【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅲ 統一戦記 58話 【列強戦編①】 ルチャニ防衛
イリリカ王国に到着した時、アダーに与えられたのはジノヴァッツの部下という肩書きだけであった。風向きが少し変わったのは、人類スターヴェイク帝国との一年間の休戦が決まって以降である。
イリリカ王国側の外交策があたり、更には交易による利がもたらされた事でようやくイリリカ王国は自らの優位を確信した。そしてザイリンク帝国への決戦に向けて準備に動き出したのである。
「お前には一千人の兵を任せる」
ジノヴァッツからアダーに預けられた兵は正規軍ではない。傭兵や志願兵を主体にした文字通りの寄せ集めであり、出自もイリリカ王国とは限らない。装備も陋劣であり、部隊に与えられる役割さえも定かでなかった。
耐えかねたアダーが、その辺りの改善を申し出るとジノヴァッツは言った。
「まずはコリント卿のやり方で兵を調練して見せよ。お前は奴の側近だったのだから、出来ないはずはない。私が一々指示を与える事はしない。だが、必要な物については要望を言うがいい。可能なものは叶えよう。」
アダーはジノヴァッツのその言葉にようやく得心した。どこまでいっても、自分はイリリカ王国の軍人としては扱われないのだと。確かに呼び戻されはしたが、軍人としてはまともな経歴といえない。実際、アダーは人類スターヴェイク帝国の軍人として完成してしまっている。今からイリリカ王国のやり方を学んだとしても良くて二流止まりであろうし、そのような将の下にエリートの兵士がつけられる筈もない。
しかし人類スターヴェイク帝国の軍人としてはどうか。アダー自身、平均の上は行くと自負している。他に引き取り手のないはみ出し者の兵の方が、指揮するアダーと似た立場であるだけマシというものである。
そして何事も口で説明するよりも、実演する方が伝わる。ジノヴァッツがコリント卿を研究するのなら、アダーが実際に兵を動かせてみた方がより理解は深まる。アダーを物差しとすれば、コリント卿の他の属将の程度は測れる筈だった。アダーがコリント流に兵を鍛えれば、それがそのまま仮想敵の人類スターヴェイク帝国部隊となるのだ。
「ならば、我が隊の編成は自由にさせていただきます。」
コリント卿なら、寄せ集めの一千人をどう編成するだろう。アダーは自問自答した。まず、信頼できる者に兵を委ねるだろう。この場合の信頼は、能力に対する信頼も含まれてはいる。だがむしろ一定の能力があれば、意思伝達の確実さを重視するのがコリント流である。
「なら、身内で固めるか。」
コリント卿はクレリア王女の近衛を部隊の中核とした。アダーが真似られるとすれば、自身の一族に応援を頼むくらいだろう。幸い、ここは祖国ではある。親族の男性から十名程度の応援は見込めた。
また、部隊には手練れが必要である。武勇に優れた者の存在が兵に与える効果は大きい。装備で抜きん出る事が出来ない以上、個人の資質に頼らざるを得ないのが現状だった。
要請に応じて来てくれたのは各家の当主などではない。一族の次男三男以下のはみ出し者が多い。それでも今のアダーには頼れる貴重な戦力だった。
「アダー、婚約者のマシラに感謝しろよ。」
「叔父上、どうしたのですか突然。」
一族から応援に来てくれる事になった、叔父のハブの発言にアダーは驚かされた。
「マシラが長老に泣いて頼むのでな。一族から我らが応援に来る事になった。無論、これはお前の為でなく全て祖国の為だ。出戻りのお前の要請というだけでは、長老の許しはでなかったろう。我らがまともに応援に来れるかは怪しかったな。」
「そうですか、私の為にマシラがそこまで。」
定められた婚約者であるマシラはアダーの前で涙一つ見せた事はない。泣いて頼んだというのは余程のことだろう。元々、アダーを迎えに来た状況もかなり異常だった。
「婚約者としての仲が戻ったのだ、慈しんでやれよ。」
「・・・ええ。」
マシラのアダーに対する心根は極めて良い。だが、アダーはマシラの前では蛇に睨まれた蛙のように怖気をふるってしまう。そんな身体の反応は簡単に止められる物ではなかった。一族の他の者がマシラと平然と付き合えるのが、アダーには不思議でならない程なのだ。
しかしながら、アダーは今もマシラを必要としていた。自分の婚約者を当てにするのも憚られるが、マシラこそアダーの知る中で最強の兵士の一角である。
「マシラ、俺の隊を手伝ってくれ。」
「はい、勿論そのつもりでおりました。」
「すまないな、お前は婚約者の立場ながら戦に駆り立てて。」
「お兄様、良いのですよ。頼られてマシラは嬉しいのですから。」
先鋒を頼むとアダーに懇願されて、キヒヒとマシラは笑う。
「お前の素顔を晒させる訳にはいかない。兜か仮面は欠かさぬようにしてくれ。」
「ええ、マシラは万事心得ておりますから。」
マシラは実質的にはアダーにつけられたお目付役であり、アダーを縛る鎖である。マシラとは離れられないのならば、それはそれで活用しない手はない。アダーの知るコリント流の奥義とは、『使えるものは使う』という点に集約されるのだから。
「それで。ハブ叔父様とは、どんなお話を。」
ぴとっとアダーに身を寄せてマシラが問う。その冷たい肌の感触にアダーの背を冷や汗が伝う。
「お前が一族の長老を説得してくれたのだと聞かされた。だから、お前を慈しんでやれと。」
「まぁ、そうですか。お兄様には何も言わないように長老はじめ皆様にはあれほど入念に口止めをしていたのに。」
その口ぶりに込められたマシラの害意に、アダーはゾッとする。
「ハブ叔父上も良かれと思ってした事だ、何もするなよ。」
「ええ。お兄様がそうおっしゃるのなら、何もしないことにしましょう。」
マシラは笑う。他の者には少女らしい可愛らしい笑みにさえ見えるだろうが、アダーの知るマシラの本質は邪悪なのだ。そんな者が笑う。その光景は、アダーに恐怖しか抱かせない。
「お前は私に良くしてくれる。しかしすまないな、私はお前に触れられると未だに・・・」
「それで良いのですよ、お兄様。」
マシラはそう言って微笑んだ。
「お兄様が特別なのです。他の者は大抵が愚物なのですよ。お兄様だけが私の本質を見てくださる。だからこそ、マシラはお兄様をお慕いしています。」
アダーの隊の実戦の機会は、編成を終えて早々に訪れた。ザイリンク帝国がイリリカ王国内部に侵攻する中、アダーには理由が明かされないながらイリリカ王国の主力部隊は温存されていたからだ。こうなると各地の守備軍へ派遣される応援として使うのに、アダーのようなはみ出し者の隊は具合が良い。
「手始めに、ルチャニへの応援に蛇毒隊を派遣する。城外から連携して守備軍を奮い立たせよ。」
ルチャニはイリリカ王国の王都に近い都市である。
「そんな王都近郊まで敵が迫っているのですか。」
「ふふ、王都も直にザイリンクの兵に包囲される。敵は王都にかかりきりになるだろうから、一度撃退すればルチャニの敵は手薄になる筈だ。」
ルチャニの防衛は当地の在留軍が五千強、対するザイリンク帝国の兵は二万である。一千人では少ない。応援とはいえ出来ることに限りがあるはずだった。だが、到着した際の情勢についてマシラはこう感想を述べた。
「一千人では話にならない戦況かとも思いましたが、意外と膠着しておりますね。」
ルチャニ郊外に到着したアダーが目にしたのは意外にもルチャニを攻めあぐねるザイリンク帝国軍の姿だった。ザイリンク帝国の主力は騎兵で、野戦では無敵の強さを誇る。しかし都市の城壁を相手にするのは、ザイリンク帝国の騎兵が苦手にしている分野らしい。攻城兵器の配備の為に、包囲された後でもまだ時間のゆとりが生じていた。この為、アダー率いる蛇毒隊の到着が間に合う結果となった。
「どうする?隙を見てルチャニ城内に合流するか。」
叔父のハブがアダーに問う。
「いいえ。攻城兵器が揃うと落とされます。まずは夕闇に紛れて襲撃をかけます。」
一千人はニ万人とまともに勝負出来る数ではない。しかし夜襲に使う人数としては多い。そして相手の嫌がることを徹底するのなら、敵の食事時を狙うべきだろう。
「お兄様、夜襲なら私一人だけでもこなせますが。」
ここ最近は楚々とした様子を前面に出していたマシラの剣呑な資質が、戦場に到着して以降は顔を覗かせていた。
「練兵も兼ねている。兵は必ず同行させてくれ。」
「はぁい。」
少し不承不承ながらもマシラの合意を取り付けたアダーは、マシラに麾下の最良の将兵を添えた。従兄弟のマンバを筆頭に、歳若く熱意に溢れた者たちだ。マシラの動きに追随するのには無鉄砲さが必要であり、マシラと連携して兵が動ければ敵の被害の拡大が見込めるだろう。
アダーやハブは後備えを形成する。やや年嵩の者は暴れる役ではなく、冷静さを保って的確に攻城兵器や食糧を焼き、馬や家畜を奪う役目である。
「どの軍も兵糧を狙われると脆いものだ。かかれ。」
夕闇の迫る中、マシラとマンバが率いる先鋒の五百名は、敵陣の炊飯の煙を頼りに敵に襲いかかった。食事時こそ、最も敵が油断すると計算している。
人類スターヴェイク帝国なら、敵地では余り煮炊きは行わずに兵が個々に缶詰を消費する。この為、襲撃する側としても襲撃する時間が読みにくい。しかし、鍋釜を使っての食事は支度に時間もかかるし、消費するのも皆で一斉にとなる。それこそ煙が上がるから、状況も察知し易い。そして集団で食べる時こそ、意識が食に向き警戒が疎かとなり油断が生じ易い。
仮面を被ったマシラが敵陣の中でクルクルと手足を動かす度に、人血が宙を舞う。短槍を持った味方の兵がマシラの後に続く。兵が何か障害にぶつかると、即座にマシラがその障害を排除する。一丸となった五百の兵は敵陣の中を憚らずに横行する。彼らは静かに敵兵を間引いて行った。
そんなマシラを陽動として、アダーとハブに率いられた兵は油を撒き、敵陣に火を放っていく。
「アダー、この油は面白いようによく燃えるな。」
一仕事を終え、次の目標を定める為に落ち合った時、ハブがアダーにそう声をかけた。
「ジノヴァッツ様が人類スターヴェイクより仕入れた火炎瓶です。瓶の蓋に使う布さえ特注の品ですよ。瓶は普通のワインを入れるような品ですが、中の油も特製です。」
兵が放り投げた瓶は、意図的に粗悪な構造をしており割れやすい。天幕に当たっただけでも割れる程だが、割れた瞬間に撒き散らされる液体は専用の油である。瓶の蓋をする布には投げる直前にファイアの魔法などで点火しておく。後は瓶が割れれば、飛び散った油に蓋布の火が点火する仕組みであった。
この油は水でうまく洗い流せない。水を燃やす訳ではないが、油が水の上に広がり燃える。消火しようと水を撒けば、さらに被害の拡大する凶悪な品だった。
「もし着衣に付着した油が燃え広がれば、その者は地を転がり周りの者が砂をかけろ。」
予めアダーは部下にはそう指示をしている。消火の方法は砂を浴びせるくらいしかない。治療が間に合えば命を落とすようなことにはならないだろう。だが正しい消火方法を知らない敵兵は、苦しみながら死ぬ事になる。ザイリンク帝国の誇る騎馬隊の馬も、この油を浴びればまず助からないだろう。そして回復魔法ヒールの使い手は限られるし、その効果も人類スターヴェイク帝国程ではない。つまり火炎瓶の炎は、それだけ致命的な攻撃だった。
アダーの隊が放つ火は、瞬く間に敵陣を赤く染め上げる。その光景は、包囲される都市ルチャニからもよく見えた。味方の攻撃成功に、包囲されていた都市の士気は大いに上がった。
驚くべき事に、一度の夜襲成功でザイリンク帝国は引き上げを決めた。朝まで燃え続けた大火に嫌気がさしたからとも、この方面に支援をさくよりもイリリカ王国の首都をこじ開ける事を優先したからとも伝わる。
そもそもザイリンク帝国のこれらの軍勢は、属国上がりの兵が多い。昨夜マシラが無造作に殺して回った兵は、アダーの指示でザイリンク帝国の直轄部隊を優先している。流石に将軍を始末してはいないだろうが、マシラの始末した敵兵の中には軍を動かす中堅どころの将が多く含まれていた。その事も軍の進退に影響を与えたのだろう。
「お兄様、私の働きぶりはいかがでしたか。」
副将扱いのハブとアダーの打ち合わせ中、話題にしていたマシラ本人が現れた。褒めて欲しそうな顔をして、マシラがアダーに擦り寄ってくる。
「お前がいてとても・・・心強かったよ。」
アダーはなんとか称賛の言葉を絞り出した。
「まだまだこんなものではありませんよ。お兄様の為ならば、敵陣を鮮血で染め上げて見せましょう。」
マシラに構ってやれ、そんなような事を視線で合図するハブの圧に耐えかねてアダーがマシラに手を伸ばす。アダーの手を抱くようにして、仮面を外したマシラが嬉しそうに頬ずりする。頭から血でも浴びたのだろうか。仮面を外したマシラの顔は血に塗れている。そんなマシラの顔を覆う砂のように乾いた血の塊が、アダーの手を赤く汚していった。
「良くやった。」
後続の兵を引き連れて到着したジノヴァッツは、短い言葉でアダーの働きを称えた。
「引き上げだ。ルチャニは、正規軍が引き継ぐ。」
見ればルチャニの正門に向けて、ジノヴァッツの連れてきた五千人程のイリリカ王国の正規軍が蛇毒隊に合流せずにそのまま進んでいく。ルチャニの市民はおそらく昨夜の勝利は、入城をする正規軍の功績と考えるだろう。
「労せず称賛だけ手に入れる、あれらの兵が羨ましいか?」
アダー想いを見透かしたようにジノヴァッツが問う。
「いえ。私は別に称賛を求めようとは。」
「正解だ。称賛の言葉などそれを欲しがる愚物にくれてやれ。取引の材料にでもしてしまえばいい。」
昨夜の戦闘は大都督の采配のもたらした勝利という扱いとなるのだと言う。ジノヴァッツの提案に、大都督は当然のように乗ったという話だった。
「代わりに二千の増員を認めさせた。蛇毒隊はこれ以降は三千の隊にする。だが次の作戦もすぐに行う。訓練の時間は七日もないと覚悟しておけ。」
ジノヴァッツは転送門を経由してこの地にいる。マシラに預け、予め付近に隠させた《小門》の座標を使って開かせた物だった。昨夜の戦闘も、きっとジノヴァッツは密かに観察していた。実際に観戦した上でアダーを評価しているのだろう。
「では引き上げるぞ。不要な物は置いていけ、町の者に回収するよう伝えてある。」
ジノヴァッツが宣言する。必要なものだけを手に、アダーの隊は転送門を経由しての引き上げを開始した。
ザイリンク帝国の軍は五傑と呼ばれる五人の有力な将軍が皇帝を補佐している。その一角のミクローシュ将軍はバーリント皇太子と共にルチャニ近郊を視察していた。不可解な敗戦の謎解きの為である。
「転送門を使った奇襲ではあったようです。王都にこれだけ近ければ、それ自体はおかしくありませんが。妙ですな。」
「動きがイリリカ王国軍らしくないな。」
「ええ。一千名なら傭兵者という可能性もありますが。」
彼らはある懸念を抱いて、遺棄された敵の陣を部下に捜索させていた。
「・・・証拠を発見しました。こちらをご確認ください。」
部下の兵が集めて来たのは、人類スターヴェイク帝国のあの珍妙な紋章の記された製品の数々である。中でも数点だけ残されたのは、布で蓋された瓶である。これらは昨夜の火攻めに使われた兵器と思しい。それらを収めた箱にも、堂々と人類スターヴェイク帝国の紋章が記されていた。
「決まりだな、人類スターヴェイク帝国は我らザイリンク帝国の敵に回るか。」
バーリント皇太子が意見を述べる。
「どうでしょうか。この証拠では、まだ少し弱いでしょう。」
「しかし、これは明らかに人類スターヴェイク帝国の品ではないか。」
「確かにその通りです。しかしコリント卿は、中立である以上はイリリカ王国と商いをすると私にも宣言しておりました。これらの品はイリリカ王国に売られただけとも考えられます。」
「将軍はそう考えるのか。しかし、これ程の品を他国に売るバカはおるまい。」
「コリント卿は常識で計れぬ男です。これくらいの品は彼にとって大した装備ではないのではありますまいか。また、教皇の要請があれば断りにくい立場でもありましょう。」
「そういえばコリント卿の結婚式は、教皇主催だそうだな。」
「ええ、私は結婚式には参列せずに帰国しておりますが、そのような折ならば多少強引に買い付けをしてもコリント卿より咎められることはないでしょう。」
バーリント皇太子がやや考えてから、意見を口にする。
「では皇帝陛下には、『まだ断定できない』と申しあげるようにしよう。」
ザイリンク帝国は、コリント卿に贈呈したコンスタンスの親族という形で人質を取っている。彼女はどうやらアラム聖国を宥める為の巫女として使われているらしい。
表向きの素性が明かされていない以上、コンスタンスの親族はそこまで拘束力のある人質とはならないだろう。ただ、人類スターヴェイク帝国と手切の際には見せしめとして処刑する事になる。
地位の軽い人質とはいえ、処刑した後に手違いでしたと関係修復を求めても成立しないだろう。外交関係を構築した以上、まずは信ずる態勢を取るのが定石である。人質を処罰するのは最後の最後で良い。
「殿下、このような際は『イリリカ王国の謀略の可能性が高い』と陛下にお伝えするべきです。何故ならば、イリリカ王国の為に働いたこの敵部隊は既に姿を消しています。人類スターヴェイク帝国の兵がそう簡単にこの地に到達し、戦った後に姿を消せましょうか。」
「転送門で離脱したか、或いはルチャニに合流したのではないのか?兵が五千ばかり合流したと、そう聞いているが。」
「転送門を使うなら、それはイリリカ王国の身内の兵です。人類スターヴェイク帝国ではありますまい。同様にルチャニにわざわざ人類スターヴェイク帝国の兵を入れもしないでしょう。」
「ならばこれは、我らを欺こうとして残された品か。」
ようやくバーリント皇太子はミクローシュ将軍の考えに同期する。
「はい、私でさえ気がつくのです。聡明なる皇帝陛下を騙せるとは考えてはないでしょう。しかし、我らの傘下には多数の国があります。これらにイリリカ王国と人類スターヴェイク帝国が繋がったと、そう思わせ動揺させる意図かもしれませんな。」
「では、どうする?」
「今すぐどうこうはできませんが、警戒する必要がありましょう。この敵はまた出てくる筈です。その時は、率先して対処してこの敵の正体を暴く必要がございます。」
アレスでコリント卿の次なる結婚式の準備に追われるゲルトナー大司教は、意外な通信を受け取った。イリリカ王国にあるアトラス教会本部への呼び出しである。枢機卿に欠員が出た事を知らせるそれは、ゲルトナー大司教をはじめとする幾人かの大司教にアトラス教会本部への出頭を命じていた。
「コリント卿、結婚式を控えたこのタイミングで大変恐縮ですがザイツ王国とイリリカ王国の国境まで私を送り届けてくださいませんか。」
ゲルトナー大司教は急いでコリント卿に面会して請願した。セシリオ王国を横断する形でザイツ王国国境まで汽車が開通しているが、日程的に際どい。イリリカ王国への直接の立ち入りが禁じられているにしても、ワイバーンを使わねばコリント卿のアレスでの結婚式に間に合うように往復できないだろう。それでも結婚式は午前から午後に変更する必要がありそうだった。
「枢機卿へのご就任おめでとうございます。急ぎ部下に送らせましょう。そういう事情なら、もし式の開催日を数日遅らせても参列者には理解されましょう。」
そしてコリント卿は、『ドラゴンが使えるなら私が直接送り届けても良かったのですが』と口にする。2匹に増えたドラゴンは無事に番を作って卵を産んだらしい。抱卵を開始したので、今はそうそう動かせないとの事だった。
帝国宰相であるイーリスの名前により、ザイツ王国とアトラス教会本部に予定到着時刻の通達と受け入れ要請が出される。これはアトラス教会本部の指示に沿った移動であり、問題なく『安全は確保できている。ゲルトナー大司教の到着をお待ちする』との返信が入る。これで現地には移動用の馬車は用意される筈である。通信の往復の時間を利用して、商業ギルドの女性がゲルトナー大司教を採寸し、枢機卿の衣装を式までに仕立て上げると約束する。
これまで『次に枢機卿になると内定したのはゲルトナー大司教である』とは言われていた。しかし枢機卿は終身制である。実際に席が空くのはまだ先の事と、ゲルトナー大司教はこれまで気長に考えていたのだ。
急な欠員が出た際に、複数の大司教が呼ばれるのはアトラス教会の通常の手順である。最初に到着した者が女神様に祝福されているという扱いを受ける。しかし呼ばれる大司教の数がやや多すぎるように思えた。死亡した枢機卿の詳細は記されていない。降ってわいたような幸運だったが、ゲルトナー大司教は何やら胸騒ぎがしていた。
「なんと。一度に三名もの枢機卿が亡くなったのですか。」
「そうだ。急な要請で済まなかったが、それで急ぎ欠員を埋める必要が出たのだ。」
アトラス教会本部からザイツ・イリリカ王国国境にゲルトナー大司教の出迎えの為に差し向けられた馬車には、上司にあたるイーヴォ枢機卿が乗り込んでいた。
「もう数日前の事だ。実はアナクレート枢機卿を筆頭にする使節団が、パラリオン卿の手引きで密かに王都を抜け出しザイリンク帝国の司令部へと派遣されていたのだ。」
アナクレート枢機卿はアトラス教会の席次二番目の重鎮である。席次三番のイーヴォ枢機卿が、部下のゲルトナー大司教と共に人類スターヴェイク帝国からの潤沢な喜捨で勢力を急拡大させているのに焦っているとは聞いていた。
「ザイリンク帝国の侵攻が急速でな。既に王都も包囲されつつある。アナクレート大司教は、教皇様に危害が加えられないように安全に退去出来ないかをザイリンク帝国に打診をしていたのだ。」
聞けばイリリカ王国は、既に王都付近まで攻め込まれているという。馬車をイリリカ王国に向けて走らせながらイーヴォ枢機卿はゲルトナー大司教に状況を説明した。アナクレート枢機卿は、パラリオン卿の外交派閥と親しい。親イリリカ王国の立場を利用して事態に対処しようと急いだのだろう。
「だが、イリリカ王国側がザイリンク帝国の陣を焼き討ちした。後方の兵糧庫だから安全とされていた場所だったのだがな。アナクレート枢機卿の使節団は兵糧庫の壊滅に巻き込まれてそのまま亡くなったのだ。」
「アナクレート枢機卿の使節団の派遣について、イリリカ王国側には事前に説明を?」
イーヴォ枢機卿は頭を振って否定する。
「言える訳がなかろう。もし仮に察知していたとしても、互いに知らぬ存ぜぬを貫くような事柄だぞ。イリリカ王国側は知っていて兵糧庫を襲撃した可能性さえある。」
イリリカ王国にとっては、教皇がザイリンク帝国と単独で交渉しようなどとは決して認められない事だろう。それは手引きしたパラリオン卿とて例外ではない筈だ。『今まで守護してきた以上、滅びるなら共に』という感情が強い。掌中の珠を簡単に譲り渡す筈はないのだ。
「しかし、ザイリンク帝国と交渉可能とは驚きました。」
「ザイリンク帝国は人類スターヴェイク帝国との即時開戦を恐れている。教皇猊下を人類スターヴェイク帝国が尊重しているのが明らかである以上、流石に奴らも我らへの接し方には気をつけるだろう。」
「なるほど、そういう事でしたか。」
「実は開戦する直前に、枢機卿を集めた公会議が開催されていてな。議題は聖女の扱いについて。そしてイリリカ王国につくか人類スターヴェイク帝国につくかであった。」
「もうそんな所までお話が進まれていたのですか?!」
ゲルトナー大司教は驚嘆した。
「いや、それはいずれイリリカ王国と人類スターヴェイク帝国との戦争が始まる事を見越しての会議だ。その時は聖女を認めて人類スターヴェイクに恩を売りつつ、このままイリリカ王国と留まると決したのだ。どう転んでも支障が出ないようにな。だが今回の事件で一気に風向きが変わった。」
今回死亡した枢機卿はイリリカ王国との関係継続を訴えた主流派だったという。
「皮肉な事にイリリカ王国軍の手で、親イリリカ王国派の重鎮が殺された。新たに選ばれた枢機卿の候補者は、人類スターヴェイク帝国との関係強化を望んだ枢機卿の部下ばかりだ。ちょうど私とそなたのようにな。」
ゲルトナー大司教は絶句した。対外戦争を終わらせてようやく平和を謳歌している人類スターヴェイク帝国にいると、アトラス教会本部をめぐる情勢の急変に声も出ない。特に意識をルミナスの問題や、結婚式の準備に注いできた。ゲルトナー大司教としては気がつくと戦争の渦中にいた感覚さえする。
「こうなれば、頼むべくは人類スターヴェイク帝国しかあり得ない。そなたには他の大司教に先んじて、教皇猊下に枢機卿就任の為に祝福して頂く。枢機卿になり次第、その足で急いでアレスに引き返せ。そして聖女ルミナスの承認を手土産に、教皇猊下のアレスへの受け入れをなんとしてもコリント卿に認めさせるのだ。」