【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる)   作:高坂 源五郎

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Ⅲ 統一戦記 59話 【列強戦編②】 撒き餌

Ⅲ 統一戦記 59話 【列強戦編②】 撒き餌

 

「ルチャニが陥落したぞ。」

 

急増した兵を馴染ませるべく、練兵を行っているアダーは、ジノヴァッツに呼び出されて意外なニュースを聞かされた。

 

「しかし。敵の撤退後もルチャニは正規軍が守護していた筈では。」

 

ジノヴァッツは吐き捨てるように言う。

 

「それよ。蛇毒隊より多い五千の兵を追加しながら、大都督の部下は手もなく敗れ去ったのだ。」

 

「しかし城壁も士気も高く、充分な火炎瓶を持たせたと聞いています。並の攻城兵器では近寄れないのでありませんか。」

 

「攻め手は雨を待ったのだ。水こそ、火の最大の敵だからな。」

 

火炎瓶に使われる油膜は水にも強い。だが大量の水を浴びれば押し流される。火を保持する油は、攻城兵器の表面に留まる事なく地に流れ落ちてしまったのだろう。

 

「なるほど。それならばいかに火炎瓶とて不利ですね。敵の将は、さぞ名のある将なのでしょう。」

 

「表向きの主将はバーリント皇太子だが、実際は後見を務める五傑のミクローシュ将軍が率いる三万の兵だ。強敵だろうな。」

 

「では我らはルチャニ奪還に向かうのですか?」

 

「無用な事だ。陥落した以上、もうあの街にさして意味はない。既に王都も囲まれた事だしな。」

 

「そうなのですか!?」

 

ルチャニに祖国防衛における意味がないのなら、アダーが従事した作戦とは一体何だったのだろうか。

 

「良いか。大都督が優秀な部下の功績を掠め取る愚物であり、しかも我らより多数の兵を籠めても町すら守れぬ部下しかいないと皆に分からせた。それが今回の作戦の誇るべき成果だ。」

 

政争か、と瞬時にアダーは理解する。イリリカ王国は国王ではなく評議会こそが力を持つ。その為に派閥争いが激しい。政争に明け暮れる評議会は、優秀な指導者の供給源となるとイリリカ王国では肯定されている。つまりジノヴァッツは敵に勝つ意図ではなく、味方を出し抜く意図で兵を動かしているのだろう。

 

「コリント卿なら、このような苦労はないのだろうな。このように政争に明け暮れる軍事の現場は新鮮だろう?」

 

「そうですね。コリント卿はこのような時はクレリア女王さえ憚る事なく独断されます。」

 

「羨ましい事だ。やはり軍事作戦とは即断即決でなくてはな。有能な者に独裁させるしかあり得ん。その点は、我らも早く見習わねばな。」

 

今回のルチャニの攻防は軍事的な意義はあまり無い。だがイリリカ王国内主導権争いという文脈でなら価値はある。否、価値があるように評議会に籍を持つジノヴァッツなら持って行く事ができるというのだろう。つまりジノヴァッツのこの発言は、自らがイリリカ王国の全権を握るとそう予告をしているに等しい。

 

「ともあれ、これで大都督の権威を下げると共に我らが叩くべき標的の見当がついた。以後、この標的を狙う。」

 

「標的、ですか。」

 

「そうだ。敵の主攻は分かりやすい。だが我らが知るべきは、敵の右腕ではなく左腕の位置よ。このように困難な状況に際して、前線に出て火消しする将は信頼の厚い利け者だ。そのような差配ができる者こそ、最初にまず潰すべき相手なのだ。」

 

 

 

 

ジノヴァッツより新たな作戦を示されたアダーは、蛇毒隊に作戦を持ち帰った。まずは身内で検討を開始する事にする。

 

「またも敵の兵糧庫を狙う、か。しかも今回は王都を囲む敵の主攻の背後を狙うと。ジノヴァッツ様の策とはいえ、流石に2度目は読まれているのではないか。」

 

「ええ、今度の作戦はかなり際どい物です。」

 

アダーの理解では、彼ら蛇毒隊は敵を誘き出す為の餌の役割である。兵糧庫を襲うのはその為の分かりやすい狼煙でしかない。蛇毒隊が引き寄せた敵を撃つのは別の部隊だ。この役を担う正規軍の将軍カレイド卿と、アダーは既に顔合わせもしている。

 

「やはり我が隊の兵の損耗前提か。どうするのが良いと考える?」

 

ハブは心配気に尋ねた。

 

「叔父上とマンバには元々の兵一千名を指揮して貰います。あちらの方が教練が進み、問題なく進退可能でしょう。」

 

「新兵の二千人は?」

 

「私とマシラで受け持ちますよ。主将と最強の将の下に付くのです。表向き、何も不満は言えますまい。」

 

増員された二千名の兵の素性が、訓練を経て段々と判明していた。ザイリンク帝国に滅ぼされた国の残党を軸としているらしい。軍事の経験者が多いのは結構だが、所詮は行き場のない敗残兵の集まりである。既存の命令系統を残してもいる。こんな短期の教練期間では、蛇毒隊に馴染んでいるとはとても言えない。特に今回のような損耗前提の、謂わば受けの戦いでは当てにならない。

 

「ジノヴァッツ様が、申請した装備を未だ我らに送られぬのはこういう理由か。」

 

マンバもどこか納得顔で言う。ジノヴァッツは蛇毒隊の追加の兵は消耗すると見越しているのだろう。その合理主義ゆえに、死ぬと分かっている兵に無駄な装備を持たせることはしないのだ。

 

(コリント卿ならば金や物で釣り士気を高めようとされるが、ここで両者の違いを論じても仕方ないな。)

 

「ハブ叔父上とマンバは、別働の後ろ備えを構成して逃げ道の確保を。本隊より先に崩れられると厄介だから他に頼めません。」

 

「心得た。しかし酷い血みどろの作戦となるな、これは。」

 

ハブが微かにジノヴァッツへの不平を口にする。

 

「蛇毒隊の予算はジノヴァッツ様の懐から出ているそうです。軍の資材は大都督が抑えている以上、なかなか儘ならない物なのでしょう。」

 

ジノヴァッツの意図は、他国からの敗残の兵を激戦に投じて選抜する事にある。単に使い潰す意図でなく、持ち堪えていれば救援がある前提ではある。だが精鋭を得る為の選抜としては、実に非情なやり方であった。

 

 

 

 

「私にはお役目があります。マシラが長く留守にするとはいえ、お兄様に女性を近づけてはなりませんよ。」

 

ハブとマンバの両将を呼んで、マシラはそう釘を刺した。

 

「分かっている。そもそも我らも作戦前なのだからな。そこまで緩んだりはせぬ。」

 

「禁を破れば・・・恨みます」

 

ハブに向けられたその視線に、初めてハブはゾッとする感覚を覚えた。普段、アダーのマシラに対する怖がりようを理解できないハブであったが、今日ばかりはアダーの姿勢に同意出来る気がする。

 

「それではお兄様、名残惜しいですが。」

 

「ああ、作戦の全てがかかった大事な役目だ。しっかりとな。」

 

「・・・抱き締めては、くださらないのですか?」

 

抱擁を要求するマシラを、アダーは抱きしめさせられる。相変わらず体温の低いマシラは冷たく、ゾッとする抱き心地だった。

 

「うふふ、これで今生も思い残すことはありません。では来世も添いあいましょうね。」

 

「・・・大事なお役目があるだろう、まだ死なれては困る。」

 

「あら、そうでしたね。」

 

そう言ってマシラは嬉しそうに、キヒヒヒと笑った。

 

 

 

 

荒野を《小門》を抱えたマシラが駆ける。ジノヴァッツの作戦は、敵の警戒網をマシラに潜り抜けさせる単純なものである。黒いドレス姿の少女が戦場を独り駆けていても、目撃した者はそれをどこまで脅威と見做しえるだろうか。むしろ怪異の類として目の錯覚と見做したり、怖気を振るったりするのではないだろうか。

 

もし敵兵が後を追おうとしてもその速度にまかれるだろう。或いは人ならざる者と見做したら、敢えて近付こうとはしないだろう。そして鎧も武器もなく、ナイフだけを携えたマシラの感覚は常より数段研ぎ澄まされている。的確に敵の集団を避けて、伏兵の予定地点に到達した。この周囲に敵影がないのも入念に確認済みである。

 

予定時間に《小門》が開通する。支障がないことをマシラが報告し座標を伝えると、《大門》が開通され兵の移動が始まる。

 

《大門》は鎧姿の十人から十二人が横に並んで行進可能なサイズを誇る。一列十人が門を潜り抜けるのが五秒としても、三百列は二十五分となる。大体、三十分程度の時間が見込まれていたが順調ならばニ、三秒で兵は門を潜り抜けていく。

 

《大門》が開通したら、マシラは再び《小門》を抱えて次の目標地点に向けて移動を開始する。最初の地点に潜ませた伏兵はアダー率いる蛇毒隊の兵である。

 

続いては蛇毒隊を餌に敵の挟撃を行うカレイド卿率いる正規軍の番だ。次の伏兵の展開先に、マシラは急いで《小門》を運ばねばならなかった。

 

 

 

 

「で、我らはここで待機か。」

 

「周囲に人影はありませんが、敵の警戒網の中です。兵には伏せている事を徹底させてください。」

 

運ばれたのは少し高台になった荒野の灌木の中である。近くに涸れた沢があるくらいで水場はない。少し小高いので覗き込まれる心配は低いが、付近には哨戒する騎兵が横行している。マシラでなければ、まず敵に見咎められずにここに到達出来ないだろう。

 

「《大門》が維持されていれば、逃げ場はあるんだがな。」

 

「援兵を連れてくる為です。それを言っても始まらないでしょう、叔父上。」

 

今の蛇毒隊はマシラの用意した容れ物にすっぽりと収まっているようなものだ。後は時間と共に、敵の兵糧庫を襲撃すれば良い。それが本物の兵糧庫なら僥倖だが、偽物でも迎撃の部隊が出る。餌として敵を誘き寄せ、友軍と共に食い破るのが今回の蛇毒隊に課せられた役割だった。

 

 

 

 

 

「まだ、攻めぬのか。」

 

「マシラが戻れば、準備が整ったとわかります。それまでは待機です。」

 

「マシラが戻り次第、すぐ攻めるのか。」

 

「いえ、マシラも働き詰めなのです。少し休ませてやりましょう。」

 

「悠長な事だな。それでは夜が明けてしまうぞ。そうしたら我らの存在が敵からは丸見えになるではないか。」

 

アダーも叔父のハブが焦る気持ちは分かる。しかし、焦った所でどうなるものでもなかった。

 

「キヒヒヒ、叔父上様もマシラの登場を待ち望んで頂いたのですね。」

 

闇から黒づくめの装束のマシラが姿を現した。

 

「・・・心臓に悪いな、おい。」

 

「敵に気取られない為です。今日は仮面も黒を用いていますから。ほら、ちゃんとマシラでございますよ。」

 

仮面を外したマシラが、今度はヒヒヒと笑い声を上げる。闇の中に白いマシラの顔が浮かぶのは、まるで生首が浮いているようである。

 

「・・・揃ったな。」

 

「それでお兄様、問題が一つ。」

 

「何だ?」

 

マシラが黒い手袋を外す。闇夜に白いほっそりと痩せた手が浮かび上がった。その白さと細さはアダーに骨だけとなった死神の指を連想させる。

 

「あの枯れた沢を辿れば、敵に気取られずに近寄れます。」

 

マシラの指さす先には、黒々とした涸れ沢が横たわっているのだろう。だが月のない夜である、星明かりではこの闇の中を涸れ沢の存在まで常人には見通せない。マシラはそんな彼らの戸惑いには気付かぬように話を続ける。

 

「しかし敵も備えています。櫓が用意されていますから、見張が騒がぬように口を塞がなくてはなりません。お兄様、弓の用意は?」

 

「支度はしてある。」

 

アダーは弓が得意である。ミスリル鎧が普及するイリリカ王国にあっては弓の存在価値は高くない。ミスリル鎧はじめ金属鎧相手では弓による殺傷部位が限られる為である。この為、典型的な格下殺しの武器と見下されている。

 

だがかつてアダーが所属していたガンツ伯の部隊がコリント卿に敗れた際、樹海でアダーの命を救ったのはこの弓の腕前だった。魔物と対峙する上で、剣や槍よりも弓矢の方がよほど有用だった。アダーが命長らえただけでなく、残兵の中で人望を得たのは魔物に対して有効な手立てを持っていたからに他ならない。

 

「では、お兄様は私と共に先頭に。私一人では手が足りそうにありません。私が櫓を登るときは、下から援護をお願いします。」

 

「分かった。一矢で敵を仕留めるように努力しよう。」

 

「大丈夫ですよ」

 

キヒヒヒ、とマシラが笑う。

 

「お兄様の矢に貫かれても、マシラはけして文句を申しませんから。」

 

 

 

 

 

兵を涸れ沢の闇の中に待機させ、マシラとアダーのみが兵糧庫を構成する敵陣に近づく。今から狙う櫓は、涸れ沢に近いせいか、沢から出て高台に立てば高低差が少ない。他の櫓と違い、見張り台を弓で狙いやすそうである。

 

「お兄様からは見えるように動きます。」

 

高台に登りアダーの視界を見分すると、そう言い置いてマシラが櫓に近づいていく。黒いドレスとタイツ姿で梯子を警戒に登る姿は、見慣れていても気が付きにくい。予め注視していなくては、マシラの動きは掴めないだろう。

 

それでも見張り台にいるのは慣れた兵である。軽いとはいえ、梯子を登るマシラの振動に警戒を募らせた。櫓の上に詰める目配せしあい、登ってくる者を刺し殺そうと槍を構える。アダーの位置から狙えるのは一人だけだったが、後はマシラがどうとでもするだろう。

 

アダーは弓を引き絞り、呼吸を計って矢を放った。狙った兵を矢が貫き、柱に縫い止める。もう一人の兵は、梯子を登り終えたマシラが始末したらしい。櫓の上に到着し、仮面と手袋を外したマシラがアダーを手招きしていた。この櫓にアダーにも登れと言っているのだろう。アダーはため息をつく。そして弓を背負うと、櫓に近づき登り始めた。

 

「マシラ、敵に見つかったらどうする。」

 

「焦らずとも大丈夫ですよ、お兄様。こちらを向いている敵などおりません。」

 

キヒヒヒと声を顰めながらもマシラが笑う。アダーの到着を喜んでいるようだった。アダーは敵兵を射抜いた矢を回収する。ざっと検分したところ、矢の重心や強度に変更はなさそうだった。良い矢なのだし、今夜は幾ら矢があっても足りなくなりそうである。矢筒に収める事にした。

 

「済みましたか? ここからならば敵陣が手に取るように分かります。」

 

マシラに促されてアダーは闇夜に目を凝らす。

 

「分かった。兵糧の塊はあれだな。」

 

箱を積み、雨除けの布がけした物が多数積まれていた。食料ばかりでないにしても、膨大な物資である。あれを全て燃やされれば、遠征軍の多くは荒野で立ち往生する事になるだろう。

 

「流石に周囲には他にも櫓が揃っているな。どうせならもう幾つか櫓を潰してしまうか。」

 

「流石ですわ、お兄様。マシラもそう考えておりました。」

 

アダーに身を寄せながらマシラがキヒヒヒと笑う。そして流石に今日は動き詰めだったからか、珍しくマシラからは生者特有の汗の匂いがした。

 

 

 

 

アダーが闇の中で矢を放つ。狙いは寸分違わず敵兵を仕留める。続く矢で、もう一人の兵も射抜く。櫓は矢が届きにくい距離に離されているが、今日のアダーの弓は冴え渡っており難なく離れた櫓の兵を仕留めて見せた。

 

「あの櫓も潰したいが、流石に遠いな。」

 

「どうせ敵を呼ぶ事になるのです。あれは燃やしてしまいましょう。」

 

マシラは平然と言った。

 

「お兄様はここで待機を。私は兵を連れて来ます。そしてあの櫓に火炎瓶で火をつけますので、それを始まりの合図としようではありませんか。」

 

アダーは見張り台の中を検分した。確かに既に端の2つの櫓を潰した以上、ここは部隊を支援するのに良さそうな場所である。

 

「では、マンバにもう一つの櫓に登るように伝えろ。」

 

そう言って誤解されないように付け加える。

 

「今、矢で潰した櫓の方だ。お前がこれから火を放つ方ではないぞ。」

 

「大丈夫ですよ、お兄様。マシラは万事心得ております。では。」

 

マシラは素早くアダーの頬にキスをして、身を翻して櫓を降りて行った。ねとり、としたマシラの唇の感触がアダーに伝わる。だかそれ以上に、興奮するマシラの微かな息がアダーの肌にいつまでも感触として残っていた。アダーはマシラの唇と息の感触をずっと肌に感じながら、櫓の上で独り待ち続けた。

 

 

 

 

マシラが導いた蛇毒隊の兵が、闇の中から姿を現す。二つの櫓の下を充満するように兵が満ちる。マンバが部下を連れてもう一つの櫓に登る。アダーの潜む櫓を見て、マンバが大きく手を振った。アダーも手を振りかえし、見張り台の矢が備えられた位置を指差して伝える。マンバが了解した様子で頷き返す。見張り台には、弓矢が備えられている物である。マンバも弓を使えば支援の役に立つだろうし、使える矢は多いほど良いだろう。

 

準備が整ったと見たマシラが、闇の中に姿を消す。いよいよ、他の櫓を燃やしにいくのだろう。火炎瓶を使えば、櫓は見張り台の兵諸共簡単に燃え上がるだろう。それは闇夜に赤く映えて、敵を誘き寄せる格好の道標になるはずだった。

 

闇の中で火が揺らめいた。マシラが火炎瓶に種火をつけたのだろう。このような時の為に、兵には貴重な人類スターヴェイク帝国製品のマッチを持たせている。ファイアの魔法とて、マシラを始めとして使えぬ兵の方が多いのだ。軍需品としてのマッチは実に有用な製品だった。

 

マッチを擦って無事に火を起こせたのだろう。櫓の中程にマシラが火炎瓶を投げつける。火炎瓶の命中部位から、櫓がパッと燃え上がった。それが始まりの合図である。

 

「点火し、投擲しろ」

 

ハブの合図で蛇毒隊の精鋭一千名の兵が動き出す。マッチを持たされた者は一斉にマッチをする。そして火を分け合いながら火炎瓶に着火し、次々に標的へと投げ込んだ。

 

その標的は物資の山であり、或いは敵兵の寝込む天幕である。そして馬を休ませる囲いの中も全て狙う。火炎瓶がもたらした炎に照らされ、たちまち辺りの闇が晴れる。それは夜が昼に変わったと錯覚する程に明るくなった。味方の歓声と敵の悲鳴が入り混じる。その間にマシラは移動し、二つ目の櫓にも火を放つ。

 

「さあ、来るぞ。」

 

アダーの弓が天幕を無事に抜け出した敵兵の一人を射抜く。マンバと部下も盛大に弓を使い出した。敵が炎に混乱する中、弓矢で指示を出す者を潰す。これで貴重な時間をさらに稼げる筈だった。

 

武器を用意して待ち構えていた二千の兵に、櫓への点火を終えたマシラが合流する。

 

「さあ、憎きザイリンクの兵を切り裂く好機ですよ。」

 

マシラに煽られて、復讐に燃える敗残の兵の心にも火がつく。火炎瓶投擲による着火は完了した。ここからは武器の出番となる。歓声を上げながら、マシラに率いられた彼らは寝込みを襲われて慌てふためく敵兵の鏖殺に向かった。

 

 

 

 

「・・・ひと段落ついたな。」

 

アダーは、副将であるハブとマンバと落ち合った。辺りはマシラがまだ兵を率いて徘徊し、敵の組織的な抵抗を削ぐと共に虐殺を免れた敵兵を蹂躙して回っていた。

 

「叔父上とマンバはもう離脱してください。兵を伏せて退路を確保せねば気取られます。もう追撃の兵が来そうです。」

 

「承知した。我らはこの道を行き、兵を伏せる。逃げ先を間違えるなよ。」

 

マンバの指示で、一千名の精鋭は退路を確保する為の伏兵となるべく離脱を開始した。

 

「さて、この場を収めて敵を迎え打つ支度をしなくては。」

 

猛り狂うマシラをどう落ち着かせるか悩みながら、アダーは二千の兵に陣形を整えさせるべく指示を下し始めた。

 

 

 

 

敵襲を示す遠い歓声を聞いたザイリンク帝国のミクローシュ将軍は、すぐに兵に支度するように指示を出すと素早くバーリント皇太子の天幕に向かった。

 

「殿下」

 

「ミクローシュか、俺も目覚めている。」

 

「そのままでお聞きください。味方本陣後方の兵糧庫を襲われました。この陣の篝火を増やし、襲撃に備えるよう指示を出しました。私は五千の兵を率いて向かいます。殿下はこの陣に残られ、迷う将兵の標となるようお願い致します。」

 

逃げる味方の兵は友軍の陣を目指す物である。バーリント皇太子が健在と知れば、駆けつける味方の兵は少なくない。

 

「率いる兵が少なくはないか?せめて一万も連れていけばどうか?」

 

「では有り難く。」

 

思案したミクローシュ将軍は増員を受け入れた。過剰な戦力にも思えたが、皇太子直々の指示なら従う方が良いだろう。

 

「では、参ります。」

 

天幕越しに皇太子に一礼すると、待たせていた馬に跨り兜を被る。そしてミクローシュ将軍は素早く側近に指示を出した。

 

「火元を目掛けて突き進むぞ。」

 

既に露払いの先鋒二千には先発させていた。先鋒部隊が切り開いた道を進めば、兵糧庫を襲撃した敵を障害なく追える筈である。さほど時間を要せずに敵を捕捉できると計算していた。

 

 

 

 

アダーはなんとか戦意が旺盛過ぎる兵二千の陣形を整えた。暴れるマシラの猛威を目にした兵は、今ではすっかりマシラに心酔している。新兵達は、死神を先頭にすれば自分達は不死でいられると錯覚したかのように豪胆に振る舞っていた。

 

「敵の先鋒は防ぎ、突き崩す。敵の迎撃軍の本隊が出るまでは粘れ。そうしなければ救援軍が間に合わず、我らはまず助からん。」

 

アダーは救援軍の存在を助かる根拠として明らかにした。アダーの作戦指示を、兵達はいつになく真剣な様子で聴いている。ここが生死の境と彼らも熟知していた。

 

「逃げれば当然敵が追撃する。マシラが防ぐが全ては防ぎきれん。総崩れになっても構わんが、とにかくあの方角に逃げろ」

 

アダーは手にした弓で逃げる包囲を指し示した。この方角には既に味方の一千名の伏兵が配置を完了している筈である。

 

「伏兵を使って敵を足止めしたところで、カレイド卿の軍が背後から襲いかかる手筈だ。タイミングが早くても遅くても失敗する。皆、我が指示を守るように。」

 

アダーの横ではマシラが睥睨し、睨みをきかせている。アダーは二千の兵に作戦を飲み込ませた。近づく夜明けに焦りを感じながらも、蛇毒隊は迫る敵増援を陣形を整えて待ち構えていた。

 

 

 

 

闇を駆け抜ける馬蹄の音が響き渡る。歓声と共にザイリンク帝国の先鋒の騎兵二千がかつての味方の陣地を襲う。

 

「まだ先鋒だ、数は多くないぞ。踏ん張れ。」

 

蛇毒隊の兵二千は、陣地の門を閉じて応戦する。敵の陣地の掘りや柵は、彼らが騎兵から身を守るのに役立てられる。生き残った櫓には弓の得意な者を詰めさせた。敵の先鋒の役割は、本隊が到着する迄の時間を稼いで足止めをする事にある。陣地を囲うように障害を排除すると、深入りせずに本隊の訪れを待った。

 

ミクローシュ将軍の指揮する兵は、松明を灯しながら兵糧庫を目指した。先鋒による足止めを成功の連絡は受けている。歩兵が混じった為に進撃速度は騎兵より遥かに遅いが、その為に先鋒を派遣して敵の動きを封じていた。彼らは夜明けの時間を計りながら、ただ全力を敵に注げば勝てる筈である。

 

「殺れ、一人も逃すな。」

 

ミクローシュ将軍の指示に、戦場に到着した本隊の兵八千が一斉に攻撃を開始した。陣地を構成していた堀も柵も直ぐに破られて乱戦になった。

 

「脱出だ、逃げ延びろ!」

 

アダーの下した撤退の指示に、味方の兵が我先にと逃げ出す。その逃げ足の速さも作戦の内である。

 

「お兄様、こちらへ」

 

鮮血に塗れたマシラがスッと闇から現れて、アダーを誘導する。マシラを慕う兵が一塊となって、アダー共に離脱を開始した。

 

 

 

 

「これは例の敵だな。」

 

先鋒の倒した敵兵の死体をチラチラと確認しながら、ミクローシュ将軍は馬を進めた。本隊の突撃に脆く崩れた敵は潰走した。僅かな抵抗も排除しながら追撃に移っている。このまま夜が明ければ視界も広がる。そうすれば騎兵が大きく回り込んで、敵の殲滅が完了するだろう。夜が白み始めた今、敵の命運は風前の灯だった。

 

敵の装備は雑多である。金属鎧姿の者など一人もいない。とてもイリリカ王国正規軍とは思えない。恐らくイリリカ王国は、寄せ集めの兵を今回の任務の為に使い捨てにしたのだろう。

 

「つまり、人類スターヴェイク帝国の直接介入ではない。単にコリント卿のやり方に従った軍人がいたのだな。」

 

ザイリンク帝国も、コリント卿のかつての側近が軍を離脱した事までは掴んでいた。つまり何らかの事情があったその将が、イリリカ王国内でこの作戦に従事させらたと考えるのが自然だろう。

 

「どこまでがコリント卿の指示で、どこまでがイリリカ王国の思惑なんだろうな。」

 

ミクローシュ将軍がそう側近に話しかけた時、両脇の茂みの中に小さな火が灯る。それはまるで道を照らす灯りであるかのように映った。

 

「伏兵か!?」

 

ミクローシュ将軍が舌打ちする。しかし彼の鍛えた兵は、そう簡単に崩れる筈がない。

 

「迎撃態勢を取れ!」

 

ミクローシュ将軍の側近が素早く指示を下す。

 

「伏兵が多い筈はない。食い破って見せろっ!」

 

その側近の声を嘲笑うかのように、小さかった最初の灯火は次々と伝播し、一列になって急拡大していく。ミクローシュ将軍は恐怖と共にその動きを目で追った。これは一列になった敵兵が、隣の兵から種火をもらってさらに隣の兵に伝播しているのだ。そう見定めた時には遅かった。

 

「まずい。退かせろ。」

 

ここは死地になる、そう続けた筈の言葉は噴き上がる炎の轟音に掻き消された。道に沿って並んだ伏兵が次々に火炎瓶を投げつけてくる。騎兵であれ歩兵であれ、火炎瓶が直撃した者は火に巻かれて命を失う。

 

ミクローシュ将軍が幸運だったのは、立て直しの指示を出したのが側近であった事だ。そして華美な服装でなかった事も幸いした。

 

側近が火炎瓶の集中的な投擲の目標となる。彼の身体はたちまち紅蓮の炎に包まれて燃え上がった。側近の身体に当たって砕けた火炎瓶が、油の飛沫をミクローシュ将軍にも飛ばす。貰い火により直ぐに燃え上がる。ミクローシュ将軍の半身も金属鎧の上に付着した油が燃え上がった。

 

「将軍!」

 

部下の兵がミクローシュ将軍を馬から押し倒して地に転がす。数人がかりで消火に成功した時は、なんとかミクローシュ将軍の命を救ったものの部隊は痛打を負っていた。

 

「一度退かせろ、立て直せ。」

 

こうなれば追撃どころではない。後続を絶たれた先頭の部隊は、マシラ率いる兵の逆襲に遭い壊滅する。

 

「敵は我らよりはるかに少ない。踏ん張れ、間も無く夜明けだ。」

 

空は白み始めている。視界が完全になれば、闇に潜む敵はザイリンク帝国の猛攻の前に砕け散るだろう。しかし、そうはならなかった。

 

「・・・かかれ。敵は逃すな、根絶やしだ。」

 

カイレド卿の率いるイリリカ王国軍の正規兵一万が、追撃で前のめりになっていたミクローシュ将軍の背後から不意に襲いかかった。

 

混乱している渦中に、同数の無傷の敵に背後から攻められれは、ザイリンク帝国屈指の精兵集団も潰走する他ない。ザイリンク帝国による蛇毒隊への攻撃は完全に停止した。ミクローシュ将軍も、負傷した身では自らがこの死地を逃れるだけで必死だった。

 

バーリント皇太子が、当初の予定より多数の兵を率いるよう指示した事は兵の被害拡大をもたらした。しかし同時にこの皇太子の配慮が、ミクローシュ将軍の命を救う結果に繋がった。ミクローシュ将軍は、なんとかこの死地を免れて逃げ延びる事に成功した。

 

 

 

 

「良い餌ぶりでしたね。あの難敵を相手にその数が残ったのは強運ですよ。アダー殿は誇って良い。」

 

イリリカ王国正規軍に珍しく、カレイド卿は腰が高くない。しかしながら、褒めるにしてもどこか辛辣さを感じさせるのはイリリカ王国のお国ぶりというものだろうか。

 

「閣下の救援、ありがとうございました。お陰で多くの兵が救われました。」

 

アダーは素直に頭を下げた。今、蛇毒隊が生き残ったのはカレイド卿による救援が絶妙なタイミングで行われたからである。予想より遥かに多くの兵が生き延びていた。特に伏せていた一千名は無傷に近い。流石に、ジノヴァッツが蔑ろにぜずに懇意にしている正規軍の将軍である。カレイド卿は若いが、際立って有能なのだろう。

 

「ジノヴァッツ殿は、アダー殿を評価されているのでしょう。殺さぬよう助けて欲しいと念押しされていましたよ。『まだ果たす役割がある』と。」

 

カレイド卿が口にする評価を、アダーは更なる死地への誘いとして聞いていた。

 

「さ。《小門》を用意しています。間も無く転送門が開通する時間だ。そちらから先に引き上げて頂きましょうか。」

 

夜が明けた時、その地に止まっていたのはカレイド卿のイリリカ王国軍だけであった。彼らは兵糧庫の破壊を確認し、打ち破ったミクローシュ将軍の残兵を追い散らすと朝日の照らす中を転送門から悠々と引き上げていった。

 

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