【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅱ アロイス・セシリオ戦役 39話 【往還編】 列強
支配地域を拡大する膨張主義のザイリンク帝国。そのザイリンク帝国を危険視し、周辺国と共にアトラス教会の教皇を庇護するイリリカ王国。突出した民への浸透力で独立した地位を築き、イリリカ王国やザイリンク帝国の内部にさえも支持基盤を持ち、孤高の存在であり続けたアラム聖国。
この3カ国は規模や勢力が1ヵ国の範疇に収まらない。ザイリンク帝国はその軍事力による支配地域の大きさで。アラム聖国はその宗教による民への浸透力で。イリリカ王国は卓越した技術と商売の力で周辺国を従えている。
これらの3国は列強と称されていた。複数の国を支配する地位を築いた大国、それが列強と呼ばれる条件である。かつてセシリオ王国のルージ王太子が隣国ベルタの征服で目指した目標。それはこの列強入りであった。
「教皇猊下、万歳!」
イリリカ王国の騎兵が守る豪奢な馬車がザイツ王国の中をゆっくりと進む。ザイツ王国の民に教皇は尊崇されていた。
教皇の主催する聖職者会議を公会議と呼称する。そして公会議は教皇の座所であるイリリカ王国でなく、その隣国のザイツ王国で開催されるのが恒例だった。
ザイツ王国は来訪者の多い国だ。大陸公路沿いに位置するという地理的な特性に加え、蒸留酒の製造でも名高い。だが、あの謎めいたイリリカ王国の隣国である事。それがザイツ王国に来訪者が多い最大の理由だ。
イリリカ王国は魔法剣に代表される優れた製造加工技術を誇る。ザイツ王国はそのイリリカ王国への玄関口としての役割を担っていた。これはイリリカ王国が自国への人の流入を厳しく制限している為である。この入国規定は、アトラス教会所属の聖職者さえも区別しない。
「毎度毎度、こうしてわざわざ足を運ばねばならん。不便なことよ。」
馬車の中では教皇が側近に愚痴を述べていた。イリリカ王国は教皇を軽視している訳ではない。旅の経費はイリリカ王国が負担しているし、送り迎えに多数の兵も出す。だが冬場に長距離の移動を強いられるのは、老境に入った教皇の体には堪える。
「はい。イリリカ王国の排斥主義にも困りますな。」
庇護対象である教皇とその側近だけはイリリカ王国に出入り自由なのだが、アトラス教会の関係者というだけでは入国が許可されない。教会の関係者にはなんとも窮屈だが、そのように線引きされていた。つまり関係者と会合を持つなら教皇が国外に出向くしかない。
「夏ならばまだ助かるが、春節を祝う時期を変えるわけにもいかぬ。冬の長旅は寒さが、な。」
「はい。骨身に染みます。」
馬車では魔石を用いた豪華な暖房装置を用いている。そんな馬車でも、冷えは窓のガラスから伝わる。冬は暖炉の前に居座りたい老人達にとって、ただ寒さに耐えるしかない時間が続く。
宗教的権威とそれを庇護しつつも警戒する世俗権力。彼らの繊細な力関係の織りなす葛藤が、教皇が主催する公会議の場をイリリカ王国国外に弾き出していた。どこまでも一線を引いた間柄なのだ。
ザイツ王国は、そんなイリリカ王国と教皇との仲を取り持ち、緊張を緩和させる存在だった。ザイツ王国は平凡な国だが教皇に好意的だ。何よりイリリカ王国の隣国であり、忠実なる同盟国として評価される地位にあった。教皇にとってもイリリカ王国にとっても、余り気を使わずちょうど良い関係の国なのだ。
「まあ今回だけは良しとしよう。会議の主題が主題だけに、な。」
教皇の目が光る。今回の公会議は特にアラム聖国が公会議に参加するという事で、大陸中の注目を集めている。『歴史的な会議になる』そんな期待と興奮に開催地のザイツ王国は湧き立っていた。
セシリオやベルタやスターヴェイク、ザイツ王国などは教皇に好意的な近隣国である。これらの教皇を支持する国はイリリカ王国の先端的な技術の恩恵を受けてきた。同時にアトラス教会とは別の宗派であるアラム聖国を仮想敵国と見做している。
その結果がどうであったか。アラム聖国と新興のザイリンク帝国、列強と呼ばれる2つの大国を教皇圏の各国は敵に回す事になった。直接的な戦闘こそなかったものの、水面下では衝突が多い。そして交通を遮断され、大陸の他の地域から完全に締め出されていたのである。
もしアラム聖国と国交が回復すればどうなるか。再び大陸の他の地域へと道が拓ける事になる。その時は教皇の指導により、対ザイリンク帝国包囲網の発動さえ視界に入るだろう。
「この機会、逃すわけにはいかぬ」
公会議を主催する教皇も気負っていた。これまで劣勢に立たされて来たのは否めない。だが3カ国の列強の2つを味方とする好機が来たのだ。着実に事を運ばねばならなかった。
アロイス王国を従えたかつてのスターヴェイク王国は列強に準じる地域の大国と見做されうる地位にあった。そんな大国であるスターヴェイク王国が転覆させたのがアロイス王国である。スターヴェイク王国の転覆で教皇の権威は大いに揺らいだ。
しかしながら旧スターヴァイン王家に連なる王女を擁した英雄コリント卿がベルタを征服し、セシリオとアロイスをも平らげようとしている。
本日の公会議では、これらの事例にアトラス教会としての裁定が下ることになっていた。ベルタ、セシリオ、アロイス、旧スターヴェイク、コリント卿がこれらの領域を有すればかつてのスターヴェイク王国の版図に優る。
ザイリンク帝国の支配領域には到底及ばぬとは言え、イリリカ王国の規模は超える。列強の条件を満たすのはほぼ確実となる。その上で、既に列強たるアラム聖国が人類スターヴェイクに膝をつくというのなら、それはもう話の規模が変わる。4つに増える列強の席を2つ占める事になる。
そしてイリリカ王国は周辺国の統制とザイリンク帝国への対抗上、教皇を庇護しているに過ぎない。決して教皇の忠実なる信奉者などではないのだ。ザイツ王国はそんなイリリカ王国の属国に等しい。それに引き換え、人類スターヴェイク帝国には大いなる可能性がある。
「そもそも教皇の許可なく行われたアロイス王国の建国には難がありました。アロイスが主権回復、国政回復と言い募ろうと、です。スターヴェイクの行った併合より遥かに多くの血が流された。その後アロイス王国がアラム聖国とは敵対したとは言え、アロイス王国の存在を容認するかは微妙な所と言えましょう。」
円卓ではイーブォ枢機卿が熱弁を振るっていた。ベルタを統括するイーブォ枢機卿は部下のゲルトナー大司教と共に人類スターヴェイク帝国を推している。
「この点、スターヴェイク王国の再建は王族の血筋を擁しており問題が少ないと言えます。何より民の流血が少ない。王族の血は全く流されていない点は特筆すべきです。クレリア女王の即位式の執行にも我らアトラス教会の大司教があたっております。」
イーブォ枢機卿がこの所、存在感をとみに増しているのは献金額の桁外れの多さからだ。背景には魔の大樹海開拓の成功がある。開拓民の感謝が教会に寄せられ、その献金額は鰻登りである。ベルタ国内の商業活動も活発化した。好景気に沸いているのだ。その金はアトラス教会をも潤す。
「コリント卿は20代半ば、クレリア女王に至っては10代半ばです。やはり教皇の庇護者は若者が相応しいと言えましょう。」
イーブォ枢機卿の勢いは献金額の多さに留まらない。なんと言ってもアラム聖国の公会議参加も成功させた。本日はアラム聖国を代表して数名の聖騎士も同席し、すでに教皇の側近との間で話し合いが終わり、宗派連合はほぼ実現した。
「どうか、人類スターヴェイク帝国には教皇勅使を遣わされますように。」
しかしながら、人類スターヴェイク帝国と教皇の関係性は未だ確立していない。アトラス教会は意図的にコリント卿とは『ほど良いお付き合い』での友好関係に留めてある。それは教皇の庇護者であるイリリカ王国の不興を買わないためのアトラス教会なりの保身だった。
しかし、アラム聖国がつくとなれば話は変わる。ここから一歩、どの方向へと踏み出すかが肝心なのだ。
「イリリカ王国は良き庇者でした、認めましょう。しかし一つの勢力に依存するのは危険です。イリリカ王国と人類スターヴェイク帝国。この2つに教皇の権威が跨る事、これを持ってして今後のアトラス教会の指針とすべきなのです。」
イーブォ枢機卿の演説は並いる参加者の万来の拍手によって締め括られる。人類スターヴェイク帝国は既に列強に近い位置にいる。アラム聖国を従えたならその威勢は確実である。そもそも列強入りするかを決めるのは教皇でもアトラス協会でもない。列強入りした大国を懐柔することがアトラス教会の役回りであり、仕掛けるなら早い方が良い。
「決まりでしょうな。」
「ええ、若き征服者なら懐柔もしやすい、家臣も敬虔な者が多いようです。」
「教会も立派と聞きます、司教いえ大司教でしたな、だがゲルトナーの在所とするには不釣り合い。枢機卿の在所でもおかしくない仕上がりとか。」
イーブォ枢機卿は教皇の座を狙っている、これはもっぱらの評判である。コリント卿と懇意なゲルトナー大司教が枢機卿になるとしたら、イーブォ枢機卿はさらに上を目指して教皇になるしかない。
教皇は任期制ではないが、既に老齢ではある。この情勢に立派な舵取りを全う出来るからいささか怪しい。勇退を考えてもおかしくない。
現教皇の支持層はイリリカ王国寄りである。しかしながらイリリカ王国は、教皇に対しては冷ややかである。国内に2つの権威は要らないという点からすると致し方ないのだが、大陸最高の宗教的権威からすると物足りない。
『ザイリンク帝国への備えが必要でして』という文句を振り翳し、最近は、アトラス教会にあまり献金をしない。勢い、首都の一等地に大教会を建設し、献金額が増加するコリント卿に期待が集まる。
本来ならイーヴォ枢機卿が直々に女王即位式を執り行いたかった。だが、アトラス教会内の調整がつかず断念した経緯もある。出過ぎた真似は叩かれ、教皇就任の目が無くなる。しかしアラム聖国の支持がある今、堂々たる論陣で人類スターヴェイク帝国への支持を主張していた。
『いよいよ、教皇猊下も人類スターヴェイク帝国との関係を進められるのでは』と、参列する聖職者も話題が持ちきりであったのだ。
「各国に使者は遣わそう。」
イーブォ枢機卿の演説を受け、教皇が重い口を開いた。
「まずはアラム聖国とアトラス教会との宗派連合が成立したと世に知らしめる。その上で各国の出方を見守れば良い。」
教皇の言葉に賛同する呟きが会議場に満ちる。
「アラム聖国は人類スターヴェイクに帰服するのだ。この功績は誠に甚大。イリリカ王国がそれに対抗するもよし。コリント卿が引き続きアトラス教会に好意的かも見定めなくてはならん。全てはその上の事でよかろう。何事もルミナス様の御心ままに。」
教皇の裁定により、アトラス教会の方針は定まった。コリント卿への完全な肩入れは叶わなかったが、それはイーヴォ枢機卿やアラム聖国の聖騎士、イリリカ王国よりの枢機卿も含めた会議の参加者全員の思惑と一致する決定内容だった。
「本国から通信文が届いておりました。」
カッシネタに滞在中のジノヴァッツは部下から暗号文を受け取った。連絡は商業ギルドの通信を使っている。商業ギルド職員の関心を惹かない平凡な通信内容に見せかけているが、特定の書籍を参照して解読される書籍暗号である。
解読の為にブラフも含めた複数の書籍を持ち歩くのは邪魔で仕方がなかったが、安全な通信手段の確保の為には必要な労力だった。
通信内容を秘匿する秘訣は、まず興味を引かない事だ。そして暗号を解く鍵を知られない事。どのような知者であれ、暗号を解く鍵が分からなければ内容を知る手掛かりはない。
どの書物を暗号に使っているか、身内が裏切る事がなければ絶対に解かれない暗号であると、そう彼らは自負していた。
ジノヴァッツは手慣れた様子で暗号を解読した。文字には残さない。全て己の頭の中で組み立てるのみである。通信文を届けた部下にも限られた内容しか教えない。それは情報漏洩を防ぐ上での鉄則であった。大体、内容を教えたら通信文を偽装される可能性も出てくる。部下は忠実でありある程度は信頼していたが、ジノヴァッツは不要な危険は冒さなかった。
「教皇主催の公会議は予想通りの内容だったそうだ、コリントに迎合するとの内容だ。あの俗物共め。」
ジノヴァッツはアトラス教会の聖職者を短く罵った。実際に付き合ってみると、聖職者とは拝金主義者でしかない。実際、金の無心しかされた記憶がない。
聖職者を名乗る拝金主義者が金のある方に流れるのは分かりやすくもあるが、人類スターヴェイクのような成金にも素早く擦り寄る様はこれまで関係を維持してきた立場としては不快である。
「やはり聖職者には期待できないな。まぁ、人類スターヴェイク側が油断してくれるならそれも良いか。」
公会議の結果はギルドの通信でも関係者に周知される。この通信が届いたということは、人類スターヴェイク側も会議の結果は既に把握しているはずだった。
「我らが勝利した暁には、教皇周辺も思い知ることになりましょう。」
「うむ、そうだな。それで肝心の仕掛けは間も無く発動する。観測所のデータからもここ数日か。だから一刻も早く持ち場に帰還しろとの事だ。急がねばカッシネタに取り残されることになる、か。」
「閣下、我らはモレル大将軍をセシリオ王都に侵攻させる役回りでは?」
「おいおい、我はアロイスの軍師であり将軍なのだぞ。お前も知っているだろう。私がいなければアロイスの騎士など腑抜けばかりだと。以後を託す為にお前を連れてきたのだ。だからここは任せるぞ、タネン。」
「了解しました。」
タネンと呼ばれた部下はジノヴァッツに頭を下げる。後を託す為、タネンは全ての会合に同席させてきた。モレル大将軍と進めている謀略をを引き継がせるのに支障はない。
「モレル大将軍には、お前から事後報告をすれば良い。潮の加減で船の出発が急遽早まりまして、とでも伝えておけ。500ものミスリルの鎧を渡すのだ、多少の粗は見逃すさ。」
移動用の船は用意してある。だが、それはカモフラージュでしかない。そもそもこの男達がどこからどうやって入ってきたのか。その方法を知る者は、彼らの他に誰もいないのだから。
人類スターヴェイクに包囲され、港の船は全てモレル大将軍の厳重な監視下にあるにも関わらず、ジノヴァッツはカッシネタからその姿を消した。
「セリーナ殿とシャロン殿からの連絡では、アロイス王国側に少し動きが見られるそうです。斥候も『敵の斥候とかち合い小競り合いになる機会が増えた』と、同様の報告を上げてきております。アロイスが一斉に押し出してくる兆候かもしれません。」
部下からの報告に、暖炉の火にあたりワインを啜ってすっかり寛いでいたダルシムとヴァルターは警戒心を高めた。
「こんな冬の最中にか?山間部だけでなく、もう平野にも雪が積もり始めているが。」
ヴァルターが疑問を呈する。人類スターヴェイク側も冬に侵攻しているのだが、雪が本格化するタイミングを見計らって侵攻を停止している。そもそもは難民救済で予定より早く侵攻を開始したが、それでも雪が本格化する前に立て籠る算段をした上での事だ。
「こちらが拠点を整備し、体制を整える前に仕掛けられたはずだ。吹雪の中で仕掛けようとは全く理屈に合わないな。」
ダルシムも慎重に思考を巡らせるが、ヴァルターと同じ疑問を感じていた。アロイスは見知らぬ異国ではない。かつては一つの国としてまとまっていたし、知人も多い。気候風土も慣れ親しんだ物だ。特にダルシムは仕事でアロイス各地を巡った事もある。
政治的志向はともかく、ごく普通の人々だった。吹雪の中をわざわざ仕掛けてくるような奇術の種を仕込んでいそうな類の人々ではないのだ。だが言ってしまえばアロイス建国には謎が多い。何もかもが理屈に合わない話ばかりなのだ。ダムシムは息を吐いて言った。
「確かに、兵の数はアロイスが多い筈だ。なのに仕掛けて来ないのは気になっていた。」
スターヴェイクを制圧したアロイスの軍の兵力は大きい。ゆうに10万人規模と見積もられてきた。しかもこちらが侵攻する側だ。土地勘はダルシムやヴァルターが勝るにしてもあちらにしても国内の戦いである。普通であればもう少し手前で防衛線を張り、侵攻を防がなくてはおかしい。
「そもそも、支配下の村を焼くなど異様な策を取る敵であったな。」
思い出したようにヴァルターが呟く。アロイスは奇策が多い。敵の思惑を推測すると、かえって敵の思惑に囚われそうである。
「気を引き締めるべきだろうな。厳戒態勢を取ろう。こちらを支援する諸侯の軍にも使いを出せ。」
ヴァルターの言葉に頷いたダルシムが部下に指示を飛ばした。クレリア女王を支持するスターヴェイク諸侯の軍は多い。これでは貴重な食料を食い潰すだけだったが、会戦となれば役に立つだろう。
「改めてアレスにワイバーンを送れ、アラン様の指示を仰ぐ必要があるだろう。」
ダルシムの言葉に近隣の諸侯の陣へ使者を遣わすべく配下が散る。与えられた指示はそれぞれ陣地を守れ、という内容である。アロイスが仕掛けて会戦する機会が到来したとなれば総司令の判断する事態であり、陣地を落とされないように後詰めだけでも送ってもらう必要がある。
「いよいよ、この戦線が動くな。」
「王都を守っていれば、アロイスの奴らも春まで長生きできたろうに。」
「ああ、違いない。」
手にした盃を飲み干すと、ヴァルターとダルシムは視線を交わし、部下に活を入れる為に散っていった。アロイスが来るのであれば万全の備えがいる。2人は今夜から最前線のセリーナとシャロンをいつでも支援できるように、厳戒体制に入る心算だった。
「それでは頼みましたよ」
テリス子爵夫人とイーリスに送り出されて、アリスタはアランの寝室に待機していた。かしこまった表情を維持しているものの、内心ではこの展開に呆然としていた。部屋の外では2人がアランへの事情説明の為に待機している。
アリスタにとってアランは盗賊から救い出されて以来の恩人である。アランの事は異性として好ましく思ってもきた。アリスタの好意には多分に打算が含まれている。それはアリスタ自身も自覚している。
アリスタは父から商売人としての血を色濃く受け継いだ。その計算高い父の血のせいなのか、アリスタは己の感情だけで物事を判断できない。アリスタの好意はアランの性格や容姿より、アランの地位や能力、そしてその優れた仲間が示す可能性に男性としての理想を見ている。一国の王女とパーティーを組んで対等の関係を築くなど常人では成し得ない。
父親が首尾よくアランの預かり人としてくれた時には快哉を叫んだものだ。まぁ、アリスタは平民ながら貴族並みの教養を身につけている。だから自室でひっそりと喜びの声を洩らすくらいだったが。
父親であるサイラスは、人物の評価基準が厳しい。そんな父が自分と同じ見立てをした事、そして自分の為に万全のお膳立てをしてくれた事がたまらなく嬉しかった。ここまで用意して貰えば、後は本人の努力である。アリスタの為の環境は整ったのだ。
富裕な父を持ってもアリスタは平民の出だ。クレリア女王の様な立場は望めない。だから日陰の身であると覚悟してもいた。しかしながら、幸運にも、アランの側室候補としてクレリア女王の内諾を得る事が出来た。
(アラン様のお手がつくのは、もう時間の問題かもしれない。)
万事に慎重なアリスタでさえ、最近はそう考えるようになった。アランの周囲を彩る女性達は戦争の影響で各地に散っている。お呼びの声が掛かる可能性は高まっているように思えた。だから用意をしつつ、憧れであった王宮での生活をアリスタなりに楽しんできたのだが。
(クレリア女王陛下の結婚に先んじて、アラン様の夜のお相手をする役目を命じられるとは)
その日は突然やって来た。話を聞かされ、入浴を済ませ寝室に至るまで、あれよあれよという間である。
無論、元々因果を言い含められて王宮に仕える立場である。常日頃覚悟していたと言えば覚悟していた。いつ殿方がその気になるかは分からないし、お相手を務めろと役割を期待される立場でもある。
魅力的な体型を維持しており、その肢体に油断しているところはない。風呂に入り身体を更に磨き上げられた。が、そうであるだけに心の準備が中々追いつかない。
実は、アリスタの体調面はこの数日が最善の環境である。イーリスによりアリスタの体調まで見越した日程調整がされていた。
(でも、私だけでなくアラン様のご都合もあるから)
アランは多忙だ。工房の作業に没頭して泊まり込む事も多い。この数日は王宮に比較的長く留まっているが、きっと戦地に出征する日が迫っているのだろう。
(アラン様に抱かれるのは、クレリア様から私へのご褒美なのかしら? それとも、将来の伴侶であるクレリア様がアラン様に贈る労りなの?)
実際にはこれはイーリスによるアランの治療の仕上げとして、だった。
テリス子爵夫人に進展を尋ねられ、『なにをもって治療完了したと見做すべきでしょうか?』とイーリスが漏らした、それに返答したテリス子爵夫人の発案である。
テリス子爵夫人としては、クレリアとの結婚を前に支障がないかが最大の関心事だった。だからその点を誰か適当な役目の者で試す趣旨である。王族に限らず貴族の婚姻においては、男性側の問題の有無を事前確認する。これは密かな常識であるらしい。
「王族方への手解きと言いますか。私もかつてはそのような役割を担っていた事もありました。」
テリス子爵夫人はイーリスにそう独白したものである。一方、イーリスの最大の関心事は人類の繁殖である。これはバグスに対抗する上でAIに課せられた至上命題だった。
バグスは好んで人類を捕食する。油断すれば人類は根絶やしにされかねない。バグスと戦争中である以上、AIにとって『産めよ増せよ』は絶対的正義である。
現地の法や慣習に添い、本人が同意したならAI側から否定する事はありえない。むしろ繁殖の機会を逃さない為に、イーリスは積極的な賛成に回る。
医療の絡むこの問題に対してはアランの指揮権よりも、専門医としてのイーリスの立場が優先される。そして専門家としてのイーリスはテリス子爵夫人の提案を検討し、その必要性があると認めた。
アリスタの体調、アランの治療の進展、クレリアの許可、多忙なアランの日程、これらの種々の条件が導き出した候補日が今日だった。かくして、万全を期してアリスタはアランの寝室に送り込まれたのである。
アリスタはこれからの事を考えた。想像するだけで頬が赤く染まる。アリスタがイーリスの思惑を全て知らされている訳ではないとは言え、『アラン様とクレリア様の為です』と言われれば、元々その気のあるアリスタが拒否する事など出来ない。
アランの性的な抑制が強すぎた事、これはおぼろげながらアリスタも聞かされていた。『アラン様は女性に自分から触れないように自制心が強いから』と言われたら、なんとなく『そうだったんだ』と納得する気持ちもある。
アランに言いよる女性は1人2人ではない、しかしアランが色仕掛けを退けるのをアリスタは何度も目にしてきた。
(アラン様はお堅いから、お断りになるかもしれない。でも、この検査は王族と結婚する者の義務という形をとれば可能性は大いにあると、そうイーリス様も仰っていたわ。)
『アランに命令出来るものはこの世界にいない』そう豪語したセリーナの言葉は尾鰭と共に内輪で広まっている。だが、理由がある要請なら、アランにあまり断られないとも聞く。
『これは王家の作法です。』そう伝えれば、可能性はあるだろう。
王族は入念に均された道を歩む。夜の作法についてもそうであって不自然ではない。
『身体を開いて、後は全てコリント卿にお任せすれば良いのです』
テリス子爵夫人はアリスタにそう語った。夜伽役の心得とはそういうものであるという。
アリスタはアランの現状を確認するのが役回りだ。素直な反応を引き出す上で、アリスタの側には予備知識など必要とされないのだ。
「・・・法的な問題は? 司令官は市民とも関係を結べないのではないかな?」
やり取りする為に少し開かれたままのドアの外からアランの声が聞こえる。これは間違いなく自分についての話だ。アリスタは耳を澄ました。イーリスの権限で近隣からは人払いが徹底されている。少しくらい大きな声で話しても誰にも聞かれる心配がないのだろう。
「クレリア様は、アリスタさんを側室扱いとしてお認めになるお考えです。」
テレス子爵夫人の声が聞こえる。
「こちらが正室となるクレリア様の署名入りの書類、こちらがアリスタさんの同意書です。」
立場として侍女を統括するテレス子爵夫人は、これまでアリスタのことを呼び捨てにしていた。ここで貴族でもあるテレス子爵夫人が『アリスタさん』と呼ぶのは、テレス子爵夫人の中でアリスタがすでに側室扱いの為だろう。
「この場合、書類上は法に照らして両者の婚姻関係が認められます。支障ありません。」
イーリス様の声が響いた。2人ともアリスタを推してくれている。
「その場合、婚姻についての俺への意思確認はどうなるんだ?」
「そもそものお話は、アリスタさんの身柄を預かる時点で決まっていたかと。未婚の娘を責任を持って預かると、その父親に自ら進んで約束されています。当地の習慣ではあれば十分、進んで婚姻の約束をしたという意思表示に該当するものです。」
イーリスの言葉がアランの痛いところを突いたようだった。
「アリスタさんがお気に召さなければ、退けられれば良いのです。しかし彼女に不満がなければ、彼女に務めを全うさせてはいかがでしょう。それこそがアリスタさんの為になり、ひいてはそれがクレリア様のためになります。」
「それでは同意されますね?」
テレス子爵夫人とイーリスの度重なる説得に、アランは押し切られついに同意した様子だった。
(いよいよ、その時が来るわ)
「お待ちしておりました。」
ついに自分の前に姿を現したアランに対して、アリスタは深々と頭を下げた。
「正直、驚いた。俺とこうなってアリスタさんは嫌ではないのですか?」
そう問いかけるアランに、アリスタは笑顔を見せる。
「この日を待ち望んできました。あまりに急で、少し驚いてしまいましたが。」
それは心からの歓迎の言葉だった。イーリスから『アラン様は嘘に敏感なので、できる限り正直に話してください』と注意されていた。不都合な内容は沈黙すれば、それ以上は深く追求されないだろうとも伝えられている。
アリスタの言葉に嘘がないと、当人も望んでいる話だとそう悟ったのだろう。アランが話の切り口を変える。
「もし今日でなくて、別の日が良ければそう言ってください。」
「今日が宜しいのです。」
女性の側にも都合がある。アリスタとしても自分の身体の都合、月の物の日数からそこは譲れない事情があった。
アリスタは自ら寝巻きの前をはだけた。アランの手を握ると、そっと自分の身体に導いた。羞恥で頬を染める。
(私ったら、なんてはしたないの。)
でも今はそんな気持ちに構っていられない。ここが勝負どころなのだ。アリスタの身体の帯びた熱気、それがアランの手に伝わる。
アランは手をアリスタの身体に当てながらも、尚も躊躇っていた。アリスタはアランをまっすぐに見上げた。そして真剣な目で告げた。
「これはクレリア女王陛下の為です。最後までしっかり、遂げられますよう。」
アリスタはアランの目を見据えて視線を逸らさない。視線を逸らしてしまうと、自分のこの決心がアランに伝わらない。
「分かったよ。」
アランの目を見て、アリスタは自らがアランに受け入れられたと悟った。そして、アリスタは遅まきながらも気がついた。
(あ、アラン様も興奮していたんだ)
アリスタの手が、アランに伸ばされる。おずおずとアランの身体に手が触れる。
アランは両手でアリスタの両頬を包み込むと、アリスタの唇に自らの唇を寄せた。アランと接吻を交わすと、幸福感がアリスタの中にパッと広がる。
優しくベッドに横たえられたアリスタは、そのままアランに翻弄された。もう自分がどんな態勢を取らされているのか分からない。何もかも初めてで、自分の状態を顧みる余裕もない。アリスタはアランにしがみつき、溢れ出る声を懸命に押し殺す事しか出来なかった。
(自分の声が、まるで自分の声ではないみたい。こんな風に変えられてしまうのね。)
事後、アリスタは全身の力を使い果たしていた。ぼんやりとした満足感もあるが、今はまだ痛みと義務感が強い。それでも無事にやり遂げたと心が満たされるのを感じる。
(テレス子爵夫人とイーリス様はまだ戸口に立っているかしら、無事に終えられたと報告に行かなければ)
後始末を終え、指で髪をかきあげる。そしてベッドに背を向けて立ち上がった。アランの方を振り返る勇気はない。自分への評価を知るのは怖かった。
少し寂しくとも、今回の勤めを終えたなら去らねばならないだろう。何よりこれは必要と認められた検査のような物、結果の報告が必要な筈だった。
次の機会がいつ来るか分からない。だが、気に入られたのなら、次に抱かれる機会も必ずある。アリスタはそう信じていた。忍びやかにベッドから去ろうとしたアリスタの手をアランがそっと握る。そうやってアランはアリスタが去るのを押し留める。
「このまま留まっていて欲しい。」
アリスタは、アランの方へ振り返った。
「アラン様のお言いつけなら構いません。アラン様は私の添い寝をご希望なのですね。」
早くも次の機会を得た。私は気に入って貰えたのだ。願いの叶ったアリスタは、余裕を見せて悪戯っぽく笑った。
再び温かなアランの横に滑り込む。アリスタは自らアランに抱きついた。アランはつい先ほどまであんなに猛々しく雄々しかった。なのに、アリスタが去ろうとすると急に母親に添い寝をせがむ少年のようになった。そんなアランの事を、アリスタはなんだか可愛らしいと思ってしまったのだ。
だが、アランの精力が底なしであるとアリスタは知らなかった。アランが再びアリスタを押し倒す。
「アラン様?」
アランが醸し出す雄の雰囲気。その様子に少し怯えるアリスタに、アランは優しくささやいた。
「大丈夫、乱暴にはしないつもりだから。」
その夜、アリスタは快楽に圧倒され、遂に声を押し殺す余裕さえ無くした。
『あとがき』
R-15指定を満たす為、直接的な性描写は意図して控えました。そのつもりです。