【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる)   作:高坂 源五郎

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外伝2 イーリスの休暇

外伝2 イーリスの休暇

 

「帝国宰相のイーリス殿が、休暇を取られるのでありますか。それも5年間も。」

 

『実は私、休暇を取ります』イーリスにそう打ち明けられてダルシムは驚愕した。現在の彼は大将軍として、クレリア直轄の武官を監督する地位にある。その地位は宰相たるイーリスに指導されるものであり、実務の大半を宰相府に依存している。

 

「皇帝陛下から、まとまったお休みを頂いたのです。」

 

帝国の首都アレス、宮殿内のダルシムの執務室でイーリスは微笑んでみせた。

 

「娘達が子供でいる内は共に過ごす様に、と。それで今日はご挨拶を。」

 

「な、なるほど。ご家族の事情ならそれは。」

 

ずっと帰れないと思われていた母国に戻れたのだ。しかもバグスとやらとの長く続いた戦争を終わらせたのだ。イーリスに子供がいたのなら、それは共に過ごしたいだろう。これまでの貢献を考えれば、少し長い休暇を取る権利はある。当然の事だ。

 

「それならば、宰相の職につかれたまま子育てをされても良いのではありませんか。その方が、何かと行き届きましょう。」

 

常識的なダルシムのその言葉は、半ばは彼の懇願である。子育てを軽視するという訳ではない。が、イーリスの能力は人間離れしている。彼女が宰相でありつづけるのが、帝国の為に正しいとダルシムは確信していた。

 

「それでは、後進が育ちませんし。」

 

「いやいや、イーリス殿が監督されれば良いのです。」

 

武臣であるからこそ、ダルシムはイーリスの行政能力の価値を知悉している。イーリスは人類スターヴェイク帝国の要なのだ。そして戦争を終わらせた今、広大な帝国を統治する為に必要な人材だった。

 

「幾つかの事柄を除き、子育てに専念したいのです。もう大きくなったあの子達を惑星アレスに連れてくると、色々と環境が変わり過ぎて大変でしょうから。」

 

ダルシムの理解を超える話も幾分含まれていたが、話を聞くにイーリスの子供達は難しい年齢に差し掛かっている様子である。「今が大人になる直前の肝心な時期」であり「だからこそ責任を持ちたい」という趣旨の説明は理解した。そして「私も褒美をいただきたいのです」とまで言われると、ダルシムも納得せざるを得ない。

 

「確かに、イーリス殿こそが貢献者。休暇を取られるのなら、誰も止められませんな。」

 

平時だからこそイーリスを休ませる。それが皇帝夫妻の判断なら、臣下としてダルシムも従うのみだ。何より皇帝は臣下を称賛し、報酬を与えるべき立場である。イーリスが望む報酬としては、今回の休暇でも些少に過ぎる程だ。ならば『気前よく思い切り休ませたい』というのは、ダルシムの仕える二人の意向なのだろう。

 

「まあ、残された者は難儀しましょうが。宰相閣下のご不在を支えるのも、彼らの務めでありましょうな。」

 

顎髭を撫でつけながら、何処か人ごとの様にダルシムは頷いた。イーリスが不在となれば、宰相府の質の低下は免れないだろう。しかしイーリスなら、留守位を務める者にも有能な者を任ずる筈である。

 

「あら、私はダルシム大将軍にお願いしようかと。部下は補佐につけますわ。」

 

悪戯っぽくイーリスが笑う。ダルシムは慌てて手を振った。

 

「自分などそのお役目には、とてもとても。イーリス殿のお力を借りずに、今の職務を全うするだけで精一杯でしょうから。」

 

素直なその物言いに、イーリスは玉を転がすような声を震わせて笑った。新たに肉体を取り戻した彼女の心は、休暇を前に完全に浮かれていたのだ。

 

 

 

 

イーリスに人間として完全な肉体を与える。それが今回の褒美の正確な姿である。ルミナスをこの世に顕現させたように、AIとしての人格や意識をクローン再生した人の身体へと移し替えるのだ。

 

それは人間としての“復活”と呼ぶに相応しい。イーリスにこの復活が許されたのは、幾つかの理由がある。そもそもの前提として、宰相としての働きが比類なく功績を称える必要があった。細かな条件も整っていた。絶望視されていた人類銀河帝国への帰還。人類スターヴェイク帝国による既知宇宙の統一。バクスとの戦争の終焉。そして、オリジナルのイーリスの子供達が未だ健在であった事だ。

 

魂の存在をどのように定義するかにもよるが、宗教観や社会的基盤に多大な影響を与える。イーリスの人格は既に復活を遂げている。意識を移し替えて、肉体を与える技術もある。『だからこそ、復活を進めなくてはならない』これがアランの考えだった。不安定な事柄を、安定な事柄に変える為に。皇帝の采配を振るい、新たな基準を世に生み出す為に。

 

 

 

 

「ねえ、サーラ。本当に私が母親をやり直す事は可能なのかしら?」

 

イーリスはかつての部下であり,友人でもある女性士官に尋ねた。今はエーテル級の艦長に昇格したサーラ艦長は、通信モニターの中で笑って答える。

 

『娘達が、艦載AIを母親として受け入れるかどうかが不安なのね?』

 

その言い方は、友人だからこその気やすさに包まれていた。そして些かの含みがある。オリジナルと変わらない存在とサーラはイーリスを認識している。だからこそ、サーラはイーリスをからかっているのだ。

 

「私はクローンですらないわ。魂が同じかどうか証明出来るかどうかすら分からないし。それこそ、オリジナルに対する冒涜ではないかとさえ思うわ。」

 

かつてイーリス・コンラート中佐はバグスに襲われて死んだ。それは変えようがない事実だ。しかしながらAIとして復活をさせられた。このAIがより人間らしく、いや人間そのものの行動を取るようになった。その上で肉体まで与えられた事になる。

 

この死と復活について、人類の宗教も哲学も答えを出していない。謂わば人として最前線に立たされる側は、家族として限りなく複雑な経験をする事になる筈だった。AIが死んだ筈の自分達の母親面までしだしたら、残された娘達はどう思うだろうか。

 

『そうねえ。』

 

サーラは笑いながら答えた。彼女はイーリスがイーリスであると認めている。高度に演算された人格は、オリジナルの人格と遜色がない様に思われた。それはサーラに『本物か偽物か論じるのを無意味』と感じさせる程である。自分のその感覚を、イーリスに対してどう表現すべきか暫し思案した。

 

『今は正式な身分も給与もあるのだし、生身の身体もある。母親をやるのには理想的じゃない?』

 

「それはそうだけれど、娘達が私を母親として受け入れるかどうかは別でしょう?」

 

『思春期の子供にとって親なんて、遺伝子を提供してくれただけの存在よ。お金を出させれば、それでもう義務を果たして用済みのようなものだと思うだけれど。』

 

サーラの言葉は一面の真実ではあるのだろう。しかし死者の復活という影響を些か軽視しがちに思われた。イーリスの葬式は、数年前にすでに行われてしまっているからだ。

 

「死者の復活は、そう簡単な問題ではないように思うのだけれど。」

 

『軍人がそんな事を気にするのは、今更ね。』

 

サーラは諭す。

 

『AIとして復活させたのは、当時のアデル政府なのよ。』

 

「確かにそれはそう、だけれど。」

 

イーリスの人格を再現するのは、航宙軍の最新の戦艦の艦載AI並みの演算性能を必要とした。その上で今のイーリスは帝国全体で最高性能の演算能力を与えられている。それはもはや、オリジナルの人格が情報で構成された電子の海の中で生きているに等しい。

 

『そこまでお膳立てされていたのだもの。肉体を与える話になっても不思議はなかったのよ。そのいつかが、今。それって、時代の変化が予想より少し早くなっただけでしょう?』

 

サーラの視点はイーリスには新鮮だった。AIから切り離される事で、肉体を得た代わりに演算能力を喪失したからだ。この肉体の意識は定期的にAIへと還元されて意識はAIとして再統一されるはずだ。しかしこの肉体に宿るイーリスは、限りなく生身である。思考にも限界がある。

 

「肉体を得られて嬉しくない訳じゃない。でも、あの子達がどう思うか戸惑うわ。」

 

『死んだと思っていた軍人が実はまだ生きていて、突然家族の元に帰る。これってそう珍しい話ではないわ。』

 

異性生命体と戦う軍人の家庭なのだ。死んだ筈の家族が生還した。それは軍人の家庭なら起こり得る事。理解が及ばない話ではない。まあイーリスについては、通常の範囲をだいぶ飛び越えた立場ではあるが。

 

「それでも、どんな顔をすればいいの。私はあの子達の名前で、アランの為に自分のクローンまで作成したのよ。」

 

なおもイーリスは逡巡する。その思い悩む様子こそ、人間そのものの姿である。そんなイーリスの様子にどこか優しい気持ちを抱きながら、サーラは苦悩する友人を説得した。

 

『全てを、ありのままに説明なさい。異星に難破した軍艦のたった1組の男と女だったの。多少の事は許されるわ。』

 

「子供たちにとっても、そうかしら?」

 

イーリスは尚も思い悩んでいる。大抵の人類が望んでも得られぬ程の権勢を握りながらも、イーリスはたった2人のティーンエイジャーの少女達にどう思われるかが怖いのだった。

 

 

 

 

セリーナ・コリントとシャロン・コリント、つまりイーリスのクローン姉妹の方は“イーリスの復活”に賛成してくれた。イーリスの遺伝子から生み出された彼女達から見て、イーリスは姉妹であるだけでなく育ての親でもある。だからイーリスに抱く感情には、限りなく娘に近い内容が含まれている。

 

「大丈夫よ、イーリスお姉様。きっと何もかも上手くいくわ。」

 

シャロンが希望的に言う。イーリスの存在は、人類銀河帝国でも大々的に報道されている。アランが少将だった頃までとは異なり、皇帝を名乗って以降は紛れもなくイーリスは独立した人格とした扱われてきた。独立した人格を持ち功績を果たしたアランの臣下なのだ。肉体を獲得する話が出てもおかしくはない。

 

「向こうも母親に会いたいと思っている筈。私だって、ママに会いたいもの。」

 

シャロンが母として想起するのは、イーリスが設定した設定上の存在である。今となっては、目の前のイーリスこそが該当する人格に最も近い。

 

「それに、私たちもその子達と関わりがある。法的な関係は、もうイーリスお姉様の意思に関わりがないわ。」

 

落ち着いた口調でセリーナがそう切り出した。

 

「私達に最も近い血縁なのだから、それを理由に彼女達には権利が生じているわ。そして被害も及びかねない。だからきちんと対面して、話をしておく必要があると思う。」

 

イーリスはセリーナとシャロンを見つめ返した。娘達の安全は、今までもそれなりに配慮されている。ただ、それは軍人の遺族や要人の関係者としてのものだ。帝国の首脳部の家族として、本格的な庇護とは言えない。都市の重要人物リストに名前が記載された程度の話だ。人類スターヴェイク帝国の宰相が有する影響力を考えると、人質としての価値の割には脆弱な環境である。

 

「どの道、対面するしかないのよ。」

 

「逃れられないわね、イーリスお姉様。」

 

セリーナとシャロンに諭され、イーリスは遂に覚悟を決めた。そうなると以後の展開は早かった。

 

 

 

 

 

高級ホテルに併設されているビジネス用の会議室で、イーリスは元夫のアーロンと対面していた。イーリス・コンラート中佐の戦死は帝国暦2248年、現在は帝国暦2260年だ。実に12年の歳月が経過していた。

 

「お久しぶりね、アーロン。」

 

イーリスは目の前の元夫に挨拶を送った。居心地悪そうにしているアーロンは、戦死した筈の妻が文字通り“墓場から蘇った”事に当惑を隠せない様子だった。

 

「イーリス、なんというか。君も元気そうだ。本当に、AIでも君は人と変わらないんだな。」

 

アーロンは数年前に再婚を果たしていた。アーロンが独身のままであれば、イーリスが家庭に戻る事も選択肢としてあり得た。実は、イーリスは今もその選択肢を捨ててはいなかった。再生された肉体は文字通り処女のままであったし、人類スターヴェイク帝国の法では妻は複数人いてもいい。

 

だがこうして互いに弁護士同伴で対面すると、実際はその可能性がゼロであると思い知らされる。アーロンは12年分歳をとっていた。それはまだいい。問題はアーロンの態度で、イーリスに対してどこか壁があった。アーロンがイーリスの復活を歓迎していないのがよく分かった。というか社会通念の壁を超える用意が出来ていなかったのだ。親として話し合いに応じてくれるだけ、かなり努力をしている筈だ。

 

「新しい妻との間には、5歳の男の子がいる。」

 

特に説明を求めていない内に、アーロンから語り出す。

 

「そう。聞いているわ。」

 

イーリスはギャラクシー級戦艦<イーリス・コンラート>の命名式を思い返した。アーロンも新しい妻と子を連れてその場に参加していたのだ。アーロンの新しい家族を見つけた時のなんとも言えない寂しさは、AIのライブラリの中に置いてきた筈だ。しかしその独特の感慨は、生身のイーリスの心の中にも刻まれていた。

 

「おめでとう。男の子を欲しがっていたものね。」

 

そう言ってから、かつて愛していた男の伏せられた横顔をイーリスは見つめた。アーロンとの結婚はイーリスの死で解消されたのだ。2人の結婚生活は文字通り“死が2人を分つまで”続いたのだ。イーリスは、何も文句を言える立場ではなかった。

 

「私と妻のエレインは、君の提案を受けるつもりだ。セリーナとシャロンの保護者を君に委ねる、そう話し合って決めたよ。」

 

「ありがとう。立派な保護者として振る舞うと約束するわ。」

 

そう言ってイーリスは頭を下げた。人類銀河帝国では慣例的に成人年齢は18歳ないし20歳とされている。セリーナ・コンラートとシャロン・コンラートは15歳だ。軍に志願すればその時点で成人と見做されるが、イーリスとアーロンの感覚ではまだ子供である。

 

実のところ惑星アレスでの成人年齢はより低く、慣例的には15歳程度だった。これを利用して二人を成人としてアーロンから引き離す計画もあるにはあった。しかし平和的に保護者を任せてくれるなら、イーリスは娘達をより子供扱いできる期間を長くするつもりでいる。

 

「謝礼という訳ではないのだけれど、私が復活した事で停止された遺族年金に相当する額を一括で振り込みます。それと、これまでの養育費も。後、そちらの弁護士費用もこちらで負担します。」

 

弁護士が明細の記された紙片をアーロンの弁護士へと走らせる。合計された金額はかなりの額だ。本来は中佐としての年金で算出される筈だが、死後の階級の准将の額として計算され直している。既に支払われた筈の12年分も含んだ金額で,払い過ぎなほどに気前がいい筈だ。

 

「こんなに?」

 

弁護士から見せられた紙片の数字に驚くアーロンに、イーリスは微笑んだ。

 

「私、あれからかなり出世したから。」

 

皇帝アランに対して、宰相イーリスの立場は一般には理解されにくい。帝国宰相というのも、あくまでも管理人格としての処遇と見做される事が多いからだ。つまりは、イーリスは人格を持っていても皇帝の持ち物扱いである。AIというものを知らない惑星アレスの方が、ある意味では偏見なくイーリスの人権をより人と同じ形で扱ってくれたのだ。アーロンはかなり配慮を示してくれていた。

 

「面会権はこれまで通り、というか本人達に連絡を取れば好きなように。二人が嫌がっても、私に言ってくれれば時間は取らせます。その場合の目安は、月に4回でいいのよね?」

 

「ああ、それで問題ない。」

 

娘達と新たな息子のアーロンJr.が対面する時間を確保するべき、その事でアーロンとイーリスの意見は一致していた。

 

「一つだけ。二人はもう充分な大人と言っていい。もう殆ど手のかからない年齢だ。君はそれを想像していないかもしれない。今回の話がなければ、寄宿学校から大学へと進学する予定もあったんだ。」

 

イーリスは微笑えむのを止めた。そしてアーロンに真顔で答えた。

 

「だからこそ、引き取りたいの。私、今ではあの子達のために最高の学校を新しく作る事が出来る立場なのよ。」

 

 

 

 

 

諸々の事が片付き、アーロンの一家の移住計画の支援まで約束してお開きとなった。アーロンと弁護士を送り出したイーリスは、続きの間に至るドアを開ける。室内でモニターに見入っていたセリーナ・コンラートとシャロン・コンラートが顔を上げた。イーリスの2人の娘達だ。

 

「これで私を少しは信用してくれたかしら?」

 

イーリスは娘達に尋ねる。本来なら父親と母親の親権協議の場を、子供に見せる必要などない。子供は当事者ではあるが、教育において両親の争う姿を見せるのは害悪だからだ。しかし惑星アレスの法律では成人と見做される15歳を彼女達は超えている。それならありのままの姿を見せる方がいいとイーリスは判断したのだ。隠しても、邪推される。それで話が拗れるよりも、ありのままを見せる方がましである。

 

娘達はイーリスを信頼などしていないだろう。それはイーリスには“AIが再生した人格”という注釈が付きまと為だ。そしてそれが事実である事は変えられない。

 

そうである以上、イーリスの言動が娘達に不安に思われるのは当然である。今のところイーリスは、本物になれない偽物の親だ。偽物だとしても、どの程度正確に本物のイーリスに化けおおせているのか。娘達が判断する材料を、イーリスの側が積極的に提示する必要がある。

 

勿論、子供に聞かせるのに危険な領域に立ち入る可能性はあった。子供に聞かせるべきでない会話を遮る為のフィルターは入れてある。“彼女”なら、男女の営みについてアーロンが言及した場合に適切に判断した筈だ。

 

「やっぱりアーロンは、お金に目が眩んで私達を売り渡したのね。」

 

娘のセリーナが不服そうに呟く。

 

「こら、お父さんでしょう。」

 

咄嗟にイーリスは嗜めていた。

 

「だって、私達には新しい父親ができるんでしょ?」

 

どこか挑発的にセリーナがいう。

 

「みんな言ってるわ、皇帝が新しいパパになるって。」

 

イーリスはその発言に絶句した。その様子に気が付かない様子で、セリーナは話し続ける。

 

「私達は、皇帝をお父さんと呼ぶんじゃないの?あ、それともお父さんとパパでアーロンとアランをそれぞれ呼び分けるの?」

 

セリーナは、アランとイーリスの関係を当てこすっている。イーリスにもその事はすぐに分かった。ただ、これは娘達の本意ではない。きっと娘の周囲が、そう認識して吹聴しているのだ。娘達の周囲には人の好奇心や当て擦りなどの悪意が渦巻いているのだろう。娘の口からそれを聞かされた事に、イーリスの心は傷つく。それは娘の事を守らなければいけないと考えるからだ。

 

「私は宰相なのよ。皇帝の結婚相手ではないわ。」

 

イーリスは少し自信なさそうにそう言った。

 

「ママは皇帝に結婚して欲しいのに、もう奥さんが大勢いるから愛人止まりなの?」

 

今度はシャロンが横から尋ねる。イーリスの自信の無さをまるで見透かしたかのようだ。

 

「皇帝に命令されたんじゃなければ、どうして私達をAIが引き取るの?」

 

矢継ぎ早の質問に、イーリスは挟撃された。今のイーリスがAIなら、即座に反論の言葉を思いついて完封できただろう。しかし今のイーリスは人間と変わらない。かわるがわる疑問を口にする娘達の顔を眺めると、実態を告げる言葉を慎重に選ぶ。

 

「確かに、アランには奥さんが大勢います。」 

 

イーリスはゆっくりと切り出した。アランとの関係をどう伝えるべきかは悩んでいたが、嘘をつくつもりはない。しかし、だからと言って真実を子供に全て話すのも適切ではない。

 

「もしも私やアランのどちらか一方が結婚を望めば、それは実現します。私は彼に、適切な形でお願いを聞かせられるの。でも、貴方達もいるし結婚はしないわ。そう、今のところはね。」

 

今のところは、という点に含みを待たせる。アランとの結婚が娘たちへのダメージになるなら、今のイーリスは強行しても構わない気分だった。イーリスには、アランに嫌と言わせない自信もある。人間の体というのは、ホルモンの関係でとても感情的で怒りやすいのだ。

 

「貴方達を引き取るのは、私がそうしたいからです。母親が必要な娘達と、娘が必要な母親。アランがこの件で果たした役割は、私に娘と過ごす為の休暇をくれただけ。だから貴方達は皇帝の娘になる予定ではないわ。」

 

イーリスの返答は娘達には予想外だったようだ。セリーナもシャロンもイーリスの剣幕に目を丸くしている。きっとアランとイーリスの関係に何かの誤解を抱いていたのだろう。或いは、最初に仄めかしたように『AIは人に怒らない』とでも考えていたのだろうか?

 

「でも、アーロンの見せてくれた書類に書いてあったわ。私たちがプリンセスになるって。」

 

セリーナがそう問い返した。イーリスは『どうやら誤解の糸口を見つけた』と気付いた。

 

「それは貴方達の、新しい二人の叔母が関係しています。」

 

イーリスはゆっくりとそう切り出した。伝え方には悩んでいたが、聞かれるままに回答して疑問を解消していくほかないだろう。

 

「私の妹達、貴方達の2人の叔母はアランと結婚したわ。そしてそれぞれ女王に任命されて、今は別々の王国を治めているの。」

 

その王国は近々独立した星系に発展する予定だったが、イーリスはその点には触れなかった。娘達には、王国でもイメージするのには大きすぎるだろうからだ。

 

「貴方達は、女王の姪という立場になります。それは他に身内がいない現在、最も身近な後継者なの。だから貴方達は王族という扱いで、内々には王女様と呼ばれるでしょうね。」

 

厳密にはこの場合の王女は慣習的な呼び名だ。王族としての実態には乏しい。しかし血の繋がった姪は、子のない女王の最有力の後継者なのは事実だ。

 

「これは、貴方達が正式に私の籍に入る書類です。」

 

イーリスの弁護士がセリーナとシャロンの前に書類を差し出した。そして2人にペンを渡す。

 

「この書類にサインをしたら、即座に貴方達はプリンセスと呼ばれる身分となります。貴方達が想像していた皇帝の養女としての皇女殿下ではないわ。けれど、王女様と呼ばれてもおかしくない地位よ。」

 

女王であるセリーナとシャロンがアランの子供を産めば、イーリスの子供のセリーナとシャロンの王位継承順位は下がっていく。だから実際に二人が女王の後継となる可能性はまずない。

 

そうではあるのだけれど、この提案は二人の少女には魅力的だったらしい。二人の娘は考えもせずに即座にサインをした。セリーナにとってはアランを父親と呼ぶ必要がないという事実が、シャロンにとってはお姫様になれる事実が書類にサインをする決め手となったようだった。

 

 

 

 

惑星アレス郊外、そこに新たなコンラート家が用意されている。イーリスとしては早く新居に向かいたかったのだが、セリーナとシャロンは二人とも『このホテルで食事がしたい』と主張した。どうやら元々、高級ホテルの食事を当て込んでいたらしい。待機時間の半分は親の話し合いのモニターより、ルームサービスのメニューを眺める事に費やしていたようだった。

 

(久々に料理したかったけれど、それも良いかもしれないわね。)

 

ルームサービスのメニューを見る限り、中佐の階級の頃のイーリスでは些か躊躇われる金額だった。しかし宰相のイーリスにはこの程度の額は何でもない。結局、2人に押し切られる形でルームサービスで食事を取ることに決めた。弁護士を先に帰して、それぞれ料理を頼んで母娘水入らずの食事を開始する。

 

「それで、私達はアランにはいつ会うの?」

 

イーリスの分として注文した筈のサンドイッチを無断で頬張りながらシャロンが尋ねた。横に放置されているピザを見る限り、シャロンには気に入らない具材が載っていたらしい。

 

「当面、その予定はないわ。」

 

「え、義父に会った事ないとか友達に馬鹿にされるから嫌なんですけど。」

 

分厚いステーキを頬張りながらセリーナがいう。

 

「ねえ、言ったでしょう。私はアランとは結婚しないのよ。」

 

イーリスは娘の理解のなさにため息をついた。恋人関係についてはもはや否定も肯定もしない。却って説明が面倒だからだ。

 

「だってさっき、“その気になれば結婚できる”って言った。」

 

「それは『結婚できるけど、しない』という意味です。」

 

「それって負け惜しみ?」

 

挑発的にセリーナが問う。分かった。理屈ではない、感情だ。彼女達はイーリスを言葉で攻撃しようとしている。それも論理よりは、抱えている感情のはけ口を探す為にだ。

 

「いいえ、負け惜しみではないわ。」

 

イーリスは胸をそらして自慢のプロポーションを見せつけるようにする。正直、アランを悩殺するのはイーリスには容易いだろう。

 

「ねえ、義父で皇帝に会うのにドレスがないなんて恥ずかしいわ。」

 

イーリスのサンドイッチを食べ終えたシャロンが言う。イーリスがセリーナと軽い言い合いをしている間に、イーリスの為に用意された品の筈のサンドイッチは綺麗にシャロンの胃袋に消えていた。

 

「だから当分アランと会う予定はないの。アランがその気になればお忍びで現れる可能性はあるけれど、その兆しがあれば“彼女”が教えてくれるわ。」

 

セリーナとシャロンがどこか納得いかなそうな表情でイーリスを見つめていた。イーリスはため息をつくと、自分の為に新たなサンドイッチを注文した。

 

 

 

 

“ティーンエイジャーは、ホルモンと理不尽の塊である”と生身のイーリスが結論を下すのさして時間を要しなかった。彼女達が無尽蔵の信頼を寄せるのはイーリスの懐具合だけだ。

 

(まさか子供にこんなお金がかかるなんてね)

 

イーリスは親権を得るにあたって、個人の金融資産の大半をアーロンに渡してしまった。元々、肉体を得る予定がなかった。惑星アレスで持っていたのは遠隔操縦する機械の体である“義体”だ。

 

自分の為に資金を使用する必要性がなかった為に、イーリスは宰相としての給金の大半はこれまで孤児の為に費やしていた。AIが子供を持つのはそのような間接的なやり方をなると考えていたからだ。

 

(まずは姉妹であるセリーナとシャロンを、娘であるセリーナとシャロンと対面させましょう。)

 

自らが作成したクローン姉妹をアランに娶らせる。それをしたのは艦載AIがとしてのイーリス自身である。クローン姉妹に娘と同じ名前を使った。その事は混乱の原因となっている。その混乱に方向を与える為に、早急に娘達を叔母達に対面させる必要があった。これほど自分たちの人生に影響を与えうる相手なのだ。対面させないという選択肢はありえない。

 

(どうして過去の私は娘と同じ名前をクローン姉妹につけたのかしら?)

 

その答えは決まっている。イーリスは、そうしたかったからそうしたのだ。その時は、娘への愛を証明する最善の方法に思えたのだ。

 

 

 

 

イーリスが娘達を引き取った最初の週末、コンラート家を叔母であるセリーナとシャロンが訪れた。彼女達の訪問を受けるにあたっては、また一悶着あった。例によって事情を知った娘達の現実認識が、乱高下したのだ。

 

『自分たちと同じ名前の母親のクローンが皇帝の妻である』というのは、年頃の少女達には些か刺激的過ぎる現実だった。そして、『皇帝アランの意図がどこにあるか?』と言うのは娘達の主要な関心のテーマでもある。

 

「母親が姉妹から区別されて扱いが低いなら、それはそれで嫌」

 

シャロンがそう主張する。

 

『皇帝がロリコンだからでしょ。私たちも危ないわ。』

 

セリーナがそう主張する。

 

「2人を呼ぶから、会って判断なさい。」

 

冷静にイーリスはそう返答した。娘達は父親であるアーロンの血を強く受け継いでいる。どちらかといえば、いや間違いなく容姿は娘達よりイーリスやそのクローン姉妹の方が上だ。少なくともアランの好みに合うのどちらかは、対面させれば明確に伝わる筈だ。

 

 

 

「初めまして、叔母のセリーナです。」

 

「初めまして、叔母のシャロンです。」

 

手土産を持って軍服姿で現れたセリーナとシャロンは笑顔でそう切り出した。

 

「「は、初めまして」」

 

「2人ともよく来てくれたわ。」

 

所帯疲れを表情に滲ませながら、イーリスは2人に笑顔を向けた。絶体絶命の窮地に百万の援軍を得た思いである。

 

「ねえ、シャロン。カップを配って。」

 

イーリスが運んできた茶器の載ったお盆を指し示すと、2人のシャロンが同時に反応した。衝突を回避できたのは,叔母の方のシャロンの反射神経の良さによる。

 

「なるほど、これはややこしいわね。」

 

叔母のシャロンが唸る。

 

「早急になんとかしなくてはならないわ。解決を図りましょう、今すぐ。」

 

叔母のセリーナの発案で、娘達を交えて急遽会議が開催される。イーリスはその話し合いの輪から若干阻害されつつ、自分の手でコーヒーの注がれた茶碗を皆に配った。

 

「それでは、叔母世代を姉と呼びます。姪世代は妹とします。」

 

「「「意義なし!」」」

 

姉セリーナの決定に、姉シャロンと妹セリーナと妹シャロンが口を揃える。

 

「これでも、まだ問題があるわ。」

 

シャロンが今度はイーリスを睨め付けるように言う。

 

「あら、何かしら?」

 

久しぶりにゆっくりとコーヒーを飲んで、イーリスが尋ねる。

 

「イーリスお姉様の呼びかけよ。名前だけだと、同じ名前のどちらが呼ばれているか分からないわ。」

 

先程の事故はそれが原因か、とイーリスは思い出す。聡いシャロンは一度で原因まで含めて気がつき、対策をするつもりなのだ。

 

「姪世代、イーリスお姉様に取って娘達に呼びかける時は“ちゃん”をつける事。」

 

姉シャロンの発言に、娘達がイーリスに期待のこもった視線を送る。それは今のイーリスには何やら危険な兆候に思われた。母親面するAIを,こうやって飼い慣らそうとでも言いたげな視線だ。

 

「それは2人の教育に悪そうだわ。」

 

イーリスは事態の修正を図った。

 

「確かに友達の前で、母親に“ちゃん”をつけて呼ばれるのは恥ずかしいでしょうね。」

 

姉セリーナがイーリスに援護射撃を飛ばす。イーリスは姉セリーナに感謝の視線を送ってから言った。

 

「それなら“ちゃん”をつけて呼ぶのは、妹である貴方達の方がいいわね。セリーナちゃん、シャロンちゃん。」

 

姉セリーナと姉シャロンは“ちゃん”をつけて呼ばれて嬉しそうな顔をした。この呼びかけは主に家族内の、それも世代が入り混じった時に使われる筈だ。

 

対外的にはこれまで通りで、むしろ以前より距離感のあるセリーナ女王、シャロン女王と呼ぶ必要がある。だからこそ、イーリスが距離を縮めてみせた事を姉セリーナと姉シャロンは素直に喜んだ。

 

「「い、意義なし」」

 

妹セリーナと妹シャロンは少しアテが外れた様子でいる。しかし友人の前で“ちゃん”をつけて呼ばれるのは、思春期真っ只中の彼女達には容認できない事態だったらしい。その危険を潰す為に、この提案に素早く賛成する。

 

「決まりね。」

 

姉セリーナがその様子を眺めて満足そうに言った。

 

「流石はイーリスお姉様ね。これでスムーズに会話できるわ。」

 

姉シャロンも同意を示した。姉世代の2人の協力を得て、妹世代の理解は急速に進んだ。特に実際に妻をやっている側からの説明は、娘達がアランの人物像を理解する助けとなったらしい。

 

「私達が作られたのは、航宙軍の戦力維持の為だったの。」

 

姉セリーナが言う。

 

「そして結婚したのは、アランに責任をとってもらうため。もちろん私達がそうしたかったからかだけど。」

 

姉シャロンが言う。

 

「他に奥さんがいっぱいいるのって、嫌じゃないの?」

 

「そうねえ。」

 

妹セリーナの質問に、姉セリーナは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「夫の面倒を見るのは大変なのよ。それを妻達で分散すれば、妻達の時間はより有効に使えるわ。」

 

「それにアランとはずっと恋人気分で居られるし、ね。」

 

姉シャロンが、どこか新婚の甘さを滲ませながらそう告げる。

 

「他の妻達は政治的にアランと対立する場合もあるわ。アランの妻は、その大半が政略結婚だから。もちろんクレリアやエルナとは深い結びつきがあるだろうけど、そうじゃない奥さんもいる。」

 

姉セリーナのその説明に乗っかって、姉シャロンが補足した。

 

「そんな結婚生活で“アランを伴侶として選びあった私達”がいる。そうすると、アランの助けになる筈なのよ。」

 

 

 

 

姉セリーナと姉シャロンから見て、イーリスは母親として良くやっているように見えた。2人にはAIであった時代の長いイーリスが、上手く娘達に受け入れられるかやはり不安だった。クローンに対する偏見も未だ根強い。だから、来る前には色々と危惧していたのだ。

 

(大丈夫そうね)

 

(ええ、イーリスお姉様も生き生きとしている)

 

姉セリーナと姉シャロンはナノムを経由して会話を通じ合う。以前のイーリスであれば、この会話もモニタリングされていた筈だ。だが、今の生身のイーリスは彼女達が混ぜない限り会話に混ざることは出来ない筈だ。

 

(でも、料理が下手なのは意外だったわ。)

 

イーリスは料理が出来ない、それが意外な事実だった。ただ考えてみれば、イーリスも黙っていれば食事が用意される軍人なのだ。料理が趣味でない限り、軍にいると料理の腕を磨く機会はない。

 

「最初の料理は特に酷かったわ。」

 

「お陰で昼にホテルで食べた分が食べ過ぎにならずに済んだけど、ね。」

 

妹セリーナと妹シャロンが口々にそう言った。

 

「ちょっと失敗した、それだけよ。」

 

イーリスが澄まし顔でコーヒーを飲みながら言う。AIによる完璧な調理を期待していたであろう娘達が、じっとりとした目をイーリスに向けた。

 

「でも、このコーヒー美味しいわ。ね、イーリスお姉様。」

 

姉シャロンが褒め言葉を口にすると、イーリスが笑顔を見せた。

 

「良かったわ。いいコーヒーメーカーを購入したの。」

 

どうやらイーリスは自分で調理する父を諦めたらしい、と姉シャロンはその返答で察した。

 

「お昼はどうしましょう。何か買ってこさせましょうか?最近、贔屓にしているバーガー屋があるのよ。」

 

すっかり外食に慣れた口ぶりで、イーリスが尋ねる。すると妹セリーナが姉セリーナの手土産を指差した。

 

「私、それを食べてみたいわ。」

 

それはアレスで作られた缶詰である。味がついているのでそのまま食べられる。二足歩行する豚のイラストを、マスコットか何かと解釈した様子だった。

 

「私もそれがいい。」

 

妹シャロンも同調した。

 

(これは、恐らく似たような食事がずっと続いているのね)

 

姉シャロンはそう察した。外食に飽きているのだろう。

 

「私達はバーガーがいいわ。妹達に私達の分も缶詰を食べて欲しいから。」

 

姉セリーナがそう言うと、妹達は歓声を上げた。姉妹ではなく叔母と姪だが、年齢差はあまりない。姉妹という括りにする方が、互いにごく自然に振る舞える。

 

「バーガーなら私が買って来てあげるわ。何がいい?」

 

妹セリーナがメニューを取り出す。姉2人が覗き込んだ。

 

「じゃあ私は、お湯を温めておくわね。」

 

イーリスは席を立った。イーリスでも缶を湯煎する位は可能だ。むしろ糧食を食べる技術は、軍人である彼女は卓越しているのだ。

 

 

 

 

「風変わりな味付けだけど、美味しかったわ。」

 

妹シャロンがオークの煮込みをそう評価した。クラッカーと共に食べる糧食形式は、彼女のお気に召したらしい。羊のイラストの描かれたバーガーも、イーリスが請け負ったように美味だった。アルミスタン・バーガーという、名の知られた飲食チェーンらしい。

 

「アランはこの料理の腕で惑星を統一したのよ。兵士達の胃袋をつかんでね。」

 

姉シャロンが冗談を口にする。兵達の間で使い古された冗句だが、妹2人はその言葉を真実の断片として受け止めた様子だった。

 

「また、食べたいな。」

 

妹シャロンがポツリとそう口に出す。

 

「あら。気に入ったのなら、好きなだけ送ってあげるわ。」

 

姉セリーナがそう約束すると、妹シャロンが首を横に振る。

 

「そうじゃないの、また私たちに会いにきて欲しい。」

 

その口ぶりは真に迫っていた。姉2人は顔を見合わせる。

 

「喜んで。」

 

「それなら、毎週末に押しかけるわ。」

 

次の週末は外に出かけましょう。そう計画を立てる彼女達を眺める。イーリスはようやく、家族の団欒らしきものを味わっていた。

 

 

 

 

久しぶりに軍服に身を包んだイーリスは、艦隊本部へと足を踏み入れていた。緊張した様子の女性中尉が案内役として彼女の前に立つ。

 

「アイローラ提督はこちらです。」

 

「ありがとう。」

 

礼を言ったイーリスは、アイローラ提督の執務室へ入ろうとする。そこに案内役の女性士官が声をかけてきた。

 

「あの、失礼します。」

 

「何かしら?」

 

「帝国宰相が航宙軍士官で、我々は大変光栄です!」

 

「…ありがとう」

 

女性士官に見送られながら、イーリスはアイローラ提督の執務室に入る。

 

「お久しぶりね、カーラ。それともここは航宙軍士官として敬礼した方が良いかしら?」

 

「かけてくれ、イーリス。航宙軍から士官として認められているが、君は帝国宰相でもある。お互いに敬礼は必要ないだろう。」

 

アイローラ提督は笑顔を見せた。アラン・コリントと結婚したアイローラ提督は、アランの妻の1人である。今は提督として航宙軍全体に目を光らせている為に固辞しているが、退役後は女王位を約束されている。それも惑星アレスを含むアサポート星系が予定されていた。アランだけでなく、イーリスにとってもある意味では身内である。

 

「親権を得るにあたってのご尽力、感謝しているわ。」

 

「君の貢献を考えれば、当然のことだ。」

 

イーリスが娘達の親権を得るには、人として認められる必要があった。その地位の保証は航宙軍が行った。アランの意を汲んだアイローラ提督の判断が寄与している。ただ航宙軍の関係者でわざわざ戦艦〈イーリス・コンラート〉に楯突こうという者もいない。今は人工天体というべきあの戦艦の実力を、知らぬ者はいないからだ。

 

「それで、親としては順調?」

 

「ええ、怖いくらいよ。毎日あっという間に時間がなくなるわ。」

 

それを聞いてアイローラ提督が複雑な顔をする。彼女は今の所は、家庭に入る気はない。だがそれはそれとして、結婚したからにはアランの子を授かる夢もあるのだろう。

 

「さて、それでは今日の本題に進もうか。」

 

とめどなく溢れ出るイーリスの子育て話に釘を刺すべく、アイローラ提督はようやく口を挟んだ。少し不満げにイーリスが口を閉ざす。機密情報を躊躇せず話せる相手は、限られるのである。際限なく娘自慢をしたいイーリスは、常に話し相手に飢えているのだ。

 

「…航宙軍の本拠地の移動は順調だ。もちろん君は承知しているだろうが。要請を全面的に受け入れてくれて感謝しているよ。」

 

「航宙軍の一体化の為に、これは必要な措置ですから。」

 

アイローラ提督は進捗状況を表示した。アサポート星系を本拠地とする航宙軍は、新たな本拠地を得ていた。〈イーリス・コンラート〉艦内である。無重量区画として利用できる港湾施設内に主要な艦隊を収める。その上で重力区画内にも幾つもの施設を確保していた。これらは惑星アデルとも惑星アレスとも転移ゲートで繋がれている。既存の設備を残したまま、航宙軍の本拠地が新たに拡張される形となっていた。

 

「航宙軍をノヴァミサイルの直撃から守り易くなったわ。効率的な再配置と、施設の拡張にも余裕があるわ。」

 

イーリスは自らが艦載AIを務める〈イーリス・コンラート〉が今は航宙軍の本部そのものである状態をそう表現した。月に等しい大きさなのだ。内部に空間はいくらでもある。

 

「士官学校の移設も承知した。艦隊の本部と共にあるのは当然の事だ。演習場はいくらでも確保できるようだしな。」

 

「手付かずの区画は広いですからね。ジノヴァッツの元帥就任で、イリリカの戦犯も解放となりました。海兵隊には訓練を兼ねて魔物狩りの手も借りたいと考えています。」

 

〈イーリス・コンラート〉の技術の大半は人類に由来している。しかしその巨体が宇宙空間を航行するのは魔素を用いた魔法と呼ぶしかない造物主の技術に依存する。その魔素の創出と循環には魔物が必要であり、魔物を殺した際に放出される魔素を取り込む事で人工天体内のサイクルは完成していた。狩人が減ると、艦の運行に支障が出かねない。殺すだけならドローンでも可能だが、解体した上で食べてもらうのが効率は最善である。

 

「しかし今日来てもらったのは、これだ。仮称ロイヤルコースとあるが、これは必要なのか?」

 

アイローラ提督は少し呆れたような口調で、士官学校にロイヤルコースを新設する構想について問うた。

 

「惑星アレスの貴族を士官学校に入れたい。これは分かる。無試験というのもまあいいだろう。卒業させる基準は維持するという事ならな。しかし、士官学校で王侯貴族の礼儀作法を教えるコースというのはなんなんだ?」

 

冗談だろう、という口調である。

 

「協力や技術開示にも可能な限り答えてくれた点は感謝する。魔素の研究も開始できるだろう。」

 

魔素はアランが皇帝たる地位を得た源、バグスを駆逐する決め手だった。正式に人類全体がアランを皇帝として戴く事に同意したとはいえ、その秘密を開示するかどうかは緊張を孕む要素である。それが魔素を充満させた人工天体である〈イーリス・コンラート〉への航宙軍全体の移設という形で実現した。航宙軍が真の皇帝の手足となる一体改革の為には、互いに必要な措置ではある。

 

「だがこのロイヤルコースは、惑星アレスの事情に寄せすぎだろう?」

 

アイローラ提督の疑問はそこであった。彼女の理想とする航宙軍士官の育成は伝統的な選抜主義である。

 

「アランと私は、士官学校を最上位の教育機関と認識しています。それは権威の面でも。」

 

「それは当然の事だな。」

 

イーリスの言葉に、アイローラ提督は頷く。バグスとの戦争に専念せざるを得なかった人類は、そのリソースの少ない割合を航宙軍の維持と発展に割いていた。最先端の技術開発は航宙軍の為に行われて、最良の人材育成も士官学校が当てられていたのだ。そこには通常士官の育成だけでなく、技術よりの士官とその専門領域も含まれる。研究テーマが義務付けられている以上、その内容は士官学校とその関連施設で網羅される必要があるからだ。

 

「人類スターヴェイク帝国が認める家族間の駆け引きや常識というものが、一種の技術のような専門性の高いものと見なすという事です。」

 

「いや,しかし。」

 

話が平行線を辿りそうになるのを、イーリスは手で制した。

 

「アランとクレリアは貴族家の継承の前提に、士官学校の卒業という能力を前提としようとしています。」

 

「…聞いている。」

 

貴族制の難点は、能力水準の維持にある。本来は親の役目を子が受け継ぐ事で社会を安定化させる。アランはそこに“航宙軍士官”としての水準を求める事にした。バグスという敵を失って、縮小のみならず解体要求が出ている航宙軍の維持の為でもある。

 

「貴族の能力を維持したい点で、惑星アレスの貴族社会と皇帝の意向は一致します。肉体面の不備は修復可能ですし、貴族への特権として無料で入学させてもいい。」

 

「貴族の甘ったれを叩き直すのに厳しい教育が必要なのは同意する。士官学校の躾は向いているだろう。が、そうやって鍛えても航宙軍士官として使い物になるかは。」

 

「その為のロイヤルコースです。士官としての勤務内容を限定しましょう。本当に優秀な士官は、通常工程から生まれるように。」

 

アイローラ提督が暫し考える。

 

「これは隔離、という事か?」

 

「士官候補生として優秀なら、コースを移動させれば良いでしょう。ロイヤルコースは貴族の世襲に足る能力を示せば卒業可能とします。何より、彼らは部下を指揮する能力を鍛える必要があります。」

 

アイローラ提督は考える。王族や貴族は生まれながらの指揮官であり、大なり小なりその配下がいる。世襲の地位を認めるという事は、能力の不足した指揮官を容認する事に繋がりかねない。

 

「なるほどな。しかし例えば姫様が肉体を鍛錬するのに耐えられるのか?」

 

「どこかの王国の王女様でも、運動能力を鍛えて問題は無いはずです。実際、クレリアはそれを求められました。その先例がある以上、備える事に意味があります。それに走る能力は、それこそ危険からの逃げ足を鍛える事にもなりますから。」

 

走るという一点にしても、士官学校の要求する水準に引き上げる意味はあるだろう。王女がその地位を利用して宮殿内に引き篭もっているより、人としてはよほど健全では無いのか。

 

「納得はした。しかし君の娘達の入学を前提とした、些か恣意的な運用にも思えるが。」

 

その言葉でイーリスを刺したつもりのアイローラ提督は、不遜な笑みを浮かべるイーリスに気がついた。

 

「あら。面白いことを言うのね、カルラ。」

 

イーリスはそう言って楽しげに笑う。

 

「貴方とアランの間に、いつか子を授かるでしょう。貴方は女王位が内定しているし、アランとの子を望んでいる。医学的な問題があったとしても修復可能でしょう。そうすると子を授かるのはほぼ確定した未来よ。その時、アランと貴方と間の特別な子供をどこに通わせるか考えた事はある?」

 

カルラ・アイローラ提督は呆気に取られた。その時点では、物事を考えた事が無かったからだ。

 

「皇帝の子であれば士官学校に入れたい。しかし特別な配慮が必要だろう。そうなるとやはり…」

 

「…ロイヤルコースよね。」

 

王侯貴族の地位を世襲させる前提とする事で、士官学校の求める最低限の能力を身につけさせる。厳しい環境を維持するにしても、軍が管理する事で安全は維持する。アイローラ提督は『自分の子が王子だ』と気付かされて初めてこの構想の真意を理解した。

 

「確かに、これは必要だわ。」

 

これまでとは違った視点で計画を見直す。芸術に才を発揮して地位を捨てても夢に進みたいならそれでもいい。しかしごく普通に地位の継承を望むなら、貴族の子弟には士官学校卒業程度は目指して貰わなければ話にならない。貴族には入学試験免除とする事で、士官学校の維持という政治的な軋轢はなくなる。卒業の基準が厳しくも妥当なら、長期的な視点ではトラブルの回避に役立つはずだ。

 

「早急に計画を進めたいの。娘達の入学に間に合わせるわ。」

 

イーリスはそう言ってアイローラ提督に協力を要請した。確かにイーリスの子供なら、宰相の子である。その地位が低すぎるという事はない。テストケースとしては申し分ないだろう。

 

「カリキュラムは走りながらでもいいでしょう。初期教育は士官学校のものをそのまま当てはめて、専門性を拡張していけばいいはずだから。」

 

「体力面は事前に家庭教師をつけるなどすれば可能でしょうね。士官学校を目指す子が入学前にトレーナーをつけて鍛えておくのは、珍しくない話ではあるから。」

 

アイローラ提督とイーリスは話し合った。必然性が明確になれば、計画は具体性を帯びる。

 

「礼儀作法を専門コースとするのは反対だったけれど、こうなると必要よね。人前に出る基準としてみれば妥当だわ。」

 

貴族嫡男を皇帝の主宰する学校に送り出して、軍人としては鍛えられても貴族としての立ち振る舞いを欠いては話にならないだろう。マナーを磨いてこそ、宮殿での立ち振る舞いが可能となるのだ。

 

「…それなりに大変そうね。」

 

「貴族でいたいのなら、この程度のハードルは必要だわ。命までかける必要はないのだから。」

 

特権的な地位は、その地位にあぐらをかくもののみで占められてはならないだろう。兵を率いて参集するのが貴族の役目である以上、士官学校教育でその能力を担保されるのは理解が得られる筈だった。




“アリスタ”に続くという事で“イーリス”の登場です。そう、外伝は「あいうえお順」を予定しています。

イーリスの娘達の登場については、カースやサーラ登場の頃から考えていました。ただバグスとの戦争中だと幸福な登場になるとは思えませんでした。その事もあり、戦争中は未登場だった(戦後まで先送りした)経緯があります。

独立した外伝のテーマとして、セリーナとシャロンが複数人登場するややこしさを表現しました。原作が続いた時、執筆が面倒な箇所ではないかと思います。

イーリスの夫であるアーロンは、既に戦死しているという展開も最初は考えました。正直、ご都合主義過ぎると判断しました。またイーリスはハッキリ戦死している為、アーロンが再婚しているのが妥当です。

娘達については意図してより子供っぽくしました。セリーナやシャロンと年齢はさほど変わらないのですが、親に対する甘えを敢えて出しています。イーリスの親目線も理由です。

イーリスは原作でヒロインという認識です。娘目線でその辺りを描くことを目的とし、イーリスと娘達が言い争う形としました。

士官学校の改革は、軍事と学校というアランの専決事項です。貴族対策があるのでクレリアの同意の下で進めている形ですが、帝国を安定化させる構成要素として組み込まれました。

アイローラ提督は航宙軍を代表して登場しています。彼女は今後は縮小が必要とされる航宙軍について対応する役目です。この戦後をどう描くかは、他の外伝でも主要なテーマになる筈です。
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