【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅳ 対バクス戦争の終結 80話 【侵略篇①】 バグス侵攻
Ⅳ 対バクス戦争の終結 80話 【侵略篇①】 バグス侵攻
エーテル級空母〈エーテルリンク〉はギャラクシー級戦艦一隻とスター級重巡洋艦二隻を組み合わせたような形状をしていた。両端がスター級重巡洋艦で構成され、中心にはギャラクシー級が鎮座する。各ブロックはコンテナ船の胴体で接続され、中央の前方が飛行甲板で覆われているといった雰囲気である。
エーテルリンクの艦長に内定しているカース大佐は、アイローラ提督に連れられてこの新造艦の視察に訪れていた。今日は〈エーテルリンク〉の仕上がりぶりを検査するとともに、乗務員が一堂に会して顔合わせを行うことになっている。
アイローラ提督と共に乗り込んだ〈エーテルリンク〉の広いハンガーデッキでは、宙兵隊が勢揃いして指揮官二名の到着を待っていた。
「壮観ですな」
「そうね。・・・ただ、ここにはアデル政府が直々に送り込んだ士官も大勢います。失礼のないように、言動には注意なさい。」
カース艦長の予想に反して、年下のアイローラ提督からは短くそう嗜められた。
艦内に足を踏み出した二人の様子を出迎えるかのように、整列する宙兵の間から上級士官が近づいてくる。彼は敬礼しながら歓迎の言葉を口にした。
「エーテルリンクへようこそ、コリンズ中佐であります。提督と艦長の乗艦を歓迎致します。」
「ありがとう、コリンズ中佐。ご苦労様。」
アイローラ提督が素早く敬礼を返し、コリンズ中佐に微笑みかける。その様子はカース艦長に示すよりも、一見より友好的ですらある。だが、本心を覆い隠す仮面のようにも見えた。
アイローラ提督とはすでに顔見知りだからだろう、提督への挨拶を早々に終えたコリンズ中佐はカース艦長に素早く向き直った。
「自分はエーテルリンクの副長を拝命しております。以後、ご指導よろしくお願いいたします。」
カース艦長はコリンズ中佐の軍服の胸に光る蛇の徽章に目をとめた。航宙軍でもあまり知られていないが、アデル政府直属の情報部の徽章である。情報将校というのは、階級以上の権力を保持していると有名だった。情報部の中佐であれば大佐に昇格したばかりのカースと同等か、或いは上回るほどの権力の主と言えるだろう。
「宜しくお願いする、コリンズ副長」
慎重に差し出されたカース艦長の手を、コリンズ副長は喜んだ様子で握った。
「実は、自分ほどカース艦長のご着任を喜んでいる者はおりません」
何事かと話を聞いてみれば、コリンズ中佐は当初はアイローラ提督の副官もしくは艦長に予定されていたのだという。しかしコリンズ中佐の専門は情報部である。軍艦の指揮、それも稼働実績のない新造艦の指揮には不安があった。
「航宙艦に乗員として乗り組むなど士官学校卒業以来なのです。艦隊の人材が払底したとは言え、今回はあんまりな人事で。」
「軍艦も一つの組織には変わらない。アデル政府は、副長の役割が円滑な作戦行動の為の組織準備と考えている。その為に、組織の運用に長けた有能な上級士官を〈エーテルリンク〉に送り込むという意図なのだろう。」
「恐縮です。」
アイローラ提督の言葉に、コリンズ副長が頭を下げる。
「しかし、軍艦乗りの旗振り役としてはどうにも自分は未熟です。」
「なるほど、その点を補う為に私が呼ばれたのですな。」
カース艦長は合点がいった。アイローラ提督にせよ、アデル政府の意向を強く受けるコリンズ副長にせよ、間を埋める第三の艦隊士官の存在を強く望んだのだ。
コリンズ中佐では、軍艦運用の専門までは踏み込めない。実績のある次席指揮官は、アイローラ提督としても必要としていた。
カース艦長はこれまでアイローラ提督ともコリンズ中佐とも面識がない。軍艦についてはサテイト級駆逐艦からはじめてキャリアを地道に積み上げて来た。現場経験だけは豊富だった。だがカース艦長はそのような実績以上に、他星系から到着したばかりで色がついていないその中立性を評価されたという事のようだった。
「艦内クルーの事はコリンズ中佐に任せられる。ただ、艦隊全体の面倒は我々の領分だ。そしてバグスに対する戦略は上級士官全員で対処する。今回の人事はそういう意図だ。」
さらりと語られたアイローラ提督の言葉に、コリンズ副長もそうだというように頷いている。出自や専門領域がどうであれ、喫緊の課題はバグスという人類の敵への対処である。共通の敵に団結して対処するのは、この全員が意見を一致するところなのだろう。それに円滑な艦隊運営には、上級士官が総出で注力する必要がありそうだった。
艦隊と言っても、プラネット級軽巡洋艦の艦長はサテライト級駆逐艦の艦長から昇格した者ばかりだ。サテライト級駆逐艦の艦長は元サテライト級の副長である。アイローラ提督であれコリンズ中佐であれ、艦載AIの助けを借りてもこの艦長達をまとめ上げるのには苦労するだろう。だが叩き上げのカース艦長なら、彼らの抱える問題に通暁している。現場を手助けできる経験のある人材の筈である。
「それで、上級士官は我々三名だけでありますか?」
カース艦長の問いかけに、アイローラ提督は応えた。
「いや、〈エーテルリンク〉には規模を拡大した宙兵隊が搭乗する。彼らの指揮官も紹介しよう。・・・ニコラス少佐、こちらに。」
アイローラ提督の呼びかけに、禿頭のガッチリとした色黒の大男が前に進み出た。
「宙兵隊パワードスーツ部隊を指揮するニコラス少佐であります。」
艦隊士官の三名は、向けられた敬礼に答礼する。
「本星系の宙兵隊のパワードスーツ部隊は、戦力のほぼ全てを〈エーテルリンク〉に集結させております。」
その発言はカース艦長を少なからず驚かせる。
「惑星の防備に注力すると思っていたが。」
カース艦長の発言に、ニコラス少佐は向き直って言った。
「だからこそです。今、我々は〈エーテルリンク〉の防衛に全力を尽くしています。バグスの侵入を阻止する為には、残された艦隊戦力を死守しなくてはなりません。特にこの空母は、人類の戦力の要ですから。」
「おお、政府が艦隊の為にそこまで本気で取り組んでいるとは。」
カース艦長はこの危機的な状況にあって、惑星に住むであろう政府要人よりも〈エーテルリンク〉に戦力を結集する政府の態度に好感を持った。
カース艦長の差し出した手を、ニコラス少佐が握り返す。それは人と思えぬような強い圧力だった。思わず顔を顰めるカース艦長を見て、ニコラス少佐は薄く笑った。
「失礼しました。実は、我々はサイボーグ兵であります。」
「サイボーグ、既に実用化されていたのですか。」
サイボーグ兵は生身の体でありながらパワードスーツに準じる性能を発揮するという。ナノムを注入しても人体には限界がある。通常より、少し強いGがかかるだけでも即死してしまう。
高Gに耐える目的からサイボーグの必要性は叫ばれていたのだが、まさか航宙軍ではなく宙兵隊で先に実用化されているとはカース艦長ですら知らなかった。
「対バグスの秘密兵器という事ですよ。それだけ政府も本気なのです。」
カース艦長の背後から、コリンズ中佐がそっと囁く。その言葉にニコラス少佐も頷く。今回は人類が押し込まれてしまった。だからこそ、政府は押し返す為に惜しみなく秘密兵器を投じているのだという。
「この空母も色々な仕掛けがありますが、最も誇るべきは艦載AIの性能です。」
コリンズ中佐が上級士官達をを導いて案内したのは、重力制御ダンパーの装備された艦の中枢である。そこで待っていたのは少佐の階級上をつけた少女の仮想表示映像である。
「これが本艦の艦載AIのエーテルリンク名誉少佐です。」
「少佐の階級を授かる艦載AIとは。」
カース艦長の漏らした声に、コリンズ中佐の細い目が光った。
「はい、名誉大尉であるギャラクシー級の艦載AIを上回る性能を実現しました。」
艦載AIの性能は、軍艦によって厳密に定義されている。軍艦というのが実態として艦載AIに動かされていると言えるほど、その適用範囲が広い為である。製造年による世代差が存在するとはいえ、スター級とギャラクシー級の間には歴然とした艦載AIの性能差が存在していた。
名誉大尉の階級を付与されるギャラクシー級戦艦の艦載AIは、名誉中尉のスター級やプラネット級そして名誉少尉のサテライト級とは規模や性能面で一線を画す。
惑星AIも、よほど大きな星系であればスター級に準じる性能が用意されるが、普通はサテライト級相当かそれ以下である。それも退役した艦の艦載AIを充てるので世代遅れの代物だ。ギャラクシー級を上回る性能というのは、噂話でも聞いた事がない。
「実に凄いですな、それは。」
「はい、既存の手法では到底生み出せません。最先端の科学技術研究用のスーパーコンピュータをこの為に転用しました。我々が同じ物を作ろうとしても、全てが順調にいっても数年は要するでしょう。」
「なんと、それ程までに」
基礎の科学研究は文明の牽引役である。バグスと戦争している以上、人類の技術的優位は戦争継続の必須条件である。その為の前提こそ、研究開発におけるスーパーコンピュータの活用なのだ。これまでの常識なら、最前線の艦に艦載AIの母体として搭載するなど考えられない。
「主要星系が一つでも陥落すれば、人類は研究開発どころではなくなりますから。」
短く述べるコリンズ中佐の言葉が、カース艦長の心に突き刺さる。
「しかし、ギャラクシー級を超える管制能力は凄まじいですな。」
「その通りだ。」
アイローラ提督が闘志を込めた静かな口調で述べる。
「〈エーテルリンク〉の船体規模が、スーパーコンピュータの搭載を可能にした。この艦であれば、どんなバクス艦隊にも勝てる。我々は一致団結して、この困難を乗り越えよう。」
艦隊には多数のプラネット級軽巡洋艦とサテライト級駆逐艦が揃っている。さらにまともな艦載AIさえ積んでいないが、改造艦のアステロイド級も配備される。〈エーテルリンク〉の優れた射撃管制能力は、指揮艦としてこれら中小艦の戦力化に大きく寄与するだろう。
バグスの前に人類は結束する。次にバグスが攻め寄せてきた時、〈エーテルリンク〉は万全の体制でバクスを打ち破る筈であった。
惑星アンネットにバグスの艦隊が押し寄せていた。惑星上空に侵入するバグス側は旧式艦ばかりだったが、バグス側の主力艦隊が人類側の主要な抵抗は排除していた。既に戦列艦を要するバグスの主力は次の人類圏の惑星目指してワープアウトしている。
今展開しているバグス部隊は惑星占領部隊である。人類を捕食するエイリアンの集団が、盛大な宴を開始しようとしていた。
「ああ、胸糞悪い。我々は見ている事しか出来ないのですか!」
サテライト級駆逐艦〈パイオーン〉では、艦橋クルーのガードナー中尉が艦長のシェアリング少佐に詰め寄っていた。
「今の戦力ではあの規模の艦隊に正面切って勝つ事は出来ない。我々はここで敵に圧をかけ続ける。バグスの艦隊が消えれば、軌道爆撃もできるだろう。バグスにそう思わせて、この地に釘付けにするのだ。」
シェアリング艦長の声に、むむむと唸ったガードナー中尉が沈黙し着席する。
人類側の航宙艦は三隻のサテライト級駆逐艦の小艦隊である。彼らはワープアウトする準備を整えながら、高速航行でバグスの追跡を躱し続けていた。人類が最新鋭艦で逃げに徹すると、バグスの旧式艦では捕捉できない。
その基本原則はここでも不変だった。バクス側はサテライト級駆逐艦の追跡を半ば諦め、主力艦への接近だけを阻む方針に切り替えていた。
しかし人類側にはそれ以上の対抗手段がない。一定の脅威として存在し続けるのみである。無害化されているに等しい。
「バグスの降下虫兵が大気圏内に突入していきます。」
通信担当士官の声に、艦隊のクルーは絶望的な視線で惑星を汚染するバクスの降下虫兵を見守った。遠く離れていても、肉眼でも分かりそうなほど夥しい数のバクスが降下している。
惑星上空からなら艦載レーザー砲による狙撃も可能だったが、距離が離れていると光学的な観測で敵の行動を記録するしか出来なかった。
「ああ、都市が・・・。」
通信を担当する女性士官のリア少尉が呆然と呟く。惑星の自転により、降下に先立ち行われたバグスの軌道虫撃の成果が判明していた。緑と青に覆われていた美しい惑星表面が、赤紫の無数のクレーターに幾つも覆われていた。
爆発性の体液を撒き散らす巨大な芋虫が軌道上より投げ落とされると、広域に渡り酸で焼かれた巨大なクレーターが出現するのだ。それと共に周辺環境が虫の細胞により汚染される。バグスの生物圏の細胞は、人類種に適した動植物の育成を阻害した。完璧に浄化する為には、土や水を入れ替えるほどの大規模なテラフォーミングが必要となる。
「バグスの細胞は火で浄化しないと。軌道爆撃を実行しましょう!」
「無駄だ、この位置からの軌道爆撃は確実に敵バクス艦隊に妨害される。」
「でも、一発くらいは敵に届く可能性があるのではないですか?」
「それではダメだ。もっと確実な機会が来るまで、今は戦力を温存する。」
リア少尉の懸命な訴えもシェアリング艦長は拒否した。何か対抗策を取りたい想いは艦長とて変わらない。しかし阻止される行為は無駄なのだ。そして次にいつ補給が可能になるか不明な以上、軌道爆撃に使う砲弾一つでさえ無駄には出来ない。
「何か我々に出来る事はないんですか?それこそ宙兵隊を揚陸したり出来ないのでしょうか。」
再びそう声を上げたのはガードナー中尉である。
「今の戦力では、我々は惑星まで容易に接近は出来ん。もし仮に高速で惑星近傍をすり抜けたとしよう、そして首尾よく宙兵を降下させたとする。しかし、降下した宙兵隊はバグスの軌道爆撃の標的だな。そんな任務に、貴重な戦力を割く事は許されない。」
アデル政府からの指令は、状況のモニタリングである。バグス艦隊の惑星占領セオリーの確認と、惑星の状況確認のためだけに彼らは最前線に張り付かされている。
恐らくは、報告される戦況を加味して人類側の反撃するポイントが選択されるのだろう。なるべくなら、早く人類銀河帝国の艦隊が惑星アンネットに到着することをシェアリング艦長は祈っている。
しかし人類の他の星系でも、これと同じバグスによる侵略が繰り広げられているのだろう。
惑星上で行われている惨状を注視する〈パイオーン〉艦橋では、官民問わず助けを求める通信を聴き続けるリア少尉が啜り泣いていた。
「リア少尉、モニタリングは私とパイオーン名誉少尉で担当する。元々艦載AIに担当させるべきだった、すまなかったな。少し休みたまえ。」
「・・・でも」
なおも言い募るリア少尉に、シェアリング少佐は優しい顔を見せた。
「君の気力も貴重な戦略物資だ。こんなところで損耗させられない。次の当番まで、君の当直任務を解く。ご苦労だった、食堂で何か食べてから自室に戻るといい。」
「・・・分かりました。」
大人しく通信席を降りたリア少尉は、敬礼と共に艦橋を退席する。通信席には、艦載AIであるパイオーン名誉少尉の姿が表示された。
「艦長、当艦の食糧事情は・・・。」
艦載AIであるパイオーン少尉の発言に、シェアリング少佐は頷いて見せた。
「分かっているさ。もう、リサイクル食以外のまともな食料もないんだよな。」
水のリサイクルは航宙軍では慣れているが、食糧事情は急速に悪化していた。今は配給量を切り詰めた食事が尽きていた。これ以降は、艦内の水耕栽培設備に頼った献立になる。
水耕栽培で得られる主な食材はキャベツとレタスとじゃがいもだった。レタスは水分ばかりで栄養素はないに等しい。レタスは水のリサイクル過程を植物を経由させる事で、より清潔に思わせる意図が強い。
「あと数日でトマトの育成が間に合います。」
パイオーン少尉の発言に、シェアリング少佐は大袈裟に喜んでみせた。
「凄いな、リサイクルした塩を加えればトマトケチャップが出来るじゃないか。ちょうど、ケチャップをつけたポテトを頬張りたいと思ってた所さ。」
シェアリング少佐の軽口に、少し艦橋の空気が和んだ。食事は常に彼らの重要な関心事である。献立を話題にしている時は、眼下の過酷な現実も少し和らいだ。
栄養素は大いに不足する献立だ、それに規定カロリーを守る量しか提供されないだろう。だが、どの道今の彼らは肉を食べたい気分ではない。バグスに爆撃されれば惑星の土壌や食料も汚染される。安全な食品を食べられるだけで上等なのだ。
「艦長、キャベツとじゃがいものお好み焼き風も美味いですよ。」
クルーからも軽口が飛び出す。
「お、いいな。パイオーン、クルーが試せるように料理のリクエストを受け付けてくれ。同じ食材でも、選択できる方がいい。色々と気分を変えられるのは大事だろう。」
砲弾が必要な軌道爆撃を除き、レーザー砲などは反応路がエネルギー源となり生成される。補給物資の大半は、人を生かすための食料や嗜好品である。
水も空気も食料も、リサイクルに頼ればまだ持ち堪えられる。惑星アンネットは絶望的な状況にある。だがクルーの士気さえ保てはバグスに一矢報いる機会は訪れる、そうシェアリング艦長は確信していた。
バグスに再占領されたその人類の惑星の名をベリルという。バグスの最初の占領時、惑星ベリルに居住する人類は三%まで減少した。人類銀河帝国による再占領に伴い、再入植を経て人口は往時の二倍にまで回復した。
そんな惑星ベリルの上空は、衛星軌道から直接降下するバグスの装甲虫兵に埋め尽くされていた。バグスが、再びこの星に戻って来たのだ。
脱出の為に宙港に殺到した人々は、停泊する艦船とともに大多数がバグスの軌道虫撃の餌食となった。運良く離昇に成功した船も、壊滅した駐留艦隊と共に宇宙空間を漂う残骸と化した。
バグスの艦隊は戦列艦を多数従えた本気の占領部隊である。脱出に成功したのは、艦隊に接近される前にワープアウトした真に幸運な一部の艦船である。いち早くバグス艦隊の接近を知り、政府の首脳を乗せた艦もそこに含まれている。
取り残された人々は、守る軍のない無防備な姿でバグスの前に無防備な姿を晒していた。
「今こそ、私達がなんとかしましょう。」
そう声を上げたのは、住人にもその存在を忘れられていた在ベリル対バグス戦争研究所長である。所長のエミリー・スワソン博士は、民間のバグス研究における第一人者だった。
「我が研究所が、全ての避難民を受け入れます。」
実際に研究所にたどり着けた人は多くはなかった。そもそも、バクスによりインフラは寸断されていた。沿岸部どころか珊瑚礁の、しかも海中にある研究所は行きやすい場所ではない。しかし元々付近に滞在していた一万人強が珊瑚礁への避難に成功した。
そんな彼らはバグスに占領された惑星ベリルにおいて、バグスの捕食を免れた数少ない生存者となった。
「おい、降下してきたバグスはどうだ?」
「動かない、なんだか呆然としているように見えるな。」
人々は珊瑚礁のに囲まれた内海に肩まで浸かりながら、降下したバグスの降下虫兵を遠巻きに見守っていた。
バグスは身体の構造的に海に入れない。それこそがスワソン博士の研究テーマである。昆虫型エイリアンであるバグスは陸生生物である。バグスは単一種ではないが、既知のバグスは全て水中では溺れる種である。
そして何より重要なことは、バグスの感覚器官は人間のような視覚を重視していないのだ。バグスには視覚もある。だが触覚を軸とし、遠方の獲物は熱や匂いを探知するのである。
つまり赤外線を用いて“見る”バグスは、水中の敵を視認しづらい。特に海は波がある。バグスの赤外線を活用した目では、獲物を全く捉えられない。水に入れば溺れるバグスは、水中に漂う匂いを分析できない。触覚も、水に大いに邪魔される。つまり海中こそ、バグスから隠れて人が隠れ住むのに最適な場所であった。
惑星ベリルには、熱帯地方に遠浅の海と多くの珊瑚礁から出来た小島を抱えている。南国のリゾートとして観光地化していたそれら珊瑚礁の島々は、バグスから人々が身を隠す避難所として機能するのだ。
「しかし、奴らを攻撃しようにも武器がないぞ。」
「所長は今のままでバグスを放置しろと言ってる。」
「おい、女子供もいるんだぞ、なんと無責任な。」
ブツクサ文句を言い空腹を感じながらも、海に逃げ込んだ人類は生きながらえていた。一般的な惑星におけるバグスの侵攻速度を考えれば、彼らの生存は驚異的である。
この珊瑚礁における人類の生存戦略はシンプルなものだ。「バグスを見たら海に逃げろ」であった。
「このまま満ち潮を待つ。潮が満ちれば、珊瑚礁の砂浜はほぼ水没する。俺達は砂浜にバグスを留めるんだ。」
呆然と立ち尽くしたかのようなバグスの装甲虫兵は、塩水が彼らの足元に押し寄せても動こうとしなかった。次第に満ちてくる波がバグスの脚を洗う。少し高めの波がバグスに被さった。
それは人間であれば、顔に塩水をかけられたくらいのことだったろう。とても窒息するような水の量ではない。しかしバグスは体の構造的に体内に入った水の侵入を阻止し、押し出す仕組みがない。体が水没したわけではない。単に身体に少し塩水を浴びただけ、それだけでバグスは簡単に水に溺れた。
「皆さん、バグスが攻めてきたら海の中に潜ってください。」
全ての装甲虫兵が死んだ事を確認した避難民達は、メガホンを抱えたスワンソン博士の説明を真剣に聞いていた。最初の降下虫兵が全滅した今、状況を正確に把握してある科学者の説明は真剣に耳を傾ける価値があった。
「皆さんがご覧になったように、バグスは水を正しく認識できません。水中に隠れれば比較的安全ですし、バグスはちょっと水を被るだけで簡単に溺れます。」
それは彼らが生存する上で重要な情報だった。波に幻惑されて、海沿いでは身動きがとれなくなるらしい。つまり海水浴をしていれば、助かるのだ。
「珊瑚礁内には魚も多く、ヤシの木からはココナッツが取れます。観光用にバナナ園も整備されています。水は海洋深層水を汲み上げ脱塩処理したものを皆様に提供します。」
元々、この研究所はバグスの襲撃を生き延びた生存者を記念して建設されたものである。彼らはこの珊瑚礁で魚やココナッツで飢えを凌いで生き延びた。それはバグスから逃げる生活であるというより、生存に必要な物資を集める純然たるサバイバル生活だったという。
研究所が海底から大量の水を供給可能な今、生存者は数千人規模から数万人に押し上げる事が可能な筈だった。
「研究所内は安全ですが、子供、老人、病人や怪我人を優先します。自分の足で立てる方は、珊瑚礁内での自活してください。」
研究所は民営化に伴い、商業的自立を余儀なくされていた。その為の観光資源がバナナ園であり、ココナッツの育成であり、海洋深層水である。
南の島の暮らしは水さえあれば快適である。汚染の少ない海洋深層水を脱塩してミネラルウォーターとして用いる装置は、研究所の位置する珊瑚礁の観光地化に大きく寄与していた。
全ての施設はバカンスに長期滞在する観光客向けだが、避難民が暮らす事も当然可能な筈である。
「我々の先人は、救援までバグスの占領下で生き延びました。我々も同じ事が出来るはずです。この星に人類の艦隊が到着するまで、我々は力を合わせてこの難局を乗り切りましょう。」
バグスの生態を研究する研究所がベリルに設置されたのは、元々は再入植に問題がない事を証明する為の政治的な安全性調査の取り組みの一環でしかなかった。
バグスの占領を受けて長期間人類が生き残った惑星こそ、人が住むのに最適な惑星だからだ。
但し再入植を果たした時点で、研究所の主たる目的は達成されたと見做されていた。アデル政府にとっては、研究所の価値は再入植を円滑に進める意図でしかない。報告書が完成すれば、それで目的は達成されたのだ。アデル政府にしてみれば、以後の活動は蛇足である。
研究所がアデル政府の資金打ち切り決定後も生き残ったのは、現地政府の意向による。それはバグスから惑星を取り戻したというトロフィーを、観光資源として残そうという機運の高まりからである。
「客寄せが出来るのではないか?」というのが、廃止か存続を協議する際に運命を左右した一言だった。アデル政府からの資金供給が絶たれ、廃止予定だった研究所は再整備され存続が決まった。
しかしながらバグスの生体を研究するという壮大な目的に対して、与えれた予算は実にささやかなものになった。
「自活するしかない。」
研究所は悲壮な決意を固めた。幸い、研究所が位置しているのは珊瑚礁の中である。それもバグスを警戒し、安全性確保の為に海中に設置されていた。
周辺の珊瑚礁遠観光地として開拓し、研究所の設備を利用して脱塩処理した海洋深層水を提供する。その試みは当たった。表向きはバクスを研究する為として、実態は単なる南国リゾートとして大いに栄えたのだ。
こうしてバクスに占領された惑星ベリルでは人類による奇妙な、しかし真剣な生存実験が開始されたのである。
俺の目の前には、海洋大国のデグリート王国から娘を連れてアレスを訪問したフェアファクス卿が跪いていた。女王として奴を深々と跪かせているからだろう、得意そうな顔でリアが俺の顔を眺める。
海洋大国のあの厄介な護国卿も、クレリア女王の意向の前にひれ伏したと、そういう得意げな表情をしていた。
(クレリア様)
傍に立つ鎧姿のエルナに嗜められ、リアが表情を改める。
「面を上げよ。」
直答を許す、とはリアは告げない。例の手口だなと俺には分かった。フェアファクス卿はなんだかんだで無血降伏したが、リアが懇意となったベアトリス女王や人類スターヴェイクに弓引くような真似をしている。ちょっとした意趣返しの意図があるのだろう。
少し困惑した様子で、フェアファクス卿と娘が顔を上げる。リアは娘の顔を観察しているようだ。外交の場である、このような対応は想定していなかったのだろう。
だがフェアファクス卿令嬢を預かる件は、降伏した証の人質という意味合いがあった。海洋大国まで距離があるとはいえ、コリントスまでの鉄道は開通している。船を使えばセシリオの港にも到達可能だ。イリリカ王国を平らげた今になって娘を差し出すのはいかにも遅い。戦争が継続しているのは、主にバーリント皇太子の平定が時間をかけて行われているからに過ぎない。
人類スターヴェイク帝国として、友好的な雰囲気で始めたのでは示しがつかないと考えているのだろう。だが、あまり恥をかかせてはまとまる話もまとまらなくなる。衝突を回避した以上、ここで拗れると尾を引きかねない。弁明の機会を与えて丸く収めるべきだろう。
「フェアファクス卿、ご無沙汰しています。クレリア女王は、些か貴卿の到着が遅れられたのを気に掛けられているようです。」
俺が口を出す事で、リアの位置付けが『他国の使者を虐める女王』から『外交儀礼から相手に不利な事柄を遠回しに問いかけて弁明の機会を与えてくれている女王』に変化した筈だった。
フェアファクス卿に付き添うカロットが「コリント卿と直にやりとりして頂き大丈夫ですよ」というような内容を囁く。
フェアファクス卿が俺の方を向いた。
「恐縮です。本来、すぐに娘をお送りせねばならん所でしたが、花嫁の支度に手間取りましてな。」
スッとリアの目が細まる。俺に複数の妻を認めるリアであっても、華々しい嫁入りの支度は気に触るのだろう。これは正室であり女王である自分への挑戦と受け止めかねない。
「なるほど、しかし嫁取りは後々の事。まずは侍女としてお預かりするお話だった筈。先にアレスにお越しになられてから、追々嫁入りの支度を整えられても良かったのでは?」
俺のその問いかけにフェアファクス卿は、何故だか胸を逸らして答えた。
「我が娘エヴリンはベアトリス女王の養女に迎えられました。エヴリンは海洋大国の次期女王となります。我々は娘を通じて、閣下に海洋大国を献上する決断を致しました。」
ベアトリス女王は老齢である。独身であり、子はいない。つまり次期王位は甥か姪か、あるいはその子孫に流れる。
フェアファクス卿は王族であり、ベアトリス女王の甥にあたるらしい。同じ王族の娘と結婚し、娘のエヴリンが産まれた。
フェアファクス卿の権勢の源は王位継承権を持つその血筋にあったわけだが、次期王太子の指名を受けていなかったらしい。ベアトリス女王が難色を示したとも、王国貴族が否定的だったともいう。実態としては、女王に支配される政体が国民に支持されたかららしい。
つまり対外的に公表はされていなかったものの、ベアトリス女王の後継がエブリンなのは既定路線だったそうだ。王位を飛ばされるフェアファクス卿への補填として、護国卿の地位就任や大陸領統治の委任が行われていたらしい。
確かに王位に近い存在でなければ、フェアファクス卿の権限は強すぎた。本来は新女王の父として大陸統治を担う予定だったらしい。しかしながら女王となる事は、しきたりに沿うと娘に独身を貫かせる事を意味する。それでフェアファクス卿は婿として、俺に白羽の矢を立てたという事だったらしい。
「・・・そのような事情で、国内の調整に手間取りました。しかしベアトリス女王の説得が功を奏し、我らデグリート王国の総意としてコリント卿の花嫁エブリンは女王の後継と認められたのです。」
フェアファクス卿は成果を誇るように高らかにそう言った。俺はリアを盗み見た。流石にこれはリアに委ねたい。皆の視線が女王であるリアに集中する。リアはにっこりと微笑むと宣言した。
「フェアファクス卿令嬢のエブリンを、コリント卿の妻として受け入れて歓迎しよう。しかし、まずは約定の通り侍女として我が元で花嫁として修練をつまれると良い。」
いつの間にかフェアファクス卿の傍から、娘の横に移動したカロットがエヴリンに何事か囁きかける。
「直答を許す。」
得意げにリアが言った。
「かしこまりました、コリント卿の妻として受け入れてくださりありがとうございます、クレリア女王陛下。」
誇らしげな娘の表情を、フェアファクス卿は得意そうに眺めていた。