【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅱ アロイス・セシリオ戦役 37話 【往還編】 教育改革
「艦長、教育現場の視察を全て終え、結果を踏まえて改善案を作成しました。今から聞いて頂けますね?」
夜、俺にマッサージを施した後で、イーリスはそう切り出した。
疲れているからと断ってこのまま眠りたい、俺はそんな誘惑を押し殺した。流石に身体の凝りをほぐしてくれたイーリスを無視出来ない。ここで眠るのは怠慢が過ぎるだろう。俺は心中密かにため息をついた。
「もちろん構わない。ぜひ聞かせて欲しい。」
アレスの都市行政を継承すべく活動を開始したイーリスだったが、既に実務の主要な箇所はロベルト率いる文官チームが担当している。当面、そちらは報告書に目を通して内容を把握しておけばいい。
一方、遅れているのが軍の装備開発や兵站、そして学校関係だった。その為、イーリスをまず教育の総責任者へ任命した。軍と教育はクレリアの了解が不要な俺の専権事項であったし、かつ既存のメンバーとの軋轢のない任命になる。イーリスの実力を発揮させるのに格好の舞台と言えた。
「ここ数日何をしているのかと思えば、ずっと学校に視察で張り付いていたのか。」
「はい、全校回りました。せっかく肉体を得たのですから、直接この目で現場を確かめたかったのです。」
実際、学校教育は進捗が遅れていた。子供に共同体意識を持たせ、給食の提供で健全な身体の育成を目指す、そんな最低限の条件はどの学校も満たせてはいる。
「色々な学校で給食も頂き、子供達と仲良くなる事が出来ましたわ。」
「教育のトップが抜き打ちの視察に来るのは、担当の教師達が気の毒だな。」
「あら、そこは皆さん快く受けれ入れてくださいました。どこも教師が足りず大変だそうです。」
「・・・それは、耳の痛い話だ。」
だが、文明を牽引する原動力となる教育カリキュラムの策定は停滞している。要求される科学的な知識を網羅した人材は俺達しかいない。そして俺もセリーナもシャロンも軍事作戦に追われている。何といっても今は戦争中なのだ。
だから既存の知識階級を教師に任命し、読み書き算数の初等教育など、従来の教育をベースにせざるを得ないと考えてきた。
それでも階層の分け隔てなく無償教育を施す点は教育改革と称するに値すると俺は考えていたのだ。だが、活力に限界のある人間と異なり、AIであるイーリスはそのような手抜きは許さない。
「子供達が成人するまで学びに当てられる時間は限られます。それぞれの才能を育む機会は平等に与えられるべきです。」
未だに人間の才能は望むように育成出来ない。同じ教育を施しても根本的な才能適性の向き不向きは覆せないのだ。この為、良くも悪くも集団の中から才能を発揮する人材を登用するしかない。だから、優れた人材を社会から多く輩出する為には、基本教育の充実と裾野の大きさが必要となる。
そこで大切なのは母集団の数だ。大量の候補者の中から文明の必要とする才能をAIに抽出させる。これが俺やイーリスの知る唯一の方法だ。人の才能こそが文明発展の原動力なのだ。
イーリスは人間の才能の重要性を承知している。だからこそ、教育の停滞が許せないのだ。人の才能を摘要するには、まず先に教育を施す必要があるのだから。
「これだけの人材層は宝の山です。活用しない手はありません。」
子供はどうしても手のかかる存在という負の面がある。生徒は半人前で面倒を見なければならない相手だ。
しかしAIにとって、元々人間自体が手のかかる存在でしかないのだろう。そんなAIの視点に立てば、教育次第で適正のある能力を伸ばせる子ども達は宝の山に見えるようだった。
「子は宝の山か、その視点は大事だな。」
「それではこちらが教育の抜本的な改善案です。」
仮想空間に資料が展開される。やはり改善点が多いな。イーリスも内心では相当な不満を抱え込んでいたのだろう。イーリスが俺に直談判に来るのも尤もだった。
俺にマッサージを施し、身体を軽くしたこの時まで待ってくれたのは、俺がこの問題に全力で取り組めるようにする為だろう。・・・そう考えると、何だかイーリスは確信犯的にあざとい様にも思えるな・・・。
「科学に基づく各教科の教師役は私が務めます。また教える事は最大の学びへと繋がります。成績優秀者には履修している学問の講義を担当させるようにしましょう。」
「上位クラスの履修者が、時間差で下位クラスの履修者を教育する形にするのか。それも学んだ所までを数日以内にすぐ教育させるんだな。」
「はい、優秀な人材は活用してこそです。」
学問の中身にもよるが、基礎を繰り返し学習する事は上達の有効なアプローチとなる。学んだ内容を人に教える側に立って生じる疑問は、原点に立ち返って内容の理解を深めるのに役だつだろう。
「生徒に教師役を務めさせるのも、人の才能を見極める一環だな?」
「はい、後輩を教えるのが上手い者は、そのまま専任の教師になれる才能がある筈ですから。」
根気強いAIは教師として優れている。しかし、人を育てる方法として人に教師を任せる方法もある。知識の効率的な伝達は前者に軍配が上がる。しかし、人間の才能を見極める為には、後者のアプローチも必要だ。
そしてイーリスのようなAIは、正にこの人類集団を効率的に管理し、必要な才能を抽出するという目的の為に生み出されている。
最初の一歩を踏み出すという創造性において、人間はAIを凌駕する。AIは人間の創造性の模倣しか出来ない。
しかしながら完成されたテクニックの活用や、総当たり式での解決方法の追求については人類はAIに劣る。AIは人類の叡智から最善の成果を引き出す。そこにAIの真価があるのだ。
基礎教育の徹底。優れた才能の発掘。適性ある職業への割り振り。個人の情緒を考慮した最適なワークライフバランスの実現など。そうやってAIは人材の畑を実らせる。そして豊富な知識量に裏付けされた対応力で、人が自らトラブルを解決出来るようにAIは人を導く。
「教育の改善はこれで完璧じゃないか。」
計画を眺めた俺は感嘆の声を上げた。
「しかし、この完成度ならわざわざ俺に直談判せずとも、会議の前に目を通せば問題なかったのではないかな。」
「人の視点を挟まないと、私のようなAIの認識不足が是正されない可能性は常にあります。艦長、何か付け加えられる事はありませんか?」
AIが導き出す最善手はあくまでルールの枠内での最適解なのだ。ルールの枠を超える創造性は人間しか発揮し得ない。AIは古いものに磨きをかけるが、新しいものを生み出す力はない。
仮に何かを生み出したとしても、それはAIの創造性ではなく偶然の産物の活用として扱われる。だからAIは貪欲で、常に人の価値観に沿う新しい何かを付け加えたがる。もっともっとと人をけしかけるのだ。
「そうだな。ここに取り上げられていない内容だと給食の改善はどうだろう?」
「それはどのような?」
「週に一回は自分達で調理するのはどうだろう。料理は必要なスキルだし、作って貰う有り難みもわかる。成績が振るわなくても、調理実習で輝く子がいるだろう。座学だけだと味気ないしな。色々な取り組みはあっていい。」
「良いですね。食中毒が心配でプロに任せるつもりでしたが、誰かが失敗しても普段の給食への感謝が増しますね。」
「まあ失敗すると決まったわけではないが、食中毒を防ぐ為にもまず正しい取り扱いを学ばせよう。料理と軍事作戦の根底は似ている。上手く段取りを組めば成功する、そこをポイントにカリキュラムを組んでみてくれないか。」
「了解しました。それでは艦長。これらの改善案を実行します。」
やけにイーリスが素直に引き下がったな。教育のこだわりが深いだけにもう少しこの話題を粘るかと思ったが。案外早く終わったようだ。
「それで次の段階としては成績優秀者を選抜し、帝国軍の士官候補生教育を開始しようと思うのですが。」
なるほど、今日の本題はこちらか。
「見込みのある孤児を中心に航宙軍士官の育成教育、これは今後の計画の為に必須です。既存の生徒から候補者をピックアップしました。」
「既に選抜を終えて、候補者選出まで。流石に早いな。」
教育現場の視察もこれが目的だな。士官候補生を選定する為か。
「航宙軍の戦力維持の為に、停滞は許されません。」
イーリスは嫣然と微笑む。一歩も譲らぬ鋼鉄の意志を感じさせる笑みだった。どうやらイーリスには万全の体制で挑まれたようだ。
俺は仮想空間上に展開された生徒リストに目を通す。ある程度以上の年齢の者は排除したようだ。ボーダーラインは10代半ば。この惑星では10代の後半で成人と見做す風潮があるようだ。その前後の年齢に絞るのは仕方ないだろう。航宙軍士官として採用するには、この惑星の常識に染まりきっていない方が良い。
孤児については態度が良好であったり、成績が優秀である者は網羅されている。善良な性質の者は本人の才覚内の仕事を任せられるし、能力がある者は規律を教えればいい。孤児は育ててくれた宗教施設くらいしか背後関係がないので、現地で登用可能な人材としては、最も偏りがなく見込みがある。
「おっと、この候補者はどうなんだ?」
俺の視線は、ある候補者の名前を拾い上げる。
「なんと言っても彼女は優秀ですよ。主席ですから。一番の注目株ですわ。」
イーリスが自慢げに言う。人の才能を嗅ぎ分けるイーリスの嗅覚が反応しているだろう。しかし、この候補者は大分問題がありそうだ。
「今の教育の水準は残念ながら高くは無い。読み書きを習い始めた相手と、貴族として優秀な教師の薫陶を受けた者では成績が違うのも当然に思えるが。」
英才教育を受けた貴族だからこそ下駄を履かせられている可能性はある。まずその可能性を探ろう。
「私に言わせれば、既存の教育体系はどの階層の生徒に対しても全て評価できるものではありません。それに彼女と同水準の生まれ育ちであっても、彼女程の頭脳の回転を示す例は他にありません。」
テスト結果の詳細を眺める。確かにイーリスの言う通りだ。この候補者は単純に頭がいい。司令官が部下の士官に求める地頭の良さは備えているように見える。だが、この候補者の出自にはやはり引っ掛かる物を感じる。
ルート・バールケ。かつてベルタ王国宰相だったヴィリス・バールケの直系の孫娘だった。祖父のバールケはライスター卿が処刑している。そもそも、あちらが俺の毒殺を企てたのが因縁の始まりだった。
特に王族を毒殺し、政敵であるライスター卿の一族を根絶やしにしたのは頂けない。奴の処刑の指示を後悔してはいないが、その直系を身内に抱え込むのは勇気がいる。
「流石に祖父を処刑したとなるとこちらは恨みを買っているだろう、あの家は分家の入婿に継がせて宗家は侯爵の地位から引きずり下ろしたようなものだ。情においても理においても、航宙軍に採用するのは益がないのではないかな。」
悪人でも身内に甘い例は事欠かない。ヴィリス・バールケも宮廷での立ち居振る舞いは実に如才なかった。ルートは内孫だ、祖父を敬愛していた可能性は高い。俺は恨まれているだろう。
「過去の経緯はともあれ、『祖父を討ち果たした相手とは馴れ合わない』などと言われてもおかしくはないだろう。」
だが、イーリスは俺の言葉に同意しなかった。
「もちろん最初の人間関係はスムーズにはいかないでしょう。しかし過去の戦争で敵だったからと言って、才能のある人材の育成を諦めるのは人類の損失であり文明への冒涜です。与えられた機会は全て正しく用いるべきです。」
キッとこちらを見据えるイーリスの目は鋭い。肉体を得た後、時折イーリスはこのような信念と呼ぶべきものを俺に見せるようになっていた。
「祖父の所業は孫の責任ではなく、むしろ正しく導く事が救いの道になります。先入観による判断は改められるべきかと。艦長は部下を出自で判断されるのですか?」
静かなイーリスの言葉に考えさせられる。確かに部下を出自で判断してはならないだろう。敗戦国や敗れた派閥の出身で出世を阻むのは非合理だ。排斥するより正しい教育を行い、周囲と馴染める配慮をするのが正しい道と思える。
面識もない段階で俺が先入観を持っていたのはイーリスの指摘する通りだった。警戒心は必要だろうが、彼女を排除する最終決定までする理由にはならない。
「そうだな。会った事も無いのに判断するのは軽率だった。だが、彼女の敵意や復讐心が勝るようなら士官候補生として承認はしない、その点は譲れないな。」
「はい。艦長がまず彼女にチャンスを与え、歩み寄る姿勢を示されるのであれば、それで宜しいかと。」
ヴィリス・バールケの縁者というだけで俺は警戒した。こちらが相当に有利な立場であるにも関わらずだ。俺を成り上がり者として排除しようとした奴と、これではあまり変わらない対応の仕方だったな。
「士官候補生はナノムを注入する、その予定だな?」
「はい、必要な対策は取れます。」
士官候補生として採用され、ナノムを注入されれば上官である俺の命令に彼女は従う必要がある。命令不服従くらいで即時拘束まではいかないが、上官の暗殺などは間違いなく阻止される。航宙軍の士官候補生になった場合、直接的な手段で報復される懸念は実際はほぼない。
である以上、この問題はやはり俺の方の感情的なものなのだろう。薄れた記憶を呼び覚まし、不快な思いをしたくないという感覚。だがイーリスの言う通り、俺の方が彼女の可能性を狭めるのは良くない。才能の摘要に、司令官は臆病であってはならないのだろう。
「分かった。イーリスの言う通りだと認める。まずは彼女と面談して意思を確認しよう。その際は、可能な限り公正な判断を心がけると誓う。」
「はい、ありがとうございます、艦長。」
そう述べたイーリスは、心底嬉しそうな笑顔を見せた。イーリスはきっとこの候補者を採用させる為に、俺の油断する瞬間を狙ったな。最後になってようやく俺はイーリスの真の目的が何だったかに気がついた。
「クレリア様、最近、アラン様のことで少し気になることが」
「ほう」
侍女の職務としてクレリアの髪を梳りながら、アリスタはクレリアに話しかけた。
「最近、アラン様の部下として王宮入りを果たされたイーリス様なのですが。深夜にアラン様の寝室を訪れているようで、何度かお見かけしました」
クレリアの私室はアランの私室に近い。他の者は立ち入れない奥の区画だ。クレリアの侍女であるアリスタは、クレリアの部屋を去る際に、アランの部屋に立ち入る人影を目撃したのだ。
「その事でしたら、イーリス殿から報告を受けております。何も心配はありません、女王陛下」
テリス子爵夫人が二人の会話に割って入った。
「アラン様はリア様から見ても朴念仁でいらっしゃるでしょう。やはり殿方としてそれはあまりにもという事で、イーリス殿は治療を行われているのです。」
「アランに何か問題が?大丈夫なのか?」
「はい、イーリス殿が万事手配されておりますのでご心配には及びません。少し疲れが溜まったくらいのお話と思し召せ」
「そうか、テリス子爵夫人がそういうのならば。それで良いな、アリスタ。」
「はい、陛下。」
クレリアは安堵した様子だった。そもそも、彼女にとっては、臣下が部屋に出入りするのは当たり前の話ではあるのだ。
「それでは、お休みなさいませ」
クレリアの寝る準備を整えたテリス子爵夫人とアリスタは一礼して寝室から退室した。廊下に出た後、テリス子爵夫人はアリスタに向き直った。
「アリスタさん、先程のお話ですけれど、イーリス殿はアリスタさんにもお手伝いいただきたいそうですよ。」
(アリスタさんはアラン様との関係をクレリア様にご承諾いただいた身、それもきっとこのような形をクレリア様も考えておいてだったのでしょう。)
自分を見つめるテリス子爵夫人の意味ありげな視線。アリスタは全身を試すように見る視線に、訳もわからぬままにドギマギした。
カリファ伯の本営に呼び出されたバルテン士爵とプレル士爵は困惑を隠せなかった。てっきりカッシネッタ包囲の軍事作戦の話かと思って来てみれば、彼らを待ち構えていたのはウルズラ女王だったからだ。
「はて、我らにどのようなお話でしょうか。」
若干の警戒心を望ませながら、代表してプレル士爵が問いかける。
「皆も知っての通り、セシリオ方面の戦況は膠着している。婚約者であるアランの私への信頼は厚いのだが、こうやっていつまでも先延ばしにも出来ないだろう。」
「それは何のお話でしょう?」
つい聞いてしまったプレル士爵にウルズラ女王は雷を落とした。
「私とアランの結婚式に決まっておるだろう!」
おい、なんか始まったら長いぞ、やめとけ、とカリファ伯がゲンナリとした顔つきをして見せた。
「皆落ち着け、今日の私はそなた達に愚痴を言いに来たのではない。私も現状を突破する為に、これまで動いておったのだ。」
こう見えて私も忙しい身なのだぞ、とぷりぷり怒りながらウルズラは付け足す。
「ほう。何か進展がありましたか。」
バルテン士爵が食いついた。
「カッシネッタの補給を支える大物貴族がいる。奴を口説き落とした。今は手打ちの条件を詰めている段階だ。」
場の空気が一変した。カッシネッタの守りは相当に硬い。しかし大勢が暮らす都市である以上、どこかに支援者がいて食料を供給していると認識していた。それを特定したのなら、戦いの展開が変わる。海路を封鎖できずとも、売り手を味方につければ兵糧を断てる。
「確かな話なのか、それは?」
これまでは傍観を決め込んでいたカリファ伯も遂に口を挟む。
「私を誰と思っておる、セシリオの女王ぞ。国の事情で知らぬ事はない。この話をまとめれば、カッシネッタの兵糧は間違いなく断てる。」
ウルズラは得意げに起伏の乏しい胸をそらした。
「なるほど、これは興味深い話ですな。」
バルテン士爵は納得しているが、プレル士爵は疑問を呈した。
「しかし、どのような条件交渉かが気になりますね。」
「そこは交渉の妙というやつよ、遂に相手も折れた。それで皆に相談にきたと、そういう訳じゃ。」
「これまた一向に話が見えませんが。」
「つまり、こういう事だ。そなた達、嫁取りに興味ないか?」
プレル士爵の丁寧な聞き取りを経て、彼らはようやく事態の全貌を掴んだ。
「なるほど、カッシネッタの支援者であるアペナイン伯爵は今後の保証としてコリント卿との縁戚関係を希望したと。」
「そうだ。」
「ウルズラ陛下が、『コリント卿の側室を増やすなど認められぬ』とその条件をつっかえされたと。」
「女王である私と同じ立場を望むなど。それは臣下として条件をふっかけすぎというものであろう?」
ウルズラが大人しくコリント卿に話を持っていけば、もっと短期にカッシネッタ包囲が終わっていた可能性がある、その事にプレル士爵とバルテン士爵は気づいた。しかし、『今更指摘しても詮無なき事』として、敢えて口に出す事はしなかった。
「おいおい、コリント卿に新しい女をあてがうだけで解決していた筈だったとはな。」
カリファ伯はその考えを即座に口に出したが、ウルズラはきっぱりと無視をした。
「アランの側室にという話を蹴って、ようやく『人類スターヴェイク帝国の然るべき将軍になら娘を嫁がせましょう』と、こういう話になった訳じゃな。」
そう言ったウルズラはバルテンとプレルをニコニコと笑いながら見た。
「どちらも独身だそうだな。どちらでも良いぞ。アランと私が仲人を務めて進ぜよう。女王の仲立ちなどなかなかない話。感謝するが良い。」
「カリファ伯も独身では?」
プレル士爵が話を振ると、カリファ伯はブンブンと首を振っていた。
「もう良い年頃の娘がおるのだろう。流石に年が離れているし、後添えというのは私からは勧めにくい。まぁ、其方達が気に入られない時に考えるが、カリファ伯は流石に持ち場を離れられないだろう。」
「その、持ち場を離れる、とは?」
「アペナイン伯爵家令嬢がどちらを婿にするのか、彼女が直接会って判断するのだ。2人には今からアペナイン伯爵領に飛んでもらわなくてはならん。」
バルテンとプレルは即座に休暇を取得したという事になった。予定外の休暇に喜ぶ彼らの部下が街に繰り出している間に、素早くアペナイン伯爵領を訪問し、この見合いをすませる手筈となっている。
「正直、私も街に繰り出す方が気楽でしたね。」
「言うな、俺とて同じ思いよ。娼館に通う方がどれほど気楽か。」
アレスからワイバーンが送られて来るのか。2人は半信半疑であったのだが、実際に送迎用のワイバーンが来たところを見ると、どうやらこの話はコリント卿も承知しているらしい。そもそも高位貴族との縁組は悪い話ではない。2人とも腹を括った。
「しかし、2人のうちどちらかが選ばれないとなると。我らの以後の関係が悪くなりませんか。」
「そこは気にせんで良いだろう。相手が選ぶ話だ。そもそも年若いプレル士爵の方が貴族令嬢受けするだろうしな。」
2人が訪れたアペナイン伯爵領は海に面した港町だった。
「立派な港がありますね。」
「食料をカッシネッタまで運ぶのだ、やはり港がなくてはな。」
豊かな麦畑が続く。港も畑も充実したアペナイン伯爵領の繁栄ぶりは上空から見てとれた。
「お待ちしておりました。」
ワイバーンと操縦士を待機させ、2人は領主館の奥へと導き入れられた。ウルズラの話ぶりからすると適切な手配がついているとは信じがたい思いだったが、どうやら話はちゃんと通っているらしい。
(あの女王様は意外とやり手だな)
(話し方だけ見ると確かに残念な感じの方ですが、コリント卿の妻になる器量はあるようですね)
コリント卿の嫁になりたい、そんなアペナイン伯爵家の要求も条件闘争の一種という見立ても恐らくは正しいのだろう。大陸には54もの国がある。適齢期の王女に限っても20人は越えそうだ。単なるセシリオの貴族の娘がコリント卿に嫁に行くのは、相当にハードルの高い話と言える。
2人が導かれたのは応接室ではなく、広々とした中庭だった。日差しが強いからか、回廊から大きく屋根が張り出している。左右の張り出した屋根の下にそれぞれ若い女性が座っていた。
「お嬢様方がお待ちです、お好きな方に進まれますよう。」
執事が2人にそう告げる。あの2人が見合い相手らしい。
「お嬢様方、か。婿は我らのどちらか一人のはずだがな。」
「何か、趣向がありそうですね。」
答えはない。風変わりだが、婿の選定に必要な方法なのだろう。
(片方は偽物だろうな、侍女か親族の女性ではないか)
(恐らくそういう話なのでしょうね)
それぞれの席は中庭を介して離れている。大声を出せば届くだろうが、普通の会話が漏れ伝わる距離ではない。
「俺は右に行くとしよう」
「では、私は左へ」
バルテン士爵の前に座る女性は黒髪だった。
「ウルス・バルテン士爵です。」
「こんにちは。良かったらおかけになって。お茶はいかがかしら?」
その令嬢は名乗らなかった。バルテン士爵はじっと自分を観察する視線を感じる。
「頂きましょう。」
冬とはいえ、回廊で風が遮られ陽の光の注ぐ中庭は暖かい。
「ほう、火鉢ですか。」
卓の下には火鉢が置かれている。配慮が行き届いていた。
「せっかくの晴れですもの、今回の趣向は外でなくては面白くありませんから。でも、寒くなってしまっては興醒めですし。」
「離れた所から隣の様子が見えるように、ですかな?」
黒髪の令嬢は頷いた。
「やはり観察し合わなくては、お相手の本当の姿は分からないわ。」
「そうかもしれませんな」
バルテン士爵は注がれたお茶を口に含んだ。
「随分と落ち着いていらっしゃるのですね?」
泰然自若とした様子のバルテン士爵に令嬢が問いかける。
「まあ、寛げるからでしょうな。冬でも暖かく、見えない所にも配慮されている。屋根で日が遮られるおかげで互いの表情もよく分かる。お茶の味も良く、家具の趣味も良い。そんな所からご当家の令嬢のお人柄が伝わります。」
「そうかしら、お金を積めば欲しいものは何だってあつらえられるのではなくって?」
「それはそうでしょう。金はある方が良い。だが、金を出せばそれで雰囲気が変わる訳ではない。居心地などというものは、それこそ無意識に直したちょっとした椅子の置き場所で変わりますよ。つまり真似できない個性が滲み出るのでしょうなぁ」
黒髪の令嬢は急に話題を変えた。
「あの子と私、どちらが魅力的とお思いになりまして?」
バルテン士爵はプレル士爵と話し込む隣の令嬢の顔を眺めた。あちらの方が纏う衣装が豪華で、いかにも伯爵令嬢のように見える。金髪で楽しそうに笑っていた。黒髪の令嬢は装飾品をつけているが、目立たない地味な品が多い。
「そうですな、あちらの方とはお話ししたことがないから分かりませんな。」
「あら、私は横顔を見ればその人がどんな人か分かると思っておりますの。」
なるほど、この席の並びは互いに思う存分横顔を観察する為のものだったらしい。
「人の顔は正面からではどうとでも取り繕えます。皆、鏡で練習しますもの。でも横から見ると素直な顔が現れると、わたくしは常々そう思っていますの。」
「なるほど、こうしてみるとプレル士爵はいつも通りですが。」
プレル士爵は如才なく快活そうに笑っている。その笑顔に嘘は無さそうだった。金髪の令嬢は彼と話の合う相手なのだろう。
「奴はなかなかの好男子ですよ」
「バルテン士爵はご自身のことはお話にならないのですね?」
「そうですな、女性を喜ばせる話などとんと苦手でして。」
「あら、こちらの質問に答えてくださる、それだけで良いのに。」
「どうも、根掘り葉掘り聞かれるとますます口が重くなるようで。」
バルテン士爵には、貴族令嬢相手に特に自慢出来るような事などない。
「ペラペラと男性に得意げにお話しされるよりは、寡黙な方が好印象ですわよ。」
「娼館でも稀にそのように言われますな。」
「あら、お見合いの席でそのようなお話をされるなど、良い度胸をされているものね?」
黒髪の令嬢がバルテン士爵を睨みつける。
「そこは独り身の軍人ですからな。取り繕っても始まりませんよ。」
「結婚したら娼館通いは諦めて頂きたいのですが、それでよろしくて?」
「それは仕方ないでしょうな。女遊びは金を積まねば相手をして貰えぬ寂しい独り身の特権です。家族を持てばそちらに時間を使うべきでしょう。」
「素直に守れるようなら、いずれ側室の1人くらいなら考えます。」
「それは随分と寛大なお申し出ですな。」
「それは、やはり私が首尾よく息子を授かるか分かりませんもの。」
黒髪の令嬢はお茶を飲み干した。それまで彼女はお茶を口にしていなかった事にバルテン士爵はようやく気がついた。
「私決めたわ、貴方と結婚します。」
どうやら目の前の黒髪の令嬢がアペナイン家の伯爵令嬢だったらしい。バルテン士爵は話の展開に少なからず度肝を抜かれた。
「プレル士爵とは話されなくて良いのですか?」
「構いません。だって結婚相手なんて、これと思った相手とするものでしょう。それにプレル士爵は普通の人そうで、まるで面白みが感じられませんもの。」
プレル士爵のお相手も貴族家の令嬢だったらしい。
「あちらの令嬢もさる伯爵家の令嬢だそうですが、既に許嫁がおられるそうで。」
「それは、随分と男心を弄ばれたな。」
「しきりに謝られたのでまぁ良いのですが。私と話をする前に話を決められては立つ瀬というものが。」
「いやいや、そこは話をして選ばれなかった方が気の毒であろうよ。先にプレル士爵と話をしていればそこに決まっていたに違いない。今回はどちらが先に話しかけるか、それだけの趣向だったろうよ。」
懸命にプレル士爵を宥めながらバルテン士爵は思った。
(嫁取りとはややこしいものだ。上手くいったと思えば、振られた方を慰め、面子を立てねばならないとはな。)
ともあれセシリオ方面の戦況は、アペナイン伯爵家の帰順により好転する事となる。