【二次小説】航宙軍士官、星を統べる (原作:航宙軍士官、冒険者になる) 作:高坂 源五郎
Ⅳ 対バクス戦争の終結 86話 【侵略篇⑦】 分断
「よくやってくれた、カース艦長。」
カース艦長が成し遂げた“業績”は、チートス特使とコリンズ大佐の両名を喜ばせた。アイローラ提督からの艦隊司令職の引き継ぎと提督の〈エーテルリンク〉への命令権喪失である。提督の身柄を拘束する以上に、彼女の権限の奪取は困難だっただろうからだ。
「後は、十人委員会の活動次第だな。」
十人委員会は、未だに元首の政治生命にトドメをさせないでいる。委員会内での意見の調整に手間取っている為で、チートス特使の票読みより委員会内の票は割れていたのだ。元より政治の場である、互いの意見の混じり合う玉虫色の結論が導き出される事になるのだろう。
「提督の身柄も〈エーテルリンク〉の指揮権も抑えたのだ。大勢は揺るがんよ。」
強気の姿勢を誇示するチートス特使に対し、カース艦長が控えめに手を挙げてみせる。
「そこで、私からの提案があるのですが。」
「何かね?」
協力者への鷹揚な姿勢を示し、チートス特使がカース艦長に尋ねた。
「アイローラ提督が指揮官として離脱した今、コリンズ副長には対バクス戦の指揮を分担してもらう必要があります。」
予想外のカース艦長の言に、コリンズとチートスは顔を見合わせた。艦隊は24時間稼働させる必要がある。従来はアイローラ提督とカース艦長が交代で指揮を取っていた。厳密には当直は3交代であるべきなのだ。だが、実態としては片舷毎の2交代が艦の実情に近い。
いずれにせよカース艦長の発言は妥当な要求である。24時間365日連続で戦うのは個人には不可能である以上、複数人で分担するのは当然のことである。そしてチートス特使には、コリンズ副長にいずれ〈エーテルリンク〉を指揮させたいという思惑もある。
指揮官の地位を役職と見なすか、責務と見なすかは人による。カース艦長は責務と見做しており、だからこそ相手に分担を求めるのである。この姿勢は、政争が主で戦場経験が乏しい彼らにも通じた。
「その件については了解した。・・・それで、大丈夫かね?」
チートス特使とて、コリンズ大佐が艦隊指揮のベテランではないと承知している。チートス特使は、敢えてコリンズの意思を尋ねたのだが代わりに答えたのはカース艦長だった。
「艦長として、副長の面倒を見るのは私の責務です。艦載AIであるエーテルリンク少佐の学習も進みました。後は本艦の指揮者として恥ずかしくないよう、私が重点的にコリンズ副長を指導致しましょう。」
コリンズ副長はカース艦長の言葉に明らかにホッとした顔をしていた。それを確認したチートス特使がカース艦長に言葉をかける。
「む、それではよろしく頼む。」
「実は、もう一つ提案があるのですが。」
「・・・まだあるのかね?」
チートス特使は流石に少し嫌な顔をした。しかしながら先程のカース艦長の意見が献身的な内容と感じられた為に、ここは耳を傾ける事とする。
「言ってみてくれたまえ。」
「アイローラ提督の息のかかったスタッフは、元々〈エーテルゼルダ〉への転属指示が出ていました。この転属は、そのまま実行してはどうでしょうか?」
「ふむ。」
チートス特使は考え込んだ。アイローラ提督のスタッフは不穏分子でしかない。追い出して艦の運用に支障がないなら、本来この艦に留める必要はないだろう。
「それで、コリンズ大佐の意見はどうかね?」
「カース艦長のお言葉は一理あるかと。本艦の艦載AIには余力があり、ある程度の艦橋業務は艦載AIに委ねられます。こちらに非協力的な士官の場合であれば、艦内にいない方が艦の運用が円滑に進むかもしれません。」
暴力で拘束してきた相手に、親しみを感じる人間は少ないだろう。今回のクーデターはニコラス少佐の働きもあって数名の負傷者を出しただけで完了した。しかしコリンズ副長とて強引な手段を取った事で逆風があるのは感じている。コリンズ大佐を見る視線に厳しい物が混ざるのは事実なのだ。
この手の感情的なしこりは、表面化してからでは対処が困難である。バグスとの最前線を担当するこの艦が、そこまでの猶予があるかは判断が難しかった。
「それに本艦とて食料が無尽蔵なわけではありません。無駄に人員を養うよりも、アイローラ提督に近しい
「その点には自分も同感です。」
カース艦長の提案を、コリンズ副長も支持した。それで、チートス特使の腹も決まった。忠誠心が疑わしいというだけで、貴重な
「決まりだな。〈エーテルゼルダ〉への転属者の名簿を提出してくれ、コリンズ副長と支障がないか確認した後に彼等の転属を認めよう。」
「ありがとうございます。」
これからの〈エーテルリンク〉を運用する男達は、合意に達した証に頷きあった。
「皆、私を置いて行ってしまうのね。」
「提督の同行もお願いしたのですが、やはりダメだそうです。」
拘束されたアイローラ提督は、副官を務めるクラリス・フェラン中尉が名残惜しそうに鉄格子越しに挨拶交わした。彼女は副官とは名ばかりの個人秘書のような存在だったが、そうであるだけにアイローラ提督とは繋がりも深かった。離れ離れになれば、手足となって動く身内と呼べる人員はこの艦にいなくなる。
「立ち止まるな。」
宙兵に背後から小突かれ、両手を拘束されたフェラン中尉がよろける。
「女性士官には、丁寧に接しなさいっ!」
叱声を浴びせたアイローラ提督だが、宙兵はどこ吹く風だった。
「私達は皆、〈エーテルゼルダ〉で提督をお待ちしています」
フェラン中尉は最後に囁くようにそう告げると、前に従って移動の速度を早めた。アイローラ提督と共に
「これでざっと、済みましたね。」
名簿と変更される者の顔を照合していたのだろう、連行の様子を拘禁室の出入り口で見守っていたコリンズ副長がカース艦長に話しかける。拘束室から艦から追放する
「今回の移送で、君や私に不必要なスタッフは移送してしまおう。」
副長に同行していたカース艦長は、そういうと出口ではなく拘束室のさらに奥に向かった。
「艦長、いかがされたのですか?」
「もう一人いたじゃないか、君に取っての頭痛の種が。一緒に厄介払いしてしまえばいい。」
「・・・ああ。」
カース艦長がホーク中尉の拘束された独居房に到着したのを見て、コリンズ副長は納得顔になった。
「今となっては小物もいいところですが、確かに彼も無駄飯喰いには違いありませんね。」
自分の事を悪く言われているのだと感じて、ホーク中尉が胡乱な表情を浮かべる。その太々しい態度を、カース艦長が一括した。
「指揮官の前だ、立って姿勢を正せ。」
反抗的な態度を取るのではないかとコリンズ副長は怪しんだが、意外にもホーク中尉は姿勢を正すと直立不動して見せた。
「黙って聞け。貴様に転属代わりに任務をくれてやる。人員の輸送だ。やれるな?」
輸送任務と聞いて、ホーク中尉の表情が緩む。
「勿論です。それで、艦長の愛人をお送りすればよろしいのですか?」
「・・・コイツ」
怒るコリンズ副長をカース艦長が目で押し留めた。
「余計な事は言わんでいい、やれるかどうかだけ答えろ。」
「やれます。」
「よし。お前の操縦に彼らの命を預ける。自分の操縦には常に戦友の命が掛かっていることを忘れるな。任務を遂行すれば、輸送した艦にそのまま転属扱いにしてやろう。」
放り出すという言い方ではあったが、この任務内容はホーク中尉を放免するに等しい。カース艦長にチャンスを与えられたと感じたホーク中尉は、命令を受領した証拠に黙って頭を下げて見せた。
「・・・以上の内容で十人委員会は合意したものとする、賛成の者は拍手を。」
十人委員会の議長である元首が決を取ると、委員は皆が立ち上がり拍手喝采した。表面的には円満な満場一致であるが、水面下ではこれまで厳しい条件闘争が繰り広げられていた。
「では読み上げるとしよう。
・・・軍事政権の成立要件は、
①稼働するギャラクシー級の戦艦以上を保持し
②将官の地位を持ち
③正規の士官育成過程を経た士官
この条件を満たす者がアデル政府のAIに登録をして行う物とする。アデル政府による48時間以内の取り消しを受けない限り、政権が樹立する物と定める。」
委員会で決定されたこれこそが、アデル政府の定めた軍事政権樹立の条件だった。
対象をギャラクシー級戦艦以上としたのは、エーテル級は当然含まれる物として裾野を広げる意図である。アデル政府の保有するエーテル級は建造中を含めて二隻存在するが、ギャラクシー級であれば現存する可能性はそれなりにある。何よりその方が軍の対象としては当然であり、アデル政府直轄部隊以外に対象を広げる意図があった。
最後の48時間の規定は、アデル政府の思惑を超えて政権を樹立されない為の物である。元首ないしは十人委員会の委員にのみ取消権を認める内容であった。これにより委員会や元首の感知しない軍事政権下を阻止する。基本は、アデル政府が転覆した際の統治の安全装置であった。
「やはり、いずれかの星系の政府がギャラクシー級を隠し持っているのではないか。」
十人委員会の一人のピッド委員が、参加者を睨むように見ながら懸念を口にする。
「AIがアデル政府への報告で嘘をつく事はないでしょう。集計した艦隊数は信頼がおけます、残念ながら遠方に派遣した数隻を除いてギャラクシー級は全滅したでしょう。」
元首は剣呑な内容を穏やかに口にした。彼は楽観を捨て、悲観的な立場から政治を行う事で元首まで登り詰めた。悲観的である事が呼吸をするように自然な為、精神的なストレスに類い稀な耐性を持つと噂されていた。悪い予想で潰れることは消してない男なのだ。
「ギャラクシー級の喪失についてはもういいだろう。それより、もう一つの決定事項の開示も早くしてくれ。それ込みでの決定なのだから。」
委員会の一人であるジョボビッチ委員が元首に注文をつける。
「了解した、それでは読み上げよう。・・・併せて以下の内容を決定とする。禁忌とされたクローン技術の適用を公務に限り緩和する。軍の司令官が艦隊の維持の為に必要とし、艦載AIが承認した場合に限りクローン技術の使用を認める。但し、クローンは育成槽から出ると同時に軍に招集されるものとし、定められた満期除隊を迎えるまでは軍務就任を必須とし軍籍離脱は認められないものとする。」
読み上げられた内容にも、賛意を示す拍手が巻き起こる。
「現在の規定でも、クローンの士官就任は阻害されるのではなかったかな。士官になれない人員など、増やしたところで片手落ちだと思うが。」
委員の一人であるキッドマン委員が懸念を述べる。
「士官教育に、事実上行われている艦載AIによる仮想体験を含めている。下士官を士官に転換教育している物だ。艦載AIによる教育を経れば、士官となれる。」
「サテライト級駆逐艦とギャラクシー級戦艦の艦載AIの性能を同列に語るのも疑念があるな。」
「キッドマン委員の指摘は最もだ。補足事項として、士官育成の対応を二段階としよう。並の士官は艦載AIによる教育課程を経れば良い。将官以上は厳しく統制するべきだろう、これもギャラクシー級以上の艦載AIの教育とすれば良いのではないか。」
「軍事政権の成立は、クローンに委ねるのは反対したい。そこはたとえお飾りでも生粋の人類が指揮をするべきだろう。」
ディアス委員が口出しをする。元首は内容をとりまとめた。
「では、以上の内容としよう。
①軍事政権の創設となる正規の士官育成過程とは、士官学校の卒業を要件とする。艦載AIによる学習は全て短縮工程とみなす。これにより、軍事政権を成立させられるのは、士官学校の卒業者のみとなる。
②短縮工程を経た士官であっても、ギャラクシー級以上の艦載AIによる教育を経れば将官までの昇進を認める。
③スター級重巡洋艦からサテライト級駆逐艦の艦載AIで教育された士官は佐官を昇進の上限とする。これは主に下士官を士官に急増する場合を想定している。・・・以上の内容でよろしいか?」
「意義なし!」
元首の問いかけに委員一同が唱和する。
「それでは上記を待ってアデル政府の決定とする。」
主催する元首の承認により、委員会は決定に至った。内容はアデル政府のAIに登録され公告される。それは奇しくも艦載AIのアップデートと同じ手順である。
「元首、取りまとめお疲れ様でした。」
委員会を終えてそれぞれの委員が足早に委員会室を去る中、握手を求めたのはデップ議員だった。
委員会の正式メンバーが一堂に会するのはバグスの躍進以来では初の試みである。それだけ重要な会議であったからだが、軌道上の安全は確保しているとは言え委員は早急に分散させる必要があった。その為に皆自分の安全なテリトリーに帰ろうと急ぎ足なのである。
「ところで元首、どうやら貴方のエーテル級でクーデターが起きたようですよ。」
「・・・そうか。」
衝撃を受けた元首はデップ議員に差し出された手を無視して、立ち上がろうとした姿勢で思わずへたり込んだ。元首は悪い予想には耐性があるとは言え、それが事実となれば相応の衝撃は受けるのだった。
「折角の軍事政権の要件成立ですが、無駄になりそうですな。アイローラ提督の指揮官としての能力は認めますが、もう今回のクーデターで追い落とされてしまったのでしょうから。」
デップ委員の口ぶりには面白がる様子が見られた。彼は政治家らしがらぬ不良じみた気質から中立派を気取っている。元首とその反対派の両者のどちらにもつかず離れずの中立派だが、両陣営からコウモリ野郎と陰口を叩かれていた。
「いやはや、一つの難問を解決すれば別の難問が姿を見せる。うまくいかない物だな。」
ちょうど、普段は仲良しとは言えないキッドマン委員とジョボビッチ委員が笑い合いながら並んで退室するところだった。その様子は、元首にクーデターを仕掛けた側なのだろうなと直感させる。クーデターの報告を聞かされ、委員会を終えた今になって衝撃を感じている元首の様を嘲笑する素振りのようにさえ感じられてしまう。
「アイローラ提督を私が推していたのは事実だが、別に誰が軍を主催しようと構わない。軍を率いるのが本物の人類なら、な。」
元首とデップ委員を除いて委員会室内は無人となる。デップ委員は空席となった元首の横の席に素早く腰を下ろした。
「・・・例の艦載AIの誤アップデート、あれはアデル政府内部の犯行だと?」
「政府内の権限がある誰かの仕業なのは明らかだろう。権限に限れば、委員会の誰かというのがやはり正解ではないか。」
元首は委員会内にバグスに与する存在があると見ていた。そしてその特定に全力を挙げている。対立派閥への警戒など、人類の敵に対する対処に比べれば瑣末な問題だった。
文字通り勝者が人類でありさえすれば、それは我々の勝利なのだ。どんな悪徳政治家でも、人であるだけで大歓迎である。まずはバグスの手先を特定しなければならない。その為に〈エーテルリンク〉でのクーデターを阻止できずとも、人類の最終勝利の前では何も問題などない。
「しかし、誰が好き好んでバクスなどの味方をしますか?」
デップ議員は中立派として両派を観察している。そして元首と同じ認識に立っていた。権限があるものが悪用すれば実行は可能だ、しかし動機が不明だった。
「恐らく事情を理解しようとしても無駄だろう。だが、今は起こった事に対処するのみだ。」
バグスの手先を見つけ出す。それ以外にこのアデル政府が存続する見込みはない。元首が全精力を傾けるのはその点である。
無論、バグスに対する戦争は当然ながら精力を傾けるべき対象だが、その大半はアイローラ提督をはじめとする優秀なスタッフに任せてきた。いや、クーデターまでは航宙軍に任せきりにできていたのだが。
「AIに下された正式な命令は、裏操作よりも優先される。我々の出来ることは環境を整える所までだ。誰が候補となろうとな。」
「その件ですが、軍事政権を委ねるならやはり能力的にもアイローラ提督が唯一の候補だとそう思いましたが。」
「現在、アデル政府が把握している中ではそうだろう。だが、私が彼女に出来る事は全て行った。もしも歴史が彼女を選ぶなら、今回の困難を払いのけるだろう。そうなるように祈っているが、こうなってしまうと歴史が彼女を選ばない可能性の方が高いな。」
「そうなってしまうと、お思いですか?」
「政治の転換点はその時の政権の予定通りになどいかない事は、それこそ歴史が証明している。革命の先駆者は常に倒れる運命なのだ。革命を完遂するのは、常にその後継者だよ。」
元首は寂しそうに呟いた。先駆者の中には、元首自身も含まれるのだろう。
「まだ見ぬ英雄が、航宙軍の中に必ずいる。軍事政権の要件は、そんな彼らに活躍の場を与える物だ。」
「それでは、アデル政府はもう続かないと?」
それは重要な問いかけだった。政権の主が匙を投げているのなら、速やかに交代されなくてはならないだろう。
委員会室には表向き武器の携行が禁止されているが、デップ委員はこの場に携行武器を持ち込んでいた。返答次第では元首を撃ち殺す意図もあった。しかし、元首はデップ委員の問いかけは否定してみせた。
「バグスの協力者を特定すれば問題はない。私は政府の存続に最後まで尽くすつもりだ。」
その真剣な眼差しが、デップ委員の警戒を解かせた。
「では、全ては予防策に過ぎないのですね?」
「そうだ、常に備えは必要だろう。政府を構成する我らがバグスに滅ぼされた時は、我らに代わり航宙軍の中から英雄が現れる事になるのだろうな。」
「もしも我々が失敗し、航宙軍の中にそんな約束された英雄のような存在などいなければ?」
「人類は滅びるだけだ。だが、君も私も人類の可能性にまだ見切りをつけてはいない筈だ。違うかね?」
元首の言葉に、デップ議員は頷いてみせた。
「バグスの手先の特定、私も協力します。」
「私は君の事も疑っている。しかし、可能性としては君でない存在の方がより疑わしい。手を組むべきかどうか。」
艦載AIのアップデートを担当するのは、軍に関係のある委員に限られる。民政畑の、それも情報統制とは名ばかりのエンタメ部門の責任者であるデップ委員は容疑者の中の最下位だった。
「では、私と協力をしてバグスの手先を捜索すべきなのではないですか?」
デップ委員の言葉に元首の腹も決まった。
「ああ、協力を取り合おう。君がバグスの手先でない限り、そして手を組むのが人類の利益である限りは我々は同志だ。」
二人の委員は同盟の証として手を組みあった。政治的には彼らは劣勢である。委員会の大勢ではない。しかし元首は妥協しつつも軍事政権樹立の道を切り拓いた。
バグスの手先を排除しない限り、アデル政府が遠からず倒れると考える彼らにとって主導権争いはもはや意味を為さない。バグスの手先を排除すれば、必要なイニシアティブは確保できる。必要な手立ての済んだ今は、犯人探しこそが急務だった。
「ここが正式な開拓地です。」
監視役の長を務めるハブに道かれて、転送門を抜けた先は出発地と同じような野営地だった。いや、新たに切り拓かれた開拓地ではあるのだろう。建物はいずれも新築であり、窓やドアはなく仕上げは粗い。しかしながら出発地と少し植生が違うな、という程度の感想しかジノヴァッツには湧かなかった。
「ふむ、変わり映えしないな。」
ジノヴァッツは周囲を見渡してそういうと、バルスペロウが興奮している様子に気がついた。
「おお、太陽の位置が違う、いや正しくは変わらなさ過ぎるな。」
ジノヴァッツは手を翳して太陽を仰ぎ見た。
「ん、太陽か?出発地とは位置も寸分変わらないように見えるが。」
「時差だよ、ジノヴァッツ。ここは遥か東の島だと聞かされている。時差があって当たり前なのだ。しかし、太陽の位置が変わらないなどあり得ないのだ。」
「ふむ」
言われるままにジノヴァッツは転送門を潜り、出発地に戻って太陽を見上げた。なるほど、その高さといい光線の強さといい、確かに見た目には違いが無いように見える。
「太陽はそれぞれの場所で相違ないようだな。そういうものではないのか?」
「我が信奉する科学に賭けて断じて違う。惑星上の天体運行というのは“太陽の位置が異なる”ものなのだ。」
「それはつまり、何か危険がある事を意味するのか?」
コリント卿が今更開拓民をどうこうするとは考えにくく、太陽の位置が問題になるとは思いたくない。今ではイリリカの戦犯の取りまとめ役のようになったジノヴァッツには害意があるかどうかだけが気掛かりだった。ここには自身の女達も連れて来ているのだ。
「いや、危険はまず無いだろう。だが私の計算によれば、夜が昼に変えられている筈だ。凄まじい科学の力を目の当たりにしている、その事を知って欲しいだけだ。」
科学も何も、出発した土地と変わらぬ開拓地である。ジノヴァッツはため息をついた。
「分かった分かった、科学は凄いな。」
イリリカ戦犯の開拓団は予めドアや窓を用意するように伝えられていた。アレス近郊での滞在はその為の準備時間だったと言っていい。転送門を通じて人や物が運び込まれると、あっという間に一帯は開拓村らしくなった。
「我らは転送門を軍の移動に用いるが、コリント卿は移民を推し進める為に用いるか。」
「コリント卿とて、軍の進退にも使用するだろうよ。たまたま今回は開拓に用いただけだ。」
バルスペロウの呟きを聞がされたジノヴァッツはそう返しながらも、この開拓が本格的な流刑として機能するのを感じていた。何せどう移動したかも定かではない。船も飛行船もない。乗り物を奪って帰る事は考えにくく、全てはコリント卿次第である。
今のところ開拓に従事してさえいれば何の干渉も行われないが、戦犯が居住まいを正すのには十分な事実だった。コリント卿に見捨てられれば、文字通りの島流しとなるのだ。
「本日は歓迎の宴を催します。アレスから職人を呼んで名物料理を作らせました。ご期待ください。」
看守役を兼ねた、コリント卿の兵達がそう呼び歩いていた。
「コリント卿のもてなしとなれば、山海の珍味か。」
ジノヴァッツが舌舐めずりをする。開拓地では以前のような豪華な料理を望むべくもない。身体を動かせば、腹も減る。腹周りの贅肉も解消されている。久方ぶりの飽食を思い描いて、腹が鳴った。
「アレスは魔物の肉が多いと言います。きっと魔物の肉料理でしょう。」
いつの間にか隣に立っていたミューレル士爵が得意げに予想を口にする。
「まあ、コリント卿の事だ。上手く料理するのだろう。肉であれば贅沢は言わん。」
彼らが導き入れられた天幕に盛り付けられた御馳走は、ざるの上に乗せられた緑色がかった白い生地を細く切った物である。
「・・・何だこれは。肉ではないのか。」
ジノヴァッツは思わず失望の声を漏らした。これがご馳走とは、失望のあまり『これは謀反を起こされても文句は言えまい』などと考えてしまう。ジノヴァッツが蜂起する手立てを考えていると、背後に人の立つ気配がした。
「アレスの新名物の“蕎麦”ですよ。」
カーヤ中尉と名乗る、コリント卿の兵の取りまとめ役が得意げにそう言う。
「コリント卿が直々に考案され、アレスを訪れたダルシム将軍が太鼓判を押した事からアレスでは連日人気となって生産の追いつかない名物料理です。この為に専用の製粉所と製麺所が作られたんですよ。」
「ごたくはいい。どうやって食べるのだ?」
カーヤの説明によると、細く削られた木の棒で薄く紐状に伸ばされた“麺”と称するものを付け汁に浸して食うらしい。棒を使いにくければ、フォークで巻き取っても良いという話だった。
差し出された椀によそわれた、熱々の付け汁に蕎麦を絡め取ってぶち込み、ジノヴァッツは麺を啜った。
「・・・これは何と、美味いな。」
「そうでしょう。何と言ってもアレスで評判の名物料理ですから。」
肉や魚で出汁をとった塩辛い付け汁に、少し辛味が加えられている。蕎麦の麺でつけ汁を絡めとると、何とも言えない旨味が口の中に広がった。
「付け汁は好みもありますから、複数用意してあります。塩辛いものもあれば、酸味の効いた物も。1番シンプルなものは、この付け汁を少量つけてお召し上がりください。蕎麦が苦手な方にはパンも用意されています。」
「すごいな、至れり尽せりではないか。」
「ライスがお好きな方は、炊いたライスを入れて雑炊に仕立てても良いようです。」
「どれ、1番素朴なものを試してみるか。」
素朴と言われた割に、その風味はジノヴァッツの嗜好に適った。麺の味を喉で感じられるのだ。夢中になって蕎麦を啜って食べ終える。気がつくとジノヴァッツの横では、ミューレル士爵が赤い色のつけ汁を堪能していた。
「その色、いかにも辛そうだが大丈夫なのか?」
「全く辛味はありませんよ、これは酸味ですね。」
上品に麺をフォークに巻きつけて口に運びながら、ミューレル士爵は蕎麦を口に運んでいた。ジノヴァッツのように下品に啜るつもりはないらしい。
「風変わりだが、変わり種のシチューとしてみればまあいけるな。」
バルスペロウはパンと共につけ汁を食していた。なるべくドロリとした、とろみが強いつけ汁を選んで食べているらしい。
「蕎麦を食ってみろ、この麺とやらはなかなかの物だぞ。」
「いや、いい。開拓地こそ健康に気をつけねばな。身体を壊したら大変だ、食べ慣れたものに限る。」
「ふん、つらまんやつだ。」
コリント卿の術中にハマっているなと思いながらも、ジノヴァッツや大半の開拓民は大喜びで蕎麦とつけ汁を平らげた。
ジノヴァッツが蕎麦を食べる展開となりました。
シンプルな物は普通のもりそば。
最初に食べたのは、うま辛豚つけ蕎麦
ミューレル士爵が食べたのはトマトベースのもの。
バルスペロウのものは、いわゆるつけ麺(麺は小麦ではなく蕎麦)のイメージです。