「よっしゃ!この勝負、俺の勝ちだな!」
カミュはシートから立ち上がってガッツポーズをとった。ここはショッピングモールの一角にあるゲームセンターで、カミュはイレブンとレースゲーム・バトルギアで対決し、3回目の勝負で漸く勝てたところだった。学校は既に冬休みに入っていた。
「もう一回やるか?」
上機嫌でカミュが振り返ったので、イレブンはぎこちなく微笑んだ。
「もう一ゲームするのはいいけど……ねえカミュ、もうすぐクリスマスじゃない?」
「ああ、そうだな。」
「イブは僕と過ごしてくれる…?」
イレブンが頬を染め、チラッとカミュを見て目を逸らす。
「……」
――クリスマス…って家族でケーキ食う日なんじゃねーの?
今までクリスマスに恋人のいたことのないカミュは何も考えていなかった。
「……カミュ?」
「あっ…ああ!もちろん!」
イレブンが不安そうな目を向けたのに焦ってカミュが笑って頷くと、イレブンもほっとしたように微笑んだ。
「よかった…。クリスマスが近づいても何も言ってくれないから、僕と過ごしてくれないのかと思った。…それでえっと…デートプラン、僕が考えてもいいかな?」
「あ…いや俺が…」
――年上なんだし、エスコートしてやるべきだよな。
カミュは再びシートに腰を下ろし言い掛けたが、イレブンが遮った。
「君と付き合うようになってから、デートしたのはボーリング場、バッティングセンター、図書館、…そして今日はゲーセン。食事するのもファーストフードやファミレスばかり。」
「……気に入らなかったか?」
「僕は君といられればどこだっていいよ。……でもイブはやっぱりロマンティックなデートをしたい。だから、僕に任せて?」
「……けどよ、俺もお前もクレカ、家族カードだろ?おしゃれな店や如何にもデートスポット、ってトコに行ったら、親にデートだってバレちまうじゃねえか。仮に女の子と過ごすと嘘をついたとして、相手が誰なのか追及されたらどうする?口裏を合わせてくれるような女友達がいるのか?」
「………ちょっと待って。カミュ、君は僕と付き合ってることを秘密にしてるの?」
「そりゃあ…考えてもみろよ。雇った家庭教師が大事な一人息子と付き合ってるなんて、親御さんにしてみたら裏切られたようなモンだろ?俺は家庭教師をクビになって、リーズレットとお前のお袋さんの友情も壊れるかもしれねえ。」
「……もう知ってる。」
「え?」
「僕の親、君と僕が付き合っていること、知ってる。」
――…………えっ!?
「なん…」
「付き合うことになったときから。」
「ど…」
「告白した日…。君と外で話して戻って来た僕が、父さん曰く『人生で最高に嬉しいことがあったかのような笑顔』だったらしくて、それでまあ、隠しておけるはずもなくて全部話したんだ。」
「……」
「父さんに話したことは母さんにも伝わるから、二人とも知ってる。」
「は…はは…そう、か…」
――なら今までコイツとのデートを“友達と遊びに行く”ようにカモフラージュしていた俺の努力は何だったんだ?バカみてぇ。
「…なら、デートプラン、お前に任せるぜ!」
カミュが吹っ切れたようににっこりと微笑み、イレブンも嬉しそうに微笑み返す。
「うん!僕に任せて!…あ、もうひとゲームする?」
「よし、勝負だ。」
二人は笑いながらゲーム機にメダルを投入してハンドルを握った。
バトルギアでの勝負を終え、次に遊ぶゲーム機を探してイレブンとカミュが店内を歩いていると、前からやってきた背の低い、太った男が二人に気づき、立ち止まった。
「イレブン?」
「チャゴス…」
「こんなところで会うなんて!やっぱり君とぼくは運命の赤い糸で結ばれているに違いない!」
「何が運命だよ!ゲーセンなんて誰でも来るじゃないか!」
チャゴスが満面の笑みで重そうな身体を揺らしながら二人の方へ駆け寄って来ると、イレブンが怒って反駁した。
「知り合いか?」
「同級生。」
カミュの問いにイレブンが嫌悪も露わに答えたが、チャゴスは意にも介さず、
「せっかく運命の再会を果たしたんだ。今日こそ良い返事を聞かせてくれ。」
と小さな目を期待に大きくしてイレブンを見る。
「何が『今日こそ』!?君のことははっきり断ったじゃないか!」
チャゴスはフフンと笑い、太い指で先のカールした短い金髪を掻き揚げるような仕草をした。
「サザンビーク財閥の御曹司であるこのぼくの想いに応えるのに気後れしているんだな?だが安心したまえ。それはぼくたちの障害にはならない。」
「気後れなんてしてない!前も言ったけど、僕には付き合ってる人がいるんだ!」
それを聞いてチャゴスが小さな目を細め疑わしそうにイレブンを見上げる。
「君の取り巻きの女の子たちに聞いたら誰も君と付き合っていないと言っていたぞ?」
「取り巻きじゃない!エマもベロニカもセーニャも友達だ!」
「あの美少女たちの誰とも付き合ってないのなら誰と付き合っているっていうんだ?付き合っている人がいる、っていうのは嘘なんだろう?」
「それは――」
イレブンが言葉に詰まる。
「おい、やめろよ。」
ずいと身を乗り出したチャゴスからイレブンを庇うようにカミュが前に出ると、チャゴスが気色ばんだ。
「何だ貴様は!?この平民ふぜいが!」
「カミュのことをそんな風に言うな!」
イレブンもチャゴスの言葉にかっとなり、二人の声にゲームをしていた他の客たちも騒つき始めた。
――まずい。
「イレブン、こんなヤツ放っといて行こうぜ?」
カミュはイレブンの腕を引き、射殺しそうな目で睨むチャゴスを残し、その場から去った。
「……ひと月くらい前に、付き合ってくれ、って言われたんだ。」
ショッピングモールから出て、車を停めた駐車場まで歩道を歩きながら、イレブンが言った。実際の時間よりも暗く見える曇り空の下、街路樹は綺麗なイルミネーションが明るく輝き、まるで光のトンネルの中を歩いているようだった。
「断ったのに学校でずっと僕に付き纏っていて……冬休みに入ってホッとしていたら、こんなところで会うなんて…」
「ヤな奴だな。何で俺に話してくれなかったんだよ?」
「君に心配をかけたくなかった。」
「さっきも…俺がその交際相手だって言えばよかったのに。」
「もし君が僕の交際相手だとわかったら、チャゴスが君に何かするかもしれない。」
イレブンがカミュを見て弱ったような貌で微笑む。金色のイルミネーションの中、微笑む彼は夢のように美しく、カミュは思わず見惚れたが――ふいに、背に悪寒にも似た視線を感じた。さっと後ろを振り返ると、チャゴスが遠くからこちらをジトっと見つめながら歩道を歩いてくるのが見えた。
――俺たちをつけてんのか?しつこい野郎だぜ。…よし、俺がイレブンの交際相手だということをわからせてやる。
カミュが手を伸ばし、そっとイレブンの指に自身の指を絡める。イレブンが驚いてカミュを見た。手袋越しに伝わる仄かな温もり。
「カ…」
頬を染め、目を瞠ったイレブンにカミュが微笑む。
――これでいい。…え?
イレブンは片手を繋いだまま身体ごと向き直り、空いた手でカミュの頬を包み、口づけた。
「ん…」
まさかイレブンがキスしてくるとは思わなかったカミュは一瞬戸惑ったが、すぐに力を抜き目を閉じた。
「!……ん…ぅ…」
だがイレブンの舌が唇を舐め、唇の僅かな隙間から舌が入り込んできたのにぎょっとしてカミュが目を開けた。思わずイレブンの肩を押そうとしたが、チャゴスの存在を思い出して再び目を閉じキスに応え、彼の栗色の髪を梳いた。
「……はぁっ、カミュ…」
「イ…レブン…」
漸く唇を離した二人がイルミネーションの光瞬く中、息を乱しながら間近で見つめ合う。初めての深い口づけに、カミュはぼんやりとしてイレブンが再び顔を近づけるのをただ見つめた。ごく自然にカミュも目を閉じ、イレブンが唇を触れ合わせるのに任せる。何度か角度を変えて互いを食んだ後、カミュは我に返った。半歩後ろに下がり、さり気なくチャゴスの方を見ると、まるで大嫌いなトカゲをうっかり掴んでしまったときのようにショックを受けた顔で固まっていた。
――これでチャゴスもわかっただろう。この後もイレブンに付き纏うようなら、そんときはガツンと言ってやる。
「……寒ぃ。早く車に戻ろうぜ。」
「うん、そうだね。」
カミュが微笑むとイレブンも微笑み、二人は手を繋いだまま歩き出した。
*
「クリスマスデート?」
カミュの言葉に、向かいのソファに座っていた妹のマヤは飲んでいたホットココアを口から離し、訊き返した。暖炉が暖かく燃える自宅のリビング。冬休みに入り、進学した全寮制女子高から帰省していたマヤに、デートから帰宅したカミュは早速クリスマスデートについて相談していた。
「ああ。まあ…今、付き合ってる人がいて…イブにデートするんだが、どうしたらいいのかイマイチよくわからなくてよ。」
「へぇー、あの勉強ばっかの兄貴がねえ。そんでイブのデート?だっけ。んー…まず、兄貴は無理にエスコートしようと思わない方がいいぜ?ヘマするのがオチだからな。」
うるせえよ、と思ったがアドバイズを求めている手前、カミュは黙って聞くことにした。
「今からいい店なんて予約できねえだろうから…うーん、そうだな…ドライブデートとかどうだよ?車内をデコレーションしてクリスマスソングかけてさ。クリスマスの特別メニューをテイクアウトできる店も…」
「あ、いや…デートプランは相手が『任せて』と言ったんだ。」
「相手がプラン立てんの?なら兄貴はおれに何を相談しようってんだよ?」
「例えば何か…気を付けることとか準備するものとか…?」
「ああ…プレゼントな?」
「プレゼント?」
「プレゼントを贈り合うのは常識だろ?知らなかったなんて言うなよな?」
「……どんなものを用意したらいいんだ?」
クリスマスを恋人たちのイベントだと思っていなかったカミュはその“常識”を知らなかったのだが、とりあえず前に進むことにした。
「ネックレスとかイヤリングとか、無難にアクセサリーでいいんじゃねーの?」
「あー…それがその、相手は男、なんだ。」
「男?」
「ああ。俺が家庭教師をしている高校生なんだが…」
「兄貴が家庭教師をしてるなんて初耳だな。よほど高価なものじゃなきゃ養親のクレカで何でも買えるってのに何でバイトなんて始めたんだよ?」
「それは…」
カミュはマヤが遠くの学校に進学して寂しかったから、とは言えずに、
「し…社会勉強のためだ。」
と答えた。
「ふーん?それにしても生徒と付き合うなんて、兄貴もやるな!」
マヤがニヤニヤしてココアの入ったマグカップを口に運ぶ。
「む…向こうから告白してきたんだ。」
「へえー…。ま、プレゼント?だけどよ、腕時計とかでいんじゃね?それか相手に履いて欲しい下着とか?」
「んなっ…」
カミュが顔を赤らめどもったのを、マヤがきょとんとして見た。
「…兄貴、まだヤッてねーの?」
「……」
「図星か…。イブにデートするなら相手も期待してるかもだぜ?」
マヤがイシシ…と笑った。
「俺はまだ高校生のあいつとどうこうなりたいなんて思ってねえよ。第一、アイツに恋愛感情なんてねえし…」
「……はあ?付き合ってて、イブもデートすんだろ?」
「そうだけどよ…。恋愛感情はない、ってことは言ってある。この先――いつか、友達以上になるかもしれねえけど…ずっと友達のままかもしれねえ。相手もそれを承知の上で付き合い始めたんだ。」
「……」
マヤは微妙な表情で兄を見て、
「……ま、デートが上手くいくことを願ってるぜ。」
と言うと再びマグに口をつけた。
*
「帰ったわよ~」
ドアの開く音とともに母エレノアの美声がリビングに響く。母の後ろから父アーウィンが両腕に零れそうなほど食材の入った紙袋を抱えて続いた。母は所属事務所から休みをもらい、父も今日から冬期休暇に入っていた。どうやら二人はイレブンがカミュとデートしている間、買い物に出かけていたらしい。
「お帰り、父さん母さん。」
イレブンはローテーブルに置いたラップトップから一瞬だけ目を離し父母に挨拶すると、すぐに画面に目を戻した。
「熱心に何を見ているの?」
アーウィンが食材を置きにキッチンへ行き、エレノアが画面を覗き込む。
「クリスマスイブにデートするレストランを予約しようと見ていたんだけど、どこもいっぱいで…」
「イブにデート、…って、もしかして…」
「うん、カミュと!」
イレブンが明るい笑顔で母を振り返った。
「まあっ!なんて素敵なのかしら!あなたを恋人として認めてくれた、ってことね!よかったわね、イレブン。」
エレノアが胸の前で両手を組み合わせて目を輝かせる。『今は僕に恋愛感情はないけど、この先友達以上になるつもりで付き合うことになった』と夫伝てに息子の言葉を聞かされていた彼女は、今までを恋人になるかどうかを考えるための“お試し交際期間”だと認識していた。
「でも…せっかくイブを彼と一緒に過ごせるっていうのに、どこも予約できなくて…」
「大丈夫よ!」
しゅん、とする息子にエレノアが両拳を握って力強い声で言った。
「パパとママが行く予定だったデートプランに代わりに行くといいわ!」
「え…けど、二人とも楽しみにしていたんじゃないの?」
「私たちは家で過ごすよ。父さんは母さんが一緒ならどこでもいいんだ。」
キッチンから戻って来たアーウィンがエレノアの肩に腕を廻して抱き寄せ、息子に片目を瞑って見せる。
「父さん母さん…」
「それで、イブのデートの他にも何か嬉しいことがあったんだろう?お前の顔を見ればわかるよ。」
アーウィンがそう言ってエレノアとともに向かいのソファに腰を下ろし、イレブンを見つめる。イレブンは頬を染め、はにかみながら話し始めた。
「うん…。今日のデートで…歩道を歩いているとき、カミュの方から手を繋いできて…僕に笑ってくれて…それで彼にキスしたんだけど、我慢できなくなって…ディープキスしたんだ。そしたらカミュも僕の髪を撫でながら応えてくれて…」
「ま…」
エレノアが揃えた指先を口に当てて頬を染め、アーウィンがおぉー、と感嘆の声を出す。
「その後も…何度かキスをして…歩いている間、ずっと手を繋いでた。」
「なんて素敵なの!カミュ君もあなたが好きなのね!」
エレノアが再び胸の前で手を組み合わせて目をキラキラさせる。
「そうだわ!イブのデートでママ専属のスタイリストにあなたをコーディネートしてもらうわ。カミュ君が見惚れるくらい素敵なあなたでデートに臨むのよ!」
「か…母さん…?」
イレブンが戸惑って母を見たが、彼女は勇気づけるようにイレブンに頷いた。
「いい?イレブン。恋をしたら全力でぶつかるの。ママもそれでパパをゲットしたんだから。」
「エレノア。ゲット、って…」
アーウィンがコホン、と咳払いして妻を嗜める。
「父さんと母さんの話はもう飽きるほど聞いたよ。」
イレブンが笑う。父と出会ったとき既に一流のアーティストだった若き日の母は周囲の言うことなど耳を貸さず、一般人である父に猛アタックして交際・結婚に至ったのだった。
「……うん、わかった。ありがとう。きっと最高のクリスマスデートにしてみせるよ。」
イレブンは暖かい目で見つめる父母に微笑んだ。
◇
クリスマスイブ。雪が薄っすらと降り積もり、外は白く染まっていた。
夕刻、約束した時間にイレブンを迎えに行ったカミュは、前庭に出てきた彼を一目見て目を瞠った。一目で良い品だとわかる黒のロングコートに深い青色のマフラー、濃い灰色のスラックスに革靴を身に着け、いつも顔に落ちかかっている前髪はセットされて横と後ろに流れ、まるでファッション雑誌から抜け出したモデルのようだった。
「おま…それ…」
カミュははっとしてキョロキョロと辺りを見回した。
――まさか何かの撮影?どこかにカメラが?
「どうしたの?」
イレブンが首を傾げる。カメラは見つからなかった。
「…その、」
「うん。」
「……」
何か言おうと口を開きかけるが、何と言っていいかわからずにカミュは言葉に詰まった。知らず、顔が熱くなる。
「……とてもよく似合ってる。さ、乗ってくれ。」
やっとそれだけ言うと、赤くなった顔を隠すように車に乗り込んだ。
「…これ、今日のデートのためにデコレーションしたの?」
街の方へと車を走らせるカミュに、車内を見回したイレブンが尋ねた。カミュの愛車・ローグの中はクリスマスリースやガーランド、ハンギングオーナメント、ステッカーで賑やかに飾られていた。
「ああ。マヤ…って俺の妹な?…のアイデアで。」
「素敵だね。音楽も…」
車のスピーカーからは、今までにヒットしたクリスマスソングのメドレーが流れていた。
「気に入ってくれて嬉しいぜ。……ん?お前、香水つけてる?」
「うん。カミュはこの香り、嫌い?」
「いや、好きだぜ。…何か夢見心地になるような香りだな?」
「ふふ、母さんの知り合い僕に選んでくれたんだ。」
「へぇー、お前のお袋さんの知り合い、センスいいな。それで、今日はどこに行くんだ?」
「カミュを驚かせたいから着くまで秘密。僕がナビするよ。」
「わかった。」
カミュが笑って答える。
――行く前からガッカリさせたくないから秘密にしてんのか?けど俺はお前が楽しければそれでいいぜ。
カミュは心の中で呟いて、白と灰色に染まった景色の中、車を走らせ続けた。
「おい、イレブン、ここって…」
イレブンのナビに従って目的地に着き、地下駐車場に入るために車の列の後ろについたカミュが当惑して言った。カーナビの現在地を見ると『ユグノアホテル』と表示されていた。
「…ユグノアホテルじゃねえか?ホントにここで合ってるか?」
「合ってるよ。」
「巷ではユグノア・キャッスルなんて呼ばれてる高級ホテルだろ?本当にここのレストランを予約したのか?」
「うん。」
何でもないことのように微笑むイレブンをちらりと見てカミュが前に視線を戻す。そして程なくしてゲートでの受付の順番が回って来た。カミュがウィンドウを下げると助手席からイレブンが、
「予約していたイレブンです。」
と係員に声を掛けた。驚いたことに『お待ちしておりました。』と言われ難なく通される。
――信じられねえ。周り、高級車ばっかじゃねえか。
カミュは狐につままれたような心地で駐車場の中へと進んだ。
「ここでコートを預けるといいよ。」
地下駐車場から地上へのエレベーターに乗ってホテルのロビーに出るとイレブンが言った。カミュが言われた通り、着ていた暗めのアッシュブラウンのダウンコートを脱ぎかけるといつの間にか後ろで待っていたイレブンがするりと脱がせ、受け取る。
「あ、ありがとな…」
ぎこちなく礼を言うカミュに微笑み、イレブンはダウンコートをこれまたいつの間にか傍にいたホテルのスタッフに手渡し、自身もコートを脱いでマフラーとともに預ける。イレブンはコートの下に上質なものだとわかる、ゆったりとした白いセーターと、更にその下に水色のドレスシャツを着ていた。ダークグレーのスラックスとセーターのモノトーンで纏められた中に覗く水色の襟とダークブラウンの革靴が知的で落ち着いた雰囲気を醸し出す。
――すげー素敵だ。引き換え俺は…
カミュは薄手の赤褐色のハイネックセーターに黒のカジュアルパンツ、濃茶のショートブーツだった。華やかなイレブンに比べてかなり地味に感じるが、マヤと相談して選んだ服だった。マヤ曰く、『髪の色が目立つ青だからよ、暗めの服の方がバランスよく見えるぜ?』だそうだ。
――俺自身のバランスは取れてもイレブンと、このホテルとのバランスが取れねえよ…
カミュは内心溜息を吐いたが、
「とても素敵。君の綺麗な空色の髪が映えて見える。」
とイレブンに言われてカーッと赤くなった。
「そ、そう、か…?」
「ディナーの前に映画を観よう?」
イレブンが微笑み、促すように掌をカミュの背にそっと当てた。
*
ホテル内のシアターに入ると、客層を考えてか、二人掛けのソファ仕様の席だった。既に多くのカップルがソファ席に座り、寄り添っていた。互いの身体に腕を廻し合って腰を愛撫したりキスしたりするカップル達を見てカミュが顔を赤らめる。
――こ、こんな雰囲気の処でイレブンと映画を観るのか?
「さあ、座ろ?」
「あ、ああ。」
イレブンに手を引かれ、ソファ席の一つに腰を下ろす。
「今から上映されるのは十年以上前のクリスマス・ムービーなんだけど、この映画、ホテルのオーナーが好きでさ。毎年イブにこのシアターで上映してるんだ。君も観たことあるかも。」
「クリスマス・ムービー?なら俺、観たことねえと思う。」
「そう?きっと気に入るよ。」
イレブンが微笑む。そして上映開始を告げるアナウンスが流れ、シアターが暗くなった。
映画は、ある家庭の物語だった。主人公はその家の中年の主婦。ある日、彼女は夫が浮気をしていることを知る。話し合いの末に離婚し、彼女は娘とともに家を出てアパートに引っ越す。だが娘は転校先の高校に馴染めず、父の元に戻ってしまう。失意の中、主人公は強盗に襲われ、彼女の財産のほとんどが入ったバッグを奪われて怪我を負う。病院でかかった治療費も家賃も払えずに彼女は車中生活を余儀なくされるが、ある日カフェの老店主とホームレスの女性と友達になる。自身の生活を立て直そうと、彼女の案で宅地建物取引士の資格をとるための勉強を始める主人公。そんな中、老店主の医師である息子とデートすることになる。素敵なディナー、素敵なダンスの後、別れ際に連絡先を渡されるが――彼女は涙を呑んでその連絡先を捨て、資格取得のための勉強に打ち込む。その後、主人公は老店主の息子と再会するが、彼とは良い友達のまま。ついに資格を取得した主人公は物件の一つである家を飾り付けてクリスマスを娘とともに過ごす。そして友達のホームレスの女性と事務所を立ち上げ、前向きに生きていく。――というストーリーだった。
「…すげぇ良かった。」
エンドロールが流れる中、カミュは涙を零しながら呟いた。
「人生どん底の時に親切にしてくれる人たちがいて、主人公も、辛いことがあったのに生きてくことに前向きで、そんで…その中で素晴らしい時間があって…」
「カミュ。」
暗くてもカミュが泣いていることはイレブンにもわかった。震える声で話すカミュの肩に腕を廻して抱き寄せると、ごく自然に彼はイレブンに凭れかかった。仄かに香る、甘い香り。
「はは…俺、カッコ悪ィな…」
「そんなことない。」
「イレブ…ん…」
イレブンが空いた手でカミュの顎を捉え口づけると、何度も互いの唇を食み合う。やがてエンドロールも終わり、シアター内が明るくなると、どちらからともなく口づけを解き、カミュが目を開ける。カミュは優しく微笑んで間近で見つめるイレブンに急に気恥ずかしくなり、さっと身体を起こした。
「……出ようぜ?」
赤くなった顔を見られないように前を向いたまま立ち上がると、通路を出入口へと歩き出した。
*
ディナーは、ホテル最上階にあるレストランだった。外壁部分はほとんどがガラスで、二人が案内された壁際のテーブルからは街の美しい夜景が一望できた。光沢のあるベージュ色の刺繍入りクロスが掛けられたテーブルの中央にはそれぞれ高さの異なる円柱形のガラス容器に入ったフローティングキャンドルが三つ置かれ、柔らかな光を放っていた。
「こんなスゲー店、初めて来たぜ。クリスマスまで何日もなかったのに、よく予約できたな?」
ドリンクの注文を終えると、カミュがイレブンに尋ねた。揺れるキャンドルの灯りの向こうに見えるイレブンは美しく、まるで何処か違う世界の王子のようだった。
「少し、ツテがあって…」
両親の予約を譲ってもらったと言えばカミュが気に病むと思い、イレブンは曖昧に濁した。ツテがあるのは本当で、ユグノアホテルのオーナーは祖父のロウだった。
「ふうん?何か慣れてるようだったが、前にも来たことあるのか?」
「うん、まあ何度か。」
実際には何十回と来ていた。祖母亡き後、ロウはそれまで住んでいた邸宅を処分してホテルの一室に移り住んだため、イレブンは幼い頃は両親と、長じてからは一人でも時折遊びに来ていた。
二人が他愛ない話をしているうちに、ドリンクが運ばれてきた。二人とも酒を飲めない年齢のためノンアルコールカクテルだった。
「乾杯しようぜ?」
「うん。“聖なる夜”に?」
「そうだな。聖なる夜に、乾杯!」
二人がカチンとグラスを合わせ、微笑う。やがて運ばれてきた前菜、スープ、サラダ、と頂く最中、
「…と、そうだ、プレゼントがあるんだ。」
カミュがさり気なく切り出し、ボトムのポケットから綺麗にラッピングされた小さな包みを取り出した。
「あ、僕も…」
イレブンもスラックスのポケットから小さなラッピング袋を取り出し、二人がプレゼントを交換する。
「うわ…カッコイイ…」
包みを開けて中を見たイレブンが感嘆して呟く。カミュが選んだのはどんな服にも合わせやすいシンプルなデザインの、機能的なカシオの腕時計だった。イレブンは左手首に着けていた腕時計を外してポケットに仕舞い、カミュのくれた腕時計を身に着け、微笑んだ。
「似合う?」
「ああ。よく似合うぜ。」
予想したよりも腕時計はイレブンに似合っていて、カミュはほっとしてイレブンからのプレゼントを開けた。
「おお…」
プレゼントは、黒色のメダルにくすんだ銀色で装飾されたヘッドがついた黒い紐のチョーカーだった。
「かっけぇ。気に入ったぜ。ありがとな?イレブン。」
「よかった…。僕も、ありがとう。」
カミュが早速セーターの上からチョーカーを付けるのを見てイレブンが頬を染める。
――カミュ、恋人にチョーカーを贈る意味、わかってるのかな?『君を束縛して僕だけのものにしたい』って意味なんだけど…
その後も和やかに談笑しながら出て来る料理を楽しみ、食後のコーヒーを飲み始めたとき、イレブンが上目遣いでおずおずと口を開いた。
「ねえ、その、カミュ…ディナーの後は……どうする?」
「ディナーの後?」
「ご来場の皆さま!嬉しいお知らせがございます!今から30分後、あのゴシックメタル歌手のエレノアが急遽、当ホテルで歌ってくれることになりました!ぜひホールにお越し下さい!」
カミュが訊き返したとき、突如興奮したアナウンスが鳴り響いた。
「え?母さん?どうして…家で過ごすんじゃ…」
「すげえじゃねえか!“エレノア”の生ライブだぜ?もちろんお前も行くだろ?」
イレブンは狼狽えたが、カミュは純粋に喜んでいた。周囲の人々も騒めき出す。イレブンがベルトホルダーからスマホを取り出し、素早くラインをチェックすると、一時間ほど前に『(母さん:)あなたが心配で居ても立っても居られない!(>_<)これから様子を見に行くわ!』というメッセージ。
「……うん。」
――僕の様子を見に来る、ってことだったのに何で歌うことになったんだろ。
イレブンは不思議に思ったが、外出先でも変装(主にサングラス)がバレてサイン会になったりする母のことだから、ホテルに突然やってきことで騒ぎになり、あれよあれよとそんな話になってしまったのではないかと想像はついた。
「よし、決まりだ!」
カミュは満面の笑みで頷いた。
*
それから30分後。今まさにホテルのホールでコンサートが始まろうとしていた。ステージは古城のシルエットが映し出されたスクリーンが背景に下ろされていて、その前に立つエレノアは銀のサークレットにドロップ型の翡翠のネックレスとイヤリング、若草色のドレスに深い緑色のマントを身に纏っていた。
「どっかの国の王女様みてぇ…」
カミュが壇上のエレノアの美しさに溜息を吐く。
――写真で見た、母さんが父さんとの婚礼の時に着ていたドレスだ。まだホテルにあったんだ。
色々と思うところはあったが、カミュが嬉しそうなのでイレブンはどうでもよくなった。これから歌われるのは古の歌劇のアリアで、敵国の捕虜となった姫君が戦地で消息のわからなくなった恋人の騎士を想う歌だった。エレノアがフロアに向かってお辞儀をし、拍手が鳴り止むと、前奏の静かなハープの音が流れ始めた。
~~♪~~♪~~
ああ 私のヒーロー 私の最愛の人
どうして離れ離れに? 永久の愛を誓ったのに
私は夜の闇 あなたは星の光 遠くにあっても明るく輝いている…
絶望した時も 希望の星であるあなたに この祈りを捧げます
心が揺れ動いた私に あなたが現れて 私の不安を取り除いてくれた…
ああ どうか私を導いて
私の最愛の人 あなたの優しさと祝福に感謝します
あなたの穏やかで聡明な眼差しの前に すべての疑念と懼れが消えました!
どんな運命が待ち受けようとも 私たちの愛は決して途絶えることはありません
私はいつまでもあなたを待つでしょう
~~♪~~♪~~
エレノアが歌い終えると、大きな拍手が起こった。透き通った美声が紡ぐ切ない恋情に、カミュの蒼瞳から涙が零れ落ちる。
「カミュ…」
イレブンはカミュの頭を自身の肩にそっと抱き寄せた。
「はは…今日二度も泣いてやんの。情けねえな、俺。」
「皆さん、私の歌を聴いてくれてありがとう!この後はダンスをお楽しみ下さい!」
エレノアが良く通る声で挨拶してステージを去ると照明が点き、ホールに穏やかな音楽が流れ出した。
「僕たちも踊ろっか、カミュ。」
「そうだな。」
イレブンが撥ねた青髪を撫でながら言うと、カミュは顔を上げ、濡れた双眸でにっこりと微笑んだ。
*
「……さっきの歌、お前に重ねちまった。」
人々の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせる淡い照明の中、身体を揺らしながら、カミュはイレブンの首に廻した両腕に僅かに力を籠めた。他のカップルたちも踊ると言うよりはただパートナーと抱き合って身体を揺らしていた。イレブンから微かに香水の甘い香りが漂う。
「僕に?」
「……何だか俺、お前と長い間、離れ離れになっていたような気がする…」
「ふふ、秋に初めて出会ってから、僕たち頻繁に会っているじゃない?」
「はは…そうだよな。」
カミュがイレブンの肩に頬をそっと乗せた。
「……何故か、お前が俺のヒーローだと思ったらすごく…しっくりきたんだ。」
「僕がヒーロー?」
「…ああ。」
それきりカミュは黙ってしまい、二人は抱き合ったまま、ただ静かな音楽に合わせて身体を揺らしていた。ふいに、イレブンは腕の中の温もりがひどく懐かしく感じられた。思い出せそうで思い出せない、もどかしいような感覚。
――僕はこの温もりを遠い昔に知っていた気がする……
イレブンがカミュの背に添えていた手でゆっくりと彼の背を撫でた。魂の深奥から溢れてくるような、愛しさ。とても大事な何かを忘れているような気がするのに、どうしたらいいのかわからなかった。
――そう言えば、カミュからまだ『好き』と言ってもらっていない。
「……その…カミュ。」
――彼からその言葉を聞かなければいけない気がする。
「うん?」
「君の僕への気持ちを聞かせて欲しい。」
「……え?」
「君といれば、君が僕をどう思っているかわかる…けど、それでも一度、言葉にして欲しい。……ダメ?」
「……」
――俺のイレブンへの気持ち?そんなの…………
「あ…」
カミュはイレブンから身体を離し、真っ赤になって片手で口を覆った。
「カミュ…?」
イレブンが請うような碧瞳でカミュを見ると、カミュは口を覆っていた手を下ろし、躊躇うような貌をイレブンに向けた。そして逡巡するように目を彷徨わせた後、意を決した様子で再びイレブンを見る。
「好きだ、イレブ…ぅわっ!」
イレブンは勢いよくカミュを抱き締めた。閉じられた目の長い睫毛に涙が滲み、煌めく。
「僕も、君が好きだよ…」
「ふはっ…何だか、悠久の時を越えてやっと巡り合えた恋人同士みたいだな?俺たち。」
冗談めかして言ったつもりが、カミュも涙が滲んでくるのがわかった。
「そうかも。」
イレブンは聖なる夜に恋人を抱き締めながら、微笑んだ。
読んでくれてありがとう!