死にたがりの讃歌   作:椿芽

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第10話 少女の憧れ (再会の話)

 夕暮れ時。ギラギラと照りつけていた太陽もその勢いを弱め、まだらに広がる雲を黄金(こがね)の色に変えながら、徐々に地平線へとその身を寄せていく。

 

 眩しかった青一色の空も、今ではすっかりグラデーションの奥床(おくゆか)しい色合いに染まりつつあった。

 刻一刻と色を変えていく空、海から吹き抜ける風がヤシの木を揺らす、南国の穏やかな夕暮れ時だ。

 

 フランスパンがはみ出す買い物袋を抱えて、軽い足取りでいつもの道を歩く。

 

「ハーイ、エレン」

「元気?」

 

 道端に気怠げに佇む娼婦たちから次々に声をかけられて、エレンは気さくに返事を返す。

 

「まあまあよ」

 

 さあ、今日の夕食はトマトのパイスープにしよう。チャルクワンの市場でトマトを2つ購入すると、家路に向かう──と、 その前に。エレンは足を止めると振り返らずに後ろの人物らに話しかけた。

 

「──さっきから何の用?」

 

 物陰から現れたのは、黒いスーツの東洋人だった。その中の一人が、口を開く。

 

「エレン・リーフェンシュタール、だな?」

「そうだけど」

 

 エレンは芝居がかった口ぶりで、肩をすくめてみせる。

 

「人に名前を尋ねる前には、先に名乗りましょうって習わなかった?」

「なにぃ?」

 

 苛立ちを隠す様子もなく、短髪の男はエレンを睨みつける。その様子を諫めるように、別の男が短髪の男を下がらせた。

 

「我々は三合会ですよ、ミス・リーフェンシュタール。張大哥(チャン兄貴)が貴女にお会いしたいそうです」

 

 顎下まであるワンレングスの黒い髪をした神経質そうな細身の男は、(ビウ)と名乗った。

 

「ということは。張維新(チャン・ウァイサン)は生きてるのね。はー、良かった」

 

 心底安心したようにエレンが胸をなで下ろす。

 

「いいわ。彼に会いましょう」

「それでは、こちらへ」

 

 彪が案内する先に待たせてあった高級車の、そのロックがガチャリと解除され、エレンを手招きするように後部座席のドアが開かれた。

 

「ありがと」

 

 エレンは軽く微笑むと、車に乗り込むのだった。

 

「夕食にパイスープを作りたいの。──用事は早く済むかしら」

 

 屈託なく呟く彼女の様子に、彪は肩をすくめて、車を発進させた。

 

 南国の地特有の街路樹の下を走り抜け、三合会が拠点にしているビルへと向かう。

 

 後部座席の背もたれに体を預け、車窓から視線を投げれば、移りゆく空の色がエレンの目に入ってくる。淡い紫色に染まった東の空には、朱色と藍色が絶妙なコントラストで彩りを添え、そこに金色が散りばめられていて絵画のようだ。

 まもなく日没である。

 

 数分後、エレンを載せた車は、とあるビルの前に着く。

 

 “熱河電影公司(イツホウディンイェンゴンシ)”ビル──表向きはケーブルTVの配給会社を装う、三合会の拠点ビルである。

 

 案内されたエレベーターに乗り、最上階で降りれば、そこは一面の大理石(マーブル)張りのロビーだった。

 

「こちらへどうぞ」

 

 彪に案内されて、長い廊下を進みながらエレンはキョロキョロと興味深そうに周囲を見渡す。

 

「豪華ね、さすが……」

 

 そして、執務室らしき場所に通された。

 眼下にロアナプラを一望できるガラス張りの開放感あふれるその部屋は、あらゆる調度品が最高級のもので揃えられた一流の空間だった。

 

 デスクの前には、東洋人の男がひとり。

 高級そうなチェアに深々と身を預けるその男の、きっちりと撫で付けられた艶やかな黒髪に、窓からの夕陽がうつりこんでだいだい色に輝いていた。

 彼の瞳は暗いレンズのサングラスで隠されていて、意図的なのだろうか、その視線からは感情が読み取りようもない。

 

「よお、エレン・リーフェンシュタール。久しぶりだな」

 

 低く響く声でそう言って、男は口の端を吊り上げて笑う。

 

「張維新。本当にお久しぶり。元気そうでなによりだわ。怪我はもういいの?」

 

 居丈高に腕組みをしたエレンが尋ねると、張はおどけたように肩を竦めてみせた。

 

「ああ、お陰様で、な。あの世に行くのがちょっとばかり遅くなったってわけだ」

 

 デスクについた両腕に頭を預けて、張は(ひょう)げた笑みを浮かべてみせた。

 

「しかし……あの頃からずいぶんと成長したみたいじゃないか? 怪我のせいもあるかも知れんが誰だかわからなかったくらいだ」

「それは、褒め言葉でいいのかしら?」

「はは、まァ、好きに取れよ」

 

 話の区切りに張が愛飲のジタン・カポラルを取り出し、口元に持っていくと、すかさず部下がライターで火を点した。

 

「さて、あんたには借りを作っちまったな。何かで返そうと思ってるよ」

 

 それを聞いたエレンの眉が微かにぴくり、と動いた。

 大きく紫煙を吐き出しながら、張は彼女に返答を伺うように目線を投げてくる。

 

「──それなら……」

「何だ? 遠慮なく言ってみろ」

 

 僅かに頬を紅潮させたエレンの瞳は、隠せぬ興奮を滲ませて何やら輝いている。

 

「私に仕事を依頼してほしいの!」

 

 張が意外そうに片眉を上げると、エレンは言葉を続けた。

 

「仕事を、──仕事の案件を、私にちょうだい。ずっと待っていたのよ。あのときの約束、どうせ忘れているんでしょう?」

 

 エレンの勢いに押された張は目を丸くして、それから愉快そうに笑い出した。

 彼女の口上は止まらない。

 

「私がこの街に来たばかりの頃、貴方は私に言ったのよ。一人前になったら、三合会(ウチ)の仕事を回してやる、って」

「そうかいそうかい」

 

 正直なところ、エレンの言うことをハッキリ覚えてはいなかったのだが、張は上機嫌に煙草を吹かす。

 

「俺の耳にも、あんたの評判は届いてる。──そうだな、三合会(ウチ)の仕事を任せても構わない」

「本当!?」

「お手並み拝見、と行こうじゃないか」

 

 張の言葉を受けて、エレンは心底嬉しそうに破顔する。その表情は、まるで少女のようだった。

 

「よろしくな、エレン」

 

 差し伸べた張の手を取って、握手を交わした。

 

「じゃあ、さっそく今から話を聞くわ」

「おいおい、随分せっかちなんだな」

「善は急げって言うでしょう?」

「……分かったよ。とりあえず、詳しい話を聞かせよう」

 

 張は溜息混じりに立ち上がると、エレンを伴って執務室を出た。連れてきたのは、廊下を隔ててすぐの応接室のような場所だった。

 

「まあ、座ってくれ」

「お邪魔します」

 

 ロアナプラの街を見渡せる広い窓から入る光で室内は明るいが、ところどころに飾られた伝統的な壷が部屋の空気を重厚なものにしている。

 エレンは勧められるままソファに腰掛けると、物珍しそうに辺りを見回していた。

 

「ほれ、コーヒーでいいだろう?」

 

 湯気とともに立ちのぼる香ばしい香りが鼻腔を刺激して、コーヒーカップを受け取ったエレンの表情が緩んだ。

 

「いい香りね、ありがとう。──そういえば、……奥さんは……本国にでもいるのかしら?」

 

 コーヒーカップの取っ手を指先で弄りながら、それとなく張の表情を伺うようにエレンが問う。すると、張は妙に憮然とした表情を浮かべて、大げさに肩を竦めてみせた。

 

「いないよ。俺は独身だ」

「あら、そうなの? ……いると思ってたわ」

 

 エレンは意外そうに目を丸くしてみせる。

 

「はは、よく言われるよ」

「……ふぅん……」

 

 張が軽く笑うと、エレンはちょっぴり眉尻を下げて、「ごめんなさいね、私ったら勘違いして……。でも、貴方なら引く手あまたでしょうに」と、心底申し訳なさそうに呟いた。

 

「どうしてそう思う?」

「だって……三合会の張維新と言えば、この街でも知らない人はいないでしょう。

 こんなに男前で素敵なんだもの」

「おだてても何も出ないぞ」

「あら、残念。報酬がアップするかと思ったのに」

 

 エレンは拗ねたように唇を尖らせたが、すぐに話題を変えることにしたようだ。

 

「それで? 私に依頼してくれる仕事ってどんな内容なのかしら?」

 

 張はまだ苦笑しつつ、向かいの席に座ると、自らもコーヒーカップに口をつける。

 

「ああ、そうだな。今回の仕事について説明しよう。先日、タレコミがあったばかりなんだが、俺のシマで銃を売ってるド阿呆がいてな。」

「……へえ、そんな馬鹿な人が、この街にいるのね」

 

 エレンはコーヒーカップを傾けながら相槌を打つ。この街の勢力を知らずに商売をするとは、愚かにも程がある。

 

「そこで、だ。この男を()()()きて欲しい。──聞き分けが悪けりゃ、始末しても構わん。出来るか?」

「もちろんよ」

「報酬は1万ドルといったところだな。小物を処理するには悪くない額だと思うが」

「それだけあれば十分よ」

 

 エレンの返答を聞いて、張は胸元に手を入れる。取り出したのは、一枚の写真だった。

 差し出したその写真には、一人の白人男性が写っていた。目付きの悪い男は、写真を撮られていることには気付いていないようだが、辺りを警戒するような表情を浮かべている。

 

「こいつが、そのド阿呆なのね」

「ああ。居場所を突き止めて、始末しておいてくれ」

「わかったわ。引き受けましょう」

「商談成立だな」

 

 張は満足そうに微笑むと、写真を手渡す。

 

「頼んだぞ。──そういえば、エレン。あんた、居住地(すみか)はあるのかい」

「ええ。安いアパートよ。それがどうかした?」

「いや、なに。必要なら三合会(ウチ)で部屋を用意してやってもいいと思ったんだが。どうだ、しばらく滞在してみるってのは」

「──それは魅力的な提案だけど、お断りしておくわ」

「そうかい」

 

 気安く答えると、張は煙草を取り出し、火を点ける。

 

「あら、貴方、病み上がりでしょう? 煙草は身体に悪いわよ」

 

 そう言うと、エレンは張の咥えていた煙草をひょいと奪い取り、自分の口に咥える。

 

「あ、おい」

 

 張が抗議の声を上げるも、エレンは無視し、深く吸い込む。──が、すぐに盛大に咳き込んでしまう。

 

「ゲホ、ゲホ……! か、辛っ……!? こ、こんなの吸ってたら、治るものも治らないんじゃないかしら?!」

 

 涙目になりながらも、なんとか強がりを述べる。

 

「ははは……あんたにゃまだ早いようだな。慣れりゃ美味くなるもんさ」

 

 さも愉快そうに笑う張を尻目に、頬を赤らめムッとした顔をしたエレンはテーブルに置かれた灰皿に煙草を押し付けて消してしまった。

 

「それじゃあ、私はそろそろ失礼するわ」

「おう。また連絡するよ。何かあったら言ってくれ」

「ええ。じゃあね」

 

 そう言い残して、エレンはその場を後にする。

 熱河電影公司ビルを出ると、夕陽に染まったロアナプラの街を弾むような足取りで歩いていく。自然と緩む頬を抑えようとするが、彼女の表情には隠せない喜びの色が浮かんでいた。

 

(やったわ、三合会の案件を任せてもらえた……!)

 

 そして、また彼に会うことができたことがなによりとても嬉しかったのだ。

 

(それに──)

 

 ふと思い出した情報に、エレンの口元は笑みの形に引き上げられた。──彼が独身だということ。

 

(──変ね、なぜ喜んでいるの、エレン)

 

 この高揚感は、ついに念願かなって仕事を貰えたからだ。そうだ、それ以外はない。

 

 エレンは自らの手のひらをじっと見つめる。

 ──握手をした張の手からは、あの時──彼に射撃の助言を貰った時と、変わらない温かさが伝わってきた。

 

 さて、これから忙しくなりそうだ。

 エレンは心の中の、自分でも気付いていないほのかな憧れをしまう。

 まずは今回使う武器の確保と、情報屋への接触、それから……。頭の中を整理しつつ、帰路につく彼女の姿はまるでスキップをしているかのように軽やかなものだった。

 

 しかし、だいぶ家が近づいた頃──ふとあることに思い至る。

 

「……あ、やだ……」

 

 立ち止まったエレンはポツリと零した。

 

「……トマト、置いてきちゃった……」

 

 ***

 

「……あれ? なんだろ」

 

 車の中を覗き込んだ黒服の若い男が、後部座席に置き去りにされたエレンの買い物袋を見つける。

 

「あ、これ、さっきの……エレンさんの忘れ物かな」

 

 そう言って、買い物袋を手に取る。中には大量の食料品が詰め込まれており、ずっしりとした重みを感じる。

 

「どうしよう、……張大哥に言ってみるか」

 

 男は困ったように頭をかいたが、やがて踵を返してビルの中へと戻っていった。

 

 

「あのう……すみません、張大哥?」

「ん、どうした(リュウ)。何かあったのか」

 

 張は愛飲のジタン・カポラルに火をつけると、デスクの前に立つ男を見上げる。劉は困ったように眉を八の字に下げており、何やら言い淀んでいるようだった。

 

「あの……これなんですけど……」

 

 彼が差し出した紙袋からはフランスパンが顔を覗かせていた。エレンが買ってきたものだ。

 

「さっきまでいた、張大哥のお客様……その人が置いていったみたいなんですが」

「何だ、エレンの奴、忘れていったのか。やれやれ……」

「どうしますか? 届けに行きます?」

 

 張は煙草の煙を吐き出すと、やれやれと呆れたような表情を浮かべた。

 

「まぁいいだろう。晩メシがないことに気付いたら取りに来るだろうしな」

「そうですね……」

 

 ***

 

「……届けてくれるかな、なんて期待したのよ」

 

 エレンはベッドの上で枕に顔を埋めながら呟いた。

 あれから結局、家に戻ってきてしまった。

 

「……トマトのパイスープ」

 

 トマトを煮込んで作った大好物のレシピを思い出し、エレンはため息をついた。

 

「明日にするしかない、か……」

 

 独りごちると、エレンはそのまま瞼を閉じる。

 ──微睡の中で、いつの間にか、夢を見ていた。

 

『できたわよ、ほら! 自慢のトマトのパイスープ』

『おお、美味そうだな』

『貴方が食べたいって言うから腕によりをかけて作ったのよ』

『はは、そうだったな。こんな女房を持って、俺は幸せ者だ。多謝你(ありがとよ)、エレン』

 

 ──そう言って優しげに微笑むのは──張だった。

 

「……!」

 

 飛び起きたエレンは、慌てて辺りを見渡す。当然、そこには誰もいない。いるのは自分だけだ。

 

「……やだ、変な夢……」

 

 かぶりを振ってみても、脳裏に浮かぶのはあの微笑み。そして、優しい声色で自分を呼ぶ声……。

 ──女房……奥さん……張の奥さん、か。

 少しだけ胸がときめくようなくすぐったい気持ちに、エレンは自嘲するように呟く。

 

「もう、バッカみたい。可笑しなエレン」

(奥さんはいるの、なんて訊くから、こんな夢を見たのよ。どうして突然、あんな質問をしちゃったのかしら?)

「……もう、明日から忙しくなるんだから、寝なきゃ」

 

 そうして、ぎゅっと強くシーツを握り締めると、再びベッドに潜り込むのだった。

 

 ______

(Wann wird die Sonne der Liebe kommen und meine Tränen trocknen?)(いつになったら愛の太陽がやってきて、私の涙を乾かしてくれるのだろうか。)





【挿絵表示】
シーンをコミカライズしてみた。
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