【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅳ 対バクス戦争の終結 84話 【侵略篇⑤】 エーテル級二番艦
「3、2、1、撃て。」
シレン中尉の合図で民兵達のパルスライフルの発砲が始まる。壇上のバグスを模した標的が、命中弾で全て吹き飛んだ。観客からはまばらな拍手が寄せられた。
ここ惑星ランセルでは、惑星に降下したバグスの“殲滅”を祝って祝賀会が開催されていた。これはその中のステージ上での実演の一幕である。
『・・・それでは皆様、惑星ランセルをバグスから救い出した宙兵隊のシレン中尉と兵隊のみなさんに今一度盛大な拍手を!』
司会の声に促され、先程よりは力強い拍手が巻き起こる。今日はパワードスーツではなく礼装姿のシレン中尉は聴衆の歓声に応えて手を振りながら民兵と共にステージの
「やはりこういうのは、若い中尉さんの方が似合うよな。」
「俺たちにはあんなパリッとした礼装はないですからねぇ」
ステージの袖では、サンダースとクラファンという民兵集団の幹部たちが頷きあっている。
「・・・何の茶番ですか、これは」
宙兵隊に限らず、どの兵隊も「構え、狙え、撃て」である。民兵だってそれは変わらないだろう。カウントダウンして撃たせるというのは、祝賀会向けのショーでしかない。全てが観客に見せる為の行為なのだ。そもそもシレン中尉は歴とした宙兵隊員であり、民兵の部隊長などではない。
「みんな、『もうこれで大丈夫』と安心したがっているのさ。」
サンダースはシレン中尉を迎えると、宴席へと誘った。惑星表面からバグスは一掃されていた。あれ以来、ドローンを駆使して捜索しているがバグスの気配はない。それを祝して今日は来賓にご馳走が振舞われる事になっている。
バグスの本質は捕食者である。しかも消費するカロリーは極めて大量である。数日間にわたって人類に被害が確認されてない以上、まず惑星の地下も含めて降下したバグスは全て殲滅されたと考えていい。
「・・・しかし、この星系を守る艦隊が存在しない事には、どうにも落ち着きません。」
用意された来賓用のテーブルに着席したシレン中尉はサンダースにそう返した。艦も
バグスの本格的な侵略を免れたトレーダー星系は稀有な例である。しかし、駐留艦隊は壊滅したままなのだ。バグスを撃退したとはいえ自動的に復活する訳ではない。
以前と同規模の艦隊が復活しない限り、トレーダー星系の状況は安泰とは程遠い。バグスの艦隊戦力には対抗手段が皆無なのだ。
「ここだけの話だが、艦隊のあてならある。」
隣席からニヤリとサンダースは笑う。その笑いはトレードマークのサングラスと相まって自身に溢れた中年男の魅力に溢れていた。要はこの男、衣食住に満ち足りて脂ぎっているのだ。
「この星の首脳陣が、なんとあのアデル政府と直々に交渉中だ。」
サンダースがシレン中尉に瓶のビールを手渡しながらそう言う。FTL通信による各星系の連絡網は健在である。トレーダー星系の重要性とバグスを撃退した実績が認められそうだという。
「サンダースはこう見えて地元の名士なんだぜ。政府の事情は耳に入ってるんだ。」
クラファンも反対側から口を挟む。確かに《肉屋》と揶揄われていたサンダースの牧場は、いざ訪れてみるととてつもなく広大だった。シレン中尉の予想の1000倍近い。ランセルは牧畜が盛んらしく、牧場はどれも星系内の消費だけでなく輸出用である。トレーダー星系は成功した開発惑星として食料の輸出を行ってきたらしい。
「トレーダー星系には強力な艦隊を派遣してもらう事になりそうだ。それでバグスの増援に備える。艦隊をずっと貼り付けて置くわけにはいかないが、以前と同規模の駐留艦隊を残すよう交渉中だ。」
「おお、艦隊が復活しますか。」
それは朗報だった。人類銀河帝国の艦隊が戻れば、日常は正常化される。今のところバグスの被害は水際で食い止められているに過ぎない。艦隊が戻れば、平和な日常が戻ると見ていい。
「・・・まあ、俺達の政府はアデル政府に大量の食料を貢がなくてはならんようだがな。」
サンダースがチラリと漏らす。バグスを撃退した惑星ランセルは主要産業が農業と牧畜なので食糧に不安はないだろうが、負担の大小は気になるところなのだろう。
「今回の事は艦隊を強化したいアデル政府による陰謀論まで出ていますからね。」
「アデル政府が艦隊の必要性を訴える為に、ワザと防衛網の一部に孔を作ったというアレか。」
クラファンの投げかけにサンダースが答える。シレン中尉は興味深く耳を澄ました。何も発言しないのは、彼の口はビールを味わうのに夢中だったからだ。
「・・・美味いですね、このビール。」
「地元の職人のビールだからな、ここらじゃこれくらいが当たり前だ。」
アデル政府直轄の艦隊が健在となると、『全てアデル政府の狙い通り』という陰謀論が人気を集めている。艦隊の強化という文脈で見た場合、帝国を構成する主要惑星にバグスの脅威を肌で感じてもらうのが効果的である。
だが、その為に駐留艦隊の壊滅など許すはずがない。つまりアデル政府による陰謀論とは、そう考える事で恐怖を忘れようとする、或いは恐怖をない物としたい人々の心の働きが理由なのだろう。
サンダースもクラファンもそんな事は承知の上で、この話に乗っているようだった。つまるところ、今最も恐ろしいのは疑心暗鬼である。人々がバグスに侵略される恐怖に屈する前に、『もう大丈夫だ』と安心させる。この祝賀会も、人心を安定させるという点では似たような取り組みの一環なのだろう。
「・・・さ、ステーキが来たぞ。」
ジュージューと音を立てて焼かれた鉄板の上のステーキが運ばれてくる。このステーキは特別分厚い。見たところ4cmはありそうな厚さで、通常のステーキの倍はある。艦隊が誇るステーキと称する人工的に培養された肉の4倍はありそうだ。
「勿論、うちの牧場で飼育した本物の牛の肉だ。ゆっくりと火を通してある。今は食事を楽しもうじゃないか。』
ナイフとフォークを構えたクラファンは、既にステーキに突撃を開始している。遅れじとばかりにシレン中尉もステーキを堪能し始めた。惑星ランセルは成功した開発惑星という評価に相応しく、アルコールだけでなく食事の質は艦隊で食べれる物よりも遥かに上質なのだ。
「・・・信じられません、アサポート星系から艦隊を動かすなど。」
アイローラ提督の抗議を、チートスと名乗るアデル政府の特使の男は手を振って一蹴した。
「現在建造中のエーテル級の二番艦が存在します。司令機能は稼働させます。アイローラ提督にはそちらに移動して頂きたい。艦隊の各艦もきっちり二等分した上で、スター級重巡洋艦〈アイネイアース〉はそちらの支援に回すつもりです。」
「・・・では本艦の、〈エーテルリンク〉の指揮は誰が取るのでしょうか?」
「コリンズ中佐、いえ大佐でしたか。彼から強い推薦がありましたのでね。カース艦長にお願いする予定です。」
アイローラ提督は憮然としていた。しかし政府の高官に逆らっても無駄である。『まずは視察を』という言葉に押し切られて、彼女はチートス特使が乗って来た
そこはアデル政府が保持する航宙艦の工廠である。建造中の艦を見下ろす会議室の一室にアイローラ提督は招き入れられていた。
眼下にあるエーテル級二番艦は艦名を〈エーテルゼルダ〉と命名された。今日はこの工廠で視察、いや事実上の異動を果たしたアイローラ提督に対する艦上説明会が開催されているのだ。
「・・・ケンジントン技術大尉、もう一度言ってくれないか。」
「それでは申し上げます。閣下、現状ではこのエーテル級二番艦は完成することはありません。」
年配の技術士官はそう宣言すると白髪頭を掻きむしった。あまり清潔にしているようには見えないが、連日の突貫工事で追い込まれているのだろう。人類の危機に身嗜みに言及するのは憚られた。
「何を言っているのだ。船体は既に完成しているではないか。」
〈エーテルリンク〉と変わらない船体がそこにあった。そもそも完成したエーテル級をあてがわれる約束である。元々急造艦なのは承知している。仮に武装はなくとも飛んでくれればなんとかなる。
「船体に武装、推進系は完璧に仕上げました。問題はここです。」
ケンジントン技術大尉は自分のこめかみをコツコツと音が出るほど指先で叩いてみせた。
「この艦には頭脳がありません。」
「しかし艦載AIなどありふれたものだろう?」
ケンジントン技術大尉は心底呆れた、というように目を一回転させた。
「艦隊の方から見ればそうかもしれません。しかし艦載AIは人類の技術の粋を集めたものです。特に〈エーテルリンク〉のAIは簡単に量産されるようなものではないんですよ。」
沈黙が場を支配した。〈エーテルリンク〉が完成したのは、優れたAIを流用したからである。元は最先端の技術開発用だったスーパーコンピューターを流用したのだ。
「・・・困難とはいえ、人の手で一度作り出したのだ。再度同じものが作り出せるはずだろう。」
「必要な先端パーツが、この星系で全て揃うとお思いですか?」
「・・・・なるほどな。」
アイローラ提督はその一言で納得させられた。人類の文明は星系を跨ぐ。バグスによって交易が遮断されればすぐにこのような悪影響が出るのだろう。
「シャイア星系のセンタナだよ。そこに同規模のAIが存在する。」
アイローラ提督の背後から現れた、多数のSPをつき従えた人物が口を挟む。
「元首閣下。」
驚くアイローラ提督に、人類銀河帝国を束ねる元首が歩み寄った。
「提督、儀礼は結構。今は危急の時だ。私は敵が多くてね、こうしてお互いの視察が被るようにぶつけないと中々腹を割って話す機会がないのだ。」
アイローラ提督はコリンズ大佐のようにアデル政府お抱えの軍人ではないが、アサポート星系の防衛司令官として面識がある。
「はっ」
慌てて立ち上がり敬礼する工廠の関係者とアイローラ提督に、元首は頷いて見せる。そして言った。
「皆、外してくれるか。提督と暫し歓談したい。」
ケンジントン技術大尉をはじめ、航宙軍の工廠のメンバーが退室する。SPや秘書が退室しないのは、元首の身内だからなのだろう。
「この会議室は廊下まで声が筒抜けだからね、遮音を。」
進み出た元首のお付きの女性が見慣れぬデバイスを操作する。退室した者たちのガヤガヤとした話し声が止まった。外からもこちらの声は聞こえなくされたのだろう。
「こう言ったデバイスを用いれば、録画対策も完璧だ。航宙軍の誇るナノムでさえ、活動を阻害される。」
「そんなものが。」
見たところアイローラ提督のナノムには変化はない。しかし元首の言葉を疑ってナノムに記録させようなどとは考えなかった。
「さて、これでゆっくりと話せる。かけてくれたまえ。」
アイローラ提督の前の席に座ると、元首はゆっくりと足を組んだ。元首に促されるまま、アイローラ提督も再び腰掛ける。
「私としては君、カルラ・アイローラ提督を航宙軍を束ねる才能として推している。ただし政治というものは調和だ。私の一存で全てが決まるわけではない。その点は理解してくれているね?」
「はい。」
アイローラ提督は慎重な口振りで応えた。人類銀河帝国は独裁国家では無いのだ。元首といえど法を守る必要はある。それに何を言われても、「はい」と答えるしかないと考えていた。
「アデル政府は、頭が幾つかある怪物のようなものだ。身体は一つでも、頭はそれぞれ別に動く。怪物が取り込んだ養分は共に行き渡るのにね。」
「つまり、アデル政府の別の頭が私以外を推しているという意味でしょうか?」
「そうだ。十人委員会はアデル政府の最高の意思決定機関であり、そして彼らはそれぞれの裁量で動く。元首といえど、その力は無視出来ない。そして委員会内の各会派の意向と権威を受けて、動く者もまたいるのですよ。」
「それが、チートス特使なのですね?」
「そう、彼も十人委員会の特使の一人ですね。委員そのものではありませんが、その権力の行使を担う存在と言えます。」
アイローラ提督としては、内紛は他所でやってほしいところである。カース艦長ほど現場主義という訳では無いが、提督の政治とて航宙軍の内部に留まるのだ。
「軍人は命令系統を収束させるのが鉄則です。兵達は複数の指示が飛べば混乱するとそう考えますが。」
やや語気を強めたアイローラ提督の言葉に、元首は頷く。
「航宙軍ではそうなのでしょうね。一つの組織の中ではそうありたい。しかし人類銀河帝国は広大です。シングル・タスクは停滞を産みむしろ危険です。互いの邪魔をしなければ、最高意思は複数あっていい。そしてこれまでは、それぞれの価値観に沿った欲求を満たす事が出来たのです。」
人類銀河帝国とて無限のリーソスを有する訳ではないのだろうが、従来は広大な帝国領の力をそれぞれどう使うかの調整だけだったのだろう。
「エーテル級とはいえ一つの艦を複数の派閥が奪い合うような状況は、我々アデル政府の者には稀なのですよ。」
「・・・それで、私に何をお望みでしょうか?」
「以前お伝えした通り、軍事政権を樹立するべきだという声がアデル政府内にも強い。我らも提督と同じ気持ちです。ただ、不安を強く感じる者も多いのですよ。軍事政権の主を、アデル政府が統制できないのでは無いかとね。」
「懸念されている方がいるとは、薄々とは感じていましたが。」
アイローラ提督はコリンズ大佐の顔を思い浮かべた。彼こそはアデル政府のお目付役の最たるものだろう。
「まあ、疑われる中で仕事をするのはやりにくいでしょう。そこで我らは合意した訳です。エーテル級が二艦あれば、こういった問題はだいぶ縮小するとね。」
アイローラ提督はチートス特使の言葉を思い浮かべた。彼は権威を滲ませながらも、全てを決定事項として伝えた。ただ彼個人の意思や意見は語られなかった。アデル政府の最高意思決定機関でそのような合意がなされたなら、チートス特使とてただ従うのみなのだろう。
「シャイア星系のセンタナに、スター級重巡洋艦〈アイネイアース〉と共に向かってください。そこで艦載AIを受領するのです。そうすればエーテル級の二番艦〈エーテルゼルダ〉は正式に稼働します。〈エーテルリンク〉は、〈エーテルゼルダ〉が戻るまで、アサポート星系の守護を担当する事になっています。」
ようやくチートス特使から言われた言葉の全てが繋がる。そう順序立てて説明してくれれば良いものを、背景を含まずに決定のみを伝えるから意図を汲めずに現場が混乱するのだ。
「・・・もっと最初から、その様に説明してくだされば。」
「十人委員会の内情は簡単に口外されるべきではありません。チートス特使とて、ここまで把握していないでしょう。彼は航宙軍では権高に振舞っているかもしれませんが、所詮は委員の一人の使い走りに過ぎませんから。チートス特使は、既に私が貴方に接触しているとそう思ったのでしょう。」
『チートス特使と今一つ噛み合わなかった原因はそれか』と、アイローラ提督は目の前の政治家の言葉に納得し全てを飲み込んだ。それはそれとして人類銀河帝国の在り方に疑問も感じる。
アイローラ提督の目には、政治家はおもちゃの使用を巡って争う子供の様にさえ見える。「おもちゃが複数あれば争わない」まるでそんな解決である。
人類銀河帝国は権力争いの場とするべきでは無い。人類全体の意思決定とは、もっと崇高な形で実施されるべきではないのか。バグスの侵攻を受ける今、艦隊の扱いをおもちゃを巡るトラブルの様に矮小化して処理されるのはどうにも違和感があった。
「それでは準備が出来次第、私はシャイア星系に向かいたいと思います。」
「〈エーテルゼルダ〉は本来の性能を発揮できませんが、補助AIで航行可能です。センタナの工廠で直接AIを組み込んでください。」
「了解致しました。」
「それともう一点、彼女を同行させてください。」
元首は秘書を指し示した。
「私の特別補佐官のブルワジットです。彼女が万事取り計いますし、提督の疑問にも応えてくれるでしょう。」
「よろしくお願いします。」
差し出された手をアイローラ提督はしっかりと握った。
「ええと貴方はつまり、チートス特使に対応するような存在という理解で良いのでしょうか?」
ブルワジットに代わり、元首自らがアイローラ提督の疑問に答える。
「彼女は元首の特別補佐官として政府の人間です。特使の様な委員会の下働きとは持つ権限が違いますよ。彼女を同行させるのは、我々が提督を最大限支援するという意思の表れなのです。」
元首もその特別補佐官のブルワジットも、アイローラ提督を見てニコリと笑って見せた。
人類スターヴェイク帝国では、〈イーリス・コンラート〉の再建計画が佳境を迎えていた。イーリスに任せきりに出来る事でもなく、俺はセリーナやシャロンとアレスにある執務室に篭って仮想表示される艦の内部構造を入念に確認する日々を送っていた。
「閣下、失礼します。」
控え目なノックと共に現れた見慣れない顔のその侍女は、アトラス教会のイーヴォ枢機卿自らが訪問したと遠慮がちに連絡に来た。
「ゲルトナー大司教ではなく、イーヴォ枢機卿が直々にか。」
俺は仮想表示された一切合切をオフにして、執務室の席に座り直した。イーヴォ枢機卿であれば、ケール男爵領からわざわざ尋ねて来た事になる。汽車であればそう遠くない距離だが、ゲルトナー大司教に言付けすれば、すぐ彼が訪問してくる間柄だ。何か事情がありそうだった。
「応接室にお通ししてくれ。手間でなければ、お茶の用意も頼む。」
新任の侍女は、承諾した証に頭を下げる。他国の使者ならいざ知らず、アトラス教会の関係者なら他の人を呼ばなくても問題ないだろう。
「セリーナ、シャロン、中断しよう。」
「「了解しました」」
軍事作戦は引き続き進行中だし、支配領域が一気に広がっている。しかもセリーナやシャロンを呼び戻している。代わりに手の空いた者にドンドンと仕事を振り分けている真っ最中なのだ。アレスにはあまり人がいない。
「イーヴォ枢機卿の面談は、俺だけで済ませてしまおうか?」
俺の言葉にセリーナとシャロンは顔を見合わせた。
「アランの立場で付き添いがいないのは不自然だし、護衛として私達が同席しましょう。」
「護衛兼妻として、ね。」
セリーナの発言をシャロンが微修正する。人に合うというので、セリーナとシャロンから身嗜みのチェックを受ける。人に会えない格好をしている訳ではないが、ちょっとした衣服の乱れも威信を損なうのだという。
「それでは、向かおうか。」
セリーナとシャロンを引き連れた俺は、応接室へと向かった。
「お待たせしました。」
「コリント卿、ご無沙汰しています。奥様方もお変わりないようで。」
応接室には先にイーヴォ枢機卿が到着していた。ケール男爵を伴っているようだ。彼らとは向かい合わせに座り合う。
「イーヴォ枢機卿猊下、わざわざお越し頂き驚きました。使いを頂ければ、そちらに出向いたのに。」
「まさかセリース大陸の支配者を、こちらの用事でお呼びするわけには参りませんよ。」
久方ぶりにイーヴォ枢機卿と顔を合わせ、俺は思い出した。教皇とその関係者はケール男爵に預けっぱなしだったのだ。
イリリカ王国は平定し、
ケール男爵領に導いたのは避難所の提供であって、教会関係者はどこでも好きな所に移動できる筈である。
「こうしてご挨拶に来られたという事は、いよいよアトラス教会の皆様はイリリカ王国に戻られるのでしょうか。」
お茶が運ばれるのを待ちながら、俺は軽い口調で尋ねてみた。こちらの問題ではない認識だったが、ケール男爵領に留まるように指示したと解釈されるのは避けたい。これまでの滞在費用はこちら持ちだったのだ、特に文句を言われる話ではないと信じたい。
「はい,本日はその件でコリント卿にご報告したいと考えておりました。我々アトラス教会は、ケールの地に本拠地を移転する計画です。ケール男爵の許可は既にいただいております。」
俺は黙って会談に同席しているケール男爵の顔を眺めた。やや緊張している様子ではあるものの、アトラス教会に本拠地となる土地を貸す話に同意しているのは嘘ではないようだ。
「ケールはガンツに近く、アレスにも近い。そして何より、女神の使いにより教皇様が危難を乗り越えて運ばれた地です。アトラス教会は、彼の地で更なる発展を遂げるでしょう。」
(なるほど、そうなるのか。)
実際は神の使いではなく宙兵隊によってアトラス教会の一同は救われている。ただあの救出は劇的だった。
「イリリカ王国も政体が変わりました。戻られても安全は保証出来ますが、本当にこのままこちらに留まられるのですか?」
このまま人類スターヴェイク帝国が、ケールに滞在するアトラス教会を支える体制は避けたい。専用の予算を構築する必要があるだろう。
「実はイリリカ王国を統べるパロリオン卿とも相談の上なのです。彼はもちろん残念がってくれましたが、我らは危うく殲滅されかけたのですから。
確かにかつて殺されかけた土地に戻るのはゾッとしない考えなのかもしれない。安全を感じた土地に執着するのもありそうな事である。
それに厄介なのは、ケールを紹介したのは俺なのだ。特に深い考えがあった訳ではないが、他にあまり格好の土地が見つからなかったのは事実である。認めてしまっていいが、費用の点だけは気になる。
「確かに、命の危険を感じた場所に戻る気にはなれないかもしれませんね。」
「女神様の力を感じた場所ではあるのです。しかしそうであればなおのこと、安住の地を女神様の為の都市に作り変えるべきだと、そう考えるようになったのです。」
「しかし、教皇様の在所を築くとなるとそれなりに費用や時間もかかるのではないでしょうか?」
「はい,本日はその事でお願いに参ったのです。」
コンコン、とノックの音が響いた。セリーナとシャロンが顔を見合わせると、共に立ってドアを開けて侍女を招き入れる。
「失礼します。」
新任の侍女が茶菓をそれぞれの前に配り終えると、一礼して場を去った。暫し中断した会話の流れを再開しようとして、俺はやや訝しげな表情を浮かべているイーヴォ枢機卿に気がついた。
「・・・ところでお茶を運んで来た今の娘、海洋大国デグリート王国のフェアファクス卿の令嬢では?」
そうだったかな、と以前見たドレス姿の風貌が侍女姿と重なる。同じ顔で間違いないだろう。俺の代わりにシャロンが答えた。
「はい、よくご存知ですね。」
「それは勿論、あの娘はアトラス教会では有名ですから。」
「?」
物問いたげなシャロンの表情に、イーヴォ枢機卿が自身の言葉の解説を試みる。
「彼女は、今は亡きアナクレート枢機卿の縁者なのです。アナクレート枢機卿はフェアファクス卿の妻の兄です。つまりあの娘は枢機卿の姪にあたります。」
(アナクレート枢機卿は、アトラス教会のナンバー2の人物でした。)
セリーナとシャロンがモニターを許可していたからだろう。仮想空間上にイーリスが不意に姿を現す。
(イーリス!)
(枢機卿の言う通りの人物と認められるのが、早いと思います)
「そういえば、そんな素性だったかもしれませんね。ここには純粋に彼女の父の意向で送られて来たのです。」
そう言って俺はお茶を口に含む。話はセリーナが引き取る。
「彼女は新たな側室候補なのです。こちらに来てまだ日も浅く、私達もそんなに話をしていないんですよ。」
こちらの言葉を聞いているのかいないのか、イーヴォ枢機卿はお茶をがぶ飲みしていた。彼女の何が彼をそれほど驚かせたのだろう?
(イーリス、彼はどうしたんだ?)
(対立する派閥の領袖の縁者なので、警戒されているようです。)
ようやく決意したように、イーヴォ枢機卿がこちらに向き直る。
「実は、パロリオン卿の力添えでイリリカに残された教会の財産回収の目処が立ちました。これまで頂いていた支援も、今後はきちんと対価をお支払いできるつもりでおります。」
財源負担の問題はないのか。それは素晴らしいニュースだった。
「そういう事でしたら、我らも建築資材の調達など必要な支援を行いますよ。」
他に何か考えがある訳ではない。アトラス教会とケール男爵が満足しているのなら、それでいいんじゃないだろうか。
「おお、お認め頂けますか。では早速計画を進める事に致します。アレスには及ばないまでも、ガンツに負けない程の信仰都市を彼の地に築いて見せましょう。」
コリント卿との会談を終えたイーヴォ枢機卿は、コリント卿に任命された現在の庇護者たるケール男爵と別れてアレスのゲルトナー枢機卿の元へ戻った。彼の教会を、今夜の宿とする為である。また今後の人類スターヴェイク帝国との交渉はゲルトナーに引き継ぐ。彼と結果を共有しなくてはならない。
「ゲルトナー枢機卿、今戻りました。」
「おお、猊下。会談の方はいかがでしたか?」
ケールの地を新たな境界本部とする大計画である。文字通り今後のアトラス教会を左右する。ゲルトナーも話の成り行きを気を揉んでいた。
今日同行しなかったのは、イーヴォ枢機卿がコリント卿の不興を勝った場合にクレリア女王を通じて取りなしを願い出る為の保険としてである。
そんな心配顔のゲルトナー枢機卿に、イーヴォ枢機卿は笑顔を見せる。
「ケールに教会本部を築くことはは無事認められました。」
「おお、それは喜ばしきこと。やはりあの地は女神様の選ばれた地ですね。」
「ええ。しかしイリリカ王国への強制帰還を警戒していましたが、それよりも気になる事が。」
イーヴォ枢機卿は息を吐いた。
「コリント卿はアナクレート枢機卿の縁者を既に側室候補として抱き込んでいました。我らがコリント卿の意向に逆らえば、我らの敵対派閥をまとめ上げる用意は万全という訳です。」
「なんとそのような事が。しかし、コリント卿の新たな側室候補など、これまで噂も聞いておりません。まだ新聞にも流れていないかと。」
「私も側室候補は大々的に受け入れられ、事前に兆候を掴めると考えていました。アレスに来たばかりだそうですが、わざわざ私を応接する場所に茶を運ばせて見せたのです。コリント卿の意図する所は明らかでしょう。」
お前らの代わりは用意できるのだという警告。これほどあからさまな兆候を読み取れなければ、アトラス教会の高位聖職者は務まらない。
交渉相手の身内や、或いは敵対派閥の関係者の姿を交渉の場で相手に晒す、それは教会でも用いる交渉の極意である。
「コリント卿はやはり油断がなりませんね。お陰で新本部建設の費用については、我らが負担する話としてしまいました。」
「猊下、新たな信仰の都は我らの浄財のみで建てるのがやはり相応しいかと。早速、大々的に喜捨を募りましょう。」
ゲルトナー枢機卿は、決意を漲らせてイーヴォ枢機卿を励ました。彼は持ち前の情熱により、寄付を得るのが上手い。
「そうですね、それこそが我らの理想。つい絶大な力を誇る、コリント卿を頼りたくなりましたが。」
「そちらは以後も働きかけていけば大丈夫です。こちらが女神様の為に励む姿勢を見せれば、コリント卿とて新たな形の支援を申し出てくださるでしょう。」
以下の訂正を行いました。
ゲルトナー大司教 → ゲルトナー枢機卿
過去に出世したのを忘れていました。