天気の良い昼下り、とあるビルの非常階段に、女が一人。双眼鏡で、斜向かいのビルの入口を監視するように眺めている。
「ふぅん、ここが奴らのアジトってわけね」
エレンは双眼鏡から顔を離し、ぽつりとつぶやいた。
黒のタンクトップに前開きのベストを合わせ、下は動きやすそうなカーゴパンツに、長めのブーツ。ブーツにはナイフケースがついている。タンクトップを盛り上げる大きな胸の下には、ショルダーホルスターがぶら下がっていて、中には彼女の愛銃が収まっていた。
気合を入れる時、エレンは髪を後ろでひとつに括って、ポニーテールにする。
張の依頼である、武器の密売人を締め上げる仕事を引き受けたエレンは、張から渡された写真を頼りに、アジトまで突き止めた。
あとは本人に会って、密売を止めるように
──さあ、行きましょうか。
エレンはそっとショルダーホルスターから銃を抜き、安全装置を外してスライドを引く。
右よし、左よし。背後よし。
そして、ベストの襟元を直すと、ビルの裏口へと歩き始めた。
裏口には鍵がかかっているが、エレンにとってそれは大した問題ではない。針金一本あれば事足りるからだ。
ポケットから針金を取り出すと、扉の金属面の穴に通していく。ものの数秒とかからず、がちゃりという解錠音がに響いた。
「よーし、張り切っちゃうわよ」
扉を開けると、中には誰もいなかった。
「……なーんだ、不用心ね」
するりと室内に入り込むと、扉を閉めて鍵を掛けた。
「さてと……」
周囲を見回す。電気がついているのは一部だけで、ほとんどは薄暗い。
中の様子を窺いながら、静かに歩を進める。エレンのブーツが床を踏む音が、仄暗い廊下に反響する。
しばらく進むと、ドアから光が漏れている部屋を見つけた。
「ここかしら」
息を潜めて、ドアのノブにそっと手を添える。そして、音を立てずに、ゆっくりと回す。
鍵はかかっていないようだ。
「お邪魔しまーす」
小声で呟いてから、そーっとドアを開けた。薄暗い部屋だ。部屋の中には、デスクが一つと、壁際に本棚が置かれている。そして、窓際に男が二人立っていた。何やら会話をしているようだ。
男たちはエレンに背を向けていたが、ドアの音で気づいたらしく、ゆっくりと振り返る。
「な、なんだお前!?」
一人の男が慌てた様子で叫ぶ。
デスクの側に立っていたのは、白人の若い男──エレンが張から受け取った写真の男だった。服装は小汚く、お世辞にも清潔感があるとは言えない。手には煙草を持っていて、口元に運んでいる途中で固まったように動きを止めていた。
もう一人は、中東系の背の高い男で、呆然とエレンを見つめている。
「銃を密売してるってのは、貴方たちかしら?」
「な、何の話だ?」
白人の男は動揺しつつも、しらを切るつもりらしい。エレンは構わず続ける。
「とぼけても無駄よ。三合会の縄張りで、よりにもよって模造品の銃を売りさばいてる奴がいるって、ミスター張が呆れてたわよ」
「知らねえな。人違いだろ」
白人の男は否定するが、明らかに動揺しているのがわかる。
「おい、ネェちゃん、誰の差し金でここに来たんだよ」
中東系の男がエレンを睨みながらそう言うのに、エレンは小首をかしげて考える。
(正式に依頼されたんだもの、張の名前を出してもいいのよね?)
心の中でひとり納得すると、この上ないくらい得意満面な笑顔を浮かべ、言った。
「三合会のミスター張からの依頼よ」
エレンの言葉に、男たちは一瞬、驚いたような顔をした。しかしすぐにニヤついた表情に変わる。
「その張ってやつがここらへんのボスだとして、お前は一人で乗り込んできたのか? どうせ大したことない組織なんだろ」
「なぁ〜、デカパイのおネエちゃん。あんたひとりノコノコ出向いてきてどうなるっての? あぁ?」
「ハンッ! 命知らずもいいとこだぜ、このクソアマ! 俺らとパーティしたいってか!」
男たちは口々にエレンを罵る。だが、彼女は余裕の笑みを崩さない。
「ミスター張からは締めてこいと言われているけど、言うことを聞かない場合は──始末してもいいって言われてるのよ」
エレンの言葉に、二人の男の顔色が変わる。
「ふざけんなよ!」
白人の男はそう叫ぶと、傍らの机から銃を手に取りエレンに向かって発砲した──それとほぼ同時に、エレンもまた閃くような速さで引き金を引いていた。
男の放った弾丸と、エレンの放った弾丸が──空中でぶつかった。凄まじい火花が散り、空気を揺らす甲高い金属音が響き渡る。互いの銃弾は角度をずらして、それぞれ左右の壁にめり込む。
「な、何ッ!?」
男が驚愕の声を上げる。
しかしすぐにまた銃口をエレンに向かって定めるのだが、彼女も男に向けた銃を再度発砲する。
二発目は、男の右肩に穴を開けた。
「ぐわあぁッ!」
男は衝撃で後ろに吹き飛び、床に倒れ込んだ。
「そんな質の悪い模造品、私に向けないでくれる?」
エレンは軽蔑の眼差しを向ける。
「てめぇ!」
その段階になってやっと、立ったまま呆然としていた中東系の男も懐から銃を抜き出す。が、遅かった。それよりも早く、エレンの愛銃から放たれた9mm弾は彼の右腕を正確に撃ち抜いていたのだ。
痛みに叫びその場にうずくまってしまった男を見下ろすと、エレンは優しい口調で言う。
「ほら、ね。そんな危ないもの、人に向けちゃ駄目よ?」
そして、後頭部に容赦のない踵落としを食らわせた。
「くッ……クソ女め……!!」
白人の男は呻きながら立ち上がると、撃たれた肩を庇いながらも反対の手で再び発砲しようとするが──エレンの銃弾が命中し、男の拳銃を彼の手から遠く離れたところへと弾き飛ばした。
「ひッ!?」
今度こそ男は観念したらしく、その場に崩れ落ちる。
「残念だったわね」とエレンは冷たく言い放つと、男に近づいた。そして、男に銃を突きつける。
(呆気ないわね~……これで張に私の腕を認めてもらうなんてこと、できるのかしら?)
エレンはそんなことを考えていたが、男が口を開く。
「わ、わかった……降参だ。だから殺さないでくれ……」
「だったらここで商売するのを一切合切やめてもらうわよ。要求はそれだけ」
「そ、それは……」
男は言い淀む。
「何よ? 文句あるの? この辺は三合会のシマなのよ?」
エレンが語気を強めると、男は慌てて首を縦に振った。
「わ、わかったよ! やめるよ! だから命だけは……!」
「本当ね? 命が惜しかったら、模造品の密売からは手を引きなさいね? そしてさっさとこの街を出ていくことね」
男に念を押すように言えば、男はコクコクと頷く。
(うーん、これだけで締めたことになるのかしら?)
疑問に思いつつも、男に向けていた銃を少しだけ下げ辺りを見回す。
──その瞬間、男の目がギラリと光って、ズボンの裾に隠していた小型の銃を抜き出した。
目を逸らしたエレンを、男の銃口が捉える。
しかしエレンは男の方を見やることもせず、男に銃口を向けるとそっぽを向いたまま引き金を引いた。
銃声が轟き、銃を握る男の左手に弾丸がめり込んだ。
「ぐぁあぁっ!!」
おそらく、左手の骨は砕けてしまっただろう。
「ぅぐうぅ……ッ」
エレンはおもむろに首だけを動かし、銃を取り落とし悶え苦しむ男の姿を見る。
「この卑怯者〜。人がよそ見してる間に……」
そして、蔑むように言った。
「私ね、あんたみたいな卑怯者、大嫌いなの」
冷たい声で言い放つと、男に近づいていき、そのまま男の顎にブーツの先を叩き込んだ。男は勢いよく吹っ飛び、床に叩きつけられた後、小さく呻いている。
「さぁて、どうしてくれようかしら」
そして、ふと目に入ったものが──黒色火薬が詰まった袋だ。
(あら、いいことを思い付いたわ……)
エレンはにんまりと笑うと、その袋に手を伸ばした。あとは雷管代わりのものを探せばいい。
──少しくらい派手にやった方が、きっと張も自分の腕を認めてくれるだろう。
「じゃあ、動けないようにしておきましょうね」
そう言い頷くと、彼女は傍らにあったロープを手に取り、床に身を投げ出す男たちに微笑みかけた。──女神のような笑顔で。
***
「──で、そいつを
心底呆れたような表情を浮かべた張が、手元の書類とエレンの顔を見比べるように顔を上げる。
──張のオフィス。
エレンは今、張のデスクの前で肩を小さくしていた。
まるで青菜をお湯につけたようにその表情を萎れさせ、がっくりと力なく
その身体には至るところに煤がつき黒くなり、服はところどころほつれ破れている。髪も毛先が焦げたように縮れている箇所があった。
「……あは。ちょっと張り切りすぎたみたい」
気まずい思いを努めて明るく笑い飛ばそうとするが、そんなエレンと対照を成すように張の表情は渋いままだ。
少し離れたところでは、ひそひそと、張の部下たちが彼女を見て何やら言葉を交わしているのが聞こえてくる。
──少し奴らを脅かそうとしただけだった。しかし火薬の量を間違えたようだ。思ったより大規模な爆発になってしまった。危なく彼女自身も巻き込まれるところだった──実際に、服や髪を焦がしただけで済んだのは幸運な話だ。
すぐ隣のビルの持ち主は怒り心頭、三合会に修繕費用について直談判してきたくらいであった。
デスクに頬杖をついた張は、依然として呆れ果てた表情のまま手元の請求書を眺めている。
「隣のビルのオーナーが大層ご立腹だぞ。修繕費その他は経費としては出せん、おたく持ちだ。いいな?」
「……はい」
寄る辺のない気持ちにしょんぼりと小さくなり、すっかり意気消沈した様子のエレンはただ、張の言葉に従順に頷いた。
「密売人は売上げを全て
己の言葉に迷うような調子で張はそう呟いた。
「……依頼料は口座に振り込んでおくよ。
もう帰っていいぞ。……ご苦労だったな、エレン」
「ええ……失礼するわ……」
項垂れたまま、覇気の欠片もない口調でエレンはそれだけ言う。
──ああ、失敗した。せっかくのチャンスだったというのに、空回りしすぎた。
これじゃ次はなさそうだ。そう考えながらその場を後にしようとした彼女の背中に、──まだ明瞭さのない調子ではあったが──張が声をかける。
「……まァ、なんだ。仕事自体の手際は悪くなかったぞ。……少々、いや、だいぶやり過ぎではあったがな」
その言葉に、微かではあったがエレンの表情は硬さを和らげる。
「ありがとう……。……貴方の仕事を受けられて、嬉しかったわ……」
それだけ言うと、背中を丸めたまま、おもむろに踵を返す。
「エレン」
ドアノブに手をかけたエレンは、少しだけ張の方を振り返る。
「また連絡するさ」
──いま彼は何て言った? また、と言った、聞き違いではない。まだ自分にチャンスをくれるということか!
「……ええ!」
今度こそエレンの表情は明るく華やぎ、無邪気な笑みを浮かべる。そんな彼女を見て張もやれやれというふうに力なく口元を緩めるのだった。
そして、オフィスを出ようとしたエレンと、部屋の隅にいた部下の男──
すると、彪は、さも
「……な、っ……!」
(こいつ、いけ好かない男ね!)
エレンは彪に向かって舌を出すと、何か言われる前に素早くドアを閉めるのだった。
***
(うーん、やっぱりもう少し火薬の量を減らすべきだったわ)
歩きながら思案していたエレンの足がふと止まる。
──どうして、私はこんなことを知っているのかしら。……どこかで、そう、教わった?
爆弾の作り方は知っている。
銃の撃ち方も、覚えている。
人を殺すには、どうすればいいか知っている。
だけど、一体どこで身に付けたのかを覚えていない。
──お父さん? お父さんから、教わったのだったかしら? きっと違う気がする。もっと小さい頃に、父とは別れた。理由はわからないが、両親にはもう会えないのだということを、確かに覚えている。
エレンの手の中の銃は、美しいガンブルーに輝いている。
──この銃は、父の大切なものだったはず。父はこの銃を私に託した。そして──?
それを思い出そうとすると、頭がひどく痛んだ。
私の名はエレン。エレン・リーフェンシュタール。それだけは、はっきりと覚えている──
いまは、それだけで充分だ。
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(No memories remain )(思い出は残らない)