【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅲ 統一戦記 69話 【対イリリカ戦争編②】 謀叛と会盟
オンフルールを統治するフェアファクス卿はベアトリス女王に叛いた。
「人類スターヴェイク帝国の
そう彼は共に大陸領を統治する部下達を説いた。
「
海洋大国、特に大陸に常駐する将兵が人類スターヴェイク帝国に反感をもつのには明確な理由がある。
「我らの最大の敵は汽車だ。鉄道網があっては海を制する我らの優位が崩れる。」
海洋大国は群島発祥の国家である。遠き祖先は、生活で不足する品を得る為に豊富な木材資源で大陸に渡ってきた。それは交易という穏当な方法の場合もあれば、略奪という過激な方法もあった。そして紆余曲折を経て、現在の艦隊を軸とした方法に至る。それは海上輸送を一手に担う代わりに、一定の割合を得る方法である。
「問題は、だ。海を渡る必要があるのは、我らしかないという点だ。」
この惑星には人が居住する大陸が一つしかない。安価で高速な鉄道網があれば、船による輸送の優位は崩れる。複数の大陸があったなら、或いは船は鉄道網と共存できたのかもしれない。しかし、その未来は彼らにはない。
「船に頼らない大量輸送である汽車は脅威です。」
「汽車がここオンフルールまで来ても、我らには他国に売る産品などありません。むしろ、買いたくとも先立つものが、ですな。」
大陸領を統治する為に集められた優秀な家臣団は口々にそう憤った。大陸領の産物は、そのほぼ全てが群島に運ばれている。その上で艦隊が交易、特に大量輸送業務を他国の商人から高額で請け負っている。海上輸送の貨物の大半が食料である。その食糧を輸送の手間賃として一定割合受け取る。それがデグリート王国の主要な食料供給源であった。
つまるところ海洋大国であるデグリート王国は、ベアトリス女王個人の意思に関わりなく他国から食糧を巻き上げる関係を維持せねばならない。この世の全ての国が豊かである筈がない。小国は、自国の耕地で養える中で人口を維持するのは仕方のない事である。
しかしながら曲がりなりにも大国を気取った彼らの祖国デグリート王国が、しかも本来の耕地面積で養えない程の人口に至ったこの国が小国化を受け入れられる筈はない。この世界に汽車がないなら話は違う。しかし
コリント卿はその事実を知らないのだろうか。あるいは知って敢えて無視しているのだろうか。コリント卿が切れ者である以上、実態は前者と考えるべきである。つまりコリント卿は、デグリート王国に緩慢な死を宣告したのだ。
「ベアトリス女王は経済にはまるで無知だからな。コリント卿に兵を率いて乗り込まれれば、恐れもするだろうが。」
大陸で統治にあたる家臣団は、海洋大国の成立要件を理解している。フェアファクス卿の企みに乗った。
デグリート王国の大陸領がベアトリス女王の命に叛き、群島を封鎖したとの報告が入った。これは
「海洋大国デグリート王国の件、アランにしては今回は雑なやり方をするなと思っていたわ。」
コリントスにいて西方の監視を担うエルナから届いた急報を見て、リアがいう。そこには今回、フェアファクス卿が反乱に至った動機が記されていた。
「いつもならもう少し丁寧に、他国の生活が脅かされないように工夫していたのではなくて?」
海洋大国としては、海上輸送の優位を脅かされる事は死活問題なのだろう。民の生活が成り立つように差配しなければ、反感しか買わない。
「やはり、アランはデグリート王国の大陸領を支配する事を狙っているの?」
「見抜かれていたか。」
俺はそう言って笑って見せた。出発に先立ち、リアとは方針を一致させておく必要がある。
「ベアトリス女王に会う前はそれもいいなと思っていたけれど、実際に会って考えを変えたよ。」
群島に向けた最適な港がオンフルールである。農作物、特に穀物を輸入に頼る彼らはオンフルールと艦隊が生命線だ。オンフルールを拠点に艦隊が西海岸沿いの海上輸送を行う事で富を集め、群島に還元する経済モデルである。地形的な特性からも、これを変える事は容易でない。
「地形的に最適な港であるオンフルールは欲しくなる。でも、群島を支配するのでなければ、割に合わないんだ。」
軍事指揮官としては、オンフルールを取ってしまいたくなる。フェアファクス卿も同じ感覚を持つからこそ、俺たちを脅威とみなして素早く叛いて見せたのだろう。
「では、大陸領を奪うつもりはない、と」
「そのつもりでいる、全ては
「分かったわ、私もアランの決断を支持する。君主は恩や徳を示す事が大切だもの。ベアトリス女王を救って。」
嬉しそうな口調でリアが俺にそう言った。
「遂に、遂にコリント卿が西へと向かったか。」
カレイド卿が喉の奥から声を絞り出す。カレイド卿もバルスペロウも、密偵の報じた報告に勝機を見出していた。
「それでは、例の手筈で行こう。」
バルスペロウの言葉にカレイド卿が深く頷く。バルスペロウは麾下の硬式飛行船をアレスに飛ばすよう指示を下した。イリリカ王都に駐留する正規軍を、《大門》を通じて大量投入する為である。
ザイリンク帝都の大遺跡と、イリリカ王都の大遺跡の転送門は既に常時開通をさせている。硬式飛行船をザイリンク帝国に貼り付けておく必要性は、今はもうない。
これらのニ拠点間では、転送門による兵員輸送が可能だ。それを軸にすれば、両国の最前線の維持は容易い筈である。転送門を自在に使えるのはイリリカ陣営のみであり、距離を隔てた兵員の大輸送こそが転送門の独壇場であった。
「もし本当にコリント卿がアレスにいなければ、このままアレスを制圧できるかね?」
バルスペロウの問いかけに、カレイド卿は自信を見せた。
「アレスの守将の麾下の兵はたかだか五千なのだろう? コリントの双子は両名とも東にいる。そしてコリント卿は西に出向いた。他の名のある将軍も、それぞれが国境で防備を固めている。私が指揮する正規軍が、アレスで勝てない筈はないさ。」
ザイフリート子爵の腕前は分からない。コリント卿に信任されている以上、無能では無い筈だ。だが仮にカレイド卿と同格と見ても、兵数差は絶対である。
「アレスを落とされたコリント卿の顔が見ものだな。コリント卿の力の源泉はあの都市なのだから。」
「それに妻の一人も捕らえてみろ、コリント卿は我らの言いなりとなる筈だ。」
バルスペロウとカレイド卿は、口々にそう言って笑い合った。クレリア女王がアレスにいるかどうかは報告がない。しかしもし彼女がアレスにいれば、戦争の勝敗を左右する重要な人質となる点は疑いようがなかった。
硬式飛行船に乗り組んだのはバルスペロウとカレイド卿の副官のミューレル士爵である。飛行船さえ飛ばせば、〈小門〉を通じていつでも飛行船に乗り込める。彼らは何の障害もなく、アレス上空に到達した。
「見ろ。」
バルスペロウが自らの肩をミューレル士爵の肩にぶつけて合図する。ミューレル士爵がバルスペロウに指し示された方に視線を向けると、アレスの王宮には女王の存在を示す旗がはためいていた。通常は青い旗だが今回は赤い旗だ。だが、紛れもなくその旗は女王の存在を示唆していた。
クレリア女王はスターヴァインにも自身の宮殿を持つ。この為、現在の女王の在所にはそれを示す旗が掲げられる。臣下に女王の所在を示すのが習慣となっているのだ。どうやらコリント卿が不在でも、正妻のクレリア女王はここアレスの王宮にいるらしい。
「こうなると、女王の確保が最優先だな。」
バルスペロウの言葉に、ミューレル士爵も深く頷く。クレリア女王の人質としての価値は高い。恐らく人類スターヴェイク帝国で最重要な人質であろう。
妻の中ではクレリア女王こそが最もコリント卿に愛されている存在なのだそうだし、人類スターヴェイク帝国の主要な地域はクレリア女王を君主としている。『妻を捕虜にしてコリント卿を言うなりにする』と言うカレイド卿の発案も、案外不可能では無いかも知れなかった。
「王宮内に、この飛行船で直接乗り込みますか。」
問いかけるミューレル士爵に、バルスペロウは答えた。
「面積的に流石に難しいだろうと考えていたのだがな。なんと格好の飛行場までもが用意されている。」
そこはグローリアやヴァレリウスの生活空間として用意された芝生の広場である。将来は宙港として活用される予定である為、飛行船の着陸さえ可能であった。
「着陸次第、〈大門〉を開け。乗組の兵は周囲を確保しろ。」
バルスペロウの指示が飛ぶ。夕闇の中、音もなく駐機した硬式飛行船から兵がパラパラと四方に散る。そこから〈大門〉が開通するまで僅か数分であり、〈大門〉が開通すると同時に兵を率いてカレイド卿が王宮に乗り込んだ。
アレスの宮殿の一角にイリリカの正規兵が充満する。彼らは門の警備にあたる番兵を排除し、王宮を外部から完全に隔離した。
「なんと敵襲か、しかも空からとは。」
「ええ、イーリス様からは防衛計画の実施せよとそう事伝っております。」
アレスの防衛司令を務めるのはザイフリート子爵である。宰相府からの使者を務めたイサオム候補生の知らせに驚きつつも、素早く夕食を取っている兵達に出撃の支度をさせた。
王宮の一角は既に占拠されつつあるようだが、最重要区画は近衛が配置されている。王宮の建物内も、そうそう簡単に落ちる構造ではない。上手く動けば、敵を内外から挟み撃ちにできる筈であった。宰相たるイーリスからの指示もそのようになっている。
「王宮の貴顕はご無事ですかな?」
「それは全てザイフリート子爵の手腕次第と、そうイーリス様は仰せです。」
「・・・兵の支度を急がせましょう。」
アレス在住者には軍事訓練を受けた元兵士も多い。彼らは首都を攻められた際の臨時の兵士として登録されている。ザイフリートは素早く招集の手筈を整えた。アレス各所の武器庫に出頭すれば、武装化して前線に送り込めるようになる筈である。これによりザイフリート麾下の兵力は倍増する。
「賊め、思い通りに行くと思うなよ。」
ザイフリートは転送門を通じて、イリリカ王国のほぼ全軍がアレスに展開可能だと迄は知らない。しかし宮殿の広さにも限界がある。要所を固めれば十倍の兵とて撃破可能であろう。なんといってもここは、人類スターヴェイク全域の防御の中枢であるのだから。
宮殿を守護するのは近衛の隊長代理のケニーである。報告を受けた彼は、既に宮殿が包囲された事を知った。よりによって、今はコリント卿が不在である。それを知って仕掛けている敵なのだろうと考えると、ケニーの背を冷や汗が伝った。救いがあるのは宮殿には隠し通路が用意されており、脱出路が確保出来ている事である。
「最後の一兵までここで敵を防ぐぞ。」
ケニーには、動力に魔石を用いる特別製の魔法鎧が支給されている。
「宮殿の門を固めろ。敵はあそこから進めない。」
門以外は硬い壁に覆われ窓も採光用の溝が高所についた作りで簡単に人を寄せ付けない。コリント卿の設計は、そう簡単に突入できる構造ではない。
侵入路を門に限定できるとはいえ、長い戦いになるだろう。しかしこれまで碌な活躍な場が与えられて来なかったケニーにとって、それは待ち望んだ戦いでもあった。
イリリカ王国軍は強固な防衛戦に行く手を阻まれていた。前は魔法の鎧を用いた敵の近衛が、側面からは水路や遮蔽物越しに敵兵が魔道具を用いて魔法を撃ち込んでくる。そして野戦と異なり、宮殿の中では大兵を展開する余地が殆どない。
「く、格好の着陸地点と見たのは誘い込まれたか。」
バルスペロウはほぞを噛む。しかし、都市の外なら外で同じ苦労をしていただけだろう。何日もアレスを包囲する猶予はない。今は、力押しでもなんででもここを突破する他ない。
「惜しまずに銃を使え!」
硬式飛行船の三百の兵には銃を装備させている。弾丸も定数は補填済みであった。味方の兵の数も敵の近衛よりは多いのだ。本来、突破出来ていなくてはおかしい。
「あの魔法の鎧が邪魔だな。」
恐ろしい事に、敵の近衛が装着した魔法の鎧は火薬式の銃が放つ物理的ダメージの弾丸を弾くのである。味方が敵に攻め寄せる背後から隙を見て弾丸を浴びせかけているものの、今の所は捗々しい進展がなかった。
敵は魔法の鎧を保持しているし、中には回復魔法の使い手も混じっている。そもそも宮殿に突入可能な扉は狭く、味方の兵も殺到している為に射線が確保できない。しかし彼らは敵の魔法の射程内にいる。
「そして敵に回すと実に厄介だな、ガトリング火炎砲は。」
イリリカ王国が人類スターヴェイク帝国から仕入れてザイリンク帝国の侵攻を食い止めた、まさにそのガトリング火炎砲が設置されている。しかも、本場である当地の品の方が性能が上であった。
イリリカ王国が仕入れた品はファイアーボールを撃つ魔道具である。対してアレスに配備されているのは、フレイムアローを放つ魔道具だった。正にガトリング火矢砲というべき火砲で、速度も威力も段違いである。魔石の消費も激しいはずだが、アレスは魔石の産地である。問題とはならないのだろう。
「火炎瓶はどうした?」
「この宮殿の壁は、火炎瓶でも燃えません!」
火炎瓶とてアレスより仕入れた品である。当然ながら対策をされていた。石造りの壁の表面では燃えるようだが、宮殿全体を炎上させるには至らないらしい。
「厄介だな、本当に。」
それでもイリリカ王国軍には切り札であるカレイド卿がいる。彼女は今も最前線付近に陣取り、味方を鼓舞しながら突入のタイミングを見計らっていた。
ゆらり、とカレイド卿が立ち上がる。その手が高く掲げられた。カレイド卿は突入を決意したとバルスペロウは判断した。乱戦になれば、数が多いイリリカ陣営が有利なはずである。カレイド卿は数を頼みに一気に押し切る腹だろう。
「援護射撃だ、全弾打ち尽くして構わん。味方の突入の為に、一斉に撃て!」
バルスペロウの指示で三〇〇丁近い銃が一斉に火を噴く。その火力は敵をたじろがせるのに十分である。近衛が一斉に宮殿の門の内側に身を隠す。
「今だ、押し込め!」
カレイド卿はフェロモンを馴染ませた正規兵を、まるで自身の手足の如く自在に用いる。兵達は魔法の入り乱れる死地に恐れずに飛び込んでいく。そして味方の死骸を掻き分け乗り越えて、ついにイリリカ王国の正規兵は近衛の防衛網を打ち破って宮殿内部への突入に成功した。
宮殿正面の門内にも敵の近衛がひしめいている。しかし門内の近衛の多くは魔法の鎧を装着しているわけではない。門を挟んでの攻防戦が、敵味方入り乱れての乱戦となった。こうなれば数の差が効いてくる。
「いいぞ、そのまま押し込め。」
カレイド卿は後続を続々と送り込んだ。もはや誰の目にも、イリリカ王国の勝利は目前と見えた。
「しばらく、アレスで過ごしてみないかい?」
イリリカ王国軍のアレス襲撃に遡ること数日前、ルミナスはアランからそう誘われた。クレリアを伴い、アランが西方に移動する。その間、不在となるアレスで女王の代理を務めてみないかという誘いだった。
ルミナスの復活以来、ルミナスとアランは駆け引きの真っ最中である。恋の駆け引きにも似ているが、それはより政治的なものであった。それはルミナスという人類スターヴェイク帝国のみならず、人類銀河帝国にとっても政治的すぎる存在を今後どう扱うかである。
ルミナスがアランと内々に婚約した以上、ルミナスはいつかはアランの元に嫁ぐ定めである。しかしながらルミナスはサイヤン帝国の人間であり、どこまで内に入れて良いかアランとしては計りかねていた面がある。
ルミナスとしても家臣達が果たせなかった肉体蘇生を成し遂げ、婚約を受け入れたアランは及第点ではある。子孫でもあるクレリアとの新婚生活を楽しむ余裕も与えよう。ルミナスの方にまた、現世に馴染む余裕が必要なのだ。但し、万難を廃して大陸を統べる事が出来るかを見守る必要はある。アランと婚約を取り交わした以上、ルミナスの側は焦る必要はなかった。
後は、アランが本当に大陸を統一出来るか見守ればよい。彼女が秘められた力を解放してアランを後押ししてやるのか、或いはアランの覇業を乗っ取るのか。どちらにしても今は時期を待つ方が良い。
と、このようにルミナスは冷静に判断していたのだ。だが、正直なところルミナスはアラム聖国での生活に三日で飽き飽きしていた。
皇女であるルミナスは、もともと世俗的な雰囲気を楽しむ享楽的な人種である。対するアラム聖国とは、ルミナスを崇める宗教国家である。どれほど清潔で綺麗でも、墓地は墓地である。ルミナスのような人間は、ずっと墓地にいると息が詰まる。
ルミナスとしてはアラム聖国に対して、
「こういうお墓っていいわね」
「こういう人たちが墓守してくれたのね」
以外の感想を持ちようがないのだ。
アラム聖国の人々には悪意がない。彼らはルミナスを敬愛しているだけであり、これまで墓を守り通してきた実績だけはある。その点が実に始末に悪い。ルミナスが彼らと離れるタイミングがないのだ。
『アレスに滞在しないか』というアランの提案の真意を考える余裕など、ルミナスにはもうなかった。アランから誘ってきた、それのみが重要である。この根比べはルミナスの勝ちだ、もう面倒だからそういう事にしてしまえば良いのだ。
「行くわ、必ず行く。」
ルミナスはアランの提案に二つ返事で飛びついた。かくしてイリリカ王国の正規軍は、よりにもよって血統上の主君にあたるルミナスが立て篭もるアレスの宮殿を制圧にかかる展開となったのである。
「ルミナスは大丈夫かしら?」
リアが心配そうに俺に尋ねる。既にイーリスを通じて、アレスがイリリカ王国に襲撃されたとの報告は受けていた。
「ルミナスの事は、まず心配要らないだろう。防衛体制にも気を使っているし、彼女は強い臣下に守られている。」
「アランがそういうのなら、きっとそうなのでしょうね」
リアも魔石を用いたパワードスーツの実演を目にしている。彼女自身の分も用意されているのだ。それら新型の魔法鎧を支給された近衛は、数倍の敵でも問題なく対処可能だとリアは知っている。
ただ俺が考えていた臣下とは、近衛ではなくルミナスの臣下の事である。 四駿四狗、強化人間である彼女達はこの惑星では無敵に近い存在だ。並の相手では対抗不可能だろう。
「楽しみにしていたんだもの、絶対に行くわ。」
そう言ってコンスタンスとマシラを連れてルミナスはアラム聖国を去った。引き留めるアダーに、印章を託すと共に全ての業務を丸投げしてである。
「・・・あの人は、俺を盾にして逃げたんだな。」
少し遅れてアダーがようやくその事に気がついたのは、ルミナスが貯めに貯めた書類の山を半分以上整理してからである。
応用が効かないとはいえ、人類スターヴェイク帝国の二つの大遺跡も転送門で繋がれている。ルミナスがその気になれば、鉄道の手配さえ必要なくアレスへと移動が可能だった。
「・・・これはコリント卿が、ルミナス様をそそのかしたな。」
アダーがその理解に至る迄には、更に一山の書類整理が必要だった。しかし、物は考えようである。ルミナスの全権を託された事で、いちいちルミナスの決済を仰がずとも事態は進展する。
イリリカ王国と開戦した以上、アラム聖国の軍事の近代化は必須である。編成は手を入れられないにしても、よく使う人類スターヴェイク帝国の戦術あるとか、装備であるとかには慣れ親しんでもらう必要がある。
生命の危険もルミナスの厄介な横車もなく、落ち着いたアラム聖国の書類仕事はアダーの精神を健全な状態にする。アダーは与えられた環境を活かし、アラム聖国軍の状態を万全にすべく馬場馬のように働いていた。
ルミナスとコンスタンスは、王宮内の女王用の食堂で夕食を楽しんでいた。女王(仮)の体験中であるルミナスは、王宮内の全てにフリーパスである。ごくごく自然に、宮殿の全てが自分の物として振る舞っていた。
ルミナス本人としてはアレス滞在はあくまで『アランと結婚したらどうなるかのお試し』という感覚だった。だが、もはやお試しではない。ルミナスはアレスで提供される上質で快適な生活に、本気でのめり込みつつあった。
ルミナスが卓上に用意されたワイングラスを持ち上げる。ガラス製だが、宝石のように煌めく見事な品である。中に注がれたワインの芳醇な香りが、グラスの中に留まり外に拡散しない構造であった。
貴顕に向けた品とは、まず美意識が重要である。単に高価な素材を用いて見た目が豪華であれば良いわけではない。品よく使いやすく、さり気なく高価な素材が用いられているというのが理想だろう。
「・・・来て良かったわね、コンスタンス。」
ルミナスは心からそう言って、右手に持ったグラスからよく香るワインを口に含んだ。
「本当にそうですね、ルミナス様。」
コンスタンスとルミナスは、もう十回以上となる会話を繰り返して微笑みあった。ルミナスの左手は、今も座っている名木を用いた椅子の肘掛けを優しく撫でている。
なんだか手触りが良くて止められないのだ。コンスタンスも、独りでの食事を嫌うルミナスの指示で食卓につき御相伴に預かっている。専用の給仕がそれぞれにつくので、コンスタンスも落ち着いて食事を楽しむ事が出来た。
人類スターヴェイク帝国で女王の為に用意された空間というのは、建物であれその中に収められた調度品であれ最上級を意味する。それらはルミナスを満足させる、いやアラム聖国の後では文字通り虜にさせる品質だった。
アレスの宮殿に到着してすぐに、ルミナスとコンスタンスはアラム聖国に戻る気を無くした。帰還の予定など全キャンセルである。あのアラム聖国という僻地の役割は、生あるルミナスの中ではもう終わったのだ。次にアラム聖国を訪れるのは、ルミナスが死して墓に入るその時で充分だろう。
ルミナスはアランの婚約者であり、クレリアの祖先である。何よりサイヤン帝国の生粋の皇女であった。清廉な聖女という役割はすぐに忘れ、女王の代理という役割は苦も無く着こなした。そしてこのしっくりとくる役回りを、今後はもう離れる気は完全になくなった。
「アラム聖国と比べてしまうのは彼らに可哀想だけれど、やはり首都であるアレスの方が遥かに好みだわ。」
そう言いながら差し出されたルミナスの空いたグラスに、コンスタンスがボトルからワインを注ぐ。ルミナスの躾に則って最適な反応を示したコンスタンスに、ルミナスは満足そうな視線を向けた。
「ルミナス様。この椅子も、座ってしまえば立ち上がる気がなくなりますね。」
ルミナスの傍で御相伴に預かるコンスタンスも心から安堵していた。彼女をコリント卿の元に送り込んだザイリンク帝国は、イリリカ王国に敗れて生存の為にコリント卿の傘下に降った。
今のコンスタンスはルミナスの側近として、限りなく安泰な立場である。家族の命を盾に約束を迫られる必要がない。実際、セリーナを通じてコンスタンスの一族は保護されたと連絡が来ている。後はあの狂信的なアラム聖国から離れられて、コンスタンスは大大大満足だった。ルミナスとコンスタンスの主従はつま先まで幸福に浸っていた。この幸福感は、意に沿わぬスカリを連日食べ続けさせられた者しか分かち合えないだろう。
「失礼します。ルミナス様、敵が迫っている気配がします」
護衛役として同席していたマシラがコンスタンスの反対側からそう囁いた。ルミナスが一人の食事を嫌がるので、コンスタンスを筆頭に近臣はルミナスの周囲で共に食事を摂るようになっている。マシラとて例外ではなく、着席して食事を共に楽しんでいたのだ。
「あら、食事の邪魔をするなんて無粋な事ね。」
不穏な気配に、オムライスに挑みかかっていたコンスタンスが不安そうな目をルミナスに向けた。直後にイーリスからも、ルミナスに向けて通信が入る。
(ルミナス、敵が宮殿に向けて侵攻を開始しています。近衛が食い止める予定ですが一応お知らせしておくわね。)
ルミナスの握るナイフが料理に載せられた卵を切り開く。よく焼けた卵の表面を裂いて、トロトロの内側の卵がケチャップライスの上に広がる。その卵とライスとデミグラスソースを最適な配分でスプーンに乗せて、口に運ぶ。皿の上のオムライスが見事にルミナスの舌の上で再現された。
「本当に美味しいわ。」
ルミナスはため息をつく。コリント卿のレシピをもとに再現された料理の数々はレベルが高い。地球の発見は、サイヤン帝国の滅亡以後である。地球料理とは、ルミナスにとっては料理における巨大な埋蔵金だった。
「料理長に私の感謝を伝えて。そして以後の料理を停止するようにと。どうやら用事ができてしまったようだから。」
オムライスを食べながらルミナスはそう声をかけた。給仕している侍臣が『承知しました』と、恭しく頭を下げる。
「・・・ちなみに、この後に予定された品は何だったのかしら?」
「本日のデザートは、プリン・ア・ラ・モードでございます。」
「プリン」
ごくりとコンスタンスが喉を鳴らす。プリンはクレリア女王の大好物である。そして同じ血の流れるルミナスもコンスタンスもまた、プリンを大の好物としている。
プリン・ア・ラ・モードとは、クレリア女王との婚姻で初めて披露された豪華版のプリンだ。あくまでもプリンを主役としながらも、季節の果物やアイスクリーム、クレープにホイップクリームまでもが一つの大皿に散りばめられている。それはもう、甘味の集大成とも言うべき盛り合わせである。
「・・・それは逃せないわね、用事を片付け次第すぐに戻ります。」
ルミナスは大急ぎでオムライスを片付けに入る。用事を早く片付ければ、それだけ早くプリンと相見える事になる。だから、今は味を堪能しつつも少し急がねばならない。
「お席にお戻り次第、すぐお出しできるようにご準備致します。それで珈琲と紅茶、どちらをご用意しましょうか。」
「皆、珈琲で。」
ルミナスが独断で宣言する。ルミナスにとって珈琲の魅力の過半はその香りである。あの香気が、紅茶の匂いと混じり合うなどけして許されない。コンスタンスもマシラも、黙ってルミナスの決定を受け入れた。彼女達も、もうルミナスの在り方に慣れたのである。
「では、行きましょう。」
ルミナスはコンスタンスが食べ終わるのも待たずに立ち上がった。じっくり食べていたコンスタンスが、皿の上にまだ残された自分のオムライスに未練げな視線を向ける。
「ルミナス様、お口を」
そう言ってマシラはルミナスの口元を取り出したハンカチで拭った。口の周りに残されていたソースが吹き清められる。もう少しで口の周りにソースを残したまま、女王代理として振る舞うところである。
「・・・では、行きましょう。」
気を取り直してルミナスは再び宣言した。左右にコンスタンスとマシラを従えて、イリリカの兵が喚声とともに押し寄せる戦場へとルミナスは自らの足を運んだ。
「皆、鎮まりなさい。以後の諍いは禁止します。」
ルミナスは特に大声を発したという訳ではない。しかし戦場の端の廊下に現れたルミナスが、普通の音量で発したその声は戦場に響き渡った。わざわざ戦場を訪れたルミナスという存在に、敵も味方も驚愕の目を向けた。
「今日は素早く退けば見逃します。次はありませんよ」
ルミナスの次なる言葉に、一同は頭を下げる。戦場の熱気は一瞬にして冷まされていた。
「・・・しまった」
そう言って頭を抱え込んだのはバルスペロウである。ルミナスがここにいる。あの存在感は間違えなようがなかった。サイヤン帝国の臣民は、彼女に逆らうことなど許されてはいない。直前まで目の前に見えていたイリリカ王国の勝機が、今はまさに雲散霧消していた。
「なるべく敵に気取られぬように退け。カレイド卿も間違いなく退くはずだ。」
バルスペロウは周囲に指示を下す。
「しかし・・・」
なおも言い募るミューレル士爵にバルスペロウは説明する。
「お前は、ルミナス様の命令を聞いたな?その上でその命令に逆らうことが出来るか?」
「・・・出来ません。」
不本意ながらミューレル士爵はそう返した。なぜかは分からない。しかし、ミューレル士爵また、ルミナスの下した命令は絶対とわかっていた。
カレイド卿はその人物を見た。最初はクレリア女王が督戦に訪れたのだと思った。部屋で震えて隠れているのは、クレリア女王のやり方ではないのだろう。部下と共に戦う事を選択するのは、ごくごく自然な事に思われたのだ。
女王を捕らえよ
いつもの如く兵を自在に操ろうとして、カレイド卿は驚愕した。兵を操る為の能力が発揮できないのだ。振り返ると、自分は指示の声さえ明瞭に発する事ができなかった。
その時、彼女は気がついた。あれは逆らうことが許されぬ、絶対的な存在であると。気が付けば、周囲の兵も戦いを停止していた。先ほどまでカレイド卿の目の前にあった勝利は、ルミナスの登場によってもはや完全に消失していた。
「退くぞ」
短く声を発し、率先して引き返す。カレイド卿は敗れた。今は、奇襲した事に満足して兵を無事に引き上げさせる他はない。
聖女ルミナスが声を発すると、敵兵は一斉に攻撃を停止した。そして今は引き上げを開始した。ケニーはようやく訪れた機会を活かし、呼吸を整えた。今日は何人切り捨てたか分からない程の激戦だった。それでも門を突破されて乱戦となり、部下には聖女を守護して脱出路を用いて宮殿の外に抜け出るように指示していた矢先だったのだ。
「これが聖女たるルミナス様の御力なのか?」
ケニーの疑問に応える者はいない。しかし、ルミナスの力を疑う者もまたこの場にはいないのだ。
「追撃は防衛司令殿に任せる。我らは体勢を固めるぞ」
もう二度と宮殿の門を突破されることのないようにケニーは負傷者を下がらせ、魔法鎧を着用した手練れで最前列を固めさせる。
「皆、まだ油断するなよ」
「「「応!」」」
気合に満ちた近衛の声が広場に響き渡った。
ザイフリート子爵はルミナスのもたらした奇跡を目の当たりにした。先程まで押し寄せていた敵が、一斉に退き始めたのである。これを聖女の奇跡と呼ばずして、なんというのだろうか。
(ルミナス様、感謝します)
素早く心の中で感謝の祈りを捧げる。今この瞬間、多くの兵が女神への信仰を新たにしただろう。
「追撃だ。この機会になるだけ敵を減らすぞ」
ザイフリート子爵はこの好機を活用すべく、部下を奮い立たせて逃げる敵兵へと向かわせた。
(ユーミ少尉)
(はい。)
(ユッタ少尉も聞こえますね?)
(はい、イーリス大尉。感度良好です。)
イーリスは宙兵隊を呼び出していた。宙兵隊はアレス防衛の最後の砦である。ルミナスに危害が及ぶ可能性を恐れて最後の最後まで温存していたのだ。
(例の作戦の決行を。これは総司令の指示です。では、ユッタ少尉始めてください。)
((了解))
魔石パワードスーツを用いた宙兵隊が長い待機から解放された。彼らは近衛が宮殿を守り終えた今、作戦活動を開始する。その目的は敵兵と共に転送門を潜り抜けて敵の大遺跡の占拠を行う事にあった。第一段階は敵の硬式飛行船の占拠である。
ユッタ少尉の
「降下開始!」
宙兵隊を指揮するユーミ少尉の指示で、宙兵が硬式飛行船への突入を開始する。イリリカ王国が乗り組ませていた兵は大半は宮殿に向かわせたか、転送門<大門>を通じて撤退させている。ルミナスの支配が自身に及ぶことを恐れたバルスペロウも、<小門>を通じてもうイリリカ王国に引き上げている。残るは撤退を指揮するミューレル士爵と僅かな兵だけである。周囲をイリリカ王国の正規兵が充満する中、堂々と硬式飛行船が落ちるとは考えもしなかったのだ。
(イーリス大尉、飛行船を確保しました。)
宙兵隊はさしたる困難もなく飛行船を確保した。捕縛したミューレル士爵他の兵は縛って床に転がしてある。だが本番はここからである。
(それでは転送門を潜り抜けて、敵の大遺跡を確保しましょう。)
イーリスの指示にユーミ少尉は頷いた。
(<大門>を敵が移動している限り、<小門>を遺跡から切断する事は出来ない。それで良いのですよね?)
(ええ。彼らの転送門に対する理解度ではそのような複雑なオペレーションは不可能でしょう)
地上では今もイリリカ王国正規軍が続々と撤退をしている。今ならまだ、敵が転送門の切断を即断できる状況にない。イーリスが小門に偵察ドローンを突入させる。イーリスはこの作戦に全ドローンの七割強である六十機を振り向けていた。姿を消した偵察ドローンが次々と転送門を潜り抜ける。転送先の情報が共有された。イーリスがゴーサインを出す。
「では行きましょう!」
ユーミの合図で、宙兵隊は次々と<小門>へと飛び込んでいった。転送先はイリリカ王国の大遺跡である。今度は人類スターヴェイク帝国が、敵の中枢に殴り込みをかける番だった。
前回の更新後に金沢に観光旅行に行きまして、思いの外現地で作業が出来ず観光に全振りしてしまいました。色々滞って申し訳ありません。