【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる)   作:高坂 源五郎

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Ⅲ 統一戦記 64話 【列強戦編⑥】 裏切り

Ⅲ 統一戦記 64話 【列強戦編⑥】 裏切り

 

イリリカ王国の事実上の同盟国であるザイツ王国は、イリリカ王国とセシリオ王国に挟まれている。そのザイツ王国内部に、ザイリンク帝国のバーリント皇太子は侵攻していた。

 

「殿下、早くセシリオへと移動しませんと。」

 

「分かっているさ、ミクローシュ。だが、もう少しだけ情勢を見定めたい。」

 

ミクローシュ将軍は、バーリント皇太子に早期の人類スターヴェイク帝国入りを提案していた。しかしザイリンク帝国の継承者であるバーリント皇太子は、今もなお人類スターヴェイク帝国の庇護を受けるかどうか逡巡している。

 

人類スターヴェイク帝国が皇太子に手を差し伸べてくれる可能性はそれなりに高い。しかし、争点は以後のザイリンク帝国の地位がどうなるかであった。そして今となっては、イリリカ王国に人類スターヴェイク帝国が勝つかどうかも不確実である。

 

「セリース大陸の西に展開した人類スターヴェイク帝国と、海洋大国との衝突がどうなるかも気になる。」

 

とバーリント皇太子は言う。海洋大国の動向次第では人類スターヴェイク帝国は東西挟み撃ちに合う。どうせ手を組むなら、彼らが追い込まれてからの方が扱いは良いようにも思われた。

 

「いいえ。状況が流動的なうちに話を詰める方が、こちらに有利な条件を引き出せましょう。」

 

ミクローシュ将軍は皇太子の見立てに懐疑的だった。交渉は水物である以上、流動的な状況をあてにするのは危ういと感じる。なんと言っても、コリント卿は大陸統一を早々と決めかねない。そのような雰囲気を抱いているのだ。

 

「そうかもしれぬ。だが、事が事だけに今少し展望が明らかになるのを待ちたい。ザイリンク帝国の命運がかかっているのだから。」

 

いずれにせよ、もはや大陸の半分どころか既存の帝国領の維持も難しい。とすると、ザイリンク帝国が“帝国”と名乗ることさえ憚られるようになる。すると国号さえも変更する必要があるだろう。

 

「五傑の残り、カールマーン、シラード、レーナルト、ロージャ将軍の動向次第だ。彼らが勝利してくれれば、人類スターヴェイクとの国境についても交渉のしようはある。」

 

ザイリンク帝国の侵攻軍は健在である。であるだけに、有利な体勢を築いてもらいたいとバーリント皇太子は考えていた。

 

「条件面は期待するのが難しいでしょう。本国を残せれば良しとされるべきでは。そもそも大陸を半分ずつ分け合うという条件は、開戦前にコリント卿に断られております。」

 

そうは言うものの、ミクローシュ将軍も皇太子が遠征軍の成果を期待する気持ちは分かる。野戦では騎兵の数こそが有利不利を決める。騎兵最多を誇るザイリンク帝国が、そうそう簡単に負けるはずがない。必ず勝つはずと、これまでの常識から見ればそう考える方が彼らには自然なのだ。

 

「何と言ってもザイリンク帝国本国だけでは、将兵に報いるのに不足するだろう。」

 

「まずは殿下の身の安全と、国体の維持です。我らの受け入れについてもまだコリント卿と何か約束したわけではありません。詳細は後日として、まずは受け入れの可否だけでも打診されてはと。」

 

「まだだ。コリント卿は外交にも辣腕を振るうそうではないか。今の戦況でコリント卿の元を訪れるのは避けたい。我らが膝をつくだけだろう。戦場にいる臣下のためにも、我が対面は保たねばならない。」

 

実際にコリント卿と対面した経験のあるミクローシュ将軍は思う。面倒ごとなど、コリント卿に全て投げ渡して仕舞えばいい。だがそれは腹心のミクローシュ将軍とて、おいそれと口に出せる事ではない。

 

次期皇帝により下される結論は、決して先取りしてはならないものだ。それは皇太子が自分でその結論に至る必要がある。だからミクローシュ将軍はこれ以上は何も発言はせず、押し黙った。

 

「どの道、人類スターヴェイク帝国はイリリカ王国とはこの一年間は不戦であろう。やらば猶予はある。セシリオに入ったは良いが、そこから出られないのも困る。」

 

ミクローシュ将軍はため息をついた。鋭敏な彼はこの大勢は覆せないと知っている。皇帝の死以上に、帝都が陥落した事が致命的なのだ。後方の本拠地の安全というのは、それ程までに大きい。

 

カールマーン将軍以下の四名が励んでいるのは軍を進退させる新たな本拠地の確保である。イリリカ王国に追われながらではそれは難しい。

 

「ミクローシュ将軍、皇太子殿下の御身は命に代えても私がお守りします。」

 

今はバーリント皇太子の護衛を務める女騎士が進み出て言った。

 

「シャーンドール卿、其方がついていても皇帝陛下を守り切る事は出来なかったではないか。其方の実力は認める。が、帝国の今後は次期皇帝となる皇太子殿下のみが決められる事。今は控えていて貰おう。」

 

今は個人の武力で趨勢が覆る状態ではない。何より次期皇帝の判断を歪めてはならない。ミクローシュ将軍の示した態度に、彼女は黙って元の位置に引き下がった。

 

クリスティーナ・シャーンドール卿、ザイリンク帝国随一の騎士である。ザイリンク皇帝に仕えて宮殿を守護していた彼女は、マシラと撃ち合った末にミスリルの槍で貫かれてそのまま水堀に落とされ無力化された。

 

しかし彼女は止めを刺されず、こうして生き延びていた。水中で槍を身体から引き抜き、敵の装束を奪い取って生き延びたのである。その傷は皇太子付きの治療師の回復魔法(ヒール)によって既に癒やされている。

 

敵兵に成りすまし転送門を潜り抜けた彼女の一報によって、ザイリンク帝国軍の主力は撤退を開始できた。それは壊滅を免れた事を意味する。彼女の成し遂げた事は常人には不可能な偉業であり、将兵は皆感謝していた。しかし、彼女に期待された本来は役割は皇帝の守護なのである。

 

「クリスティーナ、其方は我が希望だ。だが今はその力を攻撃にこそ費やす必要がある。コリント卿から有利な条件を引き出したい。その為には、何か人類スターヴェイクへの手土産が必要となるだろう。」

 

バーリント皇太子が騎士を宥めるようにいう。バーリント皇太子もミクローシュ将軍もクリスティーナの実力は認めている。

 

「では、皇帝陛下殺害の実行犯の首を獲りましょう。大都督となりしカレイド卿、或いはあの女戦士の首を。」

 

「シャーンドール卿、イリリカ王国にそのような優れた女騎士がいると聞いた事もないが。異国の傭兵では無いのか?」

 

他国で著名な女騎士は実在する。セシリオのロベルタはルージ王太子の呼び出しを受けた美貌の主として以前から有名だったし、コリント卿の側妃となったエルナ・ノリアン卿もベルタ国王だったアマド・ベルティーとの浮き名を馳せた事で著名である。

 

両者共に実力は高いらしいが、ザイリンク帝国のクリスティーナ・シャーンドールもそれに劣らず有名な筈である。もちろん美貌も実力も劣ってはいいだろう。

 

「あれは騎士ではなく隠密の類の戦い方です。それでいて実力は私と互角でした。」

 

シャーンドール卿がそう述懐する。

 

「ならば、その女戦士を見かけたら仕留めれば良い。コリント卿への幾許かの手土産になるだろう。

 

「ええ、必ず。」

 

ミクローシュ将軍から復讐を許可されたクリスティーナは、その上品な美貌にそぐわぬ凄惨な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

プラート市はザイツ王国でも知られた地方都市である。ザイリンク帝国軍はその地を占拠していた。素早い占領には裏がある。ミクローシュ将軍が、領主のプラート子爵を密かに買収したのだ。この為、ザイリンク帝国の二万の兵が街に滞在している割に、表面は平静を保っていた。商人や冒険者も問題なく街に出入りしている。

 

「プラートを統治するアルル家にも、全く困ったものです。昔から金に弱い。」

 

ザイツ王国からイリリカ王国軍に付けられた案内人のチャンピ士爵はそうこぼしてみせた。ジルベール将軍は問題ない、というように手を振る。

 

「当地での我らの軍事行動をお認め頂ければ、何も問題ありません。貴国にも事情があるのは当然のことです。」

 

「いえいえ、これは本当にアルル家の勝手で。」

 

「お立場がある事、よく理解しておりますよ。」

 

アダーはジルベール将軍の属将の列に加わり、二人のやりとりを眺めていた。蛇毒隊は首尾よくジルベール将軍と合流したものの、今の所は属将扱いである。捜索に加わるなら人手が必要だと思っていた。だが敵の位置が発見出来たのなら、蛇毒隊にもう出番はないのかもしれないとそう考えていた。

 

「アダーどの」

 

「はいっ!」

 

唐突にジルベール将軍より指名された。総数二万の兵で、属将は二十名近くいる。その中で率いる兵数も少なく末席の外様のアダーが、ジルベール将軍直々の指名を受けるのは意外な事だった。カレイド卿の幕下にいたのだ。互いに見かけたことはあるが、これまで直接話した事はない。ジルベール将軍とはそんな間柄である。

 

「聞いていましたね。プラートの街は依然ザイツ王国の領地です。貴方はイリリカ王国を代表して、プラート入りしてください。」

 

「・・・と、言いますと?」

 

面食らうアダーに、ジルベール将軍は声高らかに告げた。

 

「プラートに兵と共に入ってください。名目はチャンピ士爵の護衛です。そして敵の陣を探ってください。これはそう、街の中の構造を探る威力偵察と言えましょう。」

 

物は言いようであり、有り体に言えばアダーの蛇毒隊を囮に使うという宣言だった。そしてそれはその場の誰もが分かっていた。カレイド卿も蛇毒隊に対する扱いは概ね同じだったのだ、

 

「偵察、でよろしいのでしょうか。」

 

そうと分かっていながらアダーが尋ねたのは、想定と違う事が起きれば偵察だけで帰るつもりだからである。

 

「ええ、偵察です。ただもし万が一敵に攻撃される事があれば、我らの元に戻ってくるのですよ。我らは常にアダー殿を助けられるように支度をしておきますから。」

 

 

 

 

アダーはザイツ王国軍人のチャンピ士爵の護衛として、マシラを付けた。

 

「士爵、彼女と離れると身の保証は致しかねます。離れられないよう、お願いします。」

 

アダーの警告を、チャンピ士爵は保護対象の一本化と看做したようだった。まさかこの細身の少女が凄腕の戦士だと思わないだろうし、アダーの許嫁と聞けばそう誤解しない方が無理というものである。

 

アダーも重ねての説明はしなかった。説明しても一向に理解されないが、その時になれば理解させられる事柄は案外この世には多いものだ。それになんと言ってもアダーの知る限り、マシラは最高の戦士の一人である。

 

プラートの城門を前にしたそんな頃合いで、それは起きた。チャンピ士爵は都市の守備兵に話を通しに行っている。そんな様子を並足で門に近づく馬の上からなんとなく眺めていると、声が聞こえた。

 

「相見える日を待ち望んでいたよ、イリリカの戦士よ。」

 

高くもない城壁の上に、兜もなしに長い金髪をたなびかせてザイリンク帝都の守将を務めたあの女騎士がいた。彼女の目線はしっかりとチャンピ子爵の横に立つマシラを捉えていた。

 

その瞬間アダーは感じ取った。どう転んでも、この敵はこの場で仕掛けてくると。ここがザイツ王国であり、彼らも皇太子の為に身を潜める必要があるなどとは関係ないのだ。仇と巡り会えば、直ちにそれを討つ。あの敵はその類の生き物だ。

 

「マシラ、退くぞっ!」

 

声を掛けて許嫁を城門から呼び戻すと、アダーは率先して踵を返す。チャンピ士爵を置き去りにしてマシラも続く。チャン士爵は案内人だが、ザイツ王国の人間である。プラートの守備兵と共にいる方が、まだ命は助かるかもしれない。

 

後続の兵がいる以上、反転して真後ろには逃げられない。馬もそのような構造をしていない。このような時は城壁に沿って左右に広がり、緩やかなカーブで来た道を戻る他ない。逆流する中でハブやマンバとすれ違う。

 

「アダー、どうした敵か!?」

 

「叔父上、撤退です。遅れれば死にます。」

 

ハブとマンバも事情を飲み込めないながらに慌てた様子でついてきた。馬ならば逃げ切れるか、そう思った矢先である。最後尾の兵は逃れられず敵に食いつかれた。二十名程が女騎士の襲撃に遭い、態勢を乱された所を後続の敵兵に蹂躙される。

 

「おい。見たところ、こちらの十倍はいるぞ」

 

後方でハブが叫んだ。叫んだところで兵数の差が縮まる訳がない。ハブの時機を弁えない言動は、いつにも増してアダーの癇に障った。

 

「味方の陣地へひたすら馬を走らせろ、助かる道はそれしかない。」

 

アダーは兵を指揮して逃げにかかった。それがそもそもの作戦でもある。幸いにして蛇毒隊は全員が騎兵の集団になっている。歩兵をもし連れてきていても、これではとうに粉砕されていただろう。

 

今となっては騎馬の俊足を活かして逃れる他に道はない。手筈通りなら、味方の陣地ではジルベール将軍が難敵を迎え撃つ準備を整えている筈であった。

 

「しかし、敵の目はどこにあった?」

 

アダーは勘だけは鋭い方である。彼の本質は弓騎兵であり、弓騎兵の主な役割は偵察だ。アダーの弓の巧さは目の良さに由来する。その目を活かして、地形や兵勢を見る事は得意だった。

 

今一目散に逃げるにあたっても、その目の良さが最適なルートを算出している。来た道を引き返すだけとはいえ、袋小路に入り込めばそこには死神が待っているだろう。

 

しかし、今回の敵はこれまでアダーに敵情を一切読ませなかった。なるほど、門を潜れば敵がいると承知してはいた。案内人もいたし、そこに敵がいる情報も得ていた。だから油断した訳ではないが、これまで敵の視線を全く感じずにここにきた。物陰から見られていただけなら気配に気が付かないのは理解できるが、情報の伝達は必須である。

 

蛇毒隊に先んじて情報を伝達しようとすれば敵にも動きが出る。偵騎とは、こちらに呼応して動くその気配を察知するものなのだ。しかしそんな動きはアダーの知る限り全く無かった。敵がアダーの視界の完全に外にいるか、あるいは何か特殊な方法で情報を伝達しているとしか考えられない。

 

「相当、腕の良い偵騎がいる。完全にしてやられた。」

 

歯噛みしてももう遅い。今も敵に見張られているだろう。敵の追跡は遅滞がない。僅かに蛇毒隊が勝っているのは人数の少なさと足の速さである。百余りの兵が既に討たれ、残り二百前後の兵が二列に分かれて遁走している。これを計算通りと呼べるのは、最初に策を立てたジノヴァッツだけだろう。

 

「くそ、ジノヴァッツ様の計算通りではあるのか。これは。」

 

アダーは口に出して罵った。ようやくジノヴァッツの意図を完全に理解したのだ。兵を三百に絞るジノヴァッツの感覚は“敵に追われながら逃げる人数”としては実に適正だった。

 

だが考えれば、これはジノヴァッツが帝都襲撃で指揮していた兵数と同じにしてあるのだ。兵三百と聞けば、あの女騎士にジノヴァッツの帝都襲撃の隊を想起させる。しかもマシラは特徴的でよく目立つ。直接対峙した者はまず忘れないだろう。

 

ジノヴァッツは素早く引き上げを決めたザイリンク帝国軍の動向から、皇帝の死を知らしめた存在がいると察知した。そしてその相手を誘き出す為に、蛇毒隊を魅力的な餌として整えさせたのだ。

 

「確かにそのような作戦を意図しているとは聞いていた。が、ここまでジノヴァッツ様が展開を読んでいるとは。」

 

アダーはジノヴァッツの策に舌を巻いた。実際に餌になる方はたまったものでは無いが、ジノヴァッツの策は餌が味方陣地に帰り着いて成功となる。少なくともこれまでの作戦は、常に死力を振り絞れば命は助かる塩梅に設定されていた。今回もそうである事を願うほかなかった。

 

 

 

 

アダーを先頭に二百人を切る人数の蛇毒隊が味方の陣地に駆け込む。

 

「門を閉じろ。敵がすぐ後ろにいるぞ。」

 

ハブがそう叫んで守備兵と共に木柵で囲まれた陣地の門を閉じにかかる。その時、アダーは嫌な予感がした。明らかにこの陣地にいる兵の数が少ない。かつての蛇毒隊は兵が三千いた。今の陣地の人数も、おおかたそのくらいである。本来のジノヴァッツの作戦通りなら、この場で待ち受けている筈なのだが。

 

「ジルベール将軍はどこか!蛇毒隊が敵を誘き寄せて戻ったぞ、早く敵将を撃たれよ!」

 

声を限りに叫んでも、見つめ返すのは雑兵の群れである。アダーの背を冷や汗が伝う。どう見てもジルベール将軍麾下の二万の精兵はここにいない。周囲に伏せている形跡もまるでなかった。ここはがらんどうの抜け殻である。

 

つまりこういう事だ。考えるだけで恐ろしいが、ジルベール将軍以下の精兵二万はもうここにはいない。大きく迂回路を使って出撃し、既に敵の本陣を襲撃しているのに違いない。

 

「なんと、なんと愚かな事を。」

 

ジノヴァッツの作戦通りアダーを餌に敵を誘き寄せた。そこまではいい。だがどうやらジルベール将軍は作戦に独自の創意を加える事にした

らしい。

 

よりにもよって誘き出した敵を直接叩くのではなく、敵陣に乗り込むとはどういう了見か。罠は、待ち伏せるからこその罠である。ジノヴァッツなら、いやカレイド卿でもこんな真似はしないだろう。アダーはいかにあの二人は指揮官として優れていたかを思い知らされた。

 

皇太子率いるザイリンク帝国軍の偵騎は、それはもう尋常ではないレベルにある。アダーが正体もなく不意を打たれたのは、樹海でコリント卿に敗れた時くらいだった。完全に不意をつかれたのは、今回が人生で二回目である。

 

たかが三百の騎兵を気配さえ見せずに見落とさない敵が、二万もの兵の移動に気が付かない訳がない。戦場を支配する能力は敵が優れている。野戦においてそれは致命的になりうる。そんな相手に自ら仕掛けていくとどうなるか。

 

「・・・味方は全滅するやもしれん」

 

ここで呟いてみたところでどうしようもない。復讐に燃えるあの女騎士が背後に迫っている。今はこの場をどうにか切り抜けるのが先決である。

 

「マンバ、兵を揃えてくれ。いざとなればこの場を捨てて裏から逃げる。皆にそう伝えろ。」

 

「おう、承知した。」

 

「ハブ叔父上、もはや二手に別れて落ち延びるほかないのでは。どうでしょう。人数が多い方をそちらに。敵はどうせマシラを目指してくるでしょうから。」

 

「承知した。やはり、クリスティーナ・シャーンドール卿は生きていたのだな。帝都と似た気配と感じてはいたが。」

 

ハブはしたり顔で女騎士の名を口にする。

 

「あの敵の正体を、叔父上は知っているのですかっ!?」

 

胸をそらし、得意げにハブが答えた。

 

「無論だ。好みの気品高き美形だったのでな、特徴に一致する名前を帝都襲撃の後で調べた。流石に今も生きているとは思わなかったが。ザイリンク帝国では著名な女騎士の一人よ。」

 

蛇毒隊はこれまでカレイド卿が女騎士を屠ったと考えていたのだ。あの難敵が生きているなら作戦の前提が変わる。それならそれで作戦前に言え、せめて間に合うように知らせよと思わなくも無い。

 

「しかし、どうやって知ったのです?」

 

「おい、忘れたのか。我ら〈蛇の一族〉は情報を司る。世に知られて名のある人物の事なら、一族がつぶさに調べて承知している。」

 

そう言えばそうだったな、とアダーは自分達の一族の役割をぼんやりと思い出した。一族の本拠で積み上げられた資料の山は、必要とされるまで誰もよ挟まずに埃をかぶっているのが常なのだ。わざわざあの山をかき乱す物好きなど、そうはいない。だが、この叔父は女の情報知る為には労苦を惜しまぬ人物だった。

 

「手短に教えてください。彼女はどんな人物ですか?」

 

アダーとマンバの“知っているなら早くいえよ”という圧に耐えかねたように、ハブが口を開く。

 

「身はほっそりとしているが、尋常ならざる腕力で獲物を振るうそうだ。帝国随一の死の騎士として恐れられているが、忠誠心は篤いらしい。獲物はなんでもよく使うが、馬上槍が多いとか。そして美形よ。」

 

ハブの説明は、アダーにロベルタを想起させる。シャーンドール卿はロベルタの同類なのだろう。こちらの兵が多いならまだしも、敵の兵が多いならマシラを投入しても勝てそうに無い。大体、獲物の短いマシラのリーチは長く無い。それだけであの女騎士シャーンドール卿相手には不利に働く。

 

「叔父上、それで先ほどは気配がどうのと。」

 

「おう、〈蛇〉としての俺の能力は、一度視界に完全に収めた美女の気配は逃さぬ事だ。」

 

自慢気にハブが言った。〈蛇の一族〉は〈猿の一族〉と共に、遠い昔にルミナスのお供としてこの地に至ったという。この土地に根付いた際、彼らはその職能にあった特殊な力を得た。

 

〈蛇の一族〉は情報を司る。だからそれに関連した能力が多い。アダーの尋常ならざる目の良さも間違いなく〈蛇〉としての能力なのだろう。

 

「では、今も叔父上にはシャーンドール卿の居場所が?」

 

「ああ、分かるぞ。今も安心して立ち話しているのはそれが理由よ。先ほどクリスティーナを視界に捉えてからは、明瞭に感じ取れるようになった。似た気配があったので、それまでは区別が難しかったのだがな。」

 

「もう一人いるのですか?」

 

「ああ、よく似た敵がな。」

 

「叔父上はマシラの気配も掴めますか?」

 

そう問われたハブは嫌な顔をした。彼の中でもマシラはもう美女という地位をとうの昔に滑り落ちていたのだろう。が、頷いた。

 

「ああ、分かる。」

 

アダーは考え込んだ。このハブの能力は使えそうである。

 

「それはおそらく敵の目を担う武将でしょう。その気配も掴めるのならば、どうにかなるかもしれません。」

 

 

 

 

カレイド卿は十万の兵を率いて戦場に立ってていた。ザイリンク帝都に残した駐留部隊が三万。ジルベール将軍に持たせた兵は二万。これがイリリカ王国の正規軍のほぼ全てであった。後方の王都は空に近い。兵站や資金力、人口。これら全てを勘案しても、十五万の兵が他国を征服していないイリリカ王国の限界である。その中の十万で戦えるのはかなりの好条件だった。東方で二十近い国を従えたザイリンク帝国とは、そもそもの土台が異なるのだ。

 

対するザイリンク帝国の遠征軍は当初は公称四十万の大軍である。帝都陥落と撤退開始で数を減らしてはいるが、五傑の手腕なのか大軍を維持していた。カレイド卿の見るところ、敵は二十万強である。

 

「兵力は倍、ですか。」

 

戦力の格差は四倍から二倍強に減らした。しかも撤退する敵である。その勢いに翳りがある。

 

「さあ、これに勝てば大陸の歴史に名を残す事が出来ましょう。」

 

カレイド卿は部下を鼓舞すると猛然と待ち受ける敵に襲いかかった。

 

 

 

 

 

「正面から来るだと!?」

 

遠征軍総指揮のカールマーン将軍は呆れた。数が勝る相手に中央突破は致命的な失策に思われたからだ。騎兵の数もこちらが多いはずだ。三軍で包囲すれば簡単に殲滅できそうだった。

 

「レーナルト将軍、ロージャ将軍に伝えろ。このまま囲んで敵を葬り去る。」

 

「承知しました。」

 

カールマーン将軍の指示に側近が軍旗を立てる。使者をやり取りせずとも、方針はこれで伝わるはずであった。

 

ザイリンク帝国の五傑は、カールマーン、ミクローシュ、シラード、レーナルト、ロージャ将軍の五名である。ミクローシュ将軍は二万の兵で皇太子と共にザイツ王国に、シラード将軍は帝都を奪還すべく二万の兵を率いて既に祖国へと向かっている。

 

この地には二十四万の兵がいる。将軍一人当たり八万の兵である。この数は実の所、将軍一人あたりで見ると侵攻時と変わらない。本来はシラード将軍とミクローシュ将軍の割り当てだった兵を上手く配分した為だ。情報統制した効果もあり、皇帝の死と帝都陥落を兵に知らせぬままに国境まで引くことに成功していた。

 

目の前では各隊がイリリカ王国軍の包囲をほぼ完了させていた。左翼から進み出たロージャ将軍の隊がイリリカ王国軍の背後に出て、そのまま食い付くかに見えた。その時である。

 

「カールマーン将軍、ロージャ将軍の兵が矛先をレーナルト将軍の隊に向けています。」

 

「なんだと?」

 

遠征軍の指揮官はカールマーン将軍である。しかし五傑は同格に近い。麾下の兵の数に差はない。そのなるように兵を分配し直したのだ。

 

「まさか。あの男、寝返ったか。」

 

タイミングは最悪だった。ロージャ将軍は五傑に選ばれるほど優秀な男なのだから。だが野心が強すぎたのだろう。皇帝が死に、大軍を握っている今は自立の絶好のチャンスでもあるのだ。

 

つまるところ十万対二十四万であった筈の戦いは、たちまちのうちに十八万対十六万の戦いに変化した。

 

「正面からイリリカ王国軍がこちらに向かってきます。」

 

側近が悲鳴のような声を上げる。

 

「不意をつかれたとはいえ、レーナルト将軍が支える筈だ。ロージャ将軍の対処はレーナルト将軍に任せる。こちらは正面のイリリカ王国軍を叩くぞ。」

 

しかし猛然と攻めかかる敵に、開幕の足並みの乱れは如何ともし難い。ロージャ将軍とレーナルト将軍は共に高水準の能力で甲乙がつけ難い。それはつまり不意打ちする側が有利となりかねない。カールマーン将軍は持久戦を覚悟した。

 

 

 

 

 

陣頭に立ち、全軍に姿を見せたカレイド卿が大きく手を振るう。その指示に沿って正規軍の兵士は敵陣に向けて飛び出していく。今の彼らには恐怖も心配もない。あるのは勝利への確信と高揚感だけである。

 

先に突撃した仲間の無惨な死に様を見ても、彼らは少しも恐れなかった。カレイド卿に指揮されて、祖国の為に死ぬ喜び。士気を最大限に高めたままで、イリリカ王国軍の正規兵は仲間の死体を乗り越えて前へ前へと突き進んだ。

 

恐れる心はカレイド卿により禁じられていた。許された感情は、カレイド卿に導かれて戦う喜びだけ。敵将が寝返った今となっては兵の数もこちらが多い。彼らはただひたすらに敵に打ち掛かる。大地が敵味方の血で溢れる。

 

そしてだんだんと敵が味方の攻撃を受けきれなくなり、守備が崩壊に至る。味方の手が届き、敵の敗退する部位が広がる。カレイド卿のもたらす熱狂に浮かれた集団は、攻めに攻めを重ねてジリジリと敵の守備をこじ開けた。戦場はもう完全に彼らのものだった。

 

「待たせたね。さあ、思いの丈を全部ぶちまけろよ。」

 

そのカレイド卿の言葉は、赦しに似ていた。今、敵を叩く兵はカレイド卿からは遠く離れておりその声が聞こえるはずがない。ただ抑制された兵の感情だけが、カレイド卿の能力により一斉に解放された。

 

唐突に与えられた“感じる事”への赦しは、兵が自ら制御出来ない感情の迸りとなる。それは勝利を確信した余裕とは異なり、全く別の衝動だった。ただただ殺意に囚われた狂乱の兵として、イリリカ王国の軍兵は目の前の敵に対して暴れ回った。

 

「何なのだ、この兵は。」

 

騎兵が両脇を突くよりも早く前衛を突破してくる敵にカールマーン将軍は戦いた。

 

「あの敵に勝つ為にはどうすれば良いのだ」

 

「この退勢は覆せません。退きましょう。」

 

側近に引きずられるようにして、カールマーン将軍は戦場を後にした。その場に留まり抵抗する兵は皆殺された。残された兵は散らばりながら戦場を逃れようとする。

 

「見事な勝利でした。」

 

まるでダンスを踊り終えた後のように、頬を紅潮させたカレイド卿に副官のミューレル士爵が声をかける。大都督の親衛隊長に任じられ最後の壁を構成する彼もまた、カレイド卿に心酔していた。

 

「カールマーン、レーナルト、共に率いて逃げた兵はそれぞれ二万もいれば良いところか。」

 

カレイド卿は的確に逃げる敵の兵数を算出してみせた。ロージャ将軍とレーナルト将軍の対決は接戦だったが、カールマーン将軍の敗退と共にロージャ将軍が痛撃を加えている。

 

レーナルト将軍はカールマーン将軍を追うように逃亡に入った。降伏する兵も出たようで急速にロージャ将軍の軍は膨れ上がっていた。

 

「ロージャ将軍に、可能な限り兵を吸収するように伝えなさい。」

 

「はっ」

 

指名された使者が伝令に向かう。

 

「・・・また、今夜もロージャ将軍の元を訪れられるのですか。」

 

勝利に酔いしれるカレイド卿の横で、ミューレル士爵が心の中の懸念をそう漏らした。

 

「仕方がないだろう? ザイリンク帝国の兵を我が方に取り込む為だよ。五傑の誰かと私が取引する他なかったからね。ロージャ将軍は席次は末席だが、最も若くそして野心的な男だ。心の隙を見せそうなのは彼だけだった。」

 

カレイド卿はロージャ将軍を文字通り体当たりで籠絡していた。まるでコリント卿の籠絡に失敗した八つ当たりのような勢いだったのだが、策は当たり歴史的な大勝利をイリリカ王国にもたらしていた。

 

「・・・もちろん私がこの世で一番信頼するのは君だけさ、ミューレル士爵。」

 

カレイド卿が副官のミューレル士爵にそっと手を伸ばす。ミューレル士爵をカレイド卿のフェロモンの奔流が襲う。カレイド卿がそっと副官に囁きかける。

 

「・・・君を、頼りにしているよ」

 

「あ、ありがとうございます、閣下。」

 

ミューレル士爵は懸念がすっかり消えたように表情を変え、顔を赤らめた。カレイド卿に向けられた視線は崇拝者のそれである。その様子をカレイド卿は満足そうに見つめた。

 

「私を心配してくれて嬉しい。だが、君はやはり笑顔の方が似合うよ。」

 

部下の意欲と忠誠心の維持には何より心を砕く、それこそがカレイド卿の兵法の真髄だった。

 

 

 

 

 

フランツィシュカ、戦況はどうだ。(フランツイシュカ センキョウ シラセヨ)

 

はい、将軍(ハイ カッカ)追撃部隊は敵を本陣に追い詰めました(サクセン ジュンチョウ)今は部隊を反転させ、迎撃させます(キョウゲキノ タメ ハンテン)。」

 

このやり取りは声ではない。ミクローシュ将軍は、信頼する部下のフランツイシュカと文字でやり取りをしていた。

 

それは籠手の形をした魔道具である。商業ギルドの通信装置と同じ仕組みだが、遥かに小型軽量化されていた。なぜならザイリンク帝国こそが魔道具製造の本拠地であり、商業ギルドの通信装置も全て製造していたからに他ならない。ギルドの通信文のやり取りの全ては、商業ギルドではなくザイリンク帝国だけが承知している。

 

遠征軍の戦場は動いたか?(エンセイグン ノ センキョウ コウ)

 

それが、よくない知らせです(マケマシタ)

 

その短い文でミクローシュ将軍は全てを察した。倍の兵でかつ野戦でもイリリカ王国軍に敗れたのだろう。やはり彼の見立ては正しかった。

 

ミクローシュ将軍は自分でも驚くほど冷静だった。そもそも簡単に勝てると判断していたら、皇太子を説得して人類スターヴェイク帝国と接触させようとはしていない。

 

では今は目の前の敵に集中するとしよう(デハココデ テキヲ ウツ)。 詳細は後で聞かせてくれ。(イサイ アトデ キク)

 

はい、閣下。(ハイ カッカ)

 

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