【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅲ 統一戦記 65話 【列強戦編⑦】 越境
ジルベール将軍は自らの勝利を確信していた。蛇毒隊が敵の注意を引き付けられるであろう事は、軍師ジノヴァッツのお墨付きがある。この兵力で敵に勝てるという見立ても、同じく軍師に証明されたようなものだ。それなら敵の迎撃が出払った隙を突けば、敵の硬いところに当たらずに労せずして皇太子を捕らえらると判断した。
「皇太子という玉を掴みさえすれば、我らの勝利は約束されている。」
勝利、それは何と甘美な響きか。ジルベール将軍がジノヴァッツの策に創意工夫を加えたのは理由がある。彼は
蛇毒隊の将は
イリリカ王国の正規軍兵士は職業軍人であり、皆プライドが高い。本来、蛇毒隊は正規兵を守る為の消耗品でしかない。だがこうも囮を務めて生き残ると、周囲から何か特別な任務を与えられ優遇され続けているように見えてくる。正規兵には、働き場を奪われたと感じる者もいた。
蛇毒隊を面白く思っていない正規軍の将兵は、作戦変更を支持した。そして誰もが華々しい勝利を信じて疑わなかった。かくして、ジルベール将軍は、迂回路をプラートに向けて突き進む事となった。
静まり返ったプラートの城門を目にした時、ジルベール将軍はまず一当てするよう部下に指示した。流石にジルベール将軍とて歴戦の将である、戦場に到着したら即勝利するとまでは考えてはいない。
先鋒が抵抗なく城門を潜り抜ける。後続の味方が続々と入門していく。イリリカ王国軍は警戒を解き始めた。
「まさか、全軍で出払ったのか?」
皇太子を護持するなら考えられる話である。いずれにせよ味方の本陣が空にして来た以上、プラートは押さえる必要がある。
「まずは町を確保しろ、捜索の手も緩めるな。」
ジルベール将軍は指示を出し、後続を送り出した。ここは友好国ザイツ王国である。市の確保は戦略的な意味を持たないが、補給を奪えれば大軍は立ち行かなくなる。ジルベール将軍は兵の糧道を断つセオリーに沿って動いた。
視界の中に敵の気配など何も無かった。油断したわけではないが、将軍として目立つ姿で堂々と振る舞った。彼はミスリルの鎧を着用している。そうそう自分に危険が及ぶ事はないとたかをくくっていた。
その時、一本の矢がジルベール将軍を貫いた。ミスリルの鎧を着ても、頭部とくに顔面はガラ空きなのだ。弓形の矢に左目から首筋までを射抜かれて、ジルベール将軍が落馬する。
気がつけばイリリカ王国正規軍は主将を失い、敵の包囲下にいた。そして主将を討たれ動揺しながらも、のたうつ蛇のようにジリジリとイリリカ王国正規軍は元来た道への後退を開始した。
「
「
ミクローシュ将軍にはフランツイシュカの寄越す通信文が踊って見えた。プラートの市から全軍一時退去し、敵を油断させた甲斐があったというものである。
「では行くぞ。」
伏せていた騎兵を駆けさせる。兵を伏せた土地は少し遠い。だが、フランツイシュカという目がある限り的確に兵を進退させる事が可能だった。多少の遠さも、騎兵の速力ならなんて事はない。歓声と共に彼らはイリリカ王国正規軍に襲いかかった。
イリリカ王国の正規軍は強い。槍先を揃えて槍衾を作り騎兵の接近を阻み。内側から弓で敵を射抜く。堅実なその戦いぶりは、対戦するミクローシュ将軍に主将が死んだと悟らせない程である。流石は
「だが、それもここまでだ。」
ミクローシュ将軍はフランツイシュカとのやり取りの中で時機を計っていた。もう間も無く、反転したクリスティーナの隊が敵の後方から参戦する。
遂に戦場に到達したクリスティーナが突撃して槍衾を蹴散らす。撤退する方角からの敵の襲撃にイリリカ王国軍も慌てふためく。
「
皇太子の傍に立つミクローシュ将軍は、麾下の全軍に敵の殲滅を指示した。
ハブと別れたアダーが戦場に到着した際、勝敗は既に決しつつあった。巨龍がのたうつようにイリリカ王国軍がザイリンク帝国に呑まれている。ジルベール将軍の姿はどこにも見当たらない。目立つ指揮官が狩られている様子から、既に倒されたか隠れているのだろう。
「マシラ、時を稼ぐ必要がある。」
「何をいうのですか、お兄様。こんなものはどうにか出来る訳がありません。」
「お前こそ、何を言ってる。この状況をどうにも出来なければジノヴァッツ様やカレイド卿に合わせる顔がない。」
マシラは唖然とした。これまで彼女はジノヴァッツの“アダーが裏切る”という予想に沿って動いている。今は命長らえただけ幸運と言うべき状態なのだ。このまま越境して人類スターヴェイク帝国入りしてもマシラは困らない。むしろ早く行って、コリント卿の暗殺を成功させたい。
「マシラは、お兄様が人類スターヴェイク帝国を頼られるかもしれないと。一応、今は彼の国は不戦という事で友好関係を構築しておりますし。」
戸惑いながらもマシラが存念を述べる。アダーが婚約者に向けて微笑んだ。
「その手も考えられる。だが、コリント卿は無駄死にを一番嫌う。あのお人はこれまで虐殺を行われた事はない。止められないか、やってみるさ。」
アダーはハブにマンバにマシラを従えると、両軍の戦闘地点へと向かった。
「
フランツイシュカが、ミクローシュ将軍に送って寄越した通信文は奇妙なものだった。ミクローシュ将軍は応じるべきか暫し考えた。
ジルベール将軍を倒したとはいえ、思いの外イリリカ王国軍は硬い。一つの大きな集団になった彼らを囲んではいるが、今は手詰まりとなっていた。
イリリカ王国の正規兵は脅威的な持久力を発揮していた。予想外だったのはクリスティーナの動きを封じられた事で、彼女の進撃が止まる事でイリリカ王国軍は息を吹き返していた。
こうなると両軍共に辛い。互いに本陣を離れている。囲まれているイリリカ王国軍は友好国のザイツ王国にいる。つまり、地元の支援を受けられる立場にいる。
対するザイリンク帝国側は、優勢に立って包囲しているが彼らは自分達の陣地に立て籠りつつある。買収したのは当地の貴族だけであり、王国全体ではない。今は有利でも、長引けば何がどう転ぶか分からない状態だった。
「
フランツイシュカが自ら引き連れてきた男は、アダーと名乗った。フランツイシュカはその男を革紐で後ろ手に縛り上げていた。目の良いフランツイシュカにしては用心が過ぎる珍しい対応だった。
(この男の連れが、クリスティーナを止めました。)
フランツイシュカがミクローシュ将軍に囁く。では戦況が悪化したのは目の前の男が原因か。ミクローシュ将軍は認識を改めた。
クリスティーナ・シャーンドール卿はザイリンク帝国随一の騎士であるが、その祖先はルミナスの従者の血統である。
彼らは
少なくとも同時代には八人しか現れない。現在は四駿が姿を消し、四狗の血統のみしか残らないと伝わる。つまり、知られている限りはこの大陸に四人しか存在しないとされていた。
ザイリンク帝国が召し抱える四狗は、このフランツイシュカとクリスティーナ・シャーンドール卿である。現在は人類スターヴェイク帝国入りしたセシリオのロベルタという女騎士もまず間違いなく四駿四狗であろう。
四狗を止められるのは四狗だけである。今回戦場に、イリリカ王国側の抱える四狗が投入されたのだろう。クリスティーナ・シャーンドール卿が帝都で対戦したのと同じ相手なら、納得できる話ではある。
「ミクローシュ将軍だ。アダーとは聞かぬ名だが、“四狗”の連れだから会う気になった。要件は何かね。」
「ザイリンク帝国軍の当地からの立ち退きについて、です。」
「ほう、君はどんな資格でそれを交渉するのか。」
敵の主将を討ち取った以上、現在の権力構造を把握する必要もある。フランツイシュカが連れてきた以上は会うべき人物と認めるが、少なくとも代表権を持つかの確認は必要だろう。
「イリリカ王国の政治は複雑怪奇と聞く。評議会が権力を持つとこの手の交渉毎は時間がかかってばかりというが、本当に君はイリリカ王国で決定権のある立場なのか?」
「今の私はイリリカ王国評議員に仕える軍人ですが、実際のところは人類スターヴェイク帝国のコリント卿に任命された密偵です。私はコリント卿の代理として両国の仲裁にあたります。」
沈黙が場を支配した。
「馬鹿な、そんな法外な話が。」
「ないと思われますか?」
ないとも言い切れないのが、人類スターヴェイク帝国である。彼らはこれまでの常識で測れない。ザイリンク帝国では、
コリント卿に仕える《双子の悪魔》とその姉である帝国宰相。知られている限りは三名しか分からないが、彼らが実は四駿であると見做すと辻褄は合う。コリント卿自身が四駿かどうかは意見が分かれていた。四駿四狗は女神に仕える従者であり、これまで例外なく女なのだ。
「・・・コリント卿の信書ひとつもなしに、信頼しろは無理な話だろう。」
「コリント卿はこう云っておられます。“将軍からは大陸を二分する約束で交渉を持ちかけられたが、大陸を統一するつもりだからと断った”と」
「なっ」
それは外交の秘事である。ザイリンク帝国でも一部の上層部しか知らない。人類スターヴェイク帝国側が意図して漏らすとは考えにくい。
「こちらは事を納める覚悟できました。ザイリンク帝国軍は人類スターヴェイク帝国に立ち退く。イリリカ王国軍は本国に引き上げる。私と婚約者は人質としてザイリンク帝国軍に同行する。それで手を打ちませんか。」
交渉中の旨が布告され、両軍の戦闘は停止した。包囲下にあるイリリカ王国側は特に問題行動を起こさなかった。この事から、彼らも交渉は容認していると考えられた。
ミクローシュ将軍から事情を聞かされたバーリント皇太子は、『これは全て君の仕込みではないよね、ミクローシュ?』と尋ねた。
ミクローシュ将軍は皇太子にもう一つ不快な報告をしなくてはならなかった。フランツイシュカが言上する敗報に皇太子が眉を曇らせる。
「そうか、ロージャの裏切りでカールマーン将軍他の遠征軍は敗れたか。これで人類スターヴェイク帝国との交渉以外に道はなくなったな。」
「この場は我らが有利ですが、長引かせれば敵の大軍が押し寄せましょう。対峙している敵は、そもそもその為の捨て石なのですから。」
「そしてこの敵は、イリリカ王国が野戦に勝利したとまだ知らないわけか。」
人類スターヴェイク帝国との国境は近い。確かに今であれば、お互いに国外退去で済ませるのは悪くない着地点である。長引けばイリリカ王国の救援が間に合う可能性は高いが、現状はザイリンク帝国が優位にある。しかし、救援が来るまでに勝ち切れるかというと際どい。
既に戦闘の目的は互いの生存権に移っている。ザイリンク帝国の目的がこの地の確保でも相手の命でもない以上、呑めない話ではなさそうである。
「相わかった。まずはその男と話してみよう。しかし本当かな、コリント卿の使者というのは。」
「我らは魔道具により戦場で会話しております。野戦において負け知らずであるのは、実のところ騎兵よりこちらの果たす役割が大きいでしょう。コリント卿が似た仕組みを持っていても、何ら不思議ではないでしょう。」
改めて皇太子の前に引き摺り出されたアダーは、まだ手を縛られたままだった。しかしやや待遇が改善し、後ろ手ではなく前で縛られるようになっている。
これにより荷物のように無造作に床に放り出される境遇から、皇太子の前で椅子に座れる立場にまで待遇が大幅に改善した。コリント卿の名を持ち出した事が、待遇の改善に繋がっている。
少なくともアダーがコリント卿の副官を務めていた事は確認可能な事実である。その点について確認が取れ(意外にもそれは密偵の報告と付き合わせるという手順だったが)、イリリカ王国側も交渉の為の停戦に同意すると一気に交渉の機運が高まった。
「早速だが尋ねたい。コリント卿は我らを受け入れ庇護する意図があるのか?」
アダーはその質問をアランに尋ねる。彼らはナノムを使った通信装置を用いて会話をしていた。
元々、アダーが帰郷する際に二重スパイとなる条件で注入された物だった。この為にアダーは人類銀河帝国軍への入隊を余儀なくされたが、誰も仲介せずにイリリカ王国からコリント卿と直に会話可能なのはアダーがジノヴァッツの信頼を得る上で極めて効果的に作用していた。
(俺と会話している事は分からないようにして、以下のように説明してくれ。)
アダーはアランの伝えた内容をさも自分の考えのように伝える。
「申し上げます。人類スターヴェイク帝国はこれまで占領あるいは庇護した土地の民を滅ぼした事はありません。ザイリンク帝国と対峙した過去はなく、ザイリンク帝国の本国は問題なく保障されるでしょう。」
「本国だけの安堵では足りないと、そう思わないか?」
アダーは考えるふりをして、話を紡いだ。
「私の見る限り、恐らく無条件で認められるのは合計三カ国相当かと思います。」
「つまり条件を飲めば、数が増やせるというのだな。限界として何カ国と見る?」
それはもう交渉ではなく、皇太子の諮問である。しかし彼は立場が上であるコリント卿を訪問して交渉するより、このように差し向けられた外交使節との交渉を本来望んでいたのだろう。その事に実際に会話をしてアダーは気がついた。
「最大で五カ国、でしょうか。しかしその場合は、反乱への重大な懸念が生じます。条件としては、コリント卿の指名する人材を差し出す事になりましょう。」
「我が両手両足両翼たる五傑将軍を差し出せと?」
「いえ、恐らくそこまでは。しかし女神の従者たる四駿四狗はルミナス様にお仕えする為に差し出される必要がある筈です。」
「人類スターヴェイク帝国の擁立した聖女ルミナスなど、紛い物だろう。私がコリント卿に宛てて送り届けたクレリア女王似の愛玩用の小娘ではないのか?」
ミクローシュ将軍が口を挟む。アダーはミクローシュ将軍に向き直った。
「イリリカ王国入りした私はまだお会いした事はありませんが、聖女ルミナス様はアトラス教会にも女神の人として生まれ落ちた姿と認められています。贈られた少女はルミナス様にお仕えする身だと。」
「それは、言い逃れにしか聞こえんな。」
「そうお思いなら、留保する為の条件をつけられれば良いのです。聖女ルミナスが真に女神の顕現された存在であれば、従者たる四駿四狗を仕えさせる事に同意すると。」
「ふむ。」
ミクローシュ将軍は考え込んだ。ロージャという裏切り者が一人出た以上、五傑は残り四人である。五カ国というのは、妥当な支配領域に思われる。四駿四狗と云ってもザイリンク帝国が保持するのは二名である。一名あたり一カ国の加増なら、悩むまでもない。そもそも、四駿四狗の力を持っていても今追い込まれているのだ。
「真に女神ルミナスの顕現ならという条件をつけるのは良いですな。それにコリント卿ではなく、聖女ルミナスに仕えさせるのは体面を保つ上でも悪くありません。」
聖女ルミナスはいずれコリント卿と婚姻するかもしれないという噂がある。それはそれとしても、女神を慮っての行動は体面を保ちやすい。
「ミクローシュ将軍も納得したようだな、その条件ならば良いだろう。アダー殿にはコリント卿に上の内容で伝えてもらおう。その条件で我らザイリンク帝国は当地を退き、人類スターヴェイク帝国に向かうものとする。では、イリリカ王国軍にも伝えるとするか」
(本当に、この条件で大丈夫でしょうか?)
アダーは密かに尋ねた。特に四駿四狗の件は問題が多そうである。アダーはマシラも四駿四狗の四狗とは知らなかったが、女神の顕現であるか否かについては厄介そうな臭いを感じていた。
(大丈夫だ。そもそも人類スターヴェイク帝国が大陸を全て直接支配するのは現実的ではない。後は俺がこちらでなんとかする。よくやってくれた。)
イリリカ王国軍から呼び出された追加の使節は、ジルベール将軍の副将の一人とハブとマンバとマシラである。アダーが人類スターヴェイク帝国の密偵という件は伏せられた。ザイリンク帝国も、この話を持ち出せばアダーのジノヴァッツの部下という立場が崩れ外交がぶち壊しになると承知していた。
「主将を討たれ包囲されたのだ。貴国が包囲を解いて立ち退くというのなら、カレイド卿もこの一次講和も認められるだろう。なんと云っても、彼は軍師ジノヴァッツ様の寵臣なのだ。」
副官はアダーの事をそう評した。何かあればアダーの責任とする意図である。しかしながら命長らえる事に感謝しない訳ではない。
「人質となるそうだから、婚約者は我らが守る。安心しろ。」
「ええ、頼みます。」
その時にマシラが猛抗議した。
「お兄様と離れる事はジノヴァッツ様が認められません。私は最後までお兄様と同行します。」
「しかし私は人質として人類スターヴェイク帝国に赴く事になる。もう戻れるかは分からないが。」
「では、マシラも戻らぬ覚悟で同行します。」
お兄様?と呟くバーリント皇太子をそっとミクローシュ将軍が目で制した。この重大局面において、些事に囚われる事はけして幸福な結末ににつながらない。
「叔父上、このような事情ですので叔父上とマンバの身の上は多分大丈夫かと思いますが。」
「おう、おう。ジノヴァッツ様にはよく説明しておく。」
ハブも声が震えているのは無理からぬ事である。ただ、ここで交渉せねばザイリンク帝国の兵により死が確定する。イリリカ王国軍を救うという成果を出す以上、帰国しても即座に処刑される事はないと考えていた。蛇毒隊としては、ジルベール将軍の作戦変更がこの事態を招いたと言いたい程なのである。
「では、イリリカ王国軍からの追加の人質を待って交渉成立とする。アダー殿を除く人質は人類スターヴェイク帝国との国境を越えたら解放しよう。」
「越境攻撃などないようにお願いしますよ。大都督たるカレイド卿からは、人類スターヴェイク帝国とその条件で合意したと我らは聞いております。」
「勿論のこと。即位前の身だが、ザイリンク帝国の後継者として誓う事にしよう。」
かくしてイリリカ王国とザイリンク帝国のバーリント皇太子との間で、ザイツ王国からの立ち退きについての合意が成立した。
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