【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅱ アロイス・セシリオ戦役 36話 【往還編】 イーリスの役目
ビッグブルーサーペントは汽車でオルト村に運ばれた。串焼きとして皆の食料となり、喜ばれたそうだ。王都に戻った俺たちは串焼きを食べそびれた。
脱出ポッドの回収の為、ギカントブルーサーペントの上半身はアレスに運ばせた。ギガントブルーサーペントは人目に触れて話題になる。何を飲み込んでいるかは余り注意が向けられない。脱出ポッド輸送の格好の隠れ蓑となってくれたようだ。
テオの撮影したフィルムはアレス市内で先行公開した。娯楽に飢えた市民に好評を博したそうだ。死体という証拠があって、倒した際の映像が見られるのは面白いと人気を博した。カメラ映えするエルナの活躍ぶりが人気という面もあるらしい。
近隣の飲食店を含め、映画館の常設化を期待する市民の声が根強く寄せられていた。この為、最新の情報を流す形として存続させるべきか文官の中で検討させていた。
「やはりアラン様の周囲では、撮影する題材に事欠きませんもの。続けさせて頂きたいのです。」
カリナさんは映画事業に喜びを見出しているらしい。
「左様、アラン様の英雄譚を世に知らしめる事は重要な職務ですな。我らも期待しておりますぞ。」
ロベルトも映画には好意的だった。
「アランの活躍ぶりを記録に残せるのは嬉しいわ。これまで皆に話しても『法螺話だ』『惚気話だ』となかなか信じてもらえなかったもの。」
リアも映画館の常設化に賛成らしい。最初からカラーフィルムを採用したのも良かったのだろう。誰かが絵画のようだと言っていたが、動く絵という立ち位置を確立している。
「やはり、目で見なければ信じられない事がありますからな。」
本来は即位式を周知させる目的だったのだが、フィルム上映はアレスならではの娯楽であり観光に帰するという面もある。
加えて、戦争をしていると市民が情報に敏感になるのだろう。今は広場に布告のような形を取っているが、映像の方が伝わりやすいのは確かだろう。情報公開は政治の満足度を上げる上での大原則だ。情報周知という点は今後の要検討課題だな。
「さてイーリス、作戦の進捗はどうかな。」
「はい、順調に降下しています。」
回収した脱出ポッドはイーリスにより半導体を入念にテストされた。『機能に問題なし』として新しい管制プログラムが注入されている。
軌道エレベーターの管理は新しい半導体に引き継がせ、無事なポッドを軌道エレベーターとした。これで正式稼働の環境構築が完了した格好だ。
資材を満載したポッドは順調に衛星軌道に到達した。既に無事、戦艦イーリス・コンラートとランデブーしている。そして、軌道上から今まさに到着を果たすところだった。
ポッドへの乗り降りは王宮内で行えるようにしていた。ケーブルは王宮敷地内から天に伸びている。ワイバーンやグローリアは、近づかないように対策をしている。飛行中にケーブルと接触すれば、触れた場所が切断されかねない為だ。『不敬にならないように王宮上空の飛行禁止』、という形で乗り手には周知させた。
この日の為に呼び寄せたセリーナとシャロン、そしてグローリアと共に降下するポッドを出迎える。
2人を呼び戻すにあたっては休暇という形にした。アロイス最前線の備えはヴァルターに任せ、援軍としてアダー率いる直轄部隊を現地入りさせていた。セシリオ方面が手薄になるが、戦況は安定している。この瞬間は俺達皆で分かち合うべきだろう。
銀色に輝く脱出ポッドが滑るような速さで降りてくる。イーリスが『まだ太さが規定に足らないから支障があります』と、ケーブルの口径を気にするのも納得だった。相当に速い。
「昼なら陽光を反射して綺麗だったでしょうね。」
シャロンがポツンと呟く。
「余り目立ってもまずいだろう。」
「どうしてですか、ここはもう私たちの国なのに。」
軽く答えたつもりだったがシャロンに激しく突っ込まれた。どうしてダメなのか。その理由を言葉にするのは難しい。
我々の素性が知られるのはまずいから。まだ奥の手があると敵に知られるのがまずいから。
「情報の秘匿は軍事作戦の鉄則だわ。手の内を晒すと、どこで妨害を受けるか分からないもの。」
落ち着いた口調でセリーナがシャロンに反論してくれる。
「アラン、シャロンも悪気はないんです。私達にとっては記念すべき日なので。」
「そうだな、気持ちはわかるよ。」
皆押し黙った。軌道上との交流が復活すれば大いなる進展だ。これまでの進捗と照らし合わせて、シャロンが逸る気持ちも良く分かる。
「ここにいて大丈夫でしょうか?」
軌道エレベーターは未完成だ。ケーブルの太さが足りず、ブレーキは普通の降下ポッドと同じ方式を使う。パラシュートとスラスターによる急減速だ。
「脱出ポッドのスラスター推力は全て合計してもそう高くない。が、一応安全な距離を取ろうか。」
皆でグローリアの陰に入ると、盾にされたグローリアが抗議する。
「もう、私だけ隠れ場所が無いんですよ、ぷんぷん。」
懸念するとしたら着陸のスラスター噴射で丸焦げになる展開だが、イーリスが説明する限り、その心配はないと言っていた。
「お、到着したぞ。」
パラシュートの影響で降下速度を緩め、しずしずと降下する脱出ポッドは一瞬スラスターを煌めかせる。刹那的な淡い光。その閃光はあまりに短くて目の異常故の錯覚を疑うほどだ。
スラスターは役割を果たし、しっかりと降下速度を減少させる。その間にポッドのギアがしっかりとカーボンナノチューブのケーブルを噛む。
後は普通のリフトとしてポッドは静かに降下した。着地したポッドの蓋が静かに開く。中から現れたのは、立体映像で見慣れたイーリスの姿だった。
「大尉っ!」
セリーナとシャロンが敬礼も忘れてイーリスの身体に抱きつく。彼女達の歓迎ぶりに少し当惑の表情を浮かべながら、イーリス・コンラート大尉は俺に向かって敬礼した。
「艦長、イーリス•コンラート大尉。アレスに着任致しました。」
「コンラート大尉のアレス着任を歓迎する。待ちかねたよ、イーリス。道中無事だったかい。」
答礼しながら言葉をかけるとイーリスは顔を綻ばせた。
「ええ、何も問題ありませんでした。」
都市の行政が帝国の運営に変わった今、専業で帝国の行政差配に専念する人材が必要だった。
求められるのは帝国の行政と教育を統括し、戦争の後方指揮を務めて兵站管理を丸投げできる有能な宰相。『それが務まるのはイーリスしかない』という結論は早々に出た。
仮想空間ではイーリスの活動に限界がある。イーリスを地上に呼ぶ。その実現方法については、議論を重ねた。
クローンを使うというアイディアは却下した。違法性の高い手段だったし、胚から形成するクローンには独自の人格がある。それは冒してはならない生命だ。
クローン製造を認めない方針にも変更はない。そもそもクローンでは能力的にも課題がある。必要としているのは教育が必要なクローンではなく、膨大な情報に瞬時にアクセス出来るイーリスそのものだからだ。それは人の限界を超えた存在に他ならない。
今回は、医療用ナノテクが負傷兵の為に身体のパーツを再生する仕組みを利用した。リアの破損した手足を再生したのと同じアプローチだ。基本的には体はオリジナルのイーリスのクローンに極めて近い。しかしセリーナやシャロンの組織サンプルから再生された身体のパーツは、部位のみで脳も魂もない。
この肉体の頭脳はあくまでイーリスだ。AIの彼女が遠隔で操作している。軌道エレベーターのケーブルは通信のケーブルという役割も担う。生身といっても事実上サイボーグ、いや分類上はAIが制御するのでアンドロイドと言えるだろうか。軌道上から通信可能な範囲でしか動くことができない遠隔端末の扱いだ。
並のAIではこのような端末の処理が難しい。だが戦艦搭載AIは単体性能が最高級だし、イーリスは複数のドローン操作に長けている。公式には認めないが人間の時代の記憶もあると噂されている程、人間臭いという特徴もある。そしてここまで人を模した遠隔端末は珍しくはあるが、他に類例が無いわけではない。
「グローリア、私達もようやく会えたわね。」
イーリスはグローリアと仲が良い。手の感触を楽しむようにグローリアを撫で回していた。
「お会いできて光栄です、イーリス。」
グローリアはイーリスに撫でられてグルグルと喉輪を鳴らして喜んでいた。
「こうしてみると、やはり大尉は私達にそっくりですね。」
シャロンがしげしげとイーリスの動く様子を眺めている。立体映像でなく物を動かすイーリスは新鮮なのだろう。
イーリスは3人の中で1番年長に設定されている。関係性を考慮しても妥当だろうが、艦内の艦載AI時代の仮想映像よりは少し若く設定されているように見えた。また、服装のせいか胸が強調されているように見える。制服姿の時はあんなに胸が大きかっただろうか。
「同じ遺伝情報から生み出されていますから。でも、必要に応じて少しだけ変えています。」
イーリスのその言葉に、皆の視線がイーリスの強調された胸に注目する。
「心配しなくても、2人が大人になれば胸も大きくなりますよ。」
3人の視線が胸に集中しているのが分かったのだろう、イーリスはそう説明した。が、セリーナとシャロンの怪訝そうな目つきは消えなかった。
(凄く怪しい)
(大尉のあの胸、絶対に盛っている)
セリーナとシャロンの会話が喧しい。自分と同じ遺伝情報を持つ相手にそんな発言をして虚しくはないのだろうか。いや、これは同じ遺伝情報を持つが故に、なのだろうか。
しかし、こうしてイーリスが自由に動き回るのをみると、艦長就任前の中尉だった時代が思い出されるな。
「ともあれ、これで私が惑星の統治に関与出来ます。艦長の負担はぐっと減りますね。」
イーリスの両手が俺の両手を包みこむ。その温かな感触に、AIだと分かっていても俺はドギマギしてしまった。それは、セリーナやシャロンの未来の姿そのものであり、俺はイーリスに二人の面影を重ねてしまったのだろうか。
アレスでは文官を中心とした家臣団が王宮に出仕する。朝を待って彼らを大広間に集めて簡単にイーリスのお披露目を行った。イーリスが深く関係するのは彼ら行政を担う者達だからだ。
リアに対しては、セリーナとシャロンが先に紹介を済ませた。『身内である私達が紹介する方が自然です』と言われて、リアに紹介する役は2人に押し切られてしまった。
この為、今回はあくまで家臣へのお披露目の場だった。リアは『セリーナとシャロンの身内なら問題あるわけが無い』という感じの応対だったそうだが・・・。
「皆、注目してくれ。俺の部下を紹介したい。彼女の名はイーリス、セリーナとシャロンの母…」
「姉です」
「…親がわりの姉だ。これまではアレス建造の取りまとめなど支援を担当していた。ようやく諸々の手配が落ち着いてこちらに呼び寄せる事が出来た。俺の信頼する部下だ。皆、よろしく頼む」
「皆様、よろしくお願いします。」
俺の言葉にイーリスが殊勝げな様子で頭を下げる。短い歓迎の声が上がる。
(姉?)
(姉って言い切ったよね、今)
一方、密かにセリーナとシャロンの通信が飛び交う。当然ながら彼女達の会話はイーリスにもダダ漏れの筈なのだが、イーリスは何も知らない様子で涼しい顔をしていた。
(セリーナが、リアには身内としか言わなかったから。)
(私は、追い詰めないように従姉妹くらいのニュアンスで伝えたの。)
(あー、そこをまんまと利用されちゃったわね)
(リアから見たら、世代的には叔母の方が相応しい筈よ。そこまで大尉を追い込むのは気の毒で。)
アレス建造を担当した、という点に納得する声が多いようだ。誰か、がアレス建設を担当したのは皆知っていた。その素性は謎めいていたが、『ようやくその誰かと会えた』そんな謎が解けた想いがあるのだろう。
「おお、セリーナ殿とシャロン殿の姉君ですか。よく似てらっしゃる。お2人もいずれイーリス殿のようになられるのですな。」
「そうなりますでしょうか。」
「なんと言いますか、イーリス殿は実に完成された美しさですな。」
ロベルトが相好を崩しながら対応している。好みの顔立ちだったのだろうか。単に美人が好きなだけなのかもしれないな。
まあ、実際はロベルトなりに歓迎の意を示しているのだろう。朝はこちらに顔を出すザイフリート士爵も笑顔だ。イーリスもすんなりと皆に溶け込めそうな、そんな和気藹々とした雰囲気だった。
「私と妹達は歳の離れてる姉妹なのです。両親が戦乱に倒れまして。以降は、私が親代わりで。」
「なるほど。それで姉妹揃って軍人になられたのですな。」
「はい。幼い妹達を養う方法がそれしかなくて。妹達も私の後を追って軍に志願してくれたのです。」
嘘ではないが真実とも言い難い会話をイーリスが展開する。セリーナとシャロンも何とも言えない微妙そうな表情を浮かべていた。
まぁ『身内が知り合いと自分の話をしている』気恥ずかしい状況は万国共通らしい。皆、特に違和感は感じていないようだ。
「アラン様の股肱の臣であれば、我らと同じ。これからは皆で力を合わせてアラン様クレリア様を盛り立てて参りましょう。」
「ええ。ぜひ、よろしくお願い致します。」
「イーリスお姉様、そろそろ」
会話の内容に焦れたシャロンがイーリスに声をかける。
「あら、いつものようにお姉ちゃんと呼んでくれないのかしら?」
肉体を得たらAIでもハイテンションになるのだろうか。絶好調で飛ばしまくるイーリスに、セリーナもシャロンもタジタジになっている。こういうやり取りは、見ているこちらまでなんだか恥ずかしくなるな。
「イーリス、余り妹達を揶揄わないように。皆、見ての通りイーリスはセリーナやシャロンと良く似ている姉妹だろう。これまで姿を見せなかったのは支援活動に従事してくれていたからだが、アレスの完成でわかるようにそちらにも目処が立った。優秀な事務官なので、俺の代理としてアレスの行政を任せたい。」
「なんと、それでは私と仕事が被るのではないですか」
先ほどまでイーリスに鼻の下を伸ばしていたロベルトが不服そうに言う。そこにすかさずリアが口を挟んだ。
「何を言っておるのだ。そなたはスターヴェイク王国の再建の総責任者にならねばならぬ。スターヴェイク奪還後に我が王国の復興を司るのに相応しい家臣は、ロベルト、そなたをおいて他にいない。」
クレリアの言葉にロベルトが膝を打つ。
「これはしたり。左様でした。私はクレリア女王陛下の下でスターヴェイク王国の再建を担わねばなりません。」
「そういう事だ。国の規模が大きくなれば、皆の負担は重くなる。皆で助け合って政務に勤しんでくれ。」
「かしこまりました」
ふう、どうなるかと思ったが、最後はリアが上手く纏めてくれた。これでイーリスのお披露目も無事に済んだな。
その夜、密やかなノックの音が俺の寝室に響いた。
「イーリス、早いな。」
俺はイーリスを室内に迎え入れながら声をかける。
『医学的な検査を伴う報告がしたい』そう予告されていた深夜のイーリスの来訪だった。
「イーリスに寝室はあてがわれている筈だが。」
「ええ、立派な寝室を頂いています。正直言って、この身体は睡眠を取る必要はないのですけれど。」
イーリスの肉体は生身の人のパーツで構成されているが、中枢はAIが制御する人工物だ。人間の脳は存在しないから人間と同じ睡眠は必要ないのだろう。ナノムの制御も行っているので、肉体のメンテナンスも問題なく行えるはずだ。
「それで、結果の報告だって?」
「はい、その前にまずは医学的な検査です。」
イーリスが俺にベットに横たわるように示す。ベッドに横たわり、そこでようやく俺はこれが検査に備えての指示だと気がついた。
「医学的な検査、それは俺が対象か。セリーナとシャロンはもう済んだのかな?」
「ええ。彼女達の寝室でもう済ませました。異常ありません。」
俺がベットに横たわると、イーリスはベットの脇の椅子に座る。
「ナノムのモニタリングがあるだろう。あれで大抵の検査は済ませている筈だが。」
体調管理は艦載AIよりナノムの範疇である。それは身体検査が個人情報の塊だからだ。ただし、ナノムも万全ではないので、病状によっては医師の診断が入る。そういう場合だと、今の我々では専門知識を有するのは艦載AIのイーリスの担当になるだろう。
個人データなのでイーリスは勝手に閲覧ができない。しかし問題があれば通知がいくようには設定していた。健康診断に該当する定期報告も許可している。
「艦長にはある傾向が見られます、その実際を確認する必要があるのです。」
「それでどんな目的の検査をするんだ?」
「今回は精神的ケアと性的不能の治療が目的です。」
俺は目を剥いた。
「性的不能だって?」
「はい。」
イーリスが俺に向き直る。
「順を追ってご説明しましょう。艦長に就任される際、将官就任の規則により条件付けが適用されました。」
「ああ、よく覚えている。上級士官教育という名の洗脳だな。」
一人の男が暴走し、人口数十億人の惑星を滅ぼしかけた。それ以来、安全措置として上級士官に対しては洗脳という手段がとられていた。
軍規に反する行動は文字通り取れなくなる。誰だって自分がそのような措置を受けたい訳ではない。個人の権利の侵害も甚だしいが、住人の安心には繋がっていた。指揮官の地位に伴う義務という形で帝国軍内で容認されているというのが実態に近い。
「そして軍規には、過剰な性衝動を取り締まる風紀についての規定があります。」
「当然だろう。艦の最高権力者がセクハラなどもっての他だ。部下でなくとも誰彼構わず手を出すようではハニートラップにかかり、情報漏洩するようなリスクにも繋がる。」
尉官くらいなら上陸の際のストレス発散は奨励される。が、佐官以上ともなると途端にチェックが厳しくなる。俺は士官でも、海兵隊なので性的には寛容な環境だった。だが佐官級の艦隊士官、特に艦長候補ともなれば身持ちの固さが要求される。
「はい。将官の下半身事情は包み隠されるべきものです。法を守って個人として楽しむ範囲で適用され、悪用される危険は最小にしなくてはなりまさん。」
その時、俺はようやく思い当たった。
「まさか将官の性的衝動に、条件付けで抑制をかけているのか?」
「はい、不必要なリスクを最小とするように設定されています。軍規では性交渉を禁止しているわけではありません。登録されたパートナーや夫婦間のそれは奨励されています。」
夫婦間の性交渉は禁止されていない、そう聞いて俺は安堵した。
「それなら、まず問題がなさそうだが。」
「しかし関係がなかった相手との性交渉は抑制される傾向があります。元々、将官就任が想定される年齢は高く、それまでに婚姻によって適切な性的パートナーが確保される前提に立つ制度です。艦長の場合は、年齢的にも事前準備的にも例外を重ねた処置でした。この為、性的抑圧の傾向が強く出ているようです。」
確かに、惑星アレスに到着して以降、俺は魅力的な女性をみても性的な衝動は希薄だった。これまで娼館に行きたいと思った事もない。惑星の人類の運命を握る任務の邁進に忙しい為と考えていたが、本来、生きるか死ぬかの状況が続けば生殖本能も強く刺激されていた筈だ。
海兵隊員時代の経験と照らし合わせても、これは明らかにおかしい。しかしイーリスの指摘を受けるまで、男性機能の低下なんて点に気がつきもしなかった。これも帝国軍お得意の認識阻害の成果なのだろう。
「もし俺が性的不能なら、妻との間に子孫を残すことは難しいのだろうか?」
自然妊娠に頼らず人工受精という方法はあるかもしれない。検討に入るべきだろうか。それでもチクリと胸が痛むのは、リアの事だ。健全な夫婦生活を維持できないなら、彼女とは結婚するべきではないかもしれない。
「人類世界は様々な結婚形態を持ちます。現地の法や習慣に照らして婚姻関係が適法であれば問題はありません。そして将官であっても、婚姻による性交渉は何ら規制がありません。」
「良かった。」
それなら、この件でリアの泣き顔を見る恐れはなさそうだ。
「しかし艦長の場合、やはり性的抑制が強すぎるようです。本来、結婚を約束した時点で性的パートナーと看做され規制は解除されます。しかしながら、この規制の適用範囲は本人の思い込む範囲に大きく影響されます。心理的な理由から、不必要に自制する傾向がある事はこれまでも報告されてきました。」
それは将官が性トラブルを引き起こすより、抑圧傾向が強いくらいの方が安心できたからだろう。集団の責任問題はならないよう、個人の権利を制限する。それは、いかにも帝国軍が好むやり方である。
影響範囲が大きければ大きいほど、個人の権利は制限されうる。少なくとも夫婦間で問題が生じない限り、軍はまともに取り合おうとはしない筈だ。対策もおざなりだろう。安心確保という大義名分の前では、個人のささやかな幸福は抑圧されうる。
「安心してください。これは上級士官教育における既知の不具合であり、治療の為の適切なプログラムはあります。」
「まさか電気ショック治療ではないだろうな。」
ナノムによる体機能の再調節と称して、過去に幾度かショック療法を実施された事がある。治療と頭で理解していても、実態は拷問に近い。
「いいえ、治療方法は支障のない相手との性交渉です。」
予期せぬイーリスの返答に、俺は戸惑う。
「しかし、先ほどの制約なら抑圧が強く出た場合に問題のない相手なんかいないだろう?」
するり、とイーリスがその身に纏っていたドレスを脱ぎ捨てる。そのプロポーションに俺は身惚れた。性衝動が抑圧されているなら、俺がこうしてイーリスの裸身に見惚れるのはどうしてなのだろうか。
「イーリス、何を。」
「安心してください、これは治療の一環です。艦長がよくご存知のように、私は人間ではありません。艦長はこの事を本能的に理解しています。」
俺は躊躇った。
「君には人格がある。それに大尉で俺の部下にあたるだろう。」
「人格があるから意思を確認できます。そして私は名誉大尉の階級があり、民間人や下士官と異なり将官のパートナー登録が可能です。」
イーリスが両手で俺の手を包み込む。香水をつけているのだろうか、それともイーリスの体臭なのか。立ち上る匂いにくらくらする。
「艦長の身体の反応を確認できたので、パートナーとしての登録を今しました。」
イーリスはAIだが、その肉体は生身だった。人工物と分かっていても、無意識に目が人と同じ点ばかりを探してしまう。
「ですので、セクシャルハラスメントとなる懸念はありません。そして重ねてご説明しますが、私は人間ではないので性的抑制の対象ではありませんよ。」
イーリスが俺に抱きつく。俺の服を素早く脱がせる彼女に当惑しながらも、俺は彼女に身を委ねた。
イーリスは夜のうちに忍びやかに去り、翌朝、俺はいつになく爽やかな目覚めを迎えた。
(こんな快適な目覚め、いつ以来だろうか。)
昨夜は『検査』以外にも、全身にイーリスによる丹念なマッサージを受けていた。あのような措置は確かに生身の肉体がないと難しいだろう。
イーリスからは『徐々に身体の疲れをほぐし、体調を回復させます。心理的な抑制が解消されるまで継続しますから。』と予告されている。不誠実かもしれないが、早くも今夜が楽しみだった。
イーリスは肉体を巨乳で若めの外見に設定している。それら全てが俺の為と説明されても、そこにはイーリスの見栄というか、女心のようなものが見え隠れしていると感じてしまった。
肉体を得たイーリスはAIと思えぬほど人間らしい。彼女の正体を正確に把握している俺ですらそうなのだから、他の皆には普通の女性にしか見えないだろう。
「アラン、ちょっと良いか。」
朝食の席で、少し考え事をしているとリアが話しかけてきた。リアの様子にドキリとしたのは偶然だろう。イーリスとの一連の行為は治療の範疇である。リアの為にもなるのだし、後ろめたく感じる必要はないのだが、色々と説明を受けた後でリアを結婚相手と認識するからこそ、逆になんだか妙に意識してしまう。
「どうしたんだい、リア。」
「イーリスは文官として実に優秀と聞いている。それでアランの負担も減ったのなら、そろそろカロットの利き腕の治療を頼めないだろうか。」
なるほど。以前、カロットの腕の治療についてはリアより入念にお願いされていた。後回しになっていたのは文字通り、積み上がる政務に忙殺されていたからだ。
イーリスが指示を出せるようになれば俺は事後承認で足りるようになる。障害があるとすれば鉄道部品の鋳造くらいだろう。イーリスの肉体はナノムが制御している。もしイーリスが魔法を使えれば、それさえ委ねられるかもしれない。
となれば時間は作れるようになる筈だ。カロットが近衛としてリアの護衛を務めるなら、利き腕の治療は必須だろう。まだ知り合って日も浅いが、伝え聞く限りでは仕事ぶりは悪くないらしい。
「了解した。今まで待たせて済まなかった。朝食後すぐに時間を作ろう。そちらはそれで問題ないだろうか?」
「ああ、本日は朝食後からカロットが出仕することになっている。到着次第、私が医務室に連れて行こう。」
どうやらリアも、近衛のカロットの治療に立ち会うつもりのようだった。
朝食後、リアと別れてから必要な品を用意し、医務室へと向かった。イーリスとは通信で簡単に打ち合わせをしている。カロットの不具合は右手の腱に障害がある可能性が高いらしい。
痛覚があるかを確認した後に、右手を大きく切断してヒールによる治療を試みて欲しいとの話だった。それが難しい場合、ナノム注入による再生修復となる。注入するナノムの量次第だが、その場合は1週間程度は修復に時間がかかるとの事だった。
リアに連れられて医務室に入室したカロットは緊張した面持ちだった。カロットは軍人のヴァルターより洗練された物腰で、同じ近衛でもダルシムよりは若い。なんというか、近衛の花形というべき優男だった。
最初は髪も髭も伸び切って薄汚れていたから気が付かなかったが、今は王宮勤めとあって見違えるほどサッパリとさせたようだった。その変貌ぶりに王宮内の侍女達が色めきたったというから、その色男ぶりは本物だろう。
「これまでなかなか手が空かなくてすまない、依頼から随分待たせてしまったね。」
「いえ、アラン様直々に治療頂けるとは、恐縮です。」
椅子を薦めるとカロットは恐縮しながら腰を下ろす。
カロットの指先をナイフでつついて神経の反応を見る。問題がない。傷跡を観察する。イーリスとも話し合うが、やはり腱の損傷を疑うべきだろう。
完全にではないが、うまく力が入らなかったり精密な操作は行えないようだ。しかし昨日は俺がイーリスに診察され、今日は俺がカロットを診察する。当たり前の話とはいえ、人の世界とはすぐに立場が変わって奥深いな。
「カロット、治療方法は2つある。まずヒールを試したいので、傷を大きく切り開く。今の傷跡も消えて、すっかり綺麗に治る筈だ。恐らくこの方法で治せるだろう。だか身体の構造は複雑で、俺の見立てとは違うかもしれない。その場合はリアと同じ治療法を用いる。それだと少し時間がかかるな、そう一週間もあれば治ると思うが。」
カロットはポカンと俺を見つめていた。
「ん、何か治療方針に疑問があるだろうか?」
「こ、この腕が治るのですか?」
「ああ、問題ないな。」
「ここだけの話だが、私はもっと状態は悪かった。流石に治療には時間がかかったが。アランは精霊にお願いしてくれるのだ。」
リアが横から自分の経験を元に説明を加える。
「それはなんと夢物語のような。」
カロットは呆然としていた。治療師のヒールを試して治療できなかった傷だ。もう腕は治らないものと、そう覚悟を決めていたのだろう。
「傷口を開くから、夢心地ではいられない筈だ。切り裂くので痛みがあるが、ヒールで治療するので我慢して欲しい。」
「痛みには慣れております、大丈夫です。」
舌を噛まないようにカロットには棒を咥えさせた。麻酔を使えば良さそうなものだが、神経の反応を見るには麻酔を使わない方が良いらしい。幸い、ヒールによる治療は一瞬だ。手早く済ませれば余り消耗させる恐れはないだろう。
カロットに傷の開口を予告する。医療用メスでなく申し訳ないが、傷は電磁ブレードナイフで切り開く。入念に消毒をしておりナノムのお墨付きを得ている。そうでなければ、普段から獲物の解体をしているナイフは治療目的で使えない。それにスッパリ切断される方が痛みは少ない筈だ。
「では始める。痛みは堪えてくれよ。」
棒を咥えたままカロットが首肯するのを確認し、俺はナノムによるガイド表示に従い一気に傷を切り開いた。
カロットが驚いている。電磁ブレードナイフの切れ味に、ほとんど痛みを感じなかったからだろう。あるいは俺の思い切りの良さにたまげたのかもしれない。
「次は腱や神経を切る。一度切ってヒールで繋ぎ直す。手早く済ませるが、これはかなり痛むかもしれない。」
予告してから電磁ブレードナイフを煌めかせ素早く神経や腱を切り離す。開口すると、傷跡がズタズタに裂かれたまま繋がっているのがよく分かる。
なるべく各組織が上手くヒールで繋がるようにしよう。怪しい箇所は裁断する。ヒールで繋がり直すなら、変な形で固定されているよりバラバラに戻す方が賢明だろう。これは流石に痛いらしい。カロットは恐怖に駆られた目で傷口を凝視している。
回復魔法が存在する世界とはいえ、流石に目の前で自分の腕を切り裂かれるのを観察させるのは拷問に近いだろう。
「よく耐えてくれた。後はヒールで回復する。目を閉じて気を楽にしてくれ。」
カロットが俺の言葉にほっと緊張を解く。俺は呪文を詠唱した。そして唱える。
「《ヒール》」
白い光が傷口を覆う。カロットの切断された腱や神経が繋がる。神経の伝達が再開される様子さえ目に浮かぶようだった。そして大きく切り開いた傷口が閉じていった。先ほどまで傷口があったのが嘘、とでもいうように全てが綺麗に塞がった。
「アランのヒールはいつ見ても別格だわ」
横で見ていたリアがため息を漏らす。室内とはいえ少し離れた場所に居てもらったが、それでもカロットの損傷の程度がよく見えたようだった。
「カロット、傷はもう塞いだ。棒はもう噛んでなくて構わない。腕はどうだろうか。」
カロットは恐る恐る、といった様子で手を握って離してを繰り返した、
「何も、動作に何も問題ありません。」
「そうか良かった。」
どっと疲れたが、問題を解決した今はそれも心地よい疲れだった。
「ありがとうございます。これでまたクレリア様のお役に立つ事が出来ます。」
気がつけばカロットが平伏していた。
「気にしなくていいさ。リアの大切な家臣は俺にとっても大事な存在だ。恐らくこれでもう問題はない。ただ、今後もし異常があれば早めに教えてくれ。」
「かしこまりました。剣の練習はいつから開始して良いでしょうか?」
剣を振るってみないと本当に治ったのか確信が持てないのだろう。俺も同類だからカロットの気持ちはよく理解できた。
「傷は治ったんだ、負荷を自分で調整できるなら今すぐ始めたって構わないさ。右手の筋力は衰えているだろう。まずは無理せず鍛え直すといい。」
ヒールでは衰えた筋力までは回復できない。そこは本人が努力するしかない。
「アランはこう見えて剣聖を上回る達人だ。私もアランからコリント流を習って強くなった。」
「コリント流、そのような剣の流派が。」
「護衛を務めるなら剣の腕は必要だ。アラン、カロットにも私にも稽古をつけて欲しい。イーリスのお陰で少しは予定が空いたのだろう?」
ニヤリとクレリアが笑う。エルナがいない今だからこそ、差をつけようとでも考えている様子だった。やれやれ。
「分かったよ、リア。俺も鈍ってしまっている。戦場に出る前にしっかりと鍛え直そう。」
俺の言葉にリアは満足そうだった。俺も久々のリアとの稽古を楽しみにしていた。こうしてみると、イーリスの治療は、俺に人間らしさや余裕を取り戻させる効果があるのかもしれなかった。
(快楽に耽溺してはいけないのだろうけれど、ずっと張り詰めたままでもダメなのだろうな、これは。)
【あとがき】
今回の内容書いたのはコミックス版で地上にイーリスが登場した直後(カドコミ連載版46話)です。コミック版でのイーリスの登場は、『やはり肉体を持ったイーリスを出したい』と考えていた為に大いに力づけられました。
その後、47話まで公開されていますが、仮想現実なのか肉体があるのか機械式なのか細かく語られておらず、どのような形で地上に現れたのか気になります。
原作では明確にクローン製造を禁止していたので、イーリスの登場方法については道筋をどうするかかなり悩みました。宇宙との交流が復活しない限り難しいという前提に立っています。ちょっとクローンとの違いをくどくどしく説明しているのもその為です。
肉体を得たイーリスはAIでありますが、立派な帝国宰相を務めるべく奔走していく事になります。