃなかった?」
「クライアントの都合が悪くなって、早めに帰ることができたんだ。」
「そ、そう…」
アーウィンは車を車庫にしまうと家に入り、キッチンへ向かった。
「おや?夕食が二人分用意されているじゃないか?予定より早く帰ると伝えなかったのに。」
冷蔵庫から飲み物を取り出す際に中を見たアーウィンが首を傾げる。
「あ、それは…今日は家庭教師が来る日で、彼の分としてペルラさんが…」
「ああ…今日がそうか。お前と外食に行くつもりだったが、それなら私は適当に何か食べるよ。」
「え、けど…」
それでは疲れて帰ってきた父に悪い。イレブンは父に申し出た。
「今日はレッスンが終わったら彼には食事せずに帰ってもらうから、父さんはペルラさんの用意した夕食を食べて?」
――カミュと夕食をともにできないのは残念だけど、仕方ない。
「だが――」
そのとき、前庭から車のアイドリング音が聞こえてきた。
「カミュだ。」
イレブンがドアを開けるとやはりカミュで、戸口までやってきた彼はすぐにリビングに佇む人影に気づいた。
「親父さん?」
「そう。予定より早く帰ってきて…ごめん、今日は夕食一緒に食べられないや。」
「別にいいぜ。レッスンは受けるんだろ?」
「うん。今日は僕の部屋で。」
カミュがアーウィンに挨拶し、イレブンと二人で二階へと向かう。イレブンは途中で物置から昔ペルラが彼の勉強を見るときに使っていたパイプ椅子を持ち出した。イレブンはデスクの椅子の隣りにパイプ椅子を置いてカミュがそれに座り、レッスンが開始された。
今日は数学だった。一時間があっという間に過ぎ、レッスンを終えるとカミュがイレブンの方を見た。
「……なあ、」
「!……」
無造作にデスクの上に置いていたイレブンの左手にカミュの右手がそっと重ねられた。思い詰めたような蒼瞳がじっとイレブンを見つめる。まるで今朝の夢のように。
「カ…」
「何か悩んでいるのか?」
「え…」
「俺、お前よりは年上だし、力になれるかもしれねえから、悩みがあるなら話してくれよ?」
「……」
イレブンは風船が萎むようにガッカリとして左手をカミュの掌の下からさり気なく抜いた。
「あー…え…と、」
カミュはまだイレブンを見つめていた。
――言うしか、ないか。
イレブンは意を決して口を開いた。
「……僕、好きな人がいてさ。気が付くとその人のことを考えていて、毎日でも会いたくて。……けど気持ちを伝える勇気がなくて。」
「……ああ。……はは、恋の悩みか。…何だ。もっと深刻なことかと思ったぜ。」
カミュは安心したように肩の力を抜いた。イレブンがムッとしてカミュを見る。
「僕は十分深刻に悩んでるんだけど?」
「ああ、悪ィ。けどよ、思い切って気持ちを伝えてみりゃいいじゃねえか。案外イケるかもしれないぜ?」
「……カミュはさ、何とも思っていない相手から告白されたらどうする?付き合う?」
「俺?あー…。んー…。そうだな……まあ、付き合う、かな?」
「え…」
――カミュ、君は何とも思っていない相手から告白されたとしても付き合うの?
イレブンの動悸が激しくなる。
「チャンスが向こうからやってくるなら乗っかってみるべきだろ?たいていの奴は単調な毎日に何かが起こることを期待してるモンだぜ?」
カミュが不敵な笑みを浮かべ、イレブンは彼の強い眼差しにくらりとした。
「カ…カミュ…僕は…」
イレブンが正に想いを告げようとした、そのとき。
――コンコン。
部屋のドアがノックされた。イレブンははっと我に返ってどうぞ、と言った。ドアが開き、アーウィンが顔を覗かせる。
「夕食の用意ができたよ。二人ともおいで。」
「え?父さん、でも――」
「食料のストックを使って何品か作った。三人で食べても十分足りるはずさ。」
アーウィンが微笑んでウィンクした。
その日の夕食はとても楽しいものだった。父親という存在がいなかったカミュはアーウィンを憧れの目を向け、彼の仕事の話を興味津々で聞いていた。アーウィンもイレブンとカミュの学校の話に熱心に耳を傾け、相槌を打ち、しきりに質問した。
カミュが帰る時にはアーウィンもイレブンとともにポーチまで見送りに出て、彼にハグをした。
「これからもイレブンをよろしく。」
「は…はい…」
抱擁を解いて笑顔で言ったアーウィンにカミュが頬を染めてぎこちなく頷き、ぽーっとした様子で二人に手を振り、車に乗り込んで帰って行った。
「……もう。父さん、あんなハグしなくても…」
カミュが行ってしまうとイレブンが頬を膨らませて父親を振り返った。
――僕だってまだカミュにハグしたことないのに。
「おやおやヤキモチかい?」
「ちが…父さん!」
アーウィンは笑ってイレブンを抱き締め、頬にキスをした。
*
――カミュは何とも思っていない相手から告白されたとしても付き合う、って言った。
先日のカミュの言葉を、イレブンはもう一度自身に言い聞かせた。
――よし。今日こそするぞ、告白!
今日は木曜日。カミュが来る日だった。学校から帰宅したイレブンはクローゼットを開けて服を選ぼうとしたが、
――デートに行くんじゃなくて家で会うんだし、勝負服も何もないよね…
と途中でハタと思い至って、シンプルな黒のタートルネックとモスグリーンのカジュアルパンツを合わせた。
夕方、カミュがやってきた。
地学・化学のレッスンを終えた後、イレブンは告白するタイミングを計って緊張しながら、いつものようにカミュと他愛ない話をしつつ夕食を摂っていたが、ふと彼が沈んだ顔をしているのに気づいた。
「…カミュ?何だか今日の君は元気がないみたい。」
「あ…」
カミュがはっとしてイレブンを見た。
「すまねえ、気ィ遣わせちまって。」
「どうかしたの?」
イレブンが心配そうな顔で尋ねると、カミュは少しの間迷うような素振りを見せたが、小さく溜息を吐くと、歯切れ悪く話し始めた。
「今日…大学で、同級生の…、男、に告白されて、よ。」
「えっ!?」
「そいつは…大学で初めてできた友達で…しかもいいヤツ、でさ。」
カミュはふぅ、と溜息を吐いた。
「俺としては…あいつとはずっと友達でいたいんだよな。けど…」
「けど?」
イレブンは固唾を呑んでカミュの次の言葉を待った。
「俺の返事がNoなら『もう友達ではいられない』って言われてよ。」
「……」
「とりあえず『少し考えさせてくれ』って言ったんだが……まあ、付き合ってみようかと思ってる。付き合って現実を見たら、ハリマ…あ、そいつの名前な?…の目も覚めて”友達”に戻って……付き合ったことも、いつか笑い話にできるよな?」
カミュは力なく笑った。
「……だめ…だよ。」
――現実を見たら?目も覚めて?いつか笑い話に?
「うん?」
――僕が告白して付き合ったとしても、君はそんな風に思うの?
「ずっと友達でいたいと思っているのに付き合うなんて、相手にも失礼だ。」
「イレブン…」
イレブンは唇を噛んだ。
「……僕はハリマって人の気持ち、わかるよ。本気で好きな相手と友達のまま傍にいるのは辛いことだ。彼が友情を壊すリスクを負ってまで君に告白したのは、きっとそういうことだよ。」
イレブンはきっ、と目を上げた。
「僕も、そうだから。」
「え?」
「……この前、僕が言った好きな人、ってのはカミュ、君なんだ。」
「……」
「僕だって…君の答えがNoなら…今までの円満な師弟…いや、兄弟みたいな?関係は続けられないよ。辛くて……傍にはいられない。」
カミュは目に涙を溜めて自身を見るイレブンを呆然と見つめた。
「……今日は、もう帰るな?」
暫くしてカミュは目を逸らし俯いて、力なくフォークを置くと席を立ち、ドアへと向かった。車のエンジンがかかる音がした後、程なく外は静かになった。
*
『ずっと友達でいたいと思っているのに付き合うなんて、相手にも失礼だ。』
ついさっき言った自身の言葉が頭をぐるぐる回る。”ハリマ”に自分自身を重ねて哀しくて、つい言ってしまった。。
――僕のばか!バカ!馬鹿!少なくともカミュの傍にいられる限り、いつか彼に恋愛対象として見てもらえるチャンスがあったかもしれないのに。
自室のベッドで、イレブンは目に涙を浮かべながら、ぎゅっと枕を抱く腕に力を籠めた。
――もうカミュは、来てくれないかもしれない。
この先のカミュのいない人生を想像してイレブンの目に涙が溢れた。
いつの間にか眠ってしまったらしい。イレブンは自室のドアをノックする音で目を覚ました。
「開いてるよ。」
イレブンが答えるとドアが開き、黒い影がドア横にあるスイッチを押してシーリングライトを点けた。
「父さん…」
「あー…、カミュ君が前庭で待っていたのでリビングに通したよ。」
「えっ!?」
イレブンはガバッとベッドから起きた。すぐに階下に向かおうとする息子の背に、アーウィンが声を掛ける。
「顔を洗ってから行った方がいいんじゃないかね?」
イレブンは父親の言葉にはっとして引き返し、二階のバスルームで身なりを整えてから階下へと下りていった。
カミュはリビングに所在なさげに佇んでいた。
「カミュ!」
「イレブン…。もう一人の生徒のレッスンが終わった後、戻って来たんだ。チャイム押しても出ねえから車の中で待ってたら親父さんが帰ってきて…」
「ごめん、転寝してて…」
「ああ…。それより、外で話さないか?」
「うん。」
二人が家の外に出ると晩秋の夜は肌寒かった。
「う…けっこう冷えるな。どこかであったかい飲み物でも買うか。乗ってくれよ?」
カミュが彼の愛車・ローグを親指で指し示す。イレブンが頷き、二人が乗り込むとカミュは車を発進させた。
カーナビでファーストフード店を見つけ、カミュはドライブスルーでホットコーヒーを二つ買い、一つをイレブンに手渡した。それから少しばかり車を走らせ、公園の駐車場に停車する。白い街灯の灯りの他は、遠くまばらに人家の灯りが見えるだけだった。
「……なあ。」
暫く二人で静かにコーヒーを啜っていたが、カミュが先に口を開いた。イレブンがカミュの方を見る。
「さっきのことだけどよ…」
「うん…」
「お前……俺のことが好きなのか?」
「…うん、好きだよ。」
「……そうか。俺、養子だってことは話したよな?」
「うん。」
「俺な、養親をガッカリさせたくないから、今まで勉強ばかりしてたんだ。だからあまり……恋愛とかしたことなくてよ。」
「うん。」
「それでまあ、その――機会があれば誰とでも、付き合ってみようと思っていたんだ。けど…」
カミュが前髪を掻き揚げる。
「ハリマやお前の気持ちを知ったら……俺、自分が何もわかってなかったんだ、って思い知って……」
「……」
「……その、お前に対する気持ちは恋愛感情じゃねえけど…。お前が俺の人生からこの先ずっと消えてしまうとしたら、きっと俺――後悔する、と思う。」
カミュがイレブンの方を見た。
「”ずっと友達でいたい”んじゃなく、”この先友達以上になる気”があれば、付き合っても失礼にはならないか?」
「カミュ…。も、もちろん!」
「――じゃあ、付き合うか?俺たち。」
カミュが微笑む。
「うん!」
イレブンは自分でも驚くほど明るい声が出た。我ながらゲンキンだと思いつつ、笑顔になるのを抑えられない。カミュも微笑み返し、エンジンをかける。
「よし、戻ろうぜ!」
イレブンはカミュに家まで送ってもらい、前庭で車から降りて二人でドアへ向かって歩く。ポーチに近づくとセンサーライトが自動的に点いて辺りを明るく照らし、二人はドアの前で向かい合った。
「じゃあな、おやす…み!?」
イレブンは別れを告げようとしたカミュをぎゅっと抱き締めた。
「おい、イレブ…んむ…ぅ…」
腕を解くとカミュの首の後ろから後頭部を両手で包んで何度も何度もキスをする。そして最後にもう一度抱き締めて耳元で囁いた。
「毎日ラインするよ。今度デートもしよう?レッスンも、成績に問題なければイチャイチャできるね!」
「あ…あ、……」
「それじゃ、おやすみ、カミュ!」
身体を離すとイレブンは爽やかな笑顔で言い、真っ赤な顔で固まっているカミュにくるりと背を向け、家へと入っていった。
後半に続きます。