【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅱ アロイス・セシリオ戦役 40話 【動乱編】 スタンピード
肉体を得たイーリスは高等学校の教官を務めている。選抜した士官候補生の教育が主だが、候補生以外の専門教育も担っていた。更に引き継ぎを進めている帝国の行政も彼女の所に持ち込まれる。これらは決済書類の形をとっているので、講義と並行して政務処理が進められる。AIである彼女は並列処理に長けているからだ。
口で講義している内容、目で読み取る資料、手で出力する命令書が全て別の案件でも全く問題ないらしい。更に耳は学生の反応を聞き漏らさないし、目も手も口の処理も全て必要に応じて中断し、同じところから再開出来た。
「目も耳も二つあるのですから、左右で別の対象も処理できます。まあ、流石にそれは目立ってしまうでしょうから人前では披露できませんけれど。」
イーリスはすまし顔でそう言う。身体の装飾品にカメラを仕込んで、追加の視界も確保しているらしい。
『指示書を書き記しながら、止まらずに講義する』、その様子はアレス中にイーリスの才女ぶりを示す逸話として有名になりつつある。そう聞いた人は誇張表現と思うようだが、実体は彼らの想像のさらに上をいっている。
そんな八面六臂の活躍を見せるイーリスは、この所はグローリアと共に昼を過ごすのが日課になっている。王宮内の庭園は元々グローリアの為に用意され解放されていた空間だったし、グローリアと会話して触れていられる存在となるとそうはいない。イーリスも肉体の維持の為の食事の必要はあるそうだが、サンドイッチのような簡単なもので済ませるようになっている。
天気の良い日は王宮内の芝生に、雨の日はグローリアの部屋にグローリアと寝そべり、授業再開までの時間を共に過ごす。セリーナやシャロンを通信で呼び出して近況報告に耽る事も多い。そのような時間は休憩時間として無礼講というわけではないが、軍人やAIではなく姉妹や友人として過ごす時間というのが彼女達の不文律になっていた。
(それでアラン様は朝までアリスタさんを解放さず、ご執心だったのですよ。)
サンドウィッチをパクつきながら、イーリスがアランの近況を共有する。通信の良いところは食事を飲み込みながら話しても会話が中断されない事だ。
(もう、生々しいわ!)
(嫁入り前の娘達に、大尉はなんて話をするの!)
(あなた達にもいずれ経験してもらう、大切な話じゃないの)
イーリスと付き合う中で、人類の繁殖に熱心なAIの特性をセリーナとシャロンも理解させられていた。しかも同性でありDNAまで共有している仲だ。そうであるだけにセリーナとシャロンは実にヤキモキさせられるのだが、『イーリスも肉体を得て嬉しいのだろうな』と考えると強くも言えないし、話の内容に興味もあった。
(人間ってそんな風に愛し合うんですね。では、アリスタさんが族長の1番のお気に入りになるんですか?)
グローリアの疑問にイーリスが答える。
(大丈夫よ、今回の事は検査としての一回限りの事だから。クレリア女王の手前、そう簡単にアリスタさんを呼び出せないようになっています。)
(それは安心だけれど、アランはそれで収まるのかしら?)
(そこは、私の方で調整しますから)
シャロンの疑問をさらりと受け流すイーリスに、セリーナとシャロンは再び身悶えした。姉であり母であり上官である存在が、自分達の婚約者の性処理を担当する境遇にはなかなか慣れない。人として、そこは慣れてはいけない気もする。
(アランが、悪いお人形遊びを覚えている気がする)
(そうよ、早くなんとかしないと)
(あくまでも、私の事は人として扱って頂いておりますので)
澄まし顔のイーリスは落ち着いた素振りでお茶を飲み干す。
(早く私達との結婚式をあげるしかないわ)
(私達でアランを占有出来ないのは悔しいけれど)
(この惑星で暮らす以上はそうは言えないし、私達にもこの星の結婚のシステムは都合がいいわ)
セリーナとシャロンは航宙軍の戦力維持の為に生み出された。そこにはアランの伴侶を務めるという側面が含まれている。複数人と同時に結婚できるシステムは、彼女達姉妹が使命を達成する上で不平等にならない結果となっている。
三つ子や四つ子ではなく双子としてこの世に生み出されたのは、かつて実在した英雄イーリス・コンラートの2人の娘になぞらえたからだ。任務を遂行する上で助け合えるようにとの配慮も含められている。ただ、やはりイーリスにとって実在する人物をトレースする方が育成しやすかった点が大きい。
イーリスの子供時代を再現しながら、イーリス自身の子の名をつけた自らの分身を育成する。イーリスが2人の姉であり育ての母である関係は嘘ではない。
(そう言えば、イーリスお姉様の肉体はどうなの?)
(どうなのって、どういう意味かしら。シャロンちゃん)
(その、妊娠が可能なのかなって)
AI にこんなことを聞くのも不思議だが、実際に自分たちとほぼ同じ肉体を得ている相手なのだ。男性を交えない内輪の席では、このような質問も出る。
イーリスは再びお茶を飲み干しながらシャロンの疑問に回答する。
(可能よ、でもこれは保険としてなの。使うつもりはないわ。)
(アランの子供を妊娠したりは?)
(貴方達がいる限りはしません。そこは調整出来るようにしてあります。妊娠すると行動が制約されるし、魂がない私のような存在が勝手に子供を作るつもりはありません。もしこの肉体で子を育てるとしても、代理母としての形になるでしょうね。)
人類銀河帝国では、AIの意識を人間の魂と等しいものとして見做される事はない。これは人類社会に共通する考え方だ。しかしクローンは社会にもたらす混乱から政治的に禁止されているだけで、肉体的には人と見做される。だからセリーナとシャロンが人間であるアランとの間にもうけた子供も、その人としての資格は問題とはならない。
だが、主体がAIでしかないイーリスが人間との間に子供作る事はかなりのグレーゾーンになる。受精した胎児を代わりに子宮内で育てる代理母という扱いが、人類社会でイーリスに問題なく認められる役割としてギリギリの範疇だろう。
(だから私は期待しているのです、早く2人が艦長と結婚していっぱい子供を産んで欲しいなって)
(でも、その為にはアランとアレをしないといけないでしょう)
(やっぱり恥ずかしいし、アランとだとそこに辿り着くまでは大変じゃないかしら)
(大丈夫よ、艦長の準備については私が責任を持ってしっかりと整えておきます。貴方達にちゃんと興奮できるように。)
(もう、やめて。イーリスお姉様。生々しい事を言われると想像してしまうじゃない!)
セリーナとシャロンは耳を塞ぎたい衝動を抱えて身悶えする。やはり姉妹だろうとなんだろうと、自分と同じ顔をした存在が、アランと寝ていると考えると2人はまだ平静ではいられなかった。
イーリスとしては意図してこの話題を仕向けている。2人が関心を持った上で興味を惹かれるように巧妙に誘導していた。
(そうそう、また大規模な太陽嵐が予想されます。一時的に通信が乱れるかもしれないわ。ドローンにも影響が出るかもしれない。念の為、ドローンを使った飛行は自粛しておいて。)
セリーナとシャロンはドローンを使って飛行する裏技を稀に使う。それを踏まえたイーリスの警告だった。
(前回の太陽嵐では、特に何もなかったけれど)
セリーナの疑問にイーリスが回答する。
(通信障害が出る可能性もあるわ)
(なるほど、その肉体のコントロールは平気なの?)
シャロンがイーリスに突っ込んだ質問をする。
(こちらは軌道エレベーターで艦と直轄していますから。ケーブルが通信の伝達経路にもなっているので、恐らく何も感じないわ。)
イーリスの返事にグローリアが興味を惹かれた様子で会話に加わる。
(そうですか?私はなんか心がザワザワしました。太陽嵐が何かは知らないけれど、あの時は警告されていたので『あ、来たな』って分かりましたよ。前にも何回か経験した事があると思います。)
(なるほど、惑星上にいてもドラゴンほど敏感な生き物だと人と違って影響を受けたりするのかしら。興味深いわ。)
グローリアの言葉にイーリスも反応を示す。グローリアのナノムのデータを遡って肉体の反応を確認する。イーリスの予測では太陽嵐の影響は電子機器や通信に限定される想定だったのだ。
(こちらは吹雪になりそうだし、注意するようにしますね)
(大丈夫よ。私達は食料もあるし、防備も整っています。それに何があればグローリアに助けてもらうし。)
吹雪を懸念するシャロンに対してセリーナが胸を張る。ルドヴィーク辺境伯領は大きく、商業ギルドの通信機も確保できていた。
(ギルドの通信機は軌道上とのやり取りを経由しないから使える可能性が高いのではなくて?)
シャロンの疑問にイーリスが回答した。
(あれは量子もつれ通信機ですから、惑星上で使う限りは障害は出ない可能性が高いわ。ナノムを使ったネットワークと系統としては同じです。ただナノムのものは通信距離が限られます。やはり軌道上から中継しないと限界があるもの。)
ナノムによる通信の距離範囲は精々数キロメートルである。ただし居場所が特定できていれば、上空にドローンを配置してナノムの信号を中継させる事で円滑な通信を実現していた。
軌道エレベーター設置後は、エレベーターのケーブルが通信アンテナの代わりを務めている。アレス内の通信状態は格段に良くなっていた。だがアロイスからはドローンを経由して軌道上の艦に通信を中継させる方式となる。この通信のいずれか、おそらくドローンの部分に支障が出る可能性があった。
(こういう時、アランが近くにいてくれたらすぐに指示が仰げるから楽なんだけれど)
(そうね、不安が解消されるわ)
セリーナとシャロンの2人はイーリスを出迎える為の短い休暇以来、アランとは会えていない。そんな妹達をイーリスは優しく慰めた。
(大丈夫よ、もう間も無く艦長の手が完全に空きます。そうしたらアロイス方面に全力投入するはずですから。)
アロイス方面が落ち着いたらアランと婚約者達は結婚式を挙げることなっている。心細げな妹達を励ます言葉をイーリスはもう一度繰り返した。
(本当に、もう間も無くだから待っていてね。貴方達の苦労が間も無く報われるのだから。)
「畏れながらワイバーンが暴れており、手を焼いておりまして。一度、様子を見に来て頂けないかと。」
樹海内に新造されたエルヴィン一族の里ではワイバーンが育成されている。その様子がおかしい、と長のエルヴィンが相談に来た。
「よく知らせてくれた。すぐに行く。」
俺はエルヴィン、イーリス、グローリアと共にワイバーン育成の里に向かう事にした。この人数ならグローリアに問題なく運んでもらえる。
ベルタ統一でガンツのライスター卿の下を外れて以来、エルヴィンは里でのワイバーン育成と野菜作りに専念している。まだ老け込むような歳ではない筈だが、それだけワインバーン育成に全力で取り組んでいるという話だった。
傍では飛行に備えて係の者が魔石を飲むグローリアに鞍を装着している。そういえば、エルヴィンはイーリスとは初顔合わせだったな。グローリアの支度が整う前に紹介しておくか。
「エルヴィン、彼女が俺の腹心のイーリスだ。以後、彼女の指示は俺の指示と思って良い。セリーナとシャロンの姉にあたる」
エルヴィンはイーリスに向い、恭しく頭を下げた。
「イーリス、彼がエルヴィンだ。ワイバーンと野菜育成の長といえば通じるだろう。」
「あら、貴方があのワイバーンを育成されるエルヴィンさんですのね。貴方達のお仕事にはいつも満足をしています。」
イーリスが微笑む。エルヴィンは知らない筈だがワイバーンの飼育についてはイーリスが事実上の支援者だ。彼女が興味を持たなければ、計画は始動しなかった。イーリスは飼育方法の確立にも大きく寄与している。
「そうだな、エルヴィン。彼女は俺の腹心であり全てを知ってかまわない存在だ。ライスター卿からこちらに引き取って以来、里に引きこもっていたようだが、イーリスの下についてもらおうか。勿論、そういう意味でだ。」
エルヴィンはごくりと唾を飲んだ。
「イーリス殿は、教育関係を司られるとお聞きしておりましたが」
「彼女はいずれ帝国宰相として全てを統括する。教育はその手始めに過ぎない。それだけ教育を重視しているという事だ。エルヴィン、君達の技能はイーリスにとって有用なものとなるだろう。すぐに有能で公正な上司とわかる筈だ。」
「か、かしこまりました。」
「イーリス、エルヴィンのことは承知しているな?頼んだぞ。」
「かしこまりました、アラン様』
里のワイバーンは確かにバタバタと暴れていた。普通ならグローリアが来ると平伏するそうだが、畏まる態度は示すものの適用される範囲が狭い。
グローリアが間近に近づいてようやく『あ、こんな所にいらっしゃったのですね、ご主人様』とワイバーンが慌てて平伏する感じらしい。
(これは太陽嵐の影響があると思います。今回はなんかチリチリする感覚なので)
そうグローリアから報告を受ける。
(ありがとう。そうか、落ち着くまではワイバーンは飛行中止にした方がいいかもしれないな。)
ワイバーンにはイーリスの提案でナノムを注入している。飼育化には成功したのだが、万が一の保険として簡単に人に危害を加えないようにした。この辺りは兵器としての使い勝手にも影響する話だが、人は襲わせず乗り物に特化させる形を選んだ。
ワイバーンが人に危害を加えれば、共生は遠のく。自衛の為に噛み付く位は認めているし、体格差があるので運が悪ければ当たるだけで人を傷つける事はあるだろう。しかし、少なくとも捕食対象にはしないし、爪を深く食い込ませたり、噛みちぎりなどは禁止していた。
「イーリス、彼らが落ち着くまでワイバーンの飛行禁止にする方が良いかもしれない。その場合、影響はどうなるだろう?」
「通常の指示は商業ギルドの通信網を使用しています。各方面備わっていますので、情報の秘匿性に難がありますが通信内容に注意を払えばそれで問題ありません。どちらかと言えば要人訪問など外交謀略面でしょうか。」
「ふむ、まあこの状態ならワイバーンには無理をさせられないだろう、落ち着くまではそうするか。解除の指示はイーリス、君の判断に任せる。エルヴィンは諸々の確認をイーリスにとってくれ。」
「かしこまりました。私が里からアレスまで馬で日参するように致します。」
「そうだな、密偵の仕事の相談もある。まずは長である君とイーリスの間で話を詰めて貰いたい。屋敷の方にも事情が分かる者を常駐させてくれ。」
「どこかへ急に派遣などありますでしょうか?」
連絡役というつもりだったが、イーリス直属の密偵部隊がいる方がやりやすいかもしれない。
「そうだな、人選は任せるが少人数の即応部隊で考えてくれ。必要があれば屋敷から各地に派遣する形でどうだろうか。」
「人選し、屋敷に詰めさせます。」
「イーリスもそれでいいな?」
「はい、アラン様」
イーリスはなんだか笑っている。イーリスはドローンによる偵察網を構築している。だが、その限界を熟知しているのもイーリスだ。エルヴィンの密偵をどう組み込むか既に検討を開始しているのだろう。どう活用するか俺も楽しみだな。
(イーリス、ワイバーンに注入したナノムを再チェックしてくれ。ここだと太陽嵐が本格化した場合に、アレスから通信が届かないかもしれない)
太陽嵐の影響は予測できなかったが、この分だと色々な影響が出るかもしれない。
(かしこまりました。太陽嵐の苦痛が一定以上に達する場合、里の中にいるようなら強制的に眠らせましょうか?)
ワイバーンをナノムの指示で眠らせる、そんな事は考えてなかったな。しかし、ワイバーンを活用できない以上、眠って太陽嵐をやり過ごせるのは良い方法かもしれない。
(そうしよう。太陽嵐は眠ってやり過ごすようにナノムに指示を頼む。適用条件も、安全な場所ならどこでも眠らせてかまわない。魔物の襲来があるようなら自衛の為に起こす、ナノムなら周囲を知覚して危険予測できる筈だ。)
(了解しました)
イーリスがワイバーンに手を触れる。グローリアを撫でる手つきでワイバーンを撫で行くと、騒いでいたワイバーンが眠りに落ちた。
「おおっ」
ワイバーンの飼育に慣れている里の者が、イーリスの手際に驚く。
「ふふふ、いつもグローリアとのやりとりで経験を積んでいますので。」
ここぞとばかりに、イーリスがグローリアとの仲を強調する。
「皆、この方はイーリス様だ。総司令閣下の腹心にして、我らを束ねる方となられた。」
エルヴィンがイーリスを披露すると、里の者は皆地に膝をつき平伏した。
「私には、そんなに気を遣わなくても良いのですよ。」
そう言いながら竜房のワイバーンを全てイーリスが撫で、眠らせていく。
「凄い、イーリス様は魔法の手をお持ちだ。」
ナノムという存在を知っていると、タネも仕掛けもある手品でしかない。だが、里の者に与えた印象は強烈だったようだ。
(イーリス、これは意図して目立っているな)
(ええ。彼らの支持を受けるには最初が肝心ですから)
肉体を得たイーリスは、俺の目から見ても実に人間らしい。イーリスを観察する視線を誤解されたのだろうか。
(閣下はカリナ様だけでなくまた新しい愛妾をお連れかと思ったが、イーリス様は美しいだけでなく我らの上に立つのに美しいお方よ。)
(し、聞こえるぞ)
エルヴィンの部下は内緒話に長けているようで、ちょいちょいと本音を漏らす。だがイーリスはもちろん、ナノムで強化された聴覚を持つ俺は聞き漏らさない。イーリスも聞こえた筈だが、ここは澄まし顔をしていた。簡単に内心を吐露してくれるので、かえって彼らを信頼できる。
それにしてもドラゴンワイバーン事業は女性を連れて楽しむ俺の趣味の事業とでも思われていたのだろうか。確かに、カリファ伯来訪時のデモンストレーションは女性ばかり乗せて空を飛ばしていたが。どうも最近、人々が俺を見る目が偏っているように思える。
エルヴィンと別れ、王宮に帰りついた俺たちを待っていたのは蒼白な顔をした冒険者ギルド長だった。
「閣下、緊急の要件で罷り越しました。王宮にご説明に参上したところ、クレリア女王陛下より『コリント卿に説明するように』との事で、こうして待機しておりました。
ケヴィンさんの慌てぶりは只事ではないな。リアも承知している話なら、この場で内容を問いただしても問題がないだろう。
「冒険者ギルド長、どうした?」
「閣下、それがその。スタンピードの兆候がごさいます。」
スタンピード、魔物が凶暴化し樹海から溢れ出るという現象。前回は冒険者ギルドの早とちりで決着したが、今度は本当に発生するのだろうか。
興味を持ったイーリスが口を開いた。
「それは本当ですか?一体どのような兆候が?」
ケヴィンさんは女官から質問を受けた事に怪訝そうにしている。俺はイーリスについてケヴィンさんに説明する。
「彼女は俺の腹心のイーリスだ。いずれ宰相に任命して内政の全てを委ねる。彼女には包み隠さず全て報告をして構わない。」
この僅かな会話の間にもイーリスはアレス周辺のドローンを駆使し、樹海の状況を探っている筈だ。
「そ、そうでしたか。お初にお目にかかります。冒険者のパーティーがいくつかの場所で地から湧き出す魔物の群れを見たのです。」
「場所はどの辺りか分かりますか?」
「はい、こちらになります。」
ケヴィンさんは自作らしき地図を広げる。大まかな地図と方位を記載したものだ。
「これでは、よく分かりませんね。」
イーリスが眉を顰める。主観で記載された地図は航空図のように上空から実際の地形を眺めるイーリスにとって関連を見出しにくいのだろう。人が思っている以上に、似た地形の相似は多いのだ。
「イーリス、まずは場所を変えよう。会議室を開けさせる。こちらの方が大事そうだ。俺は先に冒険者ギルド長と会議室に向かう。君は会議に出席すべき者に使いを出し招集してくれ。後、地図があった筈だな、用意してくれると助かる。」
「承知致しました。」
イーリスは足早に立ち去る。ケヴィンさんを誘導して歩きながら、イーリスには通信で念押しをした。
(イーリス、簡単な概略図でいいから聞き取り用の地図を作成してくれ。目印になるものは記載しつつ、細かな地形は省略して構わない。)
(はい、用意しました。)
イーリスはすぐさま自室に戻ったらしい。
(会議の顔ぶれだが、リアやロベルト、ザイフリートにも声をかけて欲しい。)
(ええ。侍女を捕まえてロベルト殿への伝言を頼みました。)
ケヴィンさんを会議室に案内し、一息ついた所で滑るようにイーリスが入室してくる。
「部屋に地図を取りに行っただけですので。ロベルト殿に会議室に来るようにと使いを出しております。」
事情が分からぬまま、イーリスのあまりの速さに呆然としているケヴィンさんにイーリスが説明している。実際は地図のアウトプットさえこなしているのだが、人間に可能な速度では無いので想像できないだろうな。
「さて、魔物が発生したのはどの辺りだ?」
イーリスが持参した地図を広げさせる。
「おお、これはなんと精巧な。」
手書きだが的確な線で表現された地図にケヴィンさんが驚いている。それでも持参した地図と見比べて、魔物の出現地点を指し示した。
「ここです。アレスに向かって真っ直ぐ逃げてきて水路のこの辺りに出たとの事です。川より手前ですので、概ねこの位置かと。」
イーリスが躊躇せずに地図に印をつける。ケヴィンさんはその様子に驚いていた。精巧な地図を使い捨てにする感覚に違和感を覚えるのだろう。
「また、こちらの位置からはオークが出現したそうです。地面から湧いたかまでは分かりませんが。」
ケヴィンさんが指し示す別の地点にもイーリスが印をつける。方位では似た方角だが微妙に遠い。
(両地点とも確認を取りました。魔物が大規模に発生していると見て間違いありません。)
俺の仮想画面にもドローンによる現場の空撮映像が流れる。続々、といった感じで地下から魔物が溢れ出ている。1列になっているが途切れることはない。既に樹海内に放たれただけでも凄い数になるだろう。
「まいったな、偵察を出したいが今はワイバーンの調子が悪い。暴れるので安全の為に眠らせている。」
「そうなのですね。もはや馬ではとても近づけないようになっているとは聞いております。」
偵察の必要性について俺とケヴィンさんの認識は一致する。が、具体策が思い浮かばないな。
そこにリアがやって来た。近衛は安定した顔ぶれのカロットとケニーだ。ロベルトは少し遅れて到着する。タラスさんも駆けつけた。
「ザイフリートへの連絡はどうなっている?」
「私が部下を遣わし、事情が分かるまで正門以外は封全て鎖して欲しいと伝えてあります。正門は監視を強化し、問題があればすぐに閉鎖して欲しいとも。」
俺の問いかけにロベルトが素早く返答する。正門は防御や侵入を対策した構造になっている。見晴らしも良いから魔物が接近しても封鎖が間に合う筈だ。避難所として門前には野営地もある。
「流石だ、ロベルト。さて、スタンピードが発生していた場合、この後はどうなるだろう?」
俺の疑問にケヴィンさんが答える。
「魔物の増加は一定量で頭打ちになります。しかし増えた魔物が自然に減るわけではありませんので、周囲に甚大な被害が出ます。ガンツなど近隣の都市に被害を出し、大陸中には拡散していくのかと。ある程度、数が落ち着いたら徐々に間引いて鎮静化させます。」
なるほど、間引くというのは本来は対象療法なんだろうな。圧をかけてよその地域に追い払う意図もありそうだ。前回は早めに間引くことで増加を防げないかと、そうした試みだったわけだ。
「報告を見る限り、既にちょっと見にいくのも躊躇われる数になってそうだな。」
イーリスがドローンで確認しているのでスタンピード発生は事実として話を進める。
「アレスは樹海内の都市です。この段階でスタンピードの発生が確認できたのはかなり早いかと。これまでは魔物がガンツ周辺に押し寄せて発覚していましたので。」
なるほど。アレスにまだ魔物は押し寄せていない以上、更に遠いガンツ到達まではまだ更に時間はかかるだろう。それだけ早く対策できる可能性があるのは明るい材料かもしれない。
「軍を投入しようにも、守備隊のみで手薄な印象はございますな。」
ロベルトはアレスを軸に考えるので慎重な姿勢のようだ。
「やはりグローリアに頼んで、直接見に行くしかないのではないか。」
リアはグローリアに乗れるので偵察に前向きな反応を示している。空の上から見に行く分には安全と思っているのだろうが『自分で行く』くいらのことは言い出しかねないな。
「まずは、偵察よりもアレス内の対策を整えませんと。」
リアの言動を危ういと思ったのだろう。ロベルトが口を挟む。
「そうだな。事実確認するとしてもまずは最大限の備えをしよう。アレスは封鎖し、樹海内の汽車の運行も停止する。流石に脱線などされては対応できない。ガンツまでの運行は問題ない限り継続しよう。それで混乱は最小限に出来るのではないか。」
「それが宜しいでしょうな。」
ロベルトが重々しく頷く。
「国内の各地には商業ギルドの通信網で通知しよう。ロベルト、伝令文の内容を練ってくれないか。」
「構いませぬが、アレスでスタンピードが発生したと大陸中に知られる懸念があります。アロイスが勢いづくかもしれませんが。」
ロベルトがそう懸念を述べる。
「尤もな意見だ。だが収まる見通しが分からない以上、早めに知らせよう。異常は必ず伝わる。敵から情報をもたらされるより、こちらがコントロールしている事を知らしめる方が良いだろう。『アレスが魔物で壊滅した』などと風説を流布されるよりはいい。」
「なるほど、かしこまりました。ではその方針で諸々の手配を致します。」
ロベルトが重々しく頷く。
「一旦退いて宜しいでしょうか?」
「よろしく頼む。国内への通信文は、送る前にまずこちらに確認させて欲しい。」
「承知致しました。」
ロベルトが慌ただしく出ていく。辺境伯を支えていただけに、ロベルトは危機到来の際の立ち振る舞いが抜群に上手いな。
「私もギルドを通じて、隊商の出発延期など対策を取りたいのですが、宜しいでしょうか?」
タラスさんが商業ギルド長として申し出る。
「構いません。しかし情報公開はしばし待ってください。一時的にギルドの通信文を送れないように禁止にしましょう。混乱防止の為です。ロベルトが各地に連絡した時点で通信封鎖は解除としましょう。それで良いでしょうか?」
「商人としては色々と思うところがありますが、混乱防止の重要性は理解しております。商業ギルド長としてはお受けするしかありません。まだ余り知られていないようですので、その方向で努めます。」
ケヴィンさんと何やら話して頷きあっている。冒険者ギルド内の緘口令について確認しているのだろう。
(イーリス、念のため商業ギルドの監視を強化してくれ。)
(了解しました。通信文を閲覧可能な位置にカメラを設置してありますが、監視優先度を上げるようにします。)
(タラスさんは信用しているが、悪用するギルド職員が出る可能性がある。慎重に頼む。誰か詰めさせたい所だが。)
(エルヴィンの里に使いをやり、人をこちらに回させましょう。私の部下として走り回って貰います。)
樹海内に都市を築いた関係でアレスの主要な農地は水路で区切っている。そうそう簡単に魔物に突破されることはないだろう。
「ザイフリートが来たら、領内の人員配置と共に話をつめよう。」
それまで一旦状況を整理したいな。
「しかし有効的な対策など取れるでしょうか。」
冒険者ギルド長が懸念を述べる。
「アレス内に魔物を入れないのは問題ない筈だ。これまでも魔物の侵入は許していない。警戒を強化すればまず問題ないだろう。ただ、スタンピードの終息となると、見当がつかないな。」
(アラン、緊急です)
リアとイーリスが懸念点をあれこれ話し合っている。そんな中、セリーナからの通信を受けた俺は、小用を足す素振りで会議室を抜け出した。
(どうした、セリーナ?)
(アロイスが全面攻勢に出ました。私達の砦は今、包囲されて攻撃をされています。)
セリーナとシャロンはアロイスの最前線を構成している。王都を見下ろす丘陵地帯に砦を建築し、立てこもっていた。これまで敵はセリーナ達を攻撃する素振りなど見せてこなかったのだが。
(応援が必要だろうか?こちらも今、スタンピードが発生して対策に追われている。)
(スタンピード!)
(え、そちらは大丈夫なんですか?)
セリーナとシャロンが反応する。
(冒険者が何組か発見したんだ。ケヴィンさんが素早く知らせてくれた。樹海の奥地で発生していて、アレスにはまだ到達してていないから少し猶予があるな。汽車は停止する予定だ。そちらにも影響が出るだろう。)
素早く情報を共有し合う。敵の集団は多くない。セリーナとシャロンの砦に立て篭もった数百の味方に対して3,000名程度だろうか。パルスライフルを駆使すれば殲滅出来そうである。
(こちらは問題ありません。しかし大規模な別の隊が進撃しています。恐らく、敵の本隊はルドヴィークへと向かったのでしょう。)
(真冬に大軍を動かすとは信じ難い。が、それは対応しないとな。)
脳で素早く作戦を組み立てる。ダメだ、汽車がなければ軍の展開は難しい、ワイバーンも眠らせたし、グローリアでは数名しか運べないだろう。
(グローリアをそちらの砦に送る方向で考えよう。前線を支える力となってくれるはずだ。暫くは耐えてくれ。だが砦は捨てても構わない。君たちの安全を最優先にするんだ。)
(了解しました)
(こちらはまだ耐えられます、アラン)
セリーナとシャロンとの通信を終える。一旦会議に戻ろう。商業ギルドの通信を使って軍にも指示を出す方が良い。タイミングの悪いことは重なるものだが、よりにもよってスタンピードのタイミングにアロイスが仕掛けてくるとは。
これは偶然なのだろうか?しかし、イーリスも気がつかない兆候に、樹海から離れたアロイスの人間が気がつく事などあり得るのか?
その時、雷鳴のような音が聞こえた。視界がボヤける。何処かで焦げ臭いような匂いがしていた。
廊下をたどり、会議室に戻りながらイーリスに通信で話しかける。
(イーリス、グローリアとやりとりしてセリーナとシャロンの救援として展開して欲しい)
しかしイーリスの応答は無かった。ナノムに確認した所、イーリスはオフラインになっている。イーリスだけでない。ナノムを使って通信を登録した全員がオフラインになっていた。そんな、まさか。
会議室のドアを開く。イーリスが床に崩れ落ちていた。その様子はまるで死体のように生気がない。リアが駆けつけて抱え起こし、イーリスを介抱しようとしている様子だった。
「アラン、イーリスが突然悲鳴を上げて崩れ落ちたの。」
素早く近寄って脈をとる仕草をする。イーリスのナノムをチェックすると反応があった。肉体は生きてはいる。しかし、戦艦との通信が途絶したようだった。イーリスの反応がない。太陽嵐の影響で通信が途絶したのだろうか。
本来、軌道エレベーターに近い王宮内は安全圏の筈だ。よほど大きな太陽嵐の影響があったのか。悪い予感が脳を横切る。軌道上の戦艦《イーリス・コンラート》に支障が出たらお手上げに近い。軌道エレベーターがあるとはいえ、問題が多発するのを放置して軌道上に上がるのは現実的ではない。
「イーリスは息がある、何か発作を起こしたようだ。俺が治療を施すから、ここは頼む。ロベルトは万事心得ているが、ザイフリートへの伝達を頼む。ケニー、事情は把握しているな。」
途端にケニーが不安そうな顔をする。
「アラン様、では私がザイフリート司令への連絡役を務めましょう。」
ケニーの様子を見てカロットが申し出てくれた。近衛の2人はリアの付き添う形で打ち合わせ内容を把握していた筈だ。
「では、ザイフリートへの連絡はカロットに任せる。こちらの会議の内容を共有して対策をとらせてくれ。カロットの役割はあくまで伝達だ、方針はザイフリートに決めさせるように。それで問題ないな?」
そう指示を出しながら、俺はイーリスを抱え上げた。
「承知しました。」
「俺はイーリスに処置を加え次第、ここに戻る。リアとケニーはここに詰めて報告を受けておいてくれ。」
「分かったわ、アラン。」
治療をすると言ったものの、イーリスは人間ではない。メディカルスキャナーを使っても問題を特定できるとは思えなかった。となると試す事は一つしかない。
イーリスを起動エレベーターのケーブル経由で軌道上に接続する。管制用のAIはまだ生きている可能性が高い。有線の接続なら、イーリスの肉体と軌道上のイーリスの通信が再開出来るかもしれない。今はやれる事を進める他ないだろう。